バルセロナ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2015秋 ヒルトンに泊まるスペイン8日間  <br />                     旅行時期   2015/11/24−2015/12/01<br /><br />8度目の海外旅行は、初ヨーロッパのスペインヘ。<br />あふれる情熱に誘われ魅惑の国へ異文化を訪ねて…。<br /><br />安心の往路の羽田から復路の羽田までの添乗員同行。<br />さらにマドリード、コルドバ、セビーリャ、ミハス、グラナダ、そしてバルセロナの6都市での現地ガイド+同行添乗員のダブルサポートでの観光。<br />そして便利なトラベルイヤホンの使用。<br /><br />都心からアクセス便利な羽田空港発着とスターアライアンス系列のルフトハンザドイツ航空の指定とし、日本より暖かく降水量も少ない観光し易いシーズンを選びました。<br /><br />スペイン・バロセロナといえば、アントニ・ガウディ建築観光の充実を最優先としました。(未完の傑作 サグラダ・ファミリアとコロニア・グエル教会へは入場、カサ・ミラとカサ・バトリョは車窓観光でした。)<br /><br />バルセロナではヒルトンホテルへ宿泊とし、またパエリア・タバスなどスペイン名物料理を含む全16回の食事や、バル文化と美食も楽しみです。<br /><br />そしてスペインが誇るプラド美術館の鑑賞。<br />さらに日照時間が短くなる秋だから絶景夜景ポイントのアルハンブラ宮殿とサグラダ・フアミリアの夜景観賞をするプランを選択しました。<br /><br />年間5,000万人を超える旅行者が訪れる、これは世界の国の中でも第3位にランクされているようです。<br />スペインを旅するとは太陽、美味しい食事、温かいもてなしそして生きた歓びとの出会いであると書かれておりましたが…。<br /><br />いつもの仲間と今回は5名が集まり、阪急交通社トラピックスのツアー<br />7泊8日の旅へ出発です。<br /><br /><行程><br /><br />★11月24日 東京(羽田空港)⇒空路 スターアライアンス ドイツルフトハンザ航空にて(ミュンヘン乗り継ぎ)⇒マドリード(バラハス国際空港)<br /><br />★11月25日 マドリード観光 ブラド美術館〜王宮〜スペイン広場〜市内自由行動〜トレド観光<br /><br />★11月26日 コルドバ観光 メスキータ〜旧ユダヤ人街 花の小径⇒セビーリャ〜市内自由行動・ショッピングセンター<br /><br />★11月27日 セビーリャ観光 カテドラル〜スペイン広場〜黄金の塔⇒ミハス観光〜白い村ミハス散策⇒グラナダ観光〜アルハンブラ夜景観賞〜フラメンコドリンクショー<br /><br />★11月28日 グラナダ観光 ヘネラリーフェ庭園〜アルハンブラ宮殿⇒ラ・マンチャ地方観光〜ドン・キホーテゆかりの地 白い風車⇒バレンシア<br /><br />★11月29日 バレンシア⇒バルセロナ観光 コロニア・グエル教会〜カサ・バトリョ〜カサ・ミラ〜バルセロネータ海岸〜サグラダ・ファミリア〜サグラダ・ファミリア夜景観賞〜ショッピングセンター<br /><br />★11月30日 バルセロナ(エル・プラット空港)⇒ルフトハンザ航空にて、帰国の途へ(フランクフルト乗り継ぎ)⇒<br /><br />★12月01日 東京(羽田空港)着<br />         <br /><br />コース日程、計画・実施内容など<br /><br /> 1日目<br />11/24   <br />  (火)    <br />12:50;東京(羽田空港)発。空路、ルフトハンザドイツ航空<br />        LH071 5にてミュンヘンへ。     昼食・夕食:機内食2回<br /><br />17:00;ミュンヘン着、航空機を乗り継ぎ。<br /><br />19:10;LH1806ミュンヘン発、空路、マドリードヘ。        <br /><br />21:45;マドリード(バラハス空港)着。着後、バスにてホテルヘ。<br /><br />23:30;ホテル到着です。長い飛行状態からようやく解放です。<br /><br />スペインは日本の1.3倍の地方色豊かな広大な国土で、パエリアなどの美味しい食事などが魅力です。<br /><br />サグラダ・ファミリアに代表される個性豊かな建造物や、世界有数の美術館の1つであるブラド美術館の名作の数々、国営ホテルのパラドールや、ミハスなどの白い小さな村を訪ねれば、スペインの魅力を存分堪能できます旨のスペイン政府観光局局長よりのパンフレット挨拶文の掲載を読みました。<br /><br /> 〜長い空旅での負担軽減するために1・2泊目は、マドリードで2連泊〜<br /><br />         【宿泊地:マドリード泊/B&Bマドリードエアポート 2連泊】<br /><br /><br />  2日目   <br />11/25  <br />  (水)       <br /> 07:30;ホテルにて朝食:アメリカン又はバイキングをいただきました。<br /><br /> 08:30;ホテル前バスにて、マドリード観光(約3時間)へ。<br /><br />壮麗な宮廷建築や珠玉のアートに魅せられるスペインの首都マドリードへ。<br /><br />今もなお「太陽の沈まぬ国」と世界に称されたスペイン王国の輝きをとどめている首都のスペイン文化の最高峰が集うこの地で、脈々と受け継がれる文化の系譜などが感じられました。<br /><br />スペイン王家の豪華絢爛な三大巨匠の名画にひたる美の殿堂 ◎プラド美術館(2時間)へ。<br />ベラスケス、ゴヤ、エル・グレコの作品が並ぶ宗教画や宮廷画の作品の世界三大美術館の一つともいわれるプラド美術館の正面にはそれぞれ三大巨匠のゴヤ、ベラスケス、ムリーヨの銅像がありました。<br />音声ガイドとパンフレットを手に、ガイドブックは求めましたがありませんでした。また館内での撮影は一切禁止なのでカメラは鞄の中に入れて持ち歩くことにしました。<br /><br />裸のマハ/着衣のマハは、女性の裸という当時としては衝撃的な作品は裁判により封印され、再び日の目を見たのは1901年のことだそうです。<br />見比べると、表情や頭髪の変化から情事の前後が読み取れますので2枚を交互にめぐり変化を楽しむように鑑賞していたといわれていますと解説に書かれていましたが…。<br />また、推奨されている一枚のベラスケスの代表作であるラス・メニーナス(女官たち)も、見逃さずに拝見できました。<br /><br />次に、△王宮を見学へ。<br /><br />歴代の王たちが暮らした豪華絢爛な宮殿を見ようとバスを降り、歩いて向かいました。豪華な造りや装飾が特徴でフランスとイタリアの建築様式を融合した珠玉の文化遺産の宮殿建物だそうですが…。残念ながら外観を見ただけでした。赤いビロードで覆われた「王座の間」の白御影石を使った階段そして調度品などの一部開放のものや、回廊からの展望そしてサバティーニ庭園からの王宮など珠玉の文化遺産も拝見したかったですね。<br /><br />次に、街の北西にある緑豊かな広場 ○スペイン広場へ。<br /><br />敷地内にはドン・キホーテの作者セルバンテス没後300年を記念して建てられた彫像と、それを守るようにしてドン・キホーテとサンチョ・パンサの銅像が幸いににも前の池に写っていましたので何枚か、撮影しました。人気の銅像を見る事ができてうれしかったです。<br /><br /><br />12:45;観光後、昼食はレストランで楽しめました。<br /> <br />スペインの平均的昼食時間は14時〜16時頃で夕食時間は21時〜23時頃(2時間かけて…?)でしょうか。一日の中では昼食がメインで前菜から食後のドリンクまでのセットメューだそうです。<br /><br />トレドは、マドリードから南に約70?に位置し古代ローマ時代から要塞都市として栄えた街だそうです。<br />異なる宗教や民族が混ざった独自の文化や街並みは必見に値するとのことでしたが…。<br />その美しさは「若しも、スペインに1日だけしか滞在できないとしたなら迷わずトレドに行け」という格言があるほどだそうです。<br /><br />3方をタホ川に囲まれた城塞都市で、歴史的建造物の宝庫のトレドを訪ねます。その芸術性の高さはスペイン有数で、ユネスコの世界遺産にも登録されているようです。<br /><br />旧市街地は美しく、アラブ様式からムデハル、ゴシック、ルネッサンス様式まで三文化の町と呼ばれたトレドは、長い間に渡ってスペイン帝国の帝都として栄華を極めた都市だそうです。<br /><br />展望台からの街とその建造物を見られるパノラマの美しさは、素晴らしかったですね。年間を通して雨量は少なく11月から2月にかけては多少の雨はふりますが、雪になることはめったにないということでした。<br /><br />14:00〜18:30;マドリードの街で、特にサン・ミゲル界隈を5人で美味しいバル三昧で楽しい時間を過ごしましたが、2Hはあっという間の時間でした。<br /><br />19:00;夕食は、レストランで楽しみました。<br /><br />20:30;ホテルに到着です。<br />        よく歩けるよう明日の為に、疲れた足を揉んで休みました。<br /><br />      【宿泊地:マドリード泊/B&Bマドリードエアポート 2連泊】<br /><br />         <br /> 3日目 <br />11/26         <br /> (木)<br />07:00;ホテルにて、朝食:アメリカン又はバイキングをいただきました。<br /><br />08:00;ホテル発バスで、マドリードからコルドバヘ。<br />              (約397?、約5時間40分) <br /><br />8世紀から11世紀にかけてイスラム王朝の都とし栄えた古都へ。<br />イスラム教のモスクとキリスト教の聖堂が融合したメスキータは、この地ならではの文化遺産だそうです。<br />周辺の旧ユダヤ人街は、バテイオ(中庭)を持つ家が多く季節の花で彩られていました。<br /><br />ローマ時代以前から街が開拓された8世紀中頃、後ウマイヤ朝の時代には首都として栄えた古都コルドバは、現在も栄華を謳歌したイスラム時代の遺構を垣間見ることができるようですね。<br /><br />8世紀から11世紀にかけてイスラム王朝の都として栄えた古都で、イスラム教のモスクとキリスト教の聖堂が融合したメスキータは、この地ならではの文化遺産だそうです。<br />偉大なるメスキータを建立したのは、イスラム文明の英知でしょうか。<br /><br />13:30;昼食は、レストランにて楽しみました。<br /><br />14:30頃;【世界遺産】◎コルドバ歴史地区観光へ(約1時間30分)。 <br /><br />幾重にもアーチが連なる森が神秘的な西洋と東洋の美の融合された【世界遺産】◎メスキータへ。<br />メスキータとは、スペイン語でイスラム教寺院のことだそうです。<br /><br />当初イスラム寺院として建てられ、後年キリスト教徒の手に渡り内部に礼拝堂や大聖堂が造られたそうです。<br />混在する2種の宗教建築が複雑な歴史を物語る巨大なモスクの内部には、大理石と赤レンガを交互に組み合わせたアーチが広がっていました。<br /><br />まず、目に飛び込んでくるのは高さ54mの鐘楼です。<br />礼拝の間、円柱の森はイスラム時代の祈りの空間で白と赤を組み合わせた二重のアーチを支える円柱が約850本も立つそうです。これは世界にも類を見ない斬新なものだそうです。<br />馬蹄型アーチの上に半円型アーチを設けた美しい二段構造で、紅白の二色を組み合わせているのも特徴の一つだそうです。<br /><br />完成以来人口増加に伴い、およそ200年に渡って拡張を繰り返したそうです。ローマ時代や西ゴート時代の遺跡から運んできた柱には様々な様式が混在しているようでした。<br /><br />採光口の丸窓からは陽光を取り入れ、ステンドグラスなどの反射の光りが入りこみ、マクスラやミフラーブへと続く身廊が明るくなったそうです。<br />ミフラーブはイスラム教徒が祈りを捧げる神聖な場で、コルドバのメスキータで最も重要な場所の一つだそうです。<br /><br />メスキータのミフラーブは、イスラム教徒が祈りを捧げるメッカの方向を示す「くぼみ」だそうです。金色のモザイクで飾られておりコーランの一節が刻まれているようです。<br />マクスラは、ミフラーブを強調する空調だそうです。ここも高窓から光が差し込む高いドームになっていました。<br />馬蹄型アーチにピザンチン・モザイクや透かし彫りなど当時の技術を凝縮したコルドバ建築のこの場所が、本当のイスラム教らしい姿だそうです。<br /><br />外壁のサン・エステパン門を模倣した馬蹄型アーチなどと共に、世界遺産に相応しいメスキータで最も豪華な場所だそうです。<br />ドーム天井の装飾なども、本当にすごいですね。<br /><br />オレンジの中庭そして中央祭壇など、外壁の装飾なども必見だそうでしっかりと拝見し、この目に焼き付けました。<br /><br />グアダルキビール川に架かるローマ橋を渡った対岸には“カラオラの塔“がありました。イスラム時代の要塞で、現在はイスラム支配時代のコルドバ市民の生活再現したジオラマやメスキータの復元模型などを展示する博物館になっていました。<br /><br />オレンジの中庭は、オレンジの木が敷地いっばいに植えられたみそぎの空間だそうです。<br />モスクに必要不可欠な施設だそうで、イスラム教徒は祈りの前にここで身を清めたといわれております。中央に見えるのは“ミナレット”です。<br /><br />中央祭壇はメスキータの中央部にあり、キリスト教王が建てた荘厳な雰囲気の礼拝堂だそうです。<br />中央部はゴシック様式の楕円形のドームになっていました。また、高窓より陽の光が注ぐようになっていました。<br />主祭部の祭壇飾りには、地元産の紅大理石が使われているそうです。<br />1世紀以上もかけて完成した礼拝堂には、ゴシックやバロックなど複数の様式が見られるようです。<br /><br />聖歌隊席のマホガニー材に彫られた109の椅子は、圧巻でしたね。<br />また、バロックの巨匠バロミーノの絵画が飾られた豪華な祭壇飾りはお見事でしたね。<br />メスキータの位置を常に頭に入れておくと迷いにくいとのことでしたが…。<br /><br />次に、旧ユダヤ人街へ。<br /><br />メスキータの北西に広がるエリアで15世紀末、追放令が出るまではユダヤ人が住んでいたそうです。迷路のように入り組む細い道の両側には、美しい花が飾られた白壁の家が立ち並らんでいました。またレストランやフラメンコがモチーフのキュートなみやげ物店などが集まるので、みやげ探しや休憩によい場所だそうです。<br /><br />〇花の小径の人気の撮影スポット観光です。<br /> <br />白壁に黄土色の皿が貼り付けられアクセントになっており、また白い壁やテラスにはゼラニウムなどのカラフルな花鉢が吊り下げられた可愛らしい鉢植えの花が咲き乱れるさまが、とても美しいです。<br /><br />散策しながら家々の間の路地の奥には、メスキータの塔が見られるこの場所が人気の撮影スポットだそうで人で混雑しておりましたが、目に焼き付け写真に収めることができました。<br /><br />中世の面影を残すユダヤ人郷愁の地らしい美しい景観には、旧ユダヤ人街 迷路歩きを楽しめるように、街をあげての観光に力を入れておられるのがよく分かりました。<br /><br />16:30;観光後、セビーヤヘ移動しました。(約139?、約2時間)<br /><br />今や、セビーヤのシンボルであるオレンジの庭とヒラルダの塔などを写真撮影しました。<br /><br />セビーヤは、メリメ作「カルメン」や戯曲「セビーヤの理髪師」の舞台として知られるアンダルシア州都です。<br />コロンブスが活躍した大航海時代に街は活気づき16〜17世紀には芸術家を輩出したそうです。<br /><br />18:30;ホテルへ到着しました。今日もよく歩きました。<br />    風呂で疲れを癒してから、休みました。<br /><br />19:45;夕食は、ホテルにて楽しめました。<br /><br />21:00〜23:00;ホテル前のショッピングセンターへ。<br /><br />土産品などの購入とバルにて地元の名物だけでなく多彩なスペイン料理などを仲間5人で楽しみました。<br /><br />23:20;ホテルに再到着です。<br /><br />            【宿泊地:セビーヤ泊/TRHラモティージャ】<br /><br /><br /> 4日目  <br />11/27     <br /> (金)    <br />07:00;ホテルにて、朝食はアメリカンバイキングをいただきました。<br /><br />08:30;ホテル発バスで、セビーヤ観光(約1時間30分)へ。<br /><br />アンダルシアの華と呼ばれるセビーヤです。<br />1492年のコロンブスの新大陸発見を機に、スペインと新大陸を結ぶ拠点として発展したとのことです。<br />異なる宗教文化が折衷する稀有なスペイン最大の大聖堂 【世界遺産】○ カテドラルへ。<br /><br />スペイン最大かつ世界で3番目と言われる大きさを誇る大聖堂です。<br />世界では、ローマのサン・ビエトロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール寺院に次いでの規模だそうです。<br />レコンキスタ以前は、この地には巨大なモスクが建っていたといわれており建物自体にその名残がここかしこに見受けられます。<br /><br />聖杯の礼拝堂や主聖具納室などに、展示されたスペイン代表画家たちの宗教画は素晴らしかったです。<br />コロンブスの墓や、街のシンボルになっているヒラルダの塔の高さ94mの鐘楼などを見学しました。<br /><br />スペイン各県の歴史的出来事を描写した陶器が彩る画タイル絵壁が特徴的な ○スペイン広場へ。<br /><br />マリア・ルイサ公園の敷地内にあり、セビーヤを象徴する近代的な広場にありました。柱廊がある半円型の建物とその前に水路が設けられていました。<br />1929年のイベロアメリカ博覧会の中心となったそうです。<br />その建物は現在は、州政府のオフィスなどに使われているようです。<br />水路に架かる橋の欄干や建物に使用された陶器などがアクセントになっているようですね。<br /><br />アンダルシア各州の特徴を描いたタイルアートは必見でしたね。<br />また、欄干の下に写るミナレットは素晴らしく見逃しませんでした。<br /><br />建物に使用されたドン・キホーテの陶器壁画を丁度、女性の技術者の方が補修されている模子が見られましたので、最後までしっかりと人気の壁画が見事に美しく仕上がるのを見させて戴きました。<br /><br />次に、グアダルキビール川沿いに立つ塔の △黄金の塔へ。(現在は、海洋博物館になっていました。)。<br /><br />説明を聞きましたが、検問や防衛の役割を担っていたそうで、1220年に建てられかっては金色の陶器パネルで覆われていたことが名前の由来という説もあるようで海運で栄えた歴史を今に伝える塔だそうです。<br /><br /><br />10:15;観光後ミハスヘ、バス移動しました。<br />           (約240?、約3時間30分)。<br />               <br />白壁の家が続く美しい街並みに魅せられた、外国からの観光客で賑わっておりました。海抜420mの山麗にあり、地中海と裾野に広がる街を一望できました。高い見晴し台からの眺めは本当に素晴らしいです。また、名物のロバタクシーでの観光も見られましたね。<br /><br />素朴な田舎町を訪ねる白い村です。白壁が眩しい小さな家が集まる村の外壁が熱を持たないよう工夫された白い家々は、灼熱の台地アンダルシアならではの風景だそうです。<br />それぞれの村では今も素朴な生活が営まれており、3日目に見学した旧ユダヤ人街とよく似ているな〜と感じました。<br /><br />13:45;昼食はレストランにて、タパスを戴きました。<br /><br />14:45;その後、山あいに拡がる女性に人気の素朴な田舎町のミハスを散策(1時間)しました。<br /><br />散策MAPを参照しながらアンダルシアを代表する白い村を、日本に人気のある撮影スポットのサン・セバスチャン通りは石畳道の両側に白壁の建物が続く通りで、ミハスで最も人気のある撮影スポットでした。<br />道は少し坂になっているので坂の下から上に向かって撮影すると上手く撮れるらしいです。<br /><br />また、闘牛場はラ・リベルタ広場南側にあり1900年に完成したそうですが、世界最小ともいわれ四角に近い珍しい形をしているようです。博物館も併設しており闘牛士の衣装などが展示されていました。<br /><br />そしてラ・ペーニャ礼拝堂や僧が岩を堀って作ったといわれる祠礼拝堂もありました。海抜420mの山麗にあり、遠くの地中海と裾野に広がる街など白い村の美景ポイントを撮影などしました。<br /><br />また、情報誌からのミハスの二つの名店を知り、エニェで世界に一つのeneマークのスペインTシャツと、アマポーラでヒナゲシを使った押し花ペンダントネックレスの小さなプレゼントを土産にできました。<br /><br />散策帰りの最後に“日本の皆様ありがとう”の看板を見つけました。<br />(こちらこそ、ありがとうございました。本当に癒されました。)<br /><br />16:00;散策後、グラナダヘバスで移動しました。<br />            (約160?、約2時間20分)<br /><br />約800年続いたイスラム教徒によるイベリア支配の最終地となった街です。アンダルシア最大の見所であるアルハンブラ宮殿を筆頭に、イスラム時代の街並みが残る旧市街のアルバイシン地区などの必見スポットが多いそうですね。<br /><br />丘の上に宮殿がそびえるイスラム王朝の古都、シェラ・ネバダ山脈に抱かれたグラナダは13世紀後半、イスラム時代最後のナスル王朝の首都として栄えたそうです。<br />山の雪解け水は湧水や小川などに姿を変え街に潤いを与えているようです。<br />約800年続いたイスラム教徒によるイベリア支配の最終地となった見所いっぱいの街でしたね。<br /><br />18:30;夕食は、レストランで楽しみました。<br /><br />19:30;夕食後、絶景夜景ポイントの 【世界遺産】アルハンブラ夜景観賞(約10分)へ。<br /><br />宮殿の外観はライトアップされており、照らされた宮殿がの浮かびあがった勇姿にはイスラム王朝の栄華と哀愁が感じられました。<br /><br />サン・ニコラス展望台からのグラナダ街の夜景やアルハンブラ宮殿が闇の中に優美なイスラム芸術が浮かび上がりロマンチックなムード満点な場所でしたね。この季節ならではの企画はお奨めです。<br /><br />20:30;ホテルへ到着です。<br /><br />20:40;ホテルへの送迎バス利用にて、目的地へ移動しました。<br /><br />21:00〜22:00;《OP》アルバイシンの丘ナイトツアー付フラメンコ ドリンクショーへ。<br /><br />先に、夜間照明されたアルハンブラ宮殿をサンニコラス展望台から見る観光ナイトツアーへ向かいましたが、違った場所からの案内でしたので二通りの見方ができてよかったです。写真に撮れました。<br /><br />スペイン舞踊として知られるフラメンコは、アンダルシア発祥といわれてグラナダでは現在でも盛んで、鑑賞できる踊り手の質が高い歴史のあるサクラモンテ“洞窟フラメンコ”があリ、今回はヌエバ広場近くのLos Tarantosで情熱の舞に酔いしれました。<br />情熱の舞は魂を震わせる歌声、リズミカルで美しい踊り、繊細なギターの音色などのこれらが一体となって織り成す満足なフラメンコショーでした。<br /><br />ドリンクを飲みながらギター演奏、軽妙なリズムで哀歓を歌う、女性二人がそれぞれの特徴のある踊りと床で靴音を踏み鳴らす。そしてトリを務める男性の迫力ある踊りには感嘆しました。<br />おまけに、若い見習い生の踊りまで見られてよかったです。<br />鑑賞時間の1時間はあっという間でした。<br /><br />現地の方は、フラメンコを見に行くとは言わずにフラメンコを聴きに行くと言うそうです。<br />フラメンコが見られる洞窟は、舞台がなく直ぐ近くで迫力を感じながら雰囲気もよく次第に熱く情熱のほとばしるような伝統芸を十分に楽しめました。<br />22:50;ホテルに再到着です。<br /> <br />             【宿泊地:グラナダ泊/グラナダパレス】<br /><br /><br />  5日目     <br />11/28    <br /> (土)<br />07:00;ホテルにて、朝食:アメリカン又はバイキングをいただきました。<br /><br />08:00;ホテル発バスにて、グラナダ観光(約2時間)へ。<br /><br />、◎ヘネラリーフェ庭園へ。<br /><br />「水の宮殿」と呼ばれる夏の離宮、庭園に囲まれた至福の別荘であったヘネラリーフェでの至高の庭園散歩ではアルハンブラの入口から散策をスタートしました。<br />ゆるやかな坂道を登ると最初の庭が見えます。<br />ヘネラリーフェ入口の手前にある前庭からは、アルハンブラ宮殿とグラナダの街並みが見渡せました。<br /><br />ハイライトはアセキアの中庭だそうです。<br />ヘネラリーフェ一番の見どころで約50mのアセキア(掘割)のある中庭でしたね。掘割を中心にブーゲンビリアが咲き乱れる美しい庭では多くの愛憎劇が生まれたそうです。<br /><br />イスラムとカトリックが融合するスルタナの中庭、堀割のある中庭、壁の模様そして噴水や水の階段などなど、涼しさを感じるいろいろな噴水からの水しぶきと糸杉など緑の世界の最高の場所を、天気の良い散歩日和の秋の一日歩いて学び、また歩いて味わい楽しみました。<br /><br />日差しによる日陰が写真に黒い影をつけてくれまして、アルハンブラ宮殿を望む美景ポイントの白壁の家が並ぶ世界遺産の丘や旧市街の石畳の坂道に迷路のような道が続き、また白い家が並びます。<br />家々の飾りの絵柄によく使われているザクロは、グラナダのシンボルだそうです。<br /><br />次に、在りし日の栄華を秘めて佇む丘の上に宮殿がそびえるイスラム王朝の<br />古都 【世界遺産】◎アルハンブラ宮殿へ。<br /><br />イベリア半島におけるイスラム王朝最後の砦として築かれた城は広大な敷地に王宮をはじめ、カルロス5世宮殿、要塞や離宮などと「水の宮殿」と呼ばれるヘネラリーフェ庭園があるようです。これは楽しみです。<br /><br />イスラム建築の粋を集めたアルハンブラ宮殿です。<br />アルハンブラの意味は、アラビア語で「赤い城」という意味だそうです。<br /><br />長年にわたる抗争の末、キリスト教勢力によって南に追われたイスラム教徒はグラナダに逃れて立派なアルハンブラ宮殿を建設されました。<br />イスラム最後の砦にふさわしく彼らの叡智と技術が駆使され光と影と水の美しい融合の世界が広がります。<br /><br />イスラム建築の美の結晶、王朝最後の栄華と哀愁が漂う壮大な歴史遺産である宮殿を見学でき、まばゆいばかりの輝きが印象的でこの目を大いに楽しませてくれました。<br /><br />10:30;観光後、ラ・マンチャ地方へバスで移動します。<br />             (約317?、約4時間30分)。<br /><br />ラ・マンチャ地方はマドリードの南に広がる平原で、風が強く標高の高い地域で「マンチャ」の名はアラビア語の「乾いた土地」に由来するそうです。<br />ミゲル・デ・セルバンテスの『ドン・キホーテ』の舞台となっており、ひまわり、風車小屋、マンチェゴ・チーズなどは有名だと聞いておりますが…。<br /><br />14:30 :昼食はドン・キホーテメニューを初めて、季節のニンニクのスープ、パンにあう料理ですね。そしてメインは鶏肉煮込みのシチューなどを楽しみながら美味しくいただきました。<br /><br />食事処の壁や、入口などのあらゆるところにドン・キホーテの像や絵と飾り付けがしてあって歓迎してくれているようでした。<br />また入口のところに地方人形の隣に白いプレートが張られ、そこには「ラ・マンチャの村でザ・Blanguilla 彼らは望む幸せな旅」と書かれていました。<br />「ありがとう、そして初めての料理をご馳走さまでした。」と感謝の気持ちが致しました。<br /><br />食事後に、あひるが走り廻る周囲を散策してみるとドン・キホーテの像があり庭の見張り番をしているようにみえました。<br />またオリーブの木に黒いオリーブの実がなっているのを発見しました。まっさおな青空を入れて写真に収めました。<br /><br />16:00;ドン・キホーテゆかりの地で穀物を挽くために利用された<br />     ○ 白い風車(約30分)を見学しました。<br /><br />ラ・マンチャの名を一躍有名にしたのがスペインの文豪ミゲル・デ・セルバンテスで、彼がこの世に送り出した世界文学の傑作「ドン・キホーテ」では情熱的な騎士の冒険の数々が広げられ魅力溢れるラ・マンチャの名を不動のものとしましたね。<br /><br />旅籠を城壁とそして風車を巨人と勘違いした騎士ドン・キホーテは知っておりました。ラ・マンチャではドン・キホーテの世界が空想できて楽しめ、青い空と白い風車のコントラストが写真に残したいと思わせる風情ある景色がとても印象的な場所でした。<br /><br />16:30;その後、バレンシアヘバスで移動しました。<br />             (約280?、約4時間)。<br /><br />輝く太陽と青空が印象的なオレンジと陶器で有名な町のようでした。<br />マドリッド、バルセロナに次ぐ、スペイン第3の都市バレンシアへ。<br /><br />「明るい」「晴れ渡った」という意味で地元の人はこの町を「ラ・クーラ」と呼ぶそうです。<br />地中海沿岸地域特有の温暖な気候と肥沃な土壌を生かした農業が古くから盛んで米やオレンジの一大生産地として知られているそうです。<br /><br />20:15:夕食は、レストランで本場パエリアを作るところも見せていただき楽しみ、美味しく戴きました。<br /><br />21:30;ホテルに、到着しました。<br />今日も、よく歩きました。足をいたわって、休みました。<br /><br />              【宿泊地:バレンシア泊/アラクアス】<br /><br /><br /><br />  6日目 <br />11/29<br />  (日)  <br />07:00;ホテルにて、朝食:アメリカン又はバイキングをいただきました。<br /><br />07:45;ホテル発バスでバルセロナヘ移動です。<br />     (約358?、約11/29  5時間10分)。<br /><br />スペインの北東カタルーニャ地方に位置し1882年から建設が続くスペインを代表する巨大建築サグラダ・ファミリアを有する「芸術の街」バルセロナヘ。<br /><br />建築家アントニ・ガウディの彫刻群や、天才画家の作品が揃う美術館がひしめき合うという憧れのバルセロナへ向かっています。<br />中世から変わらない古い街並みと、斬新なアイデアを生み出すこの街独自の自由さは今なお世界中の観光客をひきつけているようですね。<br />カタルーニャ人の気質を肌で感じられるような、スペインでも人気の高い観光都市だそうです。<br /><br />「青い海」と「輝く太陽」そして「モデルニスモ建築」に彩られた街に憧れてバルセロナを夢みておりましたが…。<br /><br />ガウディが全人生を捧げた今だ未完の大聖堂 サグラダ・ファミリアなど。ガウディの個性的な建築物なくしてはバルセロナとはいえません。<br /><br />自由な発想や異文化を受け入れたカタルーニャ地方の気風が建築家ガウディを生み ピカソ、ダリといった芸術家を育ててくれたようです。<br /><br />今回はガウディの残した美しき遺産を巡る旅を経験したくて参加しました。<br /><br />特にガウディが造ったモデルニスモ建築巡りを主目的に選びましたが、必見スポットのサグラダ・ファミリアを筆頭にカサ・ミラ、カサ・バトリョそして傑作といわれるコロニア・グエル教会などのバルセロナ観光は今回のハイライトだと思っています。<br /><br />2004年の統計によれば、サグラダ・ファミリアはアルハンブラ宮殿やマドリッドのプラド美術館を抜いてスペインで最も観光客を集めたモニュメントとなり2008年には270万人を集めたと云われています。<br /><br />2010年11月7日に教皇ベネディクト16世が訪れミサを執り行い聖堂に聖水を注いで聖別したそうです。<br />サグラダ・フアミリアはバシリカとなりました。<br />ミサには司教達を含む6500人が参列し800人の聖歌隊が参加し祈りを捧げました。<br /><br />この光景こそが、敬虔なキリスト教徒であったガウディが最も目の当たりにしたかった光景でしょう。バロセロナが生んだ天才建築家アントニ・ガウディの作品です。<br /><br />最初に任命された建築家の後任に、ガウディが任命されたのが1883年でした。<br />以後、壮大なスケールの建築計画と費用の確保に寄付を募っていたり、財政難、ガウディ自身の突然の事故死、残された石膏模型はスペイン内戦でバラバラになるなど20世紀前半は、ほぼ建築が進まない状況で建築開始後100年以上を経た今日でも完成されていませんが、1992年のバルセロナオリンピックを契機に、世界中から注目を浴び観光客が押し寄せる現在は入館料などで工事・修繕費用を賄い、完成に近づいているようです。<br /><br />現在、建築の指揮を執る9代目設計責任者のジョルディ・ファウリは、ガウディの没後100年にあたる2026年に完成予定と発表をしています。<br /><br />12:30;昼食はレストランで本場のタパスを初めて楽しみました。<br /><br />13:30;ガウディ建築の充実観光 未完の傑作 【世界遺産】 ◎サグラダ・ファミリア (聖家族教会)を見学しました。<br /><br />1882年に建築家フランシスコ・デ・ビヤールが着工し、アントニ・ガウディ・コルネット(Antoni Gaudi Cornet 1852〜1926年/74歳没)、1883年31歳で引き継ぎ、サグラダ・ファミリアの建築監督となり不慮の電車事故で亡くなる迄の43年間、生活の多くをこの教会で過ごし生活のすべてを捧げたそうです。<br /><br />133年後の今も、建設は寄付金と入場料のみで進められているそうです。<br />完成は100年以上先と云われてきましたが、技術の進歩などで大幅に短縮されつつあるようです。<br /><br />懸垂状の模型による独自の方法で完璧なまでに重心を保つ複雑な外観、各々が意味をもつ緻密な彫刻、細部にまでガウディの魂が宿る。<br />まさにガウディとモデルニスモ建築の最高峰だと書籍に記してありましたが…。<br /><br />サグラダ・ファミリアの見学ルートはユーモアのある現地添乗員の説明を聞きながら、生誕ファサード→聖堂→受難ファサード→博物館→付属学校→おみやげSHOPと一回りし、後は行きたい所を夢中で見学時間いっぱいに歩きまわりました。<br /><br />未完成にもかかわらず、年間2300万人の人が訪れるそうです。<br />ただ、ただ、その壮大さに、その高さに、上を仰ぎ見るばかりでした。<br /><br />しかし、その視線の先にある塔にこそガウディの最終構造が隠されているのだそうです。<br />内部を伺って見るとそこは空洞、何故なのか。<br />実はこの塔は鐘楼なのだそうです。<br />その先端への思いは84本の鐘が吊るされ強大なピアノになると云うのです。<br />塔には無数に設けられた窓があり、そこからあふれ出た音は下向きのひさしが誘導して街にふりそそぐよう計算されているのだそうです。<br /><br />受難のファサードにはパイプオルガン、生誕のファサードには打楽器を設置し、それらを聖堂内にある鍵盤楽器で演奏するというものです。<br />そして聖堂内に1500人もの聖歌隊を招き、音楽の饗宴を夢みたそうです。<br /><br />石で造った聖書であるサグラダ・ファミリアは、聖なる山モンセラットの天空に伸びるその姿がサグラダ・ファミリアのモチーフになっていると云われております。<br /><br />陽が昇る東には、キリスト誕生から幼少期を表現した生誕ファサードです。このファサードはガウディが生きてる間に造られたそうです。<br /><br />陽が沈む西には、キリストの過酷な運命が刻まれた受難ファサードです。<br />南には建築途上の後陣ファサード、98m〜120mのキリストとマリアの塔が4本、170mと最も高い十字架をいただくキリストの塔など12使徒が陣取るそうです。<br />一つの競合箱という楽器でもあったというのです。<br /><br />“諸君 明日はもっとよいものを作ろう。神はお急ぎではない。”  また、“真の建築家を目指す者は、誰でも際立った技術を持つだけでなく、あたかも高い山に、昇ろうとしているかのように努力せねばならない。” <br /> ガウディの言葉だそうです。<br /><br />主任彫刻家は、日本人でした…。<br />ガウディは、サグラダ・ファミリアに「石で聖書を刻む」という構想を持ち、弟子たちに託したそうです。<br />その石による装飾は、二人の彫刻家が取りまとめているようです。<br /><br />「受難のファサード」は、地元の彫刻家スビラックス氏が担当しておられるそうです。<br />彼は機械で造り、ガウディの構想と全く異なる超現実的なものを設置しているようです。<br /><br />一方、「生誕ファサード」は現在、この教会の主任彫刻家である外尾悦郎さんに委ねられました。<br />外尾悦郎氏は、昔ながらの手仕事と作風を重視して、日本人でありながらガウディそのものといわれており、彫刻群を石で彫り続けているそうです。<br />「ハーブを奏でる天使」や「天使の合唱隊」は外尾さんの作品だそうです。<br /><br />07:45;ホテル発バスで、バレンシアからバルセロナへ、約358? 約5時間10分を要して移動しました。<br /><br />説明を聞いた後、13時30分に入場しました。<br />(開園は9時ですが、移動に半日を要しましたので午前中の入場ができないのは残念です…。)、荷物のチエックを受け、生誕ファザードからの入場です。<br />生誕ファサードの望徳の門からは緑の植物が見え、門のガラス戸上部には聖堂内部からのステンドグラスの一部が見えています。<br />この門から入場します。気持ちがわくわくしています。<br /><br />門に施された彫刻は、キリストの生誕物語を華麗に表現しているとのことで、ガウディが建築を監修して約30年をかけて完成させたそうです。<br />マリアへの受胎告知、キリストの誕生、幼少期などが、リアルな彫刻で装飾されていました。<br /><br />中でも、日本人彫刻家 外尾悦郎氏の手がけた「ハーブを奏でる天使」や糸杉の木の下方にある「ペリカン」や「生命の樹」などの作品があるようです。<br />現在使われているのはセメントではなく、石で造られたもので重厚さも素晴らしいですね。<br />生命の樹は、内側2本の塔の間には純潔のシンポルとして糸杉に止まる鳩たちの大理石の彫刻が据えられていました。<br /><br />“キリストの生誕”は、生まれたばかりのキリストがマリアとヨセフに見守られている場面を表現されているそうです。<br />隣には、牛やラバなどの様々な動物がいるようです。<br />“イエスを囲む天使たち”は、ファサードの天使たちには羽がない、天使は神と人間の間の存在とされ ガウディは、より人間に近づけたかったらしいです。<br /><br />そして、昨年2014年に完成した聖堂内部では「ステンドグラス」、「天井」、「柱の装飾」、「イエス・キリスト」の祭壇などから創り出されており、七色に輝く神聖なる空間に浸りながら祈りを捧げました。<br />この体験を忘れないよう限られた時間まで「想い出の写真」を撮り続けました。<br /><br />まさに、森林の中に居るような気持ちになり樹木のような列柱が逞しく支え、天井からの自然光が注ぎ込み色々のステンドグラスからは、オレンジ色の光りが差し込み七色に輝いているのをこの目で見ることができました。<br /><br />自然からのモチーフが詰まっているようで心が洗われるような気持ちです。<br />ステンドグラスの模様が柱や壁に映し出されてオレンジ色に輝いており、採光の光や反射する色などが神々しい感じがしました。<br />十字架に磔になったキリストの像を天井からの光などがあたり、幻想的で木漏れ日のように光りが差し込む森の中に、本当にいるようです。<br /><br />生誕側にも土産ショップがオープンしたことを思いだし覗いてみましたがすごく混んでいましたので、買わずにすぐに出ました。<br /><br />反対側の、受難のファサードへ向かいます。<br />生誕ファサードの彫刻とは違いますね。<br />キリストの受難から復活までの物語だそうで、その3日間を表した彫刻で装飾された受難の門で簡素で現代的な印象でしたね。<br /><br />また、足し算するとキリストが息絶えた年号の33になる文字盤などのシンボルも多いとのことでした。<br />またその入口の足元の床には、何やら素描の絵が描かれていました。<br /><br />受難の門 右側の土産店(確か日本人店員がいるの情報)も探して覗きまして、Tシャツ前面にサグラダ・ファミリアが描かれたものが棚に陳列されていましたので、現地添乗員に奨めていただいた聖家族教会のビジュアルガイド書籍などと一緒に買い求めました。<br /><br />時間がありましたので、再度生誕ファサード見学と写真撮影に行きました。<br />何度も、何枚も撮っても、飽きることはありませんでした。<br /><br />夕刻頃の聖堂内の森に、夕日が注ぐところを見たいそして写真に捉えたいので再び聖堂内を歩き回り、暖かなオレンジ色に見えるステンドグラスなどが小生には、夕日に染められて見えましたので何枚か撮影しました。<br /><br />次に、お手洗いに行きながら地下博物館の砂袋を利用した模型などや、付属学校の展示などを廻って拝見しました。<br /><br />日本人で彫刻主任の外尾悦郎さんがデザインし制作した「慈悲の門」から外に出てから、歩いて生誕ファサード前にある公園にやってきました。<br /><br />今のままでも凄いのに、この建物は建設中なのですね。<br />聖家族教会の生誕のファサード正面の全景が、青空にくっきりと見えます。<br />完成予定はガウディ没後100周年の2026年だとか。完成後の建物も是非に見てみたいですが…。<br /><br />次に、幸運にも池に逆さに写る鏡写しのサグラダ・ファミリアを写真に収めることができ満足しております。<br /><br />また、ガウディが手がけた建築物を実際に見学することができ、長年の夢が叶えられた喜びを味わえました。<br />そして、またの時代を追う毎に今後も変化するガウディその他の建築家たちの作風や仕上がりにも、大いに注目しております。<br /><br />【世界遺産】 △カサ・ミラ(ラ・ペドレラ)へ。<br />カサは邸宅という意味で、地元の人からはラ・ペデレラ(石切り場)と呼ばれています。<br /> <br />公式サイトhttps://www.lapedrera.com/en/home、ガウディがミラ夫妻の依頼で設計した邸宅だそうで、グラシア通りの1910年完成の地中海や雪山の波打つ外観がインパクトある民間建築で、現在も住人がおられるそうです。<br />どの部屋にも自然光入ることと、通気性にこだわったそうですね。<br />最上階はガウディの建築を、紹介する博物館になっているようです。<br /><br />【世界遺産】 △カサ・バトリョへ。<br />カサ・ミラの斜め向かいに建つ1906年竣工でバルコニーやその柱の形から、別名あくびの家・骨の家と呼ばれているようです。<br />窓の形が不思議な形をしています。外壁は全面くまなくカラフルな、破砕タイルで飾られ、通りに張り出したユニークな形の大窓が印象的でした。<br /><br />ガウディの後期代表作のひとつ。富豪バトリョ氏の依頼を受け、波打つような壁や波を連想させる無数の青のタイルやガラスが印象的な建物。ガウディが改築を手掛けた斬新かつ繊細な邸宅建築で大変な人気です。<br /><br />今回は、カサ・ミラやカサ・バトリョは車窓からでしたが、次なる機会には是非、入場してガウディの建築技術を鑑賞したいものです。<br /><br />【世界遺産】◎コロニア・グエル教会です。<br />未完の教会がもう一つあり、この建築物はガウディのもっとも賞賛を受けている作品の一つに数えられ、造りも構造もステンドグラスも更に建築学的研究を重ねたものだそうです。<br />サグラダ・ファミリア教会建設で、使われた多くの手法の起源となっているようです。<br /><br />逆さ吊り実験の模型でのカテナリー曲線(重力に逆らわない自然な形であるため、安定感があり壊れにくいという。)を発見までに、10年の歳月を要したそうです。<br />また、ゴシック建築から発達させた天井は見事ですね。<br /><br />教会堂を支えるはずの荒削りな玄武岩の4本の柱が、見事に存在感を主張しています。<br />祭壇前のベンチ1つにしても、人体の骨格になじむようなデザインで工夫されている椅子たちなど…。<br /><br />社会闘争や反教会の激動期でしたが、重要な施設としての教会建設をガウディに託されましたがグエル氏からの投資を断念したことで、教会は未完になったそうです。<br /><br />深海にたたずむ貝が口を開けたような窓、洞窟のような入口、屋根と一体化した柱などは目を見張るものがありますね。<br />また、聖堂内は荘厳にして神秘的な美しさでした。そんな神秘な聖堂はガウディのある理念を実現化したものでした。<br /><br />「安定性だけでは、美しいプロポーションは得られない」というガウディの言葉通り、この地下聖堂には直線がほとんど存在しません。<br />傾きと曲線による美しいプロポーションを生み出したのだそうです。<br /><br />テレビ放送 “美の巨人”での解説を読みましたが、それ以上の感動を覚えました。改めて今回の選択が良かったと自負しております。<br /><br />18:00;夕食は、レストランで楽しみました。<br />きらめく地中海を満喫するシーサイドへ。そうです、バルセロネータヘ、我々を案内してくれました。海が見えます。<br /><br />砂浜でビーチバレーに興じているのが見えました。<br />元気に泳いでいる方を見つけました。<br />岸には客船が停泊しているではありませんか。<br />横浜を思い出してしまいました。<br /><br />美味しく夕食を楽しむことができ、満足のうちに夜景観賞へ。<br />バスで運んでくれました。 <br /><br />19:00;夕食後、絶景夜景ポイントである 【世界遺産】 サグラダ・ファミリア夜景観賞に行きました(約10分)。<br /><br />サグラダ・ファミリアのライトアップへ。<br /><br />池を手前にして見ると聖堂が写し鏡になって、昼とはまた違った輝きが厳かな雰囲気を感じましたね。<br />あの高い鐘塔の先までが、生誕ファサード前の池で鏡写しにされているサグラダ・ファミリアを確認して何回も撮影いたしました。<br /><br />20:30;ホテルへ到着しました。今回の旅行行程は全て終了しましたが<br />6年を経て念願を果たせた喜びと楽しい思い出が頭を過ります。<br /><br />よく歩いた足には、その証がいくつも残っておりました。<br />写真もたくさん、撮れました。拝見するのが楽しみです。<br />お疲れさまでした。<br /><br />素晴らしい体験ができ、旅仲間の皆様や添乗員の皆様そして素晴らしい運転技術でバスを走らせたくれたドライバーさんなどなどに、感謝です。<br />ありがとうございました。<br /><br />     【宿泊地:バルセロナ泊/ヒルトンディアゴナルマールバルセロナ】<br /> <br />  <br /> 7日目  <br />11/30       <br /> (月)    <br />07:00;ホテルにて、朝食:アメリカン又はバイキングを。<br /><br />07:45;ホテル発バスで、エル・プラット空港へ、約10?。<br /><br />13:15;バルセロナ発。空路、ルフトハンザドイツ航空LH−1127にて、フランクフルトヘ。所要時間:約2時間15分<br /><br />15:30;フランクフルト着、着後、航空機を乗り継ぎ。            <br /><br />17:55;フランクフルト発、LH0716で、空路、帰路の途へ。 <br />所要時間:約11時間10分<br />                                     昼食・夕食 :機内食2回<br /><br />                      【宿泊地:機中泊】<br /><br /> 8日目  <br />12/01   <br />  (火)      <br />13:05;東京(羽田空港)着。朝食:機内食。<br /><br /><br />    通関後、空港で自由解散。お疲れさまでした。 <br /><br /><br /><br />今回も、4travel.jpに投稿されました皆様のスペインの旅行記が参考になりました。ありがとうございました。<br /><br />そして「長〜い、旅行記の概要」を最後までご覧いただき、ありがとうございました。<br /><br />小生の旅行記は以上です。<br /><br /><br /><br />

