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一宮友歩会の6月例会が開催されました。今回は名鉄本線鳴海駅をスタートしてから東海道を歩き、その後、鳴海城跡公園を訪ねます。善照寺砦跡。中島砦跡。丸根砦跡そして大高城跡へと歩きました。<br />この辺りは桶狭間の合戦が有った古戦場に近く、城や砦が多く分布しています。450年の昔はどのようだったのだろうと想像を膨らませるコースを歩きました。<br /><br />名鉄鳴海駅(9:16) ― 城跡公園(9:29〜9:37)  ― 鳴海球場跡(10:00) ― <br /><br />瑞泉寺(10:20〜10:25) ― 中島砦(10:33) ― 常夜灯(10:44)  ― 琵琶ヶ池(10:58)<br /><br /> ― 大高緑地(11:17〜12:03)  ― 丸根砦(12:10〜12:13)  ― 春江院(12:40)   ― <br /><br />万蔵醸造(12:46)  ― 大高城跡(12:51〜12:53) ― 長寿寺   ― 鷲津砦跡(13:23)<br /><br />― 明忠院(13:28) ― 鳴海八幡社(13:42〜13:44)   ― 名鉄鳴海駅(14:00)  <br /><br />桶狭間の合戦は多くの人が知っている合戦ですが、今回のウオーキングで丸根砦や鷲津砦の将兵が全滅したと聞きました。普通に歩くだけなら、このような合戦の内容を知ることは出来ません。丸井さんや安井さん。知識豊富なブレイン。この様なことを知る事が出来るのも「一宮友歩会」のウオーキングの魅力です。<br /><br />今回、一緒に歩いたMさんのホームページです。<br />http://www.geocities.jp/jk2unj/nagoyap5.htm <br /><br />

名古屋市緑区を歩く  一宮友歩会・第56回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・名古屋Part5

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2015/06/06 - 2015/06/06

12936位(同エリア24667件中)

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Kオジサン

Kオジサンさん

一宮友歩会の6月例会が開催されました。今回は名鉄本線鳴海駅をスタートしてから東海道を歩き、その後、鳴海城跡公園を訪ねます。善照寺砦跡。中島砦跡。丸根砦跡そして大高城跡へと歩きました。
この辺りは桶狭間の合戦が有った古戦場に近く、城や砦が多く分布しています。450年の昔はどのようだったのだろうと想像を膨らませるコースを歩きました。

名鉄鳴海駅(9:16) ― 城跡公園(9:29〜9:37)  ― 鳴海球場跡(10:00) ― 

瑞泉寺(10:20〜10:25) ― 中島砦(10:33) ― 常夜灯(10:44)  ― 琵琶ヶ池(10:58)

 ― 大高緑地(11:17〜12:03)  ― 丸根砦(12:10〜12:13) ― 春江院(12:40)  ― 

万蔵醸造(12:46)  ― 大高城跡(12:51〜12:53) ― 長寿寺  ― 鷲津砦跡(13:23)

― 明忠院(13:28) ― 鳴海八幡社(13:42〜13:44)  ― 名鉄鳴海駅(14:00)

桶狭間の合戦は多くの人が知っている合戦ですが、今回のウオーキングで丸根砦や鷲津砦の将兵が全滅したと聞きました。普通に歩くだけなら、このような合戦の内容を知ることは出来ません。丸井さんや安井さん。知識豊富なブレイン。この様なことを知る事が出来るのも「一宮友歩会」のウオーキングの魅力です。

今回、一緒に歩いたMさんのホームページです。
http://www.geocities.jp/jk2unj/nagoyap5.htm

交通手段
私鉄 徒歩
  • 第56回のコース地図です。<br />鳴海駅をスタートして時計回りに歩き、鳴海駅へ戻りました。<br />http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/56map.pdf<br /><br />

    第56回のコース地図です。
    鳴海駅をスタートして時計回りに歩き、鳴海駅へ戻りました。
    http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/56map.pdf

