2015/05/22 - 2015/05/22
3位(同エリア16件中)
ベームさん
5/22(金)、4日目。
DBのストは終わったようで、テレビで労使双方が握手していました。
今日はヴュルツブルクを発ちアンスバッハを経てローテンブルクに行きます。
アンスバッハはロマンチック街道の町ではありませんが、ロココの花開いた町で、また謎のみなしごカスパール・ハウザーの亡くなった地です。ロマンチック街道から少しそれていくのに十分値する町です。
アンスバッハ:ニュルンベルクの南西40Kに位置する古都。人口4万人。
748年にベネディクト会の修道院が造られたのが始まり。1221年に文献に登場。14世紀前半ホーエンツォレルン家の封土となった後ブランデンブルク・アンスバッハ辺境伯領、プロイセン王国、バイエルン王国領と変遷。
人口4万人の町(日本では小都市)とは思えない、辺境伯レジデンツを中心に華麗なバロック・ロココ様式の建物が並ぶ華麗な町です。
毎年7月に開かれるロココフェスティバル/ロココ演劇祭、2年に一度のアンスバッハ・バッハ週間、カスパール・ハウザー・フェスティバルが有名。
写真はみなしごカスパール・ハウザー。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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一番右端の町です。
ヴュルツブルク~アンスバッハ~ローテンブルク。 -
DBのストも終わり予定通りヴュルツブルク8:41発のRBでアンスバッハに向かいました。
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抜けるような青空です。
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アンスバッハ駅。
9:46着。荷物は駅のコインロッカーに。 -
市立墓地の聖十字架教会。
まず向かったのは駅の南側、旧市街地とは駅の反対側にある市立墓地です。
なんでまたいきなり墓地なのか。 -
ここにカスパール・ハウザーの墓があるのです。
2009年にニュルンベルクに行ったときカスパール・ハウザー広場というのが有って、その時から関心がありました。 -
義理堅くここの教会にもお邪魔しました。
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墓地の教会らしく華美さはありません。
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祭壇。
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十字架から降ろされたキリストを悼む母マリアたち。
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西洋の墓地は墓碑が様々、色とりどりで日本の墓地のようなお線香の匂いがしません。
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標識もあります。カスパール・ハウザーの墓はこの先。
ドイツの墓地で著名人の墓の案内板があるのは珍しいです。 -
それで難なく見つかりました。
カスパール・ハウザーの墓。
1812.4.30~1833.12.17。 -
カスパール・ハウザーとは。池内 紀氏の著から幾分変えて抄出させていただきます。
「みなし児カスパール・ハウザー。1828年5月、ニュルンベルクの街角で10台半ばと思われる少年が保護された。自分はカスパール・ハウザー、と名乗るだけでほかは何も喋れない。日常のことが何もできない。遠近の区別、生物と物体の区別が出来ない。
アンスバッハのフォイエルバッハという学者が引き取って教育した。それでカスパールは言葉を覚え少しずつ過去のことを語り始めた」。 -
新しい花が供えられていました。
「フォイエルバッハは仮説を立てた。カスパールは高貴の生まれだったがお家騒動のため捨てられた。殺されるところを誰かに救われ穴倉みたいな所で育てられた。そのころヨーロッパの王家で世継ぎに変化があったのはバーデン大公国。双子の男子の後継者が相次いで病死し分家から後継者が出た。二人も病死するのはおかしい、捨てられて生残ったのがカスパール・ハウザーではないか?。すはバーデン公の皇子か! 世の中は沸き立った」。 -
「この仮説を発表してしばらく後のある雪の日、カスパールが血まみれになって帰ってきた。お前の素性を教えてあげるという口実で何者かに城公園に呼び出され、いきなりナイフで刺されたという。
三日後にカスパールは亡くなった。犯人捜査にはバイエルン国王まで乗り出し大々的に行われたがついに見つからなかった」。
これが謎のみなしごカスパール・ハウザーの物語です。
墓碑にはラテン語で「ここにカスパール・ハウザーが眠る。時代の謎、素性不明、死もまた秘密」と刻まれているそうです。 -
墓石の袂の小さな十字架。
いつまでも留まってください、なぜならあなたはあなたの痕跡を私たちの心に残しているから。
アンスバッハでは1998年以降2年ごとにこの有名な捨て子のために「カスパール・ハウザー・フェスティバル」を開いています。 -
ニュルンベルクでカスパール・ハウザーが発見されたという場所がカスパール・ハウザー広場となっていて、私の旅行記、2009年の「ゲーテの足跡を辿って」ニュルンベルクその2にその写真があります。
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第一の目的達成、次にカスパール・ハウザーの博物館を目指します。
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市街地に向かいます。
マキシミリアン通りのアンスバッハ小劇場。 -
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シャルクホイザー通り。
ここから先が旧市街地です。 -
ヘリーダー塔。
47m。15世紀。 -
塔門をくぐるとローゼンバート通り。
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振り返ってヘリーダー塔。
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元シナゴーゲ。
1746年。 -
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シナゴーゲ。
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プラーテン通り、カスパール・ハウザー記念像。
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手前カスパール・ハウザー。
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詩人アウグスト・フォン・プラーテン生家。
1796~1835年。 -
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聖ヨハニス教会の屋根が見えます。
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マルチン・ルター通り。
聖グンベルト教会。 -
聖ヨハニス教会。
1441年。
アンスバッハはプロテスタントが優勢で聖グンベルトも聖ヨハニス教会もルター派の教会です。 -
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柱の古い絵。
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キリスト復活の絵。
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聖ヨハニス教会。
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カスパール・ハウザー広場。
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マルクグラーフェン・ムゼウム/辺境伯博物館。
カスパール・ハウザー広場。 -
同別館。
ここにはカスパール・ハウザーに関する沢山の資料が保管されています。アンスバッハ訪問二つ目の目的地です。 -
バーデンの王子?