2015秋 ヒルトンに泊まるスペイン8日間

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2015/11/24 - 2015/12/01

1235位(同エリア7232件中)

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275

中華遊

中華遊さん

2015秋 ヒルトンに泊まるスペイン8日間
旅行時期 2015/11/24−2015/12/01

8度目の海外旅行は、初ヨーロッパのスペインヘ。
あふれる情熱に誘われ魅惑の国へ異文化を訪ねて…。

安心の往路の羽田から復路の羽田までの添乗員同行。
さらにマドリード、コルドバ、セビーリャ、ミハス、グラナダ、そしてバルセロナの6都市での現地ガイド+同行添乗員のダブルサポートでの観光。
そして便利なトラベルイヤホンの使用。

都心からアクセス便利な羽田空港発着とスターアライアンス系列のルフトハンザドイツ航空の指定とし、日本より暖かく降水量も少ない観光し易いシーズンを選びました。

スペイン・バロセロナといえば、アントニ・ガウディ建築観光の充実を最優先としました。(未完の傑作 サグラダ・ファミリアとコロニア・グエル教会へは入場、カサ・ミラとカサ・バトリョは車窓観光でした。)

バルセロナではヒルトンホテルへ宿泊とし、またパエリア・タバスなどスペイン名物料理を含む全16回の食事や、バル文化と美食も楽しみです。

そしてスペインが誇るプラド美術館の鑑賞。
さらに日照時間が短くなる秋だから絶景夜景ポイントのアルハンブラ宮殿とサグラダ・フアミリアの夜景観賞をするプランを選択しました。

年間5,000万人を超える旅行者が訪れる、これは世界の国の中でも第3位にランクされているようです。
スペインを旅するとは太陽、美味しい食事、温かいもてなしそして生きた歓びとの出会いであると書かれておりましたが…。

いつもの仲間と今回は5名が集まり、阪急交通社トラピックスのツアー
7泊8日の旅へ出発です。

<行程>

★11月24日 東京(羽田空港)⇒空路 スターアライアンス ドイツルフトハンザ航空にて(ミュンヘン乗り継ぎ)⇒マドリード(バラハス国際空港)

★11月25日 マドリード観光 ブラド美術館〜王宮〜スペイン広場〜市内自由行動〜トレド観光

★11月26日 コルドバ観光 メスキータ〜旧ユダヤ人街 花の小径⇒セビーリャ〜市内自由行動・ショッピングセンター

★11月27日 セビーリャ観光 カテドラル〜スペイン広場〜黄金の塔⇒ミハス観光〜白い村ミハス散策⇒グラナダ観光〜アルハンブラ夜景観賞〜フラメンコドリンクショー

★11月28日 グラナダ観光 ヘネラリーフェ庭園〜アルハンブラ宮殿⇒ラ・マンチャ地方観光〜ドン・キホーテゆかりの地 白い風車⇒バレンシア

★11月29日 バレンシア⇒バルセロナ観光 コロニア・グエル教会〜カサ・バトリョ〜カサ・ミラ〜バルセロネータ海岸〜サグラダ・ファミリア〜サグラダ・ファミリア夜景観賞〜ショッピングセンター

★11月30日 バルセロナ(エル・プラット空港)⇒ルフトハンザ航空にて、帰国の途へ(フランクフルト乗り継ぎ)⇒

★12月01日 東京(羽田空港)着
         

コース日程、計画・実施内容など

1日目
11/24
(火)
12:50;東京(羽田空港)発。空路、ルフトハンザドイツ航空
LH071 5にてミュンヘンへ。  昼食・夕食:機内食2回

17:00;ミュンヘン着、航空機を乗り継ぎ。

19:10;LH1806ミュンヘン発、空路、マドリードヘ。

21:45;マドリード(バラハス空港)着。着後、バスにてホテルヘ。

23:30;ホテル到着です。長い飛行状態からようやく解放です。

スペインは日本の1.3倍の地方色豊かな広大な国土で、パエリアなどの美味しい食事などが魅力です。

サグラダ・ファミリアに代表される個性豊かな建造物や、世界有数の美術館の1つであるブラド美術館の名作の数々、国営ホテルのパラドールや、ミハスなどの白い小さな村を訪ねれば、スペインの魅力を存分堪能できます旨のスペイン政府観光局局長よりのパンフレット挨拶文の掲載を読みました。

 〜長い空旅での負担軽減するために1・2泊目は、マドリードで2連泊〜

【宿泊地:マドリード泊/B&Bマドリードエアポート 2連泊】


2日目
11/25
(水)       
07:30;ホテルにて朝食:アメリカン又はバイキングをいただきました。

08:30;ホテル前バスにて、マドリード観光(約3時間)へ。

壮麗な宮廷建築や珠玉のアートに魅せられるスペインの首都マドリードへ。

今もなお「太陽の沈まぬ国」と世界に称されたスペイン王国の輝きをとどめている首都のスペイン文化の最高峰が集うこの地で、脈々と受け継がれる文化の系譜などが感じられました。

スペイン王家の豪華絢爛な三大巨匠の名画にひたる美の殿堂 ◎プラド美術館(2時間)へ。
ベラスケス、ゴヤ、エル・グレコの作品が並ぶ宗教画や宮廷画の作品の世界三大美術館の一つともいわれるプラド美術館の正面にはそれぞれ三大巨匠のゴヤ、ベラスケス、ムリーヨの銅像がありました。
音声ガイドとパンフレットを手に、ガイドブックは求めましたがありませんでした。また館内での撮影は一切禁止なのでカメラは鞄の中に入れて持ち歩くことにしました。

裸のマハ/着衣のマハは、女性の裸という当時としては衝撃的な作品は裁判により封印され、再び日の目を見たのは1901年のことだそうです。
見比べると、表情や頭髪の変化から情事の前後が読み取れますので2枚を交互にめぐり変化を楽しむように鑑賞していたといわれていますと解説に書かれていましたが…。
また、推奨されている一枚のベラスケスの代表作であるラス・メニーナス(女官たち)も、見逃さずに拝見できました。

次に、△王宮を見学へ。

歴代の王たちが暮らした豪華絢爛な宮殿を見ようとバスを降り、歩いて向かいました。豪華な造りや装飾が特徴でフランスとイタリアの建築様式を融合した珠玉の文化遺産の宮殿建物だそうですが…。残念ながら外観を見ただけでした。赤いビロードで覆われた「王座の間」の白御影石を使った階段そして調度品などの一部開放のものや、回廊からの展望そしてサバティーニ庭園からの王宮など珠玉の文化遺産も拝見したかったですね。

次に、街の北西にある緑豊かな広場 ○スペイン広場へ。

敷地内にはドン・キホーテの作者セルバンテス没後300年を記念して建てられた彫像と、それを守るようにしてドン・キホーテとサンチョ・パンサの銅像が幸いににも前の池に写っていましたので何枚か、撮影しました。人気の銅像を見る事ができてうれしかったです。


12:45;観光後、昼食はレストランで楽しめました。

スペインの平均的昼食時間は14時〜16時頃で夕食時間は21時〜23時頃(2時間かけて…?)でしょうか。一日の中では昼食がメインで前菜から食後のドリンクまでのセットメューだそうです。

トレドは、マドリードから南に約70?に位置し古代ローマ時代から要塞都市として栄えた街だそうです。
異なる宗教や民族が混ざった独自の文化や街並みは必見に値するとのことでしたが…。
その美しさは「若しも、スペインに1日だけしか滞在できないとしたなら迷わずトレドに行け」という格言があるほどだそうです。

3方をタホ川に囲まれた城塞都市で、歴史的建造物の宝庫のトレドを訪ねます。その芸術性の高さはスペイン有数で、ユネスコの世界遺産にも登録されているようです。

旧市街地は美しく、アラブ様式からムデハル、ゴシック、ルネッサンス様式まで三文化の町と呼ばれたトレドは、長い間に渡ってスペイン帝国の帝都として栄華を極めた都市だそうです。

展望台からの街とその建造物を見られるパノラマの美しさは、素晴らしかったですね。年間を通して雨量は少なく11月から2月にかけては多少の雨はふりますが、雪になることはめったにないということでした。

14:00〜18:30;マドリードの街で、特にサン・ミゲル界隈を5人で美味しいバル三昧で楽しい時間を過ごしましたが、2Hはあっという間の時間でした。

19:00;夕食は、レストランで楽しみました。

20:30;ホテルに到着です。
よく歩けるよう明日の為に、疲れた足を揉んで休みました。

     【宿泊地:マドリード泊/B&Bマドリードエアポート 2連泊】

         
 3日目 
11/26
 (木)
07:00;ホテルにて、朝食:アメリカン又はバイキングをいただきました。

08:00;ホテル発バスで、マドリードからコルドバヘ。
              (約397?、約5時間40分) 

8世紀から11世紀にかけてイスラム王朝の都とし栄えた古都へ。
イスラム教のモスクとキリスト教の聖堂が融合したメスキータは、この地ならではの文化遺産だそうです。
周辺の旧ユダヤ人街は、バテイオ(中庭)を持つ家が多く季節の花で彩られていました。

ローマ時代以前から街が開拓された8世紀中頃、後ウマイヤ朝の時代には首都として栄えた古都コルドバは、現在も栄華を謳歌したイスラム時代の遺構を垣間見ることができるようですね。

8世紀から11世紀にかけてイスラム王朝の都として栄えた古都で、イスラム教のモスクとキリスト教の聖堂が融合したメスキータは、この地ならではの文化遺産だそうです。
偉大なるメスキータを建立したのは、イスラム文明の英知でしょうか。

13:30;昼食は、レストランにて楽しみました。

14:30頃;【世界遺産】◎コルドバ歴史地区観光へ(約1時間30分)。 

幾重にもアーチが連なる森が神秘的な西洋と東洋の美の融合された【世界遺産】◎メスキータへ。
メスキータとは、スペイン語でイスラム教寺院のことだそうです。

当初イスラム寺院として建てられ、後年キリスト教徒の手に渡り内部に礼拝堂や大聖堂が造られたそうです。
混在する2種の宗教建築が複雑な歴史を物語る巨大なモスクの内部には、大理石と赤レンガを交互に組み合わせたアーチが広がっていました。

まず、目に飛び込んでくるのは高さ54mの鐘楼です。
礼拝の間、円柱の森はイスラム時代の祈りの空間で白と赤を組み合わせた二重のアーチを支える円柱が約850本も立つそうです。これは世界にも類を見ない斬新なものだそうです。
馬蹄型アーチの上に半円型アーチを設けた美しい二段構造で、紅白の二色を組み合わせているのも特徴の一つだそうです。

完成以来人口増加に伴い、およそ200年に渡って拡張を繰り返したそうです。ローマ時代や西ゴート時代の遺跡から運んできた柱には様々な様式が混在しているようでした。

採光口の丸窓からは陽光を取り入れ、ステンドグラスなどの反射の光りが入りこみ、マクスラやミフラーブへと続く身廊が明るくなったそうです。
ミフラーブはイスラム教徒が祈りを捧げる神聖な場で、コルドバのメスキータで最も重要な場所の一つだそうです。

メスキータのミフラーブは、イスラム教徒が祈りを捧げるメッカの方向を示す「くぼみ」だそうです。金色のモザイクで飾られておりコーランの一節が刻まれているようです。
マクスラは、ミフラーブを強調する空調だそうです。ここも高窓から光が差し込む高いドームになっていました。
馬蹄型アーチにピザンチン・モザイクや透かし彫りなど当時の技術を凝縮したコルドバ建築のこの場所が、本当のイスラム教らしい姿だそうです。

外壁のサン・エステパン門を模倣した馬蹄型アーチなどと共に、世界遺産に相応しいメスキータで最も豪華な場所だそうです。
ドーム天井の装飾なども、本当にすごいですね。

オレンジの中庭そして中央祭壇など、外壁の装飾なども必見だそうでしっかりと拝見し、この目に焼き付けました。

グアダルキビール川に架かるローマ橋を渡った対岸には“カラオラの塔“がありました。イスラム時代の要塞で、現在はイスラム支配時代のコルドバ市民の生活再現したジオラマやメスキータの復元模型などを展示する博物館になっていました。

オレンジの中庭は、オレンジの木が敷地いっばいに植えられたみそぎの空間だそうです。
モスクに必要不可欠な施設だそうで、イスラム教徒は祈りの前にここで身を清めたといわれております。中央に見えるのは“ミナレット”です。

中央祭壇はメスキータの中央部にあり、キリスト教王が建てた荘厳な雰囲気の礼拝堂だそうです。
中央部はゴシック様式の楕円形のドームになっていました。また、高窓より陽の光が注ぐようになっていました。
主祭部の祭壇飾りには、地元産の紅大理石が使われているそうです。
1世紀以上もかけて完成した礼拝堂には、ゴシックやバロックなど複数の様式が見られるようです。

聖歌隊席のマホガニー材に彫られた109の椅子は、圧巻でしたね。
また、バロックの巨匠バロミーノの絵画が飾られた豪華な祭壇飾りはお見事でしたね。
メスキータの位置を常に頭に入れておくと迷いにくいとのことでしたが…。

次に、旧ユダヤ人街へ。

メスキータの北西に広がるエリアで15世紀末、追放令が出るまではユダヤ人が住んでいたそうです。迷路のように入り組む細い道の両側には、美しい花が飾られた白壁の家が立ち並らんでいました。またレストランやフラメンコがモチーフのキュートなみやげ物店などが集まるので、みやげ探しや休憩によい場所だそうです。

〇花の小径の人気の撮影スポット観光です。
 
白壁に黄土色の皿が貼り付けられアクセントになっており、また白い壁やテラスにはゼラニウムなどのカラフルな花鉢が吊り下げられた可愛らしい鉢植えの花が咲き乱れるさまが、とても美しいです。

散策しながら家々の間の路地の奥には、メスキータの塔が見られるこの場所が人気の撮影スポットだそうで人で混雑しておりましたが、目に焼き付け写真に収めることができました。

中世の面影を残すユダヤ人郷愁の地らしい美しい景観には、旧ユダヤ人街 迷路歩きを楽しめるように、街をあげての観光に力を入れておられるのがよく分かりました。

16:30;観光後、セビーヤヘ移動しました。(約139?、約2時間)

今や、セビーヤのシンボルであるオレンジの庭とヒラルダの塔などを写真撮影しました。

セビーヤは、メリメ作「カルメン」や戯曲「セビーヤの理髪師」の舞台として知られるアンダルシア州都です。
コロンブスが活躍した大航海時代に街は活気づき16〜17世紀には芸術家を輩出したそうです。

18:30;ホテルへ到着しました。今日もよく歩きました。
    風呂で疲れを癒してから、休みました。

19:45;夕食は、ホテルにて楽しめました。

21:00〜23:00;ホテル前のショッピングセンターへ。

土産品などの購入とバルにて地元の名物だけでなく多彩なスペイン料理などを仲間5人で楽しみました。

23:20;ホテルに再到着です。

       【宿泊地:セビーヤ泊/TRHラモティージャ】


4日目
11/27 
(金)
07:00;ホテルにて、朝食はアメリカンバイキングをいただきました。

08:30;ホテル発バスで、セビーヤ観光(約1時間30分)へ。

アンダルシアの華と呼ばれるセビーヤです。
1492年のコロンブスの新大陸発見を機に、スペインと新大陸を結ぶ拠点として発展したとのことです。
異なる宗教文化が折衷する稀有なスペイン最大の大聖堂 【世界遺産】○ カテドラルへ。

スペイン最大かつ世界で3番目と言われる大きさを誇る大聖堂です。
世界では、ローマのサン・ビエトロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール寺院に次いでの規模だそうです。
レコンキスタ以前は、この地には巨大なモスクが建っていたといわれており建物自体にその名残がここかしこに見受けられます。

聖杯の礼拝堂や主聖具納室などに、展示されたスペイン代表画家たちの宗教画は素晴らしかったです。
コロンブスの墓や、街のシンボルになっているヒラルダの塔の高さ94mの鐘楼などを見学しました。

スペイン各県の歴史的出来事を描写した陶器が彩る画タイル絵壁が特徴的な ○スペイン広場へ。

マリア・ルイサ公園の敷地内にあり、セビーヤを象徴する近代的な広場にありました。柱廊がある半円型の建物とその前に水路が設けられていました。
1929年のイベロアメリカ博覧会の中心となったそうです。
その建物は現在は、州政府のオフィスなどに使われているようです。
水路に架かる橋の欄干や建物に使用された陶器などがアクセントになっているようですね。

アンダルシア各州の特徴を描いたタイルアートは必見でしたね。
また、欄干の下に写るミナレットは素晴らしく見逃しませんでした。

建物に使用されたドン・キホーテの陶器壁画を丁度、女性の技術者の方が補修されている模子が見られましたので、最後までしっかりと人気の壁画が見事に美しく仕上がるのを見させて戴きました。

次に、グアダルキビール川沿いに立つ塔の △黄金の塔へ。(現在は、海洋博物館になっていました。)。

説明を聞きましたが、検問や防衛の役割を担っていたそうで、1220年に建てられかっては金色の陶器パネルで覆われていたことが名前の由来という説もあるようで海運で栄えた歴史を今に伝える塔だそうです。


10:15;観光後ミハスヘ、バス移動しました。
           (約240?、約3時間30分)。

白壁の家が続く美しい街並みに魅せられた、外国からの観光客で賑わっておりました。海抜420mの山麗にあり、地中海と裾野に広がる街を一望できました。高い見晴し台からの眺めは本当に素晴らしいです。また、名物のロバタクシーでの観光も見られましたね。

素朴な田舎町を訪ねる白い村です。白壁が眩しい小さな家が集まる村の外壁が熱を持たないよう工夫された白い家々は、灼熱の台地アンダルシアならではの風景だそうです。
それぞれの村では今も素朴な生活が営まれており、3日目に見学した旧ユダヤ人街とよく似ているな〜と感じました。

13:45;昼食はレストランにて、タパスを戴きました。

14:45;その後、山あいに拡がる女性に人気の素朴な田舎町のミハスを散策(1時間)しました。

散策MAPを参照しながらアンダルシアを代表する白い村を、日本に人気のある撮影スポットのサン・セバスチャン通りは石畳道の両側に白壁の建物が続く通りで、ミハスで最も人気のある撮影スポットでした。
道は少し坂になっているので坂の下から上に向かって撮影すると上手く撮れるらしいです。

また、闘牛場はラ・リベルタ広場南側にあり1900年に完成したそうですが、世界最小ともいわれ四角に近い珍しい形をしているようです。博物館も併設しており闘牛士の衣装などが展示されていました。

そしてラ・ペーニャ礼拝堂や僧が岩を堀って作ったといわれる祠礼拝堂もありました。海抜420mの山麗にあり、遠くの地中海と裾野に広がる街など白い村の美景ポイントを撮影などしました。

また、情報誌からのミハスの二つの名店を知り、エニェで世界に一つのeneマークのスペインTシャツと、アマポーラでヒナゲシを使った押し花ペンダントネックレスの小さなプレゼントを土産にできました。

散策帰りの最後に“日本の皆様ありがとう”の看板を見つけました。
(こちらこそ、ありがとうございました。本当に癒されました。)

16:00;散策後、グラナダヘバスで移動しました。
            (約160?、約2時間20分)

約800年続いたイスラム教徒によるイベリア支配の最終地となった街です。アンダルシア最大の見所であるアルハンブラ宮殿を筆頭に、イスラム時代の街並みが残る旧市街のアルバイシン地区などの必見スポットが多いそうですね。

丘の上に宮殿がそびえるイスラム王朝の古都、シェラ・ネバダ山脈に抱かれたグラナダは13世紀後半、イスラム時代最後のナスル王朝の首都として栄えたそうです。
山の雪解け水は湧水や小川などに姿を変え街に潤いを与えているようです。
約800年続いたイスラム教徒によるイベリア支配の最終地となった見所いっぱいの街でしたね。

18:30;夕食は、レストランで楽しみました。

19:30;夕食後、絶景夜景ポイントの 【世界遺産】アルハンブラ夜景観賞(約10分)へ。

宮殿の外観はライトアップされており、照らされた宮殿がの浮かびあがった勇姿にはイスラム王朝の栄華と哀愁が感じられました。

サン・ニコラス展望台からのグラナダ街の夜景やアルハンブラ宮殿が闇の中に優美なイスラム芸術が浮かび上がりロマンチックなムード満点な場所でしたね。この季節ならではの企画はお奨めです。

20:30;ホテルへ到着です。

20:40;ホテルへの送迎バス利用にて、目的地へ移動しました。

21:00〜22:00;《OP》アルバイシンの丘ナイトツアー付フラメンコ ドリンクショーへ。

先に、夜間照明されたアルハンブラ宮殿をサンニコラス展望台から見る観光ナイトツアーへ向かいましたが、違った場所からの案内でしたので二通りの見方ができてよかったです。写真に撮れました。

スペイン舞踊として知られるフラメンコは、アンダルシア発祥といわれてグラナダでは現在でも盛んで、鑑賞できる踊り手の質が高い歴史のあるサクラモンテ“洞窟フラメンコ”があリ、今回はヌエバ広場近くのLos Tarantosで情熱の舞に酔いしれました。
情熱の舞は魂を震わせる歌声、リズミカルで美しい踊り、繊細なギターの音色などのこれらが一体となって織り成す満足なフラメンコショーでした。

ドリンクを飲みながらギター演奏、軽妙なリズムで哀歓を歌う、女性二人がそれぞれの特徴のある踊りと床で靴音を踏み鳴らす。そしてトリを務める男性の迫力ある踊りには感嘆しました。
おまけに、若い見習い生の踊りまで見られてよかったです。
鑑賞時間の1時間はあっという間でした。

現地の方は、フラメンコを見に行くとは言わずにフラメンコを聴きに行くと言うそうです。
フラメンコが見られる洞窟は、舞台がなく直ぐ近くで迫力を感じながら雰囲気もよく次第に熱く情熱のほとばしるような伝統芸を十分に楽しめました。
22:50;ホテルに再到着です。
 
             【宿泊地:グラナダ泊/グラナダパレス】


5日目     
11/28    
 (土)
07:00;ホテルにて、朝食:アメリカン又はバイキングをいただきました。

08:00;ホテル発バスにて、グラナダ観光(約2時間)へ。

、◎ヘネラリーフェ庭園へ。

「水の宮殿」と呼ばれる夏の離宮、庭園に囲まれた至福の別荘であったヘネラリーフェでの至高の庭園散歩ではアルハンブラの入口から散策をスタートしました。
ゆるやかな坂道を登ると最初の庭が見えます。
ヘネラリーフェ入口の手前にある前庭からは、アルハンブラ宮殿とグラナダの街並みが見渡せました。

ハイライトはアセキアの中庭だそうです。
ヘネラリーフェ一番の見どころで約50mのアセキア(掘割)のある中庭でしたね。掘割を中心にブーゲンビリアが咲き乱れる美しい庭では多くの愛憎劇が生まれたそうです。

イスラムとカトリックが融合するスルタナの中庭、堀割のある中庭、壁の模様そして噴水や水の階段などなど、涼しさを感じるいろいろな噴水からの水しぶきと糸杉など緑の世界の最高の場所を、天気の良い散歩日和の秋の一日歩いて学び、また歩いて味わい楽しみました。

日差しによる日陰が写真に黒い影をつけてくれまして、アルハンブラ宮殿を望む美景ポイントの白壁の家が並ぶ世界遺産の丘や旧市街の石畳の坂道に迷路のような道が続き、また白い家が並びます。
家々の飾りの絵柄によく使われているザクロは、グラナダのシンボルだそうです。

次に、在りし日の栄華を秘めて佇む丘の上に宮殿がそびえるイスラム王朝の
古都 【世界遺産】◎アルハンブラ宮殿へ。

イベリア半島におけるイスラム王朝最後の砦として築かれた城は広大な敷地に王宮をはじめ、カルロス5世宮殿、要塞や離宮などと「水の宮殿」と呼ばれるヘネラリーフェ庭園があるようです。これは楽しみです。

イスラム建築の粋を集めたアルハンブラ宮殿です。
アルハンブラの意味は、アラビア語で「赤い城」という意味だそうです。

長年にわたる抗争の末、キリスト教勢力によって南に追われたイスラム教徒はグラナダに逃れて立派なアルハンブラ宮殿を建設されました。
イスラム最後の砦にふさわしく彼らの叡智と技術が駆使され光と影と水の美しい融合の世界が広がります。

イスラム建築の美の結晶、王朝最後の栄華と哀愁が漂う壮大な歴史遺産である宮殿を見学でき、まばゆいばかりの輝きが印象的でこの目を大いに楽しませてくれました。

10:30;観光後、ラ・マンチャ地方へバスで移動します。
             (約317?、約4時間30分)。

ラ・マンチャ地方はマドリードの南に広がる平原で、風が強く標高の高い地域で「マンチャ」の名はアラビア語の「乾いた土地」に由来するそうです。
ミゲル・デ・セルバンテスの『ドン・キホーテ』の舞台となっており、ひまわり、風車小屋、マンチェゴ・チーズなどは有名だと聞いておりますが…。

14:30 :昼食はドン・キホーテメニューを初めて、季節のニンニクのスープ、パンにあう料理ですね。そしてメインは鶏肉煮込みのシチューなどを楽しみながら美味しくいただきました。

食事処の壁や、入口などのあらゆるところにドン・キホーテの像や絵と飾り付けがしてあって歓迎してくれているようでした。
また入口のところに地方人形の隣に白いプレートが張られ、そこには「ラ・マンチャの村でザ・Blanguilla 彼らは望む幸せな旅」と書かれていました。
「ありがとう、そして初めての料理をご馳走さまでした。」と感謝の気持ちが致しました。

食事後に、あひるが走り廻る周囲を散策してみるとドン・キホーテの像があり庭の見張り番をしているようにみえました。
またオリーブの木に黒いオリーブの実がなっているのを発見しました。まっさおな青空を入れて写真に収めました。

16:00;ドン・キホーテゆかりの地で穀物を挽くために利用された
     ○ 白い風車(約30分)を見学しました。

ラ・マンチャの名を一躍有名にしたのがスペインの文豪ミゲル・デ・セルバンテスで、彼がこの世に送り出した世界文学の傑作「ドン・キホーテ」では情熱的な騎士の冒険の数々が広げられ魅力溢れるラ・マンチャの名を不動のものとしましたね。

旅籠を城壁とそして風車を巨人と勘違いした騎士ドン・キホーテは知っておりました。ラ・マンチャではドン・キホーテの世界が空想できて楽しめ、青い空と白い風車のコントラストが写真に残したいと思わせる風情ある景色がとても印象的な場所でした。

16:30;その後、バレンシアヘバスで移動しました。
             (約280?、約4時間)。

輝く太陽と青空が印象的なオレンジと陶器で有名な町のようでした。
マドリッド、バルセロナに次ぐ、スペイン第3の都市バレンシアへ。

「明るい」「晴れ渡った」という意味で地元の人はこの町を「ラ・クーラ」と呼ぶそうです。
地中海沿岸地域特有の温暖な気候と肥沃な土壌を生かした農業が古くから盛んで米やオレンジの一大生産地として知られているそうです。

20:15:夕食は、レストランで本場パエリアを作るところも見せていただき楽しみ、美味しく戴きました。

21:30;ホテルに、到着しました。
今日も、よく歩きました。足をいたわって、休みました。

              【宿泊地:バレンシア泊/アラクアス】



6日目
11/29
(日) 
07:00;ホテルにて、朝食:アメリカン又はバイキングをいただきました。

07:45;ホテル発バスでバルセロナヘ移動です。
     (約358?、約11/29 5時間10分)。

スペインの北東カタルーニャ地方に位置し1882年から建設が続くスペインを代表する巨大建築サグラダ・ファミリアを有する「芸術の街」バルセロナヘ。

建築家アントニ・ガウディの彫刻群や、天才画家の作品が揃う美術館がひしめき合うという憧れのバルセロナへ向かっています。
中世から変わらない古い街並みと、斬新なアイデアを生み出すこの街独自の自由さは今なお世界中の観光客をひきつけているようですね。
カタルーニャ人の気質を肌で感じられるような、スペインでも人気の高い観光都市だそうです。

「青い海」と「輝く太陽」そして「モデルニスモ建築」に彩られた街に憧れてバルセロナを夢みておりましたが…。

ガウディが全人生を捧げた今だ未完の大聖堂 サグラダ・ファミリアなど。ガウディの個性的な建築物なくしてはバルセロナとはいえません。

自由な発想や異文化を受け入れたカタルーニャ地方の気風が建築家ガウディを生み ピカソ、ダリといった芸術家を育ててくれたようです。

今回はガウディの残した美しき遺産を巡る旅を経験したくて参加しました。

特にガウディが造ったモデルニスモ建築巡りを主目的に選びましたが、必見スポットのサグラダ・ファミリアを筆頭にカサ・ミラ、カサ・バトリョそして傑作といわれるコロニア・グエル教会などのバルセロナ観光は今回のハイライトだと思っています。

2004年の統計によれば、サグラダ・ファミリアはアルハンブラ宮殿やマドリッドのプラド美術館を抜いてスペインで最も観光客を集めたモニュメントとなり2008年には270万人を集めたと云われています。

2010年11月7日に教皇ベネディクト16世が訪れミサを執り行い聖堂に聖水を注いで聖別したそうです。
サグラダ・フアミリアはバシリカとなりました。
ミサには司教達を含む6500人が参列し800人の聖歌隊が参加し祈りを捧げました。

この光景こそが、敬虔なキリスト教徒であったガウディが最も目の当たりにしたかった光景でしょう。バロセロナが生んだ天才建築家アントニ・ガウディの作品です。

最初に任命された建築家の後任に、ガウディが任命されたのが1883年でした。
以後、壮大なスケールの建築計画と費用の確保に寄付を募っていたり、財政難、ガウディ自身の突然の事故死、残された石膏模型はスペイン内戦でバラバラになるなど20世紀前半は、ほぼ建築が進まない状況で建築開始後100年以上を経た今日でも完成されていませんが、1992年のバルセロナオリンピックを契機に、世界中から注目を浴び観光客が押し寄せる現在は入館料などで工事・修繕費用を賄い、完成に近づいているようです。

現在、建築の指揮を執る9代目設計責任者のジョルディ・ファウリは、ガウディの没後100年にあたる2026年に完成予定と発表をしています。

12:30;昼食はレストランで本場のタパスを初めて楽しみました。

13:30;ガウディ建築の充実観光 未完の傑作 【世界遺産】 ◎サグラダ・ファミリア (聖家族教会)を見学しました。

1882年に建築家フランシスコ・デ・ビヤールが着工し、アントニ・ガウディ・コルネット(Antoni Gaudi Cornet 1852〜1926年/74歳没)、1883年31歳で引き継ぎ、サグラダ・ファミリアの建築監督となり不慮の電車事故で亡くなる迄の43年間、生活の多くをこの教会で過ごし生活のすべてを捧げたそうです。

133年後の今も、建設は寄付金と入場料のみで進められているそうです。
完成は100年以上先と云われてきましたが、技術の進歩などで大幅に短縮されつつあるようです。

懸垂状の模型による独自の方法で完璧なまでに重心を保つ複雑な外観、各々が意味をもつ緻密な彫刻、細部にまでガウディの魂が宿る。
まさにガウディとモデルニスモ建築の最高峰だと書籍に記してありましたが…。

サグラダ・ファミリアの見学ルートはユーモアのある現地添乗員の説明を聞きながら、生誕ファサード→聖堂→受難ファサード→博物館→付属学校→おみやげSHOPと一回りし、後は行きたい所を夢中で見学時間いっぱいに歩きまわりました。

未完成にもかかわらず、年間2300万人の人が訪れるそうです。
ただ、ただ、その壮大さに、その高さに、上を仰ぎ見るばかりでした。

しかし、その視線の先にある塔にこそガウディの最終構造が隠されているのだそうです。
内部を伺って見るとそこは空洞、何故なのか。
実はこの塔は鐘楼なのだそうです。
その先端への思いは84本の鐘が吊るされ強大なピアノになると云うのです。
塔には無数に設けられた窓があり、そこからあふれ出た音は下向きのひさしが誘導して街にふりそそぐよう計算されているのだそうです。

受難のファサードにはパイプオルガン、生誕のファサードには打楽器を設置し、それらを聖堂内にある鍵盤楽器で演奏するというものです。
そして聖堂内に1500人もの聖歌隊を招き、音楽の饗宴を夢みたそうです。

石で造った聖書であるサグラダ・ファミリアは、聖なる山モンセラットの天空に伸びるその姿がサグラダ・ファミリアのモチーフになっていると云われております。

陽が昇る東には、キリスト誕生から幼少期を表現した生誕ファサードです。このファサードはガウディが生きてる間に造られたそうです。

陽が沈む西には、キリストの過酷な運命が刻まれた受難ファサードです。
南には建築途上の後陣ファサード、98m〜120mのキリストとマリアの塔が4本、170mと最も高い十字架をいただくキリストの塔など12使徒が陣取るそうです。
一つの競合箱という楽器でもあったというのです。

“諸君 明日はもっとよいものを作ろう。神はお急ぎではない。” また、“真の建築家を目指す者は、誰でも際立った技術を持つだけでなく、あたかも高い山に、昇ろうとしているかのように努力せねばならない。”
ガウディの言葉だそうです。

主任彫刻家は、日本人でした…。
ガウディは、サグラダ・ファミリアに「石で聖書を刻む」という構想を持ち、弟子たちに託したそうです。
その石による装飾は、二人の彫刻家が取りまとめているようです。

「受難のファサード」は、地元の彫刻家スビラックス氏が担当しておられるそうです。
彼は機械で造り、ガウディの構想と全く異なる超現実的なものを設置しているようです。

一方、「生誕ファサード」は現在、この教会の主任彫刻家である外尾悦郎さんに委ねられました。
外尾悦郎氏は、昔ながらの手仕事と作風を重視して、日本人でありながらガウディそのものといわれており、彫刻群を石で彫り続けているそうです。
「ハーブを奏でる天使」や「天使の合唱隊」は外尾さんの作品だそうです。

