
2016/01/05 - 2016/01/05
160位(同エリア231件中)
むしころさん
最終日は小牧山城へ
小牧シティホテルに宿泊したのですが、駅近くにあり近くに大きいショッピングセンターもあり便利でした。
ホテルから歩いて小牧山城跡へ。
城跡の公園は、ところどころに発掘された石垣や堀の跡について詳しい説明が書かれていてすごく良かったです。
小牧山の資料館で小牧長久手の戦いについて分かりやすい説明があって、改めてすごい戦いだったのだなあと思い、こんどは関連した砦跡を全部まわってみたいなあと思いました。
その後、12時のバスで名古屋へ。
お昼ごはんを名古屋駅からすぐの地下街エスカで食べて今回の旅終了・・・
あ!折角小牧に行ったけど名古屋コーチン食べなかった~~~。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
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朝。
さあ小牧山へ!小牧シティホテル 宿・ホテル
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歩いていると右側に見えてきたのが、戒蔵院
本尊の木造十一面観音菩薩立像は室町時代の作で、市の指定有形文化財だそうです。 -
戒蔵院が出てきたら左折、南へ進むと
上街道の宿場町だった辺り。ところどころお店の屋根に屋根神様の祠が残っています。
そして岸田家 江戸時代末には脇本陣としての機能を果たしていました。
1800年くらいの建築と見られています。
平成14年に修復しているそうです。 -
平格子、屋根の祠を確認。
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小牧の街は信長様の開いた城下町が起源
名古屋と中山道を結ぶ上街道(木曽街道)をつくったのは江戸の元和9年(1623)、尾張藩だそうです。
尾張徳川家の別荘、小牧殿というのもここから西に行った辺りにあったそうだ。 -
小牧御殿と小牧代官所跡についての説明もあった。
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初代尾張徳川藩主 徳川義直が作らせて小牧御殿に設置していたという福禄寿の石像
江戸時代前半のものだそうです。 -
蟹清水砦跡
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こんなかんじで今は見る影もないです
小牧長久手の戦いの際に徳川方が築いた砦。
元は丹羽長秀の居城だったといわれているそうです -
ちょっと北上して
西町の稲荷堂 こちらも市指定有形文化財
明治の始めに名古屋市の建中寺の徳川家霊廟から拝殿と幣殿を移築したものだそうです。 -
痛んできていますが彫刻が凝っているなあと思いました。
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きつねさん
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今度は西へ。小牧神明社
立派な木がありました。 -
連理木といって二本の木が途中でくっついています。
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砂を土台にした門松
ところでこの神明社は信長公が清洲から小牧へ城下町を移転するのに伴い清須の御園神明社を分社したものだそうです。
小牧山城と城下町の鬼門(北東)を守るためとあったのですが、そうだとしたらもう少し北にあったほうが・・・と余計なお世話か。 -
かなり頑丈に支えられている木
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合瀬川
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小牧山城まっぷ
現在地は御幸橋口小牧山 自然・景勝地
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御幸橋口は小牧長久手の戦いの際に東の出入り口として使われていたものです
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虎口の堀
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虎口を越えると広々した曲輪
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曲輪が小さい堀でいくつかに分けられていました
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堀で区切られている曲輪で一番広いところが信長公の居館だったのか??
と考えられているようです。
ええ〜?そうかなあ・・・。もう少し内側の曲輪じゃないのかなあ。。。 -
これがその曲輪
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信長時代の井戸を復元したもの
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地層が見られるように土塁の断面が一部展示されていました。
家康が小牧長久手の戦いのときに新たに土塁を作ったことがわかるそうです。 -
小牧長久手の戦いの関連主要城館図をみて、かなり広範囲にわたる戦いだったのだなあと今更知ったのでした。
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帯曲輪の発掘調査についての解説
詳しく紹介されていてとても勉強になります。
信長時代には堀で区画された武家屋敷があったと考えられています。 -
帯曲輪の次は、山を登ります。
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広めの曲輪があった
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さらに登り
石垣の裏込石が置いてありました。 -
資料館のところ
石垣に巨石が使われていたようです。
小牧山の遺構は信長時代のものか家康の改修したときのものか問題になるのですが、
このあたりの石垣は信長時代のものだそうです。
石垣の石材一部が小牧山の北東にある岩崎山(小牧長久手の戦いの際敵方の砦だった)の花崗岩だからそのように判断できるとのこと。 -
巨石が露頭している様
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さて歴史館へ
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平松さんという方が資材を投じてこの歴史館を建設したそうです。
入館料はたったの100円!
