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二度目の訪問からもう一年が経とうとしてますので、このままでは記憶も薄れ旅行記にするのも難しくなりそう。<br />と言う訳で、何とか作成してみようとなった訳です。<br /> <br />今回は、<br />1.古都アユタヤの再訪(前回行けなかった遺跡散策と寺院参詣)<br />2.日本人町跡<br />3.先の大戦の遺構が今に利用されている、泰緬鉄道を辿る<br />  クワイ河(現地ではクウェ―河)鉄橋、アルヒル桟橋(木製桟橋)<br />4.王宮と黄金仏のワット・ポー参詣<br />を訪ねる旅です。

二度目のタイ訪問 その2 古都アユタヤを訪ねて

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2013/09/27 - 2013/09/30

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五黄の寅

五黄の寅さん

二度目の訪問からもう一年が経とうとしてますので、このままでは記憶も薄れ旅行記にするのも難しくなりそう。
と言う訳で、何とか作成してみようとなった訳です。

今回は、
1.古都アユタヤの再訪(前回行けなかった遺跡散策と寺院参詣)
2.日本人町跡
3.先の大戦の遺構が今に利用されている、泰緬鉄道を辿る
  クワイ河(現地ではクウェ―河)鉄橋、アルヒル桟橋(木製桟橋)
4.王宮と黄金仏のワット・ポー参詣
を訪ねる旅です。

旅行の満足度
5.0
観光
4.5
ホテル
3.0
グルメ
4.0
  • バンコクの北に位置するアユタヤ王朝の夢の跡を訪ねます。<br />お茶を買い込んで、いざ出発。<br />

    バンコクの北に位置するアユタヤ王朝の夢の跡を訪ねます。
    お茶を買い込んで、いざ出発。

  • アユタヤはチャオプラヤー川に面する、平原地帯にあり、タイ中南部、現在の首都バンコクより北方約60kmに位置しています。<br />

    アユタヤはチャオプラヤー川に面する、平原地帯にあり、タイ中南部、現在の首都バンコクより北方約60kmに位置しています。

  • 周辺の数県とともにタイを代表する稲作地帯でもあります。

    周辺の数県とともにタイを代表する稲作地帯でもあります。

  • バンコクから鉄道やバスで日帰り訪問ができる観光地であり、旅行者の人気も高い観光地になっています。

    バンコクから鉄道やバスで日帰り訪問ができる観光地であり、旅行者の人気も高い観光地になっています。

  • 以下ウィキベディアより引用<br />アユタヤ王朝の首都として発展し、国際都市として発展したが、1767年、ビルマ・コンバウン王朝によって崩壊。<br />市内は廃墟となり、後にタイで覇権を握ったタークシン王はアユタヤを放棄し、トンブリーに王都を築いたことで、アユタヤは歴史の表舞台から姿を消すこととなる。

    以下ウィキベディアより引用
    アユタヤ王朝の首都として発展し、国際都市として発展したが、1767年、ビルマ・コンバウン王朝によって崩壊。
    市内は廃墟となり、後にタイで覇権を握ったタークシン王はアユタヤを放棄し、トンブリーに王都を築いたことで、アユタヤは歴史の表舞台から姿を消すこととなる。

  • 一方で、20世紀後半から工業都市としての発展するようになった。<br />発展に伴い、アユタヤ市街地はアユタヤ島を中心とする地域からチャオプラヤー川を越えて東へ移動した。<br />現在旧市街地は、教育機関や官庁の建ち並ぶ地域となっている。<br /><br />ここまで引用でした。

    一方で、20世紀後半から工業都市としての発展するようになった。
    発展に伴い、アユタヤ市街地はアユタヤ島を中心とする地域からチャオプラヤー川を越えて東へ移動した。
    現在旧市街地は、教育機関や官庁の建ち並ぶ地域となっている。

    ここまで引用でした。

  • ここは Wat Yai Chaya Mongkol(ワット・ヤイ・チャイ・モンコン)寺院です。<br />巨大な涅槃像が有名です。

    ここは Wat Yai Chaya Mongkol(ワット・ヤイ・チャイ・モンコン)寺院です。
    巨大な涅槃像が有名です。

  • こちらでお参りをさせて頂きます。<br />御供え物を買って、お供えした後、金箔を仏様の足の裏に貼り付けます。

    こちらでお参りをさせて頂きます。
    御供え物を買って、お供えした後、金箔を仏様の足の裏に貼り付けます。

  • それから、仏様の袈裟を掛けさせて頂きます。

    それから、仏様の袈裟を掛けさせて頂きます。

  • この寺院の情報は、以下の英語のホームページしか見つかりませんでした。<br />http://www.ayutthaya.net/wat_yaichaimongkol

    この寺院の情報は、以下の英語のホームページしか見つかりませんでした。
    http://www.ayutthaya.net/wat_yaichaimongkol

