2005/05/23 - 2005/05/25
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Dwind_999さん
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私のようにケチった旅行スタイルでは、南国リゾートの癒しの恩恵はあまり期待できないものの、まあそれなりにオアフの光と風の恵みをいただきながら、お上りさんよろしく、うきうきワイキキ、あふあふオアフの町歩き、といきましょう。
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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5月23日(月)。この日も早起きしてホテルそばのバス停から二両編成の42番バスに乗り、アリゾナ・メモリアルへ向かいます。
バスの前方には自転車を2台乗せることができ、車いすの人も乗り降り出来る設備があります。
しかし、いつものようにバスの中はクーラーが効き過ぎて肌寒い。
日本のバスのように適度に温度調節することがどうしてできないのか不思議。 -
ワイキキから約1時間、7時半にアリゾナ・メモリアルに到着。
さすがにこの場所はウキウキというわけにはいきません。
バスを降りて少し進むと、もう入口から長蛇の列で小径に沿って蛇行した行列は100mを越す。朝早くから何でこんなに多いの、とその光景に唖然。
警備も厳重で、入館に際してはバッグ類を持ち込むことは出来ず、荷物は1個につき$2払って預けることになるので、今日はほとんど手ぶらでやってきました。
館内に入るとき、アリゾナの乗組員の生き残りかどうか知りませんが、車いすに乗った退役軍人らしき老人が一人一人に握手をします。何だか握手するのも気まずいような照れくさいような。
入館するとき係員から?3のカード(グループ分け)をもらい、戦艦アリゾナ撃沈の場所へ向かう順番を待ちます。
アリゾナ記念館の入場は無料で、寄付を受け付ける募金箱があったので$1入れました。
写真は日本軍の真珠湾攻撃によって撃沈された戦艦アリゾナの模型。
館内はメインランドから来た多くの米国人でごった返していて日本人はほとんど見かけない。中国人、韓国人は少しいたようですが。アリゾナ記念館 モニュメント・記念碑
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真珠湾攻撃の時の零戦の攻撃を受ける飛行場の絵。
館内には第二次世界大戦や太平洋戦争関連の書籍、ポスターや絵はがき、Tシャツ、帽子などの記念グッズが販売されているショップもあり、真珠湾攻撃当日の1941年12月7日付けホノルル新聞の復刻版が$1.25で売られていました。
ミュージアムには真珠湾攻撃に関するいろいろな資料が展示され、戦艦アリゾナや真珠湾攻撃に出動した空母「赤城」の模型などが置かれていたり、当時のパール・ハーバーの写真や艦上での海兵隊の写真なども多くあり、英語の説明が入った山本五十六と南雲中将の写真もありました。 -
8時半になってカード?3のグループの順番になり、まずシアターに入って、百数十人くらいの人たちと一緒に、約20分間の太平洋戦争関連のドキュメンタリーフィルムを観せられました。
日本が資源を求めて中国、東南アジアを侵略し、それに対しアメリカ、イギリス、オランダなどのABCD包囲網により、日本への石油輸出禁止などの経済制裁がとられ、ついに日本は真珠湾に奇襲攻撃をしかけ、それに対して敢然と立ちあがったアメリカは日本を打ち負かした、といった内容で当然の如く日本が悪者として描かれた勧善懲悪の図式。
このあと桟橋からランチボートに乗り、3、4分程で、1102柱の霊と共に沈んでいる戦艦アリゾナの船体をまたぐようにして、1962年に建てられた白亜の記念廟に着きました。 -
「リメンバー・パールハーバー」の聖地であるこの場所では、さすがに浮かれて記念撮影する人はいない。
この時、日本人は私一人だけで、何となく居心地が悪い。
