カーニュ=シュル=メール旅行記(ブログ) 一覧に戻る
芸術の都パリが生んだ幾多の巨匠画家が、その後南仏に拠点を移したことはよく知られている。南仏に巨匠画家の足跡を訪ね、彼らを魅了した南仏の魅力を探る事をテーマにした旅の第5弾は、ピエール・オーギュスト・ルノアールが晩年移り住んだコート・ダ・ジュールの小さな街カーニュ・シュル・メールにルノアール美術館を訪れる旅である。ルノアール美術館は彼の住居でありアトリエであった建物を市が管理し美術館として公開しているもので、当時のルノアールの創作活動や生活を知る貴重な施設である。ともかくロケーションが素晴らしいのでそれだけでも訪問する価値がある。さらにカーニュから足を伸ばして近くの陶器とガラス工芸の村ビオにある国立フェルナン・レジェ美術館も訪れた。

ルノアールとカーニュ・シュル・メール ”巨匠画家の足跡を訪ねる南仏の旅 その5”

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2015/06/13 - 2015/06/13

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museumwandererさん

芸術の都パリが生んだ幾多の巨匠画家が、その後南仏に拠点を移したことはよく知られている。南仏に巨匠画家の足跡を訪ね、彼らを魅了した南仏の魅力を探る事をテーマにした旅の第5弾は、ピエール・オーギュスト・ルノアールが晩年移り住んだコート・ダ・ジュールの小さな街カーニュ・シュル・メールにルノアール美術館を訪れる旅である。ルノアール美術館は彼の住居でありアトリエであった建物を市が管理し美術館として公開しているもので、当時のルノアールの創作活動や生活を知る貴重な施設である。ともかくロケーションが素晴らしいのでそれだけでも訪問する価値がある。さらにカーニュから足を伸ばして近くの陶器とガラス工芸の村ビオにある国立フェルナン・レジェ美術館も訪れた。

旅行の満足度
4.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
鉄道 高速・路線バス タクシー
旅行の手配内容
個別手配
  • ①カーニュ・シュル・メールとビオ日帰り旅<br /><br />コート・ダ・ダジュールの中心都市ニースを拠点にルノアール美術館のあるカニュ・シュル・メール(Cagnes Sur Mer)と国立フェルナンレジェ美術館のある山間の村ビオ(Biot)を周った。日程の概略を以下に記しておく。<br /><br />1. ニースからカーニュまでニース市営バスに乗る。約40分<br />  ・ニース、カーニュ間はバス、鉄道の選択肢があるが、バスは市街地まで乗り込むので、美術館へ徒歩でアクセス可能なバスが便利。鉄道駅からは遠い。<br /><br /> ・ニース始発駅「Albert 1er」西行き#94,400,500,200のどれでも可<br /> ・下車バス停「Square Bourdet」カーニュの街の中心のロータリー<br /><br />2. バス停からルノアール美術館へは標識を辿り徒歩移動 約15分<br /> ・ルノアール美術館はカーニュの丘の上の高級住宅地にある。かなり急坂を登る<br /><br />3.  カーニュの市街地のバス停ロータリーまで戻る。<br />4.  カーニュからビオのレジェ美術館への移動<br /> ・公共乗り物は、#200カンヌ行きのバスでビオ鉄道駅下車(Gare Biot SNCF)<br />  ・駅前バス停でenvibus社#10バス系統 Valbonne Village行きに乗車、4つ目のバス停「Fernando Leger」で下車、徒歩10分<br /> ・異なるバス会社を乗り継ぐ行程は乗換時間、場所等で不都合な場合がある。今回予定していたバスに乗れずにカーニュからビオの美術館までタクシーで移動した。?24,約20分<br /><br />5. 美術館の最寄りのバス停「Fernand Leger」でenvibus社 Antibes行き#10バスに乗車 ビオ国鉄駅(Gare Biot SNCF)下車<br />6. 国鉄ビオ駅からニース駅まで列車移動 25分程、30分間隔<br /><br /><br />②ルノアールの家美術館 Musee Renoir<br /><br />写真はカーニュのコレットの丘と呼ばれる高台の高級住宅地にあるルノアールの家美術館の正面玄関 エントランスからアプローチを進むとチケット売り場とショップのある建物に誘導される。2013年にリニューアルオープンして、動線が整備されたばかりだそうだ。<br /><br />

