2014/08/16 - 2014/08/16
223位(同エリア1796件中)
kiona212さん
- kiona212さんTOP
- 旅行記68冊
- クチコミ84件
- Q&A回答6件
- 225,949アクセス
- フォロワー44人
マニラ3泊4日旅行を一つの旅行記でまとめようと思いましたが、コレヒドール島観光があまりにも印象的で補足として旅行記を書いてみました。
コレヒドール島に関してあまり予備知識が無く、第2次世界大戦の激戦地だったくらいにしか知りませんでした。
この島の位置が丁度マニラ湾の入り口にあり古来から外敵の見張りの役目を
してきた島で、スペインが統治してきましたがその後アメリカ統治になり第2次世界大戦前までここの島を戦略的位置付けにしてきました。1942年に日本軍がアメリカ軍を打ち負かし1945まで日本軍の統治下にありましたが1945年の日本軍陥落の時は凄い闘いだったそうです。かなりの激戦地だったようでいたる所に足跡がありました。
コレヒドールにはサンクルーセスというツアー会社がフェリーの乗り降りからバス、ガイド、昼食と全てコミコミのツアーになっています。
25名前後のバスが5台ありましたので120名前後のツアーと推測します。
参加費は現地集合で¥7,200。内容からして安く感じました。
島全体がキチンと管理され、ここはフィリピンなの?と思わせるぐらい管理がゆき届いていました。島は緑が多く、暑い日なのに海からのそよ風もあり汗をかかない状況です。
ガイドは英語でしたが、日本人は3番バスに私1人。他に数名の日本人の方がいただけで日本人の参加率は少ないように思います。
ガイドの説明が詳細でまるでタイムスリップしたような気がしました。
日本軍の行動が彼らには理解出来ないようで自決する気持ちが分からないようです。私にも理解不能ですが少なくとも戦争という狂気の雰囲気の中ではそうならずにはいられなかったのでしょうね。
特攻隊の写真が展示してありましたが、みな若く10代の若者も沢山写っていました。戦争の醜さはもっとアピールしてもよいと思うのですが私もここに来るまでここで何があったのか全然知りませんでした。ガイドが日本の教科書には記述がないでしょう?と言っていましたが考えさせられます。
島自体はリゾートにしてもいいくらい緑が豊かで野生の動物もかなり見られます。マニラにいるよりコレヒドール島の方が数倍過ごしやすい。
海風に当たっているだけで快適な時間を過ごせました。もしもう一度くるなら昼食を取ったホテルに泊まりゆっくりまったりしたい。
本当に素晴らしい島です。
2時には帰りの船に戻り4時には行きに乗船したマニラ湾のターミナルに到着です。帰りはタクシーが捕まらず往生しましたが近くにあるSofitel Hotelまで行きそこでタクシーを手配してもらいました。帰りもまともなタクシーでしたがタクシにそこまで気を使うのか少々気持ちが荒くなります。
フィリピンで綺麗で整備されたコレヒドール島。
ぜひ時間があればツアーに参加してみてください。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
マニラ湾のサンクルーズターミナルに朝7:00に集合です。
ホテルを6:30ごろ出たのですがTAXIのドライバーが場所が分からずターミナル周辺をグルグル回ってしまいましたが、今回初めてまともなTAXIでこちらから何も言わずにきちんとメーターで連れて行ってくれました。これが本来当たり前なのにすごく嬉しかった。マニラのTAXI腹立ち放しですがいい運転手もいるんだ!
ここでチェックインします。朝から大勢の観光客が待っていました。 -
今回乗車するフェリーです。日本製のボートだと強調していました。
やっぱり日本製だと安心感がある?!
一日一往復運航されているみたいで、コレヒドール島観光客のみ用のフェリーです。 -
土曜日とあって殆ど満席でした。
コレヒドールで戦闘に参加したアメリカ人がビデオでいろいろ喋っていましたが本当に激戦地だったのですね。 -
このようなディズニーランドにありそうなバスで島をガイドが説明しながら周ります。私のバスは3号車。どうやら日本人は私1人だけみたいです。
-
ガイドの方は女性で流暢な英語でジョークも交えて説明してゆきます。
-
これはアメリカ軍が大戦前に建てたゲスト用の宿舎です。
打ち果てたまるで何百年も経ったような様子です。風雨にさらされたままだとこうなるんですね。 -
大戦前にアメリカ軍が使用していた弾薬倉庫です。1900年の初めの方に使用されていたみたいですが日本軍の攻撃で被害があったようです。
-
この大砲は17マイル先まで狙えるそうです。27km先まで狙えるなんて凄いですね
-
アメリカ軍が建てた教会。その他娯楽もかなり充実していたみたい。
-
この建物は元々3階建ての兵隊の宿泊所だったみたいで娯楽施設や床屋とかの日常必要なものが全てそろう場所だったらしい。6,000人の人が最盛期には駐留してという。
-
フィリピン兵士とアメリカ兵士を祭ったメモリアルモニュメントです。
ドームのてっぺんが空洞になっていて12時に太陽の光が下の受ける場所にきちんとハマるように設計されています。何となく神秘的です。 -
ここにも小さな博物館がありました。戦争当時に使用された旗とか兵隊が携帯していた小物類がここに展示されています。
写真の展示が多かった。 -
銃、小銃類の展示です。
-
マッカサー大将が1942年日本に敗れオーストラリアに避難する時に言った
I Shall return という言葉はあまりにも有名です。
1942年の日本軍の進撃は目をみはるものだったらしく、マッカサー大将はこの戦いを教訓にして対日本軍の戦い方の戦略を練ったらしいです。 -
マッカーサー大将がオーストラリアに避難する時にこの場所から船に乗ったと伝えられています。
海岸は綺麗で誰もおらず、観光客に開放すればいいのにと思いました。 -
銅像の横にお土産屋さんが営業しています。
本来フィリピンののんびりした雰囲気を持っていて大好きな光景です。 -
お昼の時間です。
この島に唯一あるホテルの食堂でバイキング形式の昼食です。 -
小高い丘の上にあるこのホテルは中々眺めが良く遠くマニラ湾が見えます。
海からの風が強く涼しくてエアコンいらずの素晴らしい場所でした。
ここで椅子にもたれて30分くらい昼寝をしてしまいました。うん!最高です。 -
食事はあまり美味しい物ではありませんが、フィリピン料理の定番がありました。
バナナのフリッターは初めて食べましたが甘いだけであまり私の口に合いません。
ご飯もパラパラ米で正直今一歩。 -
マリンタトンネルの東側の入り口です。
トンネルの中は節電で真っ暗。アメリカ軍日本軍ともにこのトンネルを利用していました。1945年にアメリカ軍がこの島を奪回した時に多くの日本兵が徹底抗戦し最後はアメリカ軍の火炎放射器で焼き殺されたらしい。胸が痛くなりました。 -
日本兵の犠牲に対し小さな慰霊碑が立てられ、和歌山県〜部隊の生き残りの方達が寄付したものです。
来年で戦後70年になります。普段忘れている戦争の傷跡を垣間見て少々考えさせられました。
もう2時です。マニラに帰る時間です。
大変有意義な時間を過ごせました。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
マニラ(フィリピン) の人気ホテル
フィリピンで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
フィリピン最安
283円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
0
21