1974/08/29 - 1974/09/01
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ノスタルジアさん
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今から41年前の昭和49年7月23日から3月7日までの225日間かけて
ナホトカ航路、シベリア鉄道を往復してヨーロッパ、モロッコを
船、列車、バス、ヒッチハイクで旅しました。
高所恐怖症なので飛行機には現在まで一度も乗った事がありません。
乗り物による移動距離は60,806.8キロ、地球1.52周でした。
観光白書によると昭和49年の日本人の海外旅行者数が200万人、
平成24年度は1849万人、40年ほどで10倍近くなりました。
そんな当時の旅行の資料と写真を少しづつアップして行きます。
今回はシャモニーで高所恐怖症の身にとっては大変だった
恐怖のロープウェイとゴンドラリフトを体験した。
シャモニー(標高1035m)から、わずか30分で、標高差2800m富士山より高いエギーユ・デュ・ミディ(標高3842m)まで運んでくれるのである。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ユーレイルパス ファストクラス
74年8月29日から10月28日2ヶ月間
ヨーロッパは鉄道料金が高いのでこれは重宝した。
1等車は利用客が少なく夜行列車でコンパートメント室の座席を倒せば
十分広いベッド代わりになり一人独占でよく眠れた。 -
ユーレイルパス ファストクラス
74年8月29日から10月28日2ヶ月間
ドイツでホームで列車が入線して来るのを待っていると、
金持ちそうな年配の人から、「ここは1等車の乗る位置だよ。
2等車はあっちだよ。」と何度か言われた。
こちらの身なりとかで2等車だと判断しているのだが、
「ここは1等車だよ」とこちらも応じた。
中には駅員を呼ぶのもいる。
そして「切符は?」と求められと、やおら水戸黄門の
印籠のように突き出す。「ははあ。」とは言わないが、
金持ちは何でこの貧乏人が1等切符を持っているのか?、
という表情するのが実に楽しかった。 -
昭和49年8月29日
モントルーで10ドル2850円を両替 1スイスフラン96.96円 -
昭和49年8月29日
シオン ノートルダム・ド・ヴァレール教会
入場料1スイスフラン97円
朝からシオンは快晴。
丘の上にあるノートルダム・ド・ヴァレール教会へ行った。
シオンの街が見渡せる緑鮮やかな草原の上で寝転んでいると、
爽やかな風が吹き抜け、それが余りにも気持ちがよかったせいか
寝入ってしまった。
結局、12/13世紀に建てられたヴァレール城と
ノートルダム・ド・ヴァレール教会の内部は見ずに
午後3時過ぎモントルーに向かった。 -
昭和49年8月29日
シオン ノートルダム・ド・ヴァレール教会
入場料1スイスフラン97円 -
昭和49年8月29日
モントルーのユースホステル -
昭和49年8月30日
モントルーのユースホステルのスタンプ -
昭和49年8月30日
モントルー レマン湖のほとりシヨン城
入場料2スイスフラン 194円
モントルーの東の外れ、レマン湖に浮かぶシヨン城は9世紀頃に
造り始められ、13世紀半ばに現在の形となり、長くサボワ公の
居城となっていた。 -
昭和49年8月30日
モントルー レマン湖のほとりシヨン城で
19世紀初頭、英国の生んだ偉大なロマン派詩人バイロンにより
宗教改革者としてサボワ公に捕われ、この城に幽閉されたジュネーブの
修道院長フランソワ・ボニバールを主人公とした「シヨンノ詩人」が
作られ、一躍この城を有名にした。
今でもボニバールを繋いだ鎖や柱、バイロンの落書きも残っている。 -
昭和49年8月30日
ジュネーブで10ドル2850円を両替 1スイスフラン96.96円 -
昭和49年8月30日
ジュネーブ ユースホステル
シャモニーに行く予定であったが、
列車に間に合わずジュネーブに泊まる事にした。 -
昭和49年8月30日
ジュネーブ ユースホステル -
昭和49年8月30日
ジュネーブ ユースホステルのスタンプ -
昭和49年8月31日
ジュネーブ 市内バスで無賃乗車で10スイスフラン970円の罰金
朝からついていない。
6時20分頃、シャモニーに行くのに急いでいて、バス停に着いて、
すぐ来たバスに乗ったところ、無賃乗車で10スイスフランの罰金を払わされた。
ジュネーブではバス停にある券売機で買って乗らないと無賃乗車で罰金となる、
車内では売ってないのである。知らなかったとか車内で払うつもりだったとかの
言い訳は全く通用しない。 -
ジュネーブ 券売機で買った市内バス切符
どうしても解読出来なかった切符 -
昭和49年8月31日
シャモニー ユースホステル
9時過ぎにシャモニーに着いたがあいにくの曇り空。
その内雨まで降って最悪。山の見えない市内をぶらぶらしたり、
食堂で3時間いたりして時間を潰すのに苦労した。 -
昭和49年8月31日
シャモニー ユースホステルのスタンプ -
昭和49年9月1日
シャモニーで20ドル5700円を両替 1スイスフラン95.88円 -
昭和49年9月1日
シャモニー(標高1035m) ロープウェイ駅前で
朝早くシャモニーの空は快晴。
一刻も早く登りたかったが、ユースホステルの朝食は8時。
ロープウェイ山麓駅に着いたのは9時頃になってしまった。 -
昭和49年9月1日
