2014/05/28 - 2014/05/28
3位(同エリア16件中)
ベームさん
5/29(木)、4日目。
オルレアンからブロワに行き一泊します。
ブロワはオルレアンとトゥールのほぼ中間、ロワール川右岸の段丘に開けた古い町です。
10世紀の中ごろからブロワ・トゥール伯家の本拠地で、ブロワ城はルイ12世即位の1498年からアンリ4世が宮廷をパリに移すまでの約100年間フランス王の居城でした。
ロワール川は川幅が広く昔の技術では橋をかけるのが難しく、ブロワに橋があることで交通の要所としても重要な役目を果たしています。
ブロワ城には様々な歴史的出来事がありました。
1429年4月、ジャンヌ・ダルクがここからオルレアン解放のため出陣。
1588年12月、カトリック、プロテスタント対立のさなかアンリ3世がカトリック同盟の親玉ギーズ公を城におびき寄せ暗殺。
1589年1月、アンリ2世の未亡人でアンリ3世の母カトリーヌ・ド・メディシスがこの城で亡くなった。サン・バルテルミーのプロテスタント大虐殺の首謀者とされている。
1619年、息子ルイ13世との権力争いで敗れこの城に幽閉されていたアンリ4世の未亡人マリー・ド・メディシスが脱出に成功。
などなど。
100年戦争頃からルイ13世までの時代のフランスの歴史はジャンヌ・ダルクあり、フランソワ1世あり、カトリーヌ・ド・メディシスあり、アンリ4世あり、三銃士、宰相リシュリューありで実に面白いです。
写真は美しいサン・ヴァンサン教会の祭壇。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ロワール川にそってオルレアンからナントまでの旅です。
ブロワ城、ショーモン・シュル・ロワール城、アゼ・ル・リドー城、シノン城、ソーミュール城、アンジェ城、ナント城を訪ねます。 -
ブロワ・シャンボール駅。
オルレアンサントル駅12:45発、ブロワ駅13:23着。
まず最初にしたこと、それはTGVの座席予約でした。パリでナント~パリ間のTGV予約に難儀したので最優先です。あと4回TGVを利用する予定なのです。フランスのTGVはドイツのICEと違って全席座席指定なので不便です。
ブロワ駅のSNCFの職員(女性)は親切でした。パリ・ディジョン間はTGVが空いてなく他の列車を教えてくれました。パリ~リール往復とランス~シャンパーニュ・アルデンヌ~ナンシー間は予定通りのTGVの座席が取れました。SNCFの評価少し回復。 -
ブロワ駅。
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ホテルは目の前のベスト・ウエスタン・ブロワ・シャトー。
4年前のホテルサヴォアは酷かったですがこのホテルは良かったです。一人だけ従業員かオーナーの家族か、フランス語の分からない我々に事務的にまくしたてるので当方もちょっと声を荒げる場面もありましたが他の人はフレンドリーでした。部屋も良し。 -
早速街へ。
ドクター・ジャン・レグレ通りを進むと木立の間に綺麗なサン・ヴァンサン教会が見えてきます。 -
サン・ヴァンサン教会。
2010年にもこの教会を訪れました。 -
身廊。
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印象的な美しい祭壇。
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ピエタ像。
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美しい教会でした。
神に祈る場を美醜で捕らえるのはおかしいですが、一個の建築物として見ればです。 -
サン・ヴァンサン教会の右手にブロワ城がその大きな側面を見せています。
ブロワ城を右に見て、先へ進みます。
ブロワには今まで2回来ていますがお城に入っただけで街中は見ていないので先に街へ。 -
ポルト・コテ通り。ブロワの目抜きです。
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どんな本が店頭に並んでいるか。ほう、マルグリット・デュラス、今も人気があるのですね。
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ドニ・パパン通りを見下ろす。真っすぐ降りて進むとロワール川に架かる橋にでます。
ブロワはロワール川の段丘の上にある町です。 -
街はロワール川の高台にあるので結構坂が多いです。
ピエール・ブロワ通り。 -
大聖堂が見えました。
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ブロワのサン・ルイ大聖堂。
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17世紀の再建。
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大聖堂。
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以下大聖堂です。
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内陣と祭壇。
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側廊と身廊。
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身廊の天井。
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イエス誕生の美しいステンドグラス。
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聖心/サクレ・クール。
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膝の上に骸骨が、女性はマグダラのマリアでしょうか。
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聖テレジア、我らのために祈りたまえ。
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ブロワはジャンヌ・ダルクに縁の深いところですがジャンヌの像は見当たりませんでした。
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地下のクリプタ。
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市庁舎入り口。
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大聖堂の裏に隠れるように建っています。昔の司教館。
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壁面の日時計。
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市庁舎脇からの眺望。
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ロワール川に架かる橋はジャック・ガブリエル橋。
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大聖堂を少し北に行くと官庁街です。裁判所?
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県庁?
