朝倉・甘木・小郡旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 二泊三日の二日目の後半から大分より福岡に入り、黒田家ゆかりの地、伊藤伝右衛門・柳原白蓮ゆかりの地を巡りました。 秋月城下町、うきは市・筑後を町並み散策。原園温泉に宿泊。三日目には伊藤伝右衛門旧邸、福岡博物館、福岡城址を見学後帰路に着きました。<br /> 写真は秋月の眼鏡橋(県指定有形文化財)です。城下町入口に架かり、秋月藩第8代藩主の黒田長舒(ながのぶ)は、本藩黒田藩に変わって長崎警護に就き、かの地で石橋群をはじめて見てその頑丈さに驚きました。帰国して、秋月の下野鳥川に架かる木橋が流されたり、腐ったりして維持費に頭を痛めており、文化2年(1805年)に家老宮崎織部等の進言もあり、ようやく石橋の架橋に踏み切りました。<br /> 長舒は、元々秋月氏出身ですが、父・秋月種茂の母が黒田家の出で、秋月藩7代藩主に後継ぎがなかったことから、血縁によって20歳頃に黒田家に入り、秋月藩主になったという経歴の持ち主です。<br /> 文化4年(1807年)、2年の工期でほぼ完成していた石橋は大音響とともに崩壊してしまいます。苦しい財政の中から無理算段した架橋工事すべてが水泡となった衝撃は、病床にあった長舒公を直撃し、43歳の若さで急逝してしまいました。しかし、石橋建設の要望が住民の間にも高まり、2年後の文化6年(1809年)秋に再び着工。文化7年にやっと完成したのがこの眼鏡橋で、御影石のオランダ風アーチ橋であり、花崗岩で造られた両側が階段式になった全国唯一の石橋です。橋の長さ17.9m、幅4・5m。

黒田家ゆかりの道筋で「出会いと別れ」を思う(2)/福岡県・朝倉市、うきは市、飯塚市、福岡市

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2015/01/29 - 2015/01/31

187位(同エリア300件中)

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ひま人

ひま人さん

 二泊三日の二日目の後半から大分より福岡に入り、黒田家ゆかりの地、伊藤伝右衛門・柳原白蓮ゆかりの地を巡りました。 秋月城下町、うきは市・筑後を町並み散策。原園温泉に宿泊。三日目には伊藤伝右衛門旧邸、福岡博物館、福岡城址を見学後帰路に着きました。
 写真は秋月の眼鏡橋(県指定有形文化財)です。城下町入口に架かり、秋月藩第8代藩主の黒田長舒(ながのぶ)は、本藩黒田藩に変わって長崎警護に就き、かの地で石橋群をはじめて見てその頑丈さに驚きました。帰国して、秋月の下野鳥川に架かる木橋が流されたり、腐ったりして維持費に頭を痛めており、文化2年(1805年)に家老宮崎織部等の進言もあり、ようやく石橋の架橋に踏み切りました。
 長舒は、元々秋月氏出身ですが、父・秋月種茂の母が黒田家の出で、秋月藩7代藩主に後継ぎがなかったことから、血縁によって20歳頃に黒田家に入り、秋月藩主になったという経歴の持ち主です。
 文化4年(1807年)、2年の工期でほぼ完成していた石橋は大音響とともに崩壊してしまいます。苦しい財政の中から無理算段した架橋工事すべてが水泡となった衝撃は、病床にあった長舒公を直撃し、43歳の若さで急逝してしまいました。しかし、石橋建設の要望が住民の間にも高まり、2年後の文化6年(1809年)秋に再び着工。文化7年にやっと完成したのがこの眼鏡橋で、御影石のオランダ風アーチ橋であり、花崗岩で造られた両側が階段式になった全国唯一の石橋です。橋の長さ17.9m、幅4・5m。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
3.5
グルメ
4.0
ショッピング
4.0
交通
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
高速・路線バス 観光バス 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
  •  秋月城下・杉の馬場。お城の前に真っ直ぐに伸びた道が「杉の馬場」で、武士たちの馬術の稽古に使われたので「馬場」と呼ばれました。<br /> 秋月黒田藩時代、杉の大木が密生していたのでこの名があります。明治に入り町の人たちにより直線500mの両側に200本の桜の木が植えられ、福岡県有数の花見の名所になっているそうです。

