2015/09/21 - 2015/09/21
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TOMISLAVさん
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9/21 モスクワから遠足をして、
Сергиев Посад(セルギエフ・パッサート)
へ行ってみた。
Посад(パッサート)とは、「門前町」という意味らしい。
だから、セルギエフ・パッサートとは、「セルギエフ大修道院門前町」という意味だ。
「門前町」と言われると、鳥居の前の商家の並びがイメージされ、人々の営みが連想されて、少しは親しみが湧くのではないでしょうか。モスクワを東京するなら、ここは鎌倉の鶴岡八幡宮といった感じか。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
-
メトロ ВДНХ(ヴェー・デェー・エヌ・ハー)駅の近くの長距離バス乗り場から388番バスに乗って、セルギエフ・パッサートへ向かう。
-
バスに乗って2時間弱。
バスはセルギエフ・パッサート駅前まで行くが、その手前で降車した。こちらのほうが、大修道院に近い。 -
降車した場所を右折して大通りにそって歩くと、すぐに
セルギエフ大修道院が見えてくる。
小さな丘の上の大修道院で、城壁に囲まれていて、護国寺兼砦のような役割も期待されていたのだろう。
この大通り、
「Пр.Красной Армий(プロースペクト・クラースノイ・アルミー)」という表示だったため
「赤軍通り」という名の通りだろう。
修道院のパッサート(門前町)のあったあたりにしては、色気のない名前である。 -
大修道院へ向かう小路には、写真のようなかわいらしい教会もあるが、パッサート(門前町)の名のためか各種露店が大修道院まで並んでいた。今も昔も門前町で商売する人々の姿だけは変わらないということか。
-
お土産に、帝政ロシア末期(1914年)の
10コペイカ硬貨を購入。
露店には、ピョートル大帝時代の銅貨やアレクサンドル1世(ナポレオン時代のロシア皇帝)の時代の銅貨もあったが、腐食が激しくさすがに買う気にはなれなかった。本当の収集家なら買うだろうが…。
ロシア帝国時代のもので程度がよいのがこれだった。このコペイカ君はソ連時代には、どこかの家庭の抽斗の奥で眠っていて誰にも見つからず、革命の粛清(改鋳)を乗り切ったのだろうかと勝手に妄想してみた。 -
大修道院の正面に着く。
-
大修道院の鳥瞰図。
やはり城壁に囲まれていていざというときの城塞としての役割も期待されていたのだろう。ただそれは、実際に使用するというよりも、精神的な支えとして、即ち、強固で堅牢なロシア正教会の象徴としての役割が大きいだろう。 -
大修道院の出入り口の壁面や天井には、このようなイコン風の画が描かれていた。
新約聖書すら通読したこともないのに生意気なことをいうと、この画は、ロシア正教の性格をよく表していると思う。
真ん中の聖母子像はおなじみであるが、その左右に侍立する聖人像がロシアやギリシャの正教ではよく見られる。これは教義をしらない人間の勝手な解釈だが、モンゴルやトルコなどの外敵と戦い続けたロシアでは、キリスト教は自分たちの心の支えであると同時に自分たちが護らないといけないもの。ロシアの聖人たちが、果敢にも異教徒に抵抗し正教の盾になってきた誇らしくも辛い過程があったからこそ、聖人がキリスト教の藩屏として描かれているのではないだろうか。 -
このフレスコ画は聖人たちだけが描かれている。
聖人たちの固い信仰心と献身によってロシア正教が支えられ、下の大修道院に昇華されていく。そんな寓意だろう。これも、聖人たちの信仰心や献身を称えているのだろう。
しかし、そんなに聖人を称えすぎてもよいものだろうかと信仰心のない私でも心配になってくるほどの称えようだ。裏を返すと、多くの立派な聖人たちの努力に支えられる「教え」ってなんなの?っていう素朴な疑問である。そのような教えがある存在理…(以下自粛します…)。 -
熊にも施しを与える徳の高い聖人を称えた絵だろう。一見ほほえましい絵である。
しかし、ひねくれたことを言うと、キリストの教えはもともと強固で無謬ではないのか?
単なる実践者にすぎない聖人たちが他者にいいことをしたとしてそれは教えが正しいから当たり前。しないで堕落しようが、それは教えとは関係ない、で一応の説明がつくのではないか。あんまり、聖人たちを称えすぎると、聖人たちの稼いだ「徳点」で教えの価値が左右されてしまうのではないか…。
もうこれくらいにしておこう。確かなことは、ロシアでは立派な聖人たちが、不屈の努力で教えを護ってきたのだ。 -
大修道院の境内に入る。
もともとこの大修道院は、1345年に聖セルギエフが建てた聖堂が始まりだったとのこと。 -
Успенский Собор(ウスペンスキー大聖堂)を仰ぐ。
このウスペンスキー大聖堂って日本語訳すると、「生神女就寝大聖堂」という名称になるらしい。 -
大聖堂に入ると見事なイコノスタス(イコンで飾られた壁)があった。
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聖人たちを称えるロシア正教の大修道院らしく、聖人たちのイコンが飾られている。
イコンの数を数を数えると「44体」あった。
う〜ん、討ち入りをするには少し数が足りないし、トランプを作るのにはもっと足りない…。せいぜい歌謡ユニットを結成できる人数か?
とけしからぬことを考えた。 -
僧坊があったので、こちらにも入ってみる。
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僧坊の中はこのように優美な礼拝堂になっていた。
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やはり、こちらにもイコノスタスが。
ロシア正教が、聖人たちの努力を評価するのはわかるが、あまり彼らを持ち上げすぎると、ご本尊のありがたみが薄れるのではないか…と部外者ながら心配になる。
それとも、聖人たちの行動も主が予め知りたもうこと。すべては主に帰せられる。ふぉふぉっふぉ。
と予定説にようなもので乗り切るのだろうか。 -
ロシアのちびっこたちが礼拝堂に入ってきた。彼らも「遠足」でこの修道院にきたようだ。
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鐘楼。この鐘楼は、高さ88mで、1744年に建てられたが、当時ロシア随一の高さであったとのこと。
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この鐘楼で使われていた鐘だろうか。
クレムリンにある「鐘の皇帝」の親戚だろうか。 -
修道院をでたところにあったもの。
1314年から始まり、数々の苦難を乗り越えて、700年たったという意味だろう。 -
丘の上に建つ大修道を観ながら、今回の遠足を終える。
この大修道院は、聖人たちの努力によって維持されたものであり、多くの艱難を乗り越えてきた。城壁はその堅固な信仰心の象徴なのだろう。また、数々の外敵にも屈しない不屈の意思にも通じ、ロシアの人々の共感を得たのではないか。
そんなことを考えつつ、帰路につく。
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