    ①カーニュ・シュル・メールとビオ日帰り旅

    コート・ダ・ダジュールの中心都市ニースを拠点にルノアール美術館のあるカニュ・シュル・メール(Cagnes Sur Mer)と国立フェルナンレジェ美術館のある山間の村ビオ(Biot)を周った。日程の概略を以下に記しておく。

    1. ニースからカーニュまでニース市営バスに乗る。約40分
    ・ニース、カーニュ間はバス、鉄道の選択肢があるが、バスは市街地まで乗り込むので、美術館へ徒歩でアクセス可能なバスが便利。鉄道駅からは遠い。

     ・ニース始発駅「Albert 1er」西行き#94,400,500,200のどれでも可
     ・下車バス停「Square Bourdet」カーニュの街の中心のロータリー

    2. バス停からルノアール美術館へは標識を辿り徒歩移動 約15分
     ・ルノアール美術館はカーニュの丘の上の高級住宅地にある。かなり急坂を登る

    3. カーニュの市街地のバス停ロータリーまで戻る。
    4. カーニュからビオのレジェ美術館への移動
     ・公共乗り物は、#200カンヌ行きのバスでビオ鉄道駅下車(Gare Biot SNCF)
    ・駅前バス停でenvibus社#10バス系統 Valbonne Village行きに乗車、4つ目のバス停「Fernando Leger」で下車、徒歩10分
     ・異なるバス会社を乗り継ぐ行程は乗換時間、場所等で不都合な場合がある。今回予定していたバスに乗れずにカーニュからビオの美術館までタクシーで移動した。?24,約20分

    5. 美術館の最寄りのバス停「Fernand Leger」でenvibus社 Antibes行き#10バスに乗車 ビオ国鉄駅(Gare Biot SNCF)下車
    6. 国鉄ビオ駅からニース駅まで列車移動 25分程、30分間隔


    ②ルノアールの家美術館 Musee Renoir

    写真はカーニュのコレットの丘と呼ばれる高台の高級住宅地にあるルノアールの家美術館の正面玄関 エントランスからアプローチを進むとチケット売り場とショップのある建物に誘導される。2013年にリニューアルオープンして、動線が整備されたばかりだそうだ。

  • ② ルノアールの南仏移住<br /><br />ルノアールが南仏コートダジュールのカーニュ・シュル・メルに移住したのは1903年62歳の年で、1919年78歳でなくなるまでの晩年をこの地で過ごした。<br /> 巨匠画家がパリから南仏へ移り住む理由は、各人の理由があり興味深いところであるが、ルノアールの場合は50歳代後半に罹患したリューマチ性関節炎の療養のため温暖な地に移住したいというのが動機だったという。<br /> カーニュのコレットの丘で購入した敷地と邸宅は、高級住宅地の中でも一際広大で、丘丸ごと敷地と思えてしまう程である。<br /> ルノアールはパリでは印象派運動をリードし、多作で画風も判り易い事も有りに名実ともに確立した成功者であったことが窺える。<br /><br />写真:ルノアールの家美術館正面入り口<br />親交の深いは画商はもとより、ボナール、マチス、モディリアニ、日本人画家では梅原龍三郎等のそうそうたる画家がカーニュのルノアール詣でここを訪れたという。<br /><br />

    ② ルノアールの南仏移住

    ルノアールが南仏コートダジュールのカーニュ・シュル・メルに移住したのは1903年62歳の年で、1919年78歳でなくなるまでの晩年をこの地で過ごした。
     巨匠画家がパリから南仏へ移り住む理由は、各人の理由があり興味深いところであるが、ルノアールの場合は50歳代後半に罹患したリューマチ性関節炎の療養のため温暖な地に移住したいというのが動機だったという。
     カーニュのコレットの丘で購入した敷地と邸宅は、高級住宅地の中でも一際広大で、丘丸ごと敷地と思えてしまう程である。
     ルノアールはパリでは印象派運動をリードし、多作で画風も判り易い事も有りに名実ともに確立した成功者であったことが窺える。

    写真:ルノアールの家美術館正面入り口
    親交の深いは画商はもとより、ボナール、マチス、モディリアニ、日本人画家では梅原龍三郎等のそうそうたる画家がカーニュのルノアール詣でここを訪れたという。