     秋月城下・杉の馬場。お城の前に真っ直ぐに伸びた道が「杉の馬場」で、武士たちの馬術の稽古に使われたので「馬場」と呼ばれました。
     秋月黒田藩時代、杉の大木が密生していたのでこの名があります。明治に入り町の人たちにより直線500mの両側に200本の桜の木が植えられ、福岡県有数の花見の名所になっているそうです。

  •  秋月郷土館(戸波半九郎屋敷跡)。旧藩士・戸波氏の屋敷を整備して1965年に開館した郷土資料館です。秋月黒田家ゆかりの品々、藩主愛用の甲冑や刀剣のほか、秋月の歴史を伝える文書、書籍、肖像画、屏風などを多数展示、また、秋月出身者の寄贈による日本や西洋の名画、陶磁器類や民具なども展示されています。

     秋月郷土館(戸波半九郎屋敷跡)。旧藩士・戸波氏の屋敷を整備して1965年に開館した郷土資料館です。秋月黒田家ゆかりの品々、藩主愛用の甲冑や刀剣のほか、秋月の歴史を伝える文書、書籍、肖像画、屏風などを多数展示、また、秋月出身者の寄贈による日本や西洋の名画、陶磁器類や民具なども展示されています。

  •  郷土館敷地内の戸波半九郎屋敷跡。

     郷土館敷地内の戸波半九郎屋敷跡。

  •  稽古館(けいこかん)跡・藩校跡。

     稽古館(けいこかん)跡・藩校跡。

  •  長屋門(県指定有形文化財)。秋月城跡の梅園の入り口に建つ長屋門で、江戸時代初めに御館奥御殿の御門として造られました。門の両側に門番などが住む長屋が続いているのが特徴です。

     長屋門(県指定有形文化財)。秋月城跡の梅園の入り口に建つ長屋門で、江戸時代初めに御館奥御殿の御門として造られました。門の両側に門番などが住む長屋が続いているのが特徴です。

  •  黒門(県指定有形文化財)。鎌倉時代に古処山城の城門として造られましたが、江戸時代初めに秋月城の大手門として移されました。明治時代以降、垂裕(すいよう)神社の神門に使われるなどして700年余の歴史を持つ古い御門です。

     黒門(県指定有形文化財)。鎌倉時代に古処山城の城門として造られましたが、江戸時代初めに秋月城の大手門として移されました。明治時代以降、垂裕(すいよう)神社の神門に使われるなどして700年余の歴史を持つ古い御門です。

  •  秋月藩藩士・旧田代家住宅(市指定有形文化財)。

     秋月藩藩士・旧田代家住宅(市指定有形文化財)。

  •  秋月武家屋敷・久野邸。

     秋月武家屋敷・久野邸。

  •  古心寺本堂・臨済宗大徳寺派。正保4年(1649年)福岡藩主黒田長政公の三男長興公が長政公の25年忌供養のため建立した黒田家菩提寺です。

     古心寺本堂・臨済宗大徳寺派。正保4年(1649年)福岡藩主黒田長政公の三男長興公が長政公の25年忌供養のため建立した黒田家菩提寺です。

  •  黒田家墓所。

     黒田家墓所。

  •  黒田家墓所。奥の一角に黒田家十二代までの藩主、正室、側室、子女達の墓が並んでいます。高さが2mあるお墓がずらりと並んでおり、墓石は秋月石と呼ばれる花崗岩で、100年以上の風雪にもびくともしない代物だそうです。

     黒田家墓所。奥の一角に黒田家十二代までの藩主、正室、側室、子女達の墓が並んでいます。高さが2mあるお墓がずらりと並んでおり、墓石は秋月石と呼ばれる花崗岩で、100年以上の風雪にもびくともしない代物だそうです。

  •  三連水車。「三連水車の里」と呼ばれる朝倉市ですが、約220年前、自動回転式の重連水車が設置され、日本最古の実働する水車「朝倉の水車群」として全国的に有名で、平成2年に「堀川用水」とともに国の史跡に指定されました。

