2014/10/11 - 2014/10/12
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TOMISLAVさん
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合肥で、訪ねたい人が「二人」いた。
三国志で呉軍を破った張遼と、清末の偉人 李鴻章。
今回、上海から南京を経由して、高速鉄道を使って、訪ねてみた。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
10/12 朝
前夜に、南京から高速鉄道で、合肥へ至る。
合肥観光の前にまずは、朝食。
左の鶏肉麺は、この店で「合肥名物」と謳っていたが、本当かな。 -
合肥駅前のデパートの、広告らしきもの。なんとなく、撮ってみた。日本で言うと、「ルミ姉」みたいな感じか。
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清末史で、おなじみの李鴻章の故居を訪ねる。
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「甲午国殤」という文字をみて、今年(2014年)が、日清戦争からちょうど120年であることに気付く。「甲午の国辱」という意味でしょうか。
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黒檀の入り口から入る。
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科挙の合格者とのこと。李鴻章は、21歳で合格というまさしく俊才。
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壮年時の李鴻章。
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李鴻章が宮仕えしたころは、清末で改革派と守旧派が宮廷でせめぎあった時代。
模型の説明によると、清国に鉄道を導入しようとしたところ、守旧派が蒸気機関車はけしからんということで、妥協案で、馬に引かせることになったとか…。 -
下関条約の写真。李鴻章V.S.伊藤・陸奥ですね。
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日清戦争につづき、対外的な始末は李鴻章に任されるようになる。
写真は、いわゆる義和団事変後の辛丑条約の様子。列強11ヶ国からフルボッコにされています。左端にいるのが、日本代表の小村さんかな。 -
李鴻章もここで、寛いだのでしょうか。
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李鴻章が使っていたという文官帽。
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続いて、逍遥津公園へ。
像の人物は、私が三国志で好きな人物の1人である、張遼将軍。 -
215年、合肥で呉軍と対峙していた、魏の将軍 張遼は、精鋭800騎を引き連れて、呉の孫権軍10万を急襲し、打ち破ったと言われている。
日本でいうと、一の谷の合戦のようなものか。 -
張遼将軍の像から100〜200m先に、「飛騎橋」という石碑が。
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張遼の奇襲を受けた、呉の孫権が、逃げるために馬でこの橋を飛び越えたため、飛騎橋と呼ばれるそうな。
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張遼将軍の墓とのこと。
215年に呉を破ったのちも、この地で対呉防衛で合肥を守りを固めていたが、この地で逝去…。だったとうる覚え。 -
逍遥津を観た後は、179番バスで合肥駅へ。
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合肥から南京への切符を購入。
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高速鉄道で、南京へ。200kmの区間を1時間強。
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この旅行記へのコメント (1)
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- kids560さん 2025/01/16 11:42:58
- これは血糖値があがる!!
- 三国志好きの自分としては張遼に合肥、飛騎橋の単語だけで興奮します。
張遼が来たというだけで呉の兵士は恐れおののいたというのですからその勇猛果敢さがうかがい知れますよね。飛騎橋の逸話を読んだ時にはもう少し大きな橋だと思っていたのですがこれなら馬の扱いになれている当時の兵士なら飛び越えられそうです。この橋を見られたのはUP主のお陰です。ありがとうございます。
日清戦争で勝てたのは清の国が当時ガタガタだった事が大きく影響していたと聞いていましたが
「清国に鉄道を導入しようとしたところ、守旧派が蒸気機関車はけしからんということで、妥協案で、馬に引かせることになったとか…。」
うーんそこで馬が出てくるか~、李鴻章の苦労がうかがい知れる逸話ですね。
戦争もそうですがこの方がいなかったらそもそも戦争を終結させることすらできなかったような気がします。
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