2014/04/15 - 2014/04/15
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SUR SHANGHAIさん
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昨日、ビーグル水道沿いの街ウシュアイアから国際長距離バスに乗って辿り着いたばかりのマゼラン海峡の街プンタ・アレーナス。
そのプンタ・アレーナスを見て回るのは一旦お預けにして、今日と明日はウルティマ・エスペランサ(最後の希望)と名付けられた湾に面した町プエルト・ナタレス周辺へと足を伸ばしてみようと思います。
プンタ・アレーナスでは昨日のうちにAVISで車も借りておいたし、観光案内所で地図も入手済み。
今日はホテル・レイ・ドン・フェリペから直接出発して、国道9号線を北へ250kmほどのプエルト・ナタレスへ。
その周辺では何が見られるだろう。
表紙の画像は、プエルト・ナタレスで泊まった異色のホテル、ザ・シングラー・パタゴニア客室から見た風景。
海のように見えるのは、ウルティマ・エスペランサ・フィヨルド(最後の希望のフィヨルド)。
- 旅行の満足度
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
マゼラン海峡に面したプンタ・アレーナスの街から、≪最後の希望湾≫と言う意味のウルティマ・エスペランサ湾沿いの町プエルト・ナタレスへは9号線を北に250kmほど。
車は昨日のうちに借りてあるんだから、ちょっと早目に出ようと思っていたのに、プンタ・アレーナスを出発したのは10時半。
昨日のウシュアイア→プンタ・アレーナスの国際長距離バス旅で疲れが出ちゃったのよね。(ノω`*)
で、これは≪RUTA DEL FIN DEL MUNDO (地の果てルート)≫の標識。
今日目指すプエルト・ナタレスへの途中には分岐点もあるけれど、9号線一本で行けるから楽勝かな。
結論から言うと、この道筋には休憩所やガソリン・スタンドもあって安心でした。 -
プンタ・アレーナスからプエルト・ナタレスへ通じる9号線はこのとおり舗装ができていましたが、ところどころ工事中の場所も。
でも、普通車で十分でしたよ。
チリの工事中の標識の絵柄は、スコップを持っていると言うより、槍を持って踊っているみたいな感じよね。(^◇^)
ポップで可愛い。 -
アルゼンチンでの車旅では、エルカラファテからエル・チャルテン間の220kmの道筋にはガソリン・スタンドすら無かったりしましたが、今日のプンタ・アレーナス→プエルト・ナタレス間の250kmはずっと気が楽。
プンタ・アレーナスを出てから1時間ちょっとあとには、この画像に出ているような休憩所もありました。
VILLA TEHUELCHESっていう場所なんだね。
どんな感じかな、とトイレ休憩も兼ねて行ってみます。 -
上掲の画像に出ていたVILLA TEHUELCHESという休憩所。
日本の道の駅とまでは行きませんが、ちょっとしたファストフード店を兼ねた売店があってトラックの運転手さんたちもコーヒー休憩。
お! 子どもの遊び場のほうがずっと立派だ〜!(◎0◎)
へえ! トイレは有料(300チリ・ペソ)だけあって、きれいにしてあるし。
コーヒーを飲みながら、物怖じしない猫ちゃんともしばし戯れてみました。(笑) -
この日の天候は不安定。
どんよりと雲が立ち込めているかと思うと、こんなにきれいに晴れ上がったり。
行く手に一つだけポツリと浮かぶ雲は、今日はどこまで? -
チリ国道9号線の標識が出ていた。
形がカッコいい!
