2014/08/12 - 2014/08/16
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Jamieさん
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2回目のパレスチナ旅行
パレスチナ地域の東側。国土の8割を砂漠に覆われたヨルダン・ハシミテ王国。第一次中東戦争以降大量のパレスチナ人が流入し、現在は国民の7割がパレスチナ人が占める。また近年のシリア内戦によるシリア難民。原住民のベドウィンなどの人々も生活している。国民の9割がイスラム教を信仰するこの国について知識がある日本人も少ないだろう。また同時になにやら危険な国と言う印象を持つ人々も少なくはないだろう。
ヨルダン川西側に位置しているイスラエル。北にシリアレバノン。東にヨルダン。西にエジプトと国境を接しているこの国に対しての印象が正確に持つ方は少ないだろう。しかし中東随一はもちろん世界的にも経済大国であり。本当に中東に存在している国なのかと疑うほど、西欧化されて整然とした街並みを持つテルアビブ。南には美しい紅海のリゾートエイラート。そして古都エルサレム。本当に素晴らしい観光地だと思う。
そんなこれらの地域を再び興味のままに旅してきました。
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8/12
この日まで仕事で納会の後直接関西国際空港まで移動。
今回はエミレーツ航空。恐らくエミレーツは数ある航空会社の中でも最もサービスがいい航空会社だと思う。
まずは食事。例えば中華系の航空会社だと「こんなのまずくて食べられない。」ほど酷いものが出てくる事もあるが、エミレーツではそんなことはない。日本食、ウェスタンどちらをとっても美味しい料理が食べられる。
また食事以外にも機内モニターでは最新映画からフランス、スペイン、Japanese、インド映画まで各国映画を楽しめる。 -
また今回のような10時間以上の長距離線でもスマートフォンの電池切れの心配も無用。
このようにUSBのコンセントが各座席に搭載されている。
このように至れり尽くせりの対応だ。 -
大阪から約9時間でアラビア半島のUAEの都市ドバイに午前5時に到着。
ここで2時間半のトランジット。
この空港でもトランジットで退屈することはないくらい様々なエンターテイメントやサービスを備えている。
ヨルダンの首都アンマン行きは7時発
出発カウンターには日本人は僕1人。まだまだ日本人には中東のヨルダン馴染みがない証拠であろう。
アンマンまでは約2時間半のフライト。 -
8/13朝9:30にアンマンのクイーンアリア国際空港に到着。
比較的新しい空港なのか外観も内部もとても綺麗です。
空港のエントランスからエアポートタクシーでイスラエル国境のキングフセイン橋まで1時間。運賃は25JD -
アンマンのクイーンアリア空港に乗り入れるタクシーは全て定額制のため、あらかじめ交渉する必要がないため楽チン。
国境到着
2年前一度使った国境のため要領は得ているためまだ楽だったがやっぱりイスラエル側の入国は緊張した。
今回はスペイン人のグループと出会い彼らとグループ入国と言う扱いにしたため比較的審査も楽だった。 -
イスラエル側の国境
ここからシェルートと呼ばれる乗り合いのタクシーでエルサレムまで1時間の移動。 -
懐かしのエルサレム。
ダマスカス門で降ろされ、そこから少し歩いた所にトラムのダマスカスゲート駅がある。そこから北へ15分くらい乗り、セントラルバスステーションに到着。
エルサレムのセントラルバスステーションからテルアビブのセントラルバスステーションまでは約1時間半。 -
テルアビブに到着。
旅に出る前にある程度は街の想像をしていたが、実際のテルアビブはその想像を遥かに超えていた。
それは街の規模だ。
これ程までに大きな都市だとは思っていなかった。
これまでヨーロッパやアジアの大都市と呼ばれる都市はいくつか訪れたが、これ程までに大きな都市は見たことがない。それくらいの規模の大きな街。メガシティだ。 -
