2016/03/17 - 2016/03/17
98位(同エリア145件中)
minaMicazeさん
- minaMicazeさんTOP
- 旅行記1269冊
- クチコミ1件
- Q&A回答0件
- 863,927アクセス
- フォロワー85人
群馬県邑楽町の「郷社・長柄(ながえ)神社」に、樹齢400年といわれるエドヒガン桜があるとのネット情報を見たので、行ってきました。
今年は開花が早いのではないかと言われていますが、ここのエドヒガンサクラは(ソメイヨシノも)まだ開花には程遠い状態でした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
群馬県邑楽郡邑楽町付近では、国道354号線の南側に県道361号線が並行しています。
この道路の「篠塚南」交差点からほんの少し西に小さな神社があります。 -
長柄神社へ行くには、この神社の手前の路地を南へ曲がります。
-
小さな神社ですが、隅々まで手入れが行き届いているようです。
-
鳥居には「天満宮」の額が掲げられています。
-
しめ縄の紙垂や榊を見ても日々手入れされているのではないかと思われます。
-
その手前の路地を南へ進みます。
-
右側に、立派な石の鳥居が並んでいます。
-
並んでいる石の鳥居は、3つとも「島木」が丸太状で真っ直ぐ、「島木」と「額」の中央を繋ぐ「額束」がない、「貫」の断面が四角、等が鳥居の型を分ける要素だそうです。(ネット情報です。)
これによると、この形は「靖国型」というそうです。 -
参道の両側には、立派な石灯篭があります。
-
お社も、その両側の狛犬(狐?)も質が高そうに見えます。お社の基礎の石には2頭の獅子が彫られています。
-
鳥居には「因起稲荷」の額が掲げられています。
-
さらに南へ進むと、道は右へ曲がっています。
-
曲がりきると、ほぼ西へ向かいます。
-
そのまま西へ進むと、長柄(ながら)神社の杜が見えてきます。
-
その杜の端に鳥居があります。
-
鳥居のすぐ西側に車を駐められます。
-
西には、雪に覆われた浅間山が見えます。
-
南には雪に覆われた富士山が見えます。
-
長柄(ながら)神社です。
-
鳥居の右側の石碑には「郷社 長柄神社」と彫られています。
「郷」と「社」の字の間隔が広くて、「社」以下の文字の間隔が狭いので、
「郷 社長 柄神社」と見えてしまいます。
奥の石灯籠は、途中から折れています。 -
鳥居の左には、「猿田彦大神」と彫られた石碑と、恵比寿神」の石像があります。
-
鳥居に掲げられた「長柄神社」の額です。
-
参道の両側には、サクラとアジサイが植えられています。
-
右の石柱には「篠塚大明神」、左には「邑楽一ノ宮」と彫られています。
-
左には「神楽殿」があります。
-
拝殿です。
ここでも、右の石灯籠が途中から折れています。 -
左側の狛犬です。
-
右側の狛犬です。
-
拝殿の左の小屋(倉庫?)です。
-
中は、ほぼ空です。梁は立派です。
-
拝殿の正面です。
柱にも軒下にも立派な彫刻が施されています。 -
拝殿の前にある「長柄神社由緒」には、以下のように書かれています。
当社は千四百年前、大和から邑楽郡に来て長柄郷を開発した長柄氏が始祖事代主命(ことしろぬしのみこと)を祭神として草創しました。
上野国神明帳に「正一位 長柄明神」と記された邑楽郡一ノ宮がこの社です。
元慶五年(881)に藤原長良公を合祀し、近郷の首社として崇敬され、元弘三年(1333)五月、篠塚城主 篠塚重広(伊賀守)が新田義貞 応じて鎌倉攻めに参陣の時、この社頭に武運を祈願しました。
江戸時代には二町三反五畝の広大な神域にうっそうと古木大樹の繁る中に彫刻の粋をこらした壮麗な社殿が造営され、明治五年十一月、石打・藤川・秋妻・上小泉・下小泉・吉田・篠塚七カ村の郷社に列せられました。
その森厳なたたずまいは終戦まで保たれました。
現存する樹令四百年の江戸彼岸桜の名木が昔を物語っています -
