2015/06/02 - 2015/06/02
81位(同エリア91件中)
むしころさん
日帰り弾丸旅行!
以前から行きたかった吉田郡山城。いざ行ってみて、もう少し時間がほしかった・・・
でも大体見て回れてよかったです。
旅程
羽田空港 ANA 7:00発 広島空港 8:20着
バスで空港から広島バスセンターへ
広島バスセンターから 吉田市役所前まで 9:45発 11:18着
帰りは
市役所前から 15:40発 バスセンター 17:14着
バスセンターから 17:35発 広島空港 18:28着
広島空港でお好み焼き食べて
19:35の飛行機で羽田へ!!!
今回はバスの時間が長かった。。。でも楽しかったです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス ANAグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
まちがって終点の吉田出張所まで行ってしまった。
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ちょっと歩く距離が増えたけど、まあいいか。
吉田町吉田 -
歴史民俗博物館到着。
城跡の説明があった。
博物館も見学。(300円)
郡山城や毛利氏のことを予習。地図も二種類もらいました。
等高線がひいてあってとても見やすいです。 -
博物館から北に数分、ちょっと登って元就公の火葬場跡に来ました。
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火葬場から西へ数分歩くと今度は石垣の跡。
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ここの酉谷地点からは鍛冶炉や曲輪の遺構などが確認されたとのこと。
少量の土器・陶磁器の破片も見つかったそうです。
ここの石垣は保存処理が施されているらしい。 -
つぎは毛利隆元公の墓所へ。
後ろの石標は大江隆元公墓所って書いてある。 -
ところどころに標識があるのでわかりやすかったです。
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いざ隆元公のお墓へ。
隆元公の菩提寺であった常栄寺跡のそばにあります。
常栄寺は毛利氏移封になったときに一緒に山口へ移ったそうです。
鳥居があるから神社があるのかと思った・・・ -
なぞの死を遂げた隆元公・・・
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この、後ろのこんもりした土と木株が気になる。
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お墓・・・なんとなく「いいなあ。」と思った。
墓石の後ろのところをみたら年代っぽいのが書いてあった。 -
常栄寺跡。
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こんなかんじです。
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西にちょっと歩いて大通院谷遺跡(薬研堀跡)。
ここに駐車場がありました。 -
薬研堀(内堀だったらしい)
100mほど検出されました。
郡山が全部城郭化された後に造られたと考えられているそうです。
このあたりでは、他に屋敷跡なども発見されたらしい。 -
大通院谷遺跡エリアの南側にこんな案内が・・・
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あの山で尼子氏が陣を張っていたのか・・・
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大通院谷遺跡の東側に毛利元就公のお墓へつながるルートがあります。
まむしが出るのか・・・どきどき -
くねくね進む。
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ここも鳥居があります。
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洞春寺跡
元就公の三回忌に、孫の輝元公が天正元年(1573)に建立した臨済宗のお寺。
現在は山口市内にあるそうです。 -
洞春寺境内に
元就公のお墓。
それから、
毛利氏一族のお墓があります。
まずは毛利氏一族のお墓をお参り -
毛利一族墓所。
一番右にこんもり土が盛られているのが毛利家当主三代目毛利時親公から八代目の豊元公までの歴代一門が合葬されているお墓。
大通院谷にあったそれぞれのお墓が明治二年にここ改葬されたそうです。
それから左に三つ少し小さめのお墓があって
左から順に元就公の兄 興元(おきもと)、その子幸松丸、隆元の夫人のお墓です。 -
歴代のお墓から石段を登ると、百万一心の碑があります。
郡山築城の際に元就公が人柱の代わりに大石を埋めたという言い伝えがあるそうです。
この石碑の文字を見ると、一日一力一心と読むこともできて、「日を一にして、力を一にして、心を一にする」という協同一致の精神を示しています。 -
元就公のお墓から一族のお墓を見る・・・
一族のお墓よりちょっと高いところにあります。 -
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元就公の墓所
門の隙間からお参り。 -
百万一心の碑の後ろ側の道から郡山城へ登って行けます。
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古墳もあったのか・・・
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赤土ですな。
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尾根を歩いているかんじ。
上り坂ですがなだらかなのでどんどん進めます。 -
竪堀かな?
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御蔵屋敷跡到着!