右手海面には、砲台の基幹部分が錆び付いて赤茶けた姿をさらし、その周りには油が浮いていました。 -
アリゾナ記念館を出ると、戦艦ミズーリ見学のためにチケット売り場で$16出して入場券を購入し、「Battleship Missouri」と大きく書かれた専用トロリーバスに乗ってフォード・アイランド橋を渡り、フォード島に係留されている戦艦ミズーリへと向かいます。
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トロリーバスに乗って7、8分、戦艦ミズーリ記念館に到着。
バスを降りて、昔そのままの隊員の休憩所のような小屋で少し待たされたあと、70才前後の日系人ガイドについて、20名くらいの観光客と一緒に戦艦ミズーリの見学ツアーに向かいました。
乗船する前に、半強制的に一人ずつ記念写真撮影。
写真を買う買わないは自由ですが、なかなか商売熱心です。
戦艦ミズーリの大きさには圧倒されます。
全長270m、全幅33mで排水量約5万3千トン。ちなみに戦艦大和は全長263mで約6万4千トン。
1944年に進水した戦艦の迫力は一見の価値有り。
砲台前左は女性の海兵隊員で白い制服がなかなか決まっていた。戦艦ミズーリ記念館 モニュメント・記念碑
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艦橋の高さに圧倒されながら、階段を登って橋桁を渡り、ミズーリ内部へと入っていく。
天上の低い、狭く入り組んだむき出しの鉄板に仕切られた、士官の部屋や二段ベッドの船室などを抜け、狭い鉄の階段を登ってさらに上の階に上がり、レーダーや赤い電話やいろいろな機器に囲まれた部屋に入ると、ガイドさんが英語で説明を始めるが、私一人だけ何を言ってるのかさっぱり分からない。 -
太平洋戦争当時のことしか考えていなかった私は、ミズーリの装備のすごさに単純に驚きました。
パソコンやモニターもあるので、1940年代に作られた戦艦なのになんで?と思ったりしましたが後で調べてみると1991年の湾岸戦争の時まで現役で活躍していたそうで、機能強化されたミズーリにはトマホーク(長距離巡航ミサイル)が搭載されて実戦配備されていたとのこと。
1発1億円はするといわれるトマホーク、湾岸戦争時、このミズーリから28発発射されたそうです。 -
戦艦ミズーリは1945年9月2日、東京湾上にてマッカーサー立ち会いのもと重光葵外務大臣による降伏文書調印式が行われたところとしても有名。
マッカーサーによる演説ののち、降伏文書にサインする姿は、ドキュメンタリー映画「東京裁判」などで何度も目にした光景。
右舷側面には沖縄海戦において零戦が体当たりした傷跡があり「カミカゼ・アタック・サイト」と呼ばれている。 -
見学ツアーの最後に戦艦ミズーリの巨大な40センチ砲三連装の前で記念写真。
左端の男性はガイドさん。
前に出て写真に写りたくなかったので、後ろに引っ込んでいたら、そばにいた女性から、背が小さいのでそれでは見えないわよ、ってな感じで前に促され苦笑いしながら仕方なく出てしまいました。
見学ツアーを終えて解散し、出口に沿って船を降りると、待ってましたとばかりに、海兵隊の写真屋さんが手ぐすね引いて待ち構えています。
乗船前に撮っていたのと砲台前の写真ができあがっていて、2枚で$31.2もするとは恐れ入りました。
ちょっと商売に精を出し過ぎ。 -
アリゾナ・メモリアルをあとにしてカメハメハハイウェイそばのバス停から20番のバスに乗りワイキキへ戻る。
途中の渋滞もあって1時間20分もかかりました。
一度クヒオ通りにあるホテルに戻った後、ホテル横のワリナ通りからアラワイ運河に出て、遊歩道を歩いてカパフル通りに向かいました。
椰子並木の運河沿いの歩道を歩いていくと、ところどころに白い花を咲かせたプルメリアの木があり、少し濁った運河の水の中では小さな魚たちが泳ぎ回り、運河の左手にはアラワイゴルフ場、正面にはダイヤモンド・ヘッドの茶色のすそ野が青い空の下に広がっています。
午後の陽射しはかなりの強さだけど、そよ風吹く運河沿いの小径は気持ちがよい。 -
カパフル通りにある「レナーズ・ベーカリー」にやってきました。