07:45;ホテル発バスで、バレンシアからバルセロナへ、約358? 約5時間10分を要して移動しました。

説明を聞いた後、13時30分に入場しました。
(開園は9時ですが、移動に半日を要しましたので午前中の入場ができないのは残念です…。)、荷物のチエックを受け、生誕ファザードからの入場です。
生誕ファサードの望徳の門からは緑の植物が見え、門のガラス戸上部には聖堂内部からのステンドグラスの一部が見えています。
この門から入場します。気持ちがわくわくしています。

門に施された彫刻は、キリストの生誕物語を華麗に表現しているとのことで、ガウディが建築を監修して約30年をかけて完成させたそうです。
マリアへの受胎告知、キリストの誕生、幼少期などが、リアルな彫刻で装飾されていました。

中でも、日本人彫刻家 外尾悦郎氏の手がけた「ハーブを奏でる天使」や糸杉の木の下方にある「ペリカン」や「生命の樹」などの作品があるようです。
現在使われているのはセメントではなく、石で造られたもので重厚さも素晴らしいですね。
生命の樹は、内側2本の塔の間には純潔のシンポルとして糸杉に止まる鳩たちの大理石の彫刻が据えられていました。

“キリストの生誕”は、生まれたばかりのキリストがマリアとヨセフに見守られている場面を表現されているそうです。
隣には、牛やラバなどの様々な動物がいるようです。
“イエスを囲む天使たち”は、ファサードの天使たちには羽がない、天使は神と人間の間の存在とされ ガウディは、より人間に近づけたかったらしいです。

そして、昨年2014年に完成した聖堂内部では「ステンドグラス」、「天井」、「柱の装飾」、「イエス・キリスト」の祭壇などから創り出されており、七色に輝く神聖なる空間に浸りながら祈りを捧げました。
この体験を忘れないよう限られた時間まで「想い出の写真」を撮り続けました。

まさに、森林の中に居るような気持ちになり樹木のような列柱が逞しく支え、天井からの自然光が注ぎ込み色々のステンドグラスからは、オレンジ色の光りが差し込み七色に輝いているのをこの目で見ることができました。

自然からのモチーフが詰まっているようで心が洗われるような気持ちです。
ステンドグラスの模様が柱や壁に映し出されてオレンジ色に輝いており、採光の光や反射する色などが神々しい感じがしました。
十字架に磔になったキリストの像を天井からの光などがあたり、幻想的で木漏れ日のように光りが差し込む森の中に、本当にいるようです。

生誕側にも土産ショップがオープンしたことを思いだし覗いてみましたがすごく混んでいましたので、買わずにすぐに出ました。

反対側の、受難のファサードへ向かいます。
生誕ファサードの彫刻とは違いますね。
キリストの受難から復活までの物語だそうで、その3日間を表した彫刻で装飾された受難の門で簡素で現代的な印象でしたね。

また、足し算するとキリストが息絶えた年号の33になる文字盤などのシンボルも多いとのことでした。
またその入口の足元の床には、何やら素描の絵が描かれていました。

受難の門 右側の土産店(確か日本人店員がいるの情報)も探して覗きまして、Tシャツ前面にサグラダ・ファミリアが描かれたものが棚に陳列されていましたので、現地添乗員に奨めていただいた聖家族教会のビジュアルガイド書籍などと一緒に買い求めました。

時間がありましたので、再度生誕ファサード見学と写真撮影に行きました。
何度も、何枚も撮っても、飽きることはありませんでした。

夕刻頃の聖堂内の森に、夕日が注ぐところを見たいそして写真に捉えたいので再び聖堂内を歩き回り、暖かなオレンジ色に見えるステンドグラスなどが小生には、夕日に染められて見えましたので何枚か撮影しました。

次に、お手洗いに行きながら地下博物館の砂袋を利用した模型などや、付属学校の展示などを廻って拝見しました。

日本人で彫刻主任の外尾悦郎さんがデザインし制作した「慈悲の門」から外に出てから、歩いて生誕ファサード前にある公園にやってきました。

今のままでも凄いのに、この建物は建設中なのですね。
聖家族教会の生誕のファサード正面の全景が、青空にくっきりと見えます。
完成予定はガウディ没後100周年の2026年だとか。完成後の建物も是非に見てみたいですが…。

次に、幸運にも池に逆さに写る鏡写しのサグラダ・ファミリアを写真に収めることができ満足しております。

また、ガウディが手がけた建築物を実際に見学することができ、長年の夢が叶えられた喜びを味わえました。
そして、またの時代を追う毎に今後も変化するガウディその他の建築家たちの作風や仕上がりにも、大いに注目しております。

【世界遺産】 △カサ・ミラ(ラ・ペドレラ)へ。
カサは邸宅という意味で、地元の人からはラ・ペデレラ(石切り場)と呼ばれています。

公式サイトhttps://www.lapedrera.com/en/home、ガウディがミラ夫妻の依頼で設計した邸宅だそうで、グラシア通りの1910年完成の地中海や雪山の波打つ外観がインパクトある民間建築で、現在も住人がおられるそうです。
どの部屋にも自然光入ることと、通気性にこだわったそうですね。
最上階はガウディの建築を、紹介する博物館になっているようです。

【世界遺産】 △カサ・バトリョへ。
カサ・ミラの斜め向かいに建つ1906年竣工でバルコニーやその柱の形から、別名あくびの家・骨の家と呼ばれているようです。
窓の形が不思議な形をしています。外壁は全面くまなくカラフルな、破砕タイルで飾られ、通りに張り出したユニークな形の大窓が印象的でした。

ガウディの後期代表作のひとつ。富豪バトリョ氏の依頼を受け、波打つような壁や波を連想させる無数の青のタイルやガラスが印象的な建物。ガウディが改築を手掛けた斬新かつ繊細な邸宅建築で大変な人気です。

今回は、カサ・ミラやカサ・バトリョは車窓からでしたが、次なる機会には是非、入場してガウディの建築技術を鑑賞したいものです。

【世界遺産】◎コロニア・グエル教会です。
未完の教会がもう一つあり、この建築物はガウディのもっとも賞賛を受けている作品の一つに数えられ、造りも構造もステンドグラスも更に建築学的研究を重ねたものだそうです。
サグラダ・ファミリア教会建設で、使われた多くの手法の起源となっているようです。

逆さ吊り実験の模型でのカテナリー曲線(重力に逆らわない自然な形であるため、安定感があり壊れにくいという。)を発見までに、10年の歳月を要したそうです。
また、ゴシック建築から発達させた天井は見事ですね。

教会堂を支えるはずの荒削りな玄武岩の4本の柱が、見事に存在感を主張しています。
祭壇前のベンチ1つにしても、人体の骨格になじむようなデザインで工夫されている椅子たちなど…。

社会闘争や反教会の激動期でしたが、重要な施設としての教会建設をガウディに託されましたがグエル氏からの投資を断念したことで、教会は未完になったそうです。

深海にたたずむ貝が口を開けたような窓、洞窟のような入口、屋根と一体化した柱などは目を見張るものがありますね。
また、聖堂内は荘厳にして神秘的な美しさでした。そんな神秘な聖堂はガウディのある理念を実現化したものでした。

「安定性だけでは、美しいプロポーションは得られない」というガウディの言葉通り、この地下聖堂には直線がほとんど存在しません。
傾きと曲線による美しいプロポーションを生み出したのだそうです。

テレビ放送 “美の巨人”での解説を読みましたが、それ以上の感動を覚えました。改めて今回の選択が良かったと自負しております。

18:00;夕食は、レストランで楽しみました。
きらめく地中海を満喫するシーサイドへ。そうです、バルセロネータヘ、我々を案内してくれました。海が見えます。

砂浜でビーチバレーに興じているのが見えました。
元気に泳いでいる方を見つけました。
岸には客船が停泊しているではありませんか。
横浜を思い出してしまいました。

美味しく夕食を楽しむことができ、満足のうちに夜景観賞へ。
バスで運んでくれました。

19:00;夕食後、絶景夜景ポイントである 【世界遺産】 サグラダ・ファミリア夜景観賞に行きました(約10分)。

サグラダ・ファミリアのライトアップへ。

池を手前にして見ると聖堂が写し鏡になって、昼とはまた違った輝きが厳かな雰囲気を感じましたね。
あの高い鐘塔の先までが、生誕ファサード前の池で鏡写しにされているサグラダ・ファミリアを確認して何回も撮影いたしました。

20:30;ホテルへ到着しました。今回の旅行行程は全て終了しましたが
6年を経て念願を果たせた喜びと楽しい思い出が頭を過ります。

よく歩いた足には、その証がいくつも残っておりました。
写真もたくさん、撮れました。拝見するのが楽しみです。
お疲れさまでした。

素晴らしい体験ができ、旅仲間の皆様や添乗員の皆様そして素晴らしい運転技術でバスを走らせたくれたドライバーさんなどなどに、感謝です。
ありがとうございました。

  【宿泊地:バルセロナ泊/ヒルトンディアゴナルマールバルセロナ】


7日目
11/30     
(月)
07:00;ホテルにて、朝食:アメリカン又はバイキングを。

07:45;ホテル発バスで、エル・プラット空港へ、約10?。

13:15;バルセロナ発。空路、ルフトハンザドイツ航空LH−1127にて、フランクフルトヘ。所要時間:約2時間15分

15:30;フランクフルト着、着後、航空機を乗り継ぎ。        

17:55;フランクフルト発、LH0716で、空路、帰路の途へ。 
所要時間:約11時間10分
昼食・夕食 :機内食2回

                    【宿泊地:機中泊】

 8日目
12/01  
(火)   
13:05;東京(羽田空港)着。朝食:機内食。


    通関後、空港で自由解散。お疲れさまでした。



今回も、4travel.jpに投稿されました皆様のスペインの旅行記が参考になりました。ありがとうございました。

そして「長〜い、旅行記の概要」を最後までご覧いただき、ありがとうございました。

小生の旅行記は以上です。



旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
3.0
グルメ
4.0
ショッピング
4.0
交通
4.0
同行者
友人
一人あたり費用
20万円 - 25万円
交通手段
観光バス 徒歩 飛行機
航空会社
ルフトハンザドイツ航空 ANA
旅行の手配内容
団体旅行
利用旅行会社
阪急交通社
  • 1日目 羽田空港国際線 旅客ターミナル 3階出発ロビー 団体カウンターで受付や搭乗券、スーツケースと手荷物の計量そして出国検査などを手続します。<br />季節柄、イルミネーションが輝いて周囲を華やいだ雰囲気にしてくれています。<br />次に中2階に向かうと、食事処や名品店コーナーなどで賑わっていました。<br />早めに着きましたので、ぐるりと一回りできました。

    1日目 羽田空港国際線 旅客ターミナル 3階出発ロビー 団体カウンターで受付や搭乗券、スーツケースと手荷物の計量そして出国検査などを手続します。
    季節柄、イルミネーションが輝いて周囲を華やいだ雰囲気にしてくれています。
    次に中2階に向かうと、食事処や名品店コーナーなどで賑わっていました。
    早めに着きましたので、ぐるりと一回りできました。

  • 羽田空港 国際線 旅客ターミナル3階 「Z団体 カウンター」の集合場所です。<br />同行女性添乗員と挨拶を交わして 「最終旅行日程表」 を見せながら、搭乗券などの受取りなどを実施しました。

    羽田空港 国際線 旅客ターミナル3階 「Z団体 カウンター」の集合場所です。
    同行女性添乗員と挨拶を交わして 「最終旅行日程表」 を見せながら、搭乗券などの受取りなどを実施しました。

  • 羽田空港 国際線で出国審査後、出国待合室(日程表スケジュール確認や手洗い休憩など)〜搭乗アナウンス〜搭乗口へ。<br />出発時刻12:50、出発便:スターアライアンス系列ルフトハンザドイツ航空 LH−0715便で空路、ドイツのミュンヘン空港へ出発です。

    羽田空港 国際線で出国審査後、出国待合室(日程表スケジュール確認や手洗い休憩など)〜搭乗アナウンス〜搭乗口へ。
    出発時刻12:50、出発便:スターアライアンス系列ルフトハンザドイツ航空 LH−0715便で空路、ドイツのミュンヘン空港へ出発です。

  • 座席テレビを見たり、エコノミークラス症候群予防の水分補給や足を上下に動かす動作、トイレ前スペースで屈伸など体操を、また昼食、軽食、夕食、飲物とキャビン アテンダントのサービスを受けながらロングフライトに耐え目的地へ向かっています。

    座席テレビを見たり、エコノミークラス症候群予防の水分補給や足を上下に動かす動作、トイレ前スペースで屈伸など体操を、また昼食、軽食、夕食、飲物とキャビン アテンダントのサービスを受けながらロングフライトに耐え目的地へ向かっています。

  • ミュンヘン空港で乗換時、スペイン サッカーリーグのトップ ディビジョンであるリーガ・エスパニョーラが出演のテレビCMですが、笑顔で出迎えてくれました。<br />首都マドリードを本拠地とする レアル・マドリードはヨーロッパや世界の頂点に何度も立った世界的クラブですが、今回はサッカー試合観戦ではありません。<br />

    ミュンヘン空港で乗換時、スペイン サッカーリーグのトップ ディビジョンであるリーガ・エスパニョーラが出演のテレビCMですが、笑顔で出迎えてくれました。
    首都マドリードを本拠地とする レアル・マドリードはヨーロッパや世界の頂点に何度も立った世界的クラブですが、今回はサッカー試合観戦ではありません。

  • ミュンヘン空港 19時頃の夜景です。<br />空港着後に航空機を乗り継ぎ、LH―1806便でスペインの首都 マドリードのバラハス空港へ向かいます。<br />

    ミュンヘン空港 19時頃の夜景です。
    空港着後に航空機を乗り継ぎ、LH―1806便でスペインの首都 マドリードのバラハス空港へ向かいます。

  • バラハス国際空港ヘ当着後は、ホテルまでバスで案内してくれました。<br />長い空旅での負担を軽減のため、1泊、2泊と2連泊しますHOTEL マドリード エアポートです。<br />ホテルには、23:30に到着しました。(1日目の終了です。) <br />乗り継ぎなどを含むロングフライト 約15時間、お疲れさまでした。<br />ところで、風呂場に便器が二つ設置してありました。<br />その一つは変わった形をしていまして、14世紀頃に伝染病のペストが流行り、予防対策としてお尻を洗う必要から設けられた、その名残りだと知りました。

    バラハス国際空港ヘ当着後は、ホテルまでバスで案内してくれました。
    長い空旅での負担を軽減のため、1泊、2泊と2連泊しますHOTEL マドリード エアポートです。
    ホテルには、23:30に到着しました。(1日目の終了です。)
    乗り継ぎなどを含むロングフライト 約15時間、お疲れさまでした。
    ところで、風呂場に便器が二つ設置してありました。
    その一つは変わった形をしていまして、14世紀頃に伝染病のペストが流行り、予防対策としてお尻を洗う必要から設けられた、その名残りだと知りました。

  • 2日目 マドリード  エアポートホテル前で出発を待つバスです。 <br />安全運転でお願いしますの願いをバスドライバー、ビゲールさんに託しました。<br />ビゲールさんは日本語で、オハヨウゴザイマス ガンバリマスと答えてくれました。<br />バス内の雰囲気がいっぺんに和みましたね。<br />マドリード観光へ出発です。

    2日目 マドリード エアポートホテル前で出発を待つバスです。
    安全運転でお願いしますの願いをバスドライバー、ビゲールさんに託しました。
    ビゲールさんは日本語で、オハヨウゴザイマス ガンバリマスと答えてくれました。
    バス内の雰囲気がいっぺんに和みましたね。
    マドリード観光へ出発です。

  • 10:00;バス走行途中、マドリード土産店 TIMYR S.A へ立ち寄り、休憩と買物をしました。(Moscovitas:confiteria Rialt 王室ご用達のチョコレート菓子などを、初めてスペイン通貨で支払いました。)<br />次に、スペイン王家のコレクションを誇る三大巨匠名画の殿堂 「プラド美術館」 を約2時間、便利なトラベルイヤホーンを活用し鑑賞しました。<br />ベラスケス、ゴヤ、エル・グレコの作品が並ぶ宗教画や宮廷画の世界三大美術館の一つとも云われる名画の数々を拝見しました。<br />音声ガイドとパンフレットを手にガイドブックは求めましたがありませんでした。また、館内での撮影は一切禁止なので写真はありません。<br />特に、裸のマハ/着衣のマハは女性の裸という当時としては衝撃的作品は裁判により封印され再び日の目を見たのは1901年のことだそうで、見比べると表情や頭髪の変化から情事の前後が読み取れます。<br />また、推奨されているベラスケス代表作であるラス・メニーナス(女官たち)も見逃さずに拝見できました。<br />マドリード  プラド美術館の新館をバックに記念に撮りました。<br /><br />

    10:00;バス走行途中、マドリード土産店 TIMYR S.A へ立ち寄り、休憩と買物をしました。(Moscovitas:confiteria Rialt 王室ご用達のチョコレート菓子などを、初めてスペイン通貨で支払いました。)
    次に、スペイン王家のコレクションを誇る三大巨匠名画の殿堂 「プラド美術館」 を約2時間、便利なトラベルイヤホーンを活用し鑑賞しました。
    ベラスケス、ゴヤ、エル・グレコの作品が並ぶ宗教画や宮廷画の世界三大美術館の一つとも云われる名画の数々を拝見しました。
    音声ガイドとパンフレットを手にガイドブックは求めましたがありませんでした。また、館内での撮影は一切禁止なので写真はありません。
    特に、裸のマハ/着衣のマハは女性の裸という当時としては衝撃的作品は裁判により封印され再び日の目を見たのは1901年のことだそうで、見比べると表情や頭髪の変化から情事の前後が読み取れます。
    また、推奨されているベラスケス代表作であるラス・メニーナス(女官たち)も見逃さずに拝見できました。
    マドリード プラド美術館の新館をバックに記念に撮りました。

  • 今回旅行の5人仲間のお一人です。<br />マドリード市内にはプラド美術館の他に 国立ソフィア王妃芸術センター、ティッセン・ポルネミッサ美術館の三大美術館が集中する 「芸術の散歩道」 と呼ばれてるそうです。<br />また、ストリートアーティストが集う生きた美術館とも云われています 「マヨール広場」 があり、市場が開かれているだけでなくサッカーの試合、闘牛、さまざまなお祭りなどが行なわれているマドリードの中心になっているようですね。

    今回旅行の5人仲間のお一人です。
    マドリード市内にはプラド美術館の他に 国立ソフィア王妃芸術センター、ティッセン・ポルネミッサ美術館の三大美術館が集中する 「芸術の散歩道」 と呼ばれてるそうです。
    また、ストリートアーティストが集う生きた美術館とも云われています 「マヨール広場」 があり、市場が開かれているだけでなくサッカーの試合、闘牛、さまざまなお祭りなどが行なわれているマドリードの中心になっているようですね。

  • 今回旅行の5人仲間のお1人です。<br />プラド美術館の次には王宮へ。<br />バスで近くまで行き、そこから歩いて向かいました。<br />警戒パトロールの中を、歴代の王達が暮らした宮殿へ。<br />今回は外観の写真撮影だけでした。<br />フランスとイタリアの建築様式を融合した建物だそうで、回廊や庭園、一部公開している部屋そして衛兵交代式などのビュースポットは見れませんでした。

    今回旅行の5人仲間のお1人です。
    プラド美術館の次には王宮へ。
    バスで近くまで行き、そこから歩いて向かいました。
    警戒パトロールの中を、歴代の王達が暮らした宮殿へ。
    今回は外観の写真撮影だけでした。
    フランスとイタリアの建築様式を融合した建物だそうで、回廊や庭園、一部公開している部屋そして衛兵交代式などのビュースポットは見れませんでした。

  • 今回旅行の5人仲間のお1人です。<br />マドリード  プエルテ・デル・ソル地域などを散策しました。<br />この地域は歩行者天国が多くなり、車を気にせず観光が楽しめるようになったそうですね。<br />大勢の人々が行き交う活気あふれる中心である太陽の門を意味する広場まで、また時計台が目印のマドリード自治政府庁前 「山桃の木と熊の像」 の待ち合わせ場所まで観光しながら街散策をしました。<br /><br />

    今回旅行の5人仲間のお1人です。
    マドリード プエルテ・デル・ソル地域などを散策しました。
    この地域は歩行者天国が多くなり、車を気にせず観光が楽しめるようになったそうですね。
    大勢の人々が行き交う活気あふれる中心である太陽の門を意味する広場まで、また時計台が目印のマドリード自治政府庁前 「山桃の木と熊の像」 の待ち合わせ場所まで観光しながら街散策をしました。

  • 今回旅行の5人仲間のお1人です。<br />王宮の次に案内されたのは、街の北西にある緑豊かな 「スペイン広場」 でした。<br />敷地内のドン・キホーテの作者 セルバンテス没後300年を記念して造られた広場中央に立派なセルバンテスの記念碑が建っておりました。<br />その足元にはドン・キホーテとサンチョ・パンサの銅像があり、その像が池に写るところを撮りましたが、光った写真になって失敗してしまいました。<br />後日の反省会で撮影に成功した仲間より、写真を戴くことに致します。

    今回旅行の5人仲間のお1人です。
    王宮の次に案内されたのは、街の北西にある緑豊かな 「スペイン広場」 でした。
    敷地内のドン・キホーテの作者 セルバンテス没後300年を記念して造られた広場中央に立派なセルバンテスの記念碑が建っておりました。
    その足元にはドン・キホーテとサンチョ・パンサの銅像があり、その像が池に写るところを撮りましたが、光った写真になって失敗してしまいました。
    後日の反省会で撮影に成功した仲間より、写真を戴くことに致します。

  • 今回旅行の5人仲間のお1人です。<br />マドリードでの昼食は、スペイン広場近くのレストラン EL PORTON de Princesaで食事を楽しみました。<br />オリーブトマト、生ハム、マッシュルーム、イカリング、コロッケ、魚トマト味、デザートのメロンとケーキをいただきました。<br />そのレストラン前で撮ってもらいました。

    今回旅行の5人仲間のお1人です。
    マドリードでの昼食は、スペイン広場近くのレストラン EL PORTON de Princesaで食事を楽しみました。
    オリーブトマト、生ハム、マッシュルーム、イカリング、コロッケ、魚トマト味、デザートのメロンとケーキをいただきました。
    そのレストラン前で撮ってもらいました。

  • プエルタ・デル・ソル通り歩道側を 「生ハム」 が二輪車で通ります。<br />今回の旅行でも、その美味しさを味あわせてくれましたね。<br />ドングリを食べるイベリコ豚が、美味しいです。<br />この方の仕事ぷりを拝見しても、マドリードは活気に満ちあふれていました。

    プエルタ・デル・ソル通り歩道側を 「生ハム」 が二輪車で通ります。
    今回の旅行でも、その美味しさを味あわせてくれましたね。
    ドングリを食べるイベリコ豚が、美味しいです。
    この方の仕事ぷりを拝見しても、マドリードは活気に満ちあふれていました。

  • プエルタ・デル・ソルの生ハム店が通りの角に店を開いています。<br />大きなぶら下がりの肉塊が食欲をそそりますね。<br />小売りもしていました。<br />イベリコ豚の絵が、可愛いですね。

    プエルタ・デル・ソルの生ハム店が通りの角に店を開いています。
    大きなぶら下がりの肉塊が食欲をそそりますね。
    小売りもしていました。
    イベリコ豚の絵が、可愛いですね。

  • プエルタ・デル・ソル ビル街の大型スーパーへ。<br />散策時間を利用して買い出しに行きました。<br />昨日ホテルで上手く使えなかったシャンプー、反省会用の生ハム、ビール、ジュース、飲料水そして土産品のチョコレートなどを購入しました。

    プエルタ・デル・ソル ビル街の大型スーパーへ。
    散策時間を利用して買い出しに行きました。
    昨日ホテルで上手く使えなかったシャンプー、反省会用の生ハム、ビール、ジュース、飲料水そして土産品のチョコレートなどを購入しました。

  • プエルタ・デル・ソルでも警戒中のPOLICIA 6名の方と黒色のパトカーが待機していました。<br />旅行に行く前にはフランスでテロ事件があり心配していましたが…。<br />お蔭さまで何事もなく楽しく旅行ができました。

    プエルタ・デル・ソルでも警戒中のPOLICIA 6名の方と黒色のパトカーが待機していました。
    旅行に行く前にはフランスでテロ事件があり心配していましたが…。
    お蔭さまで何事もなく楽しく旅行ができました。

  • マドリード アレナル通りでパホーマンスの人を見つけました。<br />身動きもせず長時間ご苦労さまです。<br />

    マドリード アレナル通りでパホーマンスの人を見つけました。
    身動きもせず長時間ご苦労さまです。

  • マドリード アレナル通りにも美しいフラメンコのポスターがありました。<br />今回は4日目に見る予定です。<br />スペインの三大エンターテイメントのフラメンコ 情熱の舞を早く見たいなぁ〜。<br />

    マドリード アレナル通りにも美しいフラメンコのポスターがありました。
    今回は4日目に見る予定です。
    スペインの三大エンターテイメントのフラメンコ 情熱の舞を早く見たいなぁ〜。

  • マドリード アレナル通りで、闘牛士のポスターも見つけました。<br />スペインの公式闘牛シーズンは、毎年バレンシア火祭りと共に開幕し10月のサラゴサのピラール祭で終了だそうです。<br />この案内板はラス・ベンタス闘牛場のものと思われますが、3月上旬〜10月下旬 シーズン中は毎週日曜日に開催されてるようですね。<br />ラス・ベンタス闘牛場公式ホームページ : http://www.las-ventas.com<br />

    マドリード アレナル通りで、闘牛士のポスターも見つけました。
    スペインの公式闘牛シーズンは、毎年バレンシア火祭りと共に開幕し10月のサラゴサのピラール祭で終了だそうです。
    この案内板はラス・ベンタス闘牛場のものと思われますが、3月上旬〜10月下旬 シーズン中は毎週日曜日に開催されてるようですね。
    ラス・ベンタス闘牛場公式ホームページ : http://www.las-ventas.com

  • マドリードの待ち合わせ場所で有名なプエルテ・デル・ソルのシンボル 「山桃の木と熊の像」です。<br />太陽の門を意味する広場のことで16世紀中頃まで街を取り囲む城壁があったそうで、丁度この広場城門に太陽の彫刻があったため この名が付けられたそうです。<br />ここは、1808年スペイン進出をしていたナポレオン軍に、市民が立ち向かった場所でもあるそうです。<br />また、スペイン各地へ延びる道路の始発点であり、ここにはスペイン交通の起点となるゼロ?の標識があるそうです。<br />山桃を取ろうとする熊の像はマドリッド市の紋章にも使われているそうですね。<br />

    マドリードの待ち合わせ場所で有名なプエルテ・デル・ソルのシンボル 「山桃の木と熊の像」です。
    太陽の門を意味する広場のことで16世紀中頃まで街を取り囲む城壁があったそうで、丁度この広場城門に太陽の彫刻があったため この名が付けられたそうです。
    ここは、1808年スペイン進出をしていたナポレオン軍に、市民が立ち向かった場所でもあるそうです。
    また、スペイン各地へ延びる道路の始発点であり、ここにはスペイン交通の起点となるゼロ?の標識があるそうです。
    山桃を取ろうとする熊の像はマドリッド市の紋章にも使われているそうですね。

  • 3日目 マドリードからコルドバへバス移動途中、手洗い休憩に立ち寄りました。<br />店名はSanta Anaでしたが、目についたのは建物出入口の屋根上にドン・キホーテ像が槍を持って立っているのが見えますね。<br />スペインらしい装飾で、おもわず写真を撮りました。

    3日目 マドリードからコルドバへバス移動途中、手洗い休憩に立ち寄りました。
    店名はSanta Anaでしたが、目についたのは建物出入口の屋根上にドン・キホーテ像が槍を持って立っているのが見えますね。
    スペインらしい装飾で、おもわず写真を撮りました。

  • コルドバへバス移動中には適宜間隔で休憩をとるためバスを停車してくれます。<br />今度停車する店は、チーズとオリーブ油の添乗員さん推奨の休憩所でした。<br />いろんなチーズやオリーブ油展示があり、この中からのみやげ探しは大変です。<br />店名はEL MUSEO ACEITEでしたが、それぞれチーズやエクストラ バージン オリーブ オイル(角形瓶)などを購入しました。<br />美味しいみやげができ食べるのが楽しみです。

    コルドバへバス移動中には適宜間隔で休憩をとるためバスを停車してくれます。
    今度停車する店は、チーズとオリーブ油の添乗員さん推奨の休憩所でした。
    いろんなチーズやオリーブ油展示があり、この中からのみやげ探しは大変です。
    店名はEL MUSEO ACEITEでしたが、それぞれチーズやエクストラ バージン オリーブ オイル(角形瓶)などを購入しました。
    美味しいみやげができ食べるのが楽しみです。

  • コルドバ   レストラン  EL MIRADORで昼食後、グアダルキビール川の対岸から 「ローマ橋とメスキータ」 などがここからはよく見えましたね。<br />セビーリャ市内を流れるグアダモキビール川は、アンダルシアを東西に横断する大河だそうです。<br />またコルドバの料理を語る上で欠かせない食材は、エクストラ・ヴァージン・オイルなどの調味料だそうで、昼食も美味しかったです。<br />車窓から、あの見事なオリーブ畑がどこまでも続いているのを確認できましたが、生育や栽培にかける愛情と作業時間などは膨大で大変でしょうが羨ましいですね。

    コルドバ レストラン  EL MIRADORで昼食後、グアダルキビール川の対岸から 「ローマ橋とメスキータ」 などがここからはよく見えましたね。
    セビーリャ市内を流れるグアダモキビール川は、アンダルシアを東西に横断する大河だそうです。
    またコルドバの料理を語る上で欠かせない食材は、エクストラ・ヴァージン・オイルなどの調味料だそうで、昼食も美味しかったです。
    車窓から、あの見事なオリーブ畑がどこまでも続いているのを確認できましたが、生育や栽培にかける愛情と作業時間などは膨大で大変でしょうが羨ましいですね。

  • コルドバ メスキータ    ミフラーブは、イスラム教徒が祈りを捧げるメッカの方向を示す 「くぼみ」 だそうで、金色のモザイクで飾られコーランの一節が刻まれているようです。<br />マクスラは、ミフラーブを強調する空調だそうで高窓から光が差し込む高いドームになっており 「馬蹄型アーチ」 にピザンチン・モザイクや透かし彫りなど、当時の技術を凝縮したコルドバ建築の、これが本当のイスラム教らしい姿だそうです。<br />外壁のサン・エステパン門を模倣した馬蹄型アーチ等と共に世界遺産に相応しいメスキータで最も豪華な場所だそうで、14〜15世紀に建設されたムデハル様式の建築物でイスラムとカトリックの両方の様式が融合しており、ユネスコの世界遺産に指定され歴史的・芸術的建造物の中でも高い訪問者数を誇っているそうですね。

    イチオシ

    コルドバ メスキータ ミフラーブは、イスラム教徒が祈りを捧げるメッカの方向を示す 「くぼみ」 だそうで、金色のモザイクで飾られコーランの一節が刻まれているようです。
    マクスラは、ミフラーブを強調する空調だそうで高窓から光が差し込む高いドームになっており 「馬蹄型アーチ」 にピザンチン・モザイクや透かし彫りなど、当時の技術を凝縮したコルドバ建築の、これが本当のイスラム教らしい姿だそうです。
    外壁のサン・エステパン門を模倣した馬蹄型アーチ等と共に世界遺産に相応しいメスキータで最も豪華な場所だそうで、14〜15世紀に建設されたムデハル様式の建築物でイスラムとカトリックの両方の様式が融合しており、ユネスコの世界遺産に指定され歴史的・芸術的建造物の中でも高い訪問者数を誇っているそうですね。

  • コルドバ  メスキータ大聖堂  礼拝堂は高窓から光の差し込みを受けて燦然と輝きが増し教会の所蔵品が光り輝いて、それはもう豪華に見えました。<br />サンタ・テレサ礼拝堂には、ドイツの銀細工師エンリケ・デ・アルフェ氏が16世紀に手掛けた聖体顕示台が収められているため 「宝の礼拝堂」 とも呼ばれているそうです。<br />年に一度行われる聖体祭の宗教行列では、この聖体顕示台が街中に担ぎだされるそうですね。<br /><br /><br />

    コルドバ メスキータ大聖堂 礼拝堂は高窓から光の差し込みを受けて燦然と輝きが増し教会の所蔵品が光り輝いて、それはもう豪華に見えました。
    サンタ・テレサ礼拝堂には、ドイツの銀細工師エンリケ・デ・アルフェ氏が16世紀に手掛けた聖体顕示台が収められているため 「宝の礼拝堂」 とも呼ばれているそうです。
    年に一度行われる聖体祭の宗教行列では、この聖体顕示台が街中に担ぎだされるそうですね。


  • コルドバは、世界遺産指定都市に指定されているそうです。<br />世界遺産 メスキータの 「円柱の森」 はイスラム時代の祈りの空間で、白と赤を組み合わせた 「二重のアーチを支える円柱が約850本も立つ」 そうです。<br />完成以来人口増加などに伴い、およそ200年にわたって拡張を繰り返してきたようです。<br />ローマ時代や西ゴート時代の遺跡から運んできた柱頭を使用した柱には、拝見しましたが、さまざまな様式が混在しているようです。<br />イスラム寺院のメスキータは、コルドバで一番の観光名所ですね。<br />メスキータとは、スペイン語で「イスラム教寺院」のことだそうです。

    コルドバは、世界遺産指定都市に指定されているそうです。
    世界遺産 メスキータの 「円柱の森」 はイスラム時代の祈りの空間で、白と赤を組み合わせた 「二重のアーチを支える円柱が約850本も立つ」 そうです。
    完成以来人口増加などに伴い、およそ200年にわたって拡張を繰り返してきたようです。
    ローマ時代や西ゴート時代の遺跡から運んできた柱頭を使用した柱には、拝見しましたが、さまざまな様式が混在しているようです。
    イスラム寺院のメスキータは、コルドバで一番の観光名所ですね。
    メスキータとは、スペイン語で「イスラム教寺院」のことだそうです。

  • コルドバ  メスキータの心臓部には大聖堂があり天井装飾にも注目したいし、ドーム天井も見落とせないですね。 <br />中央身廊の両サイドには17世紀のパイプオルガンが設置され最も芸術的価値が高い作品がペドロ・ドゥケ・コルネホが手掛けた「聖歌隊席」だそうで、50席の椅子にはカリブ海諸国から持ち込まれたエクゾチックな木材が使われ、背もたれには聖書に登場する場面が刻まれており 「見事な天井と二重アーチの白と赤の円柱」 には存在を示す 「多弁型の二重アーチ」 が使われているそうです。<br />大聖堂は司教区の司教座聖堂であり、これら司教区全ての協会の中心となるカトリック典礼生命の主要な位置を占めているのだそうです。

    コルドバ メスキータの心臓部には大聖堂があり天井装飾にも注目したいし、ドーム天井も見落とせないですね。
    中央身廊の両サイドには17世紀のパイプオルガンが設置され最も芸術的価値が高い作品がペドロ・ドゥケ・コルネホが手掛けた「聖歌隊席」だそうで、50席の椅子にはカリブ海諸国から持ち込まれたエクゾチックな木材が使われ、背もたれには聖書に登場する場面が刻まれており 「見事な天井と二重アーチの白と赤の円柱」 には存在を示す 「多弁型の二重アーチ」 が使われているそうです。
    大聖堂は司教区の司教座聖堂であり、これら司教区全ての協会の中心となるカトリック典礼生命の主要な位置を占めているのだそうです。

  • コルドバ   世界遺産  メスキータ 「中央祭壇」 はメスキータ中心部にありキリスト教主が建てた荘厳な雰囲気の礼拝堂の中にあり、その中央祭壇の天井部はゴシック様式の楕円型ドームになっていました。<br />また、主祭壇 祭壇飾りには地元産の紅大理石が使われているそうで、それからバロックの巨匠 パロミーノの多くの絵画で飾られていて見応えがあり、これらの絢爛豪華な祭壇飾りは礼拝堂らしい見栄えがして素晴らしかったです。<br />1世紀以上もかけて完成した礼拝堂には、ゴシックやバロックなど複数の様式が見られるそうです。

    イチオシ

    コルドバ 世界遺産 メスキータ 「中央祭壇」 はメスキータ中心部にありキリスト教主が建てた荘厳な雰囲気の礼拝堂の中にあり、その中央祭壇の天井部はゴシック様式の楕円型ドームになっていました。
    また、主祭壇 祭壇飾りには地元産の紅大理石が使われているそうで、それからバロックの巨匠 パロミーノの多くの絵画で飾られていて見応えがあり、これらの絢爛豪華な祭壇飾りは礼拝堂らしい見栄えがして素晴らしかったです。
    1世紀以上もかけて完成した礼拝堂には、ゴシックやバロックなど複数の様式が見られるそうです。

  • コルドバ  メスキータ大聖堂   聖歌隊席の豪華な天井からは、光が差し込み装飾の模様などが光り輝いて素敵でした。<br />偉大なるメスキータを建立できたのは、イスラム文明の英知ですね。<br />誇ってもいい建造物であり文明であり世界遺産らしく見応えがありました。<br />メスキータは世界唯一の建造物だそうで、全構内は1236年に司教座聖堂として神聖化されたもので、美しく壮大な寺院では1日も欠かさず参事会が厳粛な礼拝を行っており、キリスト教社会の人々が神の言葉を聞き秘跡を受けるために集まる場所でもあるそうです。<br />ここの聖歌隊席に置かれたオルガンも豪華でしたね。

    コルドバ  メスキータ大聖堂 聖歌隊席の豪華な天井からは、光が差し込み装飾の模様などが光り輝いて素敵でした。
    偉大なるメスキータを建立できたのは、イスラム文明の英知ですね。
    誇ってもいい建造物であり文明であり世界遺産らしく見応えがありました。
    メスキータは世界唯一の建造物だそうで、全構内は1236年に司教座聖堂として神聖化されたもので、美しく壮大な寺院では1日も欠かさず参事会が厳粛な礼拝を行っており、キリスト教社会の人々が神の言葉を聞き秘跡を受けるために集まる場所でもあるそうです。
    ここの聖歌隊席に置かれたオルガンも豪華でしたね。

  • コルドバ  メスキータには立派な聖歌隊席のマホガニー材で彫られた 「109の椅子」 があるそうで圧巻でしたね。<br />後ウマイヤ王朝創始者 アブド・アッラフマーン1世の命を帯び785年に建てられ、その後4回増築され数万人を収容できる巨大なモスクとなったそうです。<br />13世紀のキリスト教統治時代には内部にカテドラルが造られ、イスラム教とキリスト教の2つが共存する珍しい建物になったそうです。<br />薄暗い闇の中に浮かび上がる赤茶と白の 「馬蹄型のアーチ」 が幻想的な美しさを観光客に迫まってきます。<br />

    コルドバ メスキータには立派な聖歌隊席のマホガニー材で彫られた 「109の椅子」 があるそうで圧巻でしたね。
    後ウマイヤ王朝創始者 アブド・アッラフマーン1世の命を帯び785年に建てられ、その後4回増築され数万人を収容できる巨大なモスクとなったそうです。
    13世紀のキリスト教統治時代には内部にカテドラルが造られ、イスラム教とキリスト教の2つが共存する珍しい建物になったそうです。
    薄暗い闇の中に浮かび上がる赤茶と白の 「馬蹄型のアーチ」 が幻想的な美しさを観光客に迫まってきます。

  • コルドバ 世界遺産  「旧ユダヤ人街」 の迷路歩きは城壁と美しい堀に沿って歩くと入口に着き、家の白い壁には鉢植えが飾られカラフルな花が咲き乱れておりました。<br />レストランやフラメンコのキュートなみやげ物も並ぶ通りは観光客などで、ぶつかる程賑わっておりました。<br />レストランやみやげ物店も多いので土産探しや休憩によいと聞きましたが、今日は天気も良かったので観光客が多かったようですね。

