2016/04/05 - 2016/04/05
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ペコちゃんさん
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桜の時期に、トレッキング仲間6名で東武東上線・武蔵嵐山駅の周辺ハイキングに出かけました。
天気予報では曇りだったのですが、午前中は前夜からの小雨が降り続き、午後からやっと雨があがりました。
嵐山町を歩くのは初めてでしたが、満開の桜を始め、いろんな花々が里山を彩り、歩くだけでも楽しくなります。
さらに、小倉(おぐら)城・菅谷館(すがややかた)など歴史を感じさせる遺構もあり、一日歩いても飽きないエリアです。
写真は、都幾川の桜堤に咲き誇る満開の桜。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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8時19分に東武東上線・武蔵嵐山駅に到着・・・この駅に降りるのは初めてです。
西口からバスに乗り、最初の目的地・大平山の登山口に向かいます。 -
今回は、《 武蔵嵐山駅 ⇒ 千手堂バス停 ⇒ 大平山 ⇒ 小倉城跡 ⇒ 嵐山渓谷(昼食) ⇒ 都幾川桜堤 ⇒ 菅谷館跡 ⇒ 武蔵嵐山駅 》と、ときがわ町・嵐山町をゆっくり歩いて回るコースです。
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大平山は東・南・北に登山口がありますが、南側から登って北側に下り、次の目的地・小倉城跡へ向かうコースを取ることにしました。
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千手堂でバスを降りて、春の花を楽しみながら登山口まで歩きます。
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芝桜が鮮やか。
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紅白の花桃が見事。
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この椿も綺麗ですね。
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緩やかな山道を登って行くと、「山の神へ」の標識があり・・・
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行ってみると、東を向いた石祠がありました。
台座には「平成五年二月吉日」と刻まれています。 -
山の神から数分で大平山頂上へ到着・・・ここが嵐山町の最高地点(179m)です。
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頂上からの展望はありませんが、方位盤があります・・・昔は見晴らしがよかったのかもしれませんね。
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椿が咲いている道を進んで行くと・・・
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展望が開けたところがあります。
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ここで傘をさして皆さん何をしているのでしょう?
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答えは、ワラビ採りでした。
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下山後は小倉城跡に向かいます。
フェンスに描かれた嵐山町のシンボル・オオムラサキや森林の絵が素敵です。 -
道路沿いのヤマザクラも満開。
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槻川に架かる谷川橋から見た嵐山渓谷の上流。
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嵐山渓谷がある槻川は、堂平山中にある自然林に端を発し、東秩父の山間を抜け、小川町を経て嵐山町の遠山地区を流れ、ここで岩場によって流路を狭められ、都幾川と合流する二瀬の手前までが渓谷となっています。
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橋を渡って小倉城跡に向かいます。
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先ほど登った大平山の桜も満開。
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ここから小倉城跡へ。
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比企地域には中世の城館跡が30か所以上あります。
中世前半は畠山重忠をはじめ多くの武蔵武士の活躍を背景として、中世後半は関東管領上杉氏の抗争と後北条氏による関東支配を背景に、これらの城館が造られました。
平成19年に、菅谷館跡・杉山城跡・松山城跡・小倉城跡が『比企城館跡群』として、国指定史跡となりました。 -
小倉城に関する文書は残っていませんが、発掘調査時の年代推定は16世紀です。
城主は、後北条氏の重臣であった遠山光影とする説と松山城主・上田氏とする説があります。
城といっても戦のための出城、いわば前線基地のような所だったのでしょう。 -
小倉城は、攻守のために様々な工夫が凝らされた戦国時代の山城で、通称・城山と呼ばれる山の山頂から中腹にかけて造られました。
説明板にあった航空写真を見ると、その様子が分かります。 -
小倉城の復元図。
小倉城跡は、石垣と巧みな縄張りが良好に保存されており、特に大規模に普請された石垣は、関東地方では珍しいものです。
平成14年度から3年間実施された発掘調査で、建物跡や出入り口の門跡、当時の生活道具などが出土しました。 -
ここは「北虎口」・・・郭1の北側出入口で、ここに門が構えられていました。
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小倉城は、標高140mの山上にある典型的な山城で、小川町の青山城と同じ丘陵上にあり、松山城の支城としての役割がありました。
