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(表紙写真はインド門の立つ広大な公園)<br /><br /><br />デリ−市内観光・・・インド門、フマユ−ン廟、クトゥブミナ−ル、家庭<br />               訪問、ラージ・ガート、寝台列車<br />  <br />インド二日目。今日はインド門や世界遺産のフマユ−ン廟とクトゥブミナ−ルを観光した後、インドの一般家庭を訪問し、その生活ぶりを拝見させてもらう予定である。その後、夕方には夜行寝台列車でベナレスへ向かう。一日盛りだくさんの行程である。<br />  <br /><br />快適な朝<br /> 身仕度を整えて、まずは外の様子を見に玄関先へ出てみる。ひんやりとした朝の冷気が肌を撫でて心地よい。現地の朝は早いようで、ようやく明るくなった通りのあちこちには、すでに人々の動きが見られる。雑然と建物が並んだ通りの間から見上げる空は見事な快晴で、雲が湧き出す気配さえ感じられない。出発前に日本で確認した天気予報では、どの訪問地も快晴の晴マ−クばかりだったが、それは間違いなさそうで、今度ばかりは傘の心配は無用のようだ。今朝の現地新聞で確認すると、今日の気温は最低12度〜最高29度となっている。案外と低いようである。<br />  <br /><br />品数少ない朝食<br /> 外の空気を確認したところで、まずは朝食と行こう。狭い食堂に行くとバイキングスタイルの朝食が用意されている。とはいっても品数は少なく、ナン、ト−ストパン、コ−ンフレ−クと牛乳、茹で卵、オムレツ、ジュ−ス、パパイヤ、リンゴ、バナナなどで、これらとコ−ヒ−をもらってお腹を満たす。<br />  <br /><br />付近の散策<br /> 食事を終えると再び外へ出て辺りの探索を始める。昨夜は気付かなかったが、ホテル前の道路には蜘蛛の巣のように張り巡らされた電線が垂れ下がり、それが一層雑然とした風景をつくりだしている。<br /><br /><br /> 通りを進んで辻に出てみると、早くも朝食の商売が始まっている。現地の主食であるナン売りの屋台である。麦の粉を練ってダンゴにし、それを鉄板に平たく広げて焼きあげるだけである。これが結構おいしいものである。鉄板よりも釜で焼くといっそうおいしいのだが、ここでは鉄板で焼いている。屋台の周りには早くも客が集まっている。<br />  <br /><br />サイクルリクシャーとオートリクシャー<br />通りには人を乗せたサイクルリクシャ−(自転車で引っ張る)やオ−トリクシャ−(3輪バイク)が行き交っている。現地の人たちは気軽に利用しているようだ。また、登校する制服姿の学生も見られる。開店準備に忙しいバナナ売りが、食べ頃に色づいた幾つもの房を頭に載せて運んだり、車に満載して運ぶなど、朝の活気に満ちた風景が見られる。ふと細い横町を覗くと、ゴミが散乱したまま、まだ眠りから覚めないでいる。大通りに出てみると、ゴミが散乱する横をバスが朝日を受けながら走り去っていく。どうもこの街はゴミと共存するのが落ち着くらしい。この時間のバスは空いている。<br />  <br /><br />デリー最大のヒンドゥー寺院<br /> 朝の散策を終わると、いよいよ9時にホテルを出発し、市内観光へ。まずはインド門をめざして走っていく。その途中、デリ−で一番大きなヒンドゥ−寺院、ラクシュミ−・ナ−ラ−ヤン寺院の前を通り、敬虔なヒンドゥ−教徒のガイド氏の音頭で、これからの旅の安全を祈願する。下車はせず車窓から眺め拝むだけである。ここにはお金の女神と御守りの神様が祀ってあり、すべて大理石と赤砂岩の石で造られているという。