    コルドバ 世界遺産 「旧ユダヤ人街」 の迷路歩きは城壁と美しい堀に沿って歩くと入口に着き、家の白い壁には鉢植えが飾られカラフルな花が咲き乱れておりました。
    レストランやフラメンコのキュートなみやげ物も並ぶ通りは観光客などで、ぶつかる程賑わっておりました。
    レストランやみやげ物店も多いので土産探しや休憩によいと聞きましたが、今日は天気も良かったので観光客が多かったようですね。

  • コルドバ 世界遺産 旧ユダヤ人街はメスキータの北西に広がるエリアで、15世紀末追放令が出るまでユダヤ人が住んでおられたようです。<br />迷路のように入り組む細い道の両側には、花が飾られた白壁の美しい家が並らんでおり、この場所 「花の小道」 は人気の撮影スポットだそうで混雑しており、人がやっと通れる程の道幅でわずか20m程の小道でしたが、細い路地のその壁やベランダに花が咲く様子が往時のユダヤ人街らしいとして知られているようですね。<br />奥にみえるミナレットはメスキータの塔です。<br />花の小道は世界遺産でありながら、閑静なアンダルシア居住区の生活環も感じられて中世の面影が残る白壁の街で追放されたユダヤ人郷愁の地らしい観光に力を注いでおられて、小生には印象に残った街でした。<br />

    コルドバ 世界遺産 旧ユダヤ人街はメスキータの北西に広がるエリアで、15世紀末追放令が出るまでユダヤ人が住んでおられたようです。
    迷路のように入り組む細い道の両側には、花が飾られた白壁の美しい家が並らんでおり、この場所 「花の小道」 は人気の撮影スポットだそうで混雑しており、人がやっと通れる程の道幅でわずか20m程の小道でしたが、細い路地のその壁やベランダに花が咲く様子が往時のユダヤ人街らしいとして知られているようですね。
    奥にみえるミナレットはメスキータの塔です。
    花の小道は世界遺産でありながら、閑静なアンダルシア居住区の生活環も感じられて中世の面影が残る白壁の街で追放されたユダヤ人郷愁の地らしい観光に力を注いでおられて、小生には印象に残った街でした。

  • コルドバ メスキータの 「オレンジの中庭とミナレット」 です。<br />敷地内への入場門をくぐると、オレンジの中庭に出ます。<br />オレンジの木々が敷地一杯に植えられてほのかな香りを漂わせている中庭で、みそぎの空間だったそうです。<br />昔は、椰子の木やオリーブが植えられていたそうです。<br />モスクに必要不可欠な施設でイスラム教徒は祈りの前に、ここで身を清めたと云われています。中央に見えるのはミナレット(鐘楼)です。<br />

    コルドバ メスキータの 「オレンジの中庭とミナレット」 です。
    敷地内への入場門をくぐると、オレンジの中庭に出ます。
    オレンジの木々が敷地一杯に植えられてほのかな香りを漂わせている中庭で、みそぎの空間だったそうです。
    昔は、椰子の木やオリーブが植えられていたそうです。
    モスクに必要不可欠な施設でイスラム教徒は祈りの前に、ここで身を清めたと云われています。中央に見えるのはミナレット(鐘楼)です。

  • 4日目 セビーリャ 「スペイン広場」 です。<br />マリア・ルイサ公園敷地内の全景を撮りましたが、広くて入りきりません。<br />素晴らしく眺めの良い豪華な建物が並んで、また建物前の床には文様が彫られ美しく飾られていました。<br />そして建物、運河に架かる橋、欄干、階段そしてベンチなどの装飾はセビーリャ陶器のようで、またこの場所は映画のアラビアのローレンスやスターウオーズ2などの撮影に建物や広場が使われたこともあるそうです。

    4日目 セビーリャ 「スペイン広場」 です。
    マリア・ルイサ公園敷地内の全景を撮りましたが、広くて入りきりません。
    素晴らしく眺めの良い豪華な建物が並んで、また建物前の床には文様が彫られ美しく飾られていました。
    そして建物、運河に架かる橋、欄干、階段そしてベンチなどの装飾はセビーリャ陶器のようで、またこの場所は映画のアラビアのローレンスやスターウオーズ2などの撮影に建物や広場が使われたこともあるそうです。

  • セビーリャ 「スペインン広場」 です。<br />水路に架かる橋の欄干や建物に使用された 「陶器がアクセント」 となっているそうです。<br />また水路に沿って 「陶器でできたベンチ」 もありました。<br />運河に架かる橋にも陶器を使用しており美しくカラフルで壮観でした。<br />また、その欄干下の 「水面に写るミナレット」 は素晴らしく 見逃しませんでした。<br />手漕ぎボートで細い水路を進んでも楽しめる広場ですね。<br />そして反対側の広場には観光用馬車が何台も待機してるのが見えましたが、スペインは馬車が走るのが似合う街だと感じました。

    イチオシ

    セビーリャ 「スペインン広場」 です。
    水路に架かる橋の欄干や建物に使用された 「陶器がアクセント」 となっているそうです。
    また水路に沿って 「陶器でできたベンチ」 もありました。
    運河に架かる橋にも陶器を使用しており美しくカラフルで壮観でした。
    また、その欄干下の 「水面に写るミナレット」 は素晴らしく 見逃しませんでした。
    手漕ぎボートで細い水路を進んでも楽しめる広場ですね。
    そして反対側の広場には観光用馬車が何台も待機してるのが見えましたが、スペインは馬車が走るのが似合う街だと感じました。

  • セビーリャ 「スペイン広場」 の建物はマリア・ルイサ公園の敷地内にあり、セビーリャを象徴する近代的な広場だそうです。<br />柱廊がある半円型の建物とその前に水路が設けられており1929年のイベロアメリカ博覧会の中心となった建物だそうです。<br />市民の憩いの広場になっているのが分かりますね。<br />建物は現在、州政府のオフィスなどに使われているようです。

    セビーリャ 「スペイン広場」 の建物はマリア・ルイサ公園の敷地内にあり、セビーリャを象徴する近代的な広場だそうです。
    柱廊がある半円型の建物とその前に水路が設けられており1929年のイベロアメリカ博覧会の中心となった建物だそうです。
    市民の憩いの広場になっているのが分かりますね。
    建物は現在、州政府のオフィスなどに使われているようです。

  • セビーリャ 「スペイン広場」 で、多数の壁画陶器が彩る美しい広場のアンダルシア各州の特徴を描いた 「地図やタイルアート」 は必見だそうです。<br />その地図やタイルアートは建物壁部に何枚も精巧に貼り付けてあり、そのタイルアートを見せていただきました。

    セビーリャ 「スペイン広場」 で、多数の壁画陶器が彩る美しい広場のアンダルシア各州の特徴を描いた 「地図やタイルアート」 は必見だそうです。
    その地図やタイルアートは建物壁部に何枚も精巧に貼り付けてあり、そのタイルアートを見せていただきました。

  • セビーリャ 「スペイン広場」 です。。<br />折しも 「ドン・キホーテに関するタイルアート」 を補修している様子が見られ、女性技術者が筆先などを自由に駆使してそれは見事なものでした。<br />スペインを象徴する人気者のドン・キホーテとサンチョ・パンサのタイルアートでしたから興味を持って最後まで拝見させていただきました。

    セビーリャ 「スペイン広場」 です。。
    折しも 「ドン・キホーテに関するタイルアート」 を補修している様子が見られ、女性技術者が筆先などを自由に駆使してそれは見事なものでした。
    スペインを象徴する人気者のドン・キホーテとサンチョ・パンサのタイルアートでしたから興味を持って最後まで拝見させていただきました。

  • かって、イスラムの教のミナレットであった 「ヒラルダの塔」 です。<br />セビーリャのシンボルであるこの塔は現在は、大聖堂の鐘楼となっており高さ94mの鐘楼は立派でしたね。<br />イスラム時代は礼拝の呼びかけをする鐘楼だったようで16世紀にルネサンス様式に改築され、イスラム建築の特徴を持つ街のシンボルになったようですね。<br />塔の上にはヒラルディーリョと呼ばれる風見鶏として、ギリシャ神話のアテネ像を設置したと云われているそうです。

    かって、イスラムの教のミナレットであった 「ヒラルダの塔」 です。
    セビーリャのシンボルであるこの塔は現在は、大聖堂の鐘楼となっており高さ94mの鐘楼は立派でしたね。
    イスラム時代は礼拝の呼びかけをする鐘楼だったようで16世紀にルネサンス様式に改築され、イスラム建築の特徴を持つ街のシンボルになったようですね。
    塔の上にはヒラルディーリョと呼ばれる風見鶏として、ギリシャ神話のアテネ像を設置したと云われているそうです。

  • セビーリャ   スペイン最大の 「大聖堂(カテドラル)」 は世界遺産です。<br />世界ではローマのサン・ピエトロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール寺院に次いで3番目の規模だそうです。 <br />13世紀半ばまでイスラム寺院でしたが レコンキスタによりキリスト教聖堂として造り替えられたそうです。<br />15世紀初頭 「後世の人が驚くほど大きなカテドラルを建てよう」 との決定で1403年から約100年の年月をかけて建造されたようです。<br />ルネサンスとゴシックの混合様式の巨大教会で、イスラム支配時代の影響からモスクの名残も残っており、歴史を感じた建物でした。<br />大聖堂の隣には、ヒラルダの塔が建ち上から街が一望でき歴代の王たちやコロンブスの墓があるそうですね。<br />また、セビーリャの春祭りはスペインの三大祭りの一つだそうです。

    セビーリャ スペイン最大の 「大聖堂(カテドラル)」 は世界遺産です。
    世界ではローマのサン・ピエトロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール寺院に次いで3番目の規模だそうです。
    13世紀半ばまでイスラム寺院でしたが レコンキスタによりキリスト教聖堂として造り替えられたそうです。
    15世紀初頭 「後世の人が驚くほど大きなカテドラルを建てよう」 との決定で1403年から約100年の年月をかけて建造されたようです。
    ルネサンスとゴシックの混合様式の巨大教会で、イスラム支配時代の影響からモスクの名残も残っており、歴史を感じた建物でした。
    大聖堂の隣には、ヒラルダの塔が建ち上から街が一望でき歴代の王たちやコロンブスの墓があるそうですね。
    また、セビーリャの春祭りはスペインの三大祭りの一つだそうです。

  • セビーリャ  「黄金の塔」 は現在 海洋博物館として、この町の航海史資料も保管されているようです。<br />カテドラルから徒歩15分、グアダルキビール川沿いに立ち検問や防衛の役割を担いアルモアド朝の防衛施設として1220年に建てられ、かっては金色の陶器パネルで覆われていたという説やアメリカ大陸から持ち込まれた金属類の保管庫であったなどの説があるそうです。<br />アルカサルと港を結ぶ軍事拠点だったようでこのイスラム建築の砦は、かって開運で栄えた歴史を今に伝える塔でしたね。<br />観光後、ミハスヘバス移動しました。

    セビーリャ 「黄金の塔」 は現在 海洋博物館として、この町の航海史資料も保管されているようです。
    カテドラルから徒歩15分、グアダルキビール川沿いに立ち検問や防衛の役割を担いアルモアド朝の防衛施設として1220年に建てられ、かっては金色の陶器パネルで覆われていたという説やアメリカ大陸から持ち込まれた金属類の保管庫であったなどの説があるそうです。
    アルカサルと港を結ぶ軍事拠点だったようでこのイスラム建築の砦は、かって開運で栄えた歴史を今に伝える塔でしたね。
    観光後、ミハスヘバス移動しました。

  • アンダルシア地方 ミハス山麓に広がり地中海を見渡す 「アンダルシアを代表する白い村」を訪れました。<br />「アンダルシアのエッセンス」 とも云われているようです。<br />白い壁に工夫を凝らしているミハスで人気の 「サン・セバスチャン通り」 を散策しました。<br />石畳の両側に白壁の建物が続く通りですが、白壁の家が続く美しい街並みが魅力的でさすが人気の撮影スポットですごく綺麗でした。<br />坂道や階段が多く 「水が美味しい」 ことでも有名だそうです。

    アンダルシア地方 ミハス山麓に広がり地中海を見渡す 「アンダルシアを代表する白い村」を訪れました。
    「アンダルシアのエッセンス」 とも云われているようです。
    白い壁に工夫を凝らしているミハスで人気の 「サン・セバスチャン通り」 を散策しました。
    石畳の両側に白壁の建物が続く通りですが、白壁の家が続く美しい街並みが魅力的でさすが人気の撮影スポットですごく綺麗でした。
    坂道や階段が多く 「水が美味しい」 ことでも有名だそうです。

  • アンダルシア地方ミハスの村で、白壁がまぶしい小さな家が集まっていましたね。<br />「外壁が熱を持たないよう工夫された」 白い家々は 「灼熱の太陽 アンダルシアならではの風景」 だそうで、それそれの村では今でも素朴な生活が営まれていました。<br />現在は、白壁の家が続く街並みが魅力で年間を通して外国観光客で賑わい海抜420mにある街からは地中海と視野に広がる街を一望でき、晴れた日には遠くアフリカ大陸も見られるそうです。<br />名物ロバタクシーや山の中腹にある街を展望台から望む絶景も美しく人気の街でしたね。<br />

    アンダルシア地方ミハスの村で、白壁がまぶしい小さな家が集まっていましたね。
    「外壁が熱を持たないよう工夫された」 白い家々は 「灼熱の太陽 アンダルシアならではの風景」 だそうで、それそれの村では今でも素朴な生活が営まれていました。
    現在は、白壁の家が続く街並みが魅力で年間を通して外国観光客で賑わい海抜420mにある街からは地中海と視野に広がる街を一望でき、晴れた日には遠くアフリカ大陸も見られるそうです。
    名物ロバタクシーや山の中腹にある街を展望台から望む絶景も美しく人気の街でしたね。

  • アンダルシア地方のミハス ラ・リベルタ広場の南側にある1900年に完成した世界最小とも云われる四角に近い珍しい形をした 「ミハスス闘牛場」 が急な坂を上がるとありました。<br />白熱の勝負闘牛シーンは10月で終了しており見れませんでしたが、小生にはあの歓声が聞こえてくるようでした。<br />博物館も併設しており、闘牛士の衣装などが展示されておりました。<br />「闘牛」 はアンダルシア地方に深く根付いている伝統の一つでアンダルシア全土で人気があるようですね。

    アンダルシア地方のミハス ラ・リベルタ広場の南側にある1900年に完成した世界最小とも云われる四角に近い珍しい形をした 「ミハスス闘牛場」 が急な坂を上がるとありました。
    白熱の勝負闘牛シーンは10月で終了しており見れませんでしたが、小生にはあの歓声が聞こえてくるようでした。
    博物館も併設しており、闘牛士の衣装などが展示されておりました。
    「闘牛」 はアンダルシア地方に深く根付いている伝統の一つでアンダルシア全土で人気があるようですね。

  • アンダルシア地方のミハスの白い村を散策しながら、お目当ての土産物屋で買物を済ませ、歩き疲れで一休みです。<br />地中海沿いのフエンヒローラから北へ約8?に位置するミハス山麓に広がる小さな村で、歴史は古くフェニキア人によって銀錫の採掘がおこなわれ鉱山ができたことに始まるそうです。<br />また、ミハスの土産に有名2店の 「アマポーラ」 ではアンダルシアに咲く草花を使った押し花アクセサリーを扱うショップでペンダントネックレスを、「エニェ」では世界で一つeneマークの闘牛などのスペインらしいモチーフがデザインされた専門店でブランドTシャツを購入しましたが、孫たちが喜んでくれるとうれしいのですが…。<br />

    アンダルシア地方のミハスの白い村を散策しながら、お目当ての土産物屋で買物を済ませ、歩き疲れで一休みです。
    地中海沿いのフエンヒローラから北へ約8?に位置するミハス山麓に広がる小さな村で、歴史は古くフェニキア人によって銀錫の採掘がおこなわれ鉱山ができたことに始まるそうです。
    また、ミハスの土産に有名2店の 「アマポーラ」 ではアンダルシアに咲く草花を使った押し花アクセサリーを扱うショップでペンダントネックレスを、「エニェ」では世界で一つeneマークの闘牛などのスペインらしいモチーフがデザインされた専門店でブランドTシャツを購入しましたが、孫たちが喜んでくれるとうれしいのですが…。

  • アンダルシア地方のミハス サンセバスチャン通りでオリーブ石鹸などを売る店 マリポサ(MARI POSA)の店頭には、ミハス(Mijas Pueblo)の案内地図が掲示されていました。<br />留守の仲間へ緑色の透き通るような表面に小さな花をあしらった可愛いオリジナルパッケージをした100%無添加で疑固剤不使用のアトピーなど敏感肌でもOKと評判のオリーブ石鹸をお土産に買い求めました。<br />代金支払い後、おカミさんから旅の記念に美しいポストカードをいただきました。

    アンダルシア地方のミハス サンセバスチャン通りでオリーブ石鹸などを売る店 マリポサ(MARI POSA)の店頭には、ミハス(Mijas Pueblo)の案内地図が掲示されていました。
    留守の仲間へ緑色の透き通るような表面に小さな花をあしらった可愛いオリジナルパッケージをした100%無添加で疑固剤不使用のアトピーなど敏感肌でもOKと評判のオリーブ石鹸をお土産に買い求めました。
    代金支払い後、おカミさんから旅の記念に美しいポストカードをいただきました。

  • アンダルシア地方のミハス 山の斜面に白い家々が建ち並ぶ風景は素敵でした。<br />そして厳かな雰囲気が漂うラ・ペーニャ礼拝堂が佇みます。<br />また見晴らし台の先には僧が岩を掘って作ったと云われている、祠のマリア様礼拝堂もあり、街中には 「AGUA POTABLE」 と書かれた水飲み場がありました。<br />陽光があたる日当たりの良い人気場所では観光客が集まってくつろいでいるようです。コーヒーを飲みながらの一休みも旅ならではの楽しみですよね。<br />今日も晴れて日差しは眩しいですが、爽やかな気持ちのよい日でした。

    アンダルシア地方のミハス 山の斜面に白い家々が建ち並ぶ風景は素敵でした。
    そして厳かな雰囲気が漂うラ・ペーニャ礼拝堂が佇みます。
    また見晴らし台の先には僧が岩を掘って作ったと云われている、祠のマリア様礼拝堂もあり、街中には 「AGUA POTABLE」 と書かれた水飲み場がありました。
    陽光があたる日当たりの良い人気場所では観光客が集まってくつろいでいるようです。コーヒーを飲みながらの一休みも旅ならではの楽しみですよね。
    今日も晴れて日差しは眩しいですが、爽やかな気持ちのよい日でした。

  • アンダルシア地方  ミハス街散策の集合場所は街が望める展望台です。<br />散策などを終えた旅仲間が集まってきました。<br />子供達に人気のロバの銅像があり、大人でも背中に乗れましたね。<br />予定したみやげ品も買えて、展望台からの地中海や白い村散策等は終了しました。<br />バスの車窓から“日本の皆様ありがとう”の看板を見つけました。(こちらこそ、ありがとうございました。本当に癒されました。)<br />16:10に集合し、バスで次の地 グラナダへ移動しました。<br /><br />

    アンダルシア地方 ミハス街散策の集合場所は街が望める展望台です。
    散策などを終えた旅仲間が集まってきました。
    子供達に人気のロバの銅像があり、大人でも背中に乗れましたね。
    予定したみやげ品も買えて、展望台からの地中海や白い村散策等は終了しました。
    バスの車窓から“日本の皆様ありがとう”の看板を見つけました。(こちらこそ、ありがとうございました。本当に癒されました。)
    16:10に集合し、バスで次の地 グラナダへ移動しました。

  • レストランでの夕食後に、グラナダ アルハンブラ夜景観賞をしました。<br />アルバイシンの丘の上から拝見しましたが、アルハンブラ宮殿の右側へ転じると奥の方に光輝くのは 「グラナダの街並みの夜景」 です。<br />家々の明かりや街の輝きがとても綺麗でしたね。<br />闇の中に優美なイスラム芸術が浮き上がり、ロマンチックなムード満点でした。<br />

    レストランでの夕食後に、グラナダ アルハンブラ夜景観賞をしました。
    アルバイシンの丘の上から拝見しましたが、アルハンブラ宮殿の右側へ転じると奥の方に光輝くのは 「グラナダの街並みの夜景」 です。
    家々の明かりや街の輝きがとても綺麗でしたね。
    闇の中に優美なイスラム芸術が浮き上がり、ロマンチックなムード満点でした。

  • 外観がライトアップされるのでアルハンブラ宮殿が浮かび上がるグラナダ 「アルハンブラ夜景観賞」 へ今日は二回も参加できました。<br />アルバイシンの丘の上から拝見しましたが、とても幻想的に見えました。<br />鮮明に浮かび上がるアルハンブラ宮殿のライトアップは成功でしたね。<br />昼間は多くの観光客で混雑するので比較的人の少ない夜の部で見学するのもお勧めだそうです。<br />アルハンブラ夜景観賞は、今回の夜が長い季節限定の特別企画でした。

    イチオシ

    外観がライトアップされるのでアルハンブラ宮殿が浮かび上がるグラナダ 「アルハンブラ夜景観賞」 へ今日は二回も参加できました。
    アルバイシンの丘の上から拝見しましたが、とても幻想的に見えました。
    鮮明に浮かび上がるアルハンブラ宮殿のライトアップは成功でしたね。
    昼間は多くの観光客で混雑するので比較的人の少ない夜の部で見学するのもお勧めだそうです。
    アルハンブラ夜景観賞は、今回の夜が長い季節限定の特別企画でした。

  • グラナダ 「洞窟フラメンコ ロス・タラントス」 の洞窟内に施された装飾は、ギター奏者などの写真、舞台の色がを変えられるるライトそしてお玉のような、スプーンの大きなものが何本もぶら下げられ装飾された不思議な雰囲気でしたね。<br />スペインの三大エンターテイメントである熱く華やかな洞窟フラメンコを聴きに行きました。<br />現地の方はフラメンコを見に行くとは言わずに、フラメンコを聴きに行くと言うそうです。<br /><br />

    グラナダ 「洞窟フラメンコ ロス・タラントス」 の洞窟内に施された装飾は、ギター奏者などの写真、舞台の色がを変えられるるライトそしてお玉のような、スプーンの大きなものが何本もぶら下げられ装飾された不思議な雰囲気でしたね。
    スペインの三大エンターテイメントである熱く華やかな洞窟フラメンコを聴きに行きました。
    現地の方はフラメンコを見に行くとは言わずに、フラメンコを聴きに行くと言うそうです。

  • グラナダ 「洞窟フラメンコ ロス・タラントス」 の洞窟内壁に張り出された写真ですが、踊り手で最も人気のあったバイラオーラだそうで美しいですね。<br />アンダルシアに根強く残るもう一つの文化であるフラメンコは、この地を代表する伝統芸能だそうです。<br />今日、送迎車で何か所かのお客を乗せてここに案内されたのですが、そのほとんどの方は地元の人でしたが盛況で、金曜の夜でしたが人気の芸能なんですね。

    グラナダ 「洞窟フラメンコ ロス・タラントス」 の洞窟内壁に張り出された写真ですが、踊り手で最も人気のあったバイラオーラだそうで美しいですね。
    アンダルシアに根強く残るもう一つの文化であるフラメンコは、この地を代表する伝統芸能だそうです。
    今日、送迎車で何か所かのお客を乗せてここに案内されたのですが、そのほとんどの方は地元の人でしたが盛況で、金曜の夜でしたが人気の芸能なんですね。

  • グラナダ 「洞窟フラメンコ ロス・タラントス 」 での女性の踊りが絶好調になってきまして、その靴音が直接的に腹のあたりに響きます。<br />繊細なギターの音色も、魂を震わせる歌声も、哀愁をおびて良かったですね。<br />フラメンコとは歌、手拍子、ギター演奏、踊りの4要素からなる楽譜のない即興芸術だそうですね。<br />スペイン南部に住んでいたロム族の伝統的な踊りが期限といわれ、アンダルシア地方の民族舞踊と融合してできたそうです。

    グラナダ 「洞窟フラメンコ ロス・タラントス 」 での女性の踊りが絶好調になってきまして、その靴音が直接的に腹のあたりに響きます。
    繊細なギターの音色も、魂を震わせる歌声も、哀愁をおびて良かったですね。
    フラメンコとは歌、手拍子、ギター演奏、踊りの4要素からなる楽譜のない即興芸術だそうですね。
    スペイン南部に住んでいたロム族の伝統的な踊りが期限といわれ、アンダルシア地方の民族舞踊と融合してできたそうです。

  • グラナダ 「洞窟フラメンコ ロス・タラントス」 女性踊り手のクライマックスで情熱の舞に酔いしれました。<br />舞台がないため迫力を感じて楽しめ、ウエイターも親切で居心地のよいタブラオでしたね。<br />フラメンコの歴史はインドから放浪してきた人々が伝える舞踊音楽を彼ら流に作り上げたのが始まりだそうで、切なく激しい歌や踊りには迫害を受けてきた悲しみが込められているそうです。<br />この踊り手さんは、踊り始めには哀愁をおびた歌声も聞かせてくれましたね。<br />オレ! お見事!

    グラナダ 「洞窟フラメンコ ロス・タラントス」 女性踊り手のクライマックスで情熱の舞に酔いしれました。
    舞台がないため迫力を感じて楽しめ、ウエイターも親切で居心地のよいタブラオでしたね。
    フラメンコの歴史はインドから放浪してきた人々が伝える舞踊音楽を彼ら流に作り上げたのが始まりだそうで、切なく激しい歌や踊りには迫害を受けてきた悲しみが込められているそうです。
    この踊り手さんは、踊り始めには哀愁をおびた歌声も聞かせてくれましたね。
    オレ! お見事!

  • グラナダ 「洞窟フラメンコ ロス・タラントス」 でのトリを務めるルイス・デ・ルイス男性踊り手の迫力を感じながら、その足さばきは近くで見ている人の腹底などに伝わる響きが身体に痺れるような感動として伝わりました。<br />オレ!素晴らしい!

    グラナダ 「洞窟フラメンコ ロス・タラントス」 でのトリを務めるルイス・デ・ルイス男性踊り手の迫力を感じながら、その足さばきは近くで見ている人の腹底などに伝わる響きが身体に痺れるような感動として伝わりました。
    オレ!素晴らしい!

  • グラナダ 「洞窟フラメンコ ロス・タラントス」 では、踊り手養成教育訓練も行われていました。<br />彼女の独特の踊りも若さがあって新鮮で素晴らしかったです。<br />明日を担なえるよう訓練されて、華やかな舞台で主張できる踊り手になれるよう頑張ってくださいね。

    グラナダ 「洞窟フラメンコ ロス・タラントス」 では、踊り手養成教育訓練も行われていました。
    彼女の独特の踊りも若さがあって新鮮で素晴らしかったです。
    明日を担なえるよう訓練されて、華やかな舞台で主張できる踊り手になれるよう頑張ってくださいね。

  • 5日目 グラナダ観光地へ移動中、車窓から「オリーブ畑」が林のように延々と続きます。、どこまでも…。<br />オリーブの実を育てるそしてその実を収穫する作業は大変だと思われますが、作業にはモロッコ国の人々が応援されてるようですね。<br />この豊富なオリーブを食材として、サラダや料理に使用し美味しく健康に、また石鹸やシャンプーなども利用したいですね。<br />こんなに豊かなオリーブ畑を所有しているスペイン国は何とも羨ましいですね。<br /><br />

    5日目 グラナダ観光地へ移動中、車窓から「オリーブ畑」が林のように延々と続きます。、どこまでも…。
    オリーブの実を育てるそしてその実を収穫する作業は大変だと思われますが、作業にはモロッコ国の人々が応援されてるようですね。
    この豊富なオリーブを食材として、サラダや料理に使用し美味しく健康に、また石鹸やシャンプーなども利用したいですね。
    こんなに豊かなオリーブ畑を所有しているスペイン国は何とも羨ましいですね。

  • グラナダ 「ヘネラリフェ庭園」 の植物トンネルから糸杉と噴水などの水路が見えます。<br />流水は水路を通り宮殿内の隅々まで届けられるように設備されているようです。<br />13世紀のモハメド2世の時代に建築されたそうで、代々の王朝の王たちが休暇を過ごした夏の別荘で、一面が繁った緑の木々であふれ心地よい水の音が響く庭園にイスラムならではの壮美な建築物が調和しているようですね。<br />ヘネラリフェは、アラビア語で「建築家の庭園」という意味だそうです。

    グラナダ 「ヘネラリフェ庭園」 の植物トンネルから糸杉と噴水などの水路が見えます。
    流水は水路を通り宮殿内の隅々まで届けられるように設備されているようです。
    13世紀のモハメド2世の時代に建築されたそうで、代々の王朝の王たちが休暇を過ごした夏の別荘で、一面が繁った緑の木々であふれ心地よい水の音が響く庭園にイスラムならではの壮美な建築物が調和しているようですね。
    ヘネラリフェは、アラビア語で「建築家の庭園」という意味だそうです。

  • グラナダ  ヘネラリフェ庭園の茂った見事な糸杉など植物が手入れされ、管理なども良く糸杉はちょうど見頃でしたね。<br />アセキアのある中庭(全長50mもあるそうです。)、スルタナの中庭(キプロス人の中庭ともよばれるそうです。)、アルカサル庭園、ダラクサの庭、パルタル庭園、王妃の中庭などの庭があるそうで、宮殿内を回るにはかなり歩くことになり素敵な模様が装飾された床面に置かれたベンチに腰掛けて休めるのもいいですよね。

    グラナダ ヘネラリフェ庭園の茂った見事な糸杉など植物が手入れされ、管理なども良く糸杉はちょうど見頃でしたね。
    アセキアのある中庭(全長50mもあるそうです。)、スルタナの中庭(キプロス人の中庭ともよばれるそうです。)、アルカサル庭園、ダラクサの庭、パルタル庭園、王妃の中庭などの庭があるそうで、宮殿内を回るにはかなり歩くことになり素敵な模様が装飾された床面に置かれたベンチに腰掛けて休めるのもいいですよね。

  • グラナダ  ヘネラリフェ庭園の緑の植物などに小さな噴水からの水しぶきが、そして小さな泉水が、涼しさを振りまき小さな泉水器は植物の生育になくてはならない給水の役目を果たしているのですね。<br />見事な庭園に囲まれた至福の別荘で、代々の王朝の王様たちが休暇を過ごした夏に利用されていたみたいで、またの名を「水の宮殿」とよばれる夏の離宮ですね。<br />小さい噴水が風景に彩りを添えた至高の庭園を散歩できるのは最高の気分でした。

    グラナダ ヘネラリフェ庭園の緑の植物などに小さな噴水からの水しぶきが、そして小さな泉水が、涼しさを振りまき小さな泉水器は植物の生育になくてはならない給水の役目を果たしているのですね。
    見事な庭園に囲まれた至福の別荘で、代々の王朝の王様たちが休暇を過ごした夏に利用されていたみたいで、またの名を「水の宮殿」とよばれる夏の離宮ですね。
    小さい噴水が風景に彩りを添えた至高の庭園を散歩できるのは最高の気分でした。

  • グラナダ   ヘネラリフェ庭園の入口の手前にある前庭からは、アルハンブラ宮殿が一望できまた、グラナダの街並みも見渡せるようで、このような絶景ポイントが多いのも魅力のひとつですね。<br />アルハンブラ宮殿敷地内にある国営ホテルのパラドールは、スペイン各地のパラドールの中でも最も高い人気を誇っているそうで、アルハンブラ宮殿が隣接しているので徒歩で宮殿へ向かうことができるのですね。

    グラナダ ヘネラリフェ庭園の入口の手前にある前庭からは、アルハンブラ宮殿が一望できまた、グラナダの街並みも見渡せるようで、このような絶景ポイントが多いのも魅力のひとつですね。
    アルハンブラ宮殿敷地内にある国営ホテルのパラドールは、スペイン各地のパラドールの中でも最も高い人気を誇っているそうで、アルハンブラ宮殿が隣接しているので徒歩で宮殿へ向かうことができるのですね。

  • グラナダ ヘネラリフェ庭園の一番の見所だそうで、約50mのアセキア(掘割)のある中庭を中心にブーゲンビリアが咲く美しい庭では多くの愛憎劇が生まれたと云われているそうです。<br />中庭に面する回廊は1314〜1325年のイスマイル2世の時代にできたものだそうで、北側の建物は壁の石膏技術の模様などに見応えがありました。<br />アセキア中庭に囲まれた至福の別荘では、掘割の水しぶきと紫の花の色に涼を感じましたね。

    グラナダ ヘネラリフェ庭園の一番の見所だそうで、約50mのアセキア(掘割)のある中庭を中心にブーゲンビリアが咲く美しい庭では多くの愛憎劇が生まれたと云われているそうです。
    中庭に面する回廊は1314〜1325年のイスマイル2世の時代にできたものだそうで、北側の建物は壁の石膏技術の模様などに見応えがありました。
    アセキア中庭に囲まれた至福の別荘では、掘割の水しぶきと紫の花の色に涼を感じましたね。

  • グラナダ ヘネラリフェ庭園の植物で造ったトンネルから糸杉、紅葉林、葡萄棚、秋色に色づいた木々などが見えます。<br />「水の宮殿」と呼ばれる糸杉などが、天高く伸びる庭園散策を満喫できました。<br /><br />

    グラナダ ヘネラリフェ庭園の植物で造ったトンネルから糸杉、紅葉林、葡萄棚、秋色に色づいた木々などが見えます。
    「水の宮殿」と呼ばれる糸杉などが、天高く伸びる庭園散策を満喫できました。

  • グラナダ ヘネラリフェ庭園の中に大きな用水路が設けてありました。<br />シエラ・ネバタ山脈から引かれた雪解け水が流れるよう大きな要塞のような水路を通り宮殿内の隅々まで届けられるように設備などが設けられていたのですね。<br />水路についても納得できました。<br />至福のヘネラリーフェ庭園を散策でき気分は最高です。<br />

    グラナダ ヘネラリフェ庭園の中に大きな用水路が設けてありました。
    シエラ・ネバタ山脈から引かれた雪解け水が流れるよう大きな要塞のような水路を通り宮殿内の隅々まで届けられるように設備などが設けられていたのですね。
    水路についても納得できました。
    至福のヘネラリーフェ庭園を散策でき気分は最高です。

  • グラナダ ヘネラリフェ庭園散策の途中では、高台からの 「アルバイシン地域」 の街が今日は青空の下にくっきりと見えました。<br />宮殿の北側、ダロ川を隔ててある丘がアルバイシン地区だそうです。<br />ナスル王朝時代に一般住民の住居区として作られ、当時の街並みが今も残っているようでグラナダの旧市街の中でも最も古い地区で白壁の家々が、立ち並んで見えますね。<br />

    グラナダ ヘネラリフェ庭園散策の途中では、高台からの 「アルバイシン地域」 の街が今日は青空の下にくっきりと見えました。
    宮殿の北側、ダロ川を隔ててある丘がアルバイシン地区だそうです。
    ナスル王朝時代に一般住民の住居区として作られ、当時の街並みが今も残っているようでグラナダの旧市街の中でも最も古い地区で白壁の家々が、立ち並んで見えますね。

  • スペインのルネッサンス期の建造物を代表するアルハンブラ宮殿 「カルロス5世宮殿」 は円形の中庭を列柱が囲む中世の重厚な宮殿で、16世紀にカルロス1世(ローマ皇帝カール5世)の命で建設されたそうで正方形建物の内側は円形になっており、設計は建築家ペドロ・マチュカが担当したそうです。<br />円形の宮殿をぐるりと見回して拝見しましたが、イスラム王国ナスル朝時代に拡張された宮殿でイスラム文化阻止のキリスト教国土回復運動により、宗教融合文化が生まれて今でもその名残を見ることができ最高の気分でした。<br />現在は、1階がアルハンブラ博物館、2階が県立美術館として利用されています。

    スペインのルネッサンス期の建造物を代表するアルハンブラ宮殿 「カルロス5世宮殿」 は円形の中庭を列柱が囲む中世の重厚な宮殿で、16世紀にカルロス1世(ローマ皇帝カール5世)の命で建設されたそうで正方形建物の内側は円形になっており、設計は建築家ペドロ・マチュカが担当したそうです。
    円形の宮殿をぐるりと見回して拝見しましたが、イスラム王国ナスル朝時代に拡張された宮殿でイスラム文化阻止のキリスト教国土回復運動により、宗教融合文化が生まれて今でもその名残を見ることができ最高の気分でした。
    現在は、1階がアルハンブラ博物館、2階が県立美術館として利用されています。

  • グラナダ アルハンブラ宮殿の大きな柱の前でグラナダ現地添乗員の丁寧な説明を聞きました。<br />アンダルシア地方の中心地グラナダはスペイン イベリア半島最後のイスラム王朝だそうで、ナスル王朝が築かれた町で13世紀初めから1492年キリスト教徒にグラナダを奪回されるまでの約250年の間、ナスル王朝の政治、経済、文化の都として繁栄を極めたそうです。<br />芸術の粋を極めたといわれる「アルハンブラ宮殿」はグラナダの名を世界に広めたようですね。

    グラナダ アルハンブラ宮殿の大きな柱の前でグラナダ現地添乗員の丁寧な説明を聞きました。
    アンダルシア地方の中心地グラナダはスペイン イベリア半島最後のイスラム王朝だそうで、ナスル王朝が築かれた町で13世紀初めから1492年キリスト教徒にグラナダを奪回されるまでの約250年の間、ナスル王朝の政治、経済、文化の都として繁栄を極めたそうです。
    芸術の粋を極めたといわれる「アルハンブラ宮殿」はグラナダの名を世界に広めたようですね。

  • グラナダを象徴するアルハンブラ宮殿には数多くの伝説が語り継がれ、その歴史的、芸術的価値はユネスコの世界遺産に登録されています。<br />宮殿はアルカサバ、ベルメハスの塔、ワインの門(王宮の入り口)、メスアールの間(執務室)、祈祷室、黄金の間、アラヤネスの中庭、コマレスの塔、コマレス宮、大使の間、ライオン宮、ライオンの噴水、諸王の間、二姉妹の間、リンダラハの望楼、科術の間、パルタル、捕虜の塔、王女たちの塔などがあるそうです。<br />公邸兼執務行政区であったコマレス宮、私邸兼ハレムであったライオン宮に区分されてたそうですね。

    グラナダを象徴するアルハンブラ宮殿には数多くの伝説が語り継がれ、その歴史的、芸術的価値はユネスコの世界遺産に登録されています。
    宮殿はアルカサバ、ベルメハスの塔、ワインの門(王宮の入り口)、メスアールの間(執務室)、祈祷室、黄金の間、アラヤネスの中庭、コマレスの塔、コマレス宮、大使の間、ライオン宮、ライオンの噴水、諸王の間、二姉妹の間、リンダラハの望楼、科術の間、パルタル、捕虜の塔、王女たちの塔などがあるそうです。
    公邸兼執務行政区であったコマレス宮、私邸兼ハレムであったライオン宮に区分されてたそうですね。

  • グラナダ アルハンブラ宮殿入口には装飾見本が展示されていました。<br />また、細かい模様の木組みの天井や壁と床の装飾に注目してほしいと、現地添乗員から説明がありました。<br />キリスト教とは異なり、偶像崇拝が禁止されているイスラム教では聖堂建築、建築物の装飾に植物や幾何学模様、アラビア文字を使った文字装飾(アラベスク)が使われているようです。

    グラナダ アルハンブラ宮殿入口には装飾見本が展示されていました。
    また、細かい模様の木組みの天井や壁と床の装飾に注目してほしいと、現地添乗員から説明がありました。
    キリスト教とは異なり、偶像崇拝が禁止されているイスラム教では聖堂建築、建築物の装飾に植物や幾何学模様、アラビア文字を使った文字装飾(アラベスク)が使われているようです。

  • グラナダ アルハンブラ宮殿 かっての政治の中心 「メスアール宮」 はメスアールの間、祈祷室、黄金の間、ファサード、メスアールの中庭で構成されており最も注目したいのは行政や裁判が行われたメスアールの間で、1319年頃イスマイル1世の時代に建築され、アルハンブラ宮殿で最も古いと云われているそうです。<br />そのメスアール宮の通路側には彫刻が見える柱が向き合って建てられた年代の柱をズームで撮りました。

    グラナダ アルハンブラ宮殿 かっての政治の中心 「メスアール宮」 はメスアールの間、祈祷室、黄金の間、ファサード、メスアールの中庭で構成されており最も注目したいのは行政や裁判が行われたメスアールの間で、1319年頃イスマイル1世の時代に建築され、アルハンブラ宮殿で最も古いと云われているそうです。
    そのメスアール宮の通路側には彫刻が見える柱が向き合って建てられた年代の柱をズームで撮りました。

