アグラ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
(表紙写真)・・・タージマハールの正門を入った場所から眺めた全景。この庭園が16分割庭園で、中央遠く前方に見える中央基壇が庭の中心点になり、それぞれ左右に8区画ずつ計16に分けられた庭園になっている。<br />タ−ジ・マハ−ル観光(アグラ)<br /><br />6日目。今朝の出発は7時30分と早い。5時半に起床して身仕度を整える。6時半になると食堂へ出向き、お馴染みのインド料理でお腹を満たす。今日の予定は、念願のタ−ジ・マハ−ル観光(世界遺産)、次いでアグラ城(世界遺産)とファテ−プル・スィ−クリ−(世界遺産)を観光し、その後は宿泊地ジャイプ−ルへ移動する。さらにその途中、ケオラデオ国立公園(世界遺産)に立ち寄って見学するなど盛りだくさんの旅程である。今度のバスの旅では最長の230kmを走行するのだが、果たして道路事情はどうなのだろう? <br />  <br />アグラ市内の朝の景観<br /> 部屋に戻って窓外を眺めると、ようやく明けかかったアグラの市街風景が朝もやに包まれながら静かに広がっている。ここからタ−ジ・マハ−ルが見えないかと目を凝らして探してみるが、それらしき姿はどこにも見当たらない。たとえ、この窓の方向に位置するとしても、距離的にここから3kmも離れているので見通すのは無理かもしれない。しかし、アグラ城はその半分の距離にあるので、もし窓の方向に位置していれば見えるはずなのだが……。それはともかく、意外と緑の多い街のようである。 <br /><br />アグラの町のこと<br /> ここアグラの街は首都ニュ−・デリ−の南200kmの地点に位置する人口約126万の古都である。この町は16世紀〜17世紀にかけてインド史上最大のイスラム王朝であるムガ−ル帝国の首都として栄えた町で、当時の建築物である名廟タ−ジ・マハ−ルをはじめ3つの世界遺産を抱えるインド屈指の観光都市である。1558年にムガ−ル帝国は首都をデリ−からアグラへ移して、アクバル大帝時代に本格的な都市建設が行われたが、その時代に王宮と城塞の両機能を持つアグラ城が建設されたのである。<br />  <br /><br />待望のタージ・マハールへ<br />7時半になり、いよいよ出発である。待ちに待ったこの日をアグラの町は快晴の空で迎えてくれる。胸踊らせながらバスに乗ると、一路タ−ジ・マハ−ルを目指して突っ走る。短距離なのでしばらく走ると間もなくしてストップし、下車させられる。だが、その優雅な姿はまだどこにも見えない。出し惜しみしているのだろうか? すると、ここから電気自動車に乗り換えて移動するという。排気ガス汚染を防ぐためか、タ−ジ・マハ−ルの隣接区域は一般車両通行禁止になっている。この歴史的遺産を守るため、特別の配慮がなされているわけだ。<br />  <br /><br /> ミニバスに乗り換えると、ひっそりとした閑静な通りを奥へ向かって進んで行く。間もなく、前方の森陰の向こうにちらほらと白いものが見え始める。あれがそうなのだろうか? バスは一直線にどんどん進んで行く。<br /><br /><br />乗り換え地点から500mほど走ったところで、東門前の広場に到着する。目の前には赤砂岩造りなのだろうか、イスラム型ア−チにくり貫かれた赤色のどっしりした門がそびえてタ−ジ・マハ−ルを守り塞いでいる。彼女のガ−ドは固く、まだまだお目もじできないのである。<br />  <br />ミネラル水のサービス<br />門の横手に用意されたミネラス水(小ビン)1本ずつをサ−ビスに受け取り、南門に向かう。面白いことに、入場者にはミネラル水が振る舞われるのである。ここの入場料は1人約2000円(合計750ルピー)と少々高い。ただし、これは外国人向け料金で、インド人の場合は50円だそうである。インドの物価から考えると、この料金はかなりの財政収入になるはずである。開門は日の出よりとなっており、まだ開かれて間もない様子で観光客の数も少ないようだ。<br />  <br /><br />そして、いよいよ門をくぐろうとすると、今度は所持品チェックである。門の入口には防弾チョッキ姿で銃を持つ警備兵が立っている。少々ものものしい警備である。男女別に分けられたブ−スを通り抜け、出たところで直接ボディチェックを受ける。女性側のほうにはシ−トが張られて見えないようにしてある。ここを無事通過して奥の方へ進んで行く。ここでもまだその気品のある姿は見せてもらえない。<br />  <br /><br />東門を入ったところ。身体チェックのための簡単なブースがある。<br /><br />両側を赤砂岩の回廊で囲まれた道を真っ直ぐ進んで行く。<br /><br /><br />回廊が途切れると、ぱっと左右が開けて、広く、美しい庭園が現れる。気分爽快になりながら歩んでいると、右手の回廊の上ににょっきりと純白のネギ坊主が突き出しているのが見える。えっ! あれがタ−ジ・マハ−ル!? でも、ド−ムの頭部の部分だけでは……。早くその全容を見せてほしいぞ! はやる心を抑えながら右手の正門に向かう。  <br /><br /> 正門前に立つと、赤砂岩で造られた豪華な門には白大理石かと思われる白い縁取りがはめ込まれ、その中に美しい柄模様がはめ込まれている。恐らくこれも象嵌なのだろう。そして上を見上げると、白い糸巻きのような心棒が行儀よく11個並んでいるのが見える。それは反対側にも同じように11個が向かい合うように並んでおり、みんなで22個になる。これはいったい何を意味するのだろうか? <br /><br />ガイド氏の話によれば、タ−ジ・マハ−ルを建設するのに要した年数を意味するのだという。つまり、その建立には22年を要したのだが、そのことを表すため1個を1年として計22個を並べたという。(私の記憶に間違いなければの話だが……) <br /> とにかく、先を急ごう。正門のア−チをくぐり抜けて行くと、その向こうに朝日を受けながら燦然と輝くタ−ジ・マハ−ルがア−チの中に浮かんでいる。<br /><br />そのまま門を通り抜けてテラスに出ると、これぞ白亜という表現にぴったりのマハ−ルが見事な均整美を見せながら庭園の奥に鎮座している。なんとも感動の一瞬である。これまで何度この姿を写真や映像で見てきたことだろう。いまその実物がヴェ−ルを脱いで私の目の前に優雅な姿を披露している。なんだか気恥ずかしく、そしてまぶしくて、まともに見ることがはばかれるようだ。ほんとに近寄って見ていいのだろうか? <br /><br />その美しさに打ちのめされる思いで、正面のマハ−ルをじっと見つめる。それは何といって表現したらいいのだろう。典雅で優美、華麗、そして気品に満ちた高貴な姿は、他の建築物のどれをも寄せつけず、燦然と輝きながら美しく、そして誇らしげに建っている。贅を尽くした建築の美を、その全体から惜しみなく発散している。インドの魂が込められた名作であろう。<br />  <br /><br />直線の泉水と16分割の庭園<br />このマハ−ルをいっそう引き立たせているのが、足下から細長く一直線に伸びる鏡のような泉水とその周りの庭園であろう。マハ−ルの優美な姿とその影を浮かべる泉水や、それを取り巻く庭園の芝生と木々の緑が見事なコントラストを描き出している。う〜ん、なんと素敵きわまる光景であろう。この直線のラインがマハ−ルの完璧なまでの左右対称の均整美をいやがうえにも際立たせている。この世界に、これほどの人工美を持つ建物が他にあるだろうか?<br />  <br /><br />ミナレットの傾きが意味するもの<br />中央の廟を取り囲むように、四隅には高さ43mのミナレット(尖塔:こちらを参照)がそびえている。それも心なしかやや外側に傾いているように見える。それもそのはず、それはちゃんと計算の上で傾きを付けて建ててあるというのだ。地震によって内側に倒れ、建物を傷つけないようにとの配慮からである(ガイド氏談)。ちょっと見の外見だけでは分からないが、その裏には隠れた心づかいがなされているのだ。<br />  <br /><br />庭園の中心にある中央基壇<br /> 泉水に沿って続く参道(プロムナ−ド)をゆっくり進んで行く。マハ−ルの白亜の姿が次第にクロ−ズアップされてくる。すると、泉水は途中の白い基壇のところでいったん区切られ、それからまた同じ長さの直線の泉水が続いている。この基壇のところに入って、再度クロ−ズアップされたマハ−ルの姿にじっくりと見入る。次第に強くなる朝日を右側から浴びながら、彼女はその白の美の輝きをますます強めている。泉水いっぱいに逆さの陰影を映しながら、匂うようにたたずむマハ−ルの姿は、神々しいばかりの雰囲気をただよわせている。息を呑む瞬間である。<br />  <br />タージ・マハールのこと<br /> この超有名なタ−ジ・マハ−ルは、ムガ−ル帝国5代シャ−・ジャハンが1632年より1日2万人の労働力と22年の歳月を要してヤムナ−河のほとりに建造した愛妃のための廟墓である。これがデリ−にあるフマユ−ン廟を模して造られたものだとはいえ、純白の大理石に無数の貴石を埋め込みちりばめたその技法と見事さは、インド・イスラム建築の最高傑作といわれる。この建築に携わった建築家はシ−ラ−ズ出身のイサ・ハ−ンといわれる。<br />  <br /><br /> 東西300m、南北560mに及ぶ敷地は前庭、16分割庭園、墓廟の3部分から構成され、その中心部には泉水が掘られて東西南北に延びる水路につながっている。庭園の3方は壁で囲まれ、その北方中央にある一辺の長さ95m、高さ7mの基壇の上に高さ58mの大ド−ムを持つ白亜の墓廟が建っている。そして基壇の四隅には前述の高さ42mのミナレットが配置され、基壇中央部分に遺体を葬った玄室がある。そしてその上部は皇帝シャ−・ジャハンと早逝した愛妃ムムタズ・マハルの棺が置かれた墓室となっている。屋上のド−ム四隅にはインド建築特有のチャハトリ(小ド−ム)が配置され、廟の内外はすべて白大理石で豪華に覆われている。<br />  <br /><br />見事な象嵌装飾<br />ただそれだけではない。