レナーズベーカリー スイーツ
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これが有名な「マラサダ」という砂糖をまぶした揚げパン。
中には何も入っていないが、出来立てでまだ温かいフワフワした食感のマラサダを昼ご飯代わりに6個ペロリと平らげました。
半ダース(6個)で$3.94。店の前のベンチに座っていただきました。
マラサダの切れ端を手に持って通りを眺めていたら、いつの間にかやってきた雀が素早くマラサダをくわえていきました。
ハワイでは雀や何か知らない小鳥や白い鳩などが、食堂やオープンエアーのレストランを一つの食事処と心得ているようで、怖がる風もなくそばに寄ってきてクズをつついたりします。
店の前に座って食べる人が多いのか、ベンチの前には白砂糖の粉がいっぱい落ちていました。
ちなみに、ハワイ島の小さな町ホノカア(Honokaa)を舞台にした映画「ホノカアボーイ」の中では四角い形のマラサダを作っていました。
※いたってシンプルなB級グルメスイーツのマラサダ、この味が忘れられずときどき自分で作ったりしました。
<レナーズ風マラサダ>
https://www.youtube.com/watch?v=bQ-AV5eXevw -
マラサダを食べ終え、カパフル通りからワイキキへ戻っていく途中、左手にはダイヤモンドヘッドの一部が姿を見せます。
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シャワーを浴び17時半にホテルを出ました。
お気に入りのアロハシャツを羽織り、暑さも和らいだ夕暮れの街へ繰り出す、ココロウキウキなひと時。
夜、ホテルに帰ってくるとき、いつも大音量の音楽が路上まで流れてきていて、ちょっと気になっていた「カントリー&クラッシックロック」と書かれた看板のある「ナッシュビル・ワイキキ」という店。
午後4時から午後8時までのハッピー・アワーでは、マイタイやビールが$2以下で飲めると表に書いていたので、ちょっと様子見にのぞいてみました。
歩道から地下への階段を降りていき薄暗いレトロチックな店内に足を踏み入れると、そこはもうため息が出るほどのアメリカンな雰囲気。
実際ここはアメリカだけど。 -
まだ早い時間なので、カウンターにはテンガロンハットをかぶった男一人と男女一組だけ。
ハーイと若い女。こちらもハーイと返すが、ぎこちない。
カウンターに座ってトロピカルカクテル「マイタイ」を注文。マイタイが出てくると、お金を払うように催促されました。キャッシュオンデリバリー(注文のつど支払うシステム)だった。TAX(消費税4.1%)込みで$1.75。
若いグラマーな女性は21才のメグ。日本にいたことがあり日本語を少し話すことができるので、英語がダメな私でもいくらかはコミュニケーションが取れました。
サーフィンはするのかと聞いたら、背中の日焼けを見せて、もちろんと言う。
映画「ブルー・クラッシュ」を持ち出すと、オーノー、あんなには出来ないよー、みたいなことをオーバーアクションで話します。 -
クールに決めたつもりだが、いまいちか。
そのカッコウつけぶりに、メグが大きな体を揺らして笑う。 -
「ナッシュビル・ワイキキ」のマイタイの後は、本家本元のザ・ロイヤル・ハワイアン(ピンクパレス)のビーチサイドバー「マイタイ・バー」にやってきました。
「マイタイ・バー」の席から見たワイキキ・ビーチと夕陽に照らされ金色に染まるダイヤモンドヘッド。マイタイ バー (ロイヤル ハワイアン ラグジュアリー コレクション リゾート店) バー
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ロイヤル・マイタイをいただきました。$7.75。
この店はトロピカルカクテルの女王などと称される「マイタイ」発祥のバーといわれているそうで、先ほどのナッシュビルのBarには悪いが、やはり味が違う。
前方に夕陽を浴びた黄色いダイヤモンドヘッドを望みながらのカクテルな夕どきは至福のひと時。 -
19時半、マイタイ・バーの後は、カラカウア通りとビーチウォーク通りの交差点そばにある、テーマレストラン「プラネット・ハリウッド」に来ました。