  • グラナダ アルハンブラ宮殿のメスアールの間には、細かい模様の木組みの天井や壁と床のタイル装飾に注目しましたら、色が薄くなっているように見える部分があり建築当初のものもあるそうですね。<br />キリスト教とは異なり偶像崇拝が禁止のイスラム教では、建築物の外観は質素でも内部には幾何学模様やモザイクなど息詰まる程の装飾が施されているのも特徴だそうです。

    グラナダ アルハンブラ宮殿のメスアールの間には、細かい模様の木組みの天井や壁と床のタイル装飾に注目しましたら、色が薄くなっているように見える部分があり建築当初のものもあるそうですね。
    キリスト教とは異なり偶像崇拝が禁止のイスラム教では、建築物の外観は質素でも内部には幾何学模様やモザイクなど息詰まる程の装飾が施されているのも特徴だそうです。

  • グラナダ アルハンブラ宮殿 二姉妹の間  「刻まれた詩」です。<br /> 壁面に施されているのはアラビア語のカリグラフィだそうです。<br />宮殿内のいたるところで緻密な装飾が見られました。

    グラナダ アルハンブラ宮殿 二姉妹の間 「刻まれた詩」です。
    壁面に施されているのはアラビア語のカリグラフィだそうです。
    宮殿内のいたるところで緻密な装飾が見られました。

  • グラナダ アルハンブラ宮殿のメスアール宮 アーチ型の窓枠内からはアルバイシン地区の街並みが望めました。

    グラナダ アルハンブラ宮殿のメスアール宮 アーチ型の窓枠内からはアルバイシン地区の街並みが望めました。

  • グラナダ アルカサバ 街を見下ろす堅牢な城塞です。<br />イスラム勢力の侵略以前の9世紀には存在していたアルハンブラ宮殿で最も古い部分だそうです。<br />モハメド1世の時代に塔を3つ建て、要塞として新たに建築したそうで1808〜1814年のスペイン独立戦争中には刑務所として使われていたようです。<br />遺構を見学できましたね。

    グラナダ アルカサバ 街を見下ろす堅牢な城塞です。
    イスラム勢力の侵略以前の9世紀には存在していたアルハンブラ宮殿で最も古い部分だそうです。
    モハメド1世の時代に塔を3つ建て、要塞として新たに建築したそうで1808〜1814年のスペイン独立戦争中には刑務所として使われていたようです。
    遺構を見学できましたね。

  • グラナダ アルハンブラ宮殿 黄金の間 ここで王は役人の謁見を受けていたそうです。<br />黄金の間の中庭にあるファサードに施された繊細な装飾は宮殿内で最も美しいと云われたようです。<br />一面に植物などをモチーフにした繊細なイスラム風で優美なアラベスク風な模様が施されており、往時は彩色されていたそうで、古都の名残を感じましたね。<br />

    グラナダ アルハンブラ宮殿 黄金の間 ここで王は役人の謁見を受けていたそうです。
    黄金の間の中庭にあるファサードに施された繊細な装飾は宮殿内で最も美しいと云われたようです。
    一面に植物などをモチーフにした繊細なイスラム風で優美なアラベスク風な模様が施されており、往時は彩色されていたそうで、古都の名残を感じましたね。

  • グラナダ アルハンブラ宮殿 コマレス宮のアラヤネスの中庭はミルテ(植物)の庭、用水池の庭、池の庭など昔からさまざまな名称で呼ばれてきたそうです。<br />現在の名称 「アラヤネス」 は天人花の意で左右に四角く刈り込んだ植物のことを指しているそうです。<br />コマレスの塔の前には池があり長さ34m、幅7mの長方形のフォルムが印象的で、2階に窓がある両サイドの建物は女性用の建物と云われているそうです。<br />この白大理石の柱は触ってみましたが…。<br />

    グラナダ アルハンブラ宮殿 コマレス宮のアラヤネスの中庭はミルテ(植物)の庭、用水池の庭、池の庭など昔からさまざまな名称で呼ばれてきたそうです。
    現在の名称 「アラヤネス」 は天人花の意で左右に四角く刈り込んだ植物のことを指しているそうです。
    コマレスの塔の前には池があり長さ34m、幅7mの長方形のフォルムが印象的で、2階に窓がある両サイドの建物は女性用の建物と云われているそうです。
    この白大理石の柱は触ってみましたが…。

  • グラナダ  アルハンブラ宮殿  ナスル朝宮殿 「コマレス宮」 は宮殿で最も重要な場所と云われる王の公的な住居と「アラヤネスの中庭」で、高さ45mの塔の内部にある 「バルカの間」 、宮殿最大広場の 「大使の間」 で構成されて、ユスリフ1世から息子のモハメド5世へ引き継いだ親子で美の探求をした結果を見れているのですね。<br />中庭の両側にある女性専用の居住区の窓は2対の窓が20個あるそうで、メスアールの中庭から左は公的な場へ、右は家族専用の場へとつながっているようです。<br />この大使の間でイスラム王ボアブディルがカトリック両王にグラナダヲ明け渡した部屋としても有名ですね。

    グラナダ  アルハンブラ宮殿  ナスル朝宮殿 「コマレス宮」 は宮殿で最も重要な場所と云われる王の公的な住居と「アラヤネスの中庭」で、高さ45mの塔の内部にある 「バルカの間」 、宮殿最大広場の 「大使の間」 で構成されて、ユスリフ1世から息子のモハメド5世へ引き継いだ親子で美の探求をした結果を見れているのですね。
    中庭の両側にある女性専用の居住区の窓は2対の窓が20個あるそうで、メスアールの中庭から左は公的な場へ、右は家族専用の場へとつながっているようです。
    この大使の間でイスラム王ボアブディルがカトリック両王にグラナダヲ明け渡した部屋としても有名ですね。

  • グラナダ・ヘネラリフェ庭園のアラヤネスの中庭、植物の庭・用水池の庭・池の庭など様々な名称で呼ばれてきたそうで、現在の名称「アラヤネス」は天人花の意味で左右に四角く刈り込んだ植物のことを指しているようです。<br />コマレス宮の鏡写しや塔に通じるパルカの間への入口となる石膏透かし彫りの7つのアーチ壁が映し出されております。<br />水面に映るアーチが美しいコマレスの塔や池を囲む植木の緑と大理石の白のコントラストが建築物を引き立てているそうです。

    イチオシ

    グラナダ・ヘネラリフェ庭園のアラヤネスの中庭、植物の庭・用水池の庭・池の庭など様々な名称で呼ばれてきたそうで、現在の名称「アラヤネス」は天人花の意味で左右に四角く刈り込んだ植物のことを指しているようです。
    コマレス宮の鏡写しや塔に通じるパルカの間への入口となる石膏透かし彫りの7つのアーチ壁が映し出されております。
    水面に映るアーチが美しいコマレスの塔や池を囲む植木の緑と大理石の白のコントラストが建築物を引き立てているそうです。

  • グラナダ  アルハンブラ宮殿見学のハイライトは、ナスル朝宮殿 ライオン宮の建物です。<br />イスラム建築ならではの職人技術が細部にまで詰まったアルハンブラ宮殿最大のみどころで、ライオン宮・コマレス宮・メスアール宮の3つに大きく分けることができ、増改築を繰り返してきたアルハンブラ宮殿の歴史を物語っているそうです。<br />内部には王の住居はもちろん外交や司法の場などの多様な建築と庭の数々が往年の姿をとどめているようです。

    グラナダ アルハンブラ宮殿見学のハイライトは、ナスル朝宮殿 ライオン宮の建物です。
    イスラム建築ならではの職人技術が細部にまで詰まったアルハンブラ宮殿最大のみどころで、ライオン宮・コマレス宮・メスアール宮の3つに大きく分けることができ、増改築を繰り返してきたアルハンブラ宮殿の歴史を物語っているそうです。
    内部には王の住居はもちろん外交や司法の場などの多様な建築と庭の数々が往年の姿をとどめているようです。

  • グラナダ゙  アルハンブラ宮殿   アベンセラヘスの間です。<br />幾つもの層に掘り出してある 「モカベ様式の天井」 が見所だそうで、モカラベスと呼ばれる鐘乳石のような装飾が目を惹き立体的で複雑な構造から 「蜂の巣天井」 とも呼ばれるそうで、花や星がモチーフになっているものが多いそうです。<br />壁面に施されているのは、アラビア語のカリグラフィだそうです。<br />宮殿内の至る所で緻密な装飾が見られますね。<br />この写真には写ってませんが、大理石の噴水についた薄茶色の染みはアベンセラヘス一族の血だと言われているそうですよ。ただし科学的には立証されていないようです

    イチオシ

    グラナダ゙ アルハンブラ宮殿 アベンセラヘスの間です。
    幾つもの層に掘り出してある 「モカベ様式の天井」 が見所だそうで、モカラベスと呼ばれる鐘乳石のような装飾が目を惹き立体的で複雑な構造から 「蜂の巣天井」 とも呼ばれるそうで、花や星がモチーフになっているものが多いそうです。
    壁面に施されているのは、アラビア語のカリグラフィだそうです。
    宮殿内の至る所で緻密な装飾が見られますね。
    この写真には写ってませんが、大理石の噴水についた薄茶色の染みはアベンセラヘス一族の血だと言われているそうですよ。ただし科学的には立証されていないようです

  • グラナダ アルハンブラ宮殿 「ライオンの中庭」は、12頭のライオンが噴水を支えており宮殿のシンボル的な存在だそうです。<br />コーランに書かれた天国をイメージして作られた庭園で、現在は石敷きとなっているが当時は草花が植えられた庭園だったといわれます。<br />また、ナスル朝の外交の場として使われていたとされ、この庭を囲む各スペースは王以外の男性が入れないハーレムだったと云われております。<br />水時計にもなっていた水盤をライオンの像が背中で支える噴水は人気の撮影スポットだそうで、かってはこの噴水は黄金に彩られ輝いていたそうですね。

    グラナダ アルハンブラ宮殿 「ライオンの中庭」は、12頭のライオンが噴水を支えており宮殿のシンボル的な存在だそうです。
    コーランに書かれた天国をイメージして作られた庭園で、現在は石敷きとなっているが当時は草花が植えられた庭園だったといわれます。
    また、ナスル朝の外交の場として使われていたとされ、この庭を囲む各スペースは王以外の男性が入れないハーレムだったと云われております。
    水時計にもなっていた水盤をライオンの像が背中で支える噴水は人気の撮影スポットだそうで、かってはこの噴水は黄金に彩られ輝いていたそうですね。

  • グラナダ アルハンブラ宮殿 ナスル朝宮殿 「二姉妹の間」 は8角のモカラベ様式の天井が美しい広間は夏季の住居として使われていたそうで、左右にまったく同じ大理石の敷石があることからこの名がついたそうで、ボアブディル王の母とその子供たちが住んでいたようで壁には幾つもの詩が刻まれていました。<br />また、リンダラハ望楼の階下には、緑豊かな糸杉やオレンジの木が涼やかな「リンダラハの中庭」も望めました。

    グラナダ アルハンブラ宮殿 ナスル朝宮殿 「二姉妹の間」 は8角のモカラベ様式の天井が美しい広間は夏季の住居として使われていたそうで、左右にまったく同じ大理石の敷石があることからこの名がついたそうで、ボアブディル王の母とその子供たちが住んでいたようで壁には幾つもの詩が刻まれていました。
    また、リンダラハ望楼の階下には、緑豊かな糸杉やオレンジの木が涼やかな「リンダラハの中庭」も望めました。

  • グラナダ アルハンブラ宮殿 二姉妹の間の奥には 「リンダラハの望楼」 があるようです。<br />望楼の天井は、ステンドグラスで色彩豊かに装飾されておりました。<br />また、階下には緑豊かなオレンジの木が涼やかなリンダラハの中庭も望めました。<br />それから5000個の鐘乳石飾りが丸天井を覆いつくし、その壁には宮殿で有名な 「美しく飾られた庭、その美しさはそれを目にした者のみが理解できるだろう」 という詩句が、刻まれているそうです。

    グラナダ アルハンブラ宮殿 二姉妹の間の奥には 「リンダラハの望楼」 があるようです。
    望楼の天井は、ステンドグラスで色彩豊かに装飾されておりました。
    また、階下には緑豊かなオレンジの木が涼やかなリンダラハの中庭も望めました。
    それから5000個の鐘乳石飾りが丸天井を覆いつくし、その壁には宮殿で有名な 「美しく飾られた庭、その美しさはそれを目にした者のみが理解できるだろう」 という詩句が、刻まれているそうです。

  • グラナダ   アルハンブラ宮殿の窓からは、アルバイシン地区の街が一望できます。<br />窓の柱部分に四足の動物がみえますが…。

    グラナダ アルハンブラ宮殿の窓からは、アルバイシン地区の街が一望できます。
    窓の柱部分に四足の動物がみえますが…。

  • グラナダ゙ アルハンブラ宮殿からの眺めです。<br />青空の下に白い家並みが 「アルバイシン地区の街の全景」 が見えましたね。<br />宮殿の北側を流れるダロ川を隔ててある丘が、アルバイシンだそうで、ナスル王朝時代に一般住民の住居区として造られた当時の街並みが今も残っていました。<br />グラナダの旧市街の中でも最も古い地区だそうで、白壁の家々が立ち並らんでおりアルハンブラ宮殿と共に世界遺産に登録されており、この街も歩いて見て回って歴史を感じたいと思わせる景色ですね。<br />

    グラナダ゙ アルハンブラ宮殿からの眺めです。
    青空の下に白い家並みが 「アルバイシン地区の街の全景」 が見えましたね。
    宮殿の北側を流れるダロ川を隔ててある丘が、アルバイシンだそうで、ナスル王朝時代に一般住民の住居区として造られた当時の街並みが今も残っていました。
    グラナダの旧市街の中でも最も古い地区だそうで、白壁の家々が立ち並らんでおりアルハンブラ宮殿と共に世界遺産に登録されており、この街も歩いて見て回って歴史を感じたいと思わせる景色ですね。

  • グラナダ ヘネラリフェ庭園です。<br />紅葉の庭園にひと休みの人と泉水の水を飲みにきたのか、猫がそっと近づいているのに気づき、そっと静かに撮りました。<br />青空がさえわたり、気持ちのよい一日でしたね。

    グラナダ ヘネラリフェ庭園です。
    紅葉の庭園にひと休みの人と泉水の水を飲みにきたのか、猫がそっと近づいているのに気づき、そっと静かに撮りました。
    青空がさえわたり、気持ちのよい一日でしたね。

  • グラナダ ヘネラリフェ庭園の高く伸びた糸杉などの木樹の先に、高い鐘塔が現れました。<br />庭園の中を、さらに歩きます。

    グラナダ ヘネラリフェ庭園の高く伸びた糸杉などの木樹の先に、高い鐘塔が現れました。
    庭園の中を、さらに歩きます。

  • グラナダ ヘネラリフェ庭園の繁った囲いにしてあるトンネルの中を歩きます。<br />緑の木樹や紅葉をめでながら、楽しく散策ができました。

    グラナダ ヘネラリフェ庭園の繁った囲いにしてあるトンネルの中を歩きます。
    緑の木樹や紅葉をめでながら、楽しく散策ができました。

  • グラナダ 城壁のみえる公園に真っ赤な柿が、たわわに実っておりました。<br />秋を感じられた一日で、世界遺産の庭園散策はとても気持ち良かったです。

    グラナダ 城壁のみえる公園に真っ赤な柿が、たわわに実っておりました。
    秋を感じられた一日で、世界遺産の庭園散策はとても気持ち良かったです。

  • 小高い丘の上に建つグラナダ 「アルハンブラ宮殿」 の勇姿を拝見しています。<br />イスラム建築の美の結晶壮麗な宮殿が物語るイスラム王朝最後の栄華を感じます。<br />アルハンブラとは、アラビア語で 「赤い要塞」 の意味だそうで、完成を急ぎ昼夜を問わず働いた職人たちの斧が太陽の光で赤く輝いたから、夜の薪の火が赤かったからなどの説が云い伝えられてるようです。<br />当時の人々に思いを馳せながら見学しました。

    小高い丘の上に建つグラナダ 「アルハンブラ宮殿」 の勇姿を拝見しています。
    イスラム建築の美の結晶壮麗な宮殿が物語るイスラム王朝最後の栄華を感じます。
    アルハンブラとは、アラビア語で 「赤い要塞」 の意味だそうで、完成を急ぎ昼夜を問わず働いた職人たちの斧が太陽の光で赤く輝いたから、夜の薪の火が赤かったからなどの説が云い伝えられてるようです。
    当時の人々に思いを馳せながら見学しました。

  • 泊まれる世界遺産 グラナダ アルハンブラ宮殿に憧れのステイで、パラドールとして改築され生まれ変わりました。<br />サン・フランシスコ修道院は、世界遺産アルハンブラ宮殿の敷地内にある元サン・フランシスコ修道院は、かってナスル朝宮殿の中心だった建物を改築したもので、現在は、国営ホテル 「パラドール」 としてさらに改築され、世界中の旅行者を迎えて繁盛しているようです。<br />スペインでも格式高い人気のバラドールの一つだそうです。<br />周囲も紅葉に囲まれて寒くもなく日差しを浴びてのヘネラリフェ庭園散策は、楽しく気持ちよく絶好の季節に恵まれましたね。

    泊まれる世界遺産 グラナダ アルハンブラ宮殿に憧れのステイで、パラドールとして改築され生まれ変わりました。
    サン・フランシスコ修道院は、世界遺産アルハンブラ宮殿の敷地内にある元サン・フランシスコ修道院は、かってナスル朝宮殿の中心だった建物を改築したもので、現在は、国営ホテル 「パラドール」 としてさらに改築され、世界中の旅行者を迎えて繁盛しているようです。
    スペインでも格式高い人気のバラドールの一つだそうです。
    周囲も紅葉に囲まれて寒くもなく日差しを浴びてのヘネラリフェ庭園散策は、楽しく気持ちよく絶好の季節に恵まれましたね。

  • グラナダ アルハンブラ宮殿の真上に月が輝いてグラナダの街は、夕焼けに赤く染まっていくようでした。<br />イスラム芸術の最高傑作といわれる 「アルハンブラ宮殿」 です。<br />スペイン最後のイスラム王朝ナスル朝の王宮だそうで、宮殿内で最も古い城塞部分であるアルカサバ、王の居城であった王宮、カルロス5世宮殿、夏の離宮ヘネラリフェ庭園と敷地内は大きく3つに分けられるそうです。

    イチオシ

    グラナダ アルハンブラ宮殿の真上に月が輝いてグラナダの街は、夕焼けに赤く染まっていくようでした。
    イスラム芸術の最高傑作といわれる 「アルハンブラ宮殿」 です。
    スペイン最後のイスラム王朝ナスル朝の王宮だそうで、宮殿内で最も古い城塞部分であるアルカサバ、王の居城であった王宮、カルロス5世宮殿、夏の離宮ヘネラリフェ庭園と敷地内は大きく3つに分けられるそうです。

  • 食事処の壁に描かれた「ドン・キホーテメニュー」と内飾り、右側の壁のワイン瓶の数が半端じゃないですね。<br />料理に合うワインが美味しく飲まれているのが分かりますよね。

    食事処の壁に描かれた「ドン・キホーテメニュー」と内飾り、右側の壁のワイン瓶の数が半端じゃないですね。
    料理に合うワインが美味しく飲まれているのが分かりますよね。

  • ドン・キホーテメニューのパンに会うニンニクスープは、美味しかったです。<br />スペイン料理は、ニンニクとオリーブオイルをベースにして作るようです。<br />近隣の地中海諸国でも、これらは定番の素材として広く使われており、様々な調理法で料理に加えられて、味を決定づける重要な要素となっているそうです。

    ドン・キホーテメニューのパンに会うニンニクスープは、美味しかったです。
    スペイン料理は、ニンニクとオリーブオイルをベースにして作るようです。
    近隣の地中海諸国でも、これらは定番の素材として広く使われており、様々な調理法で料理に加えられて、味を決定づける重要な要素となっているそうです。

  • ドン・キホーテメニューのメインは、鶏肉の煮込みでした。<br />スペイン料理は、ニンニクとオリーブオイルをベースにして作るそうです。<br />このシンプルな組み合わせは、スペインをはじめとする地中海諸国に健康的でバラエティ豊かな食生活をもたらしたといえそうです。<br /><br />

    ドン・キホーテメニューのメインは、鶏肉の煮込みでした。
    スペイン料理は、ニンニクとオリーブオイルをベースにして作るそうです。
    このシンプルな組み合わせは、スペインをはじめとする地中海諸国に健康的でバラエティ豊かな食生活をもたらしたといえそうです。

  • ドン・キホーテメニューの甘い、甘いデザートも完食です。

    ドン・キホーテメニューの甘い、甘いデザートも完食です。

  • 扉に張紙があり「ラ・マンチャの村でザ・Blanguilla 彼らは望む 幸せな旅」と村人人形などが、歓迎してくれておりました。<br />美味しい料理をごちそうさまでした。<br />そして青空の拡がった気持ちのよい天気に恵まれましたことに感謝したい気持ちです。

    扉に張紙があり「ラ・マンチャの村でザ・Blanguilla 彼らは望む 幸せな旅」と村人人形などが、歓迎してくれておりました。
    美味しい料理をごちそうさまでした。
    そして青空の拡がった気持ちのよい天気に恵まれましたことに感謝したい気持ちです。

  • 建物の角や窓にはドン・キホーテ像が置いてあり、窓には置物が飾られラ・マンチャ地方らしい飾り付けで、興味で見てしまいました。

    建物の角や窓にはドン・キホーテ像が置いてあり、窓には置物が飾られラ・マンチャ地方らしい飾り付けで、興味で見てしまいました。

  • ラ・マンチャ地方らしい風情のある壁絵が壁に書いてあり、花鉢などが添えられていました。

    ラ・マンチャ地方らしい風情のある壁絵が壁に書いてあり、花鉢などが添えられていました。

  • 食事処建物の一角にドン・キホーテ像が槍を持って壁の前に立っておりましたので、記念に撮らせていただきました。

    食事処建物の一角にドン・キホーテ像が槍を持って壁の前に立っておりましたので、記念に撮らせていただきました。

  • ラ・マンチャ地方らしいサボテンの花などの飾り付けがしてありました。<br />このサボテンは、オリーブの畑でも見られましたね。

    ラ・マンチャ地方らしいサボテンの花などの飾り付けがしてありました。
    このサボテンは、オリーブの畑でも見られましたね。

  • 時代が、タイムスリップしたような感じがしました。<br />ここでも、ドン・キホーテとサンチョ・パンサのコンビ絵と荷車やサボテンの花などが食後のひと時を楽しませてくれました。

    時代が、タイムスリップしたような感じがしました。
    ここでも、ドン・キホーテとサンチョ・パンサのコンビ絵と荷車やサボテンの花などが食後のひと時を楽しませてくれました。

  • 食事処に掲げられたスペインの国旗です。<br />私たち訪問者を歓迎してくれているようですね。

    食事処に掲げられたスペインの国旗です。
    私たち訪問者を歓迎してくれているようですね。

  • 食事処の入り口の壁に描かれた、ドン・キホーテらの絵が素敵ですね。<br />

    食事処の入り口の壁に描かれた、ドン・キホーテらの絵が素敵ですね。

  • 近くの庭にも、ドン・キホーテの像が立っておりました。<br />広いお庭の番をしているのでしょうか。<br />ドン・キホーテはスペイン国の人気者ですね。

    近くの庭にも、ドン・キホーテの像が立っておりました。
    広いお庭の番をしているのでしょうか。
    ドン・キホーテはスペイン国の人気者ですね。

  • 食事処の裏には、オリーブの木が黒い実をつけているのを見つけました。<br />青空に伸びて、輝いて見えました。

    食事処の裏には、オリーブの木が黒い実をつけているのを見つけました。
    青空に伸びて、輝いて見えました。

  • 日没の夕陽に照らされて、浮かぶ白い風車が浮かび上がって素敵に見えましたのでシヤッターを押しました。

    日没の夕陽に照らされて、浮かぶ白い風車が浮かび上がって素敵に見えましたのでシヤッターを押しました。

  • 少し離れた丘の白い風車のたたずまいに、旅情を感じて撮りました。<br />物語の中では、ドン・キホーテが戦いを挑んだとされる白い円筒状の建物に、黒い三角屋根が印象的な風車が立ち並んでおりました。

    少し離れた丘の白い風車のたたずまいに、旅情を感じて撮りました。
    物語の中では、ドン・キホーテが戦いを挑んだとされる白い円筒状の建物に、黒い三角屋根が印象的な風車が立ち並んでおりました。

  • 夕食のパエリア(海老・ムール貝入りの海鮮)を美味しく戴きました。<br />ここのバレンシアのレストランは作っているところも解放していて、できあがるまでの工程が見られました。<br />ここで忘れてはならないのは、米を黄金色に染めるサフランというスパイスです。<br />また、バエリアの作り方のバンフレット配布もありました。<br />折角ですから、材料を揃えてメニューの通りに作ってみようと思っています。<br />

    夕食のパエリア(海老・ムール貝入りの海鮮)を美味しく戴きました。
    ここのバレンシアのレストランは作っているところも解放していて、できあがるまでの工程が見られました。
    ここで忘れてはならないのは、米を黄金色に染めるサフランというスパイスです。
    また、バエリアの作り方のバンフレット配布もありました。
    折角ですから、材料を揃えてメニューの通りに作ってみようと思っています。

  • 6日目 バレンシアからバルセロナへ移動中、バス走行中の車窓から小高い山の頂上に白い風車があるのを見つけ撮りました。<br />

    6日目 バレンシアからバルセロナへ移動中、バス走行中の車窓から小高い山の頂上に白い風車があるのを見つけ撮りました。

  • バルセロナ近郊の自然に囲まれた、のどかな村に着いたようです。<br />ガウディのもう一つの未完の世界遺産、コロニア・グエル教会へ入場観光です。<br />バルセロナ現地添乗員よりの説明を聞きました。<br />ガウディによって計画された教会の地下聖堂は、1908年から16年の間にその教会の一部のみ完成したそうで、松林に囲まれた高台にある教会の図面上の形状は、変形楕円で中央部は4本の心柱と側柱で2つに分割された構造になっており、これらの柱は不規則な円天井のレンガの助材に繋がれた形になっているようです。

    バルセロナ近郊の自然に囲まれた、のどかな村に着いたようです。
    ガウディのもう一つの未完の世界遺産、コロニア・グエル教会へ入場観光です。
    バルセロナ現地添乗員よりの説明を聞きました。
    ガウディによって計画された教会の地下聖堂は、1908年から16年の間にその教会の一部のみ完成したそうで、松林に囲まれた高台にある教会の図面上の形状は、変形楕円で中央部は4本の心柱と側柱で2つに分割された構造になっており、これらの柱は不規則な円天井のレンガの助材に繋がれた形になっているようです。

  • バルセロナ コロニア・グエル教会のステンドグラス3面が日差しを受けて輝いていました。<br />聖堂内の身廊は円柱を周囲に配置した周歩廊で囲まれ、屋根の助材を支えており入口の門前にはポーチが建ち上がって、そのすぐ横にある階段から上部に建つはずだった教会堂へとアクセスがとられているようです。<br />聖堂の表現の力強さは、構造上の一連の革新的な試みと建築資材の大胆な使い方による産物だったようですね。<br />円柱は支える荷重に従って、傾いているそうです。<br /><br />

    バルセロナ コロニア・グエル教会のステンドグラス3面が日差しを受けて輝いていました。
    聖堂内の身廊は円柱を周囲に配置した周歩廊で囲まれ、屋根の助材を支えており入口の門前にはポーチが建ち上がって、そのすぐ横にある階段から上部に建つはずだった教会堂へとアクセスがとられているようです。
    聖堂の表現の力強さは、構造上の一連の革新的な試みと建築資材の大胆な使い方による産物だったようですね。
    円柱は支える荷重に従って、傾いているそうです。

  • コロニア・グエル教会の入口部です。<br />この教会は何故地下聖堂と呼ばれているのか。元々あった台地を削って建設した半地下構造のためだそうです。<br />聖堂へといざなうポルティコ(柱列ポーチ)には、入口が洞窟のように口を開けていました。<br />地層そのものが根をもたげて形作ったようで、ファサードは素焼きのレンガを積重ねたり、貼り付けしたものだそうです。<br />表面の仕上がりは、周辺に茂えている松の樹皮のようでした。<br /><br />

    コロニア・グエル教会の入口部です。
    この教会は何故地下聖堂と呼ばれているのか。元々あった台地を削って建設した半地下構造のためだそうです。
    聖堂へといざなうポルティコ(柱列ポーチ)には、入口が洞窟のように口を開けていました。
    地層そのものが根をもたげて形作ったようで、ファサードは素焼きのレンガを積重ねたり、貼り付けしたものだそうです。
    表面の仕上がりは、周辺に茂えている松の樹皮のようでした。

  • 深海にひそむ貝が、口をあけたような窓ですね。<br />引きつけられて見てしまうのは、この教会のステンドグラスの窓です。<br />木漏れ日が差し込む木の梢と同じような機能を与えたのですね。<br />こうした画期的な建築ソリューションにより、色彩を与えられた自然光が聖堂内を照らして祈りを捧げたり瞑想を行うために、ふさわしい雰囲気を作り出しているようです。

    深海にひそむ貝が、口をあけたような窓ですね。
    引きつけられて見てしまうのは、この教会のステンドグラスの窓です。
    木漏れ日が差し込む木の梢と同じような機能を与えたのですね。
    こうした画期的な建築ソリューションにより、色彩を与えられた自然光が聖堂内を照らして祈りを捧げたり瞑想を行うために、ふさわしい雰囲気を作り出しているようです。

  • 聖堂の身廊への入口が、洞窟のように口を開けているようですね。<br />入口正面にある柱は大きくエラを広げたように屋根を一体化し、それぞれの傾いた支柱はしっかりと屋根を支えておりました。<br />コロニア・グエル教会を、別名をあくびの家や骨の家と呼ばれているようです。<br />ガウディが考察した 「逆さ吊り実験の模型」 でのカテナリー曲線の発見には10年の歳月を要しているとのことでした。<br />さすが、ガウディですね。

    聖堂の身廊への入口が、洞窟のように口を開けているようですね。
    入口正面にある柱は大きくエラを広げたように屋根を一体化し、それぞれの傾いた支柱はしっかりと屋根を支えておりました。
    コロニア・グエル教会を、別名をあくびの家や骨の家と呼ばれているようです。
    ガウディが考察した 「逆さ吊り実験の模型」 でのカテナリー曲線の発見には10年の歳月を要しているとのことでした。
    さすが、ガウディですね。

  • ここから木の扉を開けて中へ入ります。<br />入口は石灰岩で組まれ上部にはタイルモザイク装飾が使われて素敵ですね。<br />この装飾は左官のアントニー・ムラールによって施されたそうです。<br />これらの美しいガラスとセラミックで作られたモザイクの中にも宗教的なシンボル、例えばタイルモザイクの上に見えますXですか、他にもA(アルファ)といくつか上手く組み込まれているようですね。

    ここから木の扉を開けて中へ入ります。
    入口は石灰岩で組まれ上部にはタイルモザイク装飾が使われて素敵ですね。
    この装飾は左官のアントニー・ムラールによって施されたそうです。
    これらの美しいガラスとセラミックで作られたモザイクの中にも宗教的なシンボル、例えばタイルモザイクの上に見えますXですか、他にもA(アルファ)といくつか上手く組み込まれているようですね。

  • 聖堂の外観には、ここにも宗教的な装飾が施されていますね。<br />天井に書かれた文字はXでしょうか、熱心なカトリック信者の作者ガウディは、神などのギリシャ文字を使用して表現しているようです。

    聖堂の外観には、ここにも宗教的な装飾が施されていますね。
    天井に書かれた文字はXでしょうか、熱心なカトリック信者の作者ガウディは、神などのギリシャ文字を使用して表現しているようです。

  • 入口正面にある椰子の木を思わせるような柱は、大きくエラを広げたように屋根を一本化し、それぞれの傾いた支柱はしっかりと屋根を支えていました。<br />天井には、ここにも宗教的な装飾が施されて天井に書かれた文字はXでしょうか。<br /> 熱心なカトリック信者の作者ガウディは、神などのギリシャ文字を使用して表現しているようです。

    入口正面にある椰子の木を思わせるような柱は、大きくエラを広げたように屋根を一本化し、それぞれの傾いた支柱はしっかりと屋根を支えていました。
    天井には、ここにも宗教的な装飾が施されて天井に書かれた文字はXでしょうか。
    熱心なカトリック信者の作者ガウディは、神などのギリシャ文字を使用して表現しているようです。

  • ステンドグラスの窓の外側にも、モザイクタイルが貼付されていました。<br />コロニア・グエル地区は、当時の実業家エウゼビ・グエルによる繊維工場を中心とした労働者のための住宅地に、礼拝堂を備えたコロニーを創るというプロジェクトにより建設されたと云われています。<br />

    ステンドグラスの窓の外側にも、モザイクタイルが貼付されていました。
    コロニア・グエル地区は、当時の実業家エウゼビ・グエルによる繊維工場を中心とした労働者のための住宅地に、礼拝堂を備えたコロニーを創るというプロジェクトにより建設されたと云われています。

  • 聖堂の天井などにも宗教的な装飾が施されています。<br />ギリシャ語の文字が使われているようで、熱心なカトリック信者のガウディは神などのギリシャ文字を使用して表現しているようです。<br />

    聖堂の天井などにも宗教的な装飾が施されています。
    ギリシャ語の文字が使われているようで、熱心なカトリック信者のガウディは神などのギリシャ文字を使用して表現しているようです。

  • 聖堂の身廊です。<br />小さな宇宙のような深い海の底のような、美しさの秘密は…。<br />地下聖堂 身廊は荘厳にして神秘的な空間が拡がっていました。<br />入口から階段まで、視界を遮るものはありません。<br />目を引くのは、傾きながらも聖堂を支える4本の柱で荒削りな玄武岩が放つ圧倒的な力感で、その柱が支える天井はまるで動物の肋骨のようです。<br />ここは、サグラダ・ファミリアのための実験室でもあったのだそうです。<br />

    聖堂の身廊です。
    小さな宇宙のような深い海の底のような、美しさの秘密は…。
    地下聖堂 身廊は荘厳にして神秘的な空間が拡がっていました。
    入口から階段まで、視界を遮るものはありません。
    目を引くのは、傾きながらも聖堂を支える4本の柱で荒削りな玄武岩が放つ圧倒的な力感で、その柱が支える天井はまるで動物の肋骨のようです。
    ここは、サグラダ・ファミリアのための実験室でもあったのだそうです。

  • 祭壇前のミサを受ける人々が敬虔な祈りを捧げる空間に必要なベンチもガウディのデザインで、木と鉄の絶妙な曲線があり人体の骨格になじみ実際に掛けてみましたが、座りごこちがとても良かったです。<br />

    祭壇前のミサを受ける人々が敬虔な祈りを捧げる空間に必要なベンチもガウディのデザインで、木と鉄の絶妙な曲線があり人体の骨格になじみ実際に掛けてみましたが、座りごこちがとても良かったです。

  • 花のような採光のステンドグラスから降り注ぐやわらかな光、その窓を開けると羽を拡げた蝶のごとくで、ガウディは神と向き合うこの場所に限りない美を求めたようですね。<br />ステンドグラスと破砕タイルによる装飾も、ジュジョル作によるものだそうで、<br />蝶の羽のような部分は、内部から開閉できるような構造をしていました。<br />

    花のような採光のステンドグラスから降り注ぐやわらかな光、その窓を開けると羽を拡げた蝶のごとくで、ガウディは神と向き合うこの場所に限りない美を求めたようですね。
    ステンドグラスと破砕タイルによる装飾も、ジュジョル作によるものだそうで、
    蝶の羽のような部分は、内部から開閉できるような構造をしていました。

  • ガウディ設計のコロニア・グエル教会完成イメージスケッチ画の展示を拝見しました。<br />カテナリー曲線発見から一本の鎖を掴めば自然とカテナリー曲線の形ができ、重力に逆らわない自然な形のため安定感があり壊れにくいそうです。<br />これを反対にして建築すればかかる重力は全てサイドに流すことができるのだそうで、自然が作る形が最も強く美しいとガウディは、この実験で得られる姿こそ神聖な教会にふさわしいと考えたようです。<br />逆さ吊り実験の成果はサグラダ・ファミリアの建設にも生かされ、この教会は未完成なのに2005年には世界遺産に登録されました。<br />

    ガウディ設計のコロニア・グエル教会完成イメージスケッチ画の展示を拝見しました。
    カテナリー曲線発見から一本の鎖を掴めば自然とカテナリー曲線の形ができ、重力に逆らわない自然な形のため安定感があり壊れにくいそうです。
    これを反対にして建築すればかかる重力は全てサイドに流すことができるのだそうで、自然が作る形が最も強く美しいとガウディは、この実験で得られる姿こそ神聖な教会にふさわしいと考えたようです。
    逆さ吊り実験の成果はサグラダ・ファミリアの建設にも生かされ、この教会は未完成なのに2005年には世界遺産に登録されました。

  • コロニア・グエル教会地下聖堂のフニクラ模型の図です。<br />暫新的かつ直観的な手法から、サグラダ・ファミリアの身廊の構造が決定された錘と紐の逆さ模型画が展示されておりました。<br />複数のひもでおもりを支える時、紐が作る曲線は上下を返せばそのまま建築物の重さを支える最も単純で堅固な柱の曲線となるという、自然に学び自然や重力と調和した建築物を目指す具現した構造設計であり、周囲を驚かせたそうですね。

    コロニア・グエル教会地下聖堂のフニクラ模型の図です。
    暫新的かつ直観的な手法から、サグラダ・ファミリアの身廊の構造が決定された錘と紐の逆さ模型画が展示されておりました。
    複数のひもでおもりを支える時、紐が作る曲線は上下を返せばそのまま建築物の重さを支える最も単純で堅固な柱の曲線となるという、自然に学び自然や重力と調和した建築物を目指す具現した構造設計であり、周囲を驚かせたそうですね。

  • コロニア・グエル教会のデッサン、オリジナルの設計図が展示されていました。<br />ガウディは想像力から生まれたフォルムを紙に描き付け、デッサンやクロッキーとして残していました。<br />この全体スケッチは1902年に描かれたもので、西側から見た教会の立面図に遠近短縮法を使って栄光のファサードが表現されています。<br />エントランスステップ、放物線みを描く塔の頂部、てっぺんの聖なるハトなどが分かります。<br />1906年に日刊紙で公開されていたそうです。<br /><br />

    コロニア・グエル教会のデッサン、オリジナルの設計図が展示されていました。
    ガウディは想像力から生まれたフォルムを紙に描き付け、デッサンやクロッキーとして残していました。
    この全体スケッチは1902年に描かれたもので、西側から見た教会の立面図に遠近短縮法を使って栄光のファサードが表現されています。
    エントランスステップ、放物線みを描く塔の頂部、てっぺんの聖なるハトなどが分かります。
    1906年に日刊紙で公開されていたそうです。

  • ガウディが設計したコロニア・グエル教会の完成イメージスケッチ画の、二枚目の展示がありました。

    ガウディが設計したコロニア・グエル教会の完成イメージスケッチ画の、二枚目の展示がありました。

  • 斜めの椰子の木形の柱で支える、コロニア・グエル教会の聖堂です。<br />1898年にグエルはガウディに教会の建設を依頼しましたがガウディは実験的な構造研究に取り組んだため建築が開始されたのは依頼の10年後だったそうです。<br />そのわずか6年後にガウディは、サグラダ・ファミリアの建設に専念するために建設プロジェクトをやめたようですね。<br />地下聖堂のみが完成し教会全体は未完成だそうです.

    斜めの椰子の木形の柱で支える、コロニア・グエル教会の聖堂です。
    1898年にグエルはガウディに教会の建設を依頼しましたがガウディは実験的な構造研究に取り組んだため建築が開始されたのは依頼の10年後だったそうです。
    そのわずか6年後にガウディは、サグラダ・ファミリアの建設に専念するために建設プロジェクトをやめたようですね。
    地下聖堂のみが完成し教会全体は未完成だそうです.