  • 名鉄電車の鳴海駅前です。<br />ウオーキングの開始前に体操を行いました。<br /><br /><br />

    名鉄電車の鳴海駅前です。
    ウオーキングの開始前に体操を行いました。


  • 鳴海宿の本陣跡の説明板が設けて有ります。<br />このシャッターの建物。<br />形から山車の車庫ではないかと思います。<br /><br />

    鳴海宿の本陣跡の説明板が設けて有ります。
    このシャッターの建物。
    形から山車の車庫ではないかと思います。

  • 東海道を歩きますが、アスファルトの道に弥次さん喜多さんをイメージしたタイルが埋め込まれています

    東海道を歩きますが、アスファルトの道に弥次さん喜多さんをイメージしたタイルが埋め込まれています

  • 東福院へ来ました。<br />ここには弁天様が祀って有ります。<br />説明板には、ここの門が鳴海城の古材を用いていると書かれています。<br /><br />

    東福院へ来ました。
    ここには弁天様が祀って有ります。
    説明板には、ここの門が鳴海城の古材を用いていると書かれています。

  • 鳴海城跡公園に来ました。<br />丸井さんが鳴海城の説明をしています。

    鳴海城跡公園に来ました。
    丸井さんが鳴海城の説明をしています。

  • 誓願寺へ来ました。<br />ここには芭蕉最古の供養塔が設けてあります。<br />http://www.asahi-net.or.jp/~gi4k-iws/sub33-12.html<br />ここでも丸井さんの説明が有りました。<br />芭蕉が門下がアチコチに居たのだそうです。

    誓願寺へ来ました。
    ここには芭蕉最古の供養塔が設けてあります。
    http://www.asahi-net.or.jp/~gi4k-iws/sub33-12.html
    ここでも丸井さんの説明が有りました。
    芭蕉が門下がアチコチに居たのだそうです。

  • 復元された鳴海宿の高札場です。<br />

    復元された鳴海宿の高札場です。

  • 何枚もの高札が掲げられていて、どのような高札が掲げてあるのか、説明しています。<br />高札は8枚残っており、復元されたレプリカ5枚が掲げてあると説明しています。<br />この高札場は東海道から離れた道路にありますが、当時は東海道沿いに設置していたのでしょう。<br /><br />

    何枚もの高札が掲げられていて、どのような高札が掲げてあるのか、説明しています。
    高札は8枚残っており、復元されたレプリカ5枚が掲げてあると説明しています。
    この高札場は東海道から離れた道路にありますが、当時は東海道沿いに設置していたのでしょう。

  • 高札を覗き込んでいます。

    高札を覗き込んでいます。

  • 成海神社へ来ました。<br />こちらは鳴海の字でなく成海の字が使われています。<br />根古屋城(鳴海城)の一部であった所で、鳴海城の広さが想像できます。<br />そんな広い城域でしたが、真ん中に道路が設けられてしまいました。<br /><br />

    成海神社へ来ました。
    こちらは鳴海の字でなく成海の字が使われています。
    根古屋城(鳴海城)の一部であった所で、鳴海城の広さが想像できます。
    そんな広い城域でしたが、真ん中に道路が設けられてしまいました。

  • 旧鳴海球場跡に来ました。<br />説明板には、「日本初のプロ野球開催の地 鳴海球場」と有ります。<br />当時の写真が載っています。<br />昭和11年2月9日。名古屋金鯱軍と東京巨人軍が試合をし、10対3で名古屋金鯱軍で勝利したと書かれています。東京からはるばる汽車に揺られて来た東京巨人軍。名古屋金鯱軍に地の利があったのかも知れません。その時の東京巨人軍の投手が沢村栄治だったとなっています。<br />今では、その球場跡が自動車学校として使われています。<br />車庫として使っている所がスタンドです。その状態から、当時は球場だったと想像する事が出来ます。<br />