  • ・ルノアールのアトリエ<br /><br />ルノアールの家の中にはアトリエが2室あり写真は大きい方のアトリエである。<br />カーニュに来てからもリューマチには悩まされ続け、数年後には車椅子生活を余儀なくされた。そんな状態でも創作意欲は衰えず痛みに耐えながら最後まで絵筆を握っていたという。アトリエは整理され臨場感はないが、車椅子とキャンバスと絵具箱が当時の画家の状況を象徴している。

    ・ルノアールのアトリエ

    ルノアールの家の中にはアトリエが2室あり写真は大きい方のアトリエである。
    カーニュに来てからもリューマチには悩まされ続け、数年後には車椅子生活を余儀なくされた。そんな状態でも創作意欲は衰えず痛みに耐えながら最後まで絵筆を握っていたという。アトリエは整理され臨場感はないが、車椅子とキャンバスと絵具箱が当時の画家の状況を象徴している。

  • ・ルノアールの家の小アトリエ<br /><br />車椅子ではないが座して創作していた様子が窺える。

    ・ルノアールの家の小アトリエ

    車椅子ではないが座して創作していた様子が窺える。

  • ・ルノアールの家の浴室<br /><br />ルノアールの住空間、家具や日用品が残され当時の生活が偲ばれる。

    ・ルノアールの家の浴室

    ルノアールの住空間、家具や日用品が残され当時の生活が偲ばれる。

  • ・ルノアールの家に展示されている作品<br /><br />家の各部屋に別けてルノアールの作品が展示されてある。カーニュでは周囲にいる若い使用人をモデルに人物画を多く描いた。<br /> 晩年の画は人物は丸みが強調され、明るい色彩を基調とした絵になった。

    ・ルノアールの家に展示されている作品

    家の各部屋に別けてルノアールの作品が展示されてある。カーニュでは周囲にいる若い使用人をモデルに人物画を多く描いた。
     晩年の画は人物は丸みが強調され、明るい色彩を基調とした絵になった。

  • ・ルノアール作品

    ・ルノアール作品

  • ・ルノアール作品

    ・ルノアール作品

  • ・ルノアールの家の2階テラスからカーニュの市街と地中海の遠望<br /><br />ルノアールの家の敷地のあるコレットの丘からの景色はすばらしい。<br />南に邸宅の前庭越しにカーニュの市街地さらに地中海を遠望できる。<br />

    ・ルノアールの家の2階テラスからカーニュの市街と地中海の遠望

    ルノアールの家の敷地のあるコレットの丘からの景色はすばらしい。
    南に邸宅の前庭越しにカーニュの市街地さらに地中海を遠望できる。

  • ・中世の村オー・ド・カーニュの遠景<br /><br />敷地の西側には、谷を越えた対岸の丘の上にグリマルディ城を中心に中世に栄えた村オー・ド・カーニュを遠望できるビュースポットがある。南仏の中世の村の典型的な&quot;鷲の巣村&quot;の全貌が良くわかる。

    ・中世の村オー・ド・カーニュの遠景

    敷地の西側には、谷を越えた対岸の丘の上にグリマルディ城を中心に中世に栄えた村オー・ド・カーニュを遠望できるビュースポットがある。南仏の中世の村の典型的な"鷲の巣村"の全貌が良くわかる。

  • ・”画家達のコート・ダジュール”作品執筆場所を示すボード<br /><br />庭園はオリーブの広大なオリーブ畑になっていて、ルノアールは好んで戸外で風景画を製作したようだ。作品の制作場所を示すボードが立っている。<br /> オリーブの巨木から写真左端にみえるオー・ド・カーニュをモチーフにした”画家達のコート・ダ・ジュール”はここで書かれた。

    ・”画家達のコート・ダジュール”作品執筆場所を示すボード

    庭園はオリーブの広大なオリーブ畑になっていて、ルノアールは好んで戸外で風景画を製作したようだ。作品の制作場所を示すボードが立っている。
     オリーブの巨木から写真左端にみえるオー・ド・カーニュをモチーフにした”画家達のコート・ダ・ジュール”はここで書かれた。