テルアビブの宿はここ"Hayarcon48"
4人ベッドドミトリーで約2800円。イスラエルの物価からするとこのくらいだろう。
実はエルサレムからテルアビブ行きのバスはてっきりセントラルバスステーションに着くと思っていたが、実際はテルアビブの中央駅だった。
気付いた時は既に道に迷っていた。
テルアビブの街はでかい。尚且つ案内表記は殆どヘブライ語のため読めない。
Hayarconホステルは地中海に面した通りにあることは知っていたのでとりあえずiPhoneのコンパスで西の方角を探し、その方面のバスに飛び乗り海を目指した。
15分程で海岸通りらしき通りまで来たので下車。
そこからひたすら南を目指した。
結局中央駅からホステルまで1時間半くらいかかったが、こーやって道に迷うのも今や楽しみの一つだ。 -
ホステルで荷物を置く頃には時は既に17時。身軽になった体でまずは念願のテルアビブのビーチに出てみた。
Hayarconホステルからビーチまではハヤルコン通りを挟んだ向こう側。ビーチにはたくさんの白人がいる。
綺麗なビーチからテルアビブの整然とした高層ビルを眺めていると「本当にここは中東か?」と思うほど。 -
ビーチからのの夕焼け。
丁度僕が訪れた時期はイスラエルとパレスチナの和平調停が破棄された時期であり、連日のようにイスラエル軍はパレスチナ自治区のガザを空爆していた。ここテルアビブのビーチを南に数10km行った先にはガザ地区がある。
四国程大きさしかないこの国の中にあまりにも大きな壁があるのだろう。 -
キングフセイン国境からエルサレムまでの道中はパレスチナ自治区のヨルダン川西岸地区。
このような難民キャンプが多数存在し。皆ボロボロのバラックばかりだ。
とてもイスラエルと言う経済大国の中にあるとは思えないほど。それ程までに両国の経済格差は歴然としている。 -
ビーチでの滞在を終え、夕飯はビーチ沿いの中華料理で食べた。
宿に戻り同じ部屋のカナダ人の学生とイスラエルのビールを飲んで少し話就寝。
彼「ガザからのミサイルが飛んでくるとテルアビブは空襲警報が鳴るんだ。まぁ全部イスラエルの防空システムアイアンドームが迎撃するけどね。」
僕が滞在していた2日間は幸いにも空襲警報は鳴らなかったが、このイスラエルという国は日常の中に紛争が存在している。しかしだからといって張り詰めた空気はない。
そして日本人の僕はこのイスラエルとパレスチナの紛争に意見を言えるだけとの知識も権利もないと思った。
どちらが正義も悪もわからない。わかったのは"わからない。"と言うことだけだろう。 -
翌日は朝からテルアビブの街は散策。まず向かったのがテルアビブの台所"カルメルマーケット"
別に大して大きくないマーケットだが、ここに暮らす人々の生々しさがあって僕は好きだ。 -
テルアビブは90年代に創られた街のため都市計画が施された街。
大きな通りの中央分離帯にはキオスクが置いてあったり建物、通り全てが美しい。 -
またテルアビブにはこのようなアーティスティックな家が数多く存在する。
モダンアートと言うのか本当にただ歩いているだけでも楽しい。
1ブロック歩いただけで新たな発見や驚きがある。ここに住んでいると新たなアイデアが湧きそう。そんな街だと感じた。 -
午後にこれまた念願だった"イスラエル建国記念ホール"訪れた。
日本人にとっては取るに足らない場所かもしれないが、ここはイスラエル建国の父"ダビッド・ベングリオ初代首相がイスラエル建国を宣言したホール。実際の建国宣言のテープを再生してくれ最後にはイスラエル国歌"ハティクバ"が流れる。中央の絵はシオニズムを発明した"テオドール・ヘルツル"彼がシオニズムを発明し、ユダヤ国家を創り上げるまでに費やした日数はきっかり50年。ただただ驚愕だ。
とにかく中東の近代史が好きな僕は大満足だった。 -
午後14時。イスラエル最南端エイラートに移動するためテルアビブのセントラルバスステーションへ。
ここからエイラートまではバスで砂漠地帯を抜け5時間半。
久々の長距離バスも楽しかった。 -
約5時間半の移動のためこのように何回か途中で休憩を取る。
