2016/01/10 - 2016/01/10
15位(同エリア149件中)
かっちんさん
東海道本線から富士山の車窓をいくつかのポイントで眺め、掛川から天竜浜名湖鉄道で天竜二俣へ向かいます。
天竜二俣は2回目の訪問です。今回は蔵のある街並みを歩きながら、本田宗一郎ものづくり伝承館、戦国時代の砦になった二俣城址と鳥羽山城址、天竜川の木材を運んだ筏問屋、鳥羽山を貫いた明治トンネルを巡ります。
鳥羽山公園からは、眼下に蛇行する天竜川、遠くに遠州平野が見渡せ、マッチ箱のような天浜線の列車がやって来ます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
冬景色の富士山車窓
東海道本線川崎から出発し、箱根の山を越える手前(鴨宮)からの眺めです。 -
真正面に見える富士山車窓
富士市を走る岳南電車吉原駅は、真正面に富士山が眺められます。
旅行記「どこの駅からも富士山が見える岳南電車」もご覧ください。
http://4travel.jp/travelogue/10971832 -
イチオシ
大井川鉄橋と富士山車窓
静岡を過ぎ、大井川を渡ると富士山の雄大な姿が再び顔を出します。 -
天竜浜名湖鉄道
掛川に到着し、天浜線に乗り換えます。 -
日本の原風景に出逢う旅ができるローカル線
上野部(かみのべ)駅のあたりです。 -
旧二俣機関区の転車台
昭和15年に全線開通した国鉄二俣線の旧機関区が現在も使われています。
転車台を囲む放射状のレールの先は、列車が飛び越えないように跳ね上がっています。
ここに停車する車両は雪ゾリに載っている姿になりますね。 -
古い屋根のホーム
天竜二俣駅に到着します。 -
波平がいる〜!(天竜二俣)
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二俣本町で降ります
二俣の街歩きは、天竜二俣の次の駅「二俣本町」の方が近いのです。 -
手打ちそば「葉月」
二俣本町駅舎の一部がお蕎麦屋さんになっています。
10:30から営業しているので、早昼を食べます。 -
暖簾で飾る店内
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蕎麦一筋のメニュー
かっちんは、葉月おすすめ「めかぶおろしそば」
家内は、野菜食物繊維の横綱「ごぼうそば」を注文します。
「注文はこちらからうかがいます。静かにおまち下さい」の注意書きを見落とし、ご主人に声をかけたら、怒られてしまいました。
ちょっと気まずい思い・・・
食べた後にわかったのですが、天竜特産しいたけの「焼き生しいたけそば」は肉厚のしいたけを使っている季節メニューで、一緒に食べたかった〜! -
イチオシ
めかぶおろしそば
そばにめかぶが載り、山盛りの大根おろしが陣取っています。
ご主人曰く、「かき混ぜればかき混ぜるほど美味しくなる」ということで、雪山を崩し必死にかき混ぜます。
北海道稚内周辺のニ八そばを打ったそば粉と、旬の自家畑の野菜を使っています。
「大根おろしの辛さ」と「めかぶのぬめり」がお蕎麦の味を引き立て、絶品でした。 -
八幡屋そば店
では、二俣の街歩きをはじめます。 -
石の蔵屋敷
屋根近くの装飾が素晴らしいです。 -
イチオシ
赤レンガ塀と赤レンガ蔵
青空と赤いレンガの色合いが素敵です。
塀の並びにあるアーチ状の切り抜きは、門だったのでしょうか。 -
クローバー通り
昭和の街並みが残る商店街通りを歩きます。 -
カーテンに映る昭和の面影
ガソリン計量器です。 -
イチオシ
青空に映える木造3階建て旅館
昭和40年代まで営業していた陣屋旅館です。 -
本田宗一郎ものづくり伝承館
二俣生まれの本田宗一郎の「ひとなり」や「ものづくり精神」が展示物で紹介されています。
入館料は無料、休館日は月曜と火曜です。
この建物は、昭和11年建築の旧二俣町役場を改築したもので、国登録有形文化財に指定されています。
では、見学します。 -
ホンダ初のモーターバイクC型
昭和24年にエンジンおよび車体ともに自社で設計・開発した、ホンダ初のモーターバイクです。
物資が不足している戦後間もない頃の社会状況をほうふつさせたバイクです。 -
補助エンジン付きの自転車
昭和27年のホンダカブF型です。
ホンダ取扱店だけでなく、日本全国の15,000軒に及ぶ自転車店でも販売し、ホンダの経営を支える重要製品でした。
かっちんが幼少の頃、バタバタバタという音を立てて走るこのカブを見たことがあります。
現在ある電動アシスト自転車は、充電可能な小型大容量のリチウムイオン電池が技術進歩により登場したからですね。 -
スーパーカブ
昭和33年のスーパーカブC100です。
耐久性に優れ、燃費もよく、誰もが気軽に乗れる使いやすさが、世界中で大ヒットした小型オートバイクになりました。
この形のカブは今でも町で見かけますよね。 -
CVCCエンジン
昭和45年(1970)、アメリカで自動車の排出する有害物質に厳しい規制が設けられ、CVCCエンジンは世界で初めて合格した画期的なエンジンです。
エンジン内部に副燃焼室を設け、そこでガソリンを完全燃焼させて、排ガス中の汚染物質を減少させるホンダ独自の革新的技術だったのです。 -
技術をもって人間に奉仕する