9の上に≪XII REGION≫と出ているのは、チリの国土を15の州に分けた内の第12州となるマガジャネス・イ・デ・ラ・アンタルティカ・チレーナ州の事で、州都はプンタ・アレーナス。
チリは南北に4329kmもあるから、こうしておくと国道も管理が容易になるでしょうね。
チリのその他の行政区分の地図と詳細は、次のウィキペディアのページに出ています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%AA -
9号線沿いにはま新しい標識が多数。
またまた現れた≪RUTA DEL FIN DEL MUNDO (地の果てルート)≫の標識。
今日の目的地プエルト・ナタレスへは66km。
明日行ってみようと思っているパイネ国立公園までは216kmだって。
チリのパイネ国立公園は、アルゼンチンのロス・グラシアレス国立公園と同じように雪山や氷河が美しい公園。
それもそのはず、この二つの公園は国境を隔てて地続きなんですよ。
よって、今日通る9号線の眺めもいいんじゃないかと思いましたが、プンタ・アレーナス⇔プエルト・ナタレス間では山は遠景。
道筋には荒れた草原や林、それに牧地が続きました。 -
また変な雲行きになって来た。
同じ9号線沿いでも、強風が吹きぬけるあたりでは、木が風になびいた形のまま育つもの多し。 -
プエルト・ナタレス間近になって、ついにパラパラと降り始めた雨。
と、後ろからチリのパトカーが赤色灯を点けて追って来る。
これまでキューバやモロッコをドライブ中、警察に停められて罰金という名のお金を巻き上げられたことがあるSUR SHANGHAIとその旦那は、
どひゃー!! Σ(οдО) チリよ、お前もか!ヾ(*`Д´*)ノ
それでも逃げたりしたら一層悪い結末がありそうなので、恐る恐るスピードを緩めると、そのまま追い越して行きましたとさ。(。・w・。) ププッ -
10時半にプンタ・アレーナスを出て、1時半過ぎにはプエルト・ナタレス到着。
町の入口に立っているこの怪獣のような像はミロドンというナマケモノの仲間。
1500万年前から1万年前に南米に生息していたと言う巨大な草食の哺乳類で、体長は3〜4mもあったのだそう。
今は絶滅しているそうですが、プエルト・ナタレス近郊にはミロドンの骨が発見されたと言う洞窟もあります。
見に行く時間、あるかな。 -
プエルト・ナタレスの町が面しているウルティマ・エスペランサ湾(最後の希望湾)。
ダーウィンを乗せたビーグル号が南米大陸南端の凄まじく入り組んだフィヨルドから抜け出そうとして、この湾のあるフィヨルドに最後の希望をかけたと言うのがその由来だったのだとか。
実際には、地図を見ると分かるように、ここから続くウルティマ・エスペランサ・フィヨルドはパイネ国立公園の雪山の麓で行き止まりになっています。 -
プエルト・ナタレスのウルティマ・エスペランサ湾(最後の希望湾)沿いにあった津波避難経路の標識。
プエルト・ナタレスは複雑に入り組んだ数々の細いフィヨルドの奥の方にある町ですが、津波に対する危機感は持っているようです。 -
プエルト・ナタレスは人口2万ほどの小さい町ながら、パイネ国立公園への玄関口になっているため、宿泊施設は多数。
大きいホテルより、オスタルやペンション・タイプの宿が多いと言う印象。
このAMERINDIAはそんな一軒なんですが、SUR SHANGHAIたちはここに泊まったわけではなく、併設のカフェで一休み。
コーヒーがおいしくてホッと一息つけました。
先住民族セルクナム族(オナ族)が成人儀式のために仮装した姿を暖簾風の布にプリントしてあるのがお洒落なインテリア。
プエルト・ナタレスには、セルクナム族(オナ族)をモチーフにしたグッズが色々ありそう。
ウシュアイアだと、見た限りのお店には無かったのよね。
実際、プエルト・ナタレスではあれこれ買えたので、今後に続く旅行記でご紹介しようと思います。 -
ちょっと歩いてみたプエルト・ナタレスの町。
あの青い車、ちょっといい感じじゃない?
夏のシーズンが終わったばかりで、通りはちょっとガラ〜ン。
それでも、旅行会社やお食事処、お土産屋さんは結構あるし、一般的商店や大きめスーパーも見かけました。 -
プエルト・ナタレス中心部に設置されてあったゴミ箱。
手作り感いっぱいのオブジェにもなってるよね。
≪町をきれいにしよう≫運動で、ゴミ箱作りコンテストがあったのかも?
今は絶滅してしまったナマケモノの仲間ミロドンや、鉱山労働者、アニメのキャラクター(?)、それにもう一つは郵便屋さん? -
プエルト・ナタレスの町の中心にあるアルトゥーロ・プラット広場には、レトロな機関車がオブジェのように置かれていたり。
ワンちゃん、そこに座っていたら危ないよ!
なんちゃって。 -
アルトゥーロ・プラット広場の南側には、パロキアルという名の教会が。
ただし、2014年4月中旬には大規模な補修中。
工事用に臨時に作った塀に出ている画像の建物がその教会だね、きっと。 -
プエルト・ナタレスの中心部を通る道の標識。
道の名の前後に出ているマークは、ミロドンのシルエット?