日の出と夕日の時が参詣者が多いという。<br />  <br /><br /> 寺院を過ぎて幾つもの大きなロ−タリ−を回りながら通り過ぎていく。確かに道路沿いには緑が多く鬱蒼と茂っており、ロ−タリ−も緑に覆われてその中心部には噴水が吹き上げている。この様子は、あたかもイギリスの風景を見ているようだ。ニューデリー地区はよく整備されている。<br /><br /><br />衛兵に護られたインド門<br />やがてくるまは、周囲を森林に囲まれた広大な公園に出る。その一角にパリの凱旋門風の大きな門がそびえている。これがインド門である。すでに観光客の姿が見え始めているなか、ここでバスを降りて見学する。<br /><br /><br />1931年にコンノ−ト公爵によって基礎が置かれ、この門を中心に11の道が放射状にのびている。この門は第一次大戦で戦死したインド兵士の慰霊碑で、高さ42mのア−チには約1万人あまりの兵士の名が刻まれている。この門を起点に大統領官邸までラ−ジパト通りが3kmまっすぐにのびている。<br />  <br /><br /> 近寄って見ると、門の壁面には戦死者の名がびっしりと刻み込まれて並んでいる。そして門の表と裏手にはそれぞれ2人の衛兵が銃を持って守護している。そこを一周しながら、裏手側からア−チを眺めると、インド国旗を含む3本の旗がはためき、その向こうには塔の美しいシルエットが眺められる。そして、真後ろを振り向くと、そこから広い一直線の道がのびている。この向こうが大統領官邸なのだろう。表側の方へ回り込んでいると、近所に住むという美しいサリ−姿の親子連れと出会う。ちょいちょい遊びに来るそうだが、許しを得て写真を撮らせてもらう。<br />  <br />兵士の訓練風景<br />ふと見ると、公園の片隅では兵士の訓練が行われている。真紅のタ−バンに白シャツのユニフォ−ム姿が周囲の緑に映えて素敵なコントラストを生み出している。みんな志願兵たちなのだ。朝の時間帯とはいえ、じりじりと照りつける日差しは暑い。そんな照り返しの中を整列して行進している姿が頼もしい。こんな小隊が広い公園のあちこちで分散しながら訓練している姿が見られる。<br />  <br /><br />タージマハルの原型・フマユーン廟<br /> 公園を後にすると、ここから少し南に下ってフマユ−ン廟(世界遺産)へ向かう。間もなく到着すると、入口には白い制服を着た女高生たちががやがやと騒いでいる。引率されて見学に来たのだろう。<br /><br /><br />門をくぐって中に入ると、よく手入れされた美しい植え込みのある庭園が静かに広がっている。その前方中央に輝くフマユン廟が、その美しい左右の均整美を見せながら建っている。上の白いド−ムは白大理石で造られ、左右の剥げた2つの小ド−ムには青のラピスラズリが貼られていたという。そして全体は赤砂岩で造られている。<br />  <br /><br />この廟は16世紀前半、インド北部に成立したムガ−ル帝国の二代皇帝フマユ−ンの廟で、彼の死後、妃が1565年から約7年間の歳月を要して建立したものである。その70年後にこの廟を原型に模倣して造られたのがタ−ジ・マハールで、そちらの方が有名になったのは皮肉なことである。しかし、この両者の大きな違いは祀られている対象で、タ−ジ・マハールには王とその妃の2人だけが祀られているが、フマユ−ン廟には王をはじめムガ−ル帝国の一族など約100遺体が葬られているという点である。もう一つの相違点は、タ−ジ・マハールが象嵌(ぞうがん:工芸品の加飾法の一。地の素材を彫って、その部分に他の材料をはめこんで模様を表す技法。)の大理石で造られているということだ。