2015/08/14 - 2015/08/14
217位(同エリア506件中)
地中海人さん
宮城県大崎市国道47号線沿いに残る尿前の関跡。
猛暑の中、ここ千数百メートルの古道は涼しい。
あたりはうっそうとした杉木立の中、せみの声を浴びながら、緑の絨毯を踏む。
ガイドブック
ワイド版岩波文庫79「芭蕉 おくのほそ道」 岩波書店発行 2012年第16刷
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
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国道47号江合川沿い鳴子温泉の街を西へ、鳴子狭入り口を過ぎ坂の途中、左は日本こけし館への登り口の向かいに駐車場があります。
「奥細道菅菰抄」には「尿前は、今尿戸前と書。義経の若君の、始めて尿をし給へる処なるべし。小児の尿を奥羽にては、シトといふ。他国にてシヽと云に同じ。」とある。 -
ここから木の階段を下る。
写真の奥の薄緑色の空間は鳴子温泉上の野スキー場です。
子供のころ、国鉄陸羽東線鳴子駅からスキー板を担ぎ、列をなしてあそこまで皆歩いたものです。 -
ここを下るの初めてです。
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一体何段あるのだろうか、と思っていたら、
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急にひんやりとしてきた。車を降りたところはこの日30度を超えていたが。
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真ん中にロープが張ってあり、楽ですね。
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あまり歩かれていないようです。
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あたりはせみの声のみ。
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出羽街道中山越とあります。
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おくのほそ道には「南部道遥かにみやりて、岩出の里(現岩出山町)に泊る。小黒崎・みづの小島を過ぎてなるごの湯より尿前の関にかかりて、出羽の国に越んとす。此路旅人稀なる所なれば、関守にあやしめられて、漸として関をこす。大山をのぼって日既に暮ければ、封人の家を見かけて舎を求む。三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。」とあります。
大深沢や小深沢の山道の上り下りは、難儀したでしょうね。
今は日本こけし館の下を通るトンネル、紅葉の鳴子狭を見下ろす大深沢橋。 -
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尿前の関をうかがえるのは復元された門のみ。
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この近辺には、古代、秀衡のころには既に柵があり、義経をここまで迎えに来たという説もある。秀衡の威光がここまであったのでしょう。
柵とは、玉造柵? 現・宮城県相当地域内に蝦夷対策として大和政権により4つの城柵が設けられたことがわかっていて、『続日本紀』の天平9年(737年)の記事には多賀柵(現在の多賀城)、玉造柵、色麻柵、新田柵、牡鹿柵の名が。柵はキと読み、後代になって城となる。 -
江戸時代に至り、ここに、伊達岩出山藩によりかなり大きな番所が置かれたようです。
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花山の御番所と異なり、建物は残っておりません。
花山の御番所については
http://4travel.jp/travelogue/11038025 -
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芭蕉がここを訪れたのは、元禄2年(1689年)5月15日(7月1日)。曾良旅日記によれば、当日は小雨。
この後、大深沢、小深沢を上り下りし、現在の境田・封人の家・和泉庄屋新右エ門兄宅に逗留した。封人の家は当時のままに保存されているという。 -
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この日は、赤倉温泉のひやま山荘に一人湯につかった。
赤倉温泉街から離れたところにある一軒家。 -
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泳げる温泉プールがあります。
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ゴルフ練習場の奥に見えるのが赤倉温泉スキー場。
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