道中は砂漠地帯のため50度はあるくらいの暑さ。売店でアイスクリームを買っても袋を開けた時点で既に溶けているほど。
車内は僕以外全員はアジア人はいないよう。隣の席はイスラエルの女性兵士だった。イスラエルには兵役があるようでバスなのではよく若い兵士を見かける。皆普通に銃を持っているのが印象的 -
イスラエル最南端エイラートに到着。もう日暮れなのにめちゃくちゃ暑い。
それもそのはずでエイラートは隣をエジプト・ヨルダン・サウジアラビアと接し世界でも最も暑い地域の中にある。その代わりに世界でも最も美しいとされている紅海に面した街。テルアビブも中東では珍しい世俗的な街だったが、ここエイラートはそれ以上の街だっだ。 -
エイラートでの宿泊は"Eilat Youth Hostel"翌日が早いためシングルルームに泊まったが、ユースホステルなのに一泊1万円もした。
夜のエイラートを散策。エイラートは小さな街だが、夏は特に観光客で賑わう。大きなショッピングモール、野外遊園地なのどのアトラクションも多数あり、ナイトクラブもある。まるで街そのものが遊園地のようだった。 -
翌日はヨルダンに戻るためエイラートのヨルダンとの国境地帯に向かう。
国境のイツハク・ラビンボーダーまでエイラート中心部からタクシーで10分程で到着。
キングフセイン国境に比べると人は殆どいなかった。そのままスムーズにイスラエルを出国。歩いてヨルダンのアカバ国境に到着。しかしここでトラブルが発生した。僕はキングフセイン国境からヨルダンを出国したのだが、キングフセイン国境ではヨルダンの出国スタンプは紙に押される。尚且つその紙は国境のバスで回収された。そのため僕のパスポートにはヨルダンの出国スタンプがない。それは有名な話だと思っていたが、その国境の審査官はこの件が違法か合法か区別できなかったようで、「ヨルダン再入国の際は行きしに使ったキングフセイン国境まで戻り再入国しなさい」と言わんばかりだったが、今からキングフセイン国境まで戻るには丸一日はかかる。結局事情を説明して通してもらったが、このような異なるボーダーから出入国をされる方は注意が必要。 -
一悶着あったが無事ヨルダンのアカバに到着。アカバの中心地に予約していたタクシーに乗り砂漠地帯ワディラムへ1時間半の移動。
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道中タクシーの運転手に朝ごはんをおごってもらった。
ナンのような生地にタマネギや何やらわけのわからん具材を挟んで食べるよう。はっきり言って美味しくないが運転手の好意と拙い英語で何度も何度も話しかけてくれたのがとても嬉しかった。 -
ワディラムのラム村に到着。
ここは砂漠に住む遊牧民の村でここから様々な砂漠ツアーが出ている。今回は"Bedouin Lifestyle Camp"というキャンプを予約。ジープによる半日ツアーとキャンプ宿泊、ディナー、朝ご飯全て込で1万円程。
昼過ぎからジープでツアー開始。 -
村を出るとそこから本格的な砂漠。
極度に乾燥しているためかそれ程暑さは感じない。ガイドのモハメドは21歳には見えないほどの大人びた男だったが英語も比較的うまく車内でもずっと話をして楽しかった。 -
ワディラムの砂漠は基本的にはサラサラとした砂漠ではなく荒地・土漠と言った表現の方が正しいが、このような小さな砂丘も存在する。かなりの急斜面で尚且つ砂に足を取られるので登るのがとても大変。頂上にたどり着くとへとへと。サンドボードを借りて滑ってみたが殆ど滑れなかった。
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木陰で休憩。絨毯を砂漠に張りリンゴやキュウリ・トマトなど丸々そのままをモハメドにもらった。何故かここで食べると美味しく感じた。
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再びジープでずんずん進む。砂漠の圧倒的な風景になかなか目が慣れず、まるで夢でも見ているよう。モハメドがジープの上に乗せてくれたり、一緒に歌を歌ったりした。
