2015/04/27 - 2015/04/27
7位(同エリア46件中)
tomoさん
ソウル行きの航空券がありましたので、
国境見学のツアー(個人では入れません)に参加しました。
一部編集中ですが、7割方出来上がりましたので公開します。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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出発は成田から。
T2から日本航空を利用。 -
上の画像を拡大したもの。
よくみると、副操縦士が女性でした。 -
成田発ですが、
機内食はビビンバ、わかめスープといった韓国料理。 -
到着は仁川国際空港
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ソウルまで電車で1時間ほどかかるだけあり、中心地からは結構離れています。
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私はどこの国に行っても、空港からは電車を最優先で使います。
遅延少ない、料金安い、そして何よりもぼったくり皆無なため。 -
各駅停車に乗ってみました。
日本円換算で450円程度。
空港ー市内のアクセスは他国と比較してもよい部類かと感じます。 -
宿泊はソウル市内。
市内観光はしませんでしたが、風景を数枚撮ってあったので。
2〜3枚ほど -
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集合場所はロッテホテルの6階に午前9時。
出発は同ホテルの2階から。
ここはどのツアー会社も皆同じと思われます。
まず向かったのは、ソウル市にある戦争博物館。 -
戦後50周年の記念造形物。正面にあります。
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兄弟の像
北軍、南軍にいた兄弟が戦場で会った実話から造形化したとのこと。
実物はものすごく大きいです。 -
入り口すぐのロビー。
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戦争時の記録展示。
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巨大な太鼓
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「がおーっ!」
そういえば、韓国は虎をマスコットにしていることが多いですね。 -
戦没者名簿。
国籍は韓国、アメリカを始め、EU、東南アジアと様々 -
国軍、警察、他の戦死者の名前が刻まれていました。
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戦没者検索システム。
日本ではめったに見ないものではないかと。 -
現地警察の職員が来ており、正面で記念撮影をしていました。
平日の昼間だったこともあり、小、中学生の遠足、社会科見学が多かったです。
ここについて書かれている旅行ガイド本がほとんどないこともあり、
日本人はほぼいませんでした。
ちなみに入場料は無料、最寄り駅は地下鉄三角地駅となります。 -
その後はバスで一時間程度走り、国境近くまで。
たまーに北朝鮮が見えます。 -
北朝鮮の山には木が植えていない(枯れている?)ため、
山肌が完全に見えてしまっているのが特徴のようです。
資源がなにもないので、木が成長した次第、後先を考えず全部切ってしまう。とか
脱北者をすぐ見つけるため。とか、
いろいろな説があるとのこと。 -
実に物騒なエリアです。
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臨津閣というエリアで食事、見学。
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周辺エリアの地図。
極めて北朝鮮と近い位置にいるようですが、
まだ国境まで2Kmほどあるそうです -
臨津閣公園全体図。
韓国人が通常行くことができる限界に近い場所で、
観光施設的な側面もあるようです。 -
昼食のプルコギ定食。ツアー代金込み
おかずはいくらでもおかわり可能。
韓国料理で嫌いなメニューはほとんどありませんが、
プルコギだけはあまり。。。。で、おかずばかり食べてました。
ツアー会社に早くチェックインしていれば、欧米の菜食主義者のため、
ビビンバに変えることも可能な場合があるようです -
Gaesong(ケソン) まで22キロ
Seoul まで53キロ。
Gaesongというのは言うまでもなく、北朝鮮です。 -
戦場で使われた列車が展示してありました。
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停戦後、戦場にずーっと放置されていたらしいです。
すごい数の銃弾痕があります。 -
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先の部分が大きく崩壊しているところが、非常に生々しい感じがします。
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この辺りの壁はもれなく鉄条網付き。
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亡くなった家族の墓が北朝鮮にある人などがここに集まり、
