2015/01/17 - 2015/01/17
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ちびのぱぱさん
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最近は、うどんばかりがもてはやされる香川県。
こんぴらとか、瀬戸大橋もあるじゃないかと言いながら、やっぱりうどんが気になるのでした。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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もしかして?
夕べの5時から、ホテル松山ヒルズのベッドの上で死んだように眠っていました。
眠りが浅くなると、妻が見ていた夕方のテレビで、近くでインフルエンザの集団感染があったとのニュースを流していました。
もうろうとした頭によぎるのは
「インフルエンザだったらどうしよう。」
妻が、私の額に手をやって、
「すごい熱だよ。」
と言って、フロントで体温計を借りてこようとするのを、
「頼む、武士の情けだ。」
と言って押しとどめました。 -
翌朝
熱は見事に引きました。
勝利……したのだろうか。
脳みそに火が通ったかのように、もうろうとして思考が定まりません。
「昨夜は、38,9度は出たかもな。」
まあ、熱が下がって何よりでした。
昨日の夕方、道後温泉をそぞろ歩くのも、松山市駅に行って観覧車に乗るのもふいになりましたが、最悪の事態は免れた。
まかないのおばちゃん
朝、予定では8時20分松山発観音寺行きの普通列車に乗ることになっていす。
「だいじょぶなの?」
という妻の心配を退け、まだどことなく薄暗いホテルの食堂に朝食を取りに。
レストラン、というより「食堂」という感じの1F朝食会場に、ふらふらする頭で入って行くと鋭い叫び声が飛びます。
「○×■△!!」
怒られたのかと思って見ると、ちいちゃなおばちゃんが食堂のカウンターの向こうでこっちに向かって何かを早口で言っている。
熱を出して倒れていたのがばれたのかなあ、と思いましたが、
おばちゃんの指さす方を見ると、入口の反対側にトレイや箸が積んである。
「ああそうか……。」
これを取ってから、食材の並ぶカウンターの方に来いというのだろうと、素直に指示に従います。
小さなおばちゃんは食堂をひとりで切り盛りしていて、だれかが入ってくると
「○×■△!!」
と叫ぶ。
おばちゃんの目の前で総菜を取っていた気の弱そうな女性が、その声に驚いて、取ろうとしていたソーセージをあやうく落としそうになっていました。
最初、あまりに早口なので何と言ってるか分からなかったのですが、人が入ってくると必ずこれを言うので、だんだん分ってきました。
「そちらに全部用意してありますから、まずご自分で取ってそれからこちらで食事を盛ってください。」
と、0.8秒くらいで言ってます。
下宿の食堂みたいでほのぼのしています。
駅に近いし、手頃な宿を探すのに苦労する地方都市にあって、心強い存在です。 -
駅前スタジアムと大書された紅のビルが横に立つ松山駅には、8時少し廻った頃に着きました。
四国再発見早トクきっぷ
土日であれば「四国再発見早トクきっぷ」という鈍行専用の乗り放題切符があります。
大人一人2060円で前日までの購入が条件。
これがあれば、瀬戸大橋をじっくりと渡ってみるのも自由。
しかし、鈍行列車というのは、良いですね。
じっくり一駅一駅、まさに旅を実感する乗り物だと思います。 -
この松山駅も、実に良い!
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その昔、汽車が走り始めた頃は、急行よりも各駅停車の方が料金が高かったと言います。
長く乗っていられる方が料金が高いというのは、しごく当然の理屈のようにも思えます。 -
予讃線は単線ですから、
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時折、意味もなく無人駅で止まっていたりします。
すれ違う列車の待ち合わせかと思うと、必ずしもそうではないみたい。 -
見知らぬ駅で、ぶらぶらと辺りをうろついてみる。
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トイレ?……だった……のだろうか……
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暖かな色をした瀬戸内の海。
晴れている、と思ったら突然雪が舞ったりする不思議な天気。 -
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だいぶ、頭のもうろうもとれてきました。
海の色が優しく見えます。
「いやー、昨晩40度も熱を出していたとは思えん。」
「38,9度じゃなかったっけ。」
と、妻が異議を唱える。
「計っていればそのぐらいいってたか知れん。」
あの段階で熱を測って真実を知ると、心が折れるかも知れなかったし。 -
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車窓の風景を楽しむ余裕も出てきました。
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12時44分琴平着
多度津で乗り換え、琴平にやってきました。 -
江戸時代に夜間航行?