すごいのは、この白大理石の建物の内外のいたるところに、見事な象嵌(ぞうがん:工芸品の加飾法の一つ。地の素材を彫って、その部分に他の材料をはめ込んで模様を表す技法。)装飾が施されているということ。ガイド氏の説明によると、この近郊では白大理石が採れないので、遠く300km以上も離れた場所からはるばると運んで取り寄せたのだという。そして、ペルシャから数百人もの象嵌職人を呼び寄せ、象嵌装飾を施したという。その主な装飾模様はイスラム装飾特有の直線的な幾何学模様と草花をあしらった唐草文様である。<br />  <br /><br /> 彼の自慢話によると、マハ−ルの白大理石は、他の大理石と違って風雨に打たれても変色せず、いつまでもその純白さを保つのだそうだ。毎週金曜日はイスラム教の安息日になるのでマハ−ルは閉館となるが、その際に信徒たちの手によって石鹸水で水垢を流し落とすそうだ。化学洗剤を使うと変色するそうだが、この白大理石は石鹸水だけできれいに落ちるという。<br />  <br /><br />また、象嵌は埋め込まれた縁取りが一分の隙間もなく、風雨に打たれてもその縁に垢などが染み込まないという。この技術がまずいと、雨などによる垢が縁取りに付いて変色してしまうらしい。ペルシャ職人のこの象嵌技術は代々にわたって受け継がれる秘伝中の秘伝で、門外不出の技術なのだそうである。この技術によって装飾された白亜の象嵌大理石は、数百年後の今も真新しい純白の輝きを保っている。<br />  <br /><br />象嵌に使われる貴石<br />この象嵌に使われた貴石は、遠く中国、チベット、スリランカ、エジプト、ペルシャ、アフガニスタンなどから取り寄せらたそうである。これらの貴石は、それぞれ次のように色が決まっており、それを見事に配色しながら柄模様を象嵌装飾して行くのである。参考までに、その幾つかを列挙すると以下のようである。(これらは現在工芸品に使用されているものである)<br /><br />・ラピスラズリ……ブル−<br />・くじゃく石………ダ−クグリ−ン<br /> ・トルコ石…………スカイブル−<br />・サンゴ……………赤<br />・真珠母……………ミルキ−ホワイト<br /> ・ジャスパ−………ブラウン<br /> ・PAWA SHELL……レインボウ<br /> ・Tiger eye……金色<br />・Onex…………黒<br />・インディアン翡翠…濃い緑<br /><br />タ−ジ・マハ−ル建立の背景とその後<br />タ−ジ・マハ−ルは、愛妃のためにこれほどまでの贅を尽くし、長年月をかけて建立された墓廟だが、これはイスラム社会にあっては珍しいことと言えるのかもしれない。というのは、夫であるシャ−・ジャハンは時の皇帝であり、当然ハ−レムに何人もの側室を抱えていたはずだからである。なのに、ただ1人の愛妃に対して並々ならぬ愛情を注ぎ、これほどの墓廟を造った皇帝は、イスラム世界では珍しいといえるのである。<br />  <br /><br /> 第5代シャ−・ジャハンが即位したのは1627年、彼が妃となるムムタ−ジ・マハル(当時12歳でペルシャ人の重臣の孫娘)と初めて出会ったのは即位前の15歳の時である。彼女に一目惚れした彼は彼女との結婚を父帝に願い出て許される。その5年後に結婚してからは、毎年のように子供を生み落とす。妃を愛するあまり、皇帝は各地への遠征にも常に彼女を同伴していたのだが、14人目の子供をはらんでいた妃は遠征先で女児を生み落とし、その夜様態が急変して、翌未明(1631年6月7日)に帰らぬ人となる。その翌年から壮大な墓廟の造営に着手したのである。<br />  <br /><br />その後の後継者争いで三男のアウラングゼ−ブが皇帝の座を継ぐことになるが、父が長男に味方したことを恨み、父をアグラ城内に幽閉してしまう。こうして悲しい晩年を城内での幽閉の身で過ごすことになるのだが、彼はどんな気持ちでこの歴史に残る名廟をアグラ城から眺めていたのだろう? 城からは遠く遙かに白亜の廟を望むことができる。彼の遺体は愛妃ムムタ−ジの隣に仲良く安置されている。(幽閉されながら74歳で息を引き取る)<br />  <br /><br />裏手に流れるヤムナー河<br /> 中央基壇を離れていよいよ廟へ近づいて行く。間近に見上げるその華麗な姿は、一点の曇りもない真っ青な空の中に、くっきりと映像を残しながら溶け込んでいる。その青と白のコントラストが実に素晴らしく、見る者をこう惚とさせてしまう。廟の前を左へ右へと移動しながら、それぞれの角度から青空に映える情景を写真に撮り収める。<br />  <br /><br />基壇にはまだ上がらず、そのまま右側へ回り込んで廟の裏側へ出てみる。廟のすぐ裏手には、幅の広いヤムナ−河が鏡のような水面を見せながら静かに流れている。ほんの河のほとりぎりぎりに建っているのだが、増水して氾濫でもしたら、どうなるのだろう? この川向こうから眺めるマハ−ルの姿も、また格別の趣があっていいのかもしれないが、今はその時間はない。ゆっくりと歩きながら、ぐるりと一周してみる。 <br />  <br /><br />地面には赤砂岩の模様石が丁寧に敷きつめられており、こんなところにも手の込んだ作業の一端がうかがえる。敷地の左右両端には、赤砂岩で組まれた塔の上に白大理石の小さなド−ムが載っているのが見える。これもインド建築特有のチャハトリ(小ド−ム)なのだろう。 <br /><br />基壇は総大理石張り<br />基壇の正面中央部に小さな出入り口のア−チ門があり、そこをくぐり抜けて階段を上りあがると広い基壇の上面に出る。そこには靴カバ−が用意されていて、土足で立ち入らないようになっている。その床面は全面白大理石張りになって光り輝いているのだが、これほどの広大な大理石張りの床面をこれまで見たことがない。まさに贅を尽くした豪華そのものである。ここは素足でその大理石の感触を味わってみたい衝動に駆られるが、それには目をつぶって靴カバ−を付け、音もなく床面を歩きながら間接的にその感触を味わうこにする。<br />  <br /><br />絢爛豪華な廟堂の内部<br /> 正面入口に回ると大きなイワ−ン(ア−チ)を通り抜けて中へ入りかかる。だが、その前にア−チの下でふと立ち止まってしまう。このア−チ内の大理石の壁面一帯に、目を見張るような様々な美しい象嵌装飾が施されているのだ。それは幾何学模様もあれば、唐草模様もある。そしてまた、草花を浮き彫りにした壁面を唐草模様の象嵌でびっしりと縁取りをしている。何という手の込んだ装飾、何という贅を尽くした壁面だろう。これらのすべては、ペルシャ職人のテクによるものなのだろう。<br />  <br /><br />いよいよ廟堂内に入ってみる。そこには高さ24mもあるという高い天井に囲まれた広い空間が広がっており、その中央部には壁で仕切られた棺の安置所が設けられている。そこには大小2つの棺が並べられているが、小さい方がムムタ−ジの棺という。しかし、これらはレプリカの棺だそうで、本物は地下室に安置されている。<br />  <br /><br />やはり目を引くのは壁面の象嵌装飾で、仕切りの壁面全面におびただしいほどの装飾が施されている。思わず“わ〜っ”と感嘆の声を漏らすほどのきらびやかさ、華やかさで、カラフルな花柄模様や唐草模様がちりばめられている。それらは、たとえようのない美しさで廟内を彩っている。廟内は撮影禁止になっているので、その様子を写真に残すことができず残念である。<br />  <br /><br />これほどの装飾を施すのには、膨大な量の貴石が必要だったと思われるのだが、よくぞこれだけのものを集めたものだと感心させられる。それだけでも、途方もない巨額の費用がかかったことは容易に想像がつく。これに何百トンもの白大理石の費用と運搬賃を考えると、いったいいかほどの金額になるのだろう? 富と権力を持つ者しか到底できるはずはない。今となっては、その華やかな装飾模様が強烈な印象となって残っている以外は、記憶をたぐるよすがもなく、内部の様子はほとんど思い出せない。<br />  <br /><br />タージ・マハールは宝石箱<br /> 少々興奮気味の面持ちで廟内から出ると、その前に立ってもう一度インドの青空にそびえ立つ廟堂を眺め入る。遠景ではそれほど感じないが、側に立つと、いかにそれがでっかい建物であるかがよく分かる。側に立つ人間の何と小さなことだろう。ケシ粒ほどにしか見えない人間の大きさに比較してみれば、それがどれほどのものかが分かるというもの。その巨大建物が貴石類でちりばめられている。それはまるで建物全体が宝石箱といっても過言ではないだろう。この廟堂の絢爛豪華さ、華麗さ、荘厳さ、そして美しさには、心底脱帽するしかない。<br />  <br /><br /> 帰路は横手の木陰の道を通って正門へ向かう。時間が経っているので、今は入場者もかなり多くなっている。だが、この道はひっそりとして人影はまばらである。正門をくぐりながら、最後にいま一度マハ−ルの姿に名残りを惜しむ。こうして1時間に及ぶタ−ジ・マハ−ル見学は終わりを告げる。<br />  <br /><br />きびすを返して東門へ向かうと、すでに門前には入場チェック待ちの長い行列ができている。やはり、ここにはなるべく早く来るべきで、観光客でごった返す前に見るのが望ましい。静かな雰囲気で見られるからである。門前から再び電気自動車に乗ると、バスの駐車場へ向かう。 <br /><br /><br />満月の夜は紫色に輝くマハール<br /> このタ−ジ・マハ−ルは日没で閉門となるが、ガイド氏の話によると、満月の夜とその前後の計3日間は夜間にも開門されるそうで、月光に照らされて紫色に輝く廟の姿は幻想的らしい。朝焼けには薄紅色を見せ、昼間は白亜の輝き、そして満月の夜は紫に染まる。この様々な顔を見せるその姿は、なんとロマンチックなことだろう。満月の夜の輝きを一度は見てみたい。今夜あたり、そろそろ満月に近いような感じだが、どうなのだろう? 夜の開門の際には6種類のナイトショ−が催され、予約して観賞できるらしい。<br />  <br />(この続きはこちらへ・・・⇒http://yasy7.web.fc2.com/)<br /><br /> <br /> <br />

