2015/11/24 - 2015/12/03
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natto9さん
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30数年前に初めてインドを訪問し、ただただ「驚いて」帰国した。今回は、世界一周の船旅が急きょ、入院・手術という予期しないことに見舞われキャンセル、だが「ヴィザ」を取得しており、それを消化するためにまたまた「驚き」に行ってしまった。
毎度「生と死」を考えさせられる旅で、今回も改めて深く考えてしまった。「生きるということは?」「死ぬこと」よりつらいかもしれない。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 3.5
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス 飛行機
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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海外を旅してタクシーを利用し、一番多く会ったのが、インド出身の運転手。それもそのはず、インドで運転ができればどこでもOKのはず。
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クトゥブ・ミナール、イスラム教勢力のクトゥブッディン・アイバク王がヒンドゥ教勢力を倒した戦勝記念に建てた塔。高さ72.5mはインドの石像建造物の中で、最も高い。
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1000ルピーの紙幣。この国の複雑な人種構造。言語も従って無数。その中の主要な15種類の言語(左端)で書かれた言葉。
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レストランにてインド料理・・ということであったが、結局空港内のフード・コートで昼食。大体1000円くらい。
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国内線で一時間半、ガヤに到着。国内線でもカレーの軽食が出た。
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自家用にも作るが、売り物にもする牛の糞。1つ1ルピー(2円)
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釈迦成道の地、スジャータ・ガー。
ブッダガヤの近くを流れるナイランジャー川は乾期で水はなく、そこを越えると対岸に小さな村の集落があり、スジャータの村に着く。この地で仏陀はスジャータから乳粥をもらい、体力を回復し瞑想に入り、とうとうある暁に悟りに入り、目覚めた・・といわれている。 -
スジャータ 村 とは、ブッダ が 苦行 の 後、この村 に たどり 着き、村 の 娘 で あった スジャータ から 乳粥 を 供養 された 場所。
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仏陀のストゥーパ
スジャータ村 (セーナー村) 散歩・街歩き
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マハーボディー寺院。
ここはおよそ2500年前に、シャーキャ族の王子であったシッダールタが、世の有り様に疑問を持ち、厳しい修行の末に悟りを開いたところ。悟りに到達した彼は、目覚めた人という意味である「ブッダ」と呼ばれるようになり、ブッダの教えは仏教として世に知られるようになった -
釈迦牟尼仏像。
何を悟って、後世の人に「なにをしなさい」と説いたのだろう?! それはどれだけ理解され、実行されているのか? 単に許しだけを祈って求めているだけではないのか? -
ガンジス河。沐浴をするために使う階段ガート(堤)。
ここへたどり着くには、バスを降り、人力車に乗り替え片道20分余。それをまさに「人力」でこいで、二人の客から往復代として300ルピー(600円)。一人が300円、片道150円の勘定!! 申し訳なくて友人が思わず法外なチップをはずんでしまった!! -
毎夜、行われる祈りの儀式。まず最初に「炎の舞」からはじまり・・・ろうそくが紙皿にのって、それをガンガの川に流し、先祖へ祈りをささげる・・という儀式。毎日何体もの遺体を焼き、川に流しているのだからーこんな祈りの儀式があっても当然。観光客用の儀式ではないから。
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7人の僧侶が揃って舞をし、お祈りで儀式を終える。毎日多くの遺体が焼かれ、川に流され・・・、その御霊に祈っているのか?! だがむなしい光景。
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儀式は1時間ほどで終わり、そこにいた人々は三々五々 消えてしまった。
この国は「永遠」と「生命」の象徴である「マリーゴールド」をよく儀式に使う。 -
女性の額につける赤い印の「ティクリ(ビンディ)」は、もともと「ティラック」と呼ばれヒンドゥー教徒の宗派をあらわす文様である。したがって、赤色や黒っぽいもの、青いのまである。
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マッサージをホテルでしてもらう。一時間で1200ルピー(2500円)。
これとても、日本人の私には安いと思われるのだが、この代金のいくらが、彼の懐にはいってくるのだろう? -
10ルピーで先祖に感謝を込めて灯明を!