駅前から歩くと、すぐに江戸末期に建てられた高灯篭が右手に見えます。
27mもあって、沖を行く船がその明かりを頼りに航行したのでしょう。
ん?ということは、そんな時代にも船は、夜間航行したと言うことになるのだろうか。
う〜ん、と考え込んでいたら、イロハ丸事件のことが思い浮かびました。
坂本龍馬率いる海援隊が操船していたイロハ丸が紀州藩の船と衝突したのは、夜間だったような気がします。
調べると、慶応3年4月23日午後11時頃ということです。
なるほど、瀬戸内海というのはどうやら江戸の昔から、夜間も頻繁に船が行き交っていたということらしい。
そういうわけで、瀬戸内海沿岸には、かなり早い時期から灯台の役割を果たす常夜灯が各所に設けられていたんですな。
へえ〜、夜も提灯掲げて船が行き交っていたのか。
ということは、森の石松も、そんな船の一つでやってきたのかなあ。
しかしそれにしても、金比羅というのがいくら航海の守り神としても、そうとう内陸ではないか、というのが次に浮かんだ疑問。
地図でざっと見ても、10キロ以上海岸から離れている。
そんなところに灯台を造ったところで、大した役に立たないんじゃ無かろうか。
おおかた、沖を行く船がこの光を見つけて、ああ金比羅さんだ、安全祈願におがんどこう、というような具合だったのか知らん。
そういえば尾道の千光寺の裏の崖にも、でっかい鏡がひっつけてあったような跡がありました。
夜に月明かりでも反射すれば、妖しい光を放って効果抜群だったろうなあ。 -
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りっぱだなあ。
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老舗の造り酒屋の前を通り
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参道の登り口の辺りに、400年前に創業したという「虎屋」がうどんやそばを出しています。
もとは旅館だったそうで、皇室も泊まられたとか。
なにやら神社みたい。
余談ですが、高知のはりまや橋で歌に歌われたぼんさん純信と鋳掛け屋の娘お馬は、駆け落ちして金比羅さんの旅館にいるところを捕まえられたといいます。
駆け落ちが悪かったんじゃなくて、関所破りが罪状です。
旅券法違反みたいなものかなあ。
その頃は、旅館はたくさんあったのか知らん。 -
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森の石松のような片目の虎。
ティッシュでも詰めているのか、だいぶ老朽化。 -
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中が暗くてよく見えません。
ちょっと見、やっているのか、いないのか。
「あら、食べてって。」
なかから、おばあちゃんが手招きします。
大黒天がしゃべったのかと思えるようなタイミングにつられ、入ってみる。
小柄で優しそうな大黒天が、
「かけは300円だよ、食べてきなさいよ。」
というので、
「じゃあ、うどん二つ。」 -
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もう一時半ですから、おなかはぺこぺこ。
あ〜、あったまる。
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金比羅参りと言えば、ご存じ森の石松。
「寿司くいねえ!」 -
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「重い人も、軽い人も同じ料金なのかね?」
至極もっともな疑問をぶつけてくる相方。
この、素朴な疑問というのをぶつけてくる人は、答えを得るためには何の努力も払わない人であることが多い。 -
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コンピラというのはワニのことだと、何かで読んだ気がします。
いなばの白ウサギは、ワニをだましてひどい目に遭いますが、あのワニは鮫のことだと聞いたような気がします。
海で遭難したときに、鮫に襲われるのは怖いですね。
昔、伊豆の下田は白浜で、浜が見えなくなるほど沖に泳いでいたら、真下に巨大な黒い影が見え、縮上がったのを覚えてます。
必死で泳いでも、どこまでも付いてくる。
もうだめかと思ったら、実はそれは海底に映った自分の影だった、なんてことがありました。
あそこは本当に遠浅なんです。 -
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「だめだ、昨夜の41度の熱が体力を奪ったらしい。」
「また1度上がったね。」
ここで引き返して瀬戸大橋を目指します。 -