  • 寺の境内には様々な建物や仏塔が建っています。<br />アユタヤの寺院は破壊された所が殆どですが、ここは現在も僧侶がいます。

    寺の境内には様々な建物や仏塔が建っています。
    アユタヤの寺院は破壊された所が殆どですが、ここは現在も僧侶がいます。

  • ビルマに占領されたアユタヤを奪還した時に、戦勝記念として建てられた塔にお参りしました。

    ビルマに占領されたアユタヤを奪還した時に、戦勝記念として建てられた塔にお参りしました。

  • 塔から見下ろすと、周囲には仏像が幾体も並んでいる事が分かります。

    塔から見下ろすと、周囲には仏像が幾体も並んでいる事が分かります。

  • ひときわ大きな仏像の所に行って見ました。

    ひときわ大きな仏像の所に行って見ました。

  • そこから歩いて仏像の安置されてる建物に行きました。<br />アユタヤにも大仏様が鎮座されています。

    そこから歩いて仏像の安置されてる建物に行きました。
    アユタヤにも大仏様が鎮座されています。

  • 日本と違って黄金の仏像で、きらきらと輝いています。<br />

    日本と違って黄金の仏像で、きらきらと輝いています。

  • ここはウィハーン プラ モンコン ボピットと言い、高さ17mの大仏さまが鎮座されています。

    ここはウィハーン プラ モンコン ボピットと言い、高さ17mの大仏さまが鎮座されています。

  • アユタヤの観光ではかなりの距離を歩きます。<br />気温が高い(30度越え)ので、適宜休みながら散策しましょう。<br />もち米の上にアイスクリーム。<br />こちらの名物らしいのですが、意外といけます。

    アユタヤの観光ではかなりの距離を歩きます。
    気温が高い(30度越え)ので、適宜休みながら散策しましょう。
    もち米の上にアイスクリーム。
    こちらの名物らしいのですが、意外といけます。

  • 水分補給は必須です。<br />現地の甘いお茶のペットボトル。

    水分補給は必須です。
    現地の甘いお茶のペットボトル。

  • 昼食は、こんな感じのテント張りの食堂で頂きます。

    昼食は、こんな感じのテント張りの食堂で頂きます。

  • 沖縄そばの様な(もっと美味しいです)麺や肉野菜炒めの様な物、揚げ豆腐の様な物など、余り辛くなくて口に合う物がそこそこあります。<br />

    沖縄そばの様な(もっと美味しいです)麺や肉野菜炒めの様な物、揚げ豆腐の様な物など、余り辛くなくて口に合う物がそこそこあります。

  • 昼を食べたあと、前回寄る事が出来なかった 日本人町跡 に出掛けました。

    昼を食べたあと、前回寄る事が出来なかった 日本人町跡 に出掛けました。

  • 以下ウィキペディアより引用しましょう。

    以下ウィキペディアより引用しましょう。

  • アユタヤ日本人町(アユタヤにほんじんまち)は、14世紀中ごろから18世紀頃までアユタヤにあった日本人町。

    アユタヤ日本人町(アユタヤにほんじんまち)は、14世紀中ごろから18世紀頃までアユタヤにあった日本人町。

  • 15世紀後半から16世紀初頭までアユタヤ王朝下、軍事力と貿易による利潤を背景に政治的に力を持つようになった。

    15世紀後半から16世紀初頭までアユタヤ王朝下、軍事力と貿易による利潤を背景に政治的に力を持つようになった。

  • 当時のアユタヤ中心地をチャオプラヤー川沿いに南に下った西岸にあり、ポルトガル人街とは相対の位置にあった。

    当時のアユタヤ中心地をチャオプラヤー川沿いに南に下った西岸にあり、ポルトガル人街とは相対の位置にあった。

  • 南北約570メートル、230メートルの敷地に最盛期で1000〜1500人の日本人(<br />タイ族などの使用人を除く)が住んでいたと思われている。

    南北約570メートル、230メートルの敷地に最盛期で1000〜1500人の日本人(
    タイ族などの使用人を除く)が住んでいたと思われている。

  • なお『暹羅国風土軍記』の資料では寛永期ごろのアユタヤ日本人町の人口を8000人と見積もっている。

    なお『暹羅国風土軍記』の資料では寛永期ごろのアユタヤ日本人町の人口を8000人と見積もっている。

  • アユタヤ日本人町の住民は、傭兵、貿易商、キリシタン、あるいは彼らの配偶者やタイ族の使用人などで構成されていた。

    アユタヤ日本人町の住民は、傭兵、貿易商、キリシタン、あるいは彼らの配偶者やタイ族の使用人などで構成されていた。

  • ここは、子供の頃に日本の侍である山田長政がここタイ(当時シャムと呼ばれた国)で活躍した話を聞き、何時か尋ねて見たいと思う様になった場所です。

    ここは、子供の頃に日本の侍である山田長政がここタイ(当時シャムと呼ばれた国)で活躍した話を聞き、何時か尋ねて見たいと思う様になった場所です。

  • 資料によると、国王の親衛隊長まで上り詰めていますが、国王が死去した後、新国王に疎まれ地方に飛ばされ、そこで失意のまま亡くなった(毒殺された?)そうです。

    資料によると、国王の親衛隊長まで上り詰めていますが、国王が死去した後、新国王に疎まれ地方に飛ばされ、そこで失意のまま亡くなった(毒殺された?)そうです。

  • 遠く異国の地で活躍した日本人の気分を感じながら、この地を散策しました。<br />旅行記 3 タイスキを堪能 に続きます。

    遠く異国の地で活躍した日本人の気分を感じながら、この地を散策しました。
    旅行記 3 タイスキを堪能 に続きます。

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