2014/06/15 - 2014/06/15
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akkiy363672さん
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奈良時代の初めの養老元年(717年)、越の国の泰澄禅師(たいちょうぜんじ)が、夢に現れた十一面千手観音菩薩の像を自ら彫り上げ、この地の洞窟内に安置したのが、開山の由来とされている「那谷寺」は、2億数千年前に太古の海中噴火で形成された岩が地上に現れ、奇岩遊仙の境地をかもす古刹でありました。
西国33番札所の第1番「那智山」と第33番「谷汲山」からそれぞれ1字をとって「那谷寺」と名づけられたというこの寺は、参拝すると西国札所の全てを一巡したご利益があるとか。
旅のブログ、http://akkiy.o.oo7.jp/monomiyusan/276-kanazawa-5.html にも顛末を記しています。
よろしければ、覗いてみてください。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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午前9時、金沢の「東横イン香林坊」を出て、今日も「北陸道」を走り、片山津ICで降ります。
10時10分、「那谷寺」へ着きました。 -
高野山真言宗別格本山「那谷寺(なたでら)」は、奈良時代、粟津温泉ゆかりの泰澄法師が、千手観音を岩窟に安置したのにはじまるといわれる、美しい岩山と四季の草花に囲まれた、歴史あるお寺です。(那谷寺パンフより)
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「山門」です。
平安中期には、温容寺、栄谷寺とともに白山3ヶ寺の1つとして、寺領も多く、僧兵もいましたが、中世末期の一向一揆ですっかり荒廃してしまいました。これを1640(寛永17)年に前田利常が復興しました。
現存の本堂、三重塔、護摩堂、鐘楼、書院および庫裡は重要文化財です。 -
山門をくぐると、すぐ左手に那谷寺の仏事祈祷は全てここで行なうという「金堂華王殿」があります。
金堂は平成二年に六百五十年ぶりに総桧造りにて再建されました。だから、まだ朱色が鮮やかな新築建造物です。
正面に、ご本尊丈六の十一面千手観音がデデーンと立ってみえます。 -
金堂の横の「書院」(重文)は「天正の戦乱」(室町末期)で諸堂伽藍が焼失した後、仮の御堂として建てられたものです。
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寛永十七年(1640年)には前田利常が書院として改造、「御成りの間」として、常利が訪問したときに座る間がありました。
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書院の横を抜けて、池に架けられた小さな橋を渡ると、「三尊石流美園」と名づけられた大庭園が現れます。
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大きな岩山があります。
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苔むした巨木があります。
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この大岸壁が、三尊石の由来です。
3つに割れた大岸壁は仏の三尊像に重ねられ、大きなスケールを以って見るものを圧倒します。 -
三尊石の前の池の中央にある岩は「須弥山(しゅみせん)」を模しているのでしょうか。
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植え込みの間を清流が流れています。
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植え込みの向こうに、大きな屋根が見えてきました。
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茶室「了了庵」ですね。
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手水石、にじり口などが見られますが、ここは中へは入れません。
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岩肌を流れ落ちる水音に送られて、「三尊石流美園」をあとにしました。
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帰り道、岸壁に「伎芸天」が彫られていました。
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岸壁をくりぬいて、流美園から金堂へと抜ける隧道が掘り抜かれています。
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隋道の中ほどにさらに祠が掘られていて、水子地蔵尊が祀られていました。暗闇の中に浮かぶ、胎臓界での水子供養のようで、生々しい厳かさを感じました。
隋道を抜けると、金堂の十一面千手観音像の前に出ます。 -
金堂をあとにして、木立の中の参道を「本堂」へと向かいました。
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参道の左手に、池が現れました。
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池の対岸に目をやると、大岩がそびえています。「奇岩遊仙境」です。
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岩の表面には階段状に道が造られていて、上り下りしている人の姿がありました。
洞窟には、仏像が安置されています。 -
参道の右手には「護美地蔵」が箒を持って立っています。
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「奇岩遊仙境」の前を行き過ぎると、左手に門が見え、それを入ると「本殿」へと上る石段がありました。
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石段を上ったところの、右手が「本殿」です。
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石段の左の赤い鳥居の下をくぐると、大岩に刻まれた石段の歩道へいくことができます。
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少し上ってみたのですが、高所恐怖症の章くん、帰りには手すりも何もない岸壁の石段を降りてくるには、足がすくんでレスキューの出動を要請しなくてはならなくなるのではないかと危惧して、数m登ったところで引き返しました(苦笑)。
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「本殿」です。
開山「泰澄禅師」は、夢に見た『十一面千手観音菩薩』の像を自ら作り、ここの岩山の洞窟内に安置しました。その上にお堂を建てられたのがこの本殿の前身であり、那谷寺の始まりです。
本殿はその岩山を覆って建てられていて、今も御本尊は岩窟内に祀られています。 -
本殿参拝の後は、石段を降りることなく右手の小道をたどると、寺の背後にある大きな池のほとりに出ます。
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そして、「三重塔」(重文)に至ります。
前の赤い橋は、岩山の高所に建てられている伽藍を巡る、「楓月橋」です。 -
山上「鎮守堂」からの、「奇岩遊仙境」の眺めです。
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「楓月橋」を歩いて、下の参道へと戻ります。
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参道の左手に、芭蕉が「奥の細道」の旅の途中、この寺を訪れて詠んだ
「石山の 石より白し 秋の風」の句碑がありました。 -
「若宮白山神社(祭神は白山菊理姫神)」です。
那谷寺は白山信仰の寺で、白山神の本地仏「十一面観音」を本尊として本殿に、「白山妙理権現」を鎮守堂にお祀りしています。 -
「護摩堂」(重文)。不動明王(平安時代)を祀りますが、今日は修理工事中で、天蓋が掛けられていました。
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参道を戻ります。
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午後0時30分、那谷寺をあとにして、福井県敦賀へ向かいました。
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午後2時、「日本海さかな街」に着きました。
昼食と、今日からしばらくの間の食材を仕入れるつもりです。 -
日曜日の今日は、さすがの賑わいです。
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まずはお目当ての「はまやき安兵衛『焼きサバ』」店へ一目散。
サバ一匹が、赤々と熾る薪炭の上で焼かれています。 -
ここまで昼食を食べずに走ってきたのは、これのため…。
焼きたてのサバを皿に盛り、生姜と醤油で平らげました。 -
ここ「日本海さかな街」には16軒の食堂があります。
海鮮丼、握り寿司、焼きサバ…などなど。 -
この店では、横で売っている「さざえ」や「はまぐり」「干物」などを、この網の上で焼いて食べることができます。
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地元の鮮魚店などが70数軒、食堂が10数軒入って、威勢のよい掛け声で客をさばく市場は、遠くから来る客も大勢いてにぎわっている。
売り手の兄ちゃん達との掛け合いも楽しい。4800円の中トロの短冊を2つと、1800円の明太子のパック3つ、さらに傍にあったイクラのパックをひとつつけて、「1万円にする」と言う。さらに、イクラのパックをもうひとつ、「これもまけてよ」というと、「だめだめ」といいながら、袋につめてくれました。 -
午後3時20分、敦賀ICから北陸道へ乗りました。
米原JCで名神に入り、八日市ICで降りて、国道307・1号を走り、午後6時20分、帰宅しました。
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