2015/06/13 - 2015/06/14
574位(同エリア1174件中)
ひま人さん
100名城スタンプも31城を押印し、今回の4城で35城になる。しかし、未だ三分の一である。100名城を目指し頑張りたいと思う。
今回は、高取城(奈良県)、備中松山城(岡山県)と並ぶ日本三大山城の一つに数えられる城で、標高717mの山頂にある岩村城を訪れました。次いでコヒガンザクラが咲く桜名所で有名な高遠城を。そして、武田氏滅亡後、関東の押さえの役目を担った城、甲府城と武田氏本拠地の居館(館跡)を見ましたが、いずれも城跡です。
表紙写真は、岩村城本丸が築かれていた石垣(六段壁)です。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス 新幹線 JR特急 JRローカル 私鉄 自家用車 徒歩
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岩村歴史資料館。藩主邸跡に建ち、「享保岩村城絵図」、「明和岩村城絵図」など、岩村城関連の資料を豊富に展示されています。
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藩主邸跡に復元された太鼓櫓(左)と表御門。櫓はかつて城下に時を知らせていました。
城の歴史は古く、鎌倉幕府創業期の功臣だった加藤景廉(かげかど)の子・遠山景朝が最初に城を築いたという。戦国期には遠山景任が城主となっていたが病死し、夫人だった信長の叔母が城主となった。そこを武田信玄の重臣・秋山虎繁に攻められ、その攻撃を防ぎきれず、「女城主」は虎繁と再婚し、城は武田方となった。その後、信長の長男・信忠に攻められ降伏し、虎繁と信長の叔母は、信長のよって逆さ磔(はりつけ)で殺されています。江戸時代、丹羽氏が5代65年、松平氏が7代170年にわたって城主となり、明治維新まで存続しました。 -
敵の侵入を防ぐ桝形。
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石垣。
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石垣。
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石垣。
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霧ケ井。城主の食事にも使用されたという井戸。
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石垣。
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本丸跡。城の建物類は明治維新までは存続していたが、その後の廃城令で解体された。
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急峻な山城特有の山道を上がってたどり着く本丸の石垣は圧巻です。
組み方もさることながら、石垣が雛壇(ひなだん)状に積みあがっており、6段あることから「六段壁」と呼ばれています。表紙写真参照。 -
高遠城(たかとおじょう)旧大手門。戦国時代、諏訪一族の高遠頼継の城だったものを武田信玄が攻略し、天文16年(1547年)に築き直したといわれ、一時、武田勝頼も城主となった。その後、勝頼の弟・仁科盛信の時、織田軍の先鋒・織田信忠に攻められ落城。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後は保科正光が城主となるが、寛永13年(1636年)、正光の養子・正之の時に出羽山形へ転封となり、代わって山形城主だった鳥居氏が入城。元禄4年(1691年)には内藤清枚が3万3千石出入り、8代180年続いて幕末維新を迎えています。
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大手門跡石垣。高遠城に残る唯一の石垣です。
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史蹟 進徳館。
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藩校「進徳館」校舎。万延元年(1860年)開校。儒学教育を行った学問所。
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空堀(中堀)。廃城後、3m以上埋まっている。
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問屋門と桜雲橋。
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本丸跡。城内は高遠城址公園として整備され、約1500本の高遠コヒンガンザクラが咲く桜名所なっています。
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本丸に建つ太鼓櫓。明治時代に建てられた櫓で時の太鼓が置かれた。
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甲府城天守台。甲府城は一条小山という山があった所に築かれたことから、一条小山城とも呼ばれる。戦国大名・武田氏時代には一蓮寺という時宗の寺があった所で、武田氏滅亡後、徳川家康の家臣・平岩親吉、豊臣秀吉の家臣・浅野長政らが入り、長政と子・幸長の時代にほぼ完成した。関ヶ原の戦い後は、徳川義直、忠長ら徳川一門によって支配されています。宝永元年(1704年)、徳川綱豊(のちの家宣・6代将軍)が江戸城に入ったのにともない、代りに柳沢吉保が甲府城主となって城を修築し、城下町の体裁も一新させた。
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築城の際の石切り場跡。
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石垣。
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稲荷曲輪門。稲荷曲輪と鍛冶曲輪を結ぶ門。切妻造りで本瓦葺の高麗門。
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天守台。天守閣の実在は確認出来ていないらしい。
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稲荷櫓。
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稲荷曲輪跡。
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天守台。
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天守台石垣。
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天守台。
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鉄門(くろがねもん)。
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武田氏館跡。戦国時代に築かれた甲斐源氏武田氏の本拠地で、居館と家臣団屋敷地や城下町が一体となっていた。信虎、晴信(信玄)、勝頼3代の60年余の府中として機能していた。
現在、跡地は大正8年(1919年)に創建された武田神社の境内にあたるが、遺構として土塁、堀、石垣、虎口などが残っています。 -
土塁。
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土塁。
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堀。
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堀。
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館跡。
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武田神社本殿。武田信玄公を祭神として祀っています。この神社は信玄の父・信虎が永正16年(1519年)に築城した躑躅ケ崎館(つつじがさきやかた・武田氏館)に鎮座しています。
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武田神社、茅の輪守。
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