  • 階段部も椰子の木形の柱で、樹木が枝を広げたような構造をしていますね。<br />レンガを積み重ねた柱は曲線を描いています。<br />この地に伝わる伝統の工法 カタルーニャヴォールトだそうで、この技を習得したレンガ職人いわく薄く軽いので自由な曲線を作ることができ、強度があることを実証するため、おもりを載せてみると100キロもの重さにも耐えたそうです。<br />

    階段部も椰子の木形の柱で、樹木が枝を広げたような構造をしていますね。
    レンガを積み重ねた柱は曲線を描いています。
    この地に伝わる伝統の工法 カタルーニャヴォールトだそうで、この技を習得したレンガ職人いわく薄く軽いので自由な曲線を作ることができ、強度があることを実証するため、おもりを載せてみると100キロもの重さにも耐えたそうです。

  • 壁がなく斜め柱の数本で支えられているのがすごいと思いました。<br />こんなに傾いた柱で天井を支えきれるのか、この傾きこそがガウディの執念の結晶だったようですね。<br />聖堂内の伝統的なカタルーニャ式天井は、ハイパーポリック・パラポロイデの形態に変貌したため、前衛的な近代建築にも後年には使用されるようになったそうです。<br />建築資材は、基本的にはほとんど荒削りな玄武岩と極めて薄いレンガを積み重ねて試作を重ねて、カテナリー曲線を発見したのだそうです。<br />扉や窓にモザイク、ステンドグラスも用いて労働者用教会を建設されたようです。

    壁がなく斜め柱の数本で支えられているのがすごいと思いました。
    こんなに傾いた柱で天井を支えきれるのか、この傾きこそがガウディの執念の結晶だったようですね。
    聖堂内の伝統的なカタルーニャ式天井は、ハイパーポリック・パラポロイデの形態に変貌したため、前衛的な近代建築にも後年には使用されるようになったそうです。
    建築資材は、基本的にはほとんど荒削りな玄武岩と極めて薄いレンガを積み重ねて試作を重ねて、カテナリー曲線を発見したのだそうです。
    扉や窓にモザイク、ステンドグラスも用いて労働者用教会を建設されたようです。

  • 鐘塔の鐘が見えます。<br />晴れ上がった青空の下で、この大きな鐘の音を聞きたかったですね。

    鐘塔の鐘が見えます。
    晴れ上がった青空の下で、この大きな鐘の音を聞きたかったですね。

  • 聖堂の外観には、宗教的な装飾が施されているのですね。<br />熱心なカトリック信者のガウディらしく、ここにもアルフアベッドのA(アルファ)の文字が使われており、Aはギリシャ語の初めての文字で創世記の最初を表すイエス・キリストの象徴だそうですね。<br />

    聖堂の外観には、宗教的な装飾が施されているのですね。
    熱心なカトリック信者のガウディらしく、ここにもアルフアベッドのA(アルファ)の文字が使われており、Aはギリシャ語の初めての文字で創世記の最初を表すイエス・キリストの象徴だそうですね。

  • 聖堂の外観表面には宗教的な装飾が施されていますね。<br />A(アルファ)とω(オメガ)はギリシャ語の始めと終わりの文字、創世記の最初と最後のを表すイエス・キリストの象徴だそうで、ここには、熱心なカトリック信者のガウディらしく、ωなどの文字も施されておりました。<br />キリストの存在を示す最大の象徴である光が数多くの開口部を通して自然光が教会内にもたらされるように光に満ちた教会にする新しいシステムのステンドグラスを採用したようです。

    聖堂の外観表面には宗教的な装飾が施されていますね。
    A(アルファ)とω(オメガ)はギリシャ語の始めと終わりの文字、創世記の最初と最後のを表すイエス・キリストの象徴だそうで、ここには、熱心なカトリック信者のガウディらしく、ωなどの文字も施されておりました。
    キリストの存在を示す最大の象徴である光が数多くの開口部を通して自然光が教会内にもたらされるように光に満ちた教会にする新しいシステムのステンドグラスを採用したようです。

  • 屋上からの鐘塔と建物の壁を撮影してみました。<br />屋上から見ても鐘の部分が高くしてあり、鐘の音がよく伝わる構造が判りますね。

    屋上からの鐘塔と建物の壁を撮影してみました。
    屋上から見ても鐘の部分が高くしてあり、鐘の音がよく伝わる構造が判りますね。

  • コロニア・グエル教会の一角に使われずに残された資材品の数々が置かれたまま放置されておりました。屋上に上がったときに確認できました。<br />未完で工事は中断しましたが、この建築の設計に当たりフニクラという逆さ吊り実験を10年以上の歳月を費やして行ったそうで、1898年に着工し1914年にはサグラダ・ファミリアの建築に没頭するために工事を中断、またグエルの繊維工場が1973年に閉鎖し資金援助がなくなり、コロニア・グエル教会は未完成作品になったようです。

    コロニア・グエル教会の一角に使われずに残された資材品の数々が置かれたまま放置されておりました。屋上に上がったときに確認できました。
    未完で工事は中断しましたが、この建築の設計に当たりフニクラという逆さ吊り実験を10年以上の歳月を費やして行ったそうで、1898年に着工し1914年にはサグラダ・ファミリアの建築に没頭するために工事を中断、またグエルの繊維工場が1973年に閉鎖し資金援助がなくなり、コロニア・グエル教会は未完成作品になったようです。

  • 屋上に上がり、上から見て建物の違った見方ができて楽しかったですね。<br />また、屋上から見る景色は素晴らしく周囲の状況などもよくわかりました。<br />

    屋上に上がり、上から見て建物の違った見方ができて楽しかったですね。
    また、屋上から見る景色は素晴らしく周囲の状況などもよくわかりました。

  • コロニア・グエル教会には、直線が殆ど存在しません。<br />ガウディは 「美しい建築のプロポーションは安定性と密接な関係があるが、安定性だけでは美しいプロポーションは得られない。」  <br />この傾きと曲線こそが、美しいプロポーションであると云われたようです。<br />サグラダ・ファミリアとコロニア・グエル教会の二つの傑作をつなぐ架け橋が  「逆さ吊りの構造模型」 で 「聖堂は神に相応しい ありとあらゆる特性を持って神性を感じさせなければならない。 聖堂は必然性に導かれ壮大でなければならない。」 とも云われて その理念を実現したのがコロニア・グエル教会だったそうです。

    コロニア・グエル教会には、直線が殆ど存在しません。
    ガウディは 「美しい建築のプロポーションは安定性と密接な関係があるが、安定性だけでは美しいプロポーションは得られない。」
    この傾きと曲線こそが、美しいプロポーションであると云われたようです。
    サグラダ・ファミリアとコロニア・グエル教会の二つの傑作をつなぐ架け橋が 「逆さ吊りの構造模型」 で 「聖堂は神に相応しい ありとあらゆる特性を持って神性を感じさせなければならない。 聖堂は必然性に導かれ壮大でなければならない。」 とも云われて その理念を実現したのがコロニア・グエル教会だったそうです。

  • バルセロナ近郊の自然に囲まれた村にある小さいながらも、ガウディ建築の全てが詰まった教会でしたね。<br />グエル氏の繊維工場とそこで働く労働者の住居がある工業団地内に造られた労働者のための教会だそうで、ガウディ研究家のホセ・マヌエル・アルムサーラさんによると、ここはサグラダ・ファミリアのための実験室でもあったようですと云われ、またガウディの最高傑作と云ってもいいでしょうと言われたようです。<br />

    バルセロナ近郊の自然に囲まれた村にある小さいながらも、ガウディ建築の全てが詰まった教会でしたね。
    グエル氏の繊維工場とそこで働く労働者の住居がある工業団地内に造られた労働者のための教会だそうで、ガウディ研究家のホセ・マヌエル・アルムサーラさんによると、ここはサグラダ・ファミリアのための実験室でもあったようですと云われ、またガウディの最高傑作と云ってもいいでしょうと言われたようです。

  • 聖堂の壁の至る所に、モザイクタイルの廃材活用がデザインになるのですね。<br />ガウディの個性的建築物なくして、バルセロナとはいえません。<br />作品の独創性そして彼の内向的な性格と神秘主義的な人間性は、同世代の芸術家さんたちとは一線を画していると思われます。

    聖堂の壁の至る所に、モザイクタイルの廃材活用がデザインになるのですね。
    ガウディの個性的建築物なくして、バルセロナとはいえません。
    作品の独創性そして彼の内向的な性格と神秘主義的な人間性は、同世代の芸術家さんたちとは一線を画していると思われます。

  • 奇妙な形には、立派な理由があるのですね。<br />自然に学び自然や重力と調和した建築物を目指すというガウディの考え方を、まさに具現した構造設計であったようです。<br />重力を支える傾きと曲線を持った柱は、周囲を驚かされました。<br />

    奇妙な形には、立派な理由があるのですね。
    自然に学び自然や重力と調和した建築物を目指すというガウディの考え方を、まさに具現した構造設計であったようです。
    重力を支える傾きと曲線を持った柱は、周囲を驚かされました。

  • カサ・バトリョ邸 ガウディの後期代表作の一つで富豪バトリョ氏の依頼を受け<br />1904年から1906年にかけて集合住居の改築を担当したそうです。<br />改築部は5階と地下室を増築、玄関広間を広げ階段や内壁を作り直し各部屋に曲線的なデザインを施し、タイルやステンドグラスの装飾を付加したそうです。<br />海をイメージしたと云われているようで、波打つような壁や波を連想させる無数の青タイルやガラスが印象的な建物だそうで、2002年からは内部の見学が可能になったそうです。<br />現在の建物のオーナーは、菓子チュッパチャップスの会社創業者だそうです。<br />

    カサ・バトリョ邸 ガウディの後期代表作の一つで富豪バトリョ氏の依頼を受け
    1904年から1906年にかけて集合住居の改築を担当したそうです。
    改築部は5階と地下室を増築、玄関広間を広げ階段や内壁を作り直し各部屋に曲線的なデザインを施し、タイルやステンドグラスの装飾を付加したそうです。
    海をイメージしたと云われているようで、波打つような壁や波を連想させる無数の青タイルやガラスが印象的な建物だそうで、2002年からは内部の見学が可能になったそうです。
    現在の建物のオーナーは、菓子チュッパチャップスの会社創業者だそうです。

  • カサ・ミラは、地中海や雪山の波打つ外観でガウディがミラ夫妻の依頼で設計した邸宅だそうで、現役で利用されてる集合住宅で4世帯が居住されているようです。<br />1906年から5年かけて設計をしたそうで、山をモチーフにしたといわれる独特の曲線を用いた建築は「ラ・ペドレラ(石切り場の意味)」の別名を持つそうで、<br />中庭は吹き抜けになっており最上階はガウディの建築を紹介する博物館になっているようです。

    カサ・ミラは、地中海や雪山の波打つ外観でガウディがミラ夫妻の依頼で設計した邸宅だそうで、現役で利用されてる集合住宅で4世帯が居住されているようです。
    1906年から5年かけて設計をしたそうで、山をモチーフにしたといわれる独特の曲線を用いた建築は「ラ・ペドレラ(石切り場の意味)」の別名を持つそうで、
    中庭は吹き抜けになっており最上階はガウディの建築を紹介する博物館になっているようです。

  • カサ・ミラの建物前の左側のガス灯も、ガウディの作品だそうです。<br />直線部分をもたないデザインは非常に壮麗かつ印象的な建物で外観の波打つ曲線は地中海をイメージして作られたようで、すべての壁が緩やかな局面を持ち玄関や窓などの造形も幻想的な雰囲気で一つ一つ異なるバルコニーは素材として鉄を用いながら波に漂う海藻のような柔らかな造形を生み出しているようです。<br />このバルコニーはジュジョルの作品だそうです。<br />内部は天井も壁も波打ち窓からの採光と調和され独特の雰囲気が見れるようで、屋上には独創的なデザインの煙突や階段室が立ち並び夢の中の風景に例えられるようです。<br />現在、内部は1階が店舗、屋上階がガウディ建築の博物館になっているようです。

    カサ・ミラの建物前の左側のガス灯も、ガウディの作品だそうです。
    直線部分をもたないデザインは非常に壮麗かつ印象的な建物で外観の波打つ曲線は地中海をイメージして作られたようで、すべての壁が緩やかな局面を持ち玄関や窓などの造形も幻想的な雰囲気で一つ一つ異なるバルコニーは素材として鉄を用いながら波に漂う海藻のような柔らかな造形を生み出しているようです。
    このバルコニーはジュジョルの作品だそうです。
    内部は天井も壁も波打ち窓からの採光と調和され独特の雰囲気が見れるようで、屋上には独創的なデザインの煙突や階段室が立ち並び夢の中の風景に例えられるようです。
    現在、内部は1階が店舗、屋上階がガウディ建築の博物館になっているようです。

  • バルセロネータ海岸に客船だ! 横浜みたいですね。<br />1992年の夏季オリンピック開催地に選ばれたことを契機に、大がかりな都市の再開発が進められたそうで、バルセロナの魅力をアピールするきっかけとなったようですね。

    バルセロネータ海岸に客船だ! 横浜みたいですね。
    1992年の夏季オリンピック開催地に選ばれたことを契機に、大がかりな都市の再開発が進められたそうで、バルセロナの魅力をアピールするきっかけとなったようですね。

  • 砂浜で遊ぶ皆さんが羨ましいです。<br />バルセロネータ海岸は、きらめく地中海を満喫できるシーサイドエリアで旧市街から5分程歩くだけで砂浜が続く美しいビーチが目の前に現れるようです。<br />海岸沿いには、散歩道が整備され心地よい潮風を感じながらの散策に丁度良いとのことでした。<br />また、シーフードを専門とする人気レストランも集まっているそうです。<br />夕食場所はその一つの店だったようですね。

    砂浜で遊ぶ皆さんが羨ましいです。
    バルセロネータ海岸は、きらめく地中海を満喫できるシーサイドエリアで旧市街から5分程歩くだけで砂浜が続く美しいビーチが目の前に現れるようです。
    海岸沿いには、散歩道が整備され心地よい潮風を感じながらの散策に丁度良いとのことでした。
    また、シーフードを専門とする人気レストランも集まっているそうです。
    夕食場所はその一つの店だったようですね。

  • 夏にしかできないのではと思っていましたが、ここでは砂浜でビーチバレーに趣じている風景を見ることができるのでバルセロネータ海岸の気候は素晴らしいですね。<br />ここは新しいマリーナがある地区で市営のヨットスクールをはじめとしたマリンスポーツが盛んな場所であると共に、数多くのレストランやバーが軒を連ねるバルセロナ一の賑やかなスポットだそうです。

    夏にしかできないのではと思っていましたが、ここでは砂浜でビーチバレーに趣じている風景を見ることができるのでバルセロネータ海岸の気候は素晴らしいですね。
    ここは新しいマリーナがある地区で市営のヨットスクールをはじめとしたマリンスポーツが盛んな場所であると共に、数多くのレストランやバーが軒を連ねるバルセロナ一の賑やかなスポットだそうです。

  • バルセロネータ海岸のレストラン MARISQUERIAで、パンコントマテを味わいました。<br />パンに完熟トマトとニンニクをすり込みオリーブオイルと潮をかけた定番メニューらしいですね。<br />

    バルセロネータ海岸のレストラン MARISQUERIAで、パンコントマテを味わいました。
    パンに完熟トマトとニンニクをすり込みオリーブオイルと潮をかけた定番メニューらしいですね。

  • バルセロネータ海岸のレストラン MARISQUERIAでミックスサラダを<br />もちろんオリーブ油とラズベリー酢を使用していただきました。<br />

    バルセロネータ海岸のレストラン MARISQUERIAでミックスサラダを
    もちろんオリーブ油とラズベリー酢を使用していただきました。

  • バルセロネータ海岸のレストラン MARISQUERIAの店内で、窓からヨットハーバーを眺めながら食事ができるようで、夏にはテラスも気持ちがいいそうです。<br />カタルーニャ料理と新鮮な地中海シーフードがおすすめだそうです。

    バルセロネータ海岸のレストラン MARISQUERIAの店内で、窓からヨットハーバーを眺めながら食事ができるようで、夏にはテラスも気持ちがいいそうです。
    カタルーニャ料理と新鮮な地中海シーフードがおすすめだそうです。

  • バルセロネータ海岸のレストランの料理に調味料(オリーブオイルとラズベリー酢)を使用して戴きました。<br />世界で最も健康的な食事として、称賛されている地中海料理の源はアンダルシアにあるともいわれています。<br />また、アラブ民族の影響を大きく受けており多くの民族や文化に触れてきたこの地ではバラエティにとんだ料理を味わうことができるそうです。

    バルセロネータ海岸のレストランの料理に調味料(オリーブオイルとラズベリー酢)を使用して戴きました。
    世界で最も健康的な食事として、称賛されている地中海料理の源はアンダルシアにあるともいわれています。
    また、アラブ民族の影響を大きく受けており多くの民族や文化に触れてきたこの地ではバラエティにとんだ料理を味わうことができるそうです。

  • バルセロネータ海岸のレストランでムール貝をいただきました。<br />

    バルセロネータ海岸のレストランでムール貝をいただきました。

  • バルセロネータ海岸のレストラン、美味しそうな海老と蟹ですね。

    バルセロネータ海岸のレストラン、美味しそうな海老と蟹ですね。

  • バルセロネータ海岸のレストラン、新鮮な鮃(ヒラメ)が並んでいます。

    バルセロネータ海岸のレストラン、新鮮な鮃(ヒラメ)が並んでいます。

  • バルセロネータ海岸のレストラン、活ロブスターと海老ですね。

    バルセロネータ海岸のレストラン、活ロブスターと海老ですね。

  • バルセロネータ海岸のレストラン、新鮮な魚類が豊富で通りから見えるように並べてあり、<br />活ロブスターもはさみを縛られていました。

    バルセロネータ海岸のレストラン、新鮮な魚類が豊富で通りから見えるように並べてあり、
    活ロブスターもはさみを縛られていました。

  • バルセロネータ海岸のレストラン、Silorsstreの入口です。<br />美味しいレストランが並ぶエリアに、マリンスポーツの後にでも立ち寄りたいものですね。

    バルセロネータ海岸のレストラン、Silorsstreの入口です。
    美味しいレストランが並ぶエリアに、マリンスポーツの後にでも立ち寄りたいものですね。

  • バルセロネータ海岸のレストランは、人通りも多く流行っているようですね。<br />美味しい料理を求めて、カタルーニヤの郷土料理や地中海シーフードなどを求めて集まってこられるのでしょうか。<br />旧市街から5分ほど歩くだけで白いビーチに到着できるようで、きらめく地中海を満喫できるシーサイドへ、今一度立ち寄りたいエリアですね。

    バルセロネータ海岸のレストランは、人通りも多く流行っているようですね。
    美味しい料理を求めて、カタルーニヤの郷土料理や地中海シーフードなどを求めて集まってこられるのでしょうか。
    旧市街から5分ほど歩くだけで白いビーチに到着できるようで、きらめく地中海を満喫できるシーサイドへ、今一度立ち寄りたいエリアですね。

  • バルセロネータ海岸のヨットハーバーを撮りました。<br />市内のビーチ、バロセロナのような太陽とビーチそして歴史的、文化的遺産を同時に楽しめる都市は多くはありません。<br />日本で考えたら、2020年の東京オリンピックのヨット競技場に選ばれた神奈川県の江の島あたりでしょうか。

    バルセロネータ海岸のヨットハーバーを撮りました。
    市内のビーチ、バロセロナのような太陽とビーチそして歴史的、文化的遺産を同時に楽しめる都市は多くはありません。
    日本で考えたら、2020年の東京オリンピックのヨット競技場に選ばれた神奈川県の江の島あたりでしょうか。

  • バルセロネータ海岸です。<br />波うち際に泳いでいる人もおられるようで、今日も天気が良く絶好の海水日和でしょうか。<br />きらめく地中海を満喫できるシーサイドは、旧市街から5分も歩くだけで白いビーチに到着する市民の憩いの場でもあり、美味しいレストランが並ぶ楽しいエリアだそうです。<br />12月に泳げるなんて、バルセロネータ海岸は素晴らしいですね。

    バルセロネータ海岸です。
    波うち際に泳いでいる人もおられるようで、今日も天気が良く絶好の海水日和でしょうか。
    きらめく地中海を満喫できるシーサイドは、旧市街から5分も歩くだけで白いビーチに到着する市民の憩いの場でもあり、美味しいレストランが並ぶ楽しいエリアだそうです。
    12月に泳げるなんて、バルセロネータ海岸は素晴らしいですね。

  • 憧れのサグラダ・ファミリア(聖家族教会)に到着しました。<br />バルセロナが生んだ建築家ガウディが、1883年から1926年に至る迄の40年間以上を費やし生涯をかけた作品で、ゴシック様式の教会だそうです。<br />ガウディはレウスで誕生し、1878年バルセロナにて学位を取得しました。<br />バルセロナは活躍した街でもあり、しかも彼の個性の開花には最適な時期でもあったようで当時はルネサンス期にあり、経済的な繁栄のために都市計画も拡張期だったそうです。<br />更に、ヨーロッパの新しい文化の傾向に共鳴するブルジョア階級のパトロンが現れたのだそうです。<br />

    憧れのサグラダ・ファミリア(聖家族教会)に到着しました。
    バルセロナが生んだ建築家ガウディが、1883年から1926年に至る迄の40年間以上を費やし生涯をかけた作品で、ゴシック様式の教会だそうです。
    ガウディはレウスで誕生し、1878年バルセロナにて学位を取得しました。
    バルセロナは活躍した街でもあり、しかも彼の個性の開花には最適な時期でもあったようで当時はルネサンス期にあり、経済的な繁栄のために都市計画も拡張期だったそうです。
    更に、ヨーロッパの新しい文化の傾向に共鳴するブルジョア階級のパトロンが現れたのだそうです。

  • ついに対面できました。<br />サグラダ・ファミリアの生誕ファサードです。<br />ガウディは、石とセラミックで出来た神の福音ともいえる4本の生誕の門から着工し始めましたが彼の存命中に完成したのは、この生誕ファサードのみでしたね。<br />バルセロナのシンボルであるこの教会の建設資金は、信者からの寄付及び教会は拝観料のみで現在も引き続き建設が進められているようです。<br />完成時には176mにも達する塔を含め18本の塔が建設される予定だそうです。

    ついに対面できました。
    サグラダ・ファミリアの生誕ファサードです。
    ガウディは、石とセラミックで出来た神の福音ともいえる4本の生誕の門から着工し始めましたが彼の存命中に完成したのは、この生誕ファサードのみでしたね。
    バルセロナのシンボルであるこの教会の建設資金は、信者からの寄付及び教会は拝観料のみで現在も引き続き建設が進められているようです。
    完成時には176mにも達する塔を含め18本の塔が建設される予定だそうです。

  • 生誕ファサード前から池前広場へ、サグラダ・ファミリアの勇姿を撮りました。<br />巨匠ガウディが生前に 「バルセロナはこの教会で世界に知られるようになる」 と予言した通り、この壮大なプロジェクトからなる聖家族教会はバルセロナのシンボルとなっていました。<br />ガウディの形成期には1988年の世界万博の頃に生まれたモデルニスモの世代の考え方だけでなくビオレ・ル・ドゥックやラスキンの理論にも影響を受けたようで、しかし直ぐに彼らの歴史を通して支配的であった様式をただ折衷するのみという19世紀的なやり方とは決別し、ガウディのものとすぐに見分けがつき具体的な主義に分類できない独自の美学を生み出したそうです。

    生誕ファサード前から池前広場へ、サグラダ・ファミリアの勇姿を撮りました。
    巨匠ガウディが生前に 「バルセロナはこの教会で世界に知られるようになる」 と予言した通り、この壮大なプロジェクトからなる聖家族教会はバルセロナのシンボルとなっていました。
    ガウディの形成期には1988年の世界万博の頃に生まれたモデルニスモの世代の考え方だけでなくビオレ・ル・ドゥックやラスキンの理論にも影響を受けたようで、しかし直ぐに彼らの歴史を通して支配的であった様式をただ折衷するのみという19世紀的なやり方とは決別し、ガウディのものとすぐに見分けがつき具体的な主義に分類できない独自の美学を生み出したそうです。

  • 池前からの鏡写しのサグラダ・ファミリアです。この写真を撮りたかったのです。<br />聖家族教会は、2010年11月7日に教皇ベネディクト16世によりパシリカ(大聖堂)として荘厳に祝別され、公開された神聖な礼拝所となったそうです。<br />1882年大聖堂の初代建築家フランシスコ・デ・バウラ・デル・ピリヤールの設計による、このプロジェクトの磁石が置かれました。<br />一年半後にガウディがこの建築を引き継ぎ、大聖堂をより優れた革新的なものに発展させるために取り組み、以後43年にわたって建築に打ち込みました。<br />この大聖堂は今日も尚、ガウディが準備した模型に従って建築が続けられています。<br />

    イチオシ

    池前からの鏡写しのサグラダ・ファミリアです。この写真を撮りたかったのです。
    聖家族教会は、2010年11月7日に教皇ベネディクト16世によりパシリカ(大聖堂)として荘厳に祝別され、公開された神聖な礼拝所となったそうです。
    1882年大聖堂の初代建築家フランシスコ・デ・バウラ・デル・ピリヤールの設計による、このプロジェクトの磁石が置かれました。
    一年半後にガウディがこの建築を引き継ぎ、大聖堂をより優れた革新的なものに発展させるために取り組み、以後43年にわたって建築に打ち込みました。
    この大聖堂は今日も尚、ガウディが準備した模型に従って建築が続けられています。

  • サグラダ・ファミリアの地上部を撮りました。<br />スペイン北東のカタルーニャ地方に位置し、1882年から建設が続くスペインを代表する巨大建築です。<br />サグラダ・ファミリアを有する芸術の街バルセロナは、建築家ガウディの彫刻群やビカソやダリ、ミロなど多くの天才画家作品が揃う人気の美術館がそろっているようです。<br />中世から変わらない古い街並みと斬新なアイデアを生み出す、この街独自の自由さは今も世界中の観光客を引きつけていますね。<br />闊達なカタルーニャ人の気質を肌で感じられるスペインでも、人気の高い観光都市だと思います。

    サグラダ・ファミリアの地上部を撮りました。
    スペイン北東のカタルーニャ地方に位置し、1882年から建設が続くスペインを代表する巨大建築です。
    サグラダ・ファミリアを有する芸術の街バルセロナは、建築家ガウディの彫刻群やビカソやダリ、ミロなど多くの天才画家作品が揃う人気の美術館がそろっているようです。
    中世から変わらない古い街並みと斬新なアイデアを生み出す、この街独自の自由さは今も世界中の観光客を引きつけていますね。
    闊達なカタルーニャ人の気質を肌で感じられるスペインでも、人気の高い観光都市だと思います。

  • 池前広場からの鏡写しのサグラダ・ファミリアです。<br />聖堂周囲の全ての外陣の扉が出来上がる大聖堂は、8000人を収容する4500?の広さを持つ礼拝堂になるようです。<br />大聖堂建設はこれまでの計画の半分を超えており、現在は福音書家の4本の塔、聖母マリアの塔、最も高く中央にそびえるイエスの姿を象徴するイエス・キリストの塔そして栄光のファサードの4本の鐘楼などの建築が進められているようです。

    池前広場からの鏡写しのサグラダ・ファミリアです。
    聖堂周囲の全ての外陣の扉が出来上がる大聖堂は、8000人を収容する4500?の広さを持つ礼拝堂になるようです。
    大聖堂建設はこれまでの計画の半分を超えており、現在は福音書家の4本の塔、聖母マリアの塔、最も高く中央にそびえるイエスの姿を象徴するイエス・キリストの塔そして栄光のファサードの4本の鐘楼などの建築が進められているようです。

  • 池面に写る逆さ鏡写しのサグラダ・ファミリアを池前公園で撮りました。<br />サグラダ・ファミリアは、バルセロナのエンブレムでありそしてカタルーニャの芸術と精神的シンボルでもあるサグラダ・ファミリア(聖家族教会)は信者、友人そして世界各国から訪れる来客者の支援のおかげで建設が進められているようです。

    池面に写る逆さ鏡写しのサグラダ・ファミリアを池前公園で撮りました。
    サグラダ・ファミリアは、バルセロナのエンブレムでありそしてカタルーニャの芸術と精神的シンボルでもあるサグラダ・ファミリア(聖家族教会)は信者、友人そして世界各国から訪れる来客者の支援のおかげで建設が進められているようです。

  • 池面に逆さに写る鏡写しを撮りました。<br />実業家グエル家との出会いはガウディの生涯にとって特筆すべきことで、彼に多くの事業が任されバルセロナでの名声を得ることになったようです。<br />若い頃から聖家族教会との関わり合いで敬虔な信者になり、彼が抱える建築に関する問題を解決するためにも宗教への傾倒は強くなっていったようですね。<br />聖家族教会の他にバルセロナではサンタ・テレサ修道院、ベリャスグアル邸そしてコミーリャス、アストルガ、レオンやマヨルカ島のカテドラルの改装などの作品を残しているようです。

    池面に逆さに写る鏡写しを撮りました。
    実業家グエル家との出会いはガウディの生涯にとって特筆すべきことで、彼に多くの事業が任されバルセロナでの名声を得ることになったようです。
    若い頃から聖家族教会との関わり合いで敬虔な信者になり、彼が抱える建築に関する問題を解決するためにも宗教への傾倒は強くなっていったようですね。
    聖家族教会の他にバルセロナではサンタ・テレサ修道院、ベリャスグアル邸そしてコミーリャス、アストルガ、レオンやマヨルカ島のカテドラルの改装などの作品を残しているようです。

  • 池前公園からサグラダ・ファミリア生誕ファサードを撮りました。<br />1882年に建築家フランシスコ・デ・ビヤールが着工し、アントニ・ガウディが引き継いだのが1926年、彼の死後もいまだ建設が続く未完の協会で完成は2026年に完成なるかといわれ、完成すればイエスと聖母を表す2本の塔を中心にイエスの生誕、受難、栄光の3ファサードと、それぞれに4本づつの塔、福音書家に捧げる4本の塔、合計18本の鐘楼が建つことになるようですね。<br />今世紀最後のモデルニスモ(近代主義)建築といえるのではないでしょうか。<br />

    池前公園からサグラダ・ファミリア生誕ファサードを撮りました。
    1882年に建築家フランシスコ・デ・ビヤールが着工し、アントニ・ガウディが引き継いだのが1926年、彼の死後もいまだ建設が続く未完の協会で完成は2026年に完成なるかといわれ、完成すればイエスと聖母を表す2本の塔を中心にイエスの生誕、受難、栄光の3ファサードと、それぞれに4本づつの塔、福音書家に捧げる4本の塔、合計18本の鐘楼が建つことになるようですね。
    今世紀最後のモデルニスモ(近代主義)建築といえるのではないでしょうか。

  • サグラダ・ファミリア生誕ファサード 生命の樹など彫刻部を撮りました。<br />主任彫刻家は日本人で、ガウディはサグラダ・ファミリアに 「石で聖書を刻む」 という構想を持ち、弟子たちに託したと云われているようです。<br />その石による装飾は、二人の彫刻家が取り纏めているそうです。<br />受難ファサードは、地元の彫刻家スビラックスが担当し機械で造りガウディ構想と異なる超現実的なものを設置しているそうです。<br />生誕ファサードは外尾逸郎さんが担当し昔ながらの手仕事と作風を重視し日本人でありながらガウディそのものといわれる彫刻群を石で彫り続けておられるようです。

    サグラダ・ファミリア生誕ファサード 生命の樹など彫刻部を撮りました。
    主任彫刻家は日本人で、ガウディはサグラダ・ファミリアに 「石で聖書を刻む」 という構想を持ち、弟子たちに託したと云われているようです。
    その石による装飾は、二人の彫刻家が取り纏めているそうです。
    受難ファサードは、地元の彫刻家スビラックスが担当し機械で造りガウディ構想と異なる超現実的なものを設置しているそうです。
    生誕ファサードは外尾逸郎さんが担当し昔ながらの手仕事と作風を重視し日本人でありながらガウディそのものといわれる彫刻群を石で彫り続けておられるようです。

  • 生誕ファサード鐘塔部の “ 生命の樹 ” は純潔のシンボルと表現し、糸杉(鮮やかな緑色の葉)に止まる鳩たちの大理石彫刻が見えます。<br />この生命の樹は、日本人主任彫刻家の外尾悦郎さんが作成されたものだそうです。<br />ガウディは、愛徳の門 頂部に生誕ファサードの3つの門とイエス・キリストの勝利を表現した生命の樹をかたどった小尖塔をおき、緑色に彩色された常緑樹の糸杉(背の高さや根を張る特徴)で永遠の生命や点と地の結び付きから、永遠性の象徴を表現されたようですね。<br />

    生誕ファサード鐘塔部の “ 生命の樹 ” は純潔のシンボルと表現し、糸杉(鮮やかな緑色の葉)に止まる鳩たちの大理石彫刻が見えます。
    この生命の樹は、日本人主任彫刻家の外尾悦郎さんが作成されたものだそうです。
    ガウディは、愛徳の門 頂部に生誕ファサードの3つの門とイエス・キリストの勝利を表現した生命の樹をかたどった小尖塔をおき、緑色に彩色された常緑樹の糸杉(背の高さや根を張る特徴)で永遠の生命や点と地の結び付きから、永遠性の象徴を表現されたようですね。

  • サグラダ・ファミリア生誕ファサードの鐘塔は4本、2026年完成の予定ですと現在建築の指揮を執る9代目設計責任者のジョルディ・ファウリさんが発表されたようです。<br />ガウディのインテリヤデザイナーとしての豊かな才能は、当時の有能な職人との密接な関係があったお陰で、建築空間を形成するすべての要素の鉄細工、家具、ステンドグラス、彫刻エレメント、モザイク、陶器などのデザインも行っていたようです。<br />彼は建築物においては、装飾が有機化され建築構造の中で一体化されるべきだと考えていたようです。

    サグラダ・ファミリア生誕ファサードの鐘塔は4本、2026年完成の予定ですと現在建築の指揮を執る9代目設計責任者のジョルディ・ファウリさんが発表されたようです。
    ガウディのインテリヤデザイナーとしての豊かな才能は、当時の有能な職人との密接な関係があったお陰で、建築空間を形成するすべての要素の鉄細工、家具、ステンドグラス、彫刻エレメント、モザイク、陶器などのデザインも行っていたようです。
    彼は建築物においては、装飾が有機化され建築構造の中で一体化されるべきだと考えていたようです。

  • 池前の公園からのサグラダ・ファミリアをバックに添乗員さんに撮って戴きました。<br />6年振りに青空の下で高くそびえる聖家族教会を入れて、念願の一枚になりました。<br />これからの建築予想はサグラダ・ファミリアの中央にイエス・キリストを象徴する予定で完成すれば175メートルにも達するという “イエスの塔” と、その周囲に立つ4本の  “ 四福音書家の塔 ” (マタイ、ヨハネ、ルカ、マルコの4人の名前)、イエスの塔を見守るような位置に建てられる “ 聖母マリアの塔 ” 、そしてこれら6本のメインタワーを取り囲む12本の  “ 十二使徒の塔 ”  といった計18本の鐘塔と、その後陣の建物および聖堂本体によって構成される計画だそうですね。

    池前の公園からのサグラダ・ファミリアをバックに添乗員さんに撮って戴きました。
    6年振りに青空の下で高くそびえる聖家族教会を入れて、念願の一枚になりました。
    これからの建築予想はサグラダ・ファミリアの中央にイエス・キリストを象徴する予定で完成すれば175メートルにも達するという “イエスの塔” と、その周囲に立つ4本の “ 四福音書家の塔 ” (マタイ、ヨハネ、ルカ、マルコの4人の名前)、イエスの塔を見守るような位置に建てられる “ 聖母マリアの塔 ” 、そしてこれら6本のメインタワーを取り囲む12本の “ 十二使徒の塔 ” といった計18本の鐘塔と、その後陣の建物および聖堂本体によって構成される計画だそうですね。

  • 工事クレーンが未完成を示していますね。珍しい未完成の世界遺産作品です。<br />ガウディの革新的手法の大胆さと特異性は、当時すでに賞賛に値していたようで、<br />同時に論議の的となったこともあるそうですが、そんなことはすでに忘れ去られいまや彼の名声は世界中に響きわたることとなったようです。<br />専門家の間では、彼の評判に議論の余地はなく一般大衆の憧憬をも得て確固たるものとなっていったようですね。

    工事クレーンが未完成を示していますね。珍しい未完成の世界遺産作品です。
    ガウディの革新的手法の大胆さと特異性は、当時すでに賞賛に値していたようで、
    同時に論議の的となったこともあるそうですが、そんなことはすでに忘れ去られいまや彼の名声は世界中に響きわたることとなったようです。
    専門家の間では、彼の評判に議論の余地はなく一般大衆の憧憬をも得て確固たるものとなっていったようですね。

  • 生誕ファサードはファサードを構成する3つの門のうち、左手にある “ 希望の門 ” はカトリック教会の守護聖人である聖ヨセフに捧げられているようです。<br />また、聖家族の生涯の様々な場面が表現され困難な時代におけるキリスト教の対神徳の価値を伝えているそうです。<br />そして、真ん中の “ 慈悲の門 ” はイエス・キリスト生誕を表した彫刻群が構図の中心におかれたものの、数多くの彫刻の中で聖母マリアが主役になっているそうで歓喜や高潔、利他やさまざまな徳が謳われているかのようですね。<br />生誕ファサードを飾る彫刻の多くは1936年のスペイン市民戦争で破壊されましたが、1978年以降は日本人彫刻家の外尾悦郎さんが破損した彫刻の修復作業に協力しておられるそうですね。

    生誕ファサードはファサードを構成する3つの門のうち、左手にある “ 希望の門 ” はカトリック教会の守護聖人である聖ヨセフに捧げられているようです。
    また、聖家族の生涯の様々な場面が表現され困難な時代におけるキリスト教の対神徳の価値を伝えているそうです。
    そして、真ん中の “ 慈悲の門 ” はイエス・キリスト生誕を表した彫刻群が構図の中心におかれたものの、数多くの彫刻の中で聖母マリアが主役になっているそうで歓喜や高潔、利他やさまざまな徳が謳われているかのようですね。
    生誕ファサードを飾る彫刻の多くは1936年のスペイン市民戦争で破壊されましたが、1978年以降は日本人彫刻家の外尾悦郎さんが破損した彫刻の修復作業に協力しておられるそうですね。

  • 生誕ファサードの3つの門の真ん中にある門を “ 慈悲の門 ” と呼ぶそうです。<br />その柱部分を   “ イエスの柱 ” と呼び、その装飾は上の部分から “ いと高きところの神の栄光 ” 、  “ 羽根のない天使 ” 、  “ イエスの生誕 ” 、 “ イエスの御名 ” 、 “ イエスの系譜 ” 、 “ ヘビを囲う柵の象徴 ” そして “ リンゴとヘビの彫刻 ” などで表現されたようです。<br />聖家族の姿を上部に頂く象徴性に満ちた装飾が施されたマリオン(方立)で、生誕ファサード側のメインエントランスとなる扉口を2つのアーチに分けています。<br />これらの彫刻とイエスの柱そして装飾などで表現されたようです。

    生誕ファサードの3つの門の真ん中にある門を “ 慈悲の門 ” と呼ぶそうです。
    その柱部分を “ イエスの柱 ” と呼び、その装飾は上の部分から “ いと高きところの神の栄光 ” 、 “ 羽根のない天使 ” 、 “ イエスの生誕 ” 、 “ イエスの御名 ” 、 “ イエスの系譜 ” 、 “ ヘビを囲う柵の象徴 ” そして “ リンゴとヘビの彫刻 ” などで表現されたようです。
    聖家族の姿を上部に頂く象徴性に満ちた装飾が施されたマリオン(方立)で、生誕ファサード側のメインエントランスとなる扉口を2つのアーチに分けています。
    これらの彫刻とイエスの柱そして装飾などで表現されたようです。

  • 生誕ファザード 彫刻部のほぼ全体を撮りましたが、このファサードはガウディ本人が細部に至るまで設計を行い かつ完成を見ることができた唯一の部分だそうでサグラダ・ファミリアで最もガウディらしい部分だとされており、プロジェクトの後継者たちが建設見本として役立て彫刻や装飾の仕上げを観察する設計者が当初掲げていた目標を見事に達成しているとのことでした。<br />そして、それを可能にしたのは富裕層の人々からの寄付金などがあったからだそうです。

    生誕ファザード 彫刻部のほぼ全体を撮りましたが、このファサードはガウディ本人が細部に至るまで設計を行い かつ完成を見ることができた唯一の部分だそうでサグラダ・ファミリアで最もガウディらしい部分だとされており、プロジェクトの後継者たちが建設見本として役立て彫刻や装飾の仕上げを観察する設計者が当初掲げていた目標を見事に達成しているとのことでした。
    そして、それを可能にしたのは富裕層の人々からの寄付金などがあったからだそうです。