このことは後日、現地で分かることになる。<br />  <br /><br /> 建物に近づいて見ると、正面壁面にはユダヤ教のマ−クである星型が、またヒンドゥ−教徒や仏教徒のためには星の真中に蓮の花が描かれているのが分かる。そして大きな門の形と中央上部の白いド−ムはイスラム教徒に対するものとして造られている。こうしてどんな宗教の信徒であっても参詣ができるようにしたという。<br />  <br /><br /> 正面中央の段差の高い急な階段を上りあがると、そこは広いテラスになっており、そこを左側へ回ると棺が置かれた部屋の入口がある。中に入ると、幾つかの石造の棺が安置されている。しかし、これらは空の棺で、本物の遺体は地下の墓室に埋葬されているという。入場者はここまでで、上の階上には入れない。<br />  <br /><br />ここを出てテラスを一周してみる。さきほどの女高生たちが散策しているので、その中に加わり記念写真を撮らせてもらう。尋ねてみると、彼らはpresentationにやって来たのだという。明るく闊達なお嬢さん方である。<br /><br /><br />裏手の方へ回ると、下では赤砂岩の土をこねて補修作業の真っ最中である。世界遺産の維持補修も大変である。テラスから眺め回すと、周囲を緑の木々に覆われた素敵な風景が飛び込んでくる。そんな森のこずえから、にょっきりと白いネギ坊主のド−ムがのぞいているのが何ともインドらしい風景である。<br />  <br /><br /> テラスを下りて入口門の方へ戻っていると、道端の植え込みには木の幹や地面の上を何匹ものシマリスたちが嬉々として走り回る姿が見られる。この庭園のあちこちに多くのリスが生息しているようで、訪れる観光客の目を楽しませている。何とものどかで心なごむ風景ではある。 <br /><br /><br />隣接のイサカーン廟<br />フマユ−ン廟で約半時間ほど過ごした後、すぐ側のイサカ−ン廟へ移動する。これは王が師事する僧の墓としてフマユ−ン廟より約20年前に建立されたもので、白砂岩でできている。その周囲にはイスラム教の勉学のための学校が造られ、20世紀初頭まで小さな村として成り立っていたという。この隣接区域は世界遺産には登録されていない。この廟の中に入ると、幾つもの石造棺が薄暗い中に安置されている。ここも実際の遺体は地下に埋葬されているのだ。 <br /><br /><br />昼食はインド名物「ターリー料理」<br />ここを後にして、楽しみのレストランへ向かう。今日の昼食は名物「タ−リ−料理」という。さてどんな料理なのか興味津々である。しゃれた店内に入ると、幾つかの円卓が用意されており、そこに座って料理を待つ。やがて運ばれて来たのは、本場らしく写真のようなカレ−料理である。チキンやホウレンソウなどを材料にした4種類のカレ−とご飯、ナン、タンドリ−チキン(蒸し釜でチキンを焼いたもの)、肉団子、煎餅風菓子、野菜サラダなどが金属製の食器盆に載せられている。<br />  <br /><br />4種類全部のカレ−をパサパサのご飯に少しずつ載せながらいただく。それぞれに風味があっておいしく、それほどピリ辛でもない。ホウレンソウの緑色でトロリとしたカレ−は異様な感じがするが、意外とこれがおいしいのである。これ以後、毎日カレ−責めの食事が続くのだが、ここでのタ−リ−料理が最初で最後のレストラン料理で、あとはすべてホテルのバイキング料理という、あまり代わり映えのしないインド料理ばかりである。<br />  <br /><br />(続きはこちらへ・・・⇒ http://yasy7.web.fc2.com/ind-2.htm)<br /> <br /> <br />