  • ・コレットの別荘<br /><br />敷地の中にはルノアールが好んで時間を過ごしたといわれる別荘が木立の中に建てられている。現在はルノアール美術館のオーディオルームとしてビデオを鑑賞する事が出来るスペースになっている。

    ・コレットの別荘

    敷地の中にはルノアールが好んで時間を過ごしたといわれる別荘が木立の中に建てられている。現在はルノアール美術館のオーディオルームとしてビデオを鑑賞する事が出来るスペースになっている。

  • ・コレットの別荘を描いた場所を示すサインボード<br /><br />(ルノアールの家 総括)<br /> 個人的にはルノアールの絵は好みではないが、世界中で、とりわけ日本で愛好者の多い印象派巨匠の晩年の家は、美術館としては物足りないかもしれない。しかし庭とロケーションが最高なのでそれだけでも訪れる価値はあると考える。

    ・コレットの別荘を描いた場所を示すサインボード

    (ルノアールの家 総括)
     個人的にはルノアールの絵は好みではないが、世界中で、とりわけ日本で愛好者の多い印象派巨匠の晩年の家は、美術館としては物足りないかもしれない。しかし庭とロケーションが最高なのでそれだけでも訪れる価値はあると考える。

  • ②国立フェルナン・レジェ美術館<br /><br />コート・ダ・ジュールに存在する3つの国立美術館(他の2つはピカソ、シャガール)のひとつであり、カーニュのルノアールの家と絡めて一日で廻れるので足を伸ばした。それにしても個人冠の国立美術館でピカソ、シャガールと来て、3番目はフェルナン・レジェ?と素朴な第一印象ではあった。

    ②国立フェルナン・レジェ美術館

    コート・ダ・ジュールに存在する3つの国立美術館(他の2つはピカソ、シャガール)のひとつであり、カーニュのルノアールの家と絡めて一日で廻れるので足を伸ばした。それにしても個人冠の国立美術館でピカソ、シャガールと来て、3番目はフェルナン・レジェ?と素朴な第一印象ではあった。

  • ・レジェと南仏コートダジュールの縁<br /><br />レジェはセザンヌに啓発されキュビズムに傾倒し、後にポップでメカニカルなモチーフの独創的な画風を確立した画家である。彼の南仏との縁は1949年68歳で、陶器の村ビオ(Biot)を訪れ陶器制作をするのが目的であった。ピカソがヴァロリスで陶器制作を始めた少し後になる。第2次大戦後アメリカに避難していたレジェは帰国し新たな創作活動を始めるにあたりピカソに触発されたのかもしれないが、レジェは陶器ではなく素材としてのセラミックに興味があった。<br /> 1955年74歳の時、本格的に永住すべくビオに土地を購入したが、不運にもわずか1カ月後に亡くなった。後に未亡人と再婚した夫は彼の遺作とビオの敷地を国に寄贈し1960年国立レジェ美術館の開設となった。

    ・レジェと南仏コートダジュールの縁

    レジェはセザンヌに啓発されキュビズムに傾倒し、後にポップでメカニカルなモチーフの独創的な画風を確立した画家である。彼の南仏との縁は1949年68歳で、陶器の村ビオ(Biot)を訪れ陶器制作をするのが目的であった。ピカソがヴァロリスで陶器制作を始めた少し後になる。第2次大戦後アメリカに避難していたレジェは帰国し新たな創作活動を始めるにあたりピカソに触発されたのかもしれないが、レジェは陶器ではなく素材としてのセラミックに興味があった。
    1955年74歳の時、本格的に永住すべくビオに土地を購入したが、不運にもわずか1カ月後に亡くなった。後に未亡人と再婚した夫は彼の遺作とビオの敷地を国に寄贈し1960年国立レジェ美術館の開設となった。

  • ・エントランスホールのステンドグラス

    ・エントランスホールのステンドグラス

  • ・”叔父の肖像画”フェルナン・レジェ作 1905年<br /><br />美術館にはレジェの作品が時系列的に展示されていて、彼の画風の変化が判り易い。この作品は24歳の頃のもので画家を志してパリに出て来て間もないころのものと思われる。所謂レジェのイメージとはかけ離れた貴重な作品である。