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天正18年(1590年)、豊臣勢の小田原攻めの際に、松山城などと共に落城したと伝えられています。
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郭(くるわ)とは、城の城郭内の各区画のことを指します。
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小倉城跡を見た後は、嵐山渓谷に向かいます。
ミツバツツジのピンク、菜の花の黄色、そして満開の桜・・・これが日本の春です。 -
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先程まで歩いていた大平山を左手に見ながら進むと、時間が止まっているかのような、ノンビリとした空気の流れる里山の景色が続きます。
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途中に大福寺がありました。
ここからも小倉城跡に行く道があります。 -
大福寺には、小倉城主・遠山衛門大夫光景の夫人のものと伝わる位牌があり、案内板が設置されています。
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現在は無住職の寺ですが、境内には白い花桃の大きな木があり・・・
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コブシも美しい花を咲かせていました。
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大福寺から再び舗装道路を歩いていると、色鮮やかな花桃が咲き乱れています。
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赤・白・ピンクの花桃のトンネル・・・まるで桃源郷の世界です。
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更に歩いて行くと、見事な枝垂桜が・・・ここは「日枝神社」。
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日枝神社では、毎年10月中旬の日曜日に、江戸時代から伝わる獅子舞が奉納されます。
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真っ赤な鳥居の後ろにそびえ立つ枝垂桜の姿は圧巻です。
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アチコチの花を楽しみながら、嵐山渓谷に続く道を進みます。
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嵐山渓谷にある2階建ての休憩舎。
奥の建物はトイレ。 -
広場にある「嵐山町名発祥之地」の碑。
武蔵嵐山渓谷は、昭和3年に当地を訪れた本多静六博士により名付けられました。
本多博士は渓谷の最下流部にある槻川橋より、渓谷と周囲の赤松林の美しい景観を眺め、その様子が京都の嵐山に大変よく似ていることから「武蔵国の嵐山」という意味で命名し、町名にも採用されました。 -
天気がよくなかったので、休憩舎の2階で昼食。
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近くには、もうヤマツツジが咲いています。
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今年は例年よりかなり早い開花です。
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昼食後、遊歩道を歩いて槻川まで行ってみました。
この先は、大平山から伸びた細原(地名)・・・槻川の流路が大きく180度転じて蛇行し、半島状の独特な地形になっています。 -
途中の木々の間から、先ほど立ち寄った大福寺と小倉城跡が見えます。
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ミヤマウグイスカグラの花。
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昭和の初めに武蔵嵐山と名付けられてから観光地として大変賑わい、多くの人々が訪れました。
当初は菅谷駅だった駅名も昭和11年に「武蔵嵐山駅」と改名され、駅から観光客の長い列ができたほどです。
昭和14年に歌人の与謝野晶子も訪れ、渓谷の自然などをテーマに「比企の渓」29首を詠んでおり、平成10年に、細原の先端部に与謝野晶子の歌碑が建立されました。
『槻の川 赤柄の傘をさす松の 立ち竝びたる 山のしののめ』 -
歌碑の先にある広場にも満開の桜。
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ここが細原の先端になる嵐山渓谷。
京都・嵐山の面影はありません。ここから下流の方なのでしょうね。 -
「塩沢冠水橋」を渡って都幾川の桜堤に向かいます。
この橋は冠水橋だけあって、増水時には川の中に水没するので、両側の欄干(手摺)はありません。 -
このような里山の風景を見ていると、心も洗われます。
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休耕田のような湿地には、もうミズバショウが咲いています。
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そのそばには、ユキノシタの仲間のネコノメソウ(猫の目草)が咲いています。
深く2つに裂けた実が、ネコの目のように見えるのが和名の由来だそうで、この花は、初めて見ました。 -
これは、どこでも見かけるシソ科の雑草のホトケノザ・・・葉を仏様の座布団に見立てて、この名が付きました。
しかし、春の七草のホトケノザはこの花ではなく、コオニタビラコというキク科の黄色の花をつける草で、こちらもホトケノザと呼ばれるからややこしい。
紫または白の花をつけるシソ科のホトケノザは食用ではないため、ご参考までに。 -
都幾川に架かる千騎沢橋を渡ると、目の前に延々と続く都幾川桜堤の桜が・・・ときがわ町から流れてきた都幾川と、東秩父村から小川町を経て流れてきた槻川の合流点を中心に、都幾川の上流部から下流部の約2kmにわたって右岸に植えられた桜並木は「都幾川桜堤」の名で呼ばれ、埼玉県の桜の名所のひとつに数えられています。
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弓なり状に2kmも続く都幾川桜堤の桜並木は壮観!
