2012/02/18 - 2012/02/20
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Dwind_999さん
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ハノイから夜行列車に乗ってラオカイ、そこからサパへ向かいます。
その前にちょっと寄り道して、ラオカイから歩いて中国に入ることにしました。
ところが中国への入国に際して、私のとほほなマヌケさゆえにちょっとしたハプニングがあり、別室に連れて行かれるという、とんだ道草を食う羽目になってしまいました。
<当時のレート>
1VND=\0.004
US$1=\80〜\83
ベトナム現地では$1=21000ドン
※一部の写真は絵画調にしています。
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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2月17日(金)、ハノイ駅(A駅)で預け荷物を受け取り(料金25000ドン)、ハノイB駅にやってきました。B駅はハノイ駅の裏側にありますが、駅前の道路を歩いて10分ほど歩かないといけません。
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20時過ぎてようやく列車チケットの発券が開始。バウチャーを提示して乗車券を受け取り、21時50分発のラオカイ行き「Orient Express」に乗り込みます。(Soft Sleeper下段$45)
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レトロ風味の木目調のコンパートメント車両。
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4ベッドのコンパートメントで私は左側下段です。(Soft Sleeper下段$45)。
他の3人はベトナム旅行に来たマレーシアの若者たちでした。 -
ハノイB駅から乗った夜行列車は翌朝の7時半、ハノイから北西約260kmに位置する、中国との国境の町ラオカイに到着。
ラオカイ駅を出ると、入り口にいた右端の男(ひもで入口の開け閉めをしているのだろうか)に、メモ用紙に「河口(Hekou)」と書いて見せ、河口の方向を確認してから歩き始めました。 -
どんよりとした曇り空で時おり小雨がぱらつく中を、国境のある方向へ歩いていきます。
車やバイクの交通量は少なく、道路沿いの大きな看板のデザインが社会主義国の雰囲気を感じさせます。 -
ラオカイ駅から歩いて30分弱、ベトナム側のラオカイ・ボーダーゲートに到着。
「1979年に中越戦争の戦場となり、国境が閉鎖されたが1993年に再開された」というラオカイの国境。
何かの事情でラオスへの入国が遅れ、ビザなしでベトナム滞在ができる15日間を過ぎた場合の予防策も兼ねて、サパへ行く時間を少し遅らせました。
一度中国に入ってすぐベトナムに戻ってきても、その日からまたノービザでベトナムに15日間滞在できる、いわゆる「ビザラン」といわれるものです。
タイでもそうらしいですが、現在はベトナムでもこのビザランの規制が強化され、今までのようにはできなくなったようです。 -
ベトナム側のイミグレーションに入って出国審査を受けます。
※イミグレーションはどこの国でも写真撮影禁止。
ついシャッターを切ってしまいましたが、見つかればカメラ没収も有り。 -
荷物をベルトに置いてスキャンを受け、最初にいた女性係官にパスポートを出すとコンピューターに何か情報をインプットしていました。
次にその横にいた男性の係官にパスポートを渡すと、ノートに手書きで何やら記入。(イミグレでそんな古めかしい作業をするとはおどろき)。
そしてそのすぐ先にカウンターブースがあって出国審査ということになるはずなんでしょうが、ここをどうやって通過したのか、今となってはよく覚えていません。
女性と男性に渡したパスポートの件で出国手続きが終わったものと勘違いしていました。
とにかく私はベトナムのボーダーゲートを出てしまいました。
出国スタンプの押印なしに。
久しぶりの海外旅行ですっかり感が鈍り、パスポートに出国スタンプが押されているかどうか確認しませんでした。 -
そうとは知らず、ラオカイ・イミグレーションを出て、ベトナムと中国を隔てる国境の川にかかる橋の前に立ちます。
これが国境というものか。
いよいよ初めての陸路国境越えだな。 -
何も知らない私は、意気揚々と国境の橋を渡っていきます。
-
中国雲南省・河口(Hekou)のイミグレーション前に来ました。
さあ今度は中国への入国、初めての国境越えだ、とテンションも上がります。 -
そしてやってきた、中国側・河口のイミグレーション。
※写真は正式に通過できた時のものです。ちょっと説明が長くなりますので適当に読み飛ばしてください。
入ってすぐ右手にATMのような機械が置かれていて、これはパスポートをスキャンさせるとパスポートの情報を中国の入出国カードに自動的に記入してくれるというすぐれもの。
そばにいた係官にパスポートを渡して操作してもらいました。
到着便名欄は、係員が「On Foot」(徒歩)と入力して記入。
入出国カードの自動記入で実に簡単です。そして、すみやかに中国へ入国できるはずでした。