     三連水車。「三連水車の里」と呼ばれる朝倉市ですが、約220年前、自動回転式の重連水車が設置され、日本最古の実働する水車「朝倉の水車群」として全国的に有名で、平成2年に「堀川用水」とともに国の史跡に指定されました。

  •  三連水車。

     三連水車。

  •  恵蘇(えそ)八幡宮鳥居。

     恵蘇(えそ)八幡宮鳥居。

  •  恵蘇八幡宮拝殿。上座郡(じょうざぐん:旧朝倉町及び旧把木村と東峰村)の総社で、宇佐八幡宮より勧請して応神天皇を主祭神として、673年に斉明天皇・天地天皇を合祀したとされます。中大兄皇子(後の天智天皇)が、この地で崩御された斉明天皇の喪に服された「木の丸御殿」であり、その時に詠まれたのが「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ」(小倉百人一首第1番)といわれる歌碑、獅子頭、絵縁起など数々の文化財が遺されています。

     恵蘇八幡宮拝殿。上座郡(じょうざぐん:旧朝倉町及び旧把木村と東峰村)の総社で、宇佐八幡宮より勧請して応神天皇を主祭神として、673年に斉明天皇・天地天皇を合祀したとされます。中大兄皇子(後の天智天皇)が、この地で崩御された斉明天皇の喪に服された「木の丸御殿」であり、その時に詠まれたのが「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ」(小倉百人一首第1番)といわれる歌碑、獅子頭、絵縁起など数々の文化財が遺されています。

  •  拝殿天井の干支かざり。

     拝殿天井の干支かざり。

  •  恵蘇八幡宮本殿。

     恵蘇八幡宮本殿。

  •  うきは市筑後吉井の町歩き。久留米と天領日田を結ぶ豊後街道の宿場町として生まれました。<br /> 筑後吉井の町並みは明治初期までに3回の大火に見舞われました。この経験を生かして生まれたのが完全防火の白亜の御殿です。漆喰や鉄の扉で防火対策を施しました。こうした建物が作り出す町並みの歴史的価値が認められ、平成8年、国の重要伝統的建造群保存地区に選定されました。

     うきは市筑後吉井の町歩き。久留米と天領日田を結ぶ豊後街道の宿場町として生まれました。
     筑後吉井の町並みは明治初期までに3回の大火に見舞われました。この経験を生かして生まれたのが完全防火の白亜の御殿です。漆喰や鉄の扉で防火対策を施しました。こうした建物が作り出す町並みの歴史的価値が認められ、平成8年、国の重要伝統的建造群保存地区に選定されました。

  •  筑後吉井の町並み。

     筑後吉井の町並み。

  •  筑後吉井の白亜の建物・鏡田屋敷。

     筑後吉井の白亜の建物・鏡田屋敷。

  •  旧伊藤伝右衛門邸長屋門。屋敷前の道路は長崎街道です。<br /> 伊藤伝右衛門は、若い頃は魚の行商や船頭など職を転々としながら、赤貧生活を続けますが、やがて父と手掛けた炭鉱事業が時流に乗り、のちに、“筑豊の炭鉱王”と呼ばれるまでになります。明治43年に長年苦楽を共にした妻ハルが45歳で病に倒れ、他界してしまいます。その後、本邸が舞台となる運命の女性、歌人・柳原白蓮(やなぎはらびゃくれん)と再婚することになります。<br /> 柳原白蓮の本名は燁子(あきこ)といい、燁子は大正天皇の従妹にあたります。当時の柳原家は資金難に陥っており、燁子は兄の柳原義光が貴族議員に出馬するための資金が必要だったため、炭鉱王の莫大な資金と引き換えに「売られた」政略結婚として当時騒ぎ立てられました。

     旧伊藤伝右衛門邸長屋門。屋敷前の道路は長崎街道です。
     伊藤伝右衛門は、若い頃は魚の行商や船頭など職を転々としながら、赤貧生活を続けますが、やがて父と手掛けた炭鉱事業が時流に乗り、のちに、“筑豊の炭鉱王”と呼ばれるまでになります。明治43年に長年苦楽を共にした妻ハルが45歳で病に倒れ、他界してしまいます。その後、本邸が舞台となる運命の女性、歌人・柳原白蓮(やなぎはらびゃくれん)と再婚することになります。
     柳原白蓮の本名は燁子(あきこ)といい、燁子は大正天皇の従妹にあたります。当時の柳原家は資金難に陥っており、燁子は兄の柳原義光が貴族議員に出馬するための資金が必要だったため、炭鉱王の莫大な資金と引き換えに「売られた」政略結婚として当時騒ぎ立てられました。