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朝4時起きで・・・日の出を見に、再びガンガの川へ。
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まったくガスっていて見られなかった朝の陽が、ほんの瞬間だけ「おはよう」とでてくれました。
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あまりに多い乞食、そしてこの地・河で人生に幕を下ろそうと心を決めてこの地にたどり着いた人が、その「時」を待つために夜の休息をとる姿。単なるホームレスではないところが、なんとも侘しい。
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翌朝 早くに日の出を見に再びガンガの川へ行ったら、すでに膨大な量のホテルのシーツを洗っている人がいた。
30数年前に見た風景に似ていたが、その時はホテルのシーツを窯で茹で洗濯し、それを芝生の上で開き干していた。その夜、ベッドに入ったら、芝生から拾ってきた砂の匂いと冷ややかな感触! 今でも思い出せる。 -
その昔はもっと川の半ばまで行き、沐浴する人が多かった。その時、その一人の人に上流から流れてきた物体、グレーな色の物体(死体)が当たったが、振り返りもしないで手でそっと下流へながしていた・・そのしぐさが忘れられない。
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焼却炉のある火葬場の写真は、写真撮影は禁止。これはズームでとって編集したもの。
このような焼却炉のあるガートは、全長2500kmのガンガの川沿いには80余あるという。これはそのうちのひとつで、マニカルニカー・ガート。左のところに荼毘に付すために使う木材がたくさん積み上げられている。
下流でもすくい上げた死体を燃すために膨大な樹が伐採され、30数年前にも問題になっていた。 -
デリーまでもどり、そこからバスでアグラへ・・と行かずに、一気にアグラまで飛行機でひとっとび。
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モロッコでもそうであったが、「地獄」を見たその日の体を癒すところは、「天国」のような宿を選ぶべきである。
この地、ベナレスを見て、’インドにはまった’人たちはいったい何を考え、そう思ったのであろう? -
「アーユルヴェーダAyurveda」は、5,000年以上受け継がれている世界最古のインド伝統医学。サンスクリット語(インド古代の言語)の「アーユス(aayus 生命)」と「ヴェーダ (veda 知識)」の複合語で、「生命の科学」「長寿の科学」と訳される。
個人のバランスを維持し、病気に陥った人の病気を取り除く(治療)の他に、健康な人を更に健康にする(健康維持・増進)、そして老化防止、長寿を追及することが目的とする。
泊まったホテルでは2万円余するので、隣のホテルへ予約。一時間で送迎も含めて8000円。
完全な自然療法で、葉や樹皮、木の根、木の実、種子などを調合し精油や薬を使う。 -
カースト制度が依然として現存するこの国「インド」。不可触民は女子、特に長女を神に奉納し、その代償としてお金を受け取る。その女子たちの大半は、のちに売春を職とし、生涯を過ごす。2時間で300ルピー(600円)、それすらも元締めにピンハネされる。
なのにこのホテルは、広大な庭、プールまで有し、ここへは不可触民は入ることさえ許されない。
煙草の吸殻を捨てる階級、それを掃除する階級は別なのだ。 -
翌朝 タージ・マハルを遠方から見ようと出かけたが、ガスって見られず。瞬間うっすらとは見ることができ、それで良しとする。
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朝方 小さなポットを持っている人を見たら、それは用便をしに・・また片づけに出かけた人。
その便や尿を片づける階層もある。いわゆる不可触民だ。 -
インド大陸の土壌は赤色岩で、したがってレンガもその色が濃い。田舎を走ると煙突のような塔がいくつも見られるが、それがレンガを作る場所。
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この国インドの大気汚染は、中国の北京を超す勢い。レッドカードどころではない、深紅の色の警告だ。それで、私の喉もやられたのかもしれない。
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5つ星のホテルでは、マナー作法は英国風だが、まだまだ不可触民を動物的に扱い、2012年の公式データでは、子供が誘拐されたり、売春させられたり・・の事件が38000人も!! これは前年よりも15%も増加しているとか。男どもは何を考えているのだろう? 祈り続けて・・・何を悟っているのか? 許されることではないはず。
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アグラ城。この日、同行した友人は貧血を起こしてダウン。
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別に「ホモ」と言う訳ではないが・・仲よし、子よしで男性同士で手をつないで歩いている姿をよく見かける。
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大気汚染で、写した写真がすべてロマンチック。そのように意図的に写してはいないが。
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タージマハルを川向こうから見る予定であったが…。
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ここまでやって来れるインド人は富裕層であろうなあ?!