しか〜し、その係官がパスポートをぱらぱらとめくって、その真新しいパスポート(10年のパスポートを作ったばかりで、まだ二つしかスタンプが押されていない)にベトナム出国のスタンプがないのを見るや、私に何か言いますがさっぱりわかりません。たちまち別室に連行されました。
ベトナムからの不法出国と見なされた私は、身体検査と徹底した荷物の検査(荷物を机の上に全部引っ張り出しすべてチェック)を受け、そして緑色の制服を着た二人の係官から英語やら中国語やらで代わる代わる問い詰められます。他の係官も時々入ってきて何やら言います。
そうやって、英語の出来ない私との意思疎通の困難さに埒のあかない30分が過ぎたのち、ようやく二人の係官に連れられて橋を渡りベトナム側へ引き返えして行きました。
ベトナムのボーダー手前で、かつてこの地で戦争をした両国の制服姿の係官がお互いに敬礼して挨拶を交わし、事情を話したのちに私の身柄はベトナム側に引き渡されました。
そして今度はベトナムのボーダーゲートの別室で先ほどと同じようなやり取りが30分近く繰り返されることになります。
机に座らされていろいろ尋問を受けていましたが(英語もできない私とでは進展がない)、途中で上司らしき男性係官が来て私のテーブルの前に座り、何やらベトナム語でまくし立ててきます。
それを女性係官が私に英語で通訳して、最後に「Do you understand?(この言葉だけはわかったけど)」と聞いてきます。
しかし、「???・・・」と首をかしげる私。
上司のベトナム語を通訳した女性の英語が理解できない、情けない私です。
私が通った時に出国審査を担当していた男もやってきて何やらわめいていましたが、とにかく出国スタンプの押印なしに通過できたことが不思議です。
その係官が他の人の対応に追われているときに、横をスーッと通り抜けたのか、あるいは係官がちょっと下を向いているときに通り抜けたのか、よく覚えていません。
結局、単なるバカがしでかしたこと、事件性はないとの判断で私は解放され、もう一度ボーダーゲートの入り口から入って出国審査をやり直すということに落ち着きました。
出国審査のカウンターにパスポートを出すと、例の係官が怒り心頭に何かわめき、バンと力強く出国スタンプを押してその上にボールペンでサインを書きなぐりました。
この審査官は出国スタンプなしに私を通過させたことで、職務怠慢で咎められるかもしれないと思うと、申し訳ない。「アイアム・ソーリー」と言って謝りながらパスポートを受け取りました。
という、マヌケな私がしでかしたイミグレでの顛末でした。 -
ふうっ。
約1時間ちょっとのタイムロスでようやく中国雲南省・河口に入ることができました。 -
河口中心街の通りを歩きます。
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看板の漢字が中国に来たことを実感させてくれます。
ちょっと川を渡っただけで、ベトナムとは1時間の時差があるとは不思議な気がします。(ベトナムより1時間進む) -
別に行く当てがあるわけではないので、しばらくこの辺りを歩いて回りました。
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市場にも入ってみました。
ベトナムのすぐ近くだけに、こちらでもベトナムスタイルのノンラーに天秤棒の女性を見ることができます。 -
まずは腹ごしらえということで、しゅうまいのような物を蒸している湯気につられてこの店に入りました。
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小さ目の蒸篭に10個くらい入った小さなシュウマイを食べました。10元(約\130)。
7年くらい前にツアーで行った時の中国元が少し余っていたので、それを使って食事。 -
シュウマイだけでは物足りないので、今度は路地に入ったところで見つけた食堂に入り、焼き飯と何かの麺料理を注文。
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焼き飯と、この麺料理で合計9元(約\120)。
味の方はあまり印象に残ってないので、まあそれなりのものだったんでしょう。
ここでビールを飲みたいところですが、先ほどの一件があるだけに、あまり酒は強くない私、赤い顔して出国審査を受けるのはマズイかな、ということで今回は我慢です。 -
食事の後、また少し街を歩いてからイミグレーションへと引き返しました。
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約2時間の中国・河口滞在を終え、イミグレーションに入って出国手続き。
セキュリティチェックの女性係官が、「Book、Book」と言って本を出せと言います。台湾やチベット問題もあって、それらに関連する記事をチェックしているんですね。台湾が一つの国として地図に掲載されていれば、即没収となるらしい。
近くにいた先ほどの顛末を知っている係官が、「またやられているな」といったニュアンスで笑っていました。
無事中国を出国し、また橋を渡ってベトナム側の入国審査を受けました。
その時、ちょうどとなりで出国審査をしていた、先ほどの通訳をした女性係官がカウンター越しに話しかけてきました。少し心配顔で「これからサパへ行くの?」みたいなことを英語で言います。
出国スタンプなしで中国へ入国しようとする、「英語もできないマヌケなオッサン一人で大丈夫なのか?」とでも言うような心配顔で。