カスパール・ハウザーに関心があり日本からやって来た、というのが珍しいらしく、係員が有料のパンフレットを呉れたりいろいろ説明をしてくれました。 -
バーデンの王子?。
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カスパール・ハウザーとは?
王子?、詐欺師?。あなたの思う方に投票してください。
左が王子派、右が詐欺師派。両方拮抗しています。私は王子のほうにサインしました。その方がロマンがあるので。いまとなっては永遠の謎です。 -
発見された時のカスパール・ハウザー。ウィキより借用。
手に持っているのは自分の生い立ちを書いた紙切れ。
暗闇で物を見る力、触っただけで物の材質を判断する能力を持っていたという。そこから暗闇、穴倉で育てられたという説が生まれました。 -
カスパール・ハウザー。
1830年の肖像画。
法学者フォイエルバッハの教育により教養のある立派な若者に成長しています。 -
カスパール・ハウザーが刺された時着ていた衣服。
服の左胸の所に指された跡が残っています。 -
カスパール・ハウザーの持っていた懐中時計と小銭入れ。時計の鍵がぶら下がっています。
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カスパール・ハウザーに関する本。
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バーデン大公家の系統樹。
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バーデン大公息女カロリーネ。バイエルン王マキシミリアン1世の妃。
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バイエルン王ルートヴィヒ1世。
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辺境伯アレクサンダーと妃フリーデリケ・カロリーネ。
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ファイアンス焼。
収集品はカスパール関係だけではありません。 -
1710年より当地で生産開始。
青磁、花や蝶を細密に描いた高価な作品が珍重されました。 -
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これもファイアンス焼きです。
あずまやの恋人たち。 -
左フローラ、右ヴィーナス。
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博物館の窓から。
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この博物館には宗教美術品もあります。
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キリスト神殿奉献。
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キリスト復活。
キリストは死してのち三日後に復活する。気が付かずに眠りこける番兵たち。 -
同。
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博物館をつなぐ廊下。
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本館と別館をつなぐ渡り廊下。
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博物館からマルチン・ルター広場に来ました。
聖ヨハニス教会。 -
広場を囲む建物。
市庁舎。1623年。
アーチの上の紋章はアンスバッハの領主の変遷を示しています。 -
市庁舎の壁面の歴代領主の紋章。
左より古い順に、ヴュルツブルク、ホーエンツォレルン、アンスバッハ、プロイセン、バイエルン。 -
市庁舎の奥にある猟師の家。
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広場にバッハ像が建っています。
バッハとアンスバッハの関係はよく分かりません。 -
シュテッセルハウス。
元ガストホーフ。 -
辺境伯ゲオルク・デア・フロンメ/敬虔伯ゲオルク。
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市庁舎の一角のラーツアポテーケ。
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市議会。ツーリストインフォメーションが入っています。
1532年。 -
市議会。
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マルチン・ルター広場。
町で一番賑やかな所。西に聖ヨハニス教会、東に聖グンベルトゥス教会が建っています。 -
聖グンベルトゥス教会。
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創設は748年の修道院教会。
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側面。セバスチャン・バッハ通り。
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祭壇。
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フランケン地方最大のバロックオルガン。
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ヨハン・セバスチャン・バッハ広場のパンとコーヒーショップ。
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昼はここでパンとコーヒーで済ませました。
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玩具屋さん。
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シュヴァーネンリッターカペレ。
1665~1791年間の辺境伯の墓があります。カスパール・ハウザーは1833年5月20日ここで堅信礼を受けています。 -
辺境伯カールの泉。
辺境伯カール・ヴィルヘルム・フリードリヒの胸像。1746年。 -
ベリンガースホーフ。
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ベリンガースホーフ。
元修道院の一部。現グンベルトゥス教会の牧師館。
16~17世紀。 -
ヨハン・セバスチャン・バッハ通り。
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シュロス広場。
レジデンツ、ブランデンブルク・アンスバッハ辺境伯の居城。
当初1400年頃。その後の増改築で1730年今の姿に。 -
シュロス広場。
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壮麗なバロック風の建物が軒を連ねています。
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レジデンツ。
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現代アートも盛んな町です。
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レジデンツ。
この頃になると足が痛く、広大なレジデンツの中に足を踏み入れる気になりませんでした。 -
バス。
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ホーフガルテン/宮廷庭園。
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この中にカスパール・ハウザー記念碑があるので足を引きづりながら探しました。
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④がオランジュリー。
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オランジュリー。
1726~1728年。 -
ここを中心に毎年7月ロココ・フェスティバルが開かれます。今年は7月3日から5日です。
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その模様をWEBから借用します。
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仮面舞踏会。17,18世紀の宮廷の輝きがよみがえります。。
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ホーフガルテン。
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広い庭園の中を足を引きずりながら探すのは辛い。
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これかな。
違いました。ヨハン・ペーター・ウツ記念碑。
詩人。1720~1796年。 -
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ありました、これがそうです。
カスパール・ハウザー記念碑。 -
カスパール・ハウザーはこの公園で刺されたのです。
1833年12月14日のことでした。
碑文はラテン語で「この場所で見知らぬ男が見知らぬ男に殺された」と書かれてあるそうです。 -
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駅の横の郵便局。
アンスバッハ訪問の目的を達し駅に戻りました。ローテンブルクに向かいます。
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