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1).旅の始めに<br /><br />              緑陰に 木洩れ日踊る  行き帰り <br /><br />  1920年、北京大学を辞して上海に戻ってきた「陳独秀」は、当時「環竜路」と呼ばれていた「南昌路」に居を定め、共産党活動を始めている。1950年の夏、翌年に建党30周年記念日を迎えるため、中国共産党の成立を宣言した「第一回全国代表者会議」(通称『一大会』)が行われた場所を、当時の上海市長「陳毅」が、探すよう指示した。<br />  <br />2).中国共産党「第一回全国代表者会議」(通称「一大会」)の会場へ <br />  <br />  「淮海公園」は、嘗ては、租界地の墓苑であった。公園の北側を東西に走る「太倉路」を、西へ行くと、『博文女学校』の前に出た。女学校の、一本南を東西に走る「興業路」と、南北に走る「黄陂南路」が交差する南西角の「石庫門住宅」の、左から二つ目の建物が、「一大会」会場であった。<br />  「一大会」会場が確認できたのは、当時漢奸として拘禁されていた「周佛海」夫人の「楊淑慧」の記憶に依るところが大きかった。「一大会」前年の1920年、「周佛海」は、日本から湖南省の実家に、帰省する途中、上海で、「一大会」の上海代表である「李達」の家に泊まっている。その時、「李達」夫人「王会悟」の友人「楊淑慧」と出合い、後に結婚している。   <br />  翌日、「南昌路」を通り、「一大会址」に向かった。連棟式建物の入り口に108番と書かれた部屋に入ると、テーブルが置かれていた。ここで、全国代表13人と、二人のコミンテルン代表の計15人が、7月23日から30日まで連日会議を続けたが、30日の夕方、租界警察に手入れされ、急遽、浙江省嘉興市の「南湖」に、画舫を浮かべ、会議を続けることになった。<br /><br />3).南湖「紅船」会議の地、「湖心島」へ<br /><br />  その日、僕は、上海からバスで、「嘉興市」の中央バスターミナルに向かい、そこから、宿泊先の「国際倶楽部酒店」に向かった。ホテル前に広がる「南湖」の真ん中に小さな島が見えて来た。船上会議が行われた「画舫」(「紅船」と呼んでいる)が係留されている、「湖心島」である。僕は、「会景園」近くの船着場から乗船し、「湖心島」南岸の船着場に向った。この島には、杜牧の「江南の春」から名付けられた『煙雨楼』があり、清の乾隆帝は、6度もこの島を訪れている。<br />  <br />              島蔭の 侘しさ誘う 葦の群れ <br /><br />  嘉興市の「南湖」で、船を浮かべ、会議を続けようという話は、テレビドラマ『水的女児』では、この町出身の「李達」夫人の提案で、進められたと、描かれていた。1921年7月31日、共産党の代表たち11人は、二組に分かれ、午前10時頃、前後して「嘉興駅」に降り、近くの「鴛湖旅館」で、休憩している。<br />  僕も、上海から列車で、「嘉興駅」へ向かった。駅から、線路に沿って、「南湖」湖畔まで歩いて向かい、湖畔の船着き場から、船で、「湖心島」へ向かったが、湖心島の船着き場の脇には、一艘の船が係留されていた。南湖での「一大会」会場となった「紅船」であった。僕は、20元の入場料を支払い、中に入った。共産党の一大会に使用された為、「紅船」と呼ばれているが、実際は、黒っぽい船であった。<br />  1921年7月31日、この「紅船」の中で、参加者12人で、会議が行われている。会議では、「共産党綱領」と、「中央執行委員の選出」を決めている。当日は、午前11時頃に乗船し、「上海会議」で積み残した議案を、処理している。この会議は、「中国共産党万歳」の発声で、締め括られた。<br /> <br />4).旅の終わりに<br />  <br />  上海へ戻り、「璞邸精品酒店」(Pud Boudque Hotel)に、再び泊まった。その夜は、ホテル近くの店で、上海料理を肴に、紹興酒を飲みながら、この旅の日々を、改めて、一つ一つ、思い返していた。(完)<br />  <br /><br /><br />『参考』 「一大会」各地代表参加者:<br />     注:( )書きのアルフアペットは ピンイン、数字は四声)<br /><br />「上海代表」は、「李達」(東京大学)と「李漢」(東京大学)、<br />「北京代表」は、「張国〇(tao①)」と「劉仁静」、<br />「長沙代表」は、「毛沢東」と「何叔衡」、<br />「武漢代表」は、「董必武」(日本大学)」と「陳潭秋」、<br />「済南代表」は、「王尽美」と「〇恩銘(deng④)」,<br />「広州代表」は、「陳公博」、<br />「日本居留代表」は、「周佛海」(京都大学)<br />なお、「陳独秀」の代理として「包恵僧」が参加している。カッコ内は、留学した、日本の大学名。<br />  <br />  当時の党員は全部で50人余、上海メンバーは、「沈雁冰」(茅盾)、フランス在住メンバーには、「周恩来」、「蔡和森」の名がある。<br />  「長沙」代表の「毛沢東」は、北京から故郷に戻り、教師をしていたが、北京で「李大〇(zhao①)」と接触し、 1919年に「湘江評論」に、論文「民衆の大連合」を発表。1920年6月上海で「陳独秀」と会い、1921年1月、16名の真の同志からなる「湘南社会主義青年団」を組織している。<br />                               <br />  出席者の最年少は、北京代表の「劉仁静」で、僅か19歳であった。1949年に共産党が政権を掌握した時、生存していた「一大会」に参加した各地代表者は、6名。北京の「天安門」の式典に参加出来たのは、「毛沢東」と「董必武」の二人であった。(完)<br /><br /> * Coordinator:  H. Gu  <br /><br />      <br /> <br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />  <br /><br /><br /><br /><br /><br />    <br />

