2015/02/28 - 2015/02/28
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Wind99さん
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東京都大田区の池上七福神を廻ってきた。
この季節がら、池上梅園も楽しめた。
また隣接する本門寺は日蓮宗の本山であり、七福神と合わせて、その見所がたっぷりあった。
季節と歴史を味わえる散策になった。
七福神廻りは、江戸庶民の宝探しゲームを兼ねた遊び?と思え、楽しかった。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
まずは最寄近くの大田区蒲田で、昼食からスタート。
有機野菜を中心とした料理を提供しているレストラン。
最近精進料理に興味があり、それで知った大豆のから揚げ。
ランチの鶏のから揚げ。(まるで鶏肉のようだけど実は大豆)
ごはんは、もちもち玄米ごはん。(見ても食べても鶏肉と区別できなかった) -
初めて乗る東急池上線。2つ目の池上駅で降りる。
昔、歌にあったなー(注:1976年)。
七福神は南から廻る。 -
①曹禅寺 布袋尊
いきなり大きな欄干柱があった。
江戸・寛永年間に、京都三条大橋に建てられた欄干橋柱で、昭和九年の室戸台風で決壊したが、東詰に残された1本。縁あって寄贈された。 -
七福神は、このお寺から廻るか、逆ルートかの選択になる。
スタンプを押す色紙の販売は、ここと7番目のお寺しか行っていないため。 -
小さい境内であったが、石庭、滝、枯山水ときれいにまとまっていてテンションが上がった。
そしてよく探すと、ふっくらしたお腹と優しい顔の布袋さんが居た。
隣には筆塚もあった。 -
②微妙庵 毘沙門天
相撲の尾上部屋(以前は外人力士のバルトが入門していた)の角を曲がり、到着。
それらしきお方が居ない。きょろきょろし、毘沙門天を探す。 -
念のため、扉の中を覗くと、居られた。
ガラス越に見ることが出来たが、もし先ほどの布袋尊のイメージが無かったら、特に探さなかったかもしれない。 -
③馬頭観音堂 大黒天
R1号沿いの池上警察署の裏手にあった。
階段を上がると、和服姿の銅像が立っていた。 -
その右手にお堂があった。
堂内にはいろいろなものが飾ってあったが、どれが馬頭観音だったか分からず。 -
大黒天は左奥に居られた。
ここを調べていて知ったのだが、大黒様は後ろから見ると、男性のシンボルのシルエットとなり、全国にある五穀豊穣や子孫繁栄を表したものと言えるそうだ。
なので、円形の米俵の玉2つに乗っている様なのだ。 -
お堂の手前に大黒天の打出の小槌があった。
がねずみがそれを占拠していた。 -
この道は、鎌倉に通じた古道があり、平間街道あるいは池上道と呼ばれたらしい。
東海道の整備まで主要道路だったと知り、そわそわしながら歩く。
道沿いに古い経塔があった。 -
その古道の脇に、六郷用水を埋め立てて歩道にした(と思える)道があった。
-
その説明看板があった。
江戸時代、六郷用水と二ヶ領用水の大事業を成し遂げた小泉次大夫は、家康から糀谷の領地を拝領し、領主になった。
先の野川廻りの次大夫公園で知っていた。 -
この古道と池上本門寺の参道の交差点には、池上発祥と言われるくずもちの老舗が向き合って、営業していた。上質のでん粉を1年以上発酵させて精製する発酵食品だったのだ。
趣のある相模屋に入る。創業は創業は享保年間で、現在12代目だそうだ。
店に入ると、メニューは無く、写真のくずもち(@410円)が出てくる。
また、見逃すところだったが、店の角には、古い道標が現存していた。
道標は1696年に建てられこれよりひだりかわさきみち、みぎこすぎみち」を書かれている。 -
通りの向かいには、古い作りの酒屋さんがあった。
調べると明治8年(1875年)に建てられた『萬屋酒店』であった。 -
④本成院 福禄寿
参道沿いに出た。にぎやかな参道で、本門寺の上り階段がすばらしい。
境内には見当たらず、扉の中を覗いてみた。 -
室内の一番奥に見えたが、簾で、お顔が隠れて見えなかった。残念。
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本門寺の総門をくぐると、およそ100段の階段が見えた。(実際は九十六段の此経難持坂(しきょうなんじざか)で「法華経」宝塔品の詩句九十六文字にちなんでいるそうだ)
なんともこの風情は、京都を思わせる景色で、まさか東京で味わうことが出来るとは。
また右手には早咲きの桜で有名な河津桜が満開だった。
ここは一旦戻って左折し、次の七福神を目指す。 -
⑤厳定院 弁財天
七福神で唯一の紅一点。(これも知らなかった) -