タージ・マハール観光

9いいね!

2005/11/15 - 2005/11/15

553位(同エリア1061件中)

0

10

yasyas

yasyasさん

(表紙写真)・・・タージマハールの正門を入った場所から眺めた全景。この庭園が16分割庭園で、中央遠く前方に見える中央基壇が庭の中心点になり、それぞれ左右に8区画ずつ計16に分けられた庭園になっている。
タ−ジ・マハ−ル観光(アグラ)

6日目。今朝の出発は7時30分と早い。5時半に起床して身仕度を整える。6時半になると食堂へ出向き、お馴染みのインド料理でお腹を満たす。今日の予定は、念願のタ−ジ・マハ−ル観光(世界遺産)、次いでアグラ城(世界遺産)とファテ−プル・スィ−クリ−(世界遺産)を観光し、その後は宿泊地ジャイプ−ルへ移動する。さらにその途中、ケオラデオ国立公園(世界遺産)に立ち寄って見学するなど盛りだくさんの旅程である。今度のバスの旅では最長の230kmを走行するのだが、果たして道路事情はどうなのだろう?
 
アグラ市内の朝の景観
部屋に戻って窓外を眺めると、ようやく明けかかったアグラの市街風景が朝もやに包まれながら静かに広がっている。ここからタ−ジ・マハ−ルが見えないかと目を凝らして探してみるが、それらしき姿はどこにも見当たらない。たとえ、この窓の方向に位置するとしても、距離的にここから3kmも離れているので見通すのは無理かもしれない。しかし、アグラ城はその半分の距離にあるので、もし窓の方向に位置していれば見えるはずなのだが……。それはともかく、意外と緑の多い街のようである。

アグラの町のこと
ここアグラの街は首都ニュ−・デリ−の南200kmの地点に位置する人口約126万の古都である。この町は16世紀〜17世紀にかけてインド史上最大のイスラム王朝であるムガ−ル帝国の首都として栄えた町で、当時の建築物である名廟タ−ジ・マハ−ルをはじめ3つの世界遺産を抱えるインド屈指の観光都市である。1558年にムガ−ル帝国は首都をデリ−からアグラへ移して、アクバル大帝時代に本格的な都市建設が行われたが、その時代に王宮と城塞の両機能を持つアグラ城が建設されたのである。
 

待望のタージ・マハールへ
7時半になり、いよいよ出発である。待ちに待ったこの日をアグラの町は快晴の空で迎えてくれる。胸踊らせながらバスに乗ると、一路タ−ジ・マハ−ルを目指して突っ走る。短距離なのでしばらく走ると間もなくしてストップし、下車させられる。だが、その優雅な姿はまだどこにも見えない。出し惜しみしているのだろうか? すると、ここから電気自動車に乗り換えて移動するという。排気ガス汚染を防ぐためか、タ−ジ・マハ−ルの隣接区域は一般車両通行禁止になっている。この歴史的遺産を守るため、特別の配慮がなされているわけだ。
 

ミニバスに乗り換えると、ひっそりとした閑静な通りを奥へ向かって進んで行く。間もなく、前方の森陰の向こうにちらほらと白いものが見え始める。あれがそうなのだろうか? バスは一直線にどんどん進んで行く。


乗り換え地点から500mほど走ったところで、東門前の広場に到着する。目の前には赤砂岩造りなのだろうか、イスラム型ア−チにくり貫かれた赤色のどっしりした門がそびえてタ−ジ・マハ−ルを守り塞いでいる。彼女のガ−ドは固く、まだまだお目もじできないのである。
 
ミネラル水のサービス
門の横手に用意されたミネラス水(小ビン)1本ずつをサ−ビスに受け取り、南門に向かう。面白いことに、入場者にはミネラル水が振る舞われるのである。ここの入場料は1人約2000円(合計750ルピー)と少々高い。ただし、これは外国人向け料金で、インド人の場合は50円だそうである。インドの物価から考えると、この料金はかなりの財政収入になるはずである。開門は日の出よりとなっており、まだ開かれて間もない様子で観光客の数も少ないようだ。
 

そして、いよいよ門をくぐろうとすると、今度は所持品チェックである。門の入口には防弾チョッキ姿で銃を持つ警備兵が立っている。少々ものものしい警備である。男女別に分けられたブ−スを通り抜け、出たところで直接ボディチェックを受ける。女性側のほうにはシ−トが張られて見えないようにしてある。ここを無事通過して奥の方へ進んで行く。ここでもまだその気品のある姿は見せてもらえない。
 

東門を入ったところ。身体チェックのための簡単なブースがある。

両側を赤砂岩の回廊で囲まれた道を真っ直ぐ進んで行く。


回廊が途切れると、ぱっと左右が開けて、広く、美しい庭園が現れる。気分爽快になりながら歩んでいると、右手の回廊の上ににょっきりと純白のネギ坊主が突き出しているのが見える。えっ! あれがタ−ジ・マハ−ル!? でも、ド−ムの頭部の部分だけでは……。早くその全容を見せてほしいぞ! はやる心を抑えながら右手の正門に向かう。 

正門前に立つと、赤砂岩で造られた豪華な門には白大理石かと思われる白い縁取りがはめ込まれ、その中に美しい柄模様がはめ込まれている。恐らくこれも象嵌なのだろう。そして上を見上げると、白い糸巻きのような心棒が行儀よく11個並んでいるのが見える。それは反対側にも同じように11個が向かい合うように並んでおり、みんなで22個になる。これはいったい何を意味するのだろうか? 