ここに供え物をするような日が1年に1度あるそうです。
日本で言う慰霊碑のようなものかと思われます。 -
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泣き崩れてしまう人もいるようです。
決しておちゃらけていい場所ではないと感じました。 -
自由への橋とその周辺。
名前の由来は、捕虜が帰ってくる時に使われたことから -
離ればなれになった家族を思い、泣きながら歩いている人が
たくさんいるようなイメージでしたが、
ここをテーマにした演歌のような曲(何故かとても陽気な感じ)が
常に流れ、陰鬱とした雰囲気はほとんどありませんでした。
私が行った時は、ですが。 -
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北にいる家族宛に書いたであろう短冊その他がたくさんかけてありました。
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上の拡大画像
「親愛なる兄、 キム スウォンへ
兄さん、元気ですか?いつか逢えることを南から毎日祈っています。
弟 キム ミンホ より。」
ハングルはまったく読めませんが、
おそらくそんな感じのことが書いてあるのではと想像します。 -
遠くに見えるのは、ほとんど使われない鉄道路。
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考えさせられますね、いろいろと。
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この公園で30分くらい休憩したあと、バスにのり
国連のビジターセンターなる場所に向かいます。
以後、撮影は許可があったとき以外は不可となりました。
兵士から常に監視されているので、隠し撮りとかはほぼ不可能に思います。
パスポートは必須で、通算2回のチェックがありました。
ビジターセンター到着後、両国の歴史や周辺施設の説明などを聞き、
「どんなハプニングが起きても意義は申し立てない」旨の
書類にサインした後、国連のバスに乗り換え、いよいよ国境近くに向かいます。 -
有名な会議場前。正確には共同警備区域という名称。
かろうじて撮影許可はおりましたが、正面のみ。
左右にカメラを向けてはいけないという条件付き。
大変緊張感があり、ふざけた行動ができる雰囲気ではありません。 -
常に頭の中でターミネーターのテーマが流れている感じです。
♪だだんだんだだん、だだんだんだだん♪ -
北朝鮮側の建物。
そこらじゅうに監視カメラがあるのがおわかりかと思います。 -
拡大画像。
ハングルは読めませんが、
韓国でみる文字とはだいぶ違うような気がします。
書体が違うだけでしょうか? -
ツアー参加者はこの建物(会議場)の中を見学します。
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バックのような物がかけてある扉をあけて中に入ります。
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右側建物
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ピクリとも動きません。
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雨が降ろうが、雪が降ろうが、ここでは毎日立ち続け、警備、監視するようです。
ちなみにこのエリアに勤務できる兵士は、韓国軍の中でも
非常に優秀で、成績、学歴、体格、そして家柄まで徹底的に
調べられた上で配属されたエリートだそうです。 -
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本ツアーのメインである会議場内見学。
建物の約半分は北朝鮮の地となります。 -
会議場の一番端。
この扉を超えると北朝鮮に亡命することになるそうです。
こちらの兵士全員がサングラスをしているのは、視線によるトラブルを
避けるためらしいです。 -
上の拡大画像。
ズボンは完璧にアイロンがかけてあり、靴もピカピカ。
まったく隙がない感じです。 -
窓から国境を撮影。
左側の砂エリアが北朝鮮。
「北朝鮮の地から」撮影しています。 -
右側の砂利エリアが韓国。
「韓国の地から」撮影しています。
たまに北側の兵士がツアー客を見に来るらしいのですが、
今回は遭遇できませんでした。 -
国連の旗から右が北朝鮮、左が韓国。
韓国軍兵士の構えは、テコンドーの基本ポーズらしいです。
兵士と記念撮影をする人多め。
この会議場にいられるのは、体感時間で3〜5分程度。 -
会議場の後で唯一撮影許可がおりた場所。
帰らざる橋。
南と北の捕虜を交換した場所。1度方向を決めたら
二度と帰れなかったことから名付けられた場所だそうです。 -
国連のビジターセンターに戻って休憩。左奥にお土産物店があり、
北朝鮮のワイン、北朝鮮の紙幣といった変わったものも販売されていました。
画像は韓国軍兵士がツアー参加者からの質問を受けていたところ。
非常に流暢な英語で返していたのが印象に残っています。
この後、ツアー会社のバスに乗り換えてソウルのロッテホテルまで帰り解散。
下手すると銃撃戦になり、犠牲になった観光客として名前が残るという
まったくうれしくない可能性もあったので、無事帰れて本当によかったです
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