2014/09/10 - 2014/09/20
63位(同エリア285件中)
大月さん
イラン シラーズ→エスファハン→カーシャン→ゴム→テヘラン
時差 ドーハ ー6時間
シャルジャ ー5時間
イランー4.5時間(夏時間)
レート 1ドル=30000〜31000リアル
宿泊ホテル等(全て朝食付き)1泊1人当たり
shiraz sasan H 15$
esfahan amir kavir H 10$
kashan ehsan historical GH40万R
qom(ghom) khorshid H 75万R
tehran firouzeh H 47万R
2014年9月9日深夜(1日目)羽田発シラーズに
この日は、仕事を終え、電車で帰宅したのが20時。夕食を簡単に済ませ、20:44発に乗り、羽田に向かう。
空港で友人と待ち合わせ1:00カタール航空でドーハへ。ドーハ着5:55。ドーハは新空港になり、天井の高い立派な空港になっていた。
乗り換えて7:50発でシャルジャ9:50着。一旦入国。入国審査官は暇だったのか、世間話のようにいろいろ尋ねてきた。エアーアラビアにチェックインし、12:20発でシラーズに。約1時間。
エアーアラビアは、LCCと言われていて安いが、機体は新しいし、座席間も狭くない。
到着して脅威のアライバルビザ。ガイドブックには、発給されるかどうか分からない、と書かれていた。しかし旅行記を読むと、支障なく取得できるともあった。
まず窓口で集まった人たちのパスポートを受け取った。待つこと30分。先ほどの係官から、20ドルと引換にコピーされたパスポート用紙と申請用紙を渡される。ここで日本人の大学生と一緒になり、2日間、行動を共にする。
再び待つこと1時間。少しずつ名前を呼ばれ、別の窓口に行くよう案内があった。そしてやっと我々が呼ばれ、窓口で40ユーロ支払い、パスポートを受け取る。2時間を超えていたが、何の質問もなく、ビザが手に入った。
3人でタクシーを利用し宿に。目星を付けていた宿に空きがあり、3人部屋で、経費節約の大学生も相部屋することになった。
9月11日(2日目)波乱なペルセポリス観光
私は、朝の散歩を1時間。その間、タクシーにペルセポリスまでの料金を確認。20ドルでもOKと分かった。帰宿すると2人は食事を始めていた。この後の宿も同様であったが、ナン、ゆで卵、バター、ジャム、紅茶のメニュー。
ここで新たな情報。
朝、若い日本人が到着し、ペルセポリスに午後行く希望があるとのこと。4人ならばタクシーも割安になる。食事後、同行者が若者に確認に行くと、もう一人行きたい人がいるという。結局5名になった。
午前は、歩いてマスジェデ、ナスロルを観光。朝日がステンドガラスに当たり、きれい。その後、歩いてバスターミナルに。明日のバス予約。元々の計画では、アフワーズに向かいたかったが、夜行バスしか無いので、諦める。夜行自体はよいが、12時に宿をチェックアウトしてから、時間の潰し方が難しい。適当な半日観光があればよいが、暑い中を歩くのはつらい。そのため、まずエスファハンに行き、アフワーズ行きを計画することにした。
午後。新規に加わった若者2名が、ペルセポリスの夕日を写真に撮り、閉館後、光のショーを見たい、と言うので、ペルセポリスの先の遺跡を2か所観光後、ペルセポリスで車を3時間待機させ、75万Rでタクシー交渉を始めることで衆議一致。交渉は英語堪能な若者2人に任す。(言い値は90万R)
何台か交渉後、シロタクだがOKとなった。ところが2台に分乗して出発したが、我々の乗った運転手が携帯でもう一人の運転手と話を始めた。大学生の想像だと、条件が悪いと不満を言っているらしい。結局、10分走って、道路脇に停車。2人の運転手で話し合い、取りやめになった。通りかかったシロタクと話を始める。どういう条件か分からないが、この代替えのシロタクが遺跡には行くという。1台に5人乗車。前の助手席は、体の大きい私。後ろに4人。新規の2名は夜行の疲れから爆睡。2名が尻を少しだけシートにかけて、前屈み。何とかナグシェ、ロスタムに到着。ここで一悶着。
運転手から何か言われたが、現地語で分からない。近くの観光客や駱駝引きが通訳してくれて分かったことは、「昼飯を食べたいから、10万R先払いしてくれ」ということ。10万Rでは損だから戻ってくるだろう、と先払いして解放したが、結局1時間経過しても戻らない。ペルセポリスが閉まっては何の観光か分からない。ヒッチハイクしかないとなった。