デリー観光

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2005/11/10 - 2005/11/11

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yasyas

yasyasさん

(表紙写真はインド門の立つ広大な公園)


デリ−市内観光・・・インド門、フマユ−ン廟、クトゥブミナ−ル、家庭
              訪問、ラージ・ガート、寝台列車
 
インド二日目。今日はインド門や世界遺産のフマユ−ン廟とクトゥブミナ−ルを観光した後、インドの一般家庭を訪問し、その生活ぶりを拝見させてもらう予定である。その後、夕方には夜行寝台列車でベナレスへ向かう。一日盛りだくさんの行程である。
 

快適な朝
身仕度を整えて、まずは外の様子を見に玄関先へ出てみる。ひんやりとした朝の冷気が肌を撫でて心地よい。現地の朝は早いようで、ようやく明るくなった通りのあちこちには、すでに人々の動きが見られる。雑然と建物が並んだ通りの間から見上げる空は見事な快晴で、雲が湧き出す気配さえ感じられない。出発前に日本で確認した天気予報では、どの訪問地も快晴の晴マ−クばかりだったが、それは間違いなさそうで、今度ばかりは傘の心配は無用のようだ。今朝の現地新聞で確認すると、今日の気温は最低12度〜最高29度となっている。案外と低いようである。
 

品数少ない朝食
外の空気を確認したところで、まずは朝食と行こう。狭い食堂に行くとバイキングスタイルの朝食が用意されている。とはいっても品数は少なく、ナン、ト−ストパン、コ−ンフレ−クと牛乳、茹で卵、オムレツ、ジュ−ス、パパイヤ、リンゴ、バナナなどで、これらとコ−ヒ−をもらってお腹を満たす。
 

付近の散策
食事を終えると再び外へ出て辺りの探索を始める。昨夜は気付かなかったが、ホテル前の道路には蜘蛛の巣のように張り巡らされた電線が垂れ下がり、それが一層雑然とした風景をつくりだしている。


通りを進んで辻に出てみると、早くも朝食の商売が始まっている。現地の主食であるナン売りの屋台である。麦の粉を練ってダンゴにし、それを鉄板に平たく広げて焼きあげるだけである。これが結構おいしいものである。鉄板よりも釜で焼くといっそうおいしいのだが、ここでは鉄板で焼いている。屋台の周りには早くも客が集まっている。
 

サイクルリクシャーとオートリクシャー
通りには人を乗せたサイクルリクシャ−(自転車で引っ張る)やオ−トリクシャ−(3輪バイク)が行き交っている。現地の人たちは気軽に利用しているようだ。また、登校する制服姿の学生も見られる。開店準備に忙しいバナナ売りが、食べ頃に色づいた幾つもの房を頭に載せて運んだり、車に満載して運ぶなど、朝の活気に満ちた風景が見られる。ふと細い横町を覗くと、ゴミが散乱したまま、まだ眠りから覚めないでいる。大通りに出てみると、ゴミが散乱する横をバスが朝日を受けながら走り去っていく。どうもこの街はゴミと共存するのが落ち着くらしい。この時間のバスは空いている。
 

デリー最大のヒンドゥー寺院
朝の散策を終わると、いよいよ9時にホテルを出発し、市内観光へ。まずはインド門をめざして走っていく。その途中、デリ−で一番大きなヒンドゥ−寺院、ラクシュミ−・ナ−ラ−ヤン寺院の前を通り、敬虔なヒンドゥ−教徒のガイド氏の音頭で、これからの旅の安全を祈願する。下車はせず車窓から眺め拝むだけである。ここにはお金の女神と御守りの神様が祀ってあり、すべて大理石と赤砂岩の石で造られているという。日の出と夕日の時が参詣者が多いという。
 

寺院を過ぎて幾つもの大きなロ−タリ−を回りながら通り過ぎていく。確かに道路沿いには緑が多く鬱蒼と茂っており、ロ−タリ−も緑に覆われてその中心部には噴水が吹き上げている。この様子は、あたかもイギリスの風景を見ているようだ。ニューデリー地区はよく整備されている。


衛兵に護られたインド門
やがてくるまは、周囲を森林に囲まれた広大な公園に出る。その一角にパリの凱旋門風の大きな門がそびえている。これがインド門である。すでに観光客の姿が見え始めているなか、ここでバスを降りて見学する。