  •  表玄関。旧伊藤伝右衛門邸の規模は、敷地面積約7500?、建物延床面積約1000?。<br /> 建物内部は、白蓮を迎え入れる為、京都からわざわざ宮大工を呼び寄せ枝を尽くさせたといいます。<br /> しかし、その一方で伝右衛門は昔から続く女遊びが収まらず、さらに25歳という年齢差もあり、二人の心には結ばれることのない溝が生まれていきます。それでも伝右衛門は愛する白蓮のために、何冊も歌集を出版してあげたし、白蓮も病に倒れた伝右衛門の看病もしたといわれています。<br /> そんな日々が続く中、白蓮35歳の時に、7歳年下であった雑誌「解放」の記者・宮崎龍介と恋に落ちてします。

     表玄関。旧伊藤伝右衛門邸の規模は、敷地面積約7500?、建物延床面積約1000?。
     建物内部は、白蓮を迎え入れる為、京都からわざわざ宮大工を呼び寄せ枝を尽くさせたといいます。
     しかし、その一方で伝右衛門は昔から続く女遊びが収まらず、さらに25歳という年齢差もあり、二人の心には結ばれることのない溝が生まれていきます。それでも伝右衛門は愛する白蓮のために、何冊も歌集を出版してあげたし、白蓮も病に倒れた伝右衛門の看病もしたといわれています。
     そんな日々が続く中、白蓮35歳の時に、7歳年下であった雑誌「解放」の記者・宮崎龍介と恋に落ちてします。

  •  応接室。<br /> 勉学にいそしむ暇もなく炭鉱一筋で続けてきた無学の伝右衛門と比べ、東大でのインテリで年下の龍介に白蓮は心惹かれます。当時であれば姦通罪。この罪の意識がさらに二人の恋を燃え上がらせることになります。<br /> 意を決した白蓮は新聞社を通して伝右衛門に「公開絶縁状」を叩きつけるのです。「筑紫の女王」と呼ばれた歌人白蓮が炭鉱王伝右衛門を捨て、7歳年下の愛人と駆け落ちするというスキャンダラスな出来事に世の中は騒然となりました。<br /> その後、伊藤邸に白蓮は戻ることなく、結婚して10年、すれ違い続けた二人の恋物語も終わりを迎えたのです。

     応接室。
     勉学にいそしむ暇もなく炭鉱一筋で続けてきた無学の伝右衛門と比べ、東大でのインテリで年下の龍介に白蓮は心惹かれます。当時であれば姦通罪。この罪の意識がさらに二人の恋を燃え上がらせることになります。
     意を決した白蓮は新聞社を通して伝右衛門に「公開絶縁状」を叩きつけるのです。「筑紫の女王」と呼ばれた歌人白蓮が炭鉱王伝右衛門を捨て、7歳年下の愛人と駆け落ちするというスキャンダラスな出来事に世の中は騒然となりました。
     その後、伊藤邸に白蓮は戻ることなく、結婚して10年、すれ違い続けた二人の恋物語も終わりを迎えたのです。

  •  本座敷。人形置場になっているが、ここで伝右衛門と白蓮の結婚式が三日三晩行われたそうです。

     本座敷。人形置場になっているが、ここで伝右衛門と白蓮の結婚式が三日三晩行われたそうです。

  •  池泉回遊式庭園、国名勝指定。

     池泉回遊式庭園、国名勝指定。

  •  池泉回遊式庭園。

     池泉回遊式庭園。

  •  庭園のあずまや。

     庭園のあずまや。

  •  庭園よりの旧伊藤伝右衛門邸。

     庭園よりの旧伊藤伝右衛門邸。

  •  福岡市博物館。従来からあった福岡市立歴史資料館が手狭になったことから、アジア太平洋博覧会の開催に合わせて、シ−サイドももち地区に建設された博物館です。<br /> 展示品・収蔵品は漢委奴国王(金印)や母里友信が所蔵し、黒田節にも歌われている名槍「日本号」をはじめとして、博多・福岡との関連性の強い歴史的資料が中心です。