中国から陸路を旅してきた若者によると、3時間は覚悟しなければならないという。大通りに出て、若者2人が手を振り始める。とすぐ1台停車。しかし同乗者が2名いて、5名は無理。再び2分後、1台停車。今度はペルセポリスまでOKとなった。イラン人は優しい。5名乗車なのに5万Rで了解してくれた。
ペルセポリスは広大で、立派な遺跡には違いない。ただ完全な形で残っている物は少なく、つまらないと描かれた旅行記にも頷ける。
ペルセポリス観光は18時閉館。19時から光のショーがあると言うので入り口外で待っていたが、係官に聞いてもあるか無いか分からないという。夕涼みしているのか、開館を待っているのか不明の人たちに聞いても、よく分からない。
19時なったが始まらない。若者3人がチケット売り場を見に行ったが、閉まったまま。19時5分頃、自転車に乗った人が到着して中に。これを機に見物客が入場。
19時10分。若者3人が戻ってきて言うには、入場料が外国人は15万R、ペルシャ語での説明」。5名で協議の末、高いし、聞いても分からないので取りやめた。今度は問題のタクシー探し。
これまで相談に乗ってくれていたイラン青年が、引き続き、タクシー探しを手伝ってくれた。シロタク35万Rで商談成立。30分ほど走り、兄弟だと言う他の車両に乗り換え、1時間でシラーズの宿に戻った。どういう展開になるか不安だったが、合計50万Rの交通費で結果オーライだった。
9月12日(3日目)快適にバス移動
朝食後、タクシーでターミナルに移動。2万R。5万出したので、お釣りを待っていたがなかなか返さない。催促して3万お釣りをもらう。
8:45発→エスファハン15:00着。3列シートでゆっくりできる。車中でジュースとお菓子を配られる。延々と続く砂漠。時々、緑鮮やかな畑が出現。稲らしいもの、トウモロコシ、何かの果樹が育てられていた。カナートで水を確保している栽培している様子が分かる。
途中モスクでトイレ休憩。モスクのトイレはきれいで、この後もトイレとして利用させてもらう。14時に運転手が昼食だと言い、停車。乗客の殆どは車内で待機。私は向かいの小さな商店を覗き、ヨーグルトを勧められたので、買って味わう。濃厚であった。
20分後発車。 エスファハン南バスターミナル着。アフワーズに行きたかったのでバス時刻を調べると、昼は11:45発のみで、8時間かかるので現地着は夜8時頃。それから宿探しは大変なので、アフワーズ行きは断念。路線バスで宿へ。
イランのバスも、ICチケットが普及しており、購入して利用。5万R。ガイドブックでは、距離により料金が加算されるようだが、乗車時のみチェックするので、たぶん全区間一律だろう。2日間で5回しか利用せず、余っていたので、後日、テヘランで出会った日本人と中国人の若者にあげて利用してもらった。
宿は、安宿で古いが、清掃が行き届き、部屋は3ベッド、朝食は同様だが、スイカが付いていた。近くに競技場があるためか、スポーツ用品店が軒を連ね、その数10店以上。テヘランでも宿の近くは、自動車部品店がズラリ。この国の特徴かもしれない。
少し休憩後、翌々日のバスをターミナルに行き、予約。ここで女性3人組がスマホで写真を撮るマネをしてきたので、てっきり彼女たちを撮るのだと思ったら、私と撮りたいと言う。そんなに日本人が珍しいのか。
その後両替するために、宿の人の話の、エマーム広場から東に歩いた。何度も聞き込みをし、諦めかけていると、札束を持った人が3人いた。路上の両替人のことだった。一枚一枚透かしを確認して両替を済ます。偽札は無かった(通用したので、たぶん)。レートも悪くない。
9月13日(4日目)市内散策
徒歩で、ゲイサリー・イェ門、マスジェデ、ロトフォラー、バザールなどをぶらぶら観光する。よく売られているニンジンジュースにも挑戦。不味くは無いが、ニンジン特有の臭いは好きではない。
バス移動でスィー、オ、セ橋観光。古いが重厚な造り。水が無かったことが残念。レストランを探すが、ファーストフード店ばかり。夕食は、結局、昨日と同じ宿近くのレストランで。野菜が食べたくて、サラダを頼んだら、ポリの器に入った、たぶん配達された既成品に、小袋のドレッシングを自分でかける。鮮度は悪くないが、これではファーストフードと同じ。
9月14日(5日目)エスファハンからカーシャンへ
9時発のバスを待っていたが、なかなか到着しない。周囲にいる人に尋ねてももう少し待て、というだけ。定刻10分後、それらしいバスが到着したので運転手にチケットを見せて確認すると、チケット売り場に連れて行かれる。何か分からないが、カウンターに差し出すと、2万Rを支払えと言う。支払ったら、新しいチケットを渡された。バスは9:30に出発し 12:00カーシャンに到着。どう見ても街はずれ。徒歩は諦め、タクシーで宿へ。宿はエスファハンで同宿の外国人が良かったと勧めてくれた宿に直行。
