2015/06/20 - 2015/06/20
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frau.himmelさん
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アウクスブルクに1泊しました。
今日は、これから今までなかなか訪れることが出来なかったフッガーライとブレヒトハウスを見学します。
その後、ミュンヘンに移動する予定になっています。
フッガーライは、昨年、シニア男女3人組で旅をした際、ベルリンからミュンヘンに移動する途中で訪れる予定にしていました。
長年福祉関係に携わってこられたK氏、I女史に、せめて1箇所くらいドイツの福祉施設を案内したいと思いまして。
ところが何分にもシニアの旅の、それも終盤戦のこと、みんな疲れてしまって(特に私が)、途中下車してまで訪れる元気がなくなってしまいボツに。
今回はそのリベンジと言うわけではないのですが、福祉にはなんの縁もゆかりもない夫と一緒に訪れることにしました。
フッガーライは有名ですから夫にも異存はなかったと思います。
-
朝食を摂って、ホテルに荷物を預けて8時半ごろ出発。
今日も交通手段はバイエルンチケットです。
今日は土曜日なので、朝早くから使えます。
駅前から路面電車3番に乗って、ケーニヒプラッツで1番に乗り換えます。
反対方向に乗ってしまうと大変ですから、よーく行き先を確かめましょう。 -
まだ朝早いからか、市庁舎広場は人影も少ない。
広場の真ん中にいらっしゃいますアウグストゥス皇帝も所在なげ。
今日はどんよりと今にも雨が降りそうな天気です。
降らなければいいけど・・。 -
聖ヤーコプ教会前で下車。
教会前の聖ヤーコプの噴水。
聖ヤーコプの足元には、疲れきってやっとたどり着いた3人の巡礼者。 -
電車どおりの向こうの方に、ヤコバー門が見えます。
何となくあっちの方に行けばいいんじゃない? -
聖ヤーコプ教会を背にして歩きます。
夫は地図を見ながらそっちじゃないよ〜!って怒鳴っています。 -
美しい壁に見とれたり・・。一番上の絵はヤーコプ・フッガーの絵だからこちらでしょう?
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広場の噴水の前で足を止めて写真を撮ったりと、勝手な行動をする私に夫はちょっとおかんむりです。
これはヤコプス広場の海の神・ネプチューンの泉です。 -
団体バスが何台も停まっているからこの近くで間違いないようです。
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フッガーライはここですね。
フッガーライは、当時ヨーロッパ有数の大富豪であったフッガー家の、ヤーコプ・フッガーによって1521年に建てられた世界最初の社会福祉住宅です。 -
入居対象者はアウクスブルク出身者か縁のある低所得者。
当初は「貧者の家」と呼ばれ、1年間の家賃は1ライデン・グルデン(現在の1ユーロ以下)でした。 -
【寄進者の銘板】
フッガーライの入り口となっている3つ門の上には、この社会住宅団地を寄進したフッガーー家のことを記した銘板があります。
ヤコブ・フッガーの寄進によりフッガーライが建設されたのは1521年のことで、当時既に亡くなっていた兄弟ウルリッヒ(ウダルリッヒ)とゲオルクとの連名で、”街の福祉のため、慈悲深く寛容なる神の恵みに感謝して”寄進したものです。 -
窓口で入場料を払い入場します。
入場料は一人4ユーロですが、「シニア料金はないの?」って聞いて、一人3ユーロで入りました。
差額は1ユーロといえども、フッガーライの1年分のお家賃以上ですから侮れません。
窓口には各国語で訳された説明書がありました。 -
これがとても優れもの。
とても詳しくてわかりやすくて説明してあり、下手な私の説明よりよっぽどこちらのほうがいいです。
コメントの中で【 】の箇所は、少し省略しているところもありますが、ほとんどこの文章を使わせていただきました。 -
みなさん、ツアーで来ていらっしゃる方が多いですね。
日本人はどなたも見かけませんでした。
この方達はガイドさんが順路にそって案内してくれますが、私達は順不同に適当にまわります。 -
フッガーライはまるで一つの小さな街のようです。
敷地内には教会や学校もあります。 -
ちょうど緑の季節、壁に這うツタの葉がとてもみごとでした。
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さて、私達はここで一番見たかったところに向かいます。