ガイド氏の話によれば、タ−ジ・マハ−ルを建設するのに要した年数を意味するのだという。つまり、その建立には22年を要したのだが、そのことを表すため1個を1年として計22個を並べたという。(私の記憶に間違いなければの話だが……) 
とにかく、先を急ごう。正門のア−チをくぐり抜けて行くと、その向こうに朝日を受けながら燦然と輝くタ−ジ・マハ−ルがア−チの中に浮かんでいる。

そのまま門を通り抜けてテラスに出ると、これぞ白亜という表現にぴったりのマハ−ルが見事な均整美を見せながら庭園の奥に鎮座している。なんとも感動の一瞬である。これまで何度この姿を写真や映像で見てきたことだろう。いまその実物がヴェ−ルを脱いで私の目の前に優雅な姿を披露している。なんだか気恥ずかしく、そしてまぶしくて、まともに見ることがはばかれるようだ。ほんとに近寄って見ていいのだろうか?

その美しさに打ちのめされる思いで、正面のマハ−ルをじっと見つめる。それは何といって表現したらいいのだろう。典雅で優美、華麗、そして気品に満ちた高貴な姿は、他の建築物のどれをも寄せつけず、燦然と輝きながら美しく、そして誇らしげに建っている。贅を尽くした建築の美を、その全体から惜しみなく発散している。インドの魂が込められた名作であろう。
 

直線の泉水と16分割の庭園
このマハ−ルをいっそう引き立たせているのが、足下から細長く一直線に伸びる鏡のような泉水とその周りの庭園であろう。マハ−ルの優美な姿とその影を浮かべる泉水や、それを取り巻く庭園の芝生と木々の緑が見事なコントラストを描き出している。う〜ん、なんと素敵きわまる光景であろう。この直線のラインがマハ−ルの完璧なまでの左右対称の均整美をいやがうえにも際立たせている。この世界に、これほどの人工美を持つ建物が他にあるだろうか?
 

ミナレットの傾きが意味するもの
中央の廟を取り囲むように、四隅には高さ43mのミナレット(尖塔:こちらを参照)がそびえている。それも心なしかやや外側に傾いているように見える。それもそのはず、それはちゃんと計算の上で傾きを付けて建ててあるというのだ。地震によって内側に倒れ、建物を傷つけないようにとの配慮からである(ガイド氏談)。ちょっと見の外見だけでは分からないが、その裏には隠れた心づかいがなされているのだ。
 

庭園の中心にある中央基壇
泉水に沿って続く参道(プロムナ−ド)をゆっくり進んで行く。マハ−ルの白亜の姿が次第にクロ−ズアップされてくる。すると、泉水は途中の白い基壇のところでいったん区切られ、それからまた同じ長さの直線の泉水が続いている。この基壇のところに入って、再度クロ−ズアップされたマハ−ルの姿にじっくりと見入る。次第に強くなる朝日を右側から浴びながら、彼女はその白の美の輝きをますます強めている。泉水いっぱいに逆さの陰影を映しながら、匂うようにたたずむマハ−ルの姿は、神々しいばかりの雰囲気をただよわせている。息を呑む瞬間である。
 
タージ・マハールのこと
この超有名なタ−ジ・マハ−ルは、ムガ−ル帝国5代シャ−・ジャハンが1632年より1日2万人の労働力と22年の歳月を要してヤムナ−河のほとりに建造した愛妃のための廟墓である。これがデリ−にあるフマユ−ン廟を模して造られたものだとはいえ、純白の大理石に無数の貴石を埋め込みちりばめたその技法と見事さは、インド・イスラム建築の最高傑作といわれる。この建築に携わった建築家はシ−ラ−ズ出身のイサ・ハ−ンといわれる。
 

東西300m、南北560mに及ぶ敷地は前庭、16分割庭園、墓廟の3部分から構成され、その中心部には泉水が掘られて東西南北に延びる水路につながっている。庭園の3方は壁で囲まれ、その北方中央にある一辺の長さ95m、高さ7mの基壇の上に高さ58mの大ド−ムを持つ白亜の墓廟が建っている。そして基壇の四隅には前述の高さ42mのミナレットが配置され、基壇中央部分に遺体を葬った玄室がある。そしてその上部は皇帝シャ−・ジャハンと早逝した愛妃ムムタズ・マハルの棺が置かれた墓室となっている。屋上のド−ム四隅にはインド建築特有のチャハトリ(小ド−ム)が配置され、廟の内外はすべて白大理石で豪華に覆われている。
 

見事な象嵌装飾
ただそれだけではない。すごいのは、この白大理石の建物の内外のいたるところに、見事な象嵌(ぞうがん:工芸品の加飾法の一つ。地の素材を彫って、その部分に他の材料をはめ込んで模様を表す技法。)装飾が施されているということ。ガイド氏の説明によると、この近郊では白大理石が採れないので、遠く300km以上も離れた場所からはるばると運んで取り寄せたのだという。そして、ペルシャから数百人もの象嵌職人を呼び寄せ、象嵌装飾を施したという。その主な装飾模様はイスラム装飾特有の直線的な幾何学模様と草花をあしらった唐草文様である。
 

彼の自慢話によると、マハ−ルの白大理石は、他の大理石と違って風雨に打たれても変色せず、いつまでもその純白さを保つのだそうだ。毎週金曜日はイスラム教の安息日になるのでマハ−ルは閉館となるが、その際に信徒たちの手によって石鹸水で水垢を流し落とすそうだ。化学洗剤を使うと変色するそうだが、この白大理石は石鹸水だけできれいに落ちるという。
 

