2014/10/16 - 2014/10/16
137位(同エリア730件中)
哈桑湖さん
名古屋港ガーデンふ頭から南に、約2.4キロメートル先、昭和36年5月に210万平方メートルの人工の島が作られました。
この島は九号地と呼ばれ、多くの石油貯蔵タンクが立ち並んでいます。
この9号地の入り口にブルーボネット・ワイルドフラワーガーデンがあります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
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右上にテンニンギク、別名特攻隊花があります。
この庭園を探しても見当たりません。 -
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ファサードのみ。
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ファサードのみです。
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テンニンギク、別名・特攻隊花。
太平洋戦争末期、九州と沖縄の中間に位置する喜界島に、鹿児島県鹿屋の海軍基地から出撃する特攻機の中継地点がありました。
沖縄の空に向かって、特攻出撃する隊員たちに、鹿屋近辺の女学生たちはテンニンギクの花を贈っていました。
隊員たちは「花も道連れにするのは可哀想だ」と感じて、喜界島の大地にテンニンギクを置いて沖縄に飛び立ちました。
このテンニンギクが喜界島の大地に根をおろし、現在でも毎年時期が来ると、咲き続けています。
島の人たちはこのテンニンギクを特攻隊花と呼んでいます。 -
あの死を強要した特攻作戦で責任を取ったのは、大西 瀧治郎海軍中将一人のみでした。
大西は、敗戦の翌日未明、自らの命を絶ちました。
「吾死を以て旧部下の英霊とその遺族に謝せんとす」
から始まる遺書を残して。
「海軍の上層部は責任逃れのために、若者たちを特攻に追いやったことを、死人に口なしの大西になすりつけた」とも言う遺族の方々もいます。
先の大戦では、悪い奴ほど生き延びたと言う人もいます。 -
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