【上海・浙江省】 上海・嘉興 * 中国共産党「第一回全国代表者会議」の地を 旅する

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2014/07/21 - 2014/07/26

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彷徨人MU

彷徨人MUさん

1).旅の始めに

              緑陰に 木洩れ日踊る  行き帰り

  1920年、北京大学を辞して上海に戻ってきた「陳独秀」は、当時「環竜路」と呼ばれていた「南昌路」に居を定め、共産党活動を始めている。1950年の夏、翌年に建党30周年記念日を迎えるため、中国共産党の成立を宣言した「第一回全国代表者会議」(通称『一大会』)が行われた場所を、当時の上海市長「陳毅」が、探すよう指示した。

2).中国共産党「第一回全国代表者会議」(通称「一大会」)の会場へ 
  
  「淮海公園」は、嘗ては、租界地の墓苑であった。公園の北側を東西に走る「太倉路」を、西へ行くと、『博文女学校』の前に出た。女学校の、一本南を東西に走る「興業路」と、南北に走る「黄陂南路」が交差する南西角の「石庫門住宅」の、左から二つ目の建物が、「一大会」会場であった。
  「一大会」会場が確認できたのは、当時漢奸として拘禁されていた「周佛海」夫人の「楊淑慧」の記憶に依るところが大きかった。「一大会」前年の1920年、「周佛海」は、日本から湖南省の実家に、帰省する途中、上海で、「一大会」の上海代表である「李達」の家に泊まっている。その時、「李達」夫人「王会悟」の友人「楊淑慧」と出合い、後に結婚している。   
  翌日、「南昌路」を通り、「一大会址」に向かった。連棟式建物の入り口に108番と書かれた部屋に入ると、テーブルが置かれていた。ここで、全国代表13人と、二人のコミンテルン代表の計15人が、7月23日から30日まで連日会議を続けたが、30日の夕方、租界警察に手入れされ、急遽、浙江省嘉興市の「南湖」に、画舫を浮かべ、会議を続けることになった。

3).南湖「紅船」会議の地、「湖心島」へ

  その日、僕は、上海からバスで、「嘉興市」の中央バスターミナルに向かい、そこから、宿泊先の「国際倶楽部酒店」に向かった。ホテル前に広がる「南湖」の真ん中に小さな島が見えて来た。船上会議が行われた「画舫」(「紅船」と呼んでいる)が係留されている、「湖心島」である。僕は、「会景園」近くの船着場から乗船し、「湖心島」南岸の船着場に向った。この島には、杜牧の「江南の春」から名付けられた『煙雨楼』があり、清の乾隆帝は、6度もこの島を訪れている。
  