その前に門のアーチについている百合の紋章をご覧ください。
【百合の紋章】
石でできた二つの百合の紋章は、フッガーライを寄進したフッガー家の紋章です。
この百合の紋章は、皇帝フリードリヒ三世とその息子マキシミリアン一世が花嫁探しをする際に、フッガー家が美しい装束の布地を提供したことに感謝して皇帝から授けられたものです。
それ以来ウルリッヒ・フッガーとその兄弟達は”フッガー・フォン・デア・リリエ(百合のフッガー)”という名を使うようになりました。 -
フッガーライに防空壕があると聞いて、まずはそれを見たいと思いました。
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アーチの門をくぐって公園に入ります。
ここも緑が一杯で気持ちがいいです。
皆さんが眺めているのは、フッガーライを寄進したヤコブ・フッガーの像。 -
【ヤコブ・フッガー】
公園内にあるヤコブ・フッガー(1459-1525)のブロンズ製の胸像は、彫刻家ハンス・ラードナーが制作した石膏像をもとに、2007年に鋳造されました。
1967年には同じ石膏像をモデルにした大理石像が、バイエルン国王ルードヴィヒ1世によりレーゲンスブルクの近くに1830年から1842年にかけて建造されたドイツの偉人たちをまつる聖堂ヴァルハラにも納められています。 -
公園の隅に防空壕はありました。
ここには戦災を受けたフッガーライとその再建に関する展示があります。 -
階段を下りて、突き当たりは鉄の扉。
ツアーの方たちはここまでは順路ではないらしく、私達二人のほかには誰にも会いませんでした。
2008年から「第二次世界大戦のフッガーライ 破壊と再建」と題された展示が常設されています。 -
アウクスブルクには、メッサーシュミットやMANといった重要な軍需企業があったため、連合軍の空爆目標になりました。
フッガーライの防空壕は1943年に造られました。 -
アウクスブルクは1944年2月25日から26日にかけて大きな空爆を受けました。
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爆撃を受けた市内の様子。壊滅状態です。
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フッガーライも例に漏れず、甚大な被害を蒙りました。
フッガーライの象徴、噴水の周りは瓦礫の山。 -
1933年ナチスの台頭後、アウクスブルクでも、邪魔な政敵は追い出され、殺され、ナチスにより権力は掌握されてしまいました。
右下はアウクスブルクで造られたメッサーシュミット。 -
ここでは、ナチス時代のフッガーライとその住民達の運命なども知ることが出来ます。
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展示してあった毒ガスマスクやヘルメット。
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飯ごうなど。
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そして敗戦。
ここには第二次世界大戦で破壊されたフッガーライの再建の記録なども展示してありました。
現在も、フッガー家の血を引く3つの家系の代表者たちによって構成される長老会が管理運営しています。
写真は、現在のフッガー家3つの家系の代表者たち。 -
フッガーライの象徴の噴水。
【噴水】
フッガーライの要となっている十字路に鋳鉄製のお皿の形をした噴水があります。
この噴水は水道施設として使用されていたもので、この市に初めて噴水が作られたのは1599年、当時は木製の噴水でした。
これはアウクスブルク市が無料で社会住宅フッガーライに水道施設を提供したものです。
1744年には木製の噴水に変わって石造り噴水が設置されました。
フッガーライの排水には開放式のどぶや汚水だめが使用されていました。 -
【オクセンガッセ(雄牛通り)】
オクセンガッセは、フッガーライが初めて拡張された際に出来た通りです。
通りの突き当りには夜間の通用門となっているオクセン門があり、夜10時以降フッガーライに入るには必ずここを通らなければなりません。
門限を過ぎてから帰宅する入居者は、この門で待機している夜警さんに門を開けてもらいます。
そのときには少額の心づけを渡すのが決まりとなっていました。 -
オクセンガッセ46番地。
カフェ、ビアガーデン -
