1975/01/11 - 1975/01/16
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ノスタルジアさん
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今から41年前の昭和49年7月23日から3月7日までの225日間かけて
ナホトカ航路、シベリア鉄道を往復して
ヨーロッパ、モロッコを船、列車、バス、ヒッチハイクで旅しました。
高所恐怖症なので飛行機には現在まで一度も乗った事がありません。
乗り物による移動距離は60,806.8キロ、地球1.52周でした。
観光白書によると昭和49年の日本人の海外旅行者数が200万人、
平成24年度は1849万人、40年ほどで10倍近くなりました。
そんな当時の旅行の資料と写真を少しづつアップして行きます。
今回は、住んでみたい島、ナンバーワン エーゲ海の真珠 ミコノス島
https://www.youtube.com/watch?v=IqfjmiUgONc
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
旅行記の周辺地図
昭和50年1月9日
この頃、乗り物にはついていない。
アテネのピレウス港14時発の船に乗ってミコノス島へ行く予定だったが、
荒天の為、17時発に、ところが18時なっても出港せず、結局21時になって
中止となった。1日の大半を船内で過ごした感じ。
1月10日
アテネ市内観光
1月11日
アテネ〜ミコノス島
1月12日〜14日
ミコノス島
1月15日
ミコノス島〜アテネ
1月16日
アテネ〜スニオン岬〜アテネ
-
昭和50年1月9日
アテネ ピレウスからミコノス島
船賃138ドラクマ1,315円の領収書
この日荒天の為出港せず。
ピレウスは映画「日曜はダメよ」の舞台地
https://www.youtube.com/watch?v=VzNIG5BXmm0 -
ピレウス港からのエーゲ海航路の時刻表
-
ピレウス港からのエーゲ海航路時刻表
-
昭和50年1月11日
ギリシャ エーゲ海
エーゲ海とは地中海の東部、東をトルコに、北と西をバルカン半島、
南をクレタ島に囲まれた海域をいう。
ダーダネルス海峡からマルマラ海へ、更にボスポラス海峡を経て
黒海にへ通じる。 -
昭和50年1月11日
ギリシャ エーゲ海
ギリシャ人が紀元前からこの海域に進出し、高度な文化が展開した。
中でもエーゲ文明期にはクレタ島を中心とする文化と、それに続く
ミケーネ文化がこの海域を文化圏として栄えた。 -
昭和50年1月11日
ギリシャ エーゲ海
さらに時代を下ると、アテナイやスパルタに代表される多くの
都市国家により形成された古代ギリシャ文明が生じた。
他にもペルシャ、ローマ帝国、東ローマ帝国、ヴェネツィア、
そしてオスマン帝国がエーゲ海周辺に国家を形成した。
ヨーロッパとアジアを結ぶ中継地として中世以降も繁栄した。 -
昭和50年1月11日
ギリシャ エーゲ海の夕陽
エーゲ海は大小合わせておよそ 2,500 の島々が浮かぶ多島海である。
大半はギリシャに属しているが、ボズジャ島とギョクチェ島については
トルコ領となっている。
エーゲ海の島々はいくつかの諸島に分類される。
北エーゲ諸島、エヴィア島、スポラデス諸島、キクラデス諸島、
サロニカ諸島、ドデカネス諸島それにクレタ島である。
エーゲ海沿岸はリアス式海岸が多く、天然の良港になっている。
しかし、古代・中世にはエーゲ海の航海は決して安全なものではなかった。 -
昭和50年1月11日
ギリシャ エーゲ海の夕陽
火山島が多く、大理石や鉄の産地でもある。
クレタ島のような比較的面積の大きな島には肥沃な耕地が広がるが、
多くの島は農業に適していない。
しかし、地中海性気候のため、まばゆい太陽が輝く夏季には、
太陽に恵まれない地域から多くの観光客が訪れる。 -
昭和50年1月11日〜15日
ギリシャ ミコノス島
4泊したユースホステル
船は沖合に止まり、乗船客は小さなはしけに乗り移るのだが、
デッキから吊り下げられた縄梯子で降り、最後は飛び降りなければならない、
はしけが波で横揺れ、縦揺れしているので結構スリルだった。
島の小さな波止場に着いたのは夜も更けた頃だったが、波止場には
村中の人が詰めかけていた。 -
昭和50年1月11日〜15日
ギリシャ ミコノス島
4泊したユースホステルの宿泊スタンプ -
昭和50年1月12日
ギリシャ ミコノス島で
ミコノス島はキクラデス諸島北東部に位置し、シロス島から東へ約35km、
首都アテネから南東へ約155Kmの距離にある。
ミコノス島の面積は86K?で、標高は最高地点で364m。
地質は主に花崗岩。水源は少なく、海水の淡水化によって生活用水の
需要に応えている。 -
昭和50年1月12日
ギリシャ ミコノス島で
エーゲ海の島というと、まず浮かんで来るのがミコノスという
小さな島である。
印象を一口に言うと、白、純白、光り輝く「白」であった。 -
昭和50年1月12日
ギリシャ ミコノス島で
家の壁、島名物の風車の塔、教会、石畳の道、全て白の漆喰で
塗り固めてあって、海上の船から見るとその小さな村全体が、
夢幻の如く浮かび上がるのだった。 -
昭和50年1月12日
ギリシャ ミコノス島で
