2015/11/20 - 2015/11/20
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imiさん
「海を渡る風、星の降る岬、古代を記憶を訪ねる星崎の里」
塩の一大産地だったまち星崎。古代より星に縁があり。
隕石の落下や流星雨の記録が日本書紀に記されています。
創始は欽明天皇のころという星宮社、ご利益のお札に
しゃもじを供えたことから「おしゃもじさま」と呼ばれる
石神社などを巡りました
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名鉄本星崎駅前に集合です
パンフを貰いました -
ガイドさんのご紹介でスターします
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和菓子本松さん
鬼まんじゅうが美味しそう! -
笠寺小学校内にある星崎城址の石碑
冶承年間(1177〜1181年)に山田重忠によって
笠寺台地の南端に築城されました -
善住寺
慶安4年に浄土宗に改宗し「善住寺」と改称しました
尾張藩の菩提寺・健中寺の末寺 -
新しい本堂です
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境内にある「桑子地蔵」
もとは塩付街道の石仏でした -
「桑子地蔵」のいわれです
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細い道を抜け
急階段を登り…さてどこにでるかな -
ここにも星崎城址の碑が…天守跡
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現在は神社になっています
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鳥居の横の山車蔵
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星宮社の本地祭りの案内
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星宮社
創始は欽明天皇のころで星崎城築城のとき
この地に移されといわれ、かっては星崎の岬の
最南端に位置し、里人がともす常夜燈が灯台の
役目を果たしたと伝えられています -
尾張名所図会にも載っています
境内には上・下知我麻神社が祀られいます
現在、熱田神宮内に祀られていますが
両社はかつてここに祀られていたと言われています -
子孫繁栄の石?
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灯籠に北斗七星
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本星崎駅の近くの石が御神体の石神社
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石が祀られいます
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祠の中におしゃもじ?
神社の西側の道はかって笠寺方面と知多半島を結ぶ
重要な街道で知多郡道、知多街道と呼ばれていました -
歯痛、神経痛に霊験があるといわれています
民間信仰である「宿信仰」とも関わりあるともいわれ
お礼にしゃもじをお供えしたところから
「おしゃもじ様」と呼ばれました -
光照寺
尾張の有力な武士だった山田次郎重忠の創建と
寺伝に残されています -
寺の東のお堂には数多くの石仏が並び「百観音」と呼ばれ
かつては、知多街道を往来する人々の休憩所に
なっていたと伝えられています -
西来寺の境内に建つ永井荷風の追慕碑
「人生の真相は、寂寞の底に沈んで初めて之を
見るであろう」という荷風の言葉刻まれています -
牛毛神社
神社は天白川の堤防上にあり創建は太閤検知
より以前と推定されています
津島神社の神符が牛毛海岸に毎年のように流れ着いたのを、神の御神意としてこの地に神社を建てたと案内板に書かれていました -
旧鳴尾学校舍
明治4年の廃藩置県のとき名古屋県の出張所として
知多郡横須賀町に建てられたもので明治15年に第31番小学鳴尾学校の
校舎になりました -
正方形の皿形の板を3枚重ねた玄関柱、網代式の玄関天井
随所に洋風建築のデザインがみられます -
喚続神社(よびつぎじんじゃ)
大永3年(1523年)に創建「昔、神社西側の海岸の堤防が何度も
決壊したため伊勢神宮で1万回お祓いを受けたところ、神徳があり
堤防が完成した、そのことに感謝して社殿を伊勢神宮に向けて建てた」と
言い伝えが残されています -
尾張名所図会にも描かれています
現在の「呼続」と字がちがいますね -
寛永3年(1632年)8月14日の夜に落下した隕石が、社宝として
保管されています。毎年10月には例祭が行われ「布袋」「福禄寿」
「猩猩」と呼ばれる大きな人形が練り歩きます -
隕石のお菓子を貰いました
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噛むと中はカリットして米粒大の砂糖かな
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