    旧鳴海球場跡に来ました。
    説明板には、「日本初のプロ野球開催の地 鳴海球場」と有ります。
    当時の写真が載っています。
    昭和11年2月9日。名古屋金鯱軍と東京巨人軍が試合をし、10対3で名古屋金鯱軍で勝利したと書かれています。東京からはるばる汽車に揺られて来た東京巨人軍。名古屋金鯱軍に地の利があったのかも知れません。その時の東京巨人軍の投手が沢村栄治だったとなっています。
    今では、その球場跡が自動車学校として使われています。
    車庫として使っている所がスタンドです。その状態から、当時は球場だったと想像する事が出来ます。

  • 善照寺砦跡に来ました。<br />今は公園として整備して有りました。<br />砦跡が高台となっており、視界が広がります。<br /><br />

    善照寺砦跡に来ました。
    今は公園として整備して有りました。
    砦跡が高台となっており、視界が広がります。

  • 瑞泉寺に来ました。<br />ここでも丸井さんの説明が有ります。<br />こちらの建物。重要文化財とまでは成っていないが、文化財だと解説していました。<br />

    瑞泉寺に来ました。
    ここでも丸井さんの説明が有ります。
    こちらの建物。重要文化財とまでは成っていないが、文化財だと解説していました。

  • 瑞泉寺の門と都市景観重要建築物へ指定された指標。<br />

    瑞泉寺の門と都市景観重要建築物へ指定された指標。

  • 扇川と手越川の合流地点です。<br />こちらは河川分野の権威。安井さんの説明です。<br />この辺り、集中豪雨で川が氾濫した事が有るのだそうです。<br />今は護岸工事が進み整備されています。<br /><br />

    扇川と手越川の合流地点です。
    こちらは河川分野の権威。安井さんの説明です。
    この辺り、集中豪雨で川が氾濫した事が有るのだそうです。
    今は護岸工事が進み整備されています。

  • 中島砦に来ました。<br />こちらの砦は山でなく平地に有ります。<br />砦の敷地が個人所有ですが、自由に見学できるようになっています。<br />なお、敷地内には中島城址と書かれた大きな石碑が立っています

    中島砦に来ました。
    こちらの砦は山でなく平地に有ります。
    砦の敷地が個人所有ですが、自由に見学できるようになっています。
    なお、敷地内には中島城址と書かれた大きな石碑が立っています

  • 手越川沿いを歩きます。<br />東海道がこの道の北側を通っていますが、車の交通量が多いので、避けてこの道を歩くコースとしました

    手越川沿いを歩きます。
    東海道がこの道の北側を通っていますが、車の交通量が多いので、避けてこの道を歩くコースとしました

  • 途中、手越川沿いの道から東海道へ出ました。<br />もう直ぐ常夜灯です。<br /><br />

    途中、手越川沿いの道から東海道へ出ました。
    もう直ぐ常夜灯です。

  • 平部町常夜灯に来ました。<br />この常夜灯。鳴海宿の東の入口となる場所に設けてあるのでしょう。<br /><br />

    平部町常夜灯に来ました。
    この常夜灯。鳴海宿の東の入口となる場所に設けてあるのでしょう。

  • 大高緑地へ入って来ました。<br />大高緑地は緑の多い公園です。<br /><br />

    大高緑地へ入って来ました。
    大高緑地は緑の多い公園です。

  • 琵琶ケ池の横を歩きます。<br />大正9年の地形図にこの池が有りますので、古くから有った池なのでしょう。<br />スワンボートが浮かんでいます。<br />市民の憩いの場と言った所でしょうか。<br /><br />

    琵琶ケ池の横を歩きます。
    大正9年の地形図にこの池が有りますので、古くから有った池なのでしょう。
    スワンボートが浮かんでいます。
    市民の憩いの場と言った所でしょうか。

  • 大高緑地公園の恐竜広場でランチタイムと成ります。<br />鬼頭さんが重いビワを持ってきて、みんなに配ってくれました。<br />左は氷を入れて持ってきたクーラーボックスから取り出します。<br />左はポリ袋の中を撮らせて貰いました。<br /><br />