シャモニー(標高1035m)〜エギーユ・デュ・ミディ(標高3842m)
ロープウェイ切符
1955年に開設されたロープウェイが、
モンブランの麓、シャモニー(標高1035m)から、
途中の標高2317mにある駅で1回乗り継ぎ、乗り継ぎ時間を入れてもわずか30分で、
標高差2800mのエギーユ・デュ・ミディ(標高3842m)まで運んでくれる。
上部のセクションは岩壁に沿って登るため、標高差1470mもの間に
支柱が1本も設置されていない。
ほとんど垂直に吊り上げられる感じで岩壁が眼前に迫り極度の恐怖を感じた。 -
昭和49年9月1日
エギーユ・デュ・ミディ(標高3842m)の氷のトンネル
エギーユ・デュ・ミディ(標高3842m)とは正午の針と云う意味で
長短2つの鋭い岩峰が、まるで正午を示す時計の針のように屹立しているので
この名がある。 -
昭和49年9月1日
エギーユ・デュ・ミディ
氷のトンネルを抜けて歩道橋を渡りピトン・セントラルの入場券 -
昭和49年9月1日
エギーユ・デュ・ミディ(標高3842m)からエギュー・ヴェルト(標高4122m)
エギーユ・デュ・ミディの展望台の中央には円形の銅盤があって
そこから見える山の名、形、標高が刻まれていて、
あいにく曇り空であったが、視界は良かったので確認する事が出来た。
近くにはモンブラン(標高4807m)、ダン・デュ・ジェアン(標高4013m)エギュー・ヴェルト(標高4122m)が大きくはっきりと見え、、
遠くにはマッターホルン(標高4477m)、モンテローザ(標高4634m)を望む事が
出来て最高の景色だった。 -
昭和49年9月1日
エギーユ・デュ・ミディ(標高3842m)から -
昭和49年9月1日
エギーユ・デュ・ミディ(標高3842m)からグランド・ジョラス(標高4208m) -
昭和49年9月1日
エギーユ・デュ・ミディ(標高3842m)からグランド・ジョラス(標高4208m)
この連山の右端はエギュー・ド・ジェアン(標高4013m) -
昭和49年9月1日
エギーユ・デュ・ミディ(標高3842m)で -
昭和49年9月1日
エギーユ・デュ・ミディ(標高3842m)からモンブラン(標高4807m) -
昭和49年9月1日
エギーユ・デュ・ミディ(標高3842m)から
ヨーロッパ最高峰モンブラン(標高4807m) -
昭和49年9月1日
エギーユ・デュ・ミディ(標高3842m)で -
昭和49年9月1日
エギーユ・デュ・ミディ(標高3842m)からエルブロンネ(標高3462m)
ゴンドラリフト切符 -
昭和49年9月1日
エギーユ・デュ・ミディ(標高3842m)〜エルブロンネ(標高3462m)
ゴンドラリフトからダン・デュ・ジェアン(標高4013m) -
昭和49年9月1日
エギーユ・デュ・ミディ(標高3842m)〜エルブロンネ(標高3462m)
ゴンドラリフトからメール・ド・グラース氷河
エギーユ・デュ・ミディ(標高3842m)からさらに4人乗りゴンドラリフトで
イタリア側のエルブロンネ(標高3462m)に向かった。
これがとんでもない恐怖のゴンドラだった。
眼下には真っ白なバレ・ブランシェ氷河、ジュアン氷河が広がり
その上をゴンドラが進んで行くのである。
2つのゴンドラ駅で乗客が乗り降りする毎にゴンドラが停まるので
ゴンドラが上下に大きく揺れるのである。
これは生きた心地がしなかった。他の3人の乗客も恐怖の余り
顔が引きつって声も出ない。このままジュアン氷河に落下する
恐怖を覚えた。
極めつきはイタリア側のエルブロンネ(標高3462m)に到着する
直前に起こった。
突然、大きな音がしてゴンドラが大きく縦揺れ、横揺れ、斜め揺れ
したのである。
こんなにびっくりした、驚いた事は今まで経験した事も無かった。
エルブロンネ(標高3462m)に着いて見て判ったのは、
ゴンドラの索状ワイヤロープに付いた氷を落とすために
巨大なハンマーでワイヤーロープを叩く仕組みになっていた。
ところがエルブロンネ(標高3462m)でパノラマ風景を十分楽しんで
帰りのゴンドラに乗った時はすっかり忘れてしまっていて
また大揺れの恐怖の体験をしたのである。
もう一度乗るか?と問われれば、もう二度と乗らないと答える。
多分、この歳で乗れば、心臓停止、脳内出血、落下の何れかで
命を失うだろう。 -
昭和49年9月1日
エギーユ・デュ・ミディ(標高3842m)〜エルブロンネ(標高3462m)
ゴンドラリフトからモンブラン・デュ・タキュル(標高4248m)の針峰 -
昭和49年9月1日
エギーユ・デュ・ミディ(標高3842m)〜エルブロンネ(標高3462m)
ゴンドラリフトからエギュー・ヴェルト(標高4122m) -
昭和49年9月1日
エギーユ・デュ・ミディ(標高3842m)からシャモニー(標高1035m)
シャモニーはモンブランの登攀基地であるとともに、
ヨーロッパ有数のスキー場として有名である。 -
昭和49年9月1日
エギーユ・デュ・ミディ(標高3842m)からシャモニー(標高1035m)
シャモニーの歴史はモンブランの登攀史でもある。
モンブラン初登頂は1786年シャモニーの農夫ジャック・ベルマによってなされ
それまでの一寒村は一躍その名を世界に知られるようになった。
シャモニーは標高1035m。山荘風の家々が並び、花が咲き競って
絵画のように美しい村だった。
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