1931年にコンノ−ト公爵によって基礎が置かれ、この門を中心に11の道が放射状にのびている。この門は第一次大戦で戦死したインド兵士の慰霊碑で、高さ42mのア−チには約1万人あまりの兵士の名が刻まれている。この門を起点に大統領官邸までラ−ジパト通りが3kmまっすぐにのびている。
 

近寄って見ると、門の壁面には戦死者の名がびっしりと刻み込まれて並んでいる。そして門の表と裏手にはそれぞれ2人の衛兵が銃を持って守護している。そこを一周しながら、裏手側からア−チを眺めると、インド国旗を含む3本の旗がはためき、その向こうには塔の美しいシルエットが眺められる。そして、真後ろを振り向くと、そこから広い一直線の道がのびている。この向こうが大統領官邸なのだろう。表側の方へ回り込んでいると、近所に住むという美しいサリ−姿の親子連れと出会う。ちょいちょい遊びに来るそうだが、許しを得て写真を撮らせてもらう。
 
兵士の訓練風景
ふと見ると、公園の片隅では兵士の訓練が行われている。真紅のタ−バンに白シャツのユニフォ−ム姿が周囲の緑に映えて素敵なコントラストを生み出している。みんな志願兵たちなのだ。朝の時間帯とはいえ、じりじりと照りつける日差しは暑い。そんな照り返しの中を整列して行進している姿が頼もしい。こんな小隊が広い公園のあちこちで分散しながら訓練している姿が見られる。
 

タージマハルの原型・フマユーン廟
公園を後にすると、ここから少し南に下ってフマユ−ン廟(世界遺産)へ向かう。間もなく到着すると、入口には白い制服を着た女高生たちががやがやと騒いでいる。引率されて見学に来たのだろう。


門をくぐって中に入ると、よく手入れされた美しい植え込みのある庭園が静かに広がっている。その前方中央に輝くフマユン廟が、その美しい左右の均整美を見せながら建っている。上の白いド−ムは白大理石で造られ、左右の剥げた2つの小ド−ムには青のラピスラズリが貼られていたという。そして全体は赤砂岩で造られている。
 

この廟は16世紀前半、インド北部に成立したムガ−ル帝国の二代皇帝フマユ−ンの廟で、彼の死後、妃が1565年から約7年間の歳月を要して建立したものである。その70年後にこの廟を原型に模倣して造られたのがタ−ジ・マハールで、そちらの方が有名になったのは皮肉なことである。しかし、この両者の大きな違いは祀られている対象で、タ−ジ・マハールには王とその妃の2人だけが祀られているが、フマユ−ン廟には王をはじめムガ−ル帝国の一族など約100遺体が葬られているという点である。もう一つの相違点は、タ−ジ・マハールが象嵌(ぞうがん:工芸品の加飾法の一。地の素材を彫って、その部分に他の材料をはめこんで模様を表す技法。)の大理石で造られているということだ。このことは後日、現地で分かることになる。
 

建物に近づいて見ると、正面壁面にはユダヤ教のマ−クである星型が、またヒンドゥ−教徒や仏教徒のためには星の真中に蓮の花が描かれているのが分かる。そして大きな門の形と中央上部の白いド−ムはイスラム教徒に対するものとして造られている。こうしてどんな宗教の信徒であっても参詣ができるようにしたという。
 

正面中央の段差の高い急な階段を上りあがると、そこは広いテラスになっており、そこを左側へ回ると棺が置かれた部屋の入口がある。中に入ると、幾つかの石造の棺が安置されている。しかし、これらは空の棺で、本物の遺体は地下の墓室に埋葬されているという。入場者はここまでで、上の階上には入れない。
 

ここを出てテラスを一周してみる。さきほどの女高生たちが散策しているので、その中に加わり記念写真を撮らせてもらう。尋ねてみると、彼らはpresentationにやって来たのだという。明るく闊達なお嬢さん方である。