    大高緑地公園の恐竜広場でランチタイムと成ります。
    鬼頭さんが重いビワを持ってきて、みんなに配ってくれました。
    左は氷を入れて持ってきたクーラーボックスから取り出します。
    左はポリ袋の中を撮らせて貰いました。

  • 袋から4個づつ取って先に進むことに成りました。<br />袋に手を入れて、取らせて貰います。<br />

    袋から4個づつ取って先に進むことに成りました。
    袋に手を入れて、取らせて貰います。

  • いただいたビワ。4個です。<br />少し、酸っぱいのも有りましたが、ウオーキング時の体です。<br />酸っぱさは苦になりませんでした。<br /><br />

    いただいたビワ。4個です。
    少し、酸っぱいのも有りましたが、ウオーキング時の体です。
    酸っぱさは苦になりませんでした。

  • 恐竜広場で、思い思いの場所で昼食を取ります。<br />

    恐竜広場で、思い思いの場所で昼食を取ります。

  • 大高緑地の案内図です。<br />左下の現在地から右上の21番。恐竜広場へ歩いてきました。<br /><br />

    大高緑地の案内図です。
    左下の現在地から右上の21番。恐竜広場へ歩いてきました。

  • 大高緑地公園の恐竜広場で昼食を終え、午後の出発です。<br />まず、向かったのが丸根砦跡です。<br />砦跡は小高い山で、坂を登ります。<br /><br />

    大高緑地公園の恐竜広場で昼食を終え、午後の出発です。
    まず、向かったのが丸根砦跡です。
    砦跡は小高い山で、坂を登ります。

  • 木の茂る中、階段を登って来ます。<br />右は丸根砦の供養碑です。<br /><br />

    木の茂る中、階段を登って来ます。
    右は丸根砦の供養碑です。

  • 丸根砦に付いて丸井さんが説明しています。<br />松平元康(徳川家康)に攻められて400名に及ぶ兵が戦死したのではないか、との事でした。<br />

    丸根砦に付いて丸井さんが説明しています。
    松平元康(徳川家康)に攻められて400名に及ぶ兵が戦死したのではないか、との事でした。

  • 丸根砦の説明板です。<br />説明盤には松平元康(徳川家康)が攻めて全滅させたと有ります。この時は今川軍としての戦です。<br />幼少期、今川義元に人質として預けられていた身。ある時は今川義元と同盟を結び、ある時は織田信長と同盟を結んでいます。これが戦国時代の処世術でしょうか。<br /><br />

    丸根砦の説明板です。
    説明盤には松平元康(徳川家康)が攻めて全滅させたと有ります。この時は今川軍としての戦です。
    幼少期、今川義元に人質として預けられていた身。ある時は今川義元と同盟を結び、ある時は織田信長と同盟を結んでいます。これが戦国時代の処世術でしょうか。

  • 春江院へ来ました。<br />立派な庫裡です。<br />重要文化財とまでは行かないが、文化財と言っていい建物で、往時は東海道を行き来した武家が泊まったと説明が有りました。<br /><br />

    春江院へ来ました。
    立派な庫裡です。
    重要文化財とまでは行かないが、文化財と言っていい建物で、往時は東海道を行き来した武家が泊まったと説明が有りました。

  • 万蔵醸造に来ました。<br />酒造所で大きな建物です。<br />

    万蔵醸造に来ました。
    酒造所で大きな建物です。

  • 大高城址への登り坂。<br />坂道なので、登らずに、ここで待つという人も居ました。<br /><br />

    大高城址への登り坂。
    坂道なので、登らずに、ここで待つという人も居ました。

  • 城址からの眺望が広がります。<br /><br />

    城址からの眺望が広がります。

  • 大高城址からの眺めです。<br />この方角に鷲津砦が有ります。<br />大きな寺の屋根。それに民家が並んでいますがこれらが無かった時代。<br />原野や田畑が広がった当時。<br />砦の状況が手に取るように見えたことでしょう。<br /><br />