              島蔭の 侘しさ誘う 葦の群れ 

  嘉興市の「南湖」で、船を浮かべ、会議を続けようという話は、テレビドラマ『水的女児』では、この町出身の「李達」夫人の提案で、進められたと、描かれていた。1921年7月31日、共産党の代表たち11人は、二組に分かれ、午前10時頃、前後して「嘉興駅」に降り、近くの「鴛湖旅館」で、休憩している。
  僕も、上海から列車で、「嘉興駅」へ向かった。駅から、線路に沿って、「南湖」湖畔まで歩いて向かい、湖畔の船着き場から、船で、「湖心島」へ向かったが、湖心島の船着き場の脇には、一艘の船が係留されていた。南湖での「一大会」会場となった「紅船」であった。僕は、20元の入場料を支払い、中に入った。共産党の一大会に使用された為、「紅船」と呼ばれているが、実際は、黒っぽい船であった。
  1921年7月31日、この「紅船」の中で、参加者12人で、会議が行われている。会議では、「共産党綱領」と、「中央執行委員の選出」を決めている。当日は、午前11時頃に乗船し、「上海会議」で積み残した議案を、処理している。この会議は、「中国共産党万歳」の発声で、締め括られた。
 
4).旅の終わりに
  
  上海へ戻り、「璞邸精品酒店」(Pud Boudque Hotel)に、再び泊まった。その夜は、ホテル近くの店で、上海料理を肴に、紹興酒を飲みながら、この旅の日々を、改めて、一つ一つ、思い返していた。(完)
  


『参考』 「一大会」各地代表参加者:
     注:( )書きのアルフアペットは ピンイン、数字は四声)

「上海代表」は、「李達」(東京大学)と「李漢」(東京大学)、
「北京代表」は、「張国〇(tao①)」と「劉仁静」、
「長沙代表」は、「毛沢東」と「何叔衡」、
「武漢代表」は、「董必武」(日本大学)」と「陳潭秋」、
「済南代表」は、「王尽美」と「〇恩銘(deng④)」,
「広州代表」は、「陳公博」、
「日本居留代表」は、「周佛海」(京都大学)
なお、「陳独秀」の代理として「包恵僧」が参加している。カッコ内は、留学した、日本の大学名。
  
  当時の党員は全部で50人余、上海メンバーは、「沈雁冰」(茅盾)、フランス在住メンバーには、「周恩来」、「蔡和森」の名がある。
  「長沙」代表の「毛沢東」は、北京から故郷に戻り、教師をしていたが、北京で「李大〇(zhao①)」と接触し、 1919年に「湘江評論」に、論文「民衆の大連合」を発表。1920年6月上海で「陳独秀」と会い、1921年1月、16名の真の同志からなる「湘南社会主義青年団」を組織している。
                               
  出席者の最年少は、北京代表の「劉仁静」で、僅か19歳であった。1949年に共産党が政権を掌握した時、生存していた「一大会」に参加した各地代表者は、6名。北京の「天安門」の式典に参加出来たのは、「毛沢東」と「董必武」の二人であった。(完)

* Coordinator:  H. Gu










  






同行者
一人旅
交通手段
鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩
航空会社
JAL
旅行の手配内容
個別手配
  • 上海   「中国共産党第一次大会址」の案内看板

    上海   「中国共産党第一次大会址」の案内看板

  • 上海   「中国共産党第一次大会址」<br /><br />上海代表だった李漢俊の兄、李書城の住まいを借りて「秘密会議」が開かれた。(手前から二つ目の扉)

    上海   「中国共産党第一次大会址」

    上海代表だった李漢俊の兄、李書城の住まいを借りて「秘密会議」が開かれた。(手前から二つ目の扉)

  • 上海   「中国共産党第一次大会址」<br /><br />上海代表だった李漢俊の兄、李書城の住まいを借りて「秘密会議」が開かれた(奥から二つ目の扉)

    上海   「中国共産党第一次大会址」

    上海代表だった李漢俊の兄、李書城の住まいを借りて「秘密会議」が開かれた(奥から二つ目の扉)

  • 上海   「中国共産党第一次大会址」<br /><br /> 向って左から二つ目の扉が、会場となった上海代表だった李漢俊の兄、李書城の住まい。

    上海   「中国共産党第一次大会址」

     向って左から二つ目の扉が、会場となった上海代表だった李漢俊の兄、李書城の住まい。

  • 上海 「中国共産党第一次大会址」

    上海 「中国共産党第一次大会址」

  • 上海   「中国共産党第一次大会址」(地番108)<br /><br />上海代表だった李漢俊の兄、李書城の住まいを借りて「秘密会議」が開かれた。

    上海   「中国共産党第一次大会址」(地番108)