本堂に相向かって石造りの弁天宮にいらっしゃいました。
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直ぐのところに、池上本門寺の大坊本行寺があり、そこは日蓮の「ご臨終の間」があるところ。
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その中に入って、お線香を上げることができる。
その臨終の間には、最後までより掛かっていた竜の彫刻の柱(お寄り掛かりの柱)が残っていた。 -
その臨終の間に後ろの庭園は何かが違って見え、池の水の色がややうす黒く、そのせいか落ち着いた雰囲気であった。
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多くの人でにぎわっていた池上梅園に来た。
丘陵斜面を利用した庭園で、遠くの梅が透けて見えよりきれいに見える。 -
ここは大田区立だから、なんと入場料100円。
この梅は座論梅(ざろんばい)という品種。
大田区には4本しかないそうである。 -
8畳の間が3つある和室。
ここから見るのが趣があった。 -
白い梅の向こうに赤い梅が見えて、きれいだ。
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しだれた姿も格別に良い。
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今度は道を引き返し、池上本門寺の正面の階段を過ぎ、区立の池上会館に入る。
そのエレベーターで展望台に昇ると、実は本門寺の96段の階段を歩かずに、五重塔を経由して本堂へ行けてしまうのだ! -
1608年建立で、関東では最も古い重要文化財だ。
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近くで見ると塗装等新しい感じで、調べてみると平成6年に解体、大修理を行ったとのこと。
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ここには昭和の大スター・プロレスラーの力道山の墓があり、5〜6人の見学者がいた。
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前田利家室の層塔
この塔は、前田利家の側室、寿福院が、元和八年(1622)に、自身の逆修供養のために建てた十一種の層塔で、寿福院は、三代加賀藩主、利常の生母である。
人質として江戸に来た。現在わずか五重を残すのみである。 -
大きな本堂へお参りした。
本堂の奥庭に松涛園(ショウトウエン)という、伝小堀遠州・池泉回遊式庭園がある。
実はそこで、西郷隆盛と勝海舟による江戸城を無血開城に導いた会見碑があるのだが、通常は非公開。年一回の公開日を待てだ。
今までは、勝手に両雄の歴史的な会見場所は品川だと思っていた。 -
⑥照栄院妙見堂 樹老人(寿老人)
本堂が夕暮れの光で明るくなった。お寺の方が本堂の雨戸を閉め出しており、そこに出くわすと、中へどうぞと入れてくれた。ラッキー。 -
むむむ。おや? 老人?
後で調べると本堂に居られたのは、江戸初期の妙見菩薩立像であった。
非公開とあったが、お寺の方が見せてくれたのだった。感謝。
実際の樹老人は、境内の小さな祠に居た様であったが、通常は閉じられている様だった。 -
妙見菩薩立像の足元には、ヘビと亀がいたが、この鳥居の足元もそうだという。
頭は掛けてしまっていたが、それと分かる。 -
7番目の七福神も、時間で閉まってしまうかもと、道を急ぐが、おっと大きな墓地があった。
池上永寿院の万両塚だ。
真ん中の背の高い墓は、約300年前の芳心院墓所だ。(家康の孫娘) -
その墓地の片隅に、古墳があった。
この万両塚を作る時に、古墳が発掘されたようだ。古墳は約1500年前だが、
その横には約2000年前の弥生住居跡もあった。 -
振り向くと、おっ。
大きな芳心院墓の向こうに、五重塔が見えた。
ここはやはり古都と行っても良い風景だ。 -
⑦養源寺 恵比寿
呑川に面した道沿いにある最後の参拝スポット。
ここは、お寺の玄関扉を開けて入る。 -
玄関先に恵比寿さんがいた。やったー。初めて7つ廻ったw
ここの河津桜もきれいなのよーと、山側の桜を案内してくれた女性がいた。
当初お寺の方かと思ったが、一般の参拝者だったようだ。 -
でもこの周辺にきれいに咲いていた桜が、河津桜だと分かってうれしかった。
もう陽が暮れて来た。
夜は教えて頂いた蒲田のスペインバルで、アヒージョとシェリー酒で疲れを癒し満喫した。
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