2015/03/22 - 2015/03/22
767位(同エリア1311件中)
ひま人さん
尼寺で知られる村雲御所瑞龍寺門跡は、八幡山(鶴翼山)の南半分にあった八幡山城の跡に創建されました。豊臣秀吉の実姉、智(日秀尼)の子である豊臣秀次は、近江八幡で様々な善政を布いたと言われますが、秀吉により突然に悲劇に見舞われます。そして、現在の町並みは、その秀次が築いた城下町を基礎とし、近世に商業都市として発展しました。国鉄時代に駅が市街地より遠くに設置されたため、幸いにして往時の町並みが遺され、八幡堀ではよく時代劇の映画やドラマの撮影が行われたりもします。
今回は、古代からの由諸を伝える日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)をお参りし、ロープウェイで八幡山に登り、村雲御所や八幡山城跡を拝観、見学した後、八幡堀や興趣のある街並みをぶらりと散策しました。
写真は日牟禮八幡宮鳥居です。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 3.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス JRローカル 私鉄 徒歩
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日牟禮(ひむれ)八幡宮楼門。近江商人の守護神として、千有余年の歴史を誇る神社であり、人々の熱い信仰と加護により繁栄し続け、今日に至ります。
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拝殿。
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本殿。祭神は誉田別尊(ほんたわけのみこと)、息長足姫尊(おきながたらしのみこと)、比賣神(ひめかみ)の三柱です。二大火祭りの「左義長まつり」と「八幡まつり」は国の選択無形民俗文化財です。境内地は八幡伝統的建造物群保存地区になっています。
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左義長祭りで使用される「松明」です。
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八幡山ケーブルカー。約5分で山頂の八幡山(標高272m)に着きます。
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瑞龍寺山門。
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瑞龍寺本堂。智(秀吉の実姉)は子供のいない弟・秀吉に長男の秀次を養子として出していたが、文禄4年(1595年)秀次は切腹を命じられ、秀次の妻子も三条河原で処刑。残された智は処刑された子や孫の菩提を弔うために出家、以前から帰依していた日蓮宗による寺院を嵯峨の村雲に開きました。この時村雲の寺地と「瑞龍寺」の寺号、寺領1000石を与えたのが後陽成天皇であり、このため瑞龍寺は日蓮宗寺院では唯一の門跡寺院となり、別名を「村雲御所」と称するようになりました。
昭和36年(1961年)、京都今出川堀川から秀次ゆかりの八幡山城址に移築されました。 -
瑞龍寺中庭。本丸跡。
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豊臣秀次銅像原型。秀次が高野山に追放され、やがて切腹を命じられたのは、秀吉の側室「淀の方」に秀頼が生まれ、関白の位が、我が子に還らないのではとの思いで秀吉に迫ったのでは?
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八幡山から琵琶湖の眺望。
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八幡山城址西の丸下の石垣。
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二の丸下の算木積み石垣。
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八幡堀。安土桃山時代に豊臣秀次が八幡山城を築城した際、市街地と琵琶湖を連結するために造られました。城下町の都市計画として整備され、城を防御する軍事的な役割と、当時の物流の要であった琵琶湖の水運を利用する商業的役割を兼ね備えたものです。八幡堀により船や人の往来が増えたことで商業が発達し、八幡山城廃城後の江戸時代には、近江商人による町の発展に大きな役割を果たしました。
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八幡堀遊覧船で水郷めぐりが出ています。
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かわらミュージアム。国内でも珍しい瓦専門の展示館。近江八幡の地場産業でもある八幡瓦を中心に世界の瓦などを紹介しています。ミュージアムそのものに瓦の魅力がいかされ、趣きある建物のなっています。瓦粘土を使った体験教室も開催しています。
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かわらミュージアム。金箔瓦の展示。
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近江兄弟社学園。大正11年(1922年)に、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏とその妻・一柳満喜子夫人によって創立されたプロテスタント系の学校です。
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近江兄弟社学園ハイド館。大正11年当時の建物である教育会館は、ハイド館とともに国の登録有形文化財に指定されています。手前の胸像は一柳満喜子像です。
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一柳記念館。かつてのヴォーリス夫妻宅であり、夫妻ゆかりの品々を展示しています。
ヴォーリス(日本名・一柳米來留/ひとつやなぎめれる)は明治38年、滋賀県立商業学校(現八幡商業学校)に英語教師として来日しました。熱心なキリスト教伝道活動を行うとともに、「建物の風格は、人間と同じく外見よりもむしろその内容にある」との信条で、全国で約1600に及ぶ建築設計に携わりました。
メンソレータム(現メンターム)を日本に輸入した人でもあり、当時不治の病として恐れられた結核治療を目的とした近江サナトリアム(現ヴォーリス記念病院)の建設、さらには、市内の子供たちの教育の場として、図書館や近江兄弟社学園の設立など、多岐にわたる社会貢献事業を展開しました。 -
旧八幡郵便局、ヴォーリスの設計。
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旧伴家住宅、市指定文化財。伴庄右衛門家は江戸初期から活躍した八幡商人の一人で、屋号を「扇屋」といい、主に畳表、蚊帳を商い豪商となりました。この伴家住宅は7代目が文政10年(1827年)より天保11年(1840年)の10数年かけて建築したものです。後、明治になって当時の八幡町に譲渡してから小学校、役場、女学校として利用されました。戦後は近江兄弟社図書館となり、のち近江八幡市立図書館として親しまれていました。
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郷土資料館(市立資料館)。かつての警察署。昭和49年より資料館として利用されています。
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新町の町並み。
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白雲閣。明治10年(1877年)に八幡東小学校として建てられた擬洋風建築です。当時のお金で6000円という建築費は、大半が市民の寄付によるもので、擬洋風建築として貴重なものです。現在は1階が観光案内所や観光物産館になっています。
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白雲閣。
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