裏手の方へ回ると、下では赤砂岩の土をこねて補修作業の真っ最中である。世界遺産の維持補修も大変である。テラスから眺め回すと、周囲を緑の木々に覆われた素敵な風景が飛び込んでくる。そんな森のこずえから、にょっきりと白いネギ坊主のド−ムがのぞいているのが何ともインドらしい風景である。
 

テラスを下りて入口門の方へ戻っていると、道端の植え込みには木の幹や地面の上を何匹ものシマリスたちが嬉々として走り回る姿が見られる。この庭園のあちこちに多くのリスが生息しているようで、訪れる観光客の目を楽しませている。何とものどかで心なごむ風景ではある。 


隣接のイサカーン廟
フマユ−ン廟で約半時間ほど過ごした後、すぐ側のイサカ−ン廟へ移動する。これは王が師事する僧の墓としてフマユ−ン廟より約20年前に建立されたもので、白砂岩でできている。その周囲にはイスラム教の勉学のための学校が造られ、20世紀初頭まで小さな村として成り立っていたという。この隣接区域は世界遺産には登録されていない。この廟の中に入ると、幾つもの石造棺が薄暗い中に安置されている。ここも実際の遺体は地下に埋葬されているのだ。 


昼食はインド名物「ターリー料理」
ここを後にして、楽しみのレストランへ向かう。今日の昼食は名物「タ−リ−料理」という。さてどんな料理なのか興味津々である。しゃれた店内に入ると、幾つかの円卓が用意されており、そこに座って料理を待つ。やがて運ばれて来たのは、本場らしく写真のようなカレ−料理である。チキンやホウレンソウなどを材料にした4種類のカレ−とご飯、ナン、タンドリ−チキン(蒸し釜でチキンを焼いたもの)、肉団子、煎餅風菓子、野菜サラダなどが金属製の食器盆に載せられている。
 

4種類全部のカレ−をパサパサのご飯に少しずつ載せながらいただく。それぞれに風味があっておいしく、それほどピリ辛でもない。ホウレンソウの緑色でトロリとしたカレ−は異様な感じがするが、意外とこれがおいしいのである。これ以後、毎日カレ−責めの食事が続くのだが、ここでのタ−リ−料理が最初で最後のレストラン料理で、あとはすべてホテルのバイキング料理という、あまり代わり映えのしないインド料理ばかりである。
 

(続きはこちらへ・・・⇒ http://yasy7.web.fc2.com/ind-2.htm


旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
社員・団体旅行
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
  • ホテルの前の通り。電線は垂れ下がり雑然としている。

    ホテルの前の通り。電線は垂れ下がり雑然としている。

  • サイクルリクシャーが走る<br />

    サイクルリクシャーが走る

  • オートリクシャーも走る

    オートリクシャーも走る

  • デリー最大のヒンドゥー寺院・ラクシュミ−・ナ−ラ−ヤン寺院

    デリー最大のヒンドゥー寺院・ラクシュミ−・ナ−ラ−ヤン寺院

  • パリの凱旋門に似たインド門<br />

    パリの凱旋門に似たインド門

  • 正面がフマユン廟。美しい庭園が広がる・・・。

    正面がフマユン廟。美しい庭園が広がる・・・。

  • 左右のシンメトリーが美しい優雅なフマユン廟

    左右のシンメトリーが美しい優雅なフマユン廟

  • 星のマークはユダヤ教、星の中心にある蓮の花はヒンドゥーと佛教徒向け<br /> のもの。ドームと門の形はイスラム教徒向けのもの。<br />

    星のマークはユダヤ教、星の中心にある蓮の花はヒンドゥーと佛教徒向け
    のもの。ドームと門の形はイスラム教徒向けのもの。

  • イサカ−ン廟

    イサカ−ン廟

  • クトゥブ・ミナ−ルと列柱

    クトゥブ・ミナ−ルと列柱

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