店内には映画関連の展示やグッズがいっぱい。
天井には、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」にタイムマシンとして登場するデロリアン(デロリアン社が作った車で、型番DMC12)が逆さに張り付いていた。プラネット・ハリウッド・ホノルル アメリカ料理
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屋外の歩道そばのオープンエアー席で生ビールをいただきました。
右横にイルカの噴水があり、その前ではハワイアンの演奏。 -
「プラネット・ハリウッド」前の似顔絵描き。
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おっ、これはニュースペーパーマン。
夜になるとカラカウア通りの歩道は大道芸人たちの稼ぎ場所にもなります。 -
ドラムを叩く男。
ウクレレを弾きながら、アロハーと奇声を発する白人オヤジもいた。 -
路上でマッサージ。
ちょっとした小技を持っている人は、何がしかの商いをして小金を稼ぐことができる。 -
ちょっとしたメロディーを奏でるヨーロッパ系の年老いた夫婦。
$1置いたけど、他には誰もそばにいなくてちょっと寂しい大道芸。
この後、セブンイレブンであつあつのスパムむすびを二つ($2.37)買って帰り、22時過ぎにホテルへ戻って、ラナイで安上がりのむすびを食べながら月のきれいなワイキキの夜をビールで締めくくりました。 -
5月24日(火)。7時にホテルを出て、19番バスでアラモアナセンターに来ました。
センターの2階で見かけた、壁から突き出たバイクの面白いディスプレーをしている店。アラモアナセンター ショッピングセンター
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アラモアナセンター前の山側コナ通りから56番バスに乗りカイルアを目指します。
パリ・ハイウェイを北東へ走るバスは少しずつ標高を上げ、次第に家並みも少なくなってきて山肌には雲がかかり峠のトンネル付近では雨が降ってきました。
左側には風の名所といわれるヌウアヌ・パリ展望台。トンネルを二つ抜けると道は下りになり、はるか眼下に海が見えてくる。
雨はすぐやんで、制服のアロハシャツを着た女性運転手が慣れた運転さばきでコオラウ山脈の峠を下ってゆきます。
アラモアナセンターから35分でウインド・ワードにあるローカル色漂うカイルアの町に到着。バスを降りたのは私一人。
天気は流動的で、この町から見えるとんがった山にもすぐ雲がかかったりします。 -
ハレイワがサーファーの町なら、ここカイルアはウインドサーファーの町と呼ばれている。
観光客も見かけず、地元の人たちが普通に行きかうハワイの片田舎。
一車線道路が走るカイルアの町をぶらぶら歩きながら、カイルア・ビーチパークの方へ向かいます。
ショッピングセンターや映画館、ボーリング場などもあるが騒々しさはなく、のんびりしたローカルな雰囲気が落ち着きを与えてくれる。
右手にはコオラウ山脈の緑の山襞が現れ、その自然の景観もたちまち白い雲に遮られたりします。 -
カイルア通りをビーチらしき方向に向かって歩いていくと、道の両側には南国の植物に囲まれた家々があり、道路沿いには例のアメリカ式郵便受けが並び、花柄や亀のイラストが描かれていたりしてハワイらしい遊び心を感じさせてくれます。中には木にくくりつけられたのもあって面白い。
家の前で水まきをしていた日系人らしきオジサンにカイルア・ビーチはこの道でいいのか聞いてみると、「はい、もうすぐ」と日本語で返ってきました。
バスを降りてからゆっくり30分ほど歩いて、カイルア・ビーチに到着。カイルア ビーチパーク ビーチ
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ウインドサーフィンの町といわれるカイルアですが、9時過ぎに着いたこの日はそれらしき姿は見られず、風は少しあるけど海は静かなもの。
