2015/06/07 - 2015/06/07
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Matt Yさん
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バニラエアのキャンペーン料金で取った高雄行きの切符で旅立ったものの、行きの機内で急遽金門島に行きたくなり、帰りはアモイから帰る事にした突発金門島旅行。
今回はその2、金門島西部を巡ります。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 船 徒歩 バイク
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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金門の夜は早かった。という事は朝から活動的なんだろうが、昨夜は寝落ちしてちゃんとした態勢で寝られなかった事もあって、朝遅くまでウダウダ。
朝食を食べに行く元気もなく、前日買っておいたおにぎりを朝ご飯とする。折角なので台湾らしい台湾鰻と肉そぼろの具。どちらも美味しかった。 -
ようやく10:00頃シャワー浴びて、宿からすぐ近くのバスターミナルの上にある金城坑道の展示館へ。
まず説明を受ける。坑道とは防空壕と避難路を兼ねたような地下施設で、このバスターミナルからメインストリートの民生路の地下をトンネルが走り県政府を結び、そこから民権路を下り光前路で折れ曲がって2キロほど先の地上出口まで結んでいる。 -
人1人通れるくらいの大きさのトンネル。
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途中地上からの連絡トンネルとか、武器弾薬庫とかが有ったが、概ねトンネルをひたすら歩く。
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解説のおばちゃんの中国語は聞き取りやすかったが、なにせ健脚でぐんぐん行くのでついていくのがやっと。30分ほど歩いて地上の出口に出た。島内には概ね集落ごとにこのような施設があるとの事。
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地下坑道の出口。学校の脇に開口部はあった。視界が狭くて距離感が狂ったけど、戻ってみると結構長い距離掘ったと分かる。
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学校の正門はこんな感じ。クラシックスタイルが素敵
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その辺(本当街中は石を投げれば廟に当たる)の廟
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廟の前でやっていたお店でお昼に広東粥を食べる。この辺りの店は広東粥の看板を出している店がとても多い、いや広東粥を出していない店はないくらい。
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12:00が宿のチェックアウトなので間に合うように宿に戻る。
今日は他に泊まっている人がいないとのことなので、一段階安い1000元の部屋に移った。
庭の中庭でのんびりする。北側中央に祭壇がある居間、その両側に寝室、南側に中庭を挟んで部屋が一つと台所、トイレが東側にあり、間取り的には伝統的三合院。外観は福建スタイルといった感じ。 -
宿のロビーというか居間兼祭壇部屋
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前日はロフトタイプで1500元だったが今日は他に泊り客はいなく、安い1000元の部屋に移動した。むしろ500元の差がわからないほど居住性は変わらず。因みにトイレ、、シャワーは三合院の東側の部屋にある。
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掃除に入っていた世話好きなおかみさんにレンタルスクーターを借りたいと言ったら、金豊租車という会社に電話をかけてくれ、なんと配達というかスクーターを持ってきてくれた。
国際免許証と日本の免許証を写メで撮り、申込書に記入して完了。法的には中華民国台湾は国際免許証のジュネーブ条約に加盟していなく、その代わり日本の免許証が有効、ただし翻訳した文章(JAFが有料で作ってくれる)が必要なのだが、国際免許証でOKとのこと。
まぁ日本の免許証が有効で、国際免許証はその翻訳なので、有効なんだろうと解釈する。それより中国語で注意事項がわかる事が重要なんだそうだ。
24時間400元と一番安いものにしたが二人乗りが前提なのかかなり大きなスクーターで、小回りがきかない。ただし道路を走る分には安定していて乗りやすかった。 -
町(といっても信号幾つか行けば抜けてしまう規模)をでると並木道が気持ちいい道に出る。
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適当に島の北側、大陸が近い方へスクーターを走らせると公園があった。
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砲台が3台あった。
古寧頭戦役和平紀念広場 広場・公園
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しかし目の前は草むら。砲弾が飛び交っていたのも今は昔
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女性兵士と撮れる顔出しが面白かった。こういうとき一人旅って寂しい
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記念館があり古寧頭の戦いについて説明があった。古寧頭の戦いは大陸から国府軍を蹴散らした人民解放軍がその勢いで金門島へ上陸作戦をしたもの。しかし見通しの甘さと補給軽視、兵器軽視(どっかの某帝国陸軍みたいだ)で反撃に遭いほぼ上陸部隊が殲滅させられた戦い。
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と、ここが記念館だと思ったらただの入り口だった事がわかり門をくぐって奥に進む
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大陸側に半島のように突き出た地形の先の方に向かう。
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古寧頭戦史館に到着。
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兵士のオブジェ。金門島は大陸とは目と鼻の先、援軍が来るとしたらの台湾ははるかか遠く。上陸してきた大軍に向かう兵士の恐怖心と言ったらどんなかと思う。
古寧頭戦史館 博物館・美術館・ギャラリー
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いかにもっていうようなレリーフがイイネ。
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人民解放軍は上陸作戦を展開し上陸したあと反撃されて殲滅あるいは投降したとのここと
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金門島が緑色、その横に小金門。黄色が大陸側でアモイは西側、正面に泉州というような位置関係。
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偉大的領袖戦況視察の図
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記念館の裏手、防空壕のような通路を抜けると周辺が一望できる展望台がある。東側方面の海岸。カーブを描く砂浜が美しい
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トーチカや銃座は残っているものの、いまは緊張感まるで無し。巧妙に表から見えないような軍事施設はあるものの、軍のプレゼンスはほとんど感じない。というかこんなに緩んでいて良いのか状態。実際大陸が本気で攻めて来ればあっという間に陥落し、兵站面を考えると奪取も無理だろうから、ハナから無理な防衛に余計な戦力を割かないという方針なのだろうが。
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ご覧のように防御陣地にはなっている
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上陸阻止のための杭が突き出ているものの今や50年前にここで上陸作戦が行われたなんてとても信じられないくらいのどか
古寧頭戦史館 博物館・美術館・ギャラリー
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古い家並みが残る町。スクーターだと駆け抜けていってしまいがちだけど、本来はゆっくり味わいながら歩きたいところ
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パラパラと牛が飼われているのを見かける
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往事には大陸に向けてプロパガンダ放送を流していた巨大なスピーカー。
38度線でもかつてはお互いに宣伝放送流していて、昔板門店ツアーに参加した時北からの放送を聞いたことがあった。
ここも同様のものなのだろうと推察されるが、いまはどちらもそのような放送は止めている。 -
沖合を高速船が走る。方角から行って泉州の石井港に向かう船だろうか
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大陸に向かって突き出た半島状の古寧頭戦史館とは反対側に防御陣地が公開されていた。こちらの方はアモイ市街地が正面に見える。もっとも本当の意味でのアモイ中心部はアモイの島の向こう側でこちら側からは正面に見ることはできないのだが。
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やや曇っていて視程はあまりないものの、対岸のアモイの町の高層ビルがはっきり見える。
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防御陣地跡といっても周りに人が一人もいないこともあって、時間の流れるのがゆっくり、平和に感じる。
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トーチカから守備隊員になったつもりでアモイ方面を見る
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監視台のガラスに敵攻撃が有った時の報告手順が残されていた
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スクーターを走らせ、金城の街を通過し、島の西の端のフェリー乗り場へ
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大陸へ渡るフェリーがメインだけど、金門島の付属島の小金門に渡るフェリーに乗ることにする。
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大陸方面への船。
今日は台湾支配下の小金門に渡りたいのですが、30分に一本の船はちょうど出港してしまったところ。次の船まで待機。
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