2014/11/24 - 2014/11/24
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しんちゃんさん
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敦賀市街の北東部にある小高い山に金ケ崎城跡はあります。
昭和9年3月国の史跡に指定され、現在は市の公園として市民のいこいの場にもなっています。
天気も良く紅葉も見ごろになり、の〜んびり2時間のウォーキングを楽しみました。
金ヶ崎城、天筒山城にまつわる歴史上の人物は、南北朝時代の後醍醐天皇の一の宮尊良親王・恒良親王・新田義貞。そして戦国の世の織田信長・豊臣秀吉・徳川家康等々・・で数多くの歴史的事件が繰り広げられた所です。
そして有名なエピソードが[金ヶ崎の戦い]です。
織田信長は朝倉氏を攻めるため徳川家康と合流し金ヶ崎城を攻め尾根伝いの天筒山城を落とし、金ヶ崎城も落とした。 その時、長政に嫁いでいた妹の市から、小豆を入れた袋の両方を紐で結んだものを届けられ、近江浅井氏の裏切りを知り退却出来たと言う話です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
-
登り口から金ケ崎宮までは150mあり階段が続く。階段は結構つらいのですが・・・のぼった後の景色は・・
-
黄色の銀杏の木と赤い紅葉が待ち構えていました。
コントラストが美しいー。
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ここ金ヶ崎城は戦国時代の武将にとって天下取りへの転換点となっている所です。
1570年、朝倉義景討伐を企てた織田信長が越前に攻め入ろうとしたその時、近江
浅井氏裏切りの報が。窮地に陥った信長だったが、金ヶ崎城でしんがりを努めた
木下籐吉郎(豊臣秀吉)の撤退作戦の活躍で、無事 帰京できたという「金ヶ崎の退き口」。
その後姉川の合戦で、浅井・朝倉連合軍を敗った信長。
そして、その信を受け天下取りの道を進んだ秀吉。
さらに、秀吉のしんがりを助け、後に謝意を受けた徳川家康。 -
【金ヶ崎宮 本殿】
延元元年(1336年)恒良、尊良両親王を守護した新田義貞が足利軍と戦った古戦場で、金崎宮には両親王が祀られています。
御祭神
尊良親王(たかながしんのう)後醍醐天皇一の宮
恒良親王(つねながしんのう)後醍醐天皇皇太子
本殿は 明治26年3月竣工、当時は現在の本殿より上の所にあったが町内よりの出火で焼失、同39年再建された。この時現在の地に移され、建築様式も流造より神明造と改められた。 -
【花換の小道】
本殿の横から続く小道で約1000本のソメイヨシノがあり桜の名所として知られています。
4月1日〜15日には神事・花換まつりが行われます。明治時代、金崎宮へ桜見物に訪れた男女が「花換えましょう」と声をかけあい、桜の小枝を交換することで思いを伝えたそうです。「花換え」をしたカップルは将来幸せに恵まれるといわれるしあわせの小道です。 -
ここは敦賀の山々、市街地、港、気比の松原、金ケ崎緑地が見えます。
ここから徒歩約10分で行ける金ケ崎緑地に2008年3月に開館した【人道の港敦賀ムゼウム】という建物があります。敦賀に訪れた観光客がよく行く場所です。
ナチスドイツの手から逃れたユダヤ人難民が、リトアニアの領事代理杉原千畝さんが独断で発給した“命のビザ”を握りしめ、敦賀港に上陸したことに関連して展示を行っています。杉原千畝さんの生の声や目撃した市民の証言、特に今回新たに見つかった“命のビザ(複製)”も展示しています。
家から近いので何度も行っていますが、冷暖房されていて休憩も兼ねゆっくり出来る場所ですよ。 -
【尊良親王墓所見込地】
遊歩道沿いに標識があります。 -
金ヶ崎宮本殿背後の高台の何もないところに、この石碑がぽつんとあります。
足利尊氏に都を追われ、後醍醐天皇の皇子である恒良親王と尊良親王が、
新田義貞とともに、金ヶ崎に入ります。しかし半年にも及ぶ籠城のすえ落城。
自ら火を放ち、尊良親王、新田義顕以下将士300余名が自害されました。
尊良親王27歳、義顕18歳であったと伝えられています。 -
親王の御墓所指定地が京都市左京区にあるため、
落城時の親王自刃の地ではないかと考えられているそうです。 -
金ヶ崎宮が造られたのは、明治に入ってからのことです。
金ヶ崎城は「太平記」に「かの城の有り様、三方は海によって岸高く、厳なめらかなり」とあります。今現在ではこの城跡の南側は、埋め立てられ陸地となっていますが、戦国時代は三方は海で、いかに攻め入るのが難しいかったことか想像出来ます。 -
【金ヶ崎古城跡・円墳 】
明治42年に発見された円墳。 -
【月見御殿】
付近は金ヶ崎の最高地(海抜86m)で月見崎といい通称月見御殿と呼ばれている。
南北朝時代の本丸跡で、戦国時代などにも武将が月見をしたと伝えられている。 -
月見御殿からは日本海・敦賀湾が一望できます。
海沿いにある敦賀セメント会社と、その奥には敦賀新港があります。 -
敦賀新港にある新日本海フエリーに乗り苫小牧や新潟に行けます。