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ワイキキビーチより格段にきれいなカイルア・ビーチ。
人も少ない。 -
ゆったりとした時間が流れるカイルア・ビーチののどかな風景。
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木陰に腰をおろし、潮風に当たりながらしばし海を眺める。
エメラルドグリーンの海がすばらしい。 -
ライフガード詰め所前にある目印のサーフボード。
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カヤックを操って、向こうにある小さな島へ向かう人たちが何人かいました。
水着を持参しなかったので泳がなかったけど、持ってくればよかったな。
帰りにレンタルカヤックのワゴン車のそばを通ると、店の若い男がハ?イと声をかけてくる。
さらにウインドサーフィンやボディボードのレンタル店の男からもハローと声をかけられたりして、とてもフレンドリーな、あくせく働くことには無縁なビーチボーイたち。 -
カイルアロードに入るビーチ入口横にある「カラパワイ・マーケット」。
町の小さな総合雑貨屋みたいなこの店、1932年創業の歴史ある老舗マーケットで、地元の人たちに親しまれているそうです。カラパワイマーケット ショッピングセンター
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マーケットでホットコーヒーを買い、ローカルな人たちにまじって、これまた小鳥たちがうろつきまわる中、木のテーブルに座って一息入れる。
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カイルア・ロード。
この前方にビーチがある。 -
昼過ぎ、カイルアからアラモアナ・センターに戻ってきました。
バス乗り場付近に停まっていたレインボーカラーの2両連結バス。 -
アラモアナ・センターのバス乗り場付近には、TheCAB(タクシー)も並んでいた。
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アラモアナ・センター4階の「ババ・ガンプ・シュリンプ・カンパニー」のグッズ売り場をちょっとのぞいてみました。
マイタイ・バーのTシャツもある。
平日の今日はフォレスト・ガンプのそっくりさんはいなかった。 -
カパフル通りにある「レインボードライブイン」。
おんぼろそうなプレートランチの店だけど、けっこう人気があるようで、ここでもTシャツなどのオリジナルグッズを販売していました。レインボー ドライブイン 地元の料理
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ミックスプレートを注文して遅めの昼食としました。
税込みで$5.9。
牛肉、ポーク、マヒマヒ(ハワイでよく獲れる白身の魚)と三つ重ねられ、ライスが2スクープにマカロニサラダとキャベツ。
見た目は悪いがあんがいいける、B級グルメとして人気のプレート。 -
カパフル通りからワイキキ方面を写す。
歩道では自転車の形をした鉄のフレームをよく目にするが、これは駐輪場所の目印だそうです。 -
ワイキキを走るダックツアーの水陸両用車。
運転手がダックの様な鳴き声のする笛を吹いていた。 -
ワイキキ・ビーチそばを走るトロリーバス。
このピンクラインは、アラモアナからワイキキまで走っているので、アラモアナからの帰りによく利用しました。 -
昼下がりのワイキキ・ビーチ。
もう一度泳ぎたかったが、あのまだら日焼けの背中ではかっこう悪い。 -
ビーチで日光浴したり波と戯れたりサーフィンしたり、みなそれぞれにワイキキの午後を楽しんでいます。
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15時を過ぎた頃、ふらりとインターナショナル・マーケット・プレイスの中に入ってみると、その一角にある2階のオープンエアの店から大きな音量のポップな音楽が流れてきました。
インターナショナル マーケットプレイス ショッピングセンター