拝殿に掲げられた「長柄神社」の額です。
-
右側に掲げられた額には、読み取れる文字はありません。
-
左側の額は、文字がうっすらと見えるのですが、読むのは困難です。
-
拝殿の軒下の彫刻は、かなり手が込んでいます。
-
拝殿の中です。
-
拝殿の中に掲げられている「長柄神社」の額です。
左に小さく「子爵菅原朝臣長言謹書」と書かれています。 -
拝殿の天井は、格天井に天井画が描かれています。
-
南東側から見た拝殿です。
-
東側から見た拝殿です。
-
北東側から見た拝殿です。
-
南東側から見た本殿です。
-
本殿には、かなり手が込んだ彫刻が施されています。
-
東側から見た本殿です。この彫刻は見事ですね。
-
本殿の裏側(北側)です。
-
本殿の真後ろです。
-
北西側から見た本殿です。
-
本殿の西側です。
-
南西側から見た本殿です。
-
本殿の東面です。
-
本殿の北東側です。
-
本殿の北西側です。
-
本殿の西面です。
-
本殿の南西側です。
-
本殿の裏の杜へ続く道です。
-
神社の西にある石塔、石碑です。
-
-
-
-
拝殿幣殿屋根葺替記念碑
『当社は出雲神話の八重事代主神を祭神とする上野国神名帳邑楽郡一ノ宮の「正一位長柄明神」です。
事代主神の子孫が大和国葛上郡吐田郷長柄(奈良県御所市長柄)に移り住み、氏神として式内長柄明神を祭りました、その一族の長柄氏が千四百年前、利根川北岸の邑楽郡西南部に長柄郷を開発して、氏神の長柄明神を祭ったのがこの長柄神社です。
長柄氏は郡司として邑楽郡を支配していましたが、平安時代になって藤原小黒麻呂流の佐貫赤岩氏が支配勢力となります。そして藤原長良を祭神とする長良神社が各地に祭られると、当社も長良公を合祀し、近郷の首社として崇敬されます。元弘三年(1333)五月、新田義貞の挙兵に応じて、鎌倉を攻め落とした豪勇篠塚伊賀守重広が出陣にあたり、武運を祈願したといわれます。
江戸時代、二町三反五畝の広大な神域に古木大樹がうっそうと繁り、彫刻の粋をこらした壮麗な社殿が造営され、明治五年(1872)十一月、石打・藤川・秋妻・上小泉・下小泉・吉田・篠塚、以上七ヶ村の郷社に列せられました。
その森厳なたたずまいは終戦によって失われ今は樹齢四百年の江戸彼岸桜の名木が昔をしのばせています。
平成十四壬午年四月吉日』 -
北側から見た神楽殿です。
-
拝殿の西側から見た境内です。
中央に見える大きな樹、根元から二つに分かれているこの樹が「江戸彼岸桜」です。
午前中なので、逆光です。 -
南側から見た「江戸彼岸桜」です。
-
この「エドヒガンザクラ」は、邑楽町の「町指定天然記念物」です。
-
町指定天然記念物
長柄神社の桜 エドヒガン
長柄神社の桜エドヒガンは、樹齢四百年といわれています。樹高は十五メートル。幹は二本に分かれ、その幹周りは片方が二・二メートル、もう一方が二・二五メートルです。枝張りは東西十三・八メートル、南北十五・八メートルにもおよびます。
この桜は、春の彼岸のころ、葉の出る前に、ソメイヨシノよりも色の濃い、小さな花をたくさん咲かせます。
邑楽郡の一の宮である長柄神社の杜に守られ、長い年月を生きぬいてきたエドヒガン。人たちの喜びや悲しみを幾度となく見つめ、私たちの心の支えとなってきました。本殿の彫刻とともに、町の文化財として、大切に後世に伝えていきたいものです。
平成十一年一月
邑楽町教育委員会 -
東側から見たエドヒガンザクラです。
後側の、左が神楽殿、右が拝殿です。 -
参道脇のソメイヨシノです。
-
エドヒガンザクラの芽が、やっと赤くなり始めています。
-
エドヒガンザクラの多くは、この程度です。
-
ソメイヨシノは、手近かな枝には赤くなり始めた芽は見つけられませんでした。
-
帰るときに、鳥居の横の石像・石碑に陽が当たっていたので、取り直しました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
72