道路から門を入ると、階段が下に続き、地下のフロントに。フロントからまた下階段を下りると、中庭になっていた。たぶん中庭は、掘り下げたのだろう。 部屋は中庭に面し、半地下様式。暑い国の生活の知恵なのだろう。エアコン、扇風機とも無かったが、暑くはない。
フィン庭園に向かう。宿の人からはタクシーを勧められたが、時間もあるのでバスを利用。10分ほどで到着。水が豊富なため、水を生かした庭園を造ったようだ。木が茂り、水路が配置され、家族連れがのんびり散策していた。ここでも写真を撮りたいと女性がやってきて、タレント気分に浸る。なぜ外国人と写真を撮りたがるか分からない。
両替のためバザールに行く。廃れたようでシャッター通りになっていた。客もほとんどいない。普通の商店が片手間で両替をやっていた。久しぶりの客らしく、慌てて近くの店に資金繰りに出ていき、その間待たされた。
宿の人に、イラン料理店を紹介してもらおうとしたら、ここでも食べられるというので宿で食べることにした。実際、近くにはレストランは見つけられなかった。
9月15日(6日目)聖地ゴム
バスは沢山ある、ということで予約せずに、ターミナルに。バスはすぐあった。9:30発 11:00ゴム着。ここも街中から離れていた。タクシーで事前に調べていた宿に向かう。出発してすぐガソリンスタンドに入ろうとするが、車列が長く、諦めてUターン。次のスタンドも車列が延びていて20分以上待つ。天然ガスらしく、ホースの形状が日本と異なっていた。中心地は渋滞。結局1時間ほど時間を要した。大きなモスクの前で降車。4万R。宿は事前情報より高額だったため、諦めて、安いホテルと教えられた宿に向かう。しかし外観から見ても、総ガラス張りのエレベーターが動いていて高そう。交渉して40ドルを30ドルまでダウンしてもらう。ところが翌日支払おうとすると30ドルは95万Rだと言い、リアル払いを求められる。仕方ないので、両替して払ったが、レートは31000Rなので、文句も言えない。
マースメ廟のすぐ近くで、しかも部屋は8×8mほどあり、キングベッド1、シングルが2あり、キッチン付きという豪華さで身分不相応であった。これで1部屋30ドルほどだから安いことは安い。朝食も野菜とソーセージの炒め物、豆スープ、フルーツとあり、今までとは違う。
早速、廟をざっと観光し、地図を見ながら鉄道駅まで散策。都合のよい列車があればテヘランまで利用しようと考えた。10分ほどで到着。窓口で尋ねると、夜行しかないという。夜中にテヘランに着いても困る。一旦、イスに座り、ゆっくり思案することにした。すると親切な人がもう一度聞いてくれると言うので、座ったまま、待つ。窓口の女性が交替していて、今度は早朝発だと言う。何が正しいか分からない。豪華?ホテルの朝食を諦める決断ができず、列車は諦めた。
夜の廟がよいとあったので、再び暗くなってから廟に行く。ライトアップされ、昼とは別格の景観。
昼間は何の咎めもなかったが、今度は礼拝の時間のためか、参道への入り口を指定される。すると少し待たされて、案内の女性の後に従うよう指示される。事務所のようなところに連れられ、イスで待たされる。流ちょうな英語でどこから来たのか等、話しかけられ、観光したいと告げると、礼拝している場所に案内してくれた。監視役というより、歓迎ガイド役のようだった。
部屋の外にも人があふれ、マイクの声に従い、お祈りしていた。金曜日はもっと多いそうだ。お祈りはすぐ終わり、お礼を言って退散することにしたら、なぜかアメ玉を頂く。仕方ないので私が持っていたぷっちょアメをお返しした。
9月16日(7日目)首都テヘラン
10:00発のバスで11:30テヘラン南ターミナル着。地下鉄が隣接してあり、エマーム、ホメイネ駅へ。徒歩で目星を付けておいた宿2軒を見て廻る。2軒目は、安いが部屋があまりに狭く、廊下等も掃除がされていず、1軒目の宿に戻る。
トイレが共同のため、シャワー室が広く使えて良い。フロントの方も親切。テキパキ対応が早い。情報ノートには、中国人が多かったが、日本人もちらほら。翌朝、大学生の日本人が同宿していた。
午後、考古学博物館観光と両替に。ガイドブックには、入場料15000Rと書かれていたが、窓口は15万R。あまりに安く、可笑しいと思った。財布にお金があったから良かったものの。