私は「イエス、ゴー・トゥ・サパ」と返事をしてベトナム入国イミグレーションを後にしました。
いや〜、初っぱなから大波乱の陸路国境越えでした。
それ以降の国境越えでは、しっかりと出入国スタンプを確認したのは言うまでもありません。
今でも、取り調べの時に何度も聞いたあの「Do you understand?」の言葉が耳に残っています。 -
ラオカイのイミグレーションを出て、サパ行きのバスターミナルを探しますがさっぱりわからず、ある商店で聞いて、そこの女性の口利きで近くにいたバイクタクシーに乗って数キロ離れた乗り場まで運んでもらい、出発間際のライトバンに無事乗ることができました。
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乗客は民族衣装を着たような土地の女性が二人だけ。料金は5万ドン(\200)。
峠道をぐんぐん登って行き、約45分で昼過ぎに、ラオカイから南西へ約30kmのサパに到着。 -
サパの町は霧の中でした。
滞在中は霧雨が降ったりして霧が出ている時が多く、標高1500mの場所にあるだけに寒い。今回の旅行用に買った薄手のダウンジャケットを着ていても寒かったです。
ホーチミンの夏、ホイアンの春、ハノイの秋、そしてサパの冬。
1週間余りのあいだに、まるで春夏秋冬を経験するかのようです。 -
サパの町では豚を丸焼きしている光景をよく見かけました。
そして赤ん坊を背負った子どもも時おり目にします。
この辺の少数民族の人たちなのだろうか。 -
まず「サパ・ツーリズム・インフォメーション&サービスセンター」という所でディエンビエンフー行きのバスチケットを購入。28万ドン(\1120)。
そのあと目星をつけていた宿に行ってみると満室で、近くのホテルを紹介してもらい、この写真の宿に泊まることにしました。 -
朝食なしの2泊で42万ドン(\1680)。
オンボロな部屋でした。 -
霧雨の中、近くの市場を歩いてみました。
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寒い霧雨の中、路上で商いをするおばちゃんたちも大変だろうな。
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サパ市場付近。
背負いカゴを担いだ、モン族やザオ族の少数民族の人たちを多く目にするサパ。 -
寒いけどやっぱりビール。
ちょっとつまみながら一息つきます。 -
サパの中心部には日用雑貨品とともにお土産を売る店も並んでいます。
上り下りの多いサパの町。 -
生活雑貨などの店が並ぶファムスアンフアン通り。
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ファムスアンフアン通りの先にあるサパ教会。
霧で建物もかすんで見えます。 -
ここでも豚の丸焼き。
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2月19日(日)の朝。
宿泊ホテルの1階レストラン。
暖炉の火がありがたい。 -
ホテルの1階レストランで朝食をとりました。
一応、アメリカンブレックファストで65000ドン。2万ドンのコーヒーは抽出がめちゃめちゃ遅く飲めたもんじゃありません。 -
モン族の女性たちの集合写真を撮ったあと、女性たちに付きまとわれお金を催促される欧米人旅行者。
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フランスの統治時代、フランス人たちの避暑地として開拓されてきたサパの町。
メインの通りのカウマイ通りにはゲストハウスや観光客相手の店が軒を連ねています。 -
昨日泊まったの宿の隣下にパブがあり、欧米人観光客がばか騒ぎして夜12時過ぎまでうるさかったので、宿を変えることにしました。(1泊分の21万ドンはちゃんと返してくれました)
カウマイ通りの一つ上の路地に何軒かミニホテルがあり、ホテル前で掃除をしていた女の子に部屋は空いているかと聞くとあると言うので、部屋を見せてもらってからここに決めました。 -
1泊$10(21万ドン)の3階の部屋。
霧で下の方の景色もあまり見えないけど、ここは静かで気に入りました。
隙間もけっこうあるような安ホテルの部屋、かなり寒くて、毛布をもう一枚もらい、ズボンを履いてダウンジャケットも着て寝ました。 -
ミニホテルの近く。
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お昼時、サパ市場内にある食堂にやってきました。
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食堂は昼ご飯を食べる地元の人たちで賑わっていました。
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地元の男が長い竹筒のパイプで煙草を吸っていました。
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私もある食堂に入って昼ご飯にしました。
メニューはないので、「旅の指さし会話帳」が活躍。
チャーハンと何かの野菜炒め。そしてハノイビール中瓶。全部で10万ドン(\400)。気温が低いので湯気が出ていいます。吐く息も白い。
現地のこの男性は、茶を飲みながら時おり竹筒のパイプで煙草をふかしていました。 -
鶏たちのシンクロナイズドスイミング?