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この桜並木は、都幾川右岸堤防の改修工事が完了した後、「県民休養地事業」の認定を受けて、その一環として計画されたものです。
桜が植栽されたのは昭和61年~62年のことで、町内外から寄贈者を募って実施したそうです。 -
下流の学校橋から中間の二瀬橋までの約1kmに135本、二瀬橋から上流の八幡橋までの約1kmに117本が植栽されました。
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それから約三十年経過し、植栽された桜も大きく育ち、春にはこのような見事な景観を見せています。
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都幾川を挟んで、正面に大平山が見えます。
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都幾川と槻川の合流点のすぐ下流側に架かっている二瀬橋を渡って、菅谷館跡に向かいます。
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菅谷館は、都幾川を背に本郭があって、その前は二ノ郭と南郭、その先に三ノ郭と西ノ郭が広がっています。
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二瀬橋を渡って行くと、ホタルの里があります。
菅谷館跡にはゲンジボタルとヘイケボタルの2種がビオトープに生息しており、6月中旬~7月下旬に妖しくも美しい光を楽しめるそうです。 -
菅谷館跡は、台地の緑辺部に複数の郭を配して築かれた平城です。
高い土塁と深い堀に囲まれ、郭内部にあった建物や井戸などはすべて地表下に埋没しており、現在、広い芝生や花木類の林となっています。 -
二ノ郭西端に建つ忠魂碑。
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この祠は、西南戦争以来、各戦役で嵐山町から出征し亡くなった342柱を祀っています。
創建は昭和2年で、昭和40年に修復し、元陸軍大将・今村均を招いて祠の落成式を行いました。 -
菅谷館の築城年代は不明ですが、「吾妻鏡」によれば、1205年に畠山重忠の居館であったことが分かっています。
立派な空堀や土塁が、本郭を守っています。 -
出桝形土塁。
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二郭と三郭の間に建つ「埼玉県立嵐山史跡の博物館」・・・菅谷館跡に関する資料などを展示する博物館で、入館料は100円。
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入ってすぐの所にある『重忠ロボット』。
畠山重忠(1164~1205・享年42歳)は、武蔵国大里郡(現・深谷市畠山)に生まれ、源頼朝に仕えて鎌倉幕府の創建に大きな役割を果たした武人です。
頼朝没後の1205年に、「鎌倉に異変あり」との急報でわずかな手勢を率いて菅谷館を出発した重忠は、鎌倉幕府の実権を握った北条氏によって武蔵国二俣川で大軍に囲まれ討死しました。 -
館内には、戦国時代の城郭の出土品や絵巻物の解説などがあります。
出口にあるのは、『昔話を語るおばあさんロボット』。 -
菅谷館跡から武蔵嵐山駅に向かう途中、嵐山町の象徴であるオオムラサキが歩道のタイルやマンホールの蓋に描かれていました。
今日は、天気には恵まれませんでしたが、嵐山町の美しいのどかな里山の風景と史跡めぐり、そして都幾川桜堤の満開の桜など、十分に楽しめた春の一日でした。
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