体長3〜4mあったというナマケモノの仲間のミロドンも、こういうマークになると可愛い。
ひょっとして、ミロドンはプエルト・ナタレスのゆるキャラ?(*^。^*) -
プエルト・ナタレスでこの日の夕食を摂ったのは、EL MARITIMOという気軽なレストラン。
所在地はMANUEL BAQUEDANO379-A。
その名のとおり、海産物を主に出しています。
ここで食べたセントージャ(タラバガニ)、カキ、エビ、白身魚がたっぷり入ったシーフード・スープSOPA MARINERAが抜群。
カキは燻製のものも混じっていて、スープにコクがありました。
ご飯も頼んでオジヤ風にして食べると最高!お試しを。 -
さてさて、プエルト・ナタレスで泊まってみたホテルが変り種だったので、いつになく詳しくご紹介します。
上の方で言ったようにプエルト・ナタレスの宿泊施設は小粒な場所が多いんですが、これから行くザ・シングラー・パタゴニアは100年前の工場を改装して2011年にオープンしたと言う大きな高級ホテル。
町から7kmほど離れたウルティマ・エスペランサ・フィヨルドに面しています。
これがそのホテルの看板と遠景。 -
上掲の画像の看板から先は、農場へでも入って行くような道。
チリ国旗が出迎えてくれます。 -
ザ・シングラー・パタゴニアの駐車場に到着。
でも、目の前にあるのは、元は工場だったガラーンとした巨大なガレージ。
もし、屋根にホテルの名が無かったら、間違って農場に入り込んでしまったかと心配になるほど。(笑)
最初は誰でも、「?(゚ω゚ノ)ノ ほんとにここなの〜?」と思うのでは? -
上掲の画像のガレージどん詰まりにあったのは、まずお客を確認する控えの間のようなガラス張りスペース。
取次ぎのスタッフがリセプションとやり取りしている間に((゚д゚o)キョロキョロ(o゚д゚))。
ガレージの中には、貸し出しているらしい自転車や、イベントの際に使うようなお車が入ってました。 -
めでたくザ・シングラー・パタゴニアの客だと認定されると、スタッフと一緒にリセプションも入っている宿泊棟の方へ移動。
宿泊棟はちょっとした斜面の下方にあって、階段もしくはケーブルカーで行き来するようになってました。 -
ザ・シングラー・パタゴニアの宿泊棟へと下りて行くケーブルカーを下から見た様子。
初め、ケーブルカーと聞いて空中に吊り下げられた形のものを想像していたら、間違ってました。(ノω`*) -
ザ・シングラー・パタゴニア内部。
リセプションでの手続きが済むといよいよお部屋へ行く訳ですが、案内されてエレベーターへ向かう通路には元工場だった時の設備が残されていて博物館のよう。
わ〜! こういう趣向のホテルだったんだ。(◎◇◎) -
ザ・シングラー・パタゴニア内部。
上掲の画像の通路天井も、100年前には工場だった時の様子を現代に伝えています。
もちろん壊れたりして危険な箇所は補修されているんでしょうけどね。 -
イチオシ
ザ・シングラー・パタゴニア内部。
元は工場だった歴史を残してある通路では、機械類に近寄って見学できる箇所もあり。 -
ザ・シングラー・パタゴニア内部。
陰影を強調した照明に浮かび上がる機械類。
今にも シューー! ゴトンッ、ゴトンッ、ゴオオオンッ!と地響き立てて動き出しそうで、SUR SHANGHAIはこれらの機械が展示してある通路は夜になると一人で歩くのがちょい怖かったです。
(;^ω^) -
ザ・シングラー・パタゴニア内部。
宿泊棟の廊下や客室はずらりと並ぶ冷凍庫のようで、これまた元は工場だったのを連想させる。
ここで、このホテルは100年前には何の工場だったのかと言うと、聞いてびっくり玉手箱の食肉加工工場だったんだそう。
あとで行ってみたホテル内部には、当時の様子を伝える物品や写真があちこちに展示されていました。
今では当時の歴史を語る博物館的高級ホテルになっている点が珍しいと思います。 -
イチオシ
ザ・シングラー・パタゴニア内部。
一歩客室に入ると、ウルティマ・エスペランサ・フィヨルド側に面した幅6mもの壁面全体がガラス窓。
「これぞ、パノラマ!ヽ(*^ω^*)ノ」という絶景が目前に広がります。
この日はちょっと雲が出てフィヨルド対岸がよく見えませんが、晴れた日には遠い雪山の連なりが幻のように見えましたよ。 -
ザ・シングラー・パタゴニア内部。
上掲の画像のパノラマは、ベッドに寝ころびながらも見られるのが贅沢。
たっぷりと広い客室は、シンプルながらも高級感があるインテリアでまとめられていました。 -
ザ・シングラー・パタゴニア内部。
浴室は、モノトーンで統一されたインテリア。
この画像に写っている浴槽のほか、独立したシャワー・ブースも。
今どきは、どこでもそういうデザインにするのが流行なのね。
シャンプー類のアメニティも、木製トレーに入れられてお洒落でしたよ。 -
お部屋に入って一息ついたあとは、ザ・シングラー・パタゴニアの外回りを探検。
左手の画像のように、いかにも昔は工場の一部だったと分かる部分があったり、右手の画像の宿泊棟は、工場の建物とは別に新しく建てたんじゃないかな。
ガラスを多用したモダンな設計です。
ちなみに、左手の画像の棟は、食事スペースやイベント会場になっていて、あちこちにこのホテルの前身を示す展示品もありました。 -
ザ・シングラー・パタゴニア敷地内。
芝生を踏んで宿泊棟前を横切って行った場所には、昔は工場だった部分の遺構らしきものが。 -
ザ・シングラー・パタゴニアは、芝生を植えた敷地を挟んでウルティマ・エスペランサ・フィヨルドに面したホテル。
フィヨルドを眺めながら楽しめるスパやジムがあったり、ホテルのボートでフィヨルド・クルーズなども楽しめます。
そのほかにはどんなアクティビティがあるのか、リセプションで聞いてみては?