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「ココナッツ・ウイリーズ」というバー&グリルの店で、そのメロディに誘われて階段を上がっていきました。
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カウンターに座り、隣の男が飲んでいる瓶ビールを指差して同じものを注文。英語がダメな私にはこれが一番簡単な注文方法。
サーフィンの絵柄の入った「Longboard LAGER」という銘柄がハワイらしくて気に入りました。
コナ・ブリューワーズの地ビールらしい。
この店もCash On Delivery(代金引換)の即現金払いで、$4.45。 -
ステージの男がリズムマシンを操りエレキギターを弾きながら歌う。
そばには自分のCDが何枚か置いてあり、さすがにプロだけあってギターも歌もそれなりにうまい。
フロアでは昼下がりのダンスを楽しむ熟年夫婦。
いいなぁ、ハワイは。 -
「ココナッツ・ウイリーズ」のあとホテルに戻って、洗濯してシャワーを浴び、ラナイで缶ビール。
そよ吹く風が心地よい。 -
ABCストアで買ったお気に入りのアロハシャツを着て、夕方のワイキキ散策に出かける。
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毎日夕方6時半から始まるクヒオ・ビーチパークのトーチングライトセレモニー。
時間になると赤い腰布をまいた裸の男が三人出てきて、二人がホラ貝を吹き、一人が槍のようなトーチング・ライトに火を付けて回る。クヒオ ビーチパーク ビーチ
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トーチングライトセレモニーの後は、ハワイアン音楽とフラショー。
演奏が始まると女性を中心にした踊り手が現れてフラのショーが始まり、途中で衣装を替えたりして目を楽しませてくれます。
最後には簡単なフラレッスンもあり、みな立ち上がって、その意味のある手の仕草などを真似てみたりする。 -
南国旅情を誘う、黄昏のワイキキビーチ。
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すっかり日が暮れて、イルミネーションに夜の装いを新たにしたワイキキ。
シェラトン・プリンセス・カイウラニ・ホテル「ピカケテラス」のプールそばでフラショーを見学。
プールそばの長椅子に寝そべってハワイアン音楽とフラを楽しみました。 -
さらに、ロイヤル・ハワイアン・ショッピング・センター前のフラショー。
ワイキキでは日が暮れる頃になるとあちこちでハワイアン音楽・フラショーが催される。
ワイキキの夜はフラで始まる。 -
21時頃、再び「ナッシュビル・ワイキキ」。
夜は入るときにIDチェックがあり、階段下の狭い入り口には2メートルはあろうかという大男が見張っている。
そうとは知らなかったのであわてて、ポケットからパスポートのコピーを出すが、コピーではだめ。それで運転免許証を出すとペンライトで免許証を照らして確認したのちOKということで中に入れました。(なぜ運転免許証を旅行に持参していたのか今となっては不明)
ライブをやっているのかと思っていたが、DJがいて大音量の音楽を流している店内はおそろしいほどの喧騒に包まれ、アメリカ人でごった返していました。
まさに英語のシャワーを浴びるとはこのこと。
ビリヤード台が一つあり、女の子たちが踊ったりしているダンスフロアーの前にはスクリーンがあって昔のいろいろなロックシンガーなどの映像が流されたり、ベーブ・ルースが入院中の子供にホームランを打つ約束をして、見事スタンドにたたき込み、あのちょこちょこした小走りでベースを回るシーンもありました。
DJボックスのそばの椅子が空いていたので、そこに座って小瓶ビールを瓶ごと口につけて飲んだりしますが、このネイティブな夜のアメリカン・バーに一人の日本人が紛れ込んだ様はまるで東洋の小猿が迷い込んだ感じで、このアウェイな雰囲気の中で一人過ごすのはけっこうしんどいものがあります。
