唐津・虹の松原旅行記(ブログ) 一覧に戻る
明るいうちにとタクシーの運転手さんが先ず案内したのが唐津城で、秀吉の家臣・寺沢広高は関ケ原の戦いでは東軍に加わり外様大名になり、名護屋城跡の資材を流用し、7年かけて築いた城。<br /><br />明治の廃藩置県で廃城、解体されたが、現在目にする城は昭和41年に観光用に建設された模擬天守閣。<br /><br />最上層の5階から360度の展望が開け、東から唐津湾に注ぐ松浦川、その対岸に、玄界灘を前にして日本3大松原の”虹ノ松原”が5kに亘って曲線を描く。<br /><br />この景観が鶴が翼を広げた様に擬せられ、”舞鶴城”との愛称を与えられた。<br /><br />しかし壱岐の島影は見えない。<br /><br />壱岐には芭蕉の奥の細道で芭蕉を助け、その日記のお陰で芭蕉の奥の細道の行動が明らかになった、河井曾良の墓があるという。<br />

11,古代からのアジア大陸との玄関・唐津11,-1玄界灘を見据える唐津城

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2016/01/28 - 2016/01/28

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WT信

WT信さん

明るいうちにとタクシーの運転手さんが先ず案内したのが唐津城で、秀吉の家臣・寺沢広高は関ケ原の戦いでは東軍に加わり外様大名になり、名護屋城跡の資材を流用し、7年かけて築いた城。

明治の廃藩置県で廃城、解体されたが、現在目にする城は昭和41年に観光用に建設された模擬天守閣。

最上層の5階から360度の展望が開け、東から唐津湾に注ぐ松浦川、その対岸に、玄界灘を前にして日本3大松原の”虹ノ松原”が5kに亘って曲線を描く。

この景観が鶴が翼を広げた様に擬せられ、”舞鶴城”との愛称を与えられた。

しかし壱岐の島影は見えない。

壱岐には芭蕉の奥の細道で芭蕉を助け、その日記のお陰で芭蕉の奥の細道の行動が明らかになった、河井曾良の墓があるという。

同行者
一人旅
交通手段
タクシー JR特急
旅行の手配内容
個別手配

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