SUR SHANGHAIたちは、明日はレンタカーでパイネ国立公園に行く事にしてあるので詳細は未確認です。 -
ザ・シングラー・パタゴニア敷地内にある昔の桟橋の遺構。
客室からも見えていたのがこの桟橋。
今では朽ち果てていて立ち入り禁止になってますが、あの建物までは行ってみます。
そうそう、この芝生は写真ではきれいに見えますが、水鳥のフンが隙間無く落ちていてべチョべチョ。
お靴を汚さないようにご用心。 -
イチオシ
ザ・シングラー・パタゴニア敷地内にある昔の桟橋。
ここに、ウルティマ・エスペランサ・フィヨルドを渡って来た最後の物資が陸揚げされたのはいつの事?
昔はここにも鉄道が引いてあったらしい。
あ! ひょっとして、プエルト・ナタレスの町のアルトゥーロ・プラット広場に置かれていた機関車が想だったのかも?
今では朽ちた桟橋に取り残された木造の貨車が物悲しい…。 -
ザ・シングラー・パタゴニア内部。
食事スペースが入っている棟の上階は、イベント時にはパーティー会場になるのかなという広い空間があったり、かつての写真などの展示もあり。
右下の画像には、この棟が食肉加工工場として機能していた時の様子が写っています。
窓の一つからウルティマ・エスペランサ・フィヨルドを見ると、破船が岸に乗り上げた形で残っている場所も。
あそこはホテルの敷地外のようだから、見に行けそうが無い。残念。 -
ザ・シングラー・パタゴニア内部。
食事スペースがある棟にはバーもあったり、古めかしい物品が展示してあったり。
右手の画像の中の写真は、ここが工場だった頃の経営陣や倉庫の様子。
何年に撮ったものなのかは書いてありませんが、Sociedad Explotadora de Tierra del Fuegoという会社の名が出ています。
あ、やっぱり、アルトゥーロ・プラット広場に置かれていたのと同じような機関車も写っている。 -
ザ・シングラー・パタゴニア内部に展示してあった昔の写真をもう少し。
これは、このホテルがまだSociedad Explotadora de Tierra del Fuegoという会社の工場だった頃の写真で、1918年に撮影されたもの。
この画像に出ている桟橋は、今では朽ちていますが遺構となって残されています。
この桟橋があったのは、ウルティマ・エスペランサ・フィヨルドの一部のプエルト・ボリエス。
写真中央部分の棟は、ホテルになった今でも面影を残しています。 -
ザ・シングラー・パタゴニア内部に展示してあった昔の写真の1枚。
これは、上掲の画像に写っている桟橋と機関車。
これも1918年に撮影されたもので、この桟橋の名は、ボリエス・ドック。
やっぱりこの機関車は、アルトゥーロ・プラット広場に置かれてあったのと同じ物のような気がする…。
間違っていたらお許しを。 -
イチオシ
ザ・シングラー・パタゴニア内部。
ここは、上掲の画像のバーから朝食スペースに続く部分。
ぎっしりとこのホテルの歴史を示すものが展示してあって、ちょっと重苦しいと感じる人がいるかも。
奥にちょっと見えている朝食スペースには窓がありますが、やはりじっとりとした重厚感。
気候・天候がいい時には、外にテーブルを出すようにしたらいいんじゃないかなあ。 -
ザ・シングラー・パタゴニアでの朝食ブッフェの品の例。
ちょっとグルメっぽい品揃えでお洒落な朝食。
これまで見てきたように、ザ・シングラー・パタゴニアはスタイリッシュな高級ホテル。
こういう場所で働くスタッフは往々にしてお客への応対態度が少々横柄だったりしますが、ここでもちょっとなあと言う場面がありました。
それでもこの奇抜なホテルは、ハード面での充実度高し。
プエルト・ナタレスまで来ることがあれば、泊まって行ってみては?
次編では、このザ・シングラー・パタゴニアからパイネ国立公園への日帰り旅に出かけてみます。
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