大勢観光客が集まっている場所は、オクセンガッセ52番と51番。
52番は魔女の家。
【オクセンガッセ52番】
門のある建物の2階にはアウクスブルクで初めて魔女狩りの犠牲となった女性が住んでいました。
彼女はフッガーライの病棟で看護しとして働いていましたが、11歳の自分の娘に魔女として訴えられたのです。
当時48歳だった彼女は厳しい拷問の末「自白」したという記録が残っています。
1625年9月、帝国自由都市アウクスブルクの裁判所が有罪の判決をしてその日のうちに処刑されました。 -
そのお隣、オクセンガッセ51番は見学用住宅。
【見学用住宅】
この家具付き住宅は見学用に公開されており、現在のフッガーライ住宅の中の様子を見ることができます。
部屋の中に置かれたテレビでフッガー家に関するビデオを上映しています。 -
現在ここで生活している人の標準的な住宅です。
部屋の広さは60?くらい。
寝室・居間・台所・洗面所(シャワーのみ)。
決して広くはないけれど、とても快適そうな住まいでした。
今でも年間家賃は昔と変わらず1ライン・グルテン(今の1ユーロ以下)なのです。
これが年間1ユーロ以下とは! -
どこの家もお庭がきれいにしてありました。
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桃の実(杏の実?)がたくさん生っている木や・・。
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チェリーの実もたわわ。
おいしそう〜。 -
中世の装束をつけた案内人。
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ここには、かのアマデウス・モーツアルトのひいおじいさんも住んでいました。
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【フランツ・モーツアルトの家】
1681年ミテレレ・ガッセの14番の2階にフランツ・モーツアルト一家が住むようになりました。
そのことを記した銘板が壁に取り付けられています。
彼は作曲家アマデウス・モーツアルトの曽祖父で、1694年4月に亡くなるまで住んでいました。 -
そのお隣が博物館です。
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この博物館では、フッガー一族とフッガーライについての歴史を学ぶことが出来ます。
こに絵はたぶん、アルブレヒト・デューラーが描いた、ヤーコプ・フッガーの絵ではないでしょうか。
ヤーコプ・フッガーはデューラーのパトロンでもありました。 -
昔のフッガーライの生活がそのまま残されている部屋があります。
昔も今もヤコプ・フッガーの肖像画に毎日3回お祈りを捧げるのが入居条件だそうです。 -
【玄関ベルの取っ手】
それぞれの家の玄関ベルの取っ手がどれも違う形をしているのは、街灯がなかった時代に夜遅く暗闇の中で帰ってきても、玄関ベルの形を触れば自分の玄関がわかるようになっているからです。
現在ではどの通りにも街灯が点ります。
アウクスブルクで最後となったガス灯がフッガーライにはあります。 -
この取っ手も違う形をしています。
【家の扉】
住宅にはどれも専用の玄関があります。
そのお陰で入居者達は落ち着いたマイホーム生活を送ることが出来るのです。
貧しい生活をしていてもその様子を人に見られる心配はありません。 -
【ポンプ井戸】
昔は、フッガーライの数箇所にあったポンプ井戸から汲んだ水が入居者の生活用水でした。
1715年以降は水道工事人がフッガーライに住むようになり、水道・井戸・噴水とフッガーライの横を流れていた水路の管理や清掃を担当していました。 -
傘を差した人が集まっている辺りが学校
【学校と教会守の家】
へレンガッセ35番にある家には、現在では聖具室とフッガーライの牧師が住むアパートがあります。
昔この家にはフッガーライにあった学校の教師も努めていたマルクス教会の教会守が住んでいました。
フッガーライには17世紀中庸に学校が設立されました。 -
【聖マルクス教会】
1581年から82年にかけてマルクス・フッガーとフィリップ・エドゥーアルト・フッガーがこの小さな教会「聖マルクス教会」を建立しました。
その後数回にわたる改装工事が行われています。
第二次世界大戦で破壊され、戦後新しく建て直されました。 -
聖マルクス教会の祭壇
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マリア像の広げたマントの下には、アウクスブルクの街並みが描かれています。