また、象嵌は埋め込まれた縁取りが一分の隙間もなく、風雨に打たれてもその縁に垢などが染み込まないという。この技術がまずいと、雨などによる垢が縁取りに付いて変色してしまうらしい。ペルシャ職人のこの象嵌技術は代々にわたって受け継がれる秘伝中の秘伝で、門外不出の技術なのだそうである。この技術によって装飾された白亜の象嵌大理石は、数百年後の今も真新しい純白の輝きを保っている。
 

象嵌に使われる貴石
この象嵌に使われた貴石は、遠く中国、チベット、スリランカ、エジプト、ペルシャ、アフガニスタンなどから取り寄せらたそうである。これらの貴石は、それぞれ次のように色が決まっており、それを見事に配色しながら柄模様を象嵌装飾して行くのである。参考までに、その幾つかを列挙すると以下のようである。(これらは現在工芸品に使用されているものである)

・ラピスラズリ……ブル−
・くじゃく石………ダ−クグリ−ン
・トルコ石…………スカイブル−
・サンゴ……………赤
・真珠母……………ミルキ−ホワイト
・ジャスパ−………ブラウン
・PAWA SHELL……レインボウ
・Tiger eye……金色
・Onex…………黒
・インディアン翡翠…濃い緑

タ−ジ・マハ−ル建立の背景とその後
タ−ジ・マハ−ルは、愛妃のためにこれほどまでの贅を尽くし、長年月をかけて建立された墓廟だが、これはイスラム社会にあっては珍しいことと言えるのかもしれない。というのは、夫であるシャ−・ジャハンは時の皇帝であり、当然ハ−レムに何人もの側室を抱えていたはずだからである。なのに、ただ1人の愛妃に対して並々ならぬ愛情を注ぎ、これほどの墓廟を造った皇帝は、イスラム世界では珍しいといえるのである。
 

第5代シャ−・ジャハンが即位したのは1627年、彼が妃となるムムタ−ジ・マハル(当時12歳でペルシャ人の重臣の孫娘)と初めて出会ったのは即位前の15歳の時である。彼女に一目惚れした彼は彼女との結婚を父帝に願い出て許される。その5年後に結婚してからは、毎年のように子供を生み落とす。妃を愛するあまり、皇帝は各地への遠征にも常に彼女を同伴していたのだが、14人目の子供をはらんでいた妃は遠征先で女児を生み落とし、その夜様態が急変して、翌未明(1631年6月7日)に帰らぬ人となる。その翌年から壮大な墓廟の造営に着手したのである。
 

その後の後継者争いで三男のアウラングゼ−ブが皇帝の座を継ぐことになるが、父が長男に味方したことを恨み、父をアグラ城内に幽閉してしまう。こうして悲しい晩年を城内での幽閉の身で過ごすことになるのだが、彼はどんな気持ちでこの歴史に残る名廟をアグラ城から眺めていたのだろう? 城からは遠く遙かに白亜の廟を望むことができる。彼の遺体は愛妃ムムタ−ジの隣に仲良く安置されている。(幽閉されながら74歳で息を引き取る)
 

裏手に流れるヤムナー河
中央基壇を離れていよいよ廟へ近づいて行く。間近に見上げるその華麗な姿は、一点の曇りもない真っ青な空の中に、くっきりと映像を残しながら溶け込んでいる。その青と白のコントラストが実に素晴らしく、見る者をこう惚とさせてしまう。廟の前を左へ右へと移動しながら、それぞれの角度から青空に映える情景を写真に撮り収める。
 

基壇にはまだ上がらず、そのまま右側へ回り込んで廟の裏側へ出てみる。廟のすぐ裏手には、幅の広いヤムナ−河が鏡のような水面を見せながら静かに流れている。ほんの河のほとりぎりぎりに建っているのだが、増水して氾濫でもしたら、どうなるのだろう? この川向こうから眺めるマハ−ルの姿も、また格別の趣があっていいのかもしれないが、今はその時間はない。ゆっくりと歩きながら、ぐるりと一周してみる。
 

地面には赤砂岩の模様石が丁寧に敷きつめられており、こんなところにも手の込んだ作業の一端がうかがえる。敷地の左右両端には、赤砂岩で組まれた塔の上に白大理石の小さなド−ムが載っているのが見える。これもインド建築特有のチャハトリ(小ド−ム)なのだろう。

基壇は総大理石張り
基壇の正面中央部に小さな出入り口のア−チ門があり、そこをくぐり抜けて階段を上りあがると広い基壇の上面に出る。そこには靴カバ−が用意されていて、土足で立ち入らないようになっている。その床面は全面白大理石張りになって光り輝いているのだが、これほどの広大な大理石張りの床面をこれまで見たことがない。まさに贅を尽くした豪華そのものである。ここは素足でその大理石の感触を味わってみたい衝動に駆られるが、それには目をつぶって靴カバ−を付け、音もなく床面を歩きながら間接的にその感触を味わうこにする。
 