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…とはいえ、彼らは裸足。我々のように、靴の上から履くカバーなどは持っていない。
我々の入場券は彼らのものより10倍高く、これにはカバーと水ペットボトルが一本含まれている。 -
Afternoon teaを頂きながら、丘の上の喫茶店からタージマハルを眺め、日没を待つ予定であったが、やはりスモッグに遮られ計画倒れ。
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ホテルのレストランでも極力、生野菜は避けた。
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この時とばかりに野菜不足を補う。
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相変わらずの、建築スタイル。地震がないからいいが…。
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小さな集落でもマーケットがあり、ここへまとめ買いに来る商人ばかり。5キロ以上買い、さらに田舎へ持って行き、3倍くらいで売るのだとか。最貧困者はそれを小分けして買う。
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超積載重量のトラックが多い。その昔 目の前をそんなトラックが、対向してくるトラックと道をよけあい、最後の瞬間で一車両が転倒! 荷物が放り出された。我々の車も通れず・・しばらく待つことに・・すると、近くに部落はないのにどこからともなく人が集まり、散乱した食料品などを手あたり次第持ち去っていった。どうせトラックにはもどせないのだし・・・。
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トイレに引っかかっているのは、お守りのからしとレモン。7日目のその日は金曜で、運のよい日だとか・・。
他のトイレではインド人用のトイレと「Anglo-India」の二種類があった。インド人用には紙がなく、ポットに水だけ。 -
他の外国では「写されるのを嫌がる」のに、この国の人はむしろ映して・・とせがんでくる。
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独特な建築様式を残す世界遺産。ファテープル・シクリ
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アーグラから 遷都した。巨万の富と権力が生んだ王宮は、都の中央の丘に壮大な回廊に囲まれている。ムガル帝国はイスラーム王朝でありながら、ヒンドゥー世界の木造建築の要素を取り入れ、赤砂岩を使用して建られた王宮。城は水不足と猛暑のため、わずか 14年間しか使われず見捨てられ廃墟となった幻の都。
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子供だけに飴をあげたら、なんと大人まで「ください!!」とねだられた。
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幾何学模様が美しい大階段式井戸、チャンド・パオリ。
百段余も下っていき、帰りは水の重さも加わり・・・あの酷暑の中、女どもの苦労がわかっているのだろうか? それを「前世の生きざまへの報い」と片づけてよいのだろうか? -
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ピンク・シティ、風の宮殿。
当時、イスラムの影響を受け、外を歩くことができなかった宮廷の貴婦人達が、宮殿から続く細いトンネルを通って風の宮殿に来ては、世間の目に触れることなく街路で繰り広げられる祭やパレードを眺めていたと伝えられている。 -
アンベール城。4人乗りのジープで今回は上がる。往復で100ルピー。4、5人乗ったので約20ルピー、片道10ルピー。
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前回はこうして象にのって、うるさい「お土産!1000円」に囲まれて大変だったが・・。
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掃除をする階級は、最下位の階層の人が多い。
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掃除する人同様、排泄物を処理する人も不可触民、つまり4階級のさらに下の人たち。
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宝飾をちりばめ、はめこまられた鏡の間。
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象を水浴びさせた場所。
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城の補修をする赤色泥。
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我々の乗っているジープも走っているが、目の前のタクシーも見事なまでの腕前で、猛スピードで駆け下りて行った。
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湖水に浮かぶ城、今ではホテルとして使われている。ハワ・マハール
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いったい何人載っているのだろう?
その昔、スペインでは中に入れば有料で、こうしてぶら下がっているだけなら・・ただということであったが・・・。インドではどこにぶら下がっていようがお金がいるとか。多分次のバスはなかなか来ないのであろう?! -
旧市街を囲む城壁
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ジャンタル・マンタル天文台
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マハラジャの住むシティパレス。
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インドのサリーを試着してみる友人Eさん。
インドに三年住んでいた友人に聞くと、通常は1000円以下のもの、なのにここでは仕立ててもらって数万円!! -
名物ターリー料理。ビールは小瓶で350ルピー(700円)。
ターリーはインド中どこに行っても食べることができる。列車の中でも、バスの停車するドライブインでも…、チャイと並んで、インドの旅にはなくてはならない栄養源だ。
インドでは近年まで皿は葉っぱで代用することが多かった。インド南東部のタミルでは、現在もバナナの葉を皿代わりに使うし、一般的に、お寺での食事はやはり葉っぱの皿が多用される。 -
「デリーに入りました」とガイド。途端に運転手の助手がカーテンを閉めただけでなく、丸め始めた。外から中が見えるように・・ということらしい。あまりに車内での女性への強姦が多くなっているので・・。
私の知る限りでも、新聞記事に三件:10数人の男性が女性を犯して、おまけに運転手までその人達に加わり!!! 女性が訴えたのであきらかになったのだが、ほとんどのケースは泣き寝入りになっている。 -
寒暖の差がひどく、扁桃腺が腫れてしまった。風邪気味で頭痛もしたので、額に「ヒエピタ」、外の砂ぼこりを防ぐためにマスク、頭上からの猛烈な冷気を遮るためにスカーフをまき・・ちょっと「インド風に」まいて・・・早く風邪が治りますように・・と祈ったつもりが・・・、ありゃ?!
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最後の食事は和食・・とりあえず「和食」風、「たむら」でいただく。
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フマユーン廟。前回は小学生の学習遠足をするグループにあった。彼らは午前中だけ学校へ行く生徒だった。
フマユーンは、インド北部の君主の座を奪われ、のちに再征服に成功、ペルシア出身の王妃で信仰厚いムスリマであったハミーダ・バーヌー・ベーグム(ハージー・ベーグム)は、亡き夫のためにデリーのヤムナー川のほとりに壮麗な墓廟を建設することを命令し、建設した。 -
王の墓がこの下に・・・。
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あどけない子供の笑顔、彼らの階級は当然トップであろうなあ〜。
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搭乗手続きをするアテンダント、着物を左前に着て・・たぶん日本式と思っているであろう・・・。
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ビジネスクラスの前菜。
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