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面積が600?の郭
兵糧蔵があったと考えられているそうです。 -
江戸になって幕命で壊された石垣が残っています。
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これは結構角ばっているな。
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北に井戸が見える!行ってみよ〜
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釣井の壇
ここに井戸もあります。 -
上のほうが本丸。
石垣も見える -
井戸は金網がしてあるので網目から覗く・・・
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ちょっとぶれた。
直径が2.5mの石垣井戸です。
今は埋もれて深さが4mほどですが掘れば再び水が出るのではないかとのこと。 -
細い道をさらに進むと・・・
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姫の丸壇跡
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姫の丸壇跡は本丸のちょうど北側です。
ちなみに本丸の北側の石垣の中に一日一力一心の文字を刻んだ礎石を埋めたという伝説があるそうです -
さらに進むと釜谷の壇
炊事場があったらしい -
釜谷の壇から北にむかって狭い五つの段があって、羽子の丸につながっています。
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早速行ってみる。
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羽子の丸との間に堀切があった
幅7m深さ3m! -
で羽子の丸
狭いです。
パンフレットによると、場内では独立的な機能を備えていたとのことですが具体的なことがよくわからず。
北東を見張る櫓でもあったのかな? -
釜谷の壇へ戻り次の場所へ
道が狭いので注意。 -
滑り落ちたら危ないぞ
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厩の壇跡に来ました
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何段にもなっています。
一番下の段に馬出しがあったらしい。
行ってみたかったけど時間が足りないから断念。 -
三の丸へ
土塁や削出しで四段に分かれております -
崩れた石垣も
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郡山城の中では一番広い曲輪
面積1400?ほど。
しかし、門跡とか虎口跡とかがわからない!!本当はどこから出入りしていたのかなあ〜?? -
三の丸から少し高くなっている二の丸へ
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門はここにあったのかなあ?
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二の丸をさらに進み本丸へ。
向こうに見えるのは本丸の櫓台 -
本丸は一辺が約35mの曲輪です。
標高は389.7m 比高は約200m -
櫓台・・・ここにどんな櫓があったのかなあ??
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櫓台から眺めた本丸と二の丸
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奥に見えるのは土塁
二の丸の西側です。 -
同じく二の丸西側。
ここ、虎口っぽい -
二の丸西側から三の丸へ降りてちょっと歩くと・・・
崩れた石垣エリア
本丸付近は大体見たので旧本城の方へ向かう。 -
勢溜の壇跡
御蔵屋敷の下段を堀切で区画し独立させた、大小10段からなる大型曲輪か・・・ -
結構先まで続いてるぞ!
行ってみよう!! -
一番先端のところまで来た。
街並み撮影 -
ここから見える景色の案内があったけど、汚れてよくわからない。。。
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勢溜の壇は途中のところから横の道に降りられるところがあったのでそこから旧本城方面へ。
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途中で尾崎丸堀切の標識があったので
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見てみました。
こちらが堀切。
でも向こう側すごく狭いな。さらに先に行くと尾崎丸なのかな。 -
再び本城へ
くねくね細い道が続く -
標識があるので助かる
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本城、足場悪いな
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ここって正しい登り道??
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到着!!
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あんまり広くありません。
ここは郡山城の中では南東のほうに位置しています。
標高は293m、比高は約90m 本丸より低め
元就公が全山を城郭化するまで使ってました。
本城に来るまでの間にあった尾崎丸は隆元公の居所だったらしい。 -
街を眺める
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旧本城を見たので下山。
途中で展望台があった。 -
ああ、遠くから見たときにあったやつだ。
ここだったのか。
毛利氏の家紋 一文字に三つ星 -
展望台に登って撮ってみた。
お城の南側。
市役所とか消防署があります。広島市はもっと先だ。 -
郡山公園の近くまで来た。
郡山公園 公園・植物園
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なんだろう?あれは
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明治天皇がお越しになったのか
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清神社(すがじんじゃ)
かつては祇園神社と呼ばれていたそうです。
このすばらしい杉は樹齢700年らしい。清神社 寺・神社・教会
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本殿は元禄七年(1694年)建立
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杉、、一本倒れてしまったらしい。
清神社 寺・神社・教会
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そして御神木として祀られております。
清神社 寺・神社・教会
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こちらの神社には毛利氏が吉田荘に来る前からの棟札が16枚もあるそうです。
歴史民俗博物館にいくつかが展示されてました。 -
立派だなあ(しみじみ)
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でも本殿のまん前にどんってあるところが面白い。
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清神社を出る。
サンフレッチェ広島が必勝祈願で毎年参拝にくるそうです。清神社 寺・神社・教会
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郡山城を遠くからながめる
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