小牧長久手の合戦コーナーが個人的にすごく良かったです。
模型を利用して音声による説明があり、合戦の複雑な流れがよくわかりました。
あと、小牧山城の立体模型も良かった。
ここで小牧山城のマフラータオルも売っていてお土産に購入しました。(500円) -
一番上はお決まりの展望室
まずは北(と書いてあるけど多分、北東)から -
犬山城どれだ??
山はほとんど見えないなあ。 -
次、東(南東)
長久手古戦場はこっちの方角か -
小牧の戦いの際、家康方の砦だった
宇津田砦 蟹清水砦 北外山砦 跡がこの方角にあった。
当時はどんな風だったのだろうか・・・ -
南(南西)
名古屋城と清洲城があります -
今日は見通しが悪い・・・
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西(北西)
伊吹山と生駒屋敷跡があるらしい -
全然わかりませんが
生駒屋敷跡行ってみたいな。 -
以上で小牧歴史館終了
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歴史館の正面、主郭大手のところが発掘調査中でした。
これからも色んな新しい発見があるに違いない。
楽しみです。 -
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一番上の主郭を取り巻く曲輪にも石垣が確認できたらしい。
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発掘調査のため一時置かれている石垣の石。
後で戻されます。
石垣の石材の中で「佐久間」と墨で書かれた石も見つかったらしいです。 -
小牧山を見終わって本日の小牧観光終了!
ホテルに荷物を取りに行ってから駅へ向かう。
ここでチャレンジ街道の絵をご紹介。
本当は逆順に見たのですが、1から並べ替えてみました。 -
2番
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3番
初陣14歳だもんな。昔の人すごいな。 -
5番
笑った。
出来事で並べただけではなかった。 -
6番
他に戦か何かなかったのであろうか -
おお、これが7番か
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8番
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9番
清洲城へ -
10番
浮野の戦い 岩倉織田軍を破る
あんまり知らない戦い。こういうのを待ってました!
小牧の学生はこの戦いも覚えちゃうのかな。自然と。 -
11番 ネタがあんまりなかったのか
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12番で桶狭間 27歳だった
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13番 熱田神宮か
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14番 家康と同盟 29歳
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15番 ついに小牧へ 30歳
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終了〜〜〜
小牧駅 駅
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12時のバスにギリギリ間に合った
630円で所要時間は45分くらいです。
名古屋バスセンターへ着いてから駅の地下、エスカにてお昼ご飯を食べて、今回の旅は終了。小牧駅 駅
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買ったものを紹介
滋賀県護国神社で買った勝守 600円
井伊直憲公の具足「紅緘(べにとじ)二枚胴具足」の兜と前立、七福神の毘沙門天の亀甲文様が刺繍されています。
井伊直憲公の武勇、毘沙門天は武神、財宝神、かつ北方の守護神
黒は何色にも染まらない不動の色ということで黒地。
豊かさの象徴である金色をお守りの文字に
などなど色々意味があるらしい。 -
永平寺の除夜の鐘イベント参加で頂いた漆塗りのお守り
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福井市の佐佳枝廼社(さかえのやしろ)で買った元氣守
元氣の文字は御祭神の松平春嶽公が13歳のときに書いたものだそうです。
綺麗で、且つ力強さも感じられて、すばらしいなあ。と思いました。
春嶽公はこの神社の名前を「さかえのやしろ」と御命名したそうです。福井が栄えるように・・・
また明治の元号も春嶽公のご考案だそうです。 -
藤島神社で買った勝守
新田義貞公の御兜をあしらっています。
福井でも義貞公に会えるとは、と思ってついつい買ってしまった。 -
裏側には家紋が
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岐阜城のロープウェイ乗り場にあるお土産やさんで買った品々。
信長公デザインのてぬぐい、刀の形のはさみ(しかも関の刃物らしい)、天下布武ノート、美濃の和紙、岐阜城の景観図 -
彦根で買ったふきん
麻のふきんは前にも買ってすごくよかったので母にあげる予定。
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