本田宗一郎は、「人を喜ばせる」、「人に役立つ」ことを常に考えて”ものづくり”をしました。
戦後まもなく遠くに買い出しに行く妻へのために自転車に補助エンジンを付けることを思いついたり、農家の重労働を軽減するために農機用エンジンから耕うん機を世に送り出しました。 -
小型のホンダモンキー
昭和44年に登場した全長1,225mm、全高875mm、重量55kgのモンキーZ50A型です。
当時、若者の間で流行っていました。 -
本田宗一郎愛用のドラフター(製図台)
今はあまり見かけることがないドラフターです。
昭和60年頃からコンピューター上で製図するCADに置き換わってきました。 -
悪さの好きな子供時代
昼の弁当を早く食べたくて、正午の合図であるお寺の鐘を早く鳴らしてしまった話は、なるほどと思いました。
他にも大胆な行動の逸話があります。 -
白壁の美しい土蔵
再び街歩きを続け、二俣城址へ向かう途中です。
壁から出ているL字の釘は乳釘(ちちくぎ)と呼ばれ、壁の塗り替えや修理の足場に使うそうです。 -
ヤマタケの蔵
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歴史を感じる蔵
藤井陶器店の裏にある蔵です。
前回の旅行記でも紹介しましたが、漆喰塗り土蔵の壁に瓦が突き出て並んでいる水切瓦の珍しい蔵です。
水切瓦は防水の目的だけでなく、美観を意識した豪華さがあります。 -
茶色く熟したセンダンの実
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ヤドリギ
大きな球のヤドリギが寄生しています。 -
二俣の町
二俣城址がある山の中腹から眺めています。 -
二俣城址の地図
二俣城址と鳥羽山公園の間には以前二俣川が流れていたので、二俣城は天竜川と二俣川の合流点に位置する天然の要塞でした。
しかも、二俣は遠江の平野部と北遠の山間地方とを結ぶ交通路の結接点で、遠州平野の「扇の要」だったのです。 -
二俣城址
二俣城とすぐ南にある鳥羽山城は、戦国時代に徳川・武田両氏の攻防の舞台になったところです。 -
崖の下は天竜川
天竜川からは攻めにくい地形の二俣城です。
武田軍は城の水の手を断つ作戦を選び、徳川軍の城兵が崖に櫓を建て、釣瓶で天竜川から水を汲み上げていることを知り、上流から筏を流して井戸櫓を破壊し、2か月ほどで城を陥落しています。
その後、長篠の戦で勝利を得た徳川軍は、武田勢を一掃すべく二俣城の攻撃に着手し、鳥羽山に本陣を置き、周辺に砦を築いて二俣城を包囲し、武田軍が7か月で兵糧が底をつき城を明け渡しています。
どちらも、力攻めではなく、水や食料を断つ戦略です。 -
ハナミョウガ
では、徳川家が本陣を置いた鳥羽山城址へ向かいます。
赤いラグビーボールのような実のハナミョウガは、鳥羽山公園で見つけました。 -
鳥羽山公園からの絶景(南側)
眼下に蛇行する天竜川、遠くに遠州平野が見渡せます。
左に天浜線の天竜川橋梁、右に国道362号線の鹿島橋が見えます。
天竜川橋梁が昭和15年に竣工、弓型の鹿島橋が昭和12年に竣工しているので、同世代の橋です。 -
イチオシ
トラス鉄橋を渡る天浜線
遠州平野からS字カーブの線路を曲がりながら走って来た列車が、トラス鉄橋を渡ろうとしています。
マッチ箱のような小さな車両は、まるでジオラマを見ているようです。 -
鳥羽山城址
公園内には桜が約1,000本植えられており、春には山全体がピンクに染まるそうです。
桜の季節にも訪れてみたいところです。
では、鳥羽山を下り、天竜川近くの筏問屋へ向かいます。 -
筏問屋「田代家」
江戸時代に北鹿島の名主と渡船場船越頭を勤め、天竜川筏の受け継ぎ問屋も経営していた旧家です。
開館日は土曜・日曜・祝日です。 -
真っ赤に染まるピラカンサ
実をたくさん付けた重みで枝がしなり、見事なピラカンサです。 -
田代家の母屋
1859年幕末に建築された母屋です。 -
欄間の彫刻
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居間
床柱は木の目間隔が1mm以下の柾目で、樹齢200年以上の特殊な環境に育った檜からとった柱であり、非常に珍しいものです。 -
竹筏
この竹筏は武田勢との戦いで追われた家康公を助けたときのものを再現しています。
そのときの功により筏下しと諸役免除の特権を得ています。
筏は南信州や北遠州の山林資源を出材する方法で、材木、板、竹を並べ繋ぎ合わせて、舟の如く作ったものです。 -
明治のトンネル
二俣本町駅まで戻るには、鳥羽山を登らなければと思っていたのですが、田代家の案内スタッフの方が「明治のトンネルを通ればすぐだよ」と教えてくれました。
明治32年に完成したトンネルで、入口付近は鉄骨で補強されています。 -
赤レンガ造りの内部
トンネル中央部は当時のままです。 -
トンネル坑口銘板
トンネルを抜け、銘板を見上げると判読不明です。
資料によれば、右側から「鳥羽山洞門」と書いてあるとのことです。
この後、天浜線に乗り、遠州の小京都と呼ばれている「遠州森」へ向かいます。
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