ペルシャ文明の本物が多く展示され、必見の価値はある。ただ学芸員が、のんびり業務中なのに、お茶をのんでいてびっくり。
夕食は、サンドイッチを購入して、部屋で済ます。
9月17日(8日目)イラン最終日
早朝、朝食前に近くの地下鉄駅まで、下調べを兼ねて散歩。偶然、改札ロビーで降車してきたシラーズで同行した若者と遭遇。あの後、マシュハドに行き、夜行で今朝、着いたとのこと。若い人はエネルギッシュだ。彼は安宿に向かった。
朝食後、地下鉄でタジュリーシュ駅に向かい、バザールで買い物。土産を購入。再び地下鉄で、旧アメリカ大使館を見に行ったが、今は入場できなかった。
広い敷地で学生たちが描いた、髑髏の自由の女神が印象的だった。ここで同行者は、ガイドブックをバザールの店に忘れたので取りに、私は一旦宿に帰り、床屋へ行く。ホテルの人からは10万Rと聞かされていたが、15万R請求された。
夕食は一人でレストランへ。相変わらずのケバブとライス、ジュースのようなイランビール、ヨーグルトで16万R。
9月18日〜19(9〜10日目)空港の連泊で帰国
午前。空港までのタクシー代一人2万R残し、残りを買い物で使い切る。私はドライナツメを土産に。
12時チェックアウト。タクシーと交渉。宿の言い値は5万だったが、4万ですぐOK。途中、高速料金所で運転手が支払った表示は、2000R。10円もしない。
運転手が左手の大きなモスクを指さし、何か言った。エマーム、ホメイネ廟のようだ。まだ建設中で拡大していた。
テヘラン15:30エアーアラビアは定刻に出発。シャルジャ17:00着。
一旦、入国し、翌朝の6:00まで時間があるので、私は到着ロビーで時間を過ごす。同僚は入国ロビーに行く。夜9時頃、同行者が戻ってきて言うことには、日本語が出来るカタール航空の職員がいて、8時間前からチェックインが出来ると言ったので、10時に行きましょう、と。同行者の英語力は私以下だが、日本語で話しをしたというので、疑心ながら10時半にカウンターに行く。
チェックインは始まっていたが、表示を見ると、23時発分だった。見ていたら、日本語ができる職員が、手招きする。そしてチェックインの受付を始めた。
チケットを手に、セキュリティを通過し、制限区域に入った。寝られる場所を探していて、ふとチケットを見ると、搭乗時間が23:05になっている。早い便に振り替えてくれたと思い、慌てて搭乗ゲートに。偶然が幸いした。
シャルジャ23:35発ドーハ23:35着。空港泊後、翌朝7:50発で羽田23:10着。ここでも空港泊後、翌朝電車で帰宅。
感じたこと
1.反米意識は軟化している
店員が、アメリカのタレントがプリントされたTシャツを着用していた
こと。
2.親切
イスラムの教えか、座席を譲ってくれること多数。困っている様子をみかけると、May I help you?と近づいてくること。
外国人を歓迎する文化があり、写真に撮ったり、少し親しくすると自宅に招いて食事等振る舞うという話を沢山耳にした。
3.イスラム教の締め付け感は感じられなかった。
女性のスカーフ着用は徹底されていたが、男性の半ズボン、半袖あ
りで、宗教警察の取り締まり風景にも出会わなかった。
後日談
帰宅すると、カタール航空からメールと携帯に留守電が入っていた。それによると、
シャルジャ発6:00の便は、キャンセルになった。
前日の23:35発に変更した。
ドーハでホテル泊は希望があれば、可能。用意できる。
連絡をもらいたい
ということは、同行者が行なったカタール航空職員とのやりとりは
同行者「チェックインは早く出来ないか」
職員「名前は? 確認してみます。予約されているので8時からできます」
同行者「8時間前ですね」
と想像できる。同行者は、自分の過ちを認めたがらないが。
携帯は持参しないし、イランはヤフーもグーグルも繋がらないから、メールも見られない。これが落とし穴だった。しかし2つの偶然が重なり、結果オーライになった。
1つは、同僚が8時間も前からチェックインしないはずなのに、聞きに行き、その上、聞き間違いをしたこと。
もう一つは、私がチケットの搭乗時間を偶々見たこと
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー ヒッチハイク 飛行機
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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