この日はあのメグ嬢の姿も見えず、30分で店を出ました。
いやあ、地下のバーは異次元の世界だった。 -
「ナッシュビル・ワイキキ」の階下の店から地上の歩道に出てくると、急に静かな馴染みの街に生還したような感覚に安堵し、ほっと一息つきました。
このあと、「L&LハワイアンBBQ」でロコモコを食べたけどあまり口に合わず、口直しに近くにあったCoCo壱番屋で初めてカレーを食べてみました。
ポークカツカレーは$5.85でこれに消費税4%、そしてチップが15%。
レジで#6.1払い、プラスチックの募金箱みたいな箱にチップ$1を入れましたが、カレーの方はもう1回口直しが必要な味でした。
ホテルに帰り着き、ラナイに出て気持ちよい夜風に吹かれながらビールを飲み、月のきれいなハワイ最後の夜を名残惜しみました。 -
5月25日(水)、4時半起床。いよいよハワイを立つ日がきました。
最後に早朝のワイキキを散歩したくて5時過ぎにホテルを出て右に歩いてみると、通りの角で10人くらいの黒人らしきグループがたむろして騒いだりしていました。
横断歩道を渡って向かいの通りを東に進むと、ビルの入り口にレンタル三輪バイクが数台並んでいたのでそれらを見たりしながらさらに歩いていくと、夜のお仕事を終えて家路につくスラリとした女性がすれ違い様に、「ハロー、・・・ジャパニー?」と声をかけてきたので、「イエス、ジャパニーズ」と答えると、「オゥッ?、ナントカ、カントカ・・・」とつぶやきながら去っていきました。
何を言ったのかわかるはずもないけど、その口調からして、小男のイエロー・モンキーをからかったのではない、というふうに思っていたほうが、ハワイ最後の日をめでたく締めくくれるというもの。 -
月が波間を照らす、朝5時半のワイキキ・ビーチ。
サーフボードを抱えた人がチラホラ姿を見せ始める。
歩道にはウォーキングやジョギングをする人が現れ始め、やわらかな優しい朝を待ちかねるかのように小鳥たちもさえずり始める。
ワイキキの一日が始まろうとしています。 -
6時少し前、ワイキキ・ビーチ前の「ジャック・イン・ザ・ボックス」というバーガー屋で朝食にしました。
コンボ17とコーヒーを注文。
上半身裸のアメリカ人や、車いすに乗ってきた人も店に入ってきて注文します。
サーファーの波乗りが遠くにチラチラ見えたり、箒を手に掃除する人がいたり、ゴザを小脇に抱えたホームレスや、まだ若そうに見えるホームレスらしきアメリカ人女性が何やらブツブツ呟きながら歩道を歩いていたりする、そんな早朝のワイキキビーチ前。
この窓際の席で夜明けのストリートウォッチングをしながらバーガーにかぶりつきました。 -
8時前にホテルをチェックアウトして、ツーリストの待ち合わせ場所、「ハイアット・リージェンシー・ワイキキ」近くで時間待ち。
空は見事に晴れ渡り、さわやかなビーチサイドに潮風が吹き抜けてゆく。
椰子の木が砂浜に影を落とし、ボードレンタル所には何枚ものサーフボードが立て掛けられ、腕にタトゥーを入れた男たちやボードを脇に抱えた女たちが浜辺を行きかい、沖をゆく白い船や帆を上げたヨットは波間に映え、白波に乗ったサーファーたちはさっそうと海面を滑っていく。
オアフ島を離れる私の気持ちとは関係なしに、いつものワイキキの朝が動き始める。 -
ホノルル空港に着いてチェックインと出国審査をすませ、搭乗までのひと時をトロピカルバー&グリルの店に入って、マイタイを飲みながら初めてのオアフの日々に思いを馳せます。
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ホノルル空港に駐機する大韓航空KE052便。
これに乗って乗り継ぎ先のソウルまで9時間半。
あっという間のハワイ1週間でした。
多くの人を魅了するハワイ。
なかには何十回となくこの島を訪れ、自分の先祖はポリネシア人かもしれないとひそかに思っている"ハワイ症候群"と言われる人もいるらしい。
リゾートには不向きの貧乏一人旅、今度はいつ太平洋の楽園の島に上陸できることやら。
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