絢爛豪華な廟堂の内部
正面入口に回ると大きなイワ−ン(ア−チ)を通り抜けて中へ入りかかる。だが、その前にア−チの下でふと立ち止まってしまう。このア−チ内の大理石の壁面一帯に、目を見張るような様々な美しい象嵌装飾が施されているのだ。それは幾何学模様もあれば、唐草模様もある。そしてまた、草花を浮き彫りにした壁面を唐草模様の象嵌でびっしりと縁取りをしている。何という手の込んだ装飾、何という贅を尽くした壁面だろう。これらのすべては、ペルシャ職人のテクによるものなのだろう。
 

いよいよ廟堂内に入ってみる。そこには高さ24mもあるという高い天井に囲まれた広い空間が広がっており、その中央部には壁で仕切られた棺の安置所が設けられている。そこには大小2つの棺が並べられているが、小さい方がムムタ−ジの棺という。しかし、これらはレプリカの棺だそうで、本物は地下室に安置されている。
 

やはり目を引くのは壁面の象嵌装飾で、仕切りの壁面全面におびただしいほどの装飾が施されている。思わず“わ〜っ”と感嘆の声を漏らすほどのきらびやかさ、華やかさで、カラフルな花柄模様や唐草模様がちりばめられている。それらは、たとえようのない美しさで廟内を彩っている。廟内は撮影禁止になっているので、その様子を写真に残すことができず残念である。
 

これほどの装飾を施すのには、膨大な量の貴石が必要だったと思われるのだが、よくぞこれだけのものを集めたものだと感心させられる。それだけでも、途方もない巨額の費用がかかったことは容易に想像がつく。これに何百トンもの白大理石の費用と運搬賃を考えると、いったいいかほどの金額になるのだろう? 富と権力を持つ者しか到底できるはずはない。今となっては、その華やかな装飾模様が強烈な印象となって残っている以外は、記憶をたぐるよすがもなく、内部の様子はほとんど思い出せない。
 

タージ・マハールは宝石箱
少々興奮気味の面持ちで廟内から出ると、その前に立ってもう一度インドの青空にそびえ立つ廟堂を眺め入る。遠景ではそれほど感じないが、側に立つと、いかにそれがでっかい建物であるかがよく分かる。側に立つ人間の何と小さなことだろう。ケシ粒ほどにしか見えない人間の大きさに比較してみれば、それがどれほどのものかが分かるというもの。その巨大建物が貴石類でちりばめられている。それはまるで建物全体が宝石箱といっても過言ではないだろう。この廟堂の絢爛豪華さ、華麗さ、荘厳さ、そして美しさには、心底脱帽するしかない。
 

帰路は横手の木陰の道を通って正門へ向かう。時間が経っているので、今は入場者もかなり多くなっている。だが、この道はひっそりとして人影はまばらである。正門をくぐりながら、最後にいま一度マハ−ルの姿に名残りを惜しむ。こうして1時間に及ぶタ−ジ・マハ−ル見学は終わりを告げる。
 

きびすを返して東門へ向かうと、すでに門前には入場チェック待ちの長い行列ができている。やはり、ここにはなるべく早く来るべきで、観光客でごった返す前に見るのが望ましい。静かな雰囲気で見られるからである。門前から再び電気自動車に乗ると、バスの駐車場へ向かう。 


満月の夜は紫色に輝くマハール
このタ−ジ・マハ−ルは日没で閉門となるが、ガイド氏の話によると、満月の夜とその前後の計3日間は夜間にも開門されるそうで、月光に照らされて紫色に輝く廟の姿は幻想的らしい。朝焼けには薄紅色を見せ、昼間は白亜の輝き、そして満月の夜は紫に染まる。この様々な顔を見せるその姿は、なんとロマンチックなことだろう。満月の夜の輝きを一度は見てみたい。今夜あたり、そろそろ満月に近いような感じだが、どうなのだろう? 夜の開門の際には6種類のナイトショ−が催され、予約して観賞できるらしい。
 
(この続きはこちらへ・・・⇒http://yasy7.web.fc2.com/



旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
社員・団体旅行
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
  • ホテルの窓から眺めたアグラ市街の朝の風景

    ホテルの窓から眺めたアグラ市街の朝の風景

  • どっしりとした赤砂岩造りの東門

    どっしりとした赤砂岩造りの東門

  • 東門を入ったところ。身体チェックのための簡単なブースがある。<br />

    東門を入ったところ。身体チェックのための簡単なブースがある。

  • 赤砂岩の回廊が美しい<br />

    赤砂岩の回廊が美しい

  • ここは前庭に当たるところ。右手が正門で、これを通り抜けた正面に廟がある。<br />

    ここは前庭に当たるところ。右手が正門で、これを通り抜けた正面に廟がある。

  • 象嵌で装飾された正門。門上の白い11個の列は建造年数を表す?<br />

    象嵌で装飾された正門。門上の白い11個の列は建造年数を表す?

  • イワーン(アーチ)の向こうに 燦然と輝くタージ・マハール<br /> 胸が高鳴る一瞬<br />

    イワーン(アーチ)の向こうに 燦然と輝くタージ・マハール
     胸が高鳴る一瞬

  • 左位置より眺めた廟

    左位置より眺めた廟

  • 右位置から眺めた廟

    右位置から眺めた廟

  • 泉水に逆さの陰影を落とす白亜の廟

    泉水に逆さの陰影を落とす白亜の廟

この旅行記のタグ

9いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

インドで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
インド最安 306円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

インドの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから海外旅行記(ブログ)を探す

PAGE TOP