     福岡市博物館。従来からあった福岡市立歴史資料館が手狭になったことから、アジア太平洋博覧会の開催に合わせて、シ−サイドももち地区に建設された博物館です。
     展示品・収蔵品は漢委奴国王(金印)や母里友信が所蔵し、黒田節にも歌われている名槍「日本号」をはじめとして、博多・福岡との関連性の強い歴史的資料が中心です。

  •  国宝 金印「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」当博物館の常設展示品です。<br /> 中国の史書「後漢書」には、西暦57年、「倭の奴国」の使いに、後漢の光武帝が「印」と「綬」を授けたとあります。奴国とは、現在、福岡市が位置する博多湾沿岸に存在した国であり、このときの「印」が国宝金印「漢委奴国王」だと考えられています。<br /> 金印は、1784年志賀島において発見されました。福岡藩主に献上されて以降、亀井南冥をはじめとする多くの人の検証が、金印の正体を解明してきました。1931年国宝指定。

     国宝 金印「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」当博物館の常設展示品です。
     中国の史書「後漢書」には、西暦57年、「倭の奴国」の使いに、後漢の光武帝が「印」と「綬」を授けたとあります。奴国とは、現在、福岡市が位置する博多湾沿岸に存在した国であり、このときの「印」が国宝金印「漢委奴国王」だと考えられています。
     金印は、1784年志賀島において発見されました。福岡藩主に献上されて以降、亀井南冥をはじめとする多くの人の検証が、金印の正体を解明してきました。1931年国宝指定。

  •  国宝・刀「圧切長谷部(へしきりはせべ)」。2月1日まで「黒田家明宝展示」が行われていたので見ることが出来ました。<br /> この刀は官兵衛が、御着城主・小寺政織に仕えてた頃、織田信長方に仕えるべく信長に拝謁した際、下賜された名刀です。京都の刀鍛冶・長谷部の作です。

     国宝・刀「圧切長谷部(へしきりはせべ)」。2月1日まで「黒田家明宝展示」が行われていたので見ることが出来ました。
     この刀は官兵衛が、御着城主・小寺政織に仕えてた頃、織田信長方に仕えるべく信長に拝謁した際、下賜された名刀です。京都の刀鍛冶・長谷部の作です。

  •  国宝・名槍「日本号」。黒田家の家臣・母里太兵衛が福島正則に拝謁した際、大杯の酒を飲むのと引き換えに譲られた槍です。黒田節の元になったといわれています。

     国宝・名槍「日本号」。黒田家の家臣・母里太兵衛が福島正則に拝謁した際、大杯の酒を飲むのと引き換えに譲られた槍です。黒田節の元になったといわれています。

  •  史跡 福岡城跡碑。慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの後、黒田長政が筑前国52万石を徳川氏から与えられ、福岡初代藩主となりました。長政は初め名島城に入りますが、翌年に福崎に新城を築くこととし、長政自らが設計し、野口一成を普請奉行に命じました。城名は黒田氏の故地である備前邑久郡福岡に由来します。<br /> 慶長6年(1601年)から7年がかりで築城した平山城で、当時は大中小の各天守台と約50の櫓があったそうです。

     史跡 福岡城跡碑。慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの後、黒田長政が筑前国52万石を徳川氏から与えられ、福岡初代藩主となりました。長政は初め名島城に入りますが、翌年に福崎に新城を築くこととし、長政自らが設計し、野口一成を普請奉行に命じました。城名は黒田氏の故地である備前邑久郡福岡に由来します。
     慶長6年(1601年)から7年がかりで築城した平山城で、当時は大中小の各天守台と約50の櫓があったそうです。

  •  福岡城石垣。

     福岡城石垣。

  •  祈念櫓(県文化財)。

     祈念櫓(県文化財)。

  •  本丸跡。

     本丸跡。

  •  大天守台石垣。

     大天守台石垣。

  •  多聞櫓(国重要文化財)。

     多聞櫓(国重要文化財)。

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