  • 生誕ファサード “ 慈悲の門 ” の彫刻は、左側下の彫刻は 「東方三賢人の礼拝」 と、その上の 「奏楽の天使たち」 などを表現したものだそうです。<br />生誕ファサードの彫刻全体については、イエス誕生の出来事を全ての被造物が喜び祝福している様子を表し、ナザレの聖家族に関する物語が示されているそうです。<br />アントニ・ガウディはこの大聖堂の壮大な全容を明示するために始めにこの生誕ファサードを完成させようとしたようですね。

    生誕ファサード “ 慈悲の門 ” の彫刻は、左側下の彫刻は 「東方三賢人の礼拝」 と、その上の 「奏楽の天使たち」 などを表現したものだそうです。
    生誕ファサードの彫刻全体については、イエス誕生の出来事を全ての被造物が喜び祝福している様子を表し、ナザレの聖家族に関する物語が示されているそうです。
    アントニ・ガウディはこの大聖堂の壮大な全容を明示するために始めにこの生誕ファサードを完成させようとしたようですね。

  • 生誕ファサード “ 慈悲の門 ” の彫刻は、下から 「羊飼いの礼拝」 は最初に星を見てキリストに祈ったのが羊飼いといわれ民衆の象徴とされているようで、また未飼いの帽子はカタルーニャ州の伝統衣装だそうです。<br />そして、その上の彫刻は 「奏楽の天使たち」 で6人の天使はハーブ・バイオリン・ファゴットそして民族楽器を奏でている様子を表現しているそうです。<br />その奏楽の天使たちは外尾悦郎さんの作品だそうです。<br />説明がダブリますが書きました。

    生誕ファサード “ 慈悲の門 ” の彫刻は、下から 「羊飼いの礼拝」 は最初に星を見てキリストに祈ったのが羊飼いといわれ民衆の象徴とされているようで、また未飼いの帽子はカタルーニャ州の伝統衣装だそうです。
    そして、その上の彫刻は 「奏楽の天使たち」 で6人の天使はハーブ・バイオリン・ファゴットそして民族楽器を奏でている様子を表現しているそうです。
    その奏楽の天使たちは外尾悦郎さんの作品だそうです。
    説明がダブリますが書きました。

  • 生誕ファサード “ 希望の門 ” の彫刻は 「嬰児虐待」 が、この写真に撮れており巨大なローマ兵士が生まれたばかりの子供を殺そうとしている様子を表現されたようで、ローマ兵の足元に横たわる2人の赤ん坊の遺体が、さらに兵士の手にすがり子供たちを守ろうとする母親の姿があります。<br />

    生誕ファサード “ 希望の門 ” の彫刻は 「嬰児虐待」 が、この写真に撮れており巨大なローマ兵士が生まれたばかりの子供を殺そうとしている様子を表現されたようで、ローマ兵の足元に横たわる2人の赤ん坊の遺体が、さらに兵士の手にすがり子供たちを守ろうとする母親の姿があります。

  • 生誕ファサード3つある門のうち左側の “ 希望の門 ” にあり、その彫刻は 「エジプトヘの逃避」 が左下に写っており、キリストを抱いてエジプトヘ逃げるマリアの姿を描いた彫刻だそうで、反対側には 「嬰児虐待」 が彫刻されていますね。そして聖堂の東側を含めて、3つの門で構成された生誕ファサードにはイエス・キリストの生涯で初めの頃の出来事が明るく生気に満ちた彫刻や装飾を通して表現されたそうです。<br />また左側の希望の門では、聖ヨセフに象徴されるキリスト教の美徳を表現されたようです。

    生誕ファサード3つある門のうち左側の “ 希望の門 ” にあり、その彫刻は 「エジプトヘの逃避」 が左下に写っており、キリストを抱いてエジプトヘ逃げるマリアの姿を描いた彫刻だそうで、反対側には 「嬰児虐待」 が彫刻されていますね。そして聖堂の東側を含めて、3つの門で構成された生誕ファサードにはイエス・キリストの生涯で初めの頃の出来事が明るく生気に満ちた彫刻や装飾を通して表現されたそうです。
    また左側の希望の門では、聖ヨセフに象徴されるキリスト教の美徳を表現されたようです。

  • 生誕ファサード  “ 希望の門 ” の彫刻は、右側に 「嬰児虐待」 、左側に 「エジプトヘの逃避」 などを表現したものだそうです。<br />また、ガウディはプロゼェクトの後継者たちが建設工事を続けるための手本として生誕ファサードを遺したようですね。

    生誕ファサード “ 希望の門 ” の彫刻は、右側に 「嬰児虐待」 、左側に 「エジプトヘの逃避」 などを表現したものだそうです。
    また、ガウディはプロゼェクトの後継者たちが建設工事を続けるための手本として生誕ファサードを遺したようですね。

  • 生誕ファサード “ 慈悲の門 ” の彫刻 は、柱上部の 「キリストの生誕」 は生まれたばかりのキリストがマリアとヨセフに見守られている場面を表現されたものだそうで、その上の 「イエスを囲む天使たち」 はファサードの天使たちには羽根がない、天使は神と人間の間の存在とされ、ガウディはより人間に近づけたかったからだといわれているそうですね。<br />その右の 「奏楽の天使たち」 そして 「受胎告知」 は絵画でも頻繁に取り上げられる場面で、神の子の母に選ばれたことを大天使ガブリエルがマリアに伝える場面などを表現したそうです。<br />写真に彫刻がダブリますとその説明も重なりますが書きました。

    生誕ファサード “ 慈悲の門 ” の彫刻 は、柱上部の 「キリストの生誕」 は生まれたばかりのキリストがマリアとヨセフに見守られている場面を表現されたものだそうで、その上の 「イエスを囲む天使たち」 はファサードの天使たちには羽根がない、天使は神と人間の間の存在とされ、ガウディはより人間に近づけたかったからだといわれているそうですね。
    その右の 「奏楽の天使たち」 そして 「受胎告知」 は絵画でも頻繁に取り上げられる場面で、神の子の母に選ばれたことを大天使ガブリエルがマリアに伝える場面などを表現したそうです。
    写真に彫刻がダブリますとその説明も重なりますが書きました。

  • 生誕ファサード “ 愛徳の門 ”の 海龜さんが柱を支えている 「モニュメンタルな柱」 がありますが、東側の生誕ファサードの3つの門を分ける棕櫚の木のようなフォルムをした巨大な柱の中程に 聖ヨセフの銘 が刻まれており、また柱を飾る頂部には 「ラッパを吹く天使」 がブロンズのラッパを吹き、イエスの生誕を告げる天使像が対になっておかれており、山に最も近い位置にある柱を支える基部には海亀さんの姿が置かれていましたが、海亀はかわらないものとの意味が込められているのだそうですね。<br />そして、柱身の溝飾りがスバイラル状につけられたファサードの柱は、エルサレムの正殿にあるサロモンの柱を思わせるようですね。

    生誕ファサード “ 愛徳の門 ”の 海龜さんが柱を支えている 「モニュメンタルな柱」 がありますが、東側の生誕ファサードの3つの門を分ける棕櫚の木のようなフォルムをした巨大な柱の中程に 聖ヨセフの銘 が刻まれており、また柱を飾る頂部には 「ラッパを吹く天使」 がブロンズのラッパを吹き、イエスの生誕を告げる天使像が対になっておかれており、山に最も近い位置にある柱を支える基部には海亀さんの姿が置かれていましたが、海亀はかわらないものとの意味が込められているのだそうですね。
    そして、柱身の溝飾りがスバイラル状につけられたファサードの柱は、エルサレムの正殿にあるサロモンの柱を思わせるようですね。

  • 生誕ファサード  “ 望徳の門 ” の彫刻は、「エジプトへの逃避」 の彫刻が写っていますが、幼いキリストを抱いたマリア達がエジプトへ逃れる場面を表現したものだそうで、その彫刻の左側には、回廊などの建物が続いているのが見えますね。<br />また、この写真では見えませんが ロザリオ及びモンセラットの聖母に捧げられた二つの扉口が作られたそうです。<br />そして、ガウディは回廊についての概念を覆してそれまでの機能に加えて通りのざわめきを遮ると同時に宗教行列を行える列柱空間を生み出すという新たな有用性を加えられたそうですね。

    生誕ファサード “ 望徳の門 ” の彫刻は、「エジプトへの逃避」 の彫刻が写っていますが、幼いキリストを抱いたマリア達がエジプトへ逃れる場面を表現したものだそうで、その彫刻の左側には、回廊などの建物が続いているのが見えますね。
    また、この写真では見えませんが ロザリオ及びモンセラットの聖母に捧げられた二つの扉口が作られたそうです。
    そして、ガウディは回廊についての概念を覆してそれまでの機能に加えて通りのざわめきを遮ると同時に宗教行列を行える列柱空間を生み出すという新たな有用性を加えられたそうですね。

  • 生誕ファサード彫刻の全体は、イエス・キリストの生誕物語を表現したものだそうです。<br />1892年着工され、ガウディが建築を監修し約30年かけて完成したようで、現在使われているセメントではなく、石で造られた重厚さも素晴らしいですね。<br />「エジプトへの逃避」、「嬰児虐待」、そして「緑の植物」などが撮れています。<br />“ 希望の門 ”の 緑の植物は、日本人彫刻家外尾悦郎さんが制作されたものだそうです。<br />生誕ファサードを飾る彫刻の多くは1936年のスペイン市民戦争で破壊されましたが、1978年以降は外尾さんが破損した彫刻の修理作業にも協力されておられるそうですね。<br />

    生誕ファサード彫刻の全体は、イエス・キリストの生誕物語を表現したものだそうです。
    1892年着工され、ガウディが建築を監修し約30年かけて完成したようで、現在使われているセメントではなく、石で造られた重厚さも素晴らしいですね。
    「エジプトへの逃避」、「嬰児虐待」、そして「緑の植物」などが撮れています。
    “ 希望の門 ”の 緑の植物は、日本人彫刻家外尾悦郎さんが制作されたものだそうです。
    生誕ファサードを飾る彫刻の多くは1936年のスペイン市民戦争で破壊されましたが、1978年以降は外尾さんが破損した彫刻の修理作業にも協力されておられるそうですね。

  • 生誕ファサード “ 希望の門 ” の 「緑の植物」 の彫刻が見えます。<br />その作者は日本人主任彫刻家 外尾悦郎さんの作品で実に見事です。<br />ガウディは、地味なツタに目を向けることこそ慈愛なのではと思われ、イエスの生まれた馬小屋や地べたにも虫もいただろうと気付き、緑の植物をよく見ると緑の葉の側にトカゲや昆虫などが見つけられましたね。<br />またガウディは自然から学ぶべきではと説き“ 天使の能力 ”と呼んだそうです。

    生誕ファサード “ 希望の門 ” の 「緑の植物」 の彫刻が見えます。
    その作者は日本人主任彫刻家 外尾悦郎さんの作品で実に見事です。
    ガウディは、地味なツタに目を向けることこそ慈愛なのではと思われ、イエスの生まれた馬小屋や地べたにも虫もいただろうと気付き、緑の植物をよく見ると緑の葉の側にトカゲや昆虫などが見つけられましたね。
    またガウディは自然から学ぶべきではと説き“ 天使の能力 ”と呼んだそうです。

  • 生誕ファサード “ 信徳の門 ” の彫刻 は、「羊飼いの礼拝」 と 「奏楽の天使たち」 などが撮れていますが、羊飼いの礼拝は最初に星を見てキリストに祈ったのが羊飼いといわれ民衆の象徴とされているそうで、羊飼いの帽子はカタルーニャ州の伝統衣装だそうです。<br />また 「奏楽の天使たち」 では6人の天使はそれぞれハーブ、バイオリン、ファゴット、民族楽器を奏でているそうです。<br />この奏楽の天使たちは外尾悦郎さんの作品だそうです。<br />

    生誕ファサード “ 信徳の門 ” の彫刻 は、「羊飼いの礼拝」 と 「奏楽の天使たち」 などが撮れていますが、羊飼いの礼拝は最初に星を見てキリストに祈ったのが羊飼いといわれ民衆の象徴とされているそうで、羊飼いの帽子はカタルーニャ州の伝統衣装だそうです。
    また 「奏楽の天使たち」 では6人の天使はそれぞれハーブ、バイオリン、ファゴット、民族楽器を奏でているそうです。
    この奏楽の天使たちは外尾悦郎さんの作品だそうです。

  • 生誕ファサードは、ガウディ自らが指揮をとって最初に完成させた部分だそうで全面キリストの誕生に関わる彫刻で飾られており、また4本の塔と3つの門からなっており教会の全体を少しずつ作り上げるのではなくまずこのファザードを仕上げたかったところにガウディの思い入れが見られるようで、その彫刻はすべて手掘りのため精密で非常に細かくできており、石で造られた重厚さがとても素晴らしいと思います。<br />着工から130年以上たつ今でも建築は続けられていまして、巨大な建造物にも関わらず細かな彫刻の一つ一つにこだわっているからだと言われる人もおられるようで、手作業で刻まれた見事な彫刻は隅々にまでこだわっていました。<br />また、膨大な時間が費やされていると思われますし人類史上での究極の建物と呼ばれる理由がよく分かりました。

    生誕ファサードは、ガウディ自らが指揮をとって最初に完成させた部分だそうで全面キリストの誕生に関わる彫刻で飾られており、また4本の塔と3つの門からなっており教会の全体を少しずつ作り上げるのではなくまずこのファザードを仕上げたかったところにガウディの思い入れが見られるようで、その彫刻はすべて手掘りのため精密で非常に細かくできており、石で造られた重厚さがとても素晴らしいと思います。
    着工から130年以上たつ今でも建築は続けられていまして、巨大な建造物にも関わらず細かな彫刻の一つ一つにこだわっているからだと言われる人もおられるようで、手作業で刻まれた見事な彫刻は隅々にまでこだわっていました。
    また、膨大な時間が費やされていると思われますし人類史上での究極の建物と呼ばれる理由がよく分かりました。

  • ユーモアを加えられた現地添乗員の説明を、旅仲間の皆さんが楽しくそして真剣に聞いています。サグラダ・ファミリア(聖家族教会)の生誕ファサード前です。<br />説明を聞きながら上部の細かい彫刻部に圧倒されながら、上部を見上げるばかりて彫刻などのその精巧さに驚きながら、すごく巨大な歳月を要した建築物だと思いましたが…。<br />1882年着工1883年よりガウディが担当し、現在も建築中でモデルニスモ建築の最も良く知られたバロセロナのシンボルだと分かりました。

    ユーモアを加えられた現地添乗員の説明を、旅仲間の皆さんが楽しくそして真剣に聞いています。サグラダ・ファミリア(聖家族教会)の生誕ファサード前です。
    説明を聞きながら上部の細かい彫刻部に圧倒されながら、上部を見上げるばかりて彫刻などのその精巧さに驚きながら、すごく巨大な歳月を要した建築物だと思いましたが…。
    1882年着工1883年よりガウディが担当し、現在も建築中でモデルニスモ建築の最も良く知られたバロセロナのシンボルだと分かりました。

  • 生誕ファサード彫刻の青く見える部分の彫刻は 「イエス・キリストを囲む天使たち」 でこの天使たちには羽根がない、これは天使は神と人間の間の存在とされ<br />ガウディはより人間に近づけたかったからだと云われております。<br />また、その上の彫刻は  「受胎告知」 ですが、絵画でも頻繁に取り上げられる場面ですが、彫刻家ジャウマ・ブスケツの手になる作品で、大天使がガブリエルがマリアに対し、彼女が神の子を身ごもるため選ばれたことを告げる場面が表現されたた彫刻だそうです。

    生誕ファサード彫刻の青く見える部分の彫刻は 「イエス・キリストを囲む天使たち」 でこの天使たちには羽根がない、これは天使は神と人間の間の存在とされ
    ガウディはより人間に近づけたかったからだと云われております。
    また、その上の彫刻は 「受胎告知」 ですが、絵画でも頻繁に取り上げられる場面ですが、彫刻家ジャウマ・ブスケツの手になる作品で、大天使がガブリエルがマリアに対し、彼女が神の子を身ごもるため選ばれたことを告げる場面が表現されたた彫刻だそうです。

  • 生誕ファサード  “ 慈悲の門 ”  彫刻で、ステンドガラスの青く見える部分下の彫刻 「イエスを囲む天使たち」 は天使たちには羽根がない、天使は神と人間のあいだの存在とされ、ガウディはより人間に近づけたかったからだと思われたようです。<br />生前のガウディが実現できたのは、地下聖堂と生誕ファサードなどだけでありながらサグラダ・ファミリア(聖家族教会)は、2005年にユネスコの世界遺産に指定されているのですね。

    生誕ファサード  “ 慈悲の門 ”  彫刻で、ステンドガラスの青く見える部分下の彫刻 「イエスを囲む天使たち」 は天使たちには羽根がない、天使は神と人間のあいだの存在とされ、ガウディはより人間に近づけたかったからだと思われたようです。
    生前のガウディが実現できたのは、地下聖堂と生誕ファサードなどだけでありながらサグラダ・ファミリア(聖家族教会)は、2005年にユネスコの世界遺産に指定されているのですね。

  • 生誕ファサード 真ん中にある “ 慈悲の門 ” 柱頭の上にある彫刻は聖ヨセフの立像、イエスを抱きかかえる聖母マリア、クリスマス飾りの動物などがキリスト生誕の場面の聖家族を、また雄牛と雌ラバが見守る様子を表現した 「キリストの生誕」  は生まれたばかりのイエス・キリストがマリア様とヨセフに見守られてる場面を表わしたものだそうで、生誕ファサードで最も重要な彫刻だそうです。<br />教会のエントランスとなる 「イエスの柱」 の上に設置され、幼子イエスが顔をこちらに向けているため人々の視線を集める効果を挙げているようですね。<br />また、この場面はファサード全体に設置された彫刻群の中心となっているそうです。

    生誕ファサード 真ん中にある “ 慈悲の門 ” 柱頭の上にある彫刻は聖ヨセフの立像、イエスを抱きかかえる聖母マリア、クリスマス飾りの動物などがキリスト生誕の場面の聖家族を、また雄牛と雌ラバが見守る様子を表現した 「キリストの生誕」 は生まれたばかりのイエス・キリストがマリア様とヨセフに見守られてる場面を表わしたものだそうで、生誕ファサードで最も重要な彫刻だそうです。
    教会のエントランスとなる 「イエスの柱」 の上に設置され、幼子イエスが顔をこちらに向けているため人々の視線を集める効果を挙げているようですね。
    また、この場面はファサード全体に設置された彫刻群の中心となっているそうです。

  • 市民のための作品であるサグラダ・ファミリア教会は1882年にバルセロナの新市街地 「エンサンチェ」 で、建設が始められたそうです。<br />バルセロナで書店を営む編集者で慈善家のジュゼップ・マリア・ボカベリャ・ベルダゲーさんは聖ヨセフ信徒教会を創立し、後にサグラダ・ファミリア教会の建設を発案されたそうです。<br />サグラダ・ファミリア(聖家族教会)生誕ファサードは、アントニ・ガウディの唯一の遺作となりましたね。

    市民のための作品であるサグラダ・ファミリア教会は1882年にバルセロナの新市街地 「エンサンチェ」 で、建設が始められたそうです。
    バルセロナで書店を営む編集者で慈善家のジュゼップ・マリア・ボカベリャ・ベルダゲーさんは聖ヨセフ信徒教会を創立し、後にサグラダ・ファミリア教会の建設を発案されたそうです。
    サグラダ・ファミリア(聖家族教会)生誕ファサードは、アントニ・ガウディの唯一の遺作となりましたね。

  • 生誕ファサード “ 慈悲の門“ の彫刻を、この写真の上部に撮れている 「受胎告知」 は、絵画でも頻繁に取り上げられる場面を表現したもので、神の子の母に選ばれたことを大天使カブリエルがマリアに伝える場面を表しているそうです。<br />また、写真の真ん中部分やや下に 「イエスを囲む天使たち」 の彫刻が撮れていますが 天使には羽根がない、天使は神と人間の間の存在とされ、ガウディはより人間に近づけたかったからだと云われているようです。<br />この2つが、説明では他の写真とダブルかもしれませんが書きました。<br />

    生誕ファサード “ 慈悲の門“ の彫刻を、この写真の上部に撮れている 「受胎告知」 は、絵画でも頻繁に取り上げられる場面を表現したもので、神の子の母に選ばれたことを大天使カブリエルがマリアに伝える場面を表しているそうです。
    また、写真の真ん中部分やや下に 「イエスを囲む天使たち」 の彫刻が撮れていますが 天使には羽根がない、天使は神と人間の間の存在とされ、ガウディはより人間に近づけたかったからだと云われているようです。
    この2つが、説明では他の写真とダブルかもしれませんが書きました。

  • 生誕ファサード   “ 希望の門 ”  の彫刻は、モンセラットの山を思わせるような質感とエジプト逃避に呼応するかのように、ナイル川流域に生息する動植物をモチーフとした彫刻がおかれて、聖書によれば嬰児虐殺の予言により、聖家族はエジプトへ下って難を逃れたとされているそうです。<br />生誕ファサード左側に位置する聖ヨセフに捧げられた 希望の門 には、聖家族の生涯の様々の場面が表現され、困難な時代におけるキリスト教の対神徳の価値を伝えているようですね。<br />

    生誕ファサード “ 希望の門 ” の彫刻は、モンセラットの山を思わせるような質感とエジプト逃避に呼応するかのように、ナイル川流域に生息する動植物をモチーフとした彫刻がおかれて、聖書によれば嬰児虐殺の予言により、聖家族はエジプトへ下って難を逃れたとされているそうです。
    生誕ファサード左側に位置する聖ヨセフに捧げられた 希望の門 には、聖家族の生涯の様々の場面が表現され、困難な時代におけるキリスト教の対神徳の価値を伝えているようですね。

  • 生誕ファサード  “ 希望の門 ” の彫刻は “ 嬰児虐待 ”で、巨大なローマ兵士が生まれたばかりの子供を殺そうとしている様子などを表現されたそうです。<br />ローマ兵の足元には横たわる2人の赤ん坊の遺体が転がっています。<br />またその兵士の腕にすがって、子供たちを守ろうとする母親の姿が見えます。<br />写真が斜めになったので、見づらいですが…。<br />

    生誕ファサード “ 希望の門 ” の彫刻は “ 嬰児虐待 ”で、巨大なローマ兵士が生まれたばかりの子供を殺そうとしている様子などを表現されたそうです。
    ローマ兵の足元には横たわる2人の赤ん坊の遺体が転がっています。
    またその兵士の腕にすがって、子供たちを守ろうとする母親の姿が見えます。
    写真が斜めになったので、見づらいですが…。

  • 生誕ファサード  “ 希望の門 ” 彫刻を、「エジプトへの逃避」 は 聖家族を導く天使や幼子イエスを抱く聖母マリアの姿が表現されています。 <br />幼いキリストを抱いたマリアたちが、エジプトへ逃れる場面だそうです。<br /><br /><br />

    生誕ファサード “ 希望の門 ” 彫刻を、「エジプトへの逃避」 は 聖家族を導く天使や幼子イエスを抱く聖母マリアの姿が表現されています。 
    幼いキリストを抱いたマリアたちが、エジプトへ逃れる場面だそうです。


  • 生誕ファサード   “ 望徳の門 ” の彫刻を   左に 「エジプトへの逃避」 は聖家族を導く天使や幼子のイエスを抱く聖母マリアの姿が表現されています。 <br />ダブル説明ですが、書きました。<br />その上には 「イエスの家族」 はガウディの設定に従い、リョレンス・マタマラが制作したそうで、これらは困難な時代におけるキリスト教の対神徳の価値を伝えているようです。<br />次の予定場所に行きます。

    生誕ファサード “ 望徳の門 ” の彫刻を 左に 「エジプトへの逃避」 は聖家族を導く天使や幼子のイエスを抱く聖母マリアの姿が表現されています。 
    ダブル説明ですが、書きました。
    その上には 「イエスの家族」 はガウディの設定に従い、リョレンス・マタマラが制作したそうで、これらは困難な時代におけるキリスト教の対神徳の価値を伝えているようです。
    次の予定場所に行きます。

  • 生誕ファサードの  “ 希望の門 ” です。<br />「 緑の植物 」のガラス扉の上の方に聖堂内のステンドグラスの、その七色が輝いているのが見えますね。<br />聖堂内には、どんな光景が待っているのでしょうか。<br />これから 希望の門 より入場します。<br />気持ちがワクワクしています。

    生誕ファサードの “ 希望の門 ” です。
    「 緑の植物 」のガラス扉の上の方に聖堂内のステンドグラスの、その七色が輝いているのが見えますね。
    聖堂内には、どんな光景が待っているのでしょうか。
    これから 希望の門 より入場します。
    気持ちがワクワクしています。

  • バルセロナ サグラダ・ファミリア(聖家族教会)の生誕ファサード 聖堂内の翼廊を歩いています。<br />聖堂内のステンドグラスからの七色の輝きが、上から下まで見えてきました。<br />すごくきれいですね。

    バルセロナ サグラダ・ファミリア(聖家族教会)の生誕ファサード 聖堂内の翼廊を歩いています。
    聖堂内のステンドグラスからの七色の輝きが、上から下まで見えてきました。
    すごくきれいですね。

  • 東の生誕ファサード側廊の壁面下を飾るネオゴシック風のオジープ型の大窓や、薔薇窓は、それぞれ斬新なステンドグラスで飾られていました。<br />これは基本色のいずれかを施したガラスを3枚重ね、それによりかってない色合いを生み出すというガウディが考案した新しいシステムのステンドグラスだそうで、<br />また、時間により異なる方角から自然光が入るように工夫されているようです。<br />そのステンドグラスが自然光に色彩を与えているそうで、1999年にはジュアン・ビラ・イ・グラウが教会のステンドグラス制作の責任者になったようです。<br />それからガウディは、バルセロナ出身の画家でガラス職人そして宗教芸術に秀でておられる画家ミロとも仕事をされたようですね。

    東の生誕ファサード側廊の壁面下を飾るネオゴシック風のオジープ型の大窓や、薔薇窓は、それぞれ斬新なステンドグラスで飾られていました。
    これは基本色のいずれかを施したガラスを3枚重ね、それによりかってない色合いを生み出すというガウディが考案した新しいシステムのステンドグラスだそうで、
    また、時間により異なる方角から自然光が入るように工夫されているようです。
    そのステンドグラスが自然光に色彩を与えているそうで、1999年にはジュアン・ビラ・イ・グラウが教会のステンドグラス制作の責任者になったようです。
    それからガウディは、バルセロナ出身の画家でガラス職人そして宗教芸術に秀でておられる画家ミロとも仕事をされたようですね。

  • 聖堂内天井部は棕櫚の葉をイメージしているようで、ガウディが最後の15年に、将来自分ではない建築家が進めることを前提に計画した部分だそうです。<br />また、ガウディが教会内に創りだそうとした神聖な森は建築史に革命をもたらす 「樹木のような柱」 というまったく新しい構造により実現されたそうです。<br />その柱の数は様々な高さや太さの36本の柱で支持されて、身廊と翼廊の交差部を支える最も太い柱には斑岩が、側廊の柱には軽い石が、使われているようです。

    聖堂内天井部は棕櫚の葉をイメージしているようで、ガウディが最後の15年に、将来自分ではない建築家が進めることを前提に計画した部分だそうです。
    また、ガウディが教会内に創りだそうとした神聖な森は建築史に革命をもたらす 「樹木のような柱」 というまったく新しい構造により実現されたそうです。
    その柱の数は様々な高さや太さの36本の柱で支持されて、身廊と翼廊の交差部を支える最も太い柱には斑岩が、側廊の柱には軽い石が、使われているようです。

  • 西の受難ファサード内の暗闇みを、七色の濃い色彩で楕円型の薔薇窓がおかれました。<br />また右上に薄く黄色の丸い形の光源(マタイ?)が写っているのが見えますが、福音史家のシンボルの一つだそうです。<br />交差部を支持する4本の柱接続部のそれぞれに光源で飾られているのだそうで、柱の装飾として柱上部楕円形の部分には、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネを象徴するテトラモルフォ(4つの姿と名前)が表現され、4人のエバンヘリスト(福音書を書いた人)の名前の装飾が施されているようです。

    西の受難ファサード内の暗闇みを、七色の濃い色彩で楕円型の薔薇窓がおかれました。
    また右上に薄く黄色の丸い形の光源(マタイ?)が写っているのが見えますが、福音史家のシンボルの一つだそうです。
    交差部を支持する4本の柱接続部のそれぞれに光源で飾られているのだそうで、柱の装飾として柱上部楕円形の部分には、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネを象徴するテトラモルフォ(4つの姿と名前)が表現され、4人のエバンヘリスト(福音書を書いた人)の名前の装飾が施されているようです。

  • 聖堂内窓側の “ 淡いオレンジ色 ”で包みこむような明かりの配慮は、気持ちを温かくしてくれているようでした。<br />ガウディは樹木のような柱による構造処理を提案したそうで、交差部のヴォールトを支える4本の柱は、平面が12角形をしており直径は2.1mある斑岩の柱を、きわめて耐久性の高い玄武岩の柱は、直径1.75mあり平面が10角形をしているそうです。<br />また、青みがかった灰色をした花崗岩の柱は直径が1.4mあり平面には8角形が使われているようです。

    聖堂内窓側の “ 淡いオレンジ色 ”で包みこむような明かりの配慮は、気持ちを温かくしてくれているようでした。
    ガウディは樹木のような柱による構造処理を提案したそうで、交差部のヴォールトを支える4本の柱は、平面が12角形をしており直径は2.1mある斑岩の柱を、きわめて耐久性の高い玄武岩の柱は、直径1.75mあり平面が10角形をしているそうです。
    また、青みがかった灰色をした花崗岩の柱は直径が1.4mあり平面には8角形が使われているようです。

  • 聖堂内の柱は、樹木の椰子をモチーフにした大理石の柱が高く伸びる上部には、節があり枝分かれした柱が、天井の重みを分散させ支えているそうです。<br />聖堂を支える柱の素材は大理石、目の粗い石、班岩の3種類があり170mの最も高い塔が立つ部分を支えているのはピンク色をしたイラン産の高級班岩だそうです。<br />また教会で最も軽い柱には、直径が1.05mで平面は6角形をしているモンジュイック産の石を使った柱を使っているようです。<br />

    聖堂内の柱は、樹木の椰子をモチーフにした大理石の柱が高く伸びる上部には、節があり枝分かれした柱が、天井の重みを分散させ支えているそうです。
    聖堂を支える柱の素材は大理石、目の粗い石、班岩の3種類があり170mの最も高い塔が立つ部分を支えているのはピンク色をしたイラン産の高級班岩だそうです。
    また教会で最も軽い柱には、直径が1.05mで平面は6角形をしているモンジュイック産の石を使った柱を使っているようです。

  • 聖堂内の側廊の壁面下を飾る色彩豊かなステンドグラスが、幻想的な光で内部を照らして堂内は神聖な空気で満たされています。<br />ジュアン・ビラ・グラウの作品により色彩を与えられた自然光が身廊などを照らし、中世のステンドグラスにみられる寒色と暖色の同時使用を避けつつ、優れたセンスを駆使してひとつ一つの窓に独特の色彩やトーンを施したため、そのステンドグラスを通って教会に差し込む光と壁面に押し出されるモチーフは、内部空間に超越的な雰囲気をもたらすことに貢献されているそうです。

    聖堂内の側廊の壁面下を飾る色彩豊かなステンドグラスが、幻想的な光で内部を照らして堂内は神聖な空気で満たされています。
    ジュアン・ビラ・グラウの作品により色彩を与えられた自然光が身廊などを照らし、中世のステンドグラスにみられる寒色と暖色の同時使用を避けつつ、優れたセンスを駆使してひとつ一つの窓に独特の色彩やトーンを施したため、そのステンドグラスを通って教会に差し込む光と壁面に押し出されるモチーフは、内部空間に超越的な雰囲気をもたらすことに貢献されているそうです。

  • 聖堂には自然光が注ぎ込み、七色の光に満たされた部屋だそうです。<br />ステンドグラスはカタルーニャの作家、ジョアン・ビラ・グラウ氏の作だと云われています。<br />教会の壁やヴォールトの負荷を減らす時にガウディがこだわった事の一つは、イエス・キリストの存在を示す最大の象徴である光が数多くの開口部を通して教会内にもたらされるようにすることだったそうです。<br />大きな薔薇窓・ヴォールトにつくられた天窓・高窓を飾るステンドグラス・聖壇のヴォールトなどにも適用できないか選考実験して試したそうですね。

    聖堂には自然光が注ぎ込み、七色の光に満たされた部屋だそうです。
    ステンドグラスはカタルーニャの作家、ジョアン・ビラ・グラウ氏の作だと云われています。
    教会の壁やヴォールトの負荷を減らす時にガウディがこだわった事の一つは、イエス・キリストの存在を示す最大の象徴である光が数多くの開口部を通して教会内にもたらされるようにすることだったそうです。
    大きな薔薇窓・ヴォールトにつくられた天窓・高窓を飾るステンドグラス・聖壇のヴォールトなどにも適用できないか選考実験して試したそうですね。

  • 生誕ファサードの中央身廊です。聖体顕示台も見えますね。<br />ガウディは教会内部が壮大な森となるような設計を行いました。<br />聖堂内の森をイメージしたと言われる内部は、新しく白くて美しい太陽の光が差し込みステンドグラスの幻想的な色が柱に映って綺麗でしたね。<br />聖堂内部は 「広がりのある親しさは森の中のものであり、聖家族教会の内部はそのようになるであろう」 というガウディの言葉が、この独特な七色に輝く聖なる空間を物語っているようですね。<br />45mの高さの中央身廊の天井から注がれる光がタイルの列を彩り、緑や黄金に輝く三角天井が輝きを放っているのをこの目で見ることができました。

    生誕ファサードの中央身廊です。聖体顕示台も見えますね。
    ガウディは教会内部が壮大な森となるような設計を行いました。
    聖堂内の森をイメージしたと言われる内部は、新しく白くて美しい太陽の光が差し込みステンドグラスの幻想的な色が柱に映って綺麗でしたね。
    聖堂内部は 「広がりのある親しさは森の中のものであり、聖家族教会の内部はそのようになるであろう」 というガウディの言葉が、この独特な七色に輝く聖なる空間を物語っているようですね。
    45mの高さの中央身廊の天井から注がれる光がタイルの列を彩り、緑や黄金に輝く三角天井が輝きを放っているのをこの目で見ることができました。

  • 聖堂内の聖壇(中央祭壇)と天蓋です。<br />天蓋の枠部分からイエス・キリストの十字架が吊るされたほか、キリストの聖体を象徴する葡萄や麦のモチーフが装飾モチーフに使われているようです。<br />後陣のヴォールの下には、教会での行事の中心となる聖壇があります。<br />また 「聖体顕示台」 はキリスト教の典礼で聖体のパンをおくための台で、ガウディは聖歌隊席の上におく24の顕示台をデザインしたようです。<br />聖堂内の聖壇 後陣のヴォールトの下には、教会で行われるすべての宗教行事の中心となる 「聖壇」 がおかれていました。<br />他の写真と説明がダブルかもしれませんが書きました。

    聖堂内の聖壇(中央祭壇)と天蓋です。
    天蓋の枠部分からイエス・キリストの十字架が吊るされたほか、キリストの聖体を象徴する葡萄や麦のモチーフが装飾モチーフに使われているようです。
    後陣のヴォールの下には、教会での行事の中心となる聖壇があります。
    また 「聖体顕示台」 はキリスト教の典礼で聖体のパンをおくための台で、ガウディは聖歌隊席の上におく24の顕示台をデザインしたようです。
    聖堂内の聖壇 後陣のヴォールトの下には、教会で行われるすべての宗教行事の中心となる 「聖壇」 がおかれていました。
    他の写真と説明がダブルかもしれませんが書きました。

  • 聖堂内の中央身廊は高さ45mに達するヴォールトですが、カテナリーアーチと呼ばれる形状のアーチは聖堂のイメージとは全く違うそうです。<br />身廊部や翼廊部を覆うヴォールト(円形天井〉は、森の中で天を仰いだ時の景色を連想されたようです。<br />木漏れ日が枝葉の間から漏れてくるような聖堂内は、森林をデザインしたそうでゴシック建築を目指しながらゴシックを批判し、さらにゴシック構造上の問題点をクリアして研究・探求をした結果、ガウディが行き着いたのは植物的自然主義だったようですね。

    聖堂内の中央身廊は高さ45mに達するヴォールトですが、カテナリーアーチと呼ばれる形状のアーチは聖堂のイメージとは全く違うそうです。
    身廊部や翼廊部を覆うヴォールト(円形天井〉は、森の中で天を仰いだ時の景色を連想されたようです。
    木漏れ日が枝葉の間から漏れてくるような聖堂内は、森林をデザインしたそうでゴシック建築を目指しながらゴシックを批判し、さらにゴシック構造上の問題点をクリアして研究・探求をした結果、ガウディが行き着いたのは植物的自然主義だったようですね。

  • 栄光ファサードの内側にはジュゼップ・マリア・スビラクスが手がけた聖堂内守護星人 聖ジョルジュ(カタルーニャの聖人像)が教会内部を見守っているようです。<br />また、その下にはEUCARISTIAと表示された聖体のシンボルが見えます。<br />聖体の門の上には、キリスト教の聖杯を表した「カリス」と呼ばれる図像がおかれていました。

    栄光ファサードの内側にはジュゼップ・マリア・スビラクスが手がけた聖堂内守護星人 聖ジョルジュ(カタルーニャの聖人像)が教会内部を見守っているようです。
    また、その下にはEUCARISTIAと表示された聖体のシンボルが見えます。
    聖体の門の上には、キリスト教の聖杯を表した「カリス」と呼ばれる図像がおかれていました。

  • 聖堂内でのこの時間帯は、橙色を基調としたこちらのステンドグラスからカラフルな光が差し込んでいました。<br />内部には無数の柱が立ち並ぶ広大な空間となり、樹木をモチーフとした大理石の柱は伝統的なゴシック様式の概念を覆す構造でガウディが数年間研究を重ねて設計したもので、、高く伸びる柱上部には節があり、枝分かれした数本の柱がドーム型の天井の重みを分散させて支えているようです。<br />壁に施された色彩豊かなステンドグラスが幻想的な光で内部を照らし、堂内は神聖な空気で満たされているようです。

    聖堂内でのこの時間帯は、橙色を基調としたこちらのステンドグラスからカラフルな光が差し込んでいました。
    内部には無数の柱が立ち並ぶ広大な空間となり、樹木をモチーフとした大理石の柱は伝統的なゴシック様式の概念を覆す構造でガウディが数年間研究を重ねて設計したもので、、高く伸びる柱上部には節があり、枝分かれした数本の柱がドーム型の天井の重みを分散させて支えているようです。
    壁に施された色彩豊かなステンドグラスが幻想的な光で内部を照らし、堂内は神聖な空気で満たされているようです。

  • 聖堂内の柱の素材は大理石、目の粗い石、斑岩の3種類で、170mの高さを支えるのはイラン産の斑岩、そして柱は全て揶子がモチーフだそうです。<br />「自然は偉大な教科書」 で教わることがたくさんあると、ガウディはいわれるのです。<br />ガウディの建築造形、構造そして思想の特徴であったのではと思われてきます。

    聖堂内の柱の素材は大理石、目の粗い石、斑岩の3種類で、170mの高さを支えるのはイラン産の斑岩、そして柱は全て揶子がモチーフだそうです。
    「自然は偉大な教科書」 で教わることがたくさんあると、ガウディはいわれるのです。
    ガウディの建築造形、構造そして思想の特徴であったのではと思われてきます。

  • 聖堂内の高く伸びる柱上には 「節」 があり、枝別れして天井の重みを分散して支えているそうです。<br />また、夕方や夜の宗教儀礼で使われる照明がその質や量、色合いの面でも教会に差し込む 「昼間の自然光」 になるべく近いものになるようガウディはさまざまな工夫を重ねたようですね。<br />20世紀初頭の技術は現在よりも限られたものでしたが、日中に大窓や天窓から差し込む教会内に調和に満ちた雰囲気をもたらす自然光を再現するような光源の柔らかく温かみのある 「人口の光」 を考案したそうです。<br />「双方面フォルムの光源」 が巨大な樹木を思わせる 「柱の節目」 に設置され、高みから降り注ぐ光により聖堂内は 「瞑想にふさわしい雰囲気」 で満たされるようですね。