黒い種類のニワトリ(中の肉も黒いらしい)がいるとは知りませんでした。 -
毎週土曜、日曜に大きな市が開かれるというサパの町。
ちょうど私の滞在が土、日にあたり、少数民族の人たちも多く繰り出して来ていたようです。
しかしこの霧雨模様の寒い天気では、町歩きも今ひとつ面白くありません。 -
昼過ぎの、霧に包まれたサパの町。
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霧雨の降る寒い中、靴下もはかずにサンダルで歩く少女たち。
もう寒さに慣れているのだろうか。 -
2月20日(月)、朝7時に宿をチェックアウトして、車の乗り場所に向かいます。
霧雨の中、朝早くから野菜や果物を歩道に並べて商いに精を出すおばちゃんたち。 -
小雨の中を傘を差したまま、「サパ・ツーリズム・インフォメーション&サービスセンター」前の通りでバスを待ちます。
バスに乗るのだと勝手に思っていたら、やってきたのはワゴン車でした。 -
40分待たされて、すでに何人かの乗客を乗せたワゴン車ががやってきて、それに乗り込み、さらに各ホテルやゲストハウスを回ってツーリストをピックアップしていきます。
まだ詰め込むの?というくらいに人と荷物を押し込んできます。
私以外はほとんどフランス人などの欧米人で、ツーリスト14人とさらに地元民3人を加え、牛ぎゅう詰めの状態で、ディエンビエンフーへ向けて上り下りの多い悪路の山道をひた走ります。 -
途中にあった小学校の前。
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13時半過ぎ、道路わきの食堂で45分間の昼食タイム。
すし詰め状態のワゴン車でのディエンビエンフー行き、6時間近くトイレ休憩もなく忍耐が試されます。
車での長距離移動に備えて(トイレに行かなくてすむように)朝から何も食べず、水分摂取も少なめにしていましたが、ここでの昼食もパスしました。 -
17時少し前、ディエンビエンフーのバスターミナルに到着。
到着後すぐ、翌日のラオス・ムアンクア行きのバスチケット(10万ドン)を買いました。
交通量も少ないディエンビエンフーの通り。
正面向こうの丘の上に「勝利の記念像」が見えます。 -
川そばの橋のたもと、しょぼいミニホテル(20万ドン:\800)に宿を取りました。
翌朝5時にチェックアウトすると宿のおやじに伝えていたところ、別にモーニングコールを頼んでいたわけではないのに、5時前にドアをノックしてくれました。 -
18時半、はや日も暮れて観光も何もできません。
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夕食をとりに、ホテルを出てバスターミナルの方へ歩いてきました。
人の流れもあまりなく、車の通行も少ない町の通り。 -
バスターミナル近くの食堂に入り、フォー(3万ドン)と焼き飯(6万ドン)、それにハノイビール(25000ドン)で食事。
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夕食の後、ディエンビエンフーの町をちょっとだけ歩いてみました。
特に目を引くものはない平凡な町ですが、フランス軍とベトミン軍(ベトナム独立同盟軍)が激戦を繰り広げた「ディエンビエンフーの戦い」として、名前だけは知っていました。
その昔ベトナムは宗主国の清朝に支配され、その後のフランスの植民地統治、一時は日本もベトナムを支配下に置き、さらに第一次インドシナ戦争を経てディエンビエンフーの戦いで敗れたフランスが撤退し、その後アメリカの介入によってベトナム南北分断を招き、やがては泥沼のベトナム戦争へとつながっていく、といったまことに複雑な苦難の歴史を刻んできたベトナム。
さあ、次はラオス入国です。
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