    上海代表だった李漢俊の兄、李書城の住まいを借りて「秘密会議」が開かれた。

  • 上海   「中国共産党第二次大会址」<br />」<br />  1922年7月16日から23日まで上海南成都路輔徳里625番で開催。<br />出席代表12名、全国党員195名。

    上海   「中国共産党第二次大会址」

      1922年7月16日から23日まで上海南成都路輔徳里625番で開催。
    出席代表12名、全国党員195名。

  • 嘉興市南湖湖畔 <br /><br /> 「文星橋」

    嘉興市南湖湖畔 

     「文星橋」

  • 嘉興市南湖湖畔<br /><br />「文星橋」

    嘉興市南湖湖畔

    「文星橋」

  • 嘉興市南湖湖畔 <br /><br />「文政橋」から眺める「豪股塔院」

    嘉興市南湖湖畔 

    「文政橋」から眺める「豪股塔院」

  • 嘉興市南湖湖畔 <br /><br /><br /><br />「〇秀園」(〇は手偏に、旁は覧)内のミニグルメ街、

    嘉興市南湖湖畔 



    「〇秀園」(〇は手偏に、旁は覧)内のミニグルメ街、

  • 嘉興市南湖湖畔<br /><br />「禾城陸稿薦」の〇秀店内での夕食

    嘉興市南湖湖畔

    「禾城陸稿薦」の〇秀店内での夕食

  • 嘉興市南湖湖畔<br /><br />「禾城陸稿薦」の〇秀店((〇は手偏に、旁は覧)内での夕食<br /><br />  「孔乙巳10年」(紹興酒)

    嘉興市南湖湖畔

    「禾城陸稿薦」の〇秀店((〇は手偏に、旁は覧)内での夕食

      「孔乙巳10年」(紹興酒)

  • 嘉興市南湖湖畔<br /><br />「禾城陸稿薦」の〇秀店(〇は手偏に、旁は覧)内での夕食<br /><br />豆?滓黄魚、四喜拌豆腐、桂花糖藕、黒松茸螺頭<br /><br />

    嘉興市南湖湖畔

    「禾城陸稿薦」の〇秀店(〇は手偏に、旁は覧)内での夕食

    豆?滓黄魚、四喜拌豆腐、桂花糖藕、黒松茸螺頭

  • 嘉興市の南湖<br /><br /><br />宿泊先の「嘉興南湖国際倶楽部」から「湖心島」を眺める

    嘉興市の南湖


    宿泊先の「嘉興南湖国際倶楽部」から「湖心島」を眺める

  • 嘉興市、南湖<br /><br />「豪股塔院」の上から眺めた「文星橋」とその周りの水路

    嘉興市、南湖

    「豪股塔院」の上から眺めた「文星橋」とその周りの水路

  • 嘉興市、南湖<br /><br />「豪股塔院」の上から眺めた「文星橋」その周りの水路

    嘉興市、南湖

    「豪股塔院」の上から眺めた「文星橋」その周りの水路

  • 嘉興市南湖湖畔<br /><br />「文政橋」の夜景

    嘉興市南湖湖畔

    「文政橋」の夜景

  • 嘉興市、南湖<br /> <br /><br />「豪股塔院」の遠景

    嘉興市、南湖
     

    「豪股塔院」の遠景

  • 嘉興市、南湖<br /><br /><br />「豪股塔院」<br /><br /><br />

    嘉興市、南湖


    「豪股塔院」


  • 嘉興市南湖湖畔<br /><br /><br />「豪股塔院」の夜景

    嘉興市南湖湖畔


    「豪股塔院」の夜景

  • 浙江省嘉興市<br /><br />南湖絵図(嘉興駅から紅船会議までのルート図)

    浙江省嘉興市

    南湖絵図(嘉興駅から紅船会議までのルート図)