    ・”叔父の肖像画”フェルナン・レジェ作 1905年

    美術館にはレジェの作品が時系列的に展示されていて、彼の画風の変化が判り易い。この作品は24歳の頃のもので画家を志してパリに出て来て間もないころのものと思われる。所謂レジェのイメージとはかけ離れた貴重な作品である。

  • ・&quot;July&quot; 1914年作品<br /><br />レジェはセザンヌに大きな影響を受けたという。セザンヌの「自然を円錐、円筒、球として捉える」という言葉に触発され当時前衛であったキュビズムに参画した頃の作品である。ピカソ、ブラックのキュビズムエポックの作品に似ているが、よりカラフルである。

    ・"July" 1914年作品

    レジェはセザンヌに大きな影響を受けたという。セザンヌの「自然を円錐、円筒、球として捉える」という言葉に触発され当時前衛であったキュビズムに参画した頃の作品である。ピカソ、ブラックのキュビズムエポックの作品に似ているが、よりカラフルである。

  • ・”Women with the Banquet&quot;,&quot;The Lunch&quot;,&quot;Under the Tree&quot; 1921年作品<br /><br />第1次世界大戦に招集され従軍中に大砲等兵器の機能美にインスパイアされてメカニカルな独自の画風が形成されたと言われている。レジェスタイルの確立創成期の作品にあたる作品。キュビズムの立体的なフォルムは残しつつ、人間の形など判明できるようになってきている。

    ・”Women with the Banquet","The Lunch","Under the Tree" 1921年作品

    第1次世界大戦に招集され従軍中に大砲等兵器の機能美にインスパイアされてメカニカルな独自の画風が形成されたと言われている。レジェスタイルの確立創成期の作品にあたる作品。キュビズムの立体的なフォルムは残しつつ、人間の形など判明できるようになってきている。

  • ・&quot;Mona Lisa with Keys&quot; 1930年作品<br /><br />中央に鍵の束、その右のモナリザと相互に何の脈絡もないオブジェをキャンバス状にちりばめる作品を描いている。当時始まっていたシュルレアリズムのデペイズマン効果を意識したものかもしれない。

    ・"Mona Lisa with Keys" 1930年作品

    中央に鍵の束、その右のモナリザと相互に何の脈絡もないオブジェをキャンバス状にちりばめる作品を描いている。当時始まっていたシュルレアリズムのデペイズマン効果を意識したものかもしれない。

  • ”Leisure on a Red Background&quot; 1949年作品<br /><br />第2次大戦中レジェは国内の混乱を避けてアメリカに4年滞在する。この作品は戦後フランスに帰国してすぐの頃の作品である。フランスで身近で人気のあるメカニックの自転車を画き、人物も構図も判り易くイラストレーションのような画でアメリカの影響を感じる絵である。

    ”Leisure on a Red Background" 1949年作品

    第2次大戦中レジェは国内の混乱を避けてアメリカに4年滞在する。この作品は戦後フランスに帰国してすぐの頃の作品である。フランスで身近で人気のあるメカニックの自転車を画き、人物も構図も判り易くイラストレーションのような画でアメリカの影響を感じる絵である。

  • ・”The Builders,definitive&quot; 1950年作品<br /><br />建設現場の作業員を題材にした作品、現場的なもの、機械的なものを一貫して画いてきた典型的なレジェスタイルを確立した作品、大作である。

    ・”The Builders,definitive" 1950年作品

    建設現場の作業員を題材にした作品、現場的なもの、機械的なものを一貫して画いてきた典型的なレジェスタイルを確立した作品、大作である。

  • ・&quot;The Great Parade with Red Background&quot;  1953年作品<br /><br />子供の頃夢中だったサーカスを題材にした作品。ますますイラスト風になってきた感じがする。黒の太い輪郭線と塗りつぶしによる表現は、ビオで取り組んでいたセラミックによるレリーフ作品に通ずるものがある。

    ・"The Great Parade with Red Background" 1953年作品

    子供の頃夢中だったサーカスを題材にした作品。ますますイラスト風になってきた感じがする。黒の太い輪郭線と塗りつぶしによる表現は、ビオで取り組んでいたセラミックによるレリーフ作品に通ずるものがある。

