2015/06/14 - 2015/06/14
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Wind99さん
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東京の玉川上水に興味があり、調べていく内、そこで入水自殺した太宰治が、その後晩年の7年ほど三鷹市に住んでいた事を知った。
太宰治の小説はおおむね読んでいたことと、場所が近いこともあり、ゆかりの場所を中心に三鷹市を散歩してきた。
残念ながらゆかりの地では、すべて建物が建て替えられ、当時の雰囲気はなかったが、解説パネルが貼ってあった。
玉川上水は多摩の羽村から四谷までの全長43kmが1653年に築かれた。その玉川兄弟の事も興味深い。いずれまたそこも調べて散歩してみたい。
コース
井の頭公園の萬助橋−三鷹の森ジブリ美術館−みたか井心亭−禅林寺−三鷹駅−太宰治文学サロン−三鷹市美術ギャラリー −玉川上水(風の散歩道)−玉鹿石−山本有三記念館
- 旅行の満足度
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
-
たまに行く、井の頭恩賜公園の駐車場の横に、玉川上水の案内板も掲げられていて玉川上水が流れていた!
その萬助橋から歩くことにした。 -
せっかくなので、井の頭恩賜公園の西園の散歩道を進む。
-
5分位歩くと、トトロ?が受付にいた。
ジブリ作品はあまり見ていないので詳しくない。 -
三鷹の森ジブリ美術館だ。
完全予約制であるが、なぜか並ぶ行列ができていた。 -
わー、巨人兵がいる!と声が上がった。屋上にユニークな姿が見えた。
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印刷したMAPを忘れてしまい、迷いながら到着。よく見るとあちこちの電柱に案内があった。
みたか井心亭といい、文化施設であるが、この向かいの3軒家の奥が、太宰治の旧宅であった。
今はもう立て替えられているが、玄関前にあったさるすべりの木がが庭に移植されていた。 -
これがそのさるすべりの木で、道から見えるように、案内板があった。
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また道に迷い三鷹八幡大神社に来てしまった。
立派な神社で、江戸の明暦の大火(振袖火事)で罹災して神田連雀町から入植した人々の鎮守として、寛文4年(1664年)に創建され、そのため、その地名を取ってこの辺りは下連雀となったという。 -
目指す禅林時は隣であった。
ここに太宰治の墓がある。 -
太宰治と津島家の墓石。
太宰の本名は津島だ。今も花と線香が絶えない。 -
その目の前に森鴎外の墓。
森鴎外を尊敬してやまなかった太宰治は、禅林寺にある鴎外の墓について、「花吹雪」に「ここの墓所は清潔で、鴎外の文章の片影がある。私の汚い骨も、こんな小奇麗な墓所の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかもしれない」と書いている。その意を汲んで、美智子夫人が太宰をこの寺の鴎外の墓の側に葬った。 -
ここには三鷹市で一番大きい大銀杏があった。
アジサイがきれいだった。 -
三鷹駅近くまで来た。中鉢家跡。
戦時中山梨の疎開から戻った太宰は、ここを仕事場に借り「ヴィヨンの妻」などを執筆した。「朝」はこの部屋が舞台だそうだ。 -
うなぎ若松屋跡。
太宰が編集者との打ち合わせ場所にしていた馴染みの屋台。 -
三鷹駅前通りの三鷹コラル前。
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三鷹駅南口ロータリー。
ロータリー側に三鷹観光案内所があり、そこで太宰ゆかりの地MAPを確認した。 -
小説にも、ここの名が出てくる伊勢元酒店跡。
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伊勢元酒店跡地には、太宰治文学サロンが開設されいた。
太宰の直筆原稿や初出雑誌など様々な資料を無料で公開している。絵の才能もあったらしく、自画像も飾ってあった。
今なら、三鷹市美術ギャラリーでも太宰展をやってますよと教えてくれた。(事前に調べていたが、すっかり忘れていた。戻ってギャラリーに入ると無料であった。) -
田辺肉店離れ跡。
1947(昭和22)年4月から、「斜陽」を書き継ぐために、田辺肉店のアパートを借りた。この店を舞台にして「犯人」が書かれた。 -
この狭い道が太宰横丁だ。行きつけの「喜久屋」(小料理屋)が、この通りの三鷹駅近くにあったそうだ。
今は店舗が少なくビルやマンションが並ぶ。 -
駅前近くの千草跡。
1947(昭和22)年7月から小料理屋千草の2階も仕事場にしていた。 -
千草跡の向かいにあった野川家跡。
山崎富栄と親しくなった1947(昭和22)年9月頃から、彼女の下宿先の野川家2階も仕事場にしていた。太宰最後の日、ここから2人で玉川上水へ向かう。 -
左側のSOGIの看板が永塚葬儀社で、野川家跡。手前右のビルが千草跡。
太宰は、三鷹駅のすぐ近くのテリトリー内で、よく仕事場を変えているし、交流も広く、男女にモテ男だったのだろうと思う。 -
三鷹駅下から、井の頭公園へ一直線に玉川上水が走る。
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かつては水量が多く、人喰い川と言われていたとあるが、上水としての役目を終え昭和40年以後、水が途絶えたが、東京都の清流復活事業で蘇った。
今は川幅2mも無い小川だ。 -
この上水通りは、風の散歩道と言われ、まさに丁度いい風が吹いてきて気持ちよかった。
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風の散歩道の休憩スポットに、太宰の乞食学生の一節で、玉川上水を記述した内容をパネルにして飾ってあった。
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その休憩スポットとパネル。
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途中に橋が掛っていた、むらさき橋だ。
橋の上からおじさんが、パンくずを投げていた。 -
玉鹿石(ぎょっかせき)
青森県五所川原市金木町産 1996年6月 とだけ書かれている。
家族が故郷の石を持ってきたのだろうか。
昨年、太宰の実家金木の斜陽館に行った事を思い出す。 -
太宰がこのあたりの玉川上水で身を投げたが、その場所が分からないのが不思議であった。
行方不明になって1週間後に玉川上水で発見されたとサロンで書かれてあり、納得した。太宰は、若い頃から自殺未遂を4度近く起していた。 -
風の散歩道を歩くと、三鷹市山本有三記念館に着いた。
大正時代の作家で「路傍の石」等が有名。
戦後は参議院議員、1965(昭和40)年には文化勲章を授与された。 -
実は全く知らない作家であったが、きれいな洋風の建物に誘われ入ってみた。
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中はフラッシュレスならすべて撮影OKと教えてくれた。
食堂の暖炉。 -
一回から階段を上がったところ。
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2階の執筆の間。
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南側に出ると庭があり、今は有三記念公園として、一般に開放されている。
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南側の外観。大正時代末期の建物だ。
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今は三鷹市の文化財になっている。
今回はこれで散歩を終えた。
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