  • 浙江省嘉興市<br /> <br /><br /> 1921年7月31日に,朝上海から汽車で嘉興について、彼らが休憩した「鴛湖旅館」

    浙江省嘉興市
     

     1921年7月31日に,朝上海から汽車で嘉興について、彼らが休憩した「鴛湖旅館」

  • 嘉興市の南湖湖畔湖の南側にある「会景園」の隣の船着き場と、その付近<br />

    嘉興市の南湖湖畔湖の南側にある「会景園」の隣の船着き場と、その付近

  • 嘉興市の南湖湖岸

    嘉興市の南湖湖岸

  • 嘉興市の南湖湖岸<br /><br />宿泊した「嘉興南湖国際倶楽部ホテル」界隈

    嘉興市の南湖湖岸

    宿泊した「嘉興南湖国際倶楽部ホテル」界隈

  • 嘉興市の南湖 <br /><br /><br />

    嘉興市の南湖 


  • 嘉興市の南湖<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

    嘉興市の南湖










  • 嘉興市、南湖に浮かぶ「湖心島」

    嘉興市、南湖に浮かぶ「湖心島」

  • 嘉興市の南湖にある「湖心島」<br /><br />島陰に、「一大会」が行われた「紅船」(レプリカ)が係留されている

    嘉興市の南湖にある「湖心島」

    島陰に、「一大会」が行われた「紅船」(レプリカ)が係留されている

  • 嘉興市、南湖 <br /><br /><br /><br />中国共産党一大会の記念碑

    嘉興市、南湖 



    中国共産党一大会の記念碑

  • 嘉興市、南湖の「湖心島」に係留されている「紅船」(レプリカ)<br /><br />この船の中で、上海会議に引き続き、一大会が開催された。そこで、共産党の綱領が採択され、中国共産党の最初の中央局のリーダーが確定した

    嘉興市、南湖の「湖心島」に係留されている「紅船」(レプリカ)

    この船の中で、上海会議に引き続き、一大会が開催された。そこで、共産党の綱領が採択され、中国共産党の最初の中央局のリーダーが確定した

  • 嘉興市、南湖の「湖心島」に係留されている会議が行われた「紅船」<br /><br /><br /><br />この船の中で、上海会議に引き続き、一大会が開催された。そこで、共産党の綱領が採択され、中国共産党の最初の中央局のリーダーが確定した。

    嘉興市、南湖の「湖心島」に係留されている会議が行われた「紅船」



    この船の中で、上海会議に引き続き、一大会が開催された。そこで、共産党の綱領が採択され、中国共産党の最初の中央局のリーダーが確定した。

  • 浙江省嘉興市  南湖革命記念館<br /><br />南湖の一大会の紅船会議の映像

    浙江省嘉興市  南湖革命記念館

    南湖の一大会の紅船会議の映像

  • 浙江省嘉興市  南湖革命記念館<br /><br /><br />南湖の一大会の紅船会議の映像

    浙江省嘉興市  南湖革命記念館


    南湖の一大会の紅船会議の映像

  • 嘉興市、南湖 湖心島<br /><br />中央建物は、「煙雨楼」

    嘉興市、南湖 湖心島

    中央建物は、「煙雨楼」

  • 嘉興市の南湖<br /><br />  「煙雨楼」の題字は、一大会に武漢代表で参加し、後に副主席となった「董必武」の筆による。<br />

    嘉興市の南湖

      「煙雨楼」の題字は、一大会に武漢代表で参加し、後に副主席となった「董必武」の筆による。

  • 嘉興市の南湖<br /><br />  「煙雨楼」内の石碑

    嘉興市の南湖

      「煙雨楼」内の石碑

  • 嘉興市の南湖<br /><br />  「煙雨楼」内部

    嘉興市の南湖

      「煙雨楼」内部

  • 浙江省嘉興市  「南湖革命記念館」

    浙江省嘉興市  「南湖革命記念館」

  • 浙江省嘉興市 「南湖革命記念館」<br /><br />  李大〇(zhao①)と陳独秀

    浙江省嘉興市 「南湖革命記念館」

      李大〇(zhao①)と陳独秀

  • 上海 レストラン「蘇浙匯」

    上海 レストラン「蘇浙匯」

  • 上海のレストラン 「蘇浙匯」<br /><br /><br />  沙窩〇〇子(ju①、cheng① )(馬刀貝の蒸し焼き)

    上海のレストラン 「蘇浙匯」


      沙窩〇〇子(ju①、cheng① )(馬刀貝の蒸し焼き)

  • 上海のレストラン 「蘇浙匯」<br /><br /><br />  蒜香油泡白米蝦

    上海のレストラン 「蘇浙匯」


      蒜香油泡白米蝦

  • 上海 蘇浙匯<br /><br />  <br />  瑶柱〇〇芦笋

    上海 蘇浙匯

      
      瑶柱〇〇芦笋

  • 上海 蘇浙匯<br /><br /><br />  清蒸桂魚

    上海 蘇浙匯


      清蒸桂魚

  • 上海 蘇浙匯<br /><br /><br />  紅?併望潮〇魚(hui③)

    上海 蘇浙匯


      紅?併望潮〇魚(hui③)

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