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ツタに覆われた建物は入り口の建物です。
観光客が次から次へとやってきます。
私たちは次に移動します。 -
【フッガー家長老間の館】この建物が戦後1950年以降再建された際に、やはり戦災を受けて破壊された上流階級市民の屋敷にあった出窓の塔(ヘヒシュテッター・エルガー)や礼拝堂(レオンハルトカペレ)が屋方の一部に組み込まれました。現在も続いているフッガー家の3つの家系の代表者により攻勢されている一族長老会の会合がこの館で行われます。フッガーライ社会住宅は今でも長老会が管理運営しています。
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フッガーライ・シュトゥーベ。
地元の料理を楽しむことができる庶民的なレストランだそうです。
看板にはフッガー一族の百合の紋章が飾られています。 -
私達は、1番の路面電車に一駅だけ乗って・・、降りたところは、ドラゴンを退治している聖ゲオルクの泉の近く。
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この赤いシルエットのお方は、ベルトルト・ブレヒトさん。
私達がこれから訪れるブレヒト・ハウスへの道案内をしてくださいます。
街中にこの赤い像が何体かあって、この人が足を向けているほうに進んでいくと辿りつけるそうです。 -
ステキな路地の奥に、赤いブレヒトさんの姿が見えました。
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水路沿いに橋があり、その1軒の家の前に立ち止まっています。
あそこがブレヒトハウスですね。 -
入り口で入場料を払い、受付の方に写真は撮っていいんですか?って聞いたら、
「ええー、もちろんです。日本の方ですね?」って笑顔で答えてくださいました。
よかったー、どこぞの国の方と間違われないで。 -
最初の部屋は応接室のような部屋。
なぜだか部屋によって赤やピンク、ブルーなどの蛍光照明が光っています。
舞台演出なのでしょうか。 -
周りには年代順に並べられたプレヒトの経歴の紹介パネルです。
私の頭の中の整理のために、順路には無関係で勝手に並び替えてご紹介します。 -
紅白のお祭りのような部屋は子供時代のブレヒトの部屋でした。
ベルトルト・ブレヒト(1898-1956)はアウクスブルクで生まれました。 -
製紙工場の支配人である父ベルトルト・フリードリッヒ・ブレヒトと、母ゾフィー・ブレヒトの子として生まれました。
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父母と弟。
早熟なブレヒトは16歳ごろより詩や戯曲などを書いていました。 -
1917年ミュンヘン大学の哲学部に入学、後に医学部に転部しましたが、1918年第一次世界大戦で召集を受け、アウクスブルクの陸軍病院に衛生兵として配属されました。
-
衛生兵時代のブレヒト。
程なくドイツ帝国の敗戦により第一次世界大戦は終結します。 -
その後演劇界へ進出したブレヒトはミュンヘンからベルリンへと舞台を移し多くの作品を手がけ、名声を手に入れます。
彼の代表作の数々。
1928年に執筆された「三文オペラ」(左上)は上演されると非常な人気を博し1年以上のロングランとなりました。
その下の「肝っ玉おっ母」はもう少し後です。 -
写真はミュンヘン時代のブレヒト(後列左)
前列真ん中は彼の最初の妻マリアンネ・ツォフ。
彼女とは1922年に結婚して1927年に離婚します。 -
1923年、2番目の妻であり生涯の伴侶となるヘレーネ・ヴァイゲルと出会いました。
(写真は後年のヴァイゲルです。) -
ブレヒト戯曲の舞台風景。
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1933年ヒトラーの首相就任、そして国会議事堂放火事件の翌日、ブレヒトはユダヤ人の妻ヴァイゲルと長男を連れて亡命しました。
亡命先のデンマークで上演された「カラール女将さんの鉄砲」 -
1933年にはナチスによる焚書でブレヒトの著書もその対象に。
ブレヒト本人もドイツ市民権を剥奪されました。
亡命先のアメリカで「第三帝国の恐怖と悲惨」を執筆。
それにはナチ党政権下で恐怖におびえて生活する小市民の姿が描かれています。
(右がその著書) -
終戦。