    聖堂内の高く伸びる柱上には 「節」 があり、枝別れして天井の重みを分散して支えているそうです。
    また、夕方や夜の宗教儀礼で使われる照明がその質や量、色合いの面でも教会に差し込む 「昼間の自然光」 になるべく近いものになるようガウディはさまざまな工夫を重ねたようですね。
    20世紀初頭の技術は現在よりも限られたものでしたが、日中に大窓や天窓から差し込む教会内に調和に満ちた雰囲気をもたらす自然光を再現するような光源の柔らかく温かみのある 「人口の光」 を考案したそうです。
    「双方面フォルムの光源」 が巨大な樹木を思わせる 「柱の節目」 に設置され、高みから降り注ぐ光により聖堂内は 「瞑想にふさわしい雰囲気」 で満たされるようですね。

  • 受難ファサード 日が沈む西側の南東から北西にかけて伸びる翼廊は教会内に外光を取り入れる役割を果たしているそうで、また翼廊の配置に合わせ壁面に造られた開口部やそれを飾るステンドグラスには 「3つの機能」 があるそうです。<br />一つは朝と夕方の時間帯に自然光を取り入れ、二つ目は左右の袖で異なる装飾デザインを提示するようです。<br />西のファサードには、楕円形の薔薇窓がおかれてゴシック様式の大窓になっていましたね。<br />三つ目は教会全体の象徴表現に対応することで、西袖は聖母マリアに捧げられているそうです。

    受難ファサード 日が沈む西側の南東から北西にかけて伸びる翼廊は教会内に外光を取り入れる役割を果たしているそうで、また翼廊の配置に合わせ壁面に造られた開口部やそれを飾るステンドグラスには 「3つの機能」 があるそうです。
    一つは朝と夕方の時間帯に自然光を取り入れ、二つ目は左右の袖で異なる装飾デザインを提示するようです。
    西のファサードには、楕円形の薔薇窓がおかれてゴシック様式の大窓になっていましたね。
    三つ目は教会全体の象徴表現に対応することで、西袖は聖母マリアに捧げられているそうです。

  • 聖堂内の天井部ヴォールトに取付された 「散光器」 は教会内空間全体に外光が柔らかく広がるよう、キリスト教にまつわる象徴主義で装飾された散光器は身廊部ヴォールトの開口部に設置されていました。<br />これには外からやってくる自然光をフィルターにかけるほか、人口の光を発するという 「2つの働き」 が与えられているそうです。

    聖堂内の天井部ヴォールトに取付された 「散光器」 は教会内空間全体に外光が柔らかく広がるよう、キリスト教にまつわる象徴主義で装飾された散光器は身廊部ヴォールトの開口部に設置されていました。
    これには外からやってくる自然光をフィルターにかけるほか、人口の光を発するという 「2つの働き」 が与えられているそうです。

  • 受難ファサード 聖堂内のステンドグラス 「 橙色の輝き 」 は、夕焼けの色に見えます。<br />また、色彩豊かなステンドグラスに自然光が入り反射した七色の光が聖堂の床などをオレンジ色に彩るようですね。

    受難ファサード 聖堂内のステンドグラス 「 橙色の輝き 」 は、夕焼けの色に見えます。
    また、色彩豊かなステンドグラスに自然光が入り反射した七色の光が聖堂の床などをオレンジ色に彩るようですね。

  • 聖堂内は 「七色に輝く聖なる空間」 でした。<br />聖堂内 翼廊は “ ファサードの生誕と受難をつなぎイエスの流星、死そして復活までの道のり ” を象徴しているそうです。<br />5つの棟と3つの身廊から成り十字架の形の構造をしており幾何学模様の断面の柱が立ち並ぶ様子は森をイメージさせているそうです。<br />2010年のローマ法王訪問など特別なミサはここで行われたそうですね。<br />その輝きを見られて身体がシャキッとするのをおぼえました。<br />地下の礼拝堂には73歳で没したガウディが眠っているのです。<br />サグラダ・ファミリア内で最も神聖な雰囲気が漂う場所でしたね。

    聖堂内は 「七色に輝く聖なる空間」 でした。
    聖堂内 翼廊は “ ファサードの生誕と受難をつなぎイエスの流星、死そして復活までの道のり ” を象徴しているそうです。
    5つの棟と3つの身廊から成り十字架の形の構造をしており幾何学模様の断面の柱が立ち並ぶ様子は森をイメージさせているそうです。
    2010年のローマ法王訪問など特別なミサはここで行われたそうですね。
    その輝きを見られて身体がシャキッとするのをおぼえました。
    地下の礼拝堂には73歳で没したガウディが眠っているのです。
    サグラダ・ファミリア内で最も神聖な雰囲気が漂う場所でしたね。

  • 教会の内部は礼拝を捧げる空間です。<br />身廊は、通路沿いに林立する柱は樹木のように上部が枝別れし内向きにわずかな傾斜がつけられていますが、これには歌壇へと人々の視線を集める働きもあるそうで、また 「 聖体顕示台」 は、キリスト教の典礼で聖体のパンをおくための台ですがガウディは聖歌隊席の上におく24の顕示台をデザインしたようです。<br />聖堂内の聖壇 後陣のヴォールトの下には教会で行われるすべての宗教行事の中心となる 「聖壇」 がおかれていました。

    教会の内部は礼拝を捧げる空間です。
    身廊は、通路沿いに林立する柱は樹木のように上部が枝別れし内向きにわずかな傾斜がつけられていますが、これには歌壇へと人々の視線を集める働きもあるそうで、また 「 聖体顕示台」 は、キリスト教の典礼で聖体のパンをおくための台ですがガウディは聖歌隊席の上におく24の顕示台をデザインしたようです。
    聖堂内の聖壇 後陣のヴォールトの下には教会で行われるすべての宗教行事の中心となる 「聖壇」 がおかれていました。

  • 聖堂内  聖壇の十字架に磔にされた 「イエス・キリスト」 像は1.9mの大きさがあり、また 「50のランプ」 により明るく照らされて、血を表す 「ブドウの房」 やキリストの身体を表す 「パンを作る麦」 などに囲まれているのを近くまで行き確認ができました。<br />聖壇(中央祭壇)と天壇は、地下礼拝堂の構造設計に取り入れたアイデアにより聖壇の高さは身廊部の床面よりも2mも高くなり、存在感と共に聖堂内のどこからでも見えました。<br />「教会の聖壇がブドウ棚の下にあればどんなに素晴らしいだろう」 というガウデイの願いに従ってデザインされたようですね。

    聖堂内 聖壇の十字架に磔にされた 「イエス・キリスト」 像は1.9mの大きさがあり、また 「50のランプ」 により明るく照らされて、血を表す 「ブドウの房」 やキリストの身体を表す 「パンを作る麦」 などに囲まれているのを近くまで行き確認ができました。
    聖壇(中央祭壇)と天壇は、地下礼拝堂の構造設計に取り入れたアイデアにより聖壇の高さは身廊部の床面よりも2mも高くなり、存在感と共に聖堂内のどこからでも見えました。
    「教会の聖壇がブドウ棚の下にあればどんなに素晴らしいだろう」 というガウデイの願いに従ってデザインされたようですね。

  • 聖堂内の巨大な 「 身廊 」 は先端が木枝のように分かれた柱が形成する2列の柱に支えられているそうです。<br />身廊部では、天井の高さが45mに達するようで、写真にはヴォールトにつくられた天窓が撮れていました。<br />ガウディはフニクラというアーチ曲線に建物が他の支持を必要とせず自重を支えられると考えたのだそうで、コロニア・グエル教会で採用したフニクラ模型の手法からサクラダ・ファミリアの身廊構造を決定したようですね。<br />フニクラの模型が完成すると写真に撮って逆さまにし聖家族教会建築構造を導き出したそうです。<br />“教会は建築の究極の形でありそれ以外の建築は住居建築に過ぎない”といい、ガウディは教会の建設プロジェクトに43年間を傾け、最後の12年間は他の依頼を断り教会建築だけに打ち込んだそうで40年間にわたる芸術的進化を示すサグラダ・ファミリア教会に完璧な教会を求め続けたようですね。

    聖堂内の巨大な 「 身廊 」 は先端が木枝のように分かれた柱が形成する2列の柱に支えられているそうです。
    身廊部では、天井の高さが45mに達するようで、写真にはヴォールトにつくられた天窓が撮れていました。
    ガウディはフニクラというアーチ曲線に建物が他の支持を必要とせず自重を支えられると考えたのだそうで、コロニア・グエル教会で採用したフニクラ模型の手法からサクラダ・ファミリアの身廊構造を決定したようですね。
    フニクラの模型が完成すると写真に撮って逆さまにし聖家族教会建築構造を導き出したそうです。
    “教会は建築の究極の形でありそれ以外の建築は住居建築に過ぎない”といい、ガウディは教会の建設プロジェクトに43年間を傾け、最後の12年間は他の依頼を断り教会建築だけに打ち込んだそうで40年間にわたる芸術的進化を示すサグラダ・ファミリア教会に完璧な教会を求め続けたようですね。

  • 聖堂内への柔らかく温かみのある光が必要なことから、日中に大窓・天窓から差し込み聖堂内に調和に満ちた雰囲気の自然光を再現する光源を、ガウディが考案したそうです。<br />さらに 「散光器」 を取付して、効果がでるように工夫したようです。

    聖堂内への柔らかく温かみのある光が必要なことから、日中に大窓・天窓から差し込み聖堂内に調和に満ちた雰囲気の自然光を再現する光源を、ガウディが考案したそうです。
    さらに 「散光器」 を取付して、効果がでるように工夫したようです。

  • 聖堂内のこちらは反対側、赤を基調としたステンドグラスです。<br />二つの位置から自然光が差し込むような設計的工夫がなされ、さまざまな色を配したステンドグラスをはめ込んだゴシック様式の大窓が設けられたそうです。

    聖堂内のこちらは反対側、赤を基調としたステンドグラスです。
    二つの位置から自然光が差し込むような設計的工夫がなされ、さまざまな色を配したステンドグラスをはめ込んだゴシック様式の大窓が設けられたそうです。

  • 受難ファサードには鞭打ちの刑、中央には福音の門前に、ローマ兵から責め苦を受けた後に柱に縛りつけられ孤独に打ちひしがれるイエスの姿が…。<br />これらのイエスが縛られた柱は1987年に設置されイエスが縛られた柱、結び目、鞭打ちの鞭など責苦を受ける場面を表現したそうです。<br />ガウディの設計に基づき彫刻家ジュゼップ・マリア・スビラクスが、イエスの苦難を表した作品群を製作したようです。

    受難ファサードには鞭打ちの刑、中央には福音の門前に、ローマ兵から責め苦を受けた後に柱に縛りつけられ孤独に打ちひしがれるイエスの姿が…。
    これらのイエスが縛られた柱は1987年に設置されイエスが縛られた柱、結び目、鞭打ちの鞭など責苦を受ける場面を表現したそうです。
    ガウディの設計に基づき彫刻家ジュゼップ・マリア・スビラクスが、イエスの苦難を表した作品群を製作したようです。

  • 受難ファサード この彫刻ではユダの接吻、 魔方陣そしてヘビなどが見えます。<br />「ユダの接吻」 は、キリストに接吻することでキリストを捕えようと隠れているローマ兵士に誰が師か教えているところで、裏切りを意味するそうです。<br />また、「魔方陣」 は四角な文字盤の数字が見えますが16の数字が描かれたパネルがあり組み合わせの数で、どの方向から計算しても一定の数字となる不思議な文字盤で、ここではイエスが死去した年令33を示しているそうです。<br />そして 「ヘビ」 はユダの行動にひそむ悪魔や悪の存在が表現されたようです。<br />

    受難ファサード この彫刻ではユダの接吻、 魔方陣そしてヘビなどが見えます。
    「ユダの接吻」 は、キリストに接吻することでキリストを捕えようと隠れているローマ兵士に誰が師か教えているところで、裏切りを意味するそうです。
    また、「魔方陣」 は四角な文字盤の数字が見えますが16の数字が描かれたパネルがあり組み合わせの数で、どの方向から計算しても一定の数字となる不思議な文字盤で、ここではイエスが死去した年令33を示しているそうです。
    そして 「ヘビ」 はユダの行動にひそむ悪魔や悪の存在が表現されたようです。

  • 受難ファサードの彫刻 「ぺトロの否認」 は使徒ペトロが3度イエスを知らないといったことを象徴する3人の女性立像のほか、自らの臆病な心に苦しむペトロの姿が表現されているそうで、入口の右側に位置し表現されていました。

    受難ファサードの彫刻 「ぺトロの否認」 は使徒ペトロが3度イエスを知らないといったことを象徴する3人の女性立像のほか、自らの臆病な心に苦しむペトロの姿が表現されているそうで、入口の右側に位置し表現されていました。

  • 受難ファサードの彫刻は、生誕ファサードとは印章がまったく違います。<br />上の作品が 「キリストの磔刑」 は、既に死んでしまったキリストの傍にはヨハネに慰められる聖母マリア、ひざまづくマグダラのマリアがいるようです。<br />また、キリストの足元には死を意味する頭蓋骨が置いてありますね。<br />それから下の彫刻 「ネガのレリーフ」 はキリストの顔の跡が残った布を持つヴェロニカを表現、ヴェロニカの顔を消すことでキリストの顔を強調しているそうです。<br />

    受難ファサードの彫刻は、生誕ファサードとは印章がまったく違います。
    上の作品が 「キリストの磔刑」 は、既に死んでしまったキリストの傍にはヨハネに慰められる聖母マリア、ひざまづくマグダラのマリアがいるようです。
    また、キリストの足元には死を意味する頭蓋骨が置いてありますね。
    それから下の彫刻 「ネガのレリーフ」 はキリストの顔の跡が残った布を持つヴェロニカを表現、ヴェロニカの顔を消すことでキリストの顔を強調しているそうです。

  • 受難ファサードの彫刻の 「この人を見よ」 は、鞭打ちの刑を受けたあとのキリストが人目にさらされている様子を表現しているそうで、ユダヤ総監ピラドが人々に言った言葉を表しているようです。<br />19世紀初頭、ガウディはすでに受難ファサードに重苦しい雰囲気を持たせることを構想していたのですが、人々が陰鬱になるのは効果がないと考え、祝祭色のつよい生誕ファサードの建設から取り掛かることにしたそうです。

    受難ファサードの彫刻の 「この人を見よ」 は、鞭打ちの刑を受けたあとのキリストが人目にさらされている様子を表現しているそうで、ユダヤ総監ピラドが人々に言った言葉を表しているようです。
    19世紀初頭、ガウディはすでに受難ファサードに重苦しい雰囲気を持たせることを構想していたのですが、人々が陰鬱になるのは効果がないと考え、祝祭色のつよい生誕ファサードの建設から取り掛かることにしたそうです。

  • 受難ファサードの彫刻は、イエスが縛られた高さ6mの責め苦の柱、結び目、鞭打ちの鞭などで、また上のパーツが外れていることで社会の終焉が表現されているようです。<br />スビラクスは十字架の道行きの各画面の中でも キリストの鞭打ち に重きをおくことを決め、この像をファサード壁面から独立させ、教会内部に出入りする人々の視線の高さにあるマリオンの前という特別な位置におきました。<br />

    受難ファサードの彫刻は、イエスが縛られた高さ6mの責め苦の柱、結び目、鞭打ちの鞭などで、また上のパーツが外れていることで社会の終焉が表現されているようです。
    スビラクスは十字架の道行きの各画面の中でも キリストの鞭打ち に重きをおくことを決め、この像をファサード壁面から独立させ、教会内部に出入りする人々の視線の高さにあるマリオンの前という特別な位置におきました。

  • 受難ファサード 福音の門です。<br />イエスの生涯最後の2日間にまつわる福音書の内容が記されているようです。

    受難ファサード 福音の門です。
    イエスの生涯最後の2日間にまつわる福音書の内容が記されているようです。

  • 受難ファサードの彫刻、「キリストの磔刑」は、キリストの側にヨハネに慰められる聖母マリア、ひざまづくマグダラのマリアがいる足元には死を意味する頭蓋骨がおかれています。<br />その前に置かれてる彫刻 「ネガのレリーフ」 は、キリストの顔の跡が残った布を掲げるヴェロニカを、またヴェロニカの顔を消すことでキリストの顔を強調しているそうで、説明がダブリますが書きました。

    受難ファサードの彫刻、「キリストの磔刑」は、キリストの側にヨハネに慰められる聖母マリア、ひざまづくマグダラのマリアがいる足元には死を意味する頭蓋骨がおかれています。
    その前に置かれてる彫刻 「ネガのレリーフ」 は、キリストの顔の跡が残った布を掲げるヴェロニカを、またヴェロニカの顔を消すことでキリストの顔を強調しているそうで、説明がダブリますが書きました。

  • 受難ファサードの左側、聖堂の北側にある後陣の左右には聖具室がおかれ回廊に通じており、その外観は洗礼所を思わせますが…。

    受難ファサードの左側、聖堂の北側にある後陣の左右には聖具室がおかれ回廊に通じており、その外観は洗礼所を思わせますが…。

  • 生誕ファサード前を、オブショナル・ツアーのマイバス・バルセロナの赤いバスが通りました。<br />海外旅行をより楽しくする日本語オプシヨナルツアーだそうで、じっくりと現地を案内してくれるオプシヨナルツアーに参加するのも方法の一つでは…。<br />

    生誕ファサード前を、オブショナル・ツアーのマイバス・バルセロナの赤いバスが通りました。
    海外旅行をより楽しくする日本語オプシヨナルツアーだそうで、じっくりと現地を案内してくれるオプシヨナルツアーに参加するのも方法の一つでは…。

  • 受難ファサードの中央に “ 福音の門 ” を設け マリオンの上には、最初と最後の神とイエス・キリストを象徴するギリシア語の最初と最後の文字アルファとオメガがおかれています。

    受難ファサードの中央に “ 福音の門 ” を設け マリオンの上には、最初と最後の神とイエス・キリストを象徴するギリシア語の最初と最後の文字アルファとオメガがおかれています。

  • 受難ファサードの彫刻は 上に「キリスト磔刑」 、その下に 「ネガのレリーフ」 がありますが、ネガのレリーフはキリストの顔の跡が残った布を掲げるヴェロニカを表し、ヴェロニカの顔を消す事でキリストの顔を強調しているそうです。<br />説明がダブリますが、書きました。<br />

    受難ファサードの彫刻は 上に「キリスト磔刑」 、その下に 「ネガのレリーフ」 がありますが、ネガのレリーフはキリストの顔の跡が残った布を掲げるヴェロニカを表し、ヴェロニカの顔を消す事でキリストの顔を強調しているそうです。
    説明がダブリますが、書きました。

  • 受難ファサードの右側にも、回廊から聖具室建屋が連なっているようです。<br />離れたところにも彫刻がありました。「この人を見よ」ですが、鞭打ちの刑を受けた後のキリストが人目にさらされている様子を表しているそうで、これはユダヤ総監が人々に言った言葉だそうです。

    受難ファサードの右側にも、回廊から聖具室建屋が連なっているようです。
    離れたところにも彫刻がありました。「この人を見よ」ですが、鞭打ちの刑を受けた後のキリストが人目にさらされている様子を表しているそうで、これはユダヤ総監が人々に言った言葉だそうです。

  • 受難ファサード  右手にある “ いばらの冠の扉 ” は5mの高さがあり、開閉できない部分と開閉式の2枚の扉とで構成されているようです。<br />この扉では、ローマ兵から責め苦や鞭打ちを受けたイエスの屈辱が上部のレリーフに表され、メシアがヘロデやピラトの前に引き出される場面が中央部に表現されているそうです。<br />

    受難ファサード 右手にある “ いばらの冠の扉 ” は5mの高さがあり、開閉できない部分と開閉式の2枚の扉とで構成されているようです。
    この扉では、ローマ兵から責め苦や鞭打ちを受けたイエスの屈辱が上部のレリーフに表され、メシアがヘロデやピラトの前に引き出される場面が中央部に表現されているそうです。

  • 反対側の受難のファサードに行ってみます。<br />入り口の床に、何やら素描が描かれていました。

    反対側の受難のファサードに行ってみます。
    入り口の床に、何やら素描が描かれていました。

  • 生誕ファサード 聖堂内の翼廊 天井部から床面までの巨大な空間を撮って見ましたが…。

    生誕ファサード 聖堂内の翼廊 天井部から床面までの巨大な空間を撮って見ましたが…。

  • 聖堂内の天井はカタルーニャ建築に伝統的手法を取り入れ忍耐強い自然観察で得た知識を使いかってない構造を考案したそうです。<br />この写真の上部 (一番光っている部分) に、ヴォールトにつくられた天窓が撮れてます。

    聖堂内の天井はカタルーニャ建築に伝統的手法を取り入れ忍耐強い自然観察で得た知識を使いかってない構造を考案したそうです。
    この写真の上部 (一番光っている部分) に、ヴォールトにつくられた天窓が撮れてます。

  • 聖堂内のこの部分では黄色い自然光が窓から採光されているのが分かります。

    聖堂内のこの部分では黄色い自然光が窓から採光されているのが分かります。

  • 聖堂内の光りが多くの開口部を通して自然光を取り入れる手法を、ステンドグラス採用で実現させたようです。<br />ステンドグラスは、ジュアン・ビラ・イ・グラウが担当し、優れた芸術的センスを駆使して一つ一つの窓に独特の色彩やトーンを施して、ステンドグラスを通って教会に差し込む光と壁面に映し出されるモチーフは、教会の内部空間に超越的な雰囲気をもたらすことに貢献しているそうです。<br />大きな薔薇窓、ヴォールトにつくられた天窓、高窓を飾るステンドグラスそして聖壇のヴォールトなどを生み出したそうです。

    聖堂内の光りが多くの開口部を通して自然光を取り入れる手法を、ステンドグラス採用で実現させたようです。
    ステンドグラスは、ジュアン・ビラ・イ・グラウが担当し、優れた芸術的センスを駆使して一つ一つの窓に独特の色彩やトーンを施して、ステンドグラスを通って教会に差し込む光と壁面に映し出されるモチーフは、教会の内部空間に超越的な雰囲気をもたらすことに貢献しているそうです。
    大きな薔薇窓、ヴォールトにつくられた天窓、高窓を飾るステンドグラスそして聖壇のヴォールトなどを生み出したそうです。

  • 聖堂内には 守護星人 聖ジョルジュ(カタルーニャ聖人像)が教会内部を見守ってくれているようです。<br />また、聖人像の下には、EUCARISTIA 聖体のシンボル があり、聖体の門上にはキリスト教の聖杯を表し、カリスと呼ばれる図像もおかれていました。

    聖堂内には 守護星人 聖ジョルジュ(カタルーニャ聖人像)が教会内部を見守ってくれているようです。
    また、聖人像の下には、EUCARISTIA 聖体のシンボル があり、聖体の門上にはキリスト教の聖杯を表し、カリスと呼ばれる図像もおかれていました。

  • 聖堂内に輝く緑色系ステンドグラス前から祭壇に向かって祈る人もおられました。<br />建物の内部空間を正しく容易に自然に移動できるよう連絡システムを構築し聖堂内エリアを結びつける複数の廊下からなっており、高さの異なるトリフォリム(側廊上部に設けられる通路)を教会の輪郭線のほとんどに設置されたそうです。

    聖堂内に輝く緑色系ステンドグラス前から祭壇に向かって祈る人もおられました。
    建物の内部空間を正しく容易に自然に移動できるよう連絡システムを構築し聖堂内エリアを結びつける複数の廊下からなっており、高さの異なるトリフォリム(側廊上部に設けられる通路)を教会の輪郭線のほとんどに設置されたそうです。

  • 聖堂内赤色系ステンドグラスの七色に輝く美しさを何回も撮りました。<br />また、トリフォリム(側廊上部に設けられる通路)が教会の輪郭線のほとんどの部分に設置され、容易に自然に移動することを可能にしたようです。

    聖堂内赤色系ステンドグラスの七色に輝く美しさを何回も撮りました。
    また、トリフォリム(側廊上部に設けられる通路)が教会の輪郭線のほとんどの部分に設置され、容易に自然に移動することを可能にしたようです。

  • 聖堂内の身廊、天井部の輝きには恍惚となりました。<br />ガウディは、側廊部ヴォールトの制作に鉄筋コンクリートを使い上部を星を散りばめたようなデザインに仕上げたようです。<br />また中央身廊ヴォールトには、陶製タイルを使って棕櫚の葉を思わせるようならせん形にデザインしたそうです。<br />そしてゴシック芸術やカタルーニャ建築に伝統的なエレメンツを取り入れ、自然を観察することで得られた知識を使ってかってない構造を考案したようで、これがガウディがたどりついた結論だったようです。<br />

    聖堂内の身廊、天井部の輝きには恍惚となりました。
    ガウディは、側廊部ヴォールトの制作に鉄筋コンクリートを使い上部を星を散りばめたようなデザインに仕上げたようです。
    また中央身廊ヴォールトには、陶製タイルを使って棕櫚の葉を思わせるようならせん形にデザインしたそうです。
    そしてゴシック芸術やカタルーニャ建築に伝統的なエレメンツを取り入れ、自然を観察することで得られた知識を使ってかってない構造を考案したようで、これがガウディがたどりついた結論だったようです。

  • 聖堂内 天井開口部には光を散らす “  散光器  ”により空間全体に外光が柔らかく広がるよう施設されているようです。<br />ガウディは、日中に大窓や天窓から差し込み調和をもたらす自然光を教会内に再現するような光源を考案し、さらに散光器を取付け暖かみのある照明効果が得られるように工夫されたそうです。<br />

    聖堂内 天井開口部には光を散らす “ 散光器 ”により空間全体に外光が柔らかく広がるよう施設されているようです。
    ガウディは、日中に大窓や天窓から差し込み調和をもたらす自然光を教会内に再現するような光源を考案し、さらに散光器を取付け暖かみのある照明効果が得られるように工夫されたそうです。

  • ガウディが最初に手掛けたのがこの地下礼拝堂だそうで73歳で没した後はここに眠っておられるそうです。<br />礼拝堂入口には、“ 教会は祈りそして静粛と瞑想のための空間です ” と案内がありました。

    ガウディが最初に手掛けたのがこの地下礼拝堂だそうで73歳で没した後はここに眠っておられるそうです。
    礼拝堂入口には、“ 教会は祈りそして静粛と瞑想のための空間です ” と案内がありました。

  • 聖堂内 祭壇前に丸い花輪が捧げられ、敬虔なミサが行われていました。<br />後陣のヴォールトの下では教会で行われるあらゆる宗教行事の中心となる“ 聖壇 ” がおかれていました。<br />5つの棟と3つの身廊から成りラテン十字のキリスト像が輝いて奥の聖壇へと自然と向かせ引きつけられるような装飾には心が打たれました。<br />聖壇近くに近づいてから気づきあわてて仕切り外に出ましたが、捧げられた輪の赤ロウソクやキリスト像などに引きつけられてしまいました。

    聖堂内 祭壇前に丸い花輪が捧げられ、敬虔なミサが行われていました。
    後陣のヴォールトの下では教会で行われるあらゆる宗教行事の中心となる“ 聖壇 ” がおかれていました。
    5つの棟と3つの身廊から成りラテン十字のキリスト像が輝いて奥の聖壇へと自然と向かせ引きつけられるような装飾には心が打たれました。
    聖壇近くに近づいてから気づきあわてて仕切り外に出ましたが、捧げられた輪の赤ロウソクやキリスト像などに引きつけられてしまいました。

  • 塔上に昇るエレベーターです。今回は利用なしでしたが…。<br />次回は、受難ファサーヘド側のエレベーターを予約して利用時間を確認しながら、市内の展望だけでなく、生誕ファサードの門も見てみたいです。<br />また、内側の2本の塔に架かる橋に座すキリスト像なども見たいです。

    塔上に昇るエレベーターです。今回は利用なしでしたが…。
    次回は、受難ファサーヘド側のエレベーターを予約して利用時間を確認しながら、市内の展望だけでなく、生誕ファサードの門も見てみたいです。
    また、内側の2本の塔に架かる橋に座すキリスト像なども見たいです。

  • 受難ファサード “ 福音の扉 ” には、イエスの生涯最後の2日間について新約聖書から8000字を抜粋している文字などを浮彫りにしているようです。<br />中央の青銅の扉は5mの高さがあり、そこには主祈文の全文がカタルーニャ語で刻印されているそうで、そして「我らの日用の糧を今日我らに与え給え」という祈りが50ケ国語で刻まれているそうです。<br />各扉の表面を文章で埋め尽くすため、ものすごい数の文字が鋳造されています。

    受難ファサード “ 福音の扉 ” には、イエスの生涯最後の2日間について新約聖書から8000字を抜粋している文字などを浮彫りにしているようです。
    中央の青銅の扉は5mの高さがあり、そこには主祈文の全文がカタルーニャ語で刻印されているそうで、そして「我らの日用の糧を今日我らに与え給え」という祈りが50ケ国語で刻まれているそうです。
    各扉の表面を文章で埋め尽くすため、ものすごい数の文字が鋳造されています。

  • 受難ファサード こちらの “ 福音の扉 ” には文字がびっしりと8000文字が刻まれているようで、その一部を撮りました。<br />

    受難ファサード こちらの “ 福音の扉 ” には文字がびっしりと8000文字が刻まれているようで、その一部を撮りました。

  • 受難ファサードの右側には、回廊やモジュールシステムが続き、ガウディは回廊全体に連続性を与えようとしたそうです。<br />受難ファサード側には恩恵および悲しみの聖母の扉口があるほか、回廊の四隅には二つの聖具室、洗礼所と悔悛の小聖堂の建物が置かれたそうです。

    受難ファサードの右側には、回廊やモジュールシステムが続き、ガウディは回廊全体に連続性を与えようとしたそうです。
    受難ファサード側には恩恵および悲しみの聖母の扉口があるほか、回廊の四隅には二つの聖具室、洗礼所と悔悛の小聖堂の建物が置かれたそうです。

  • 受難のファサードの彫刻は、イエス・キリストの受難、死、復活の3日間を彫刻で装飾し、2014年に他界されたスビラクスさんが彫刻主任を担当されたそうで、ドラマチックに表現された生誕に比べて簡素で現代的な印象ですね。<br />12の彫刻群が設置された受難ファサードの門 (ポルチコ) は、セコイヤの巨木の幹に着想を得て設計された6本の柱に支持されているようです。<br />スビラクスさんの特徴である抽象表現や角ばった独特のシルエットで製作されたようです。

    受難のファサードの彫刻は、イエス・キリストの受難、死、復活の3日間を彫刻で装飾し、2014年に他界されたスビラクスさんが彫刻主任を担当されたそうで、ドラマチックに表現された生誕に比べて簡素で現代的な印象ですね。
    12の彫刻群が設置された受難ファサードの門 (ポルチコ) は、セコイヤの巨木の幹に着想を得て設計された6本の柱に支持されているようです。
    スビラクスさんの特徴である抽象表現や角ばった独特のシルエットで製作されたようです。

  • 石に刻まれたイエスの犠牲と死を表現する “ 受難ファサード ” は、ガウディ設計に基づき、地元カタルーニャのジョセップ・マリア・スピラックが1986年から2014年まで彫刻を担当されて、ギリシャ語で始めと終わりを意味するアルファベットや不思議な文字盤などシンボルも採用しておられる。<br />これらの彫刻は、聖なる晩餐からイエスの埋葬までを上、中、下層に分けて、左下からS字を描くように見ていくと、ひとつの物語が完成するようで、イエスの最後の日々をつづって表現されているようです。<br />また、大きな柱廊からは4本の柱が立っているのが見えます。

    石に刻まれたイエスの犠牲と死を表現する “ 受難ファサード ” は、ガウディ設計に基づき、地元カタルーニャのジョセップ・マリア・スピラックが1986年から2014年まで彫刻を担当されて、ギリシャ語で始めと終わりを意味するアルファベットや不思議な文字盤などシンボルも採用しておられる。
    これらの彫刻は、聖なる晩餐からイエスの埋葬までを上、中、下層に分けて、左下からS字を描くように見ていくと、ひとつの物語が完成するようで、イエスの最後の日々をつづって表現されているようです。
    また、大きな柱廊からは4本の柱が立っているのが見えます。

  • 受難ファサード 左手にある “ ゲッセマネの扉 ” は扉の表面を浮彫りの技法を使って、文章や記号が大きなサイズで刻まれていました。<br />ゲッセマネの園でイエスが捧げた祈りの言葉や、彼の使徒たちがそこで気を失った様子などが記されているそうです。<br />

    受難ファサード 左手にある “ ゲッセマネの扉 ” は扉の表面を浮彫りの技法を使って、文章や記号が大きなサイズで刻まれていました。
    ゲッセマネの園でイエスが捧げた祈りの言葉や、彼の使徒たちがそこで気を失った様子などが記されているそうです。

  • 受難ファサードを横から撮りました。<br />キリストの受刑、死、復活がテーマだそうで、上部は写っていませんが大きな柱廊から4本の塔が立っていますね。<br />その彫刻も作者スピラクス作品の特徴となっている抽象表現や角ばった独特のシルエットで、イエス・キリストの受難の悲しみを表しているそうです。<br />見た目からは6本の傾斜柱と彫刻の機械彫りが特徴のようで、生誕ファサードの手掘りとはまるっきり違うようです。

    受難ファサードを横から撮りました。
    キリストの受刑、死、復活がテーマだそうで、上部は写っていませんが大きな柱廊から4本の塔が立っていますね。
    その彫刻も作者スピラクス作品の特徴となっている抽象表現や角ばった独特のシルエットで、イエス・キリストの受難の悲しみを表しているそうです。
    見た目からは6本の傾斜柱と彫刻の機械彫りが特徴のようで、生誕ファサードの手掘りとはまるっきり違うようです。

  • 受難ファサード中央にある“ 福音の門 ”は 「キリストの鞭打ち」 の場面を表した彫像の背後に置かれ高さ6m位の2枚の巨大な扉板で構成されているようです。<br />扉表面にはおびただしい数の文字が彫られ、また、ファサードの彫刻群により表現されているイエスの生涯最後の2日間にまつわる福音書の内容が記されているそうです。

    受難ファサード中央にある“ 福音の門 ”は 「キリストの鞭打ち」 の場面を表した彫像の背後に置かれ高さ6m位の2枚の巨大な扉板で構成されているようです。
    扉表面にはおびただしい数の文字が彫られ、また、ファサードの彫刻群により表現されているイエスの生涯最後の2日間にまつわる福音書の内容が記されているそうです。

  • サグラダ・ファミリア教会付属学校は、建設に携わる労働者の子供や周囲に住む子供たちのために教会の敷地内に、庶民のためのささやかな学校を建設したそうです。<br />建設費もガウディ自身が負担したと云われています。<br />屋根や壁が曲線を描くガウディらしいデザインの小さな学校だそうです。<br />付属学校の設計にあたりガウディは、できるだけシンプルな造りで普通のレンガだけを使い建物全体に耐性をもたらす曲線的な構造を採用したそうで、その付属学校を見学しました。<br />一般的な資材を使用したシンプルな構造でしたが、機能的な建物だと思いました。

    サグラダ・ファミリア教会付属学校は、建設に携わる労働者の子供や周囲に住む子供たちのために教会の敷地内に、庶民のためのささやかな学校を建設したそうです。
    建設費もガウディ自身が負担したと云われています。
    屋根や壁が曲線を描くガウディらしいデザインの小さな学校だそうです。
    付属学校の設計にあたりガウディは、できるだけシンプルな造りで普通のレンガだけを使い建物全体に耐性をもたらす曲線的な構造を採用したそうで、その付属学校を見学しました。
    一般的な資材を使用したシンプルな構造でしたが、機能的な建物だと思いました。

  • サグラダ・ファミリア教会付属学校では、サグラダ・ファミリアや付属学校の建設の変遷などが掲示してありました。

    サグラダ・ファミリア教会付属学校では、サグラダ・ファミリアや付属学校の建設の変遷などが掲示してありました。

  • サグラダ・ファミリア教会付属学校では、展示写真を撮りました。<br />二枚の写真の内、下の写真はガウディのアトリエだそうです。<br />時とともにガウディはサグラダ・ファミリア教会の建築プロジェクトに打ち込んでいき、1925年には現場のアトリエで寝起きするようになっていたそうです。<br />そうしてガウディは教会付属学校をも設計し、聖家族教会の建設現場などにさまざまな機能やサービスを提供や応用したそうです。

    サグラダ・ファミリア教会付属学校では、展示写真を撮りました。
    二枚の写真の内、下の写真はガウディのアトリエだそうです。
    時とともにガウディはサグラダ・ファミリア教会の建築プロジェクトに打ち込んでいき、1925年には現場のアトリエで寝起きするようになっていたそうです。
    そうしてガウディは教会付属学校をも設計し、聖家族教会の建設現場などにさまざまな機能やサービスを提供や応用したそうです。

  • サグラダ・ファミリア夜景観賞へ池前公園に向かう時、生誕前を通りライトアップの聖家族教会を入口直ぐ前で撮りました。

    サグラダ・ファミリア夜景観賞へ池前公園に向かう時、生誕前を通りライトアップの聖家族教会を入口直ぐ前で撮りました。

  • サグラダ・ファミリア夜景観賞、ライトアップのサグラダ・ファミリア外観の池の鏡写しを撮りました。

    サグラダ・ファミリア夜景観賞、ライトアップのサグラダ・ファミリア外観の池の鏡写しを撮りました。

  • サグラダ・ファミリア夜景観賞では、池前公園からサグラダ・ファミリアとこの池を入れて撮りました。<br />この公園からは全景などと池面の鏡写しを撮るには絶好の距離だと思いますね。

    サグラダ・ファミリア夜景観賞では、池前公園からサグラダ・ファミリアとこの池を入れて撮りました。
    この公園からは全景などと池面の鏡写しを撮るには絶好の距離だと思いますね。

  • サグラダ・ファミリア夜景観賞でライトアップのサグラダ・ファミリアの池に鏡写しを撮りました。<br />池面が風などで揺れたのか、池に写る鐘塔部が滲んで写っているようです。

    サグラダ・ファミリア夜景観賞でライトアップのサグラダ・ファミリアの池に鏡写しを撮りました。
    池面が風などで揺れたのか、池に写る鐘塔部が滲んで写っているようです。

  • サグラダ・ファミリア夜景観賞で池前広場にてライトアップのサグラダ・ファミリアをバックに、添乗員さんに撮ってもらいました。

    サグラダ・ファミリア夜景観賞で池前広場にてライトアップのサグラダ・ファミリアをバックに、添乗員さんに撮ってもらいました。

  • サグラダ・ファミリア夜景観賞、ライトアップの生誕ファサードを池前広場から撮りました。

    サグラダ・ファミリア夜景観賞、ライトアップの生誕ファサードを池前広場から撮りました。

  • サグラダ・ファミリア夜景観賞、ライトアップの生誕ファサードの彫刻部を中心に生命の樹などを撮りました。

    サグラダ・ファミリア夜景観賞、ライトアップの生誕ファサードの彫刻部を中心に生命の樹などを撮りました。

  • 7日目の朝、楽しかった旅行も今日は帰る日です。<br />朝食後に宿泊したヒルトン ディアゴナル マール バルセロナ ホテル前で撮ってもらいました。

    7日目の朝、楽しかった旅行も今日は帰る日です。
    朝食後に宿泊したヒルトン ディアゴナル マール バルセロナ ホテル前で撮ってもらいました。

  • 7日目の朝、朝食後にホテル前で写真を撮りました。

    7日目の朝、朝食後にホテル前で写真を撮りました。

  • 7日目の朝、宿泊したホテル前で写真を撮りました。

    7日目の朝、宿泊したホテル前で写真を撮りました。

  • 7日目の朝、バスで空港へ。<br />ルフトハンザドイツ航空にて 空路、帰国の途へ。

    7日目の朝、バスで空港へ。
    ルフトハンザドイツ航空にて 空路、帰国の途へ。

  • バルセロナ エル・ブラット空港を離陸です。<br />魅力いっばいの街でしたね。<br />楽しかった思いに浸りながら…。<br />また訪ねたい街です。<br />さようなら、バルセロナ。

    バルセロナ エル・ブラット空港を離陸です。
    魅力いっばいの街でしたね。
    楽しかった思いに浸りながら…。
    また訪ねたい街です。
    さようなら、バルセロナ。

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