  • ・&quot;Women with Parrot&quot;  1952年作品<br /><br />陶芸村ビオの来て始めたエナメルコーティングした素焼きのセラミックの浅レリーフ作品。レジェは今まで手掛けた油彩のモチーフからレリーフ作品を起していった。<br /><br />美術館の1室にセラミックのレリーフ作品の制作工程説明コーナーが設えてある。レリーフ作品はいくつかのモヂュールに区分けされて制作され最後に全体作品として構成される。

    ・"Women with Parrot" 1952年作品

    陶芸村ビオの来て始めたエナメルコーティングした素焼きのセラミックの浅レリーフ作品。レジェは今まで手掛けた油彩のモチーフからレリーフ作品を起していった。

    美術館の1室にセラミックのレリーフ作品の制作工程説明コーナーが設えてある。レリーフ作品はいくつかのモヂュールに区分けされて制作され最後に全体作品として構成される。

  • ・浅レリーフを構成するモジュールの一つ

    ・浅レリーフを構成するモジュールの一つ

  • ・色つきの浅レリーフ作品

    ・色つきの浅レリーフ作品

  • ・&quot;The Walking Flower&quot; エナメル塗装による素焼きセラミックの彫刻作品 1953年<br /><br />レジェのかつての教え子でビオ在住の陶芸家ブリースとの共同作業で、レリーフから進んでセラミック彫刻作品を手掛けた最初の作品である。ベンチに座っている人との対比でスケールの大きさを理解いただけると思う。レジェはセラミックこそは戸外での展示に耐えうる理想的な素材で、自分の作品が海辺に設置され、囲いなどなく子どもたちが遊んでくれることを理想としていた。

    ・"The Walking Flower" エナメル塗装による素焼きセラミックの彫刻作品 1953年

    レジェのかつての教え子でビオ在住の陶芸家ブリースとの共同作業で、レリーフから進んでセラミック彫刻作品を手掛けた最初の作品である。ベンチに座っている人との対比でスケールの大きさを理解いただけると思う。レジェはセラミックこそは戸外での展示に耐えうる理想的な素材で、自分の作品が海辺に設置され、囲いなどなく子どもたちが遊んでくれることを理想としていた。

  • ・レジェ美術館の西側ファサードのレジェデザインのモザイク壁画

    ・レジェ美術館の西側ファサードのレジェデザインのモザイク壁画

  • &quot;The Children&#39;s Garden&quot;  <br /><br />レジェが子供の遊ぶ庭を構想したデザインを陶芸家ブリースがセラミックの彫刻作品にし、庭園に設置されている。<br /><br /><br />(あとがき)<br />・レジェが何で国立美術館と思って訪問したが、ワンパターンの作家のイメージは払拭され、彼が常に新たな挑戦をしていた事が良くわかり興味深い美術館であった。とにかくカラフルな作品は無条件に楽しい気持ちになる。<br />・美術館は最近はガラス工芸品で知られるようになったビオの街からもビオの国鉄駅からも離れた所にある。筆者はカーニュの駅からタクシーを拾ったが、タクシー運転手は国立レジェ美術館を知らなかった。大きな美術館はニースにしかないと思いこんでいる。存在を知っていた運転手仲間が一人いて事なきをえたが、国立施設だから周辺では誰でも知っていると思ったら間違える。不便な場所に行く時は住所、所在場所を示す地図を準備しておいた方が良い。<br />

    "The Children's Garden"

    レジェが子供の遊ぶ庭を構想したデザインを陶芸家ブリースがセラミックの彫刻作品にし、庭園に設置されている。


    (あとがき)
    ・レジェが何で国立美術館と思って訪問したが、ワンパターンの作家のイメージは払拭され、彼が常に新たな挑戦をしていた事が良くわかり興味深い美術館であった。とにかくカラフルな作品は無条件に楽しい気持ちになる。
    ・美術館は最近はガラス工芸品で知られるようになったビオの街からもビオの国鉄駅からも離れた所にある。筆者はカーニュの駅からタクシーを拾ったが、タクシー運転手は国立レジェ美術館を知らなかった。大きな美術館はニースにしかないと思いこんでいる。存在を知っていた運転手仲間が一人いて事なきをえたが、国立施設だから周辺では誰でも知っていると思ったら間違える。不便な場所に行く時は住所、所在場所を示す地図を準備しておいた方が良い。

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