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ワディラムは本当に広い。周りは時々ジープが通るだけで人影は全くない。日本に住んでいると全くの静寂を感じることはまずないがここでは、音一つしない全くの静寂。たまに遊牧民の子どもやヤギの群れを見かける。
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夕方頃に今夜のキャンプ到着。野外にあるのに思いのほか綺麗で清潔。共用だがトイレも水洗が2つありシャワーも2つある。
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夕暮れ時にキャンプのスタッフがサンセットポイントにジープで連れて行ってくれた。イタリア人4人とオランダカップルと一緒に荷台に乗った。互いの国の夏休みの長さとか地元の話とかをしたりして楽しかった。日本の5日しかない夏休みにはオランダ人もイタリア人もびっくしすぎて口が空きっぱなしだった。それほど日本の休みは少ない。
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サンセット。
本当に本当に綺麗で気持ちよかった。何せこの景色を見たくて遥々ヨルダンまで来たのだ。アラブ人やベドウィンにとってはただの一日の終わりの日の入りに過ぎないが、僕にとっては至福の時間だった。大学時代からたくさん旅行したが、社会人になったらきっとできないって思ってたけど、今ヨルダンにいる。しかも念願だった砂漠で夕日を見ている。まだ仕事は大したこともしてないけど、なんだかんだ学生の時よりはストレスも多少はある。でも年に1,2回こんな旅ができるならこれからも頑張れると思ったひと時だった。 -
夕飯はキャンプで他の旅行者と食べた。
日本人は僕1人だった。さっき仲良くなったオランダ人カップルとイタリア人の若者と夜の0時まで語り合った。辺りは真っ暗だけどその分星空は最高だった。あまりに星が多すぎて目が眩みそうだった。
本当に楽しい時間。 -
翌朝ジープでキャンプを後にし、ラム村に戻った。アンマンでパレスチナ人の友達と会うため少しでも早く着きたかったのでタクシーをチャーターしてアンマンまで4時間走った。
社会人になり時間を金で買うたびあが多くなったが仕方ない。 -
アンマン到着。
2年ぶりのアンマンだかこの典型的なアラブの街が大好きだ。
ローマ劇場前で待ち合わをしていたパレスチナ人の友達アラーと再会。今回は彼女の友達のシリア人イハーブ君も一緒にダウンタウンで有名な安食堂"ハーシムレストラン"へ。 -
レストランへの道中路面のガラス瓶の職人にお土産を作ってもらった。これはアラーの僕へのプレゼントらしい。あとパレスチナのシンボルをモチーフにしたペンダントももらった。
シュクランアラー。。 -
ハーシムレストランでランチ。
これまたヨルダンの伝統料理でお味は特に...と言った感じだか2人の好意がとても嬉しかった。シリア人の彼もパレスチナ人のアラーもお互い元々の土地を紛争や何らかの問題で離れここアンマンで暮らしている。彼らはあまり英語が話せないため、コミュニケーションには苦労したが、同じ人間同士伝えようと言う気持ちがお互いにあれば何となくコミュニケーションは計れる。 -
帰りのフライトが17時のため名残惜しかったが店を出た。本当はもっと2人とアンマンを散策したかったが時間がとても足りなかった。
空港まではアラーが見送りに来てくれて別れ際に手作りのクッキーをもらった。
絶対近いうちにヨルダンを再訪したい。 -
飛行機は遅れることなく無事ドバイそして関西国際空港へ。
2回目のヨルダン・イスラエル・パレスチナ旅行だったが本当に楽しすぎてあっという間だった。あとやっぱり旅行は人との出会いが1番の財産になる。日本から全く異なるこの地に対してマイナスイメージを持たれている人が大半だろうが、是非興味を少しでも持たれた方はこれらの国へ旅をして欲しい。きっとアラブの安らぎと優しさと素朴さを感じることができると思います。
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