亡命先のアメリカもブレヒトにとっては快適な国ではありませんでした。
共産主義者であったブレヒトは1948年東ベルリンに到着。
1949年にベルリナー・アンサンブルを結成しました。
ブレヒトの作品は世界中で上演されています。
「肝っ玉おっ母」の主役は妻であるヴァイゲル。 -
1956年8月14日、ブレヒトは心臓発作のため死去。
写真はベルリナー・アンサンブルで彼の死後上演された「ガリレイの生涯」。 -
ブレヒトの肖像画。
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作品
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作品
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ブレヒトは世界中の脚本家や戯曲家に影響を与えました。
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日本でのブレヒト第一人者とされる「千田是也氏」
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「ブレヒト戯曲選集」千田是也、岩淵等共訳」
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青い蛍光照明に照らされたブレヒトにお別れをして、ブレヒトハウスを後にします。
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ブレヒトハウスの横を流れる小川の小路を通って・・・。
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市庁舎広場前。
ここから路面電車に乗ってホテルに戻り、荷物を受け取ってミュンヘンに移動します。
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この旅行記へのコメント (2)
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- アンマンさん 2015/10/12 13:40:21
- 素晴らしい!!!
- 聖ヤーコブ教会の中も見てみたいです。
せっかく来てるんですから好きなように
見て歩きたいですよね・・・
ご主人ですからわがまま?も大丈夫ですよね!?
(友人とかだと気を使いますが・・・)
有名な観光地は観光バスが見印に・・・
<フッガーライ>
学校や教会などもあつて一つの町ですか!?
↓
長崎の軍艦島を想像しました(今は廃墟ですが)
素敵な街並みで見て回って楽しそうで見ごたえがありそうです。
入場料も4ユーロは良心的ですね!
↓
さすがfrau.himmelさん、1ユーロ・ゲット((*^^)v
日本人の観光客とは遭遇しなかったんですね・・
(アンマンも一度も遭遇しませんでした、中国の方ばかり)
52番は魔女の家・・・娘に裏切られ処刑されるとは
悲しい最後ですね・・・。
年間(月じゃなく)1ユーロ以下とは羨ましい限り☆彡
ブレヒト・ハウス
ルトルト・ブレヒトさんの道案内・・素晴らしい☆彡
粋ですねぇ^^
ブレヒト氏の目を通したもの感じたものが
現在も息ついているんですね(^^♪
勉強になりました!
- frau.himmelさん からの返信 2015/10/13 21:51:53
- RE: 素晴らしい!!!
- アンマンさん、こんばんは。
いつも旅行記を、つたない内容まで詳しく見てくださって、感想をありがとうございます。
> せっかく来てるんですから好きなように
> 見て歩きたいですよね・・・
そうですよね〜!
私が珍しいものを見つけて立ち止まっても、さっさと先に行ってしまうのです。
興味が違うから仕方がないかもしれませんが、日本ではないんだから少しくらい待っていてくれてもいいじゃない、ねー。
ま、私も興味がないところでは、私はここで待っているから一人で行ってきて・・なんて言いますからお互いさまですが(笑)。
フッガーライ。
世界最古の社会福祉住宅です。
今でも1年間のお家賃が1ユーロって、羨ましいですね。
お部屋もきれいだし、何よりもお庭がきれいでした。
お庭に実のなる木がある生活って素敵ですね。
アンマンさんには普通のことでしょうが、都会生活では憧れです。
次にようやくミュンヘンに行きます。
また見てください。
himmel
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