    大高城址からの眺めです。
    この方角に鷲津砦が有ります。
    大きな寺の屋根。それに民家が並んでいますがこれらが無かった時代。
    原野や田畑が広がった当時。
    砦の状況が手に取るように見えたことでしょう。

  • 大高城址の説明板です。<br />

    大高城址の説明板です。

  • 林の中の登坂。鷲津砦に登ります。<br />右は鷲津砦の石柱です。<br /><br />

    林の中の登坂。鷲津砦に登ります。
    右は鷲津砦の石柱です。

  • 鷲津砦の説明板です。<br />この砦でも今川軍の攻撃で全滅したと書かれています。<br /><br />

    鷲津砦の説明板です。
    この砦でも今川軍の攻撃で全滅したと書かれています。

  • 史跡散策路の標識。<br />このような標識が各所に立てられています。<br />標識に沿って、ルートを辿ると、かつての戦場めぐりが出来ます。<br /><br />

    史跡散策路の標識。
    このような標識が各所に立てられています。
    標識に沿って、ルートを辿ると、かつての戦場めぐりが出来ます。

  • 明忠院へ向かう途中の高台です。<br />南方に視界が広がります。<br />遠くには大きな名港大橋の橋脚が見えます。<br />手前のスレートの屋根はJR大高駅です。<br /><br />

    明忠院へ向かう途中の高台です。
    南方に視界が広がります。
    遠くには大きな名港大橋の橋脚が見えます。
    手前のスレートの屋根はJR大高駅です。

  • 鳴海神社に来ました。<br />大きなクスノキの御神木が見えます。<br /><br />

    鳴海神社に来ました。
    大きなクスノキの御神木が見えます。

  • 終盤で、足が重くなっています。<br />間も無く、鳴海駅に戻ります。<br />この辺り、道路が真っ直ぐで碁盤のめのに区画されています。<br />恐らく海だった場所で、土地を開墾した地域なのでしょう。<br />

    終盤で、足が重くなっています。
    間も無く、鳴海駅に戻ります。
    この辺り、道路が真っ直ぐで碁盤のめのに区画されています。
    恐らく海だった場所で、土地を開墾した地域なのでしょう。

  • お疲れ様でした。<br />鳴海駅に戻ってきました。<br />

    お疲れ様でした。
    鳴海駅に戻ってきました。

  • 今回の資料です。<br />大正9年の地形図ですが、江戸時代の地形と変っていないのでしょう。江戸時代に街道が整備されましたが、その前は海が入り込んでいて、鎌倉街道を使ったのだそうです。鳴海の海の字は海にちなんだ字です。かつてはこの辺りまで海が入り込んでいました。鳴海駅の南に田の地図記号が書かれていますが、干拓か埋め立てで農地を広げたのでしよう。<br />古い地図ですが、文字は右から左へ読みます。<br />大高緑地の琵琶ケ池は既に地図に乗っています。<br />東海道線が明治22年に全通しました。大高駅が大高の町を避け、離れた場所に設けられています。鉄道が出来駅が出来ても駅前には余り、家屋が有りません。そんな、ゆっくりした時代だったのでしょう。<br />古い地図を読む事が面白いです。<br />

    今回の資料です。
    大正9年の地形図ですが、江戸時代の地形と変っていないのでしょう。江戸時代に街道が整備されましたが、その前は海が入り込んでいて、鎌倉街道を使ったのだそうです。鳴海の海の字は海にちなんだ字です。かつてはこの辺りまで海が入り込んでいました。鳴海駅の南に田の地図記号が書かれていますが、干拓か埋め立てで農地を広げたのでしよう。
    古い地図ですが、文字は右から左へ読みます。
    大高緑地の琵琶ケ池は既に地図に乗っています。
    東海道線が明治22年に全通しました。大高駅が大高の町を避け、離れた場所に設けられています。鉄道が出来駅が出来ても駅前には余り、家屋が有りません。そんな、ゆっくりした時代だったのでしょう。
    古い地図を読む事が面白いです。

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