1998/02/11 - 1998/02/11
117位(同エリア174件中)
マローズさん
次は半島先端に建つ三崎灯台へと向かう「四国のみち・岬めぐりのみち」 登山口(仁老浜海水浴場)へと移動するが、この道は紫雲出山と繋がっている。
仁老浜には浦島太郎が晩年を過ごした居宅跡があり、家系図も伝わっているというが、その集落は太郎の母の里でもある。
仁老浜海水浴場には竜宮城を模したトイレがある。コースの最初は悪路の林道を歩く。
半時間程歩くと「どんどろ石」という平たい石が現れるが、昔、空からこの石に雷獣が降ってきたという。このすぐ前方右が「立石休憩所」で、ここの背後の一枚岩が「立石」。昔から瀬戸内海を行き交う船からの目印になっていたという。
立石休憩所で弁当を食べることにしたが、まともな固形物を口に入れるのは約一ヶ月ぶり。それでも弁当をたいらげることができた。久しぶりに自然の中を歩いたことで、生気が蘇ったかのよう。
ここからは西の丘に建つ「三崎神社」の屋根が見える。
力強い足取りで三崎神社の石段を上がる。石段途中の随身門の中には警護士像が祭られていたが、こんな軽四も通れるかどうか分からないような道の上の神社に随身門があること自体珍しい。如何に土地の人にとってこの神社が重要視されていたかが分かる。神社は旧村社で百年毎に開扉がある。
道が完全な自然の歩道に変わる地点には、3台ほどの釣り客のバイクやスクーターが停めてある。
ウバメガシ等の樹林を抜けた先に三崎灯台が建つ。ここからの展望はないが、先の小径を下ると一気に海の展望が広がる。下の岩場には大勢の太公望がいた。
復路、三崎神社上り口の分岐まで引き返すと、鎌倉・室町時代には沖を航行する船舶から通行税を徴収し、山口県の上関、中関、下関と並んで、四大関所と呼ばれていたという「関の浦」という浜辺に下ってみた。
明治から昭和初期にかけては、漁船の水の補給や潮待ちの待機所となっていたというが、その割には、砂浜は狭い。それでもその浜や入江の海はきれい。
四国のみちに引き返すとまだ13時だったので、来た道を返る途中、室浜に下る別経路の四国のみちを少し往復してみた。こちらの道からの室浜漁港の景色は美しい。
〈三崎灯台コースタイム〉
仁老浜海水浴場(0:30)立石休憩所(0:10)三崎神社(0:10)灯台(0:08)関の浦(0:25)仁老浜海水浴場
このハイキングで私は「一旦」健康を取り戻したのだが、登山やハイキングは、有酸素運動により、心肺機能を強化し、血行は促進され、新陳代謝も活発になることから、老廃物も体外へ排出される。また、自然の中を歩くと、視覚、聴覚、嗅覚等からの影響により、ストレスホルモンが激減することが、’05年の公的機関の調査で実証されている。
が、それから14年後、今度は太り過ぎで尿管結石にかかり、救急搬送されることになる。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通手段
- 自家用車
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仁老浜海水浴場
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どんどろ石。雷獣が落下した時の爪痕が今でも残っているとか。因みに国内には「雷神」と称する奇怪な動物のミイラも現存する。
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立石休憩所から見た三崎神社の屋根
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三崎神社随身門へ
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随身門内の警護士
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三崎神社。祭神は大己貴命だが社伝によると、讃留王がこの地に至った時、上津水童命、中津水童命、底津水童命と名乗る三人の神が現れ、ここで海上を守る、と言って消えた。そこで王はここに祠を祀った。これがこの神社の起こりだと言う。以後菅原道真や藤原純之、小野好古等の歴史的人物からも崇敬された。
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讃岐三埼灯台。初点は昭和34年。
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三崎灯台下からの展望
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海原が眩い。
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関の浦。盛漁期には酒や食料、日用品を販売する店も開かれていたという。現在では三崎神社の夏祭り以外は訪れる者もなく、ひっそりと時を過ごしている。
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関の浦の砂浜。沖に見えるのは真鍋島だったか?
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真鍋島?沖を航行するタンカー
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帰路、視界に紫雲出山が入る。
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紫雲出山からズームで捉えた三崎
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