夜、外に出て見れば、それがまた雪国の景色でもあった。
夢のようなおとぎの国は実在すると思った。 -
昭和50年1月12日
ギリシャ ミコノス島で
20分も歩けば一回り出来るこの小さな島の村には、2軒に一つの割合で
教会が333もある。
教会といっても小さな御堂だが、全て立派な漆喰壁造りで、
鐘もちゃんと持っている。
どうしてこんな事になったかというと、ここは漁村だからしけに遭うと、
漁師たちは神様にこのしけを鎮めて下されば教会を一つ造ります、と
神にに祈ったのである。
彼らは嘘をつかないので、2軒に一つの割合で教会が存在するようになった。 -
昭和50年1月12日
ギリシャ ミコノス島で
教会の鐘は、外から紐で引っ張って簡単に鳴らせるようになっているから、
夕方になると、その333の教会の鐘が全て鳴り始めて、やたらやかましいのだが、
これは車の騒音とかと違って、神経に障る音ではなかった。
ここには映画館などの娯楽施設は何も無い。
その代り、ここの人々は不思議な楽しみを持っていた。
海に沿って200mばかりの舗道があるが、日曜日の夜は、この200mを
往ったり来たりするのが習わしになっていた。
そこに行けば村の誰かに会える一種の社交場だった。
12日は日曜日だったので行って見たが、なかなか楽しいものであった。 -
昭和50年1月12日
ギリシャ ミコノス島でイギリス人と
ユースホステルで同宿だった美人のイギリス人だったので、
折角だから、ツーショットをどアップのハネムーンモードの設定で
撮って欲しかった。
https://www.youtube.com/watch?v=iAHTaceBPCM -
昭和50年1月12日
ギリシャ ミコノス島で
昼食後、島に1軒しかない食堂の前で、行き倒れではなく昼寝。
どこを歩いてもゴミも無く、綺麗そのものだった。 -
昭和50年1月14日
ギリシャ ミコノス島 30ドル8,550円に両替 1ドラクマ9.53円
ミコノス島に銀行があった! -
昭和50年1月14日
ギリシャ ミコノス島で -
昭和50年1月14日
ギリシャ ミコノス島で
毎日、散歩以外にする事がなく、退屈であるが、島の高台からエーゲ海を
眺めてのんびりと1日中、何となく過ごすのも悪くは無い。
イタリアと違ってぼられる心配もなく、盗難の心配も無く、実に過ごしやすい
所である。 -
昭和50年1月14日
ギリシャ ミコノス島で
こういうメルヘンチックな島にいると、自分が旅行者だと忘れてしまい
夢見心地か夢うつつの世界から脱け出す気持ちも失せそうになった。 -
昭和50年1月14日
ギリシャ ミコノス島で
全てを忘れて時がゆっくりと流れていく。 -
昭和50年1月14日
ギリシャ ミコノス島で
Wind is blowing from Aegean. -
昭和50年1月14日
ギリシャ ミコノス島 -
昭和50年1月14日
ギリシャ ミコノス島で買ったセーター、
当時ミコノス製のセーターは有名だった。 -
昭和50年1月14日
ギリシャ ミコノス島で買ったセーターのタグ
ハンドメイド100%ウールで4,000円だった。
今も着ている。 -
昭和50年1月15日
ミコノス島からアテネ ピレウス港
船賃146ドラクマ1,392円の領収書
晴天だったが風が強く、船の出港が2時間半遅れた。
ローリングが激しく日本の船と違って、横になれる部屋はなく
全部椅子席の為、乗船客の船酔いが続出した。
船酔い客の中には胃からの吐出物を噴水のように噴き上げていた。 -
昭和50年1月15日
ピレウス港からオモニア広場
バス切符 15ドラクマ143円 -
昭和50年1月16日
アテネからスニオン岬 バス切符39.00ドラクマ372円 -
昭和50年1月16日
スニオン岬 ポセイドンの神殿遺跡で
Wind is blowing from Aegean.
スニオン岬は、アテネの南南東約69kmに位置し、
アッティカ半島の最南端にあって、ギリシア神話の「海の神」である
ポセイドンの神殿遺跡で知られている。
ポセイドンとはギリシャ神話の海の神で、また地震と馬の神。
クロノスとレアの子でゼウスの兄。
彼は三叉の槍を持っており、それを上向けると波風が逆巻き起こり、
下向けるとたちまち海が穏やかになる。
エーゲ海の語源となったギリシア神話の登場人物である
アテーナイの王アイゲウスが絶望から身を投じた場所とされている。 -
昭和50年1月16日
スニオン岬 ポセイドンの神殿遺跡で
ドーリア式の柱は、初期には下部直径と高さの比が1対4.5位、
後にはそれが1対6位になった。
何れにせよ柱は下が太く、上が細く、中間がエンタシスを持ち、
重々しくどっしりした感じで基壇の上に直に立ち、簡素な柱頭を戴いていた。 -
昭和50年1月16日
スニオン岬 ポセイドンの神殿遺跡
柱には16ないし20本の浅い舟形の溝が付けてあり溝と溝とは接している。
これがギリシャの強烈な陽光の中で、柱に微妙な陰鬱を生み出し、
ドーリア式神殿の荘重な感じを倍加している。
またイオニア式に比し、柱が太いだけでなく柱間距離が狭いことも、
ドーリア式神殿が重々しく見える大きな理由である。 -
昭和50年1月16日
スニオン岬からアテネ バス切符35.50ドラクマ338円
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