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【絹掛の松】(きぬかけのまつ)
月見御殿より眼下を望むと小島のような岬が見える、ここを絹掛ノ崎という。落城の際、恒良親王が人目を避けるため、御衣を岩の上の松の枝に掛けて脱出されたという。現在、その松は枯れてしまってない。 -
【三の木戸跡】三の木戸(城戸)
月見御殿より一番近い木戸です。
木戸跡を覗くと丁度御本殿付近が見える位置にある。 -
深い堀切跡がみられます。
用水場でこの付近から清水が湧き出ていたといわれる場所です。 -
【焼米石出土跡】
三の木戸と二の木戸の間に位置する場所にある。
土中から炭化した米が発見されたという。戦国時代、朝倉勢の兵糧庫があり、織田信長との戦いで焼け落ちた際のものと伝えられている。 -
三の木戸跡 → 二の木戸跡 → 一の木戸跡 → 天筒山へは緩やかな稜線で
階段は多いのですが道は良く整備されているので子供連れでも危なく歩けます。 -
【二の木戸跡】
第二の関門跡で、激戦があった場所と伝えられている。 -
天筒山展望広場と金ケ崎宮の分岐点で、金ケ崎宮に戻れます。
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木が生い茂り、夏は木漏れ日の中とても涼しくて気持ち良い稜線歩きが出来ます。
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【一の木戸跡】
金ヶ崎城から一番外にあった木戸で、この堀切は敵の侵入を妨害する役割を果たした。
金ヶ崎城の戦いでは1337年3月6日の総攻撃の際に破られた。 -
敦賀セメント会社がみえます。
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この辺の紅葉は綺麗です。
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落ち葉を踏みしめ上ります。
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天筒山山頂広場に行く最後の階段辺りです。
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今年の紅葉は特に鮮やかに思われます。
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【見張台跡】
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お椀を伏せたようななだらかな天筒山山頂に着きました。ゆっくり歩いたので約1時間掛りました。 標高171.3mです。
えっ?きれいな芝生広場だったのに!芝生がめくれてコンナことに・・・どうやら猪が荒らしたようです。市民の憩いの場はやめて〜! -
山頂広場から日本海と西方が岳、蠑螺が岳を望む ことが出来ます。
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山頂の中央部には高さ15mほどの観光用展望台が設置されています。
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回り階段を上ると360度のパノラマが望めます。
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金ケ崎、天筒山公園案内図があります。
登り口は二か所あり、今回歩いた金ヶ崎宮側は階段が6,7割が階段という少しきつい感じですが、山城の史跡、古墳跡が多数あり、特に月見御殿からの敦賀湾は綺麗です。
もう一つ国道8号線から国道476線の分岐近くの登山口から天筒山に至る道は完全にコンクリート舗装されていて早朝から地元の人が散歩に使用しています。 -
山頂でゆっくり休憩をし、476号線から8号線に出るコースで下山します。
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大きな紅葉の木の後ろにきれいな小屋が有ります。
開閉の戸があり雨や寒さやが防げます。 -
三角屋根のトイレがあります。
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この辺も広い広場で桜や椿などの木もたくさん植わっていて、
お花見も良さそうです。 -
【山の神神社】
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左手の道を行くと【中見池湿地】へ行けます。
広さ25haほどの小さな湿地帯で、60種以上の絶滅危惧種を含む約3000種が生息するなど驚くべき生物多様性を示しており、2012年にはラムサール条約湿地に登録 された場所です。 -
登山口近くにあるお地蔵さんです。
金ケ崎宮から天筒山経由で無事に一周出来、お礼の頭を下げ下山しました。
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