金比羅名物
参道のあちこちに「灸まん」という看板や幟(のぼり)を見かけます。
ばら売りにして一個75円で売っている店があったので、話の種に二つ買いました。
お店のご婦人が、そのいわれを書いたしおりをくださいました。
昔、こんぴらさんには灸をすえる有名な店があった。
ある時、旅の渡世人がふらりとやってきて、
「あっしに、有名な灸をひとつすえてくだせえ。」
というと、店の娘たちは、色めき立ちました。
その旅の衆は、役者みたようなイケメンだったのです。
その役目を勝ち取った娘は、灸をうんと優しく盛って火を着けました。
イケメンの渡世人は
「こりゃあ、甘え灸だ。」
と、言ったとか言わないとか。
それなら、甘い灸にちなんでまんじゅうを作ってしまえ、というのでこのまんじゅうが生まれたとか。
へえー、そう思ってこのまんじゅうを見ると、でっかい灸に見えなくもない。
味の方は……、東京銘菓のひよこ饅頭のようです。 -
宇多津を過ぎるとどんどん線路が高くなります。
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橋梁分のみで9400m、全長13.1kmは世界一だとか。
文字通り海上を行きます。 -
瀬戸大橋を渡りきり、岡山県の児島駅で逆方向の汽車に乗り換えます。
海面からの高さは80m。
場所によっては、このように海面を見下ろすことが出来ます。
自動車は、この上を走っていると思われますが、おそらくこの橋を楽しむのには、鉄道の方が有利ではないか。
がらんとした昼下がりの列車の中で、左右に広がる絶景を見渡しながら、そう思いました。 -
少しずつ陽が傾いて行き、ときおり雲の割れ目から西日が差します。
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岡山県の児島までがJR四国ですので、持っているチケットで来れるのはここまで。
折り返しの列車で再び瀬戸大橋を渡る。
琴 平14時32分発
多度津14時46分着
多度津15時09分発
児 島15時33分着
児 島15時41分発
宇多津15時55分着
岡山側の児島駅が意外に立派な駅だったこと。
小さな漁村くらいに考えていました。
海の上を走っていたのは、10分程度です。
月からも見えると言われている瀬戸大橋も、走り抜ければあっけない。
瀬戸大橋
一兆円以上の資金と三十年あまりの歳月を投入して完成したのが1988年。
落成のニュースは、今でも鮮明に記憶に残っています。
経年、まもなく30年を迎えようとしている、まさに充実の青年期。
いくつかの世界一も、気がつけば中国などに抜かれたりしているものの、200mちかい天を突く橋桁、直径1m余りの攣り縄など、じつに堂々とした見物。 -
ああ、瀬戸大橋が終わってしまう……。
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宇多津の駅の不動産屋さんには、怪物たちがいました。
「見せてください。」
とお願いしたら、小さく頷いてくださいました。
なにやらお取り込み中のようで、写真だけ撮ってすぐ目の前のホテルにチェックイン。
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ホテルにチェックインしてからも、二人の会話はしばらくその点に集注しましたが、考えれば考えるほど不思議なオブジェです。
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ホテルの窓からは、遠くにライトアップされた瀬戸大橋を見渡すことが出来ました。
無事に旅を続けることが出来て、本当に良かったと思います。
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この旅行記へのコメント (2)
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- nakamasananiwaさん 2015/01/31 11:20:43
- ~♪
- うどん屋の片隅で居眠りしたら昔のお喋りが盗み聞きデキソウやね。
行きたくなってきました。
- ちびのぱぱさん からの返信 2015/01/31 17:07:27
- RE: ~♪
- このうどん屋さんは、元々は旅館だったそうで、皇室も利用するような格式だったとか。
今では一つ間違えば廃墟(?)の佇まいで、それが何とも言えない魅力です。
土曜だから、孫たちも手伝って家族総出でやってました。
カメラのバッテリーが切れちゃって、
「充電してもらえます?」
って、高校生くらいの娘に頼んだら、一生懸命コンセントを探し回ってくれました。
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