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バー、パン屋、カフェ、サロン・ド・テ、ビストロ、たばこ、ロトくじ、新聞、ビールはカールスバーグ。屋号は「農業」となっています。
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1939~1945年、第2次世界大戦中のブロワのレジスタント記念碑。
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1914~1918年、第一次世界大戦ブロワ市民犠牲者慰霊碑。
こういった碑はフランスのどんな小さな町にも必ずあります。 -
ドニ・パパン通り。
通りのずっと先はジャック・ガブリエル橋。 -
ドニ・パパン像。
17世紀、ブロワ生まれの物理学者。蒸気機関の発明者の一人と言われる。家庭で使われる圧力鍋もパパンの発明だそうです。料理上手の主婦の恩人ですね。
通りにその名が付き銅像も建つのだから当地では有名人なのでしょう。 -
通りを降りて振り返る。
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ジャック・ガブリエル橋。
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悠々たるロワール川。
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なにしろフランス1の大河です。
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橋から大聖堂の眺め。
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下流方面にサン・ニコラ教会。その右がブロワ城です。
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サン・ニコラ教会。
ズームで。 -
橋よりドニ・パパン通り。
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川沿いに歩くと歴史と自然博物館レ・ジャコバン。
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サン・ニコラ教会。
ブロワ城の真下にあります。 -
サン・ニコラ教会。
今まで2回ブロワ城に来て城からこの教会を見下ろしながら入っていなかった教会、今回ようやく訪問できました。 -
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以下サン・ニコラ教会。
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主祭壇。
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斬新なステンドグラス。
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変わった図柄、労働者風。
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ブロワ城の空堀跡を周ってブロワ城の方に上ります。。
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空堀跡。
アンリ4世の妃マリー・ド・メディシスは夫の死後息子のルイ13世との権力争いに敗れここブロワ城に幽閉された。1619年仲間の手助けでマリーは縄梯子を使ってこの空堀辺りに降り脱出に成功した。
その後も宰相リシュリューもからんでルイ13世とマリーの間に確執が続いたが1630年マリーが再びコンピエーヌに幽閉されることにより勝負は付きました。 -
ブロワ城フランソワ1世棟。
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城の入り口への坂道。
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城壁に掲げられているプレート。
「1429年4月25日ジャンヌ・ダルクはブロワに到着。ここで軍勢を整え4月27日オルレアン解放のため出発した」。
オルレアン解放は5月8日、わずか10日余りのことでした。 -
ブロワ城の中庭。ルイ12世棟。
1503年ルイ12世により完成。 -
棟の門の上のルイ12世像。
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城内から見たルイ12世棟。
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ルイ12世棟の右にフランソワ1世棟。
1520年。 -
螺旋階段があります。
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ルイ12世棟の向かい、正面にはガストン・ドルレアン棟。
1638年。
オルレアン公ガストンはルイ13世の弟。 -
ルイ12世棟の横にある中世の城砦の遺構、三身分(三部会)ホール。
13世紀初めの建築で城内最古。
かって聖職者、貴族、第三身分の者が集まって三部会が開かれたのでこう呼ばれます。 -
三身分ホール。
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当初からこんな天井だったのでしょうか、色鮮やかです。
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王様になった気持ちで座って写真を撮る人も居ました。
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この階段はフランソワ一世棟に通じています。
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フランソワ1世棟の昔厨房だったところは展示ホールになっていて城の遺物が展示されています。
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城内いたるところに王の紋章が掲げられています。
はりねずみはルイ12世。 -
はりねずみ。
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百合の花三つは中世フランス国王の紋章。
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左:フランソワ一世のサラマンダー/火とかげ。
右:王妃クロード・ド・フランスの白いたち。 -
フランソワ一世、サラマンダー。
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執務室。
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周りの壁には237枚の羽目板があり隠し扉が四つあります。
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1520年代のものです。
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国王の寝室。
ここでギーズ公が暗殺されたといわれています。 -
ファン・クレーヴ:聖母と幼子。
フランソワ1世棟の一部ははブロワ市の美術館となっており絵画のコレクションがあります。
以下絵画の作者名と題名は私の訳によるもので、間違っているのもあるかもしれません。 -
フランシスコ・メンゾッチ:聖母と幼子と洗礼者ヨハネ。
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ジャン・ブーシェ:聖母と幼子。
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ルーベンス:フランスの良き統治の象徴。
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ミシェル・コルネイユ:ヴィジタシオン/聖母マリアの聖エリザベス訪問。
聖エリザベスは後の洗礼者ヨハネの母で、聖母マリアの従姉妹。したがってイエスとヨハネは又従兄弟になります。 -
マリー・フィリップ:夫ルイ・ドルレアンの墓に寄り添うミラノのヴァランティーヌ。
ルイ・ドルレアン:1372~1407年。シャルル5世の息子で、シャルル6世の弟。気の狂ったシャルル6世の摂政権を巡ってブルゴーニュ公と対立し、公の配下により暗殺された。 -
アントニオ・ザンチ:ヘラクレスとオンファレ。
ギリシャ神話随一の勇者ヘラクレスはリュディアの女王オンファレの奴隷になり、その色香に迷い骨抜きになっています。 -
ギヨーム・ルティエール:水浴する人々。
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アレクシス・シモン・ベル:マリー・レクザンスカ。
ルイ15世妃。 -
フランソワ・カンソン:嵐におびえる若い娘。
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エドモン・シュヴィナール:聖母と幼子。
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アンリ・ソヴァージュ:野の神への奉納。
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16世紀のタピスリー。
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16世紀にフランスの銀貨に使われたフランソワ1世像。
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フランソワ1世。
イタリアのルネッサンス文化をフランスにもたらしたある一面での功労者。ダ・ヴィンチをその晩年フランスに招聘。アンリ2世の父。 -
左:アンリ2世。右:その息子フランソワ2世、妃はスコットランド女王メアリー・スチュアート。
すなはちアンリ2世には3人の息子がおり、フランソワ2世、シャルル9世、アンリ3世といずれも後を継いで国王となっています。 -
左:シャルル9世。右アンリ3世。
いづれもアンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスの子。 -
アンリ3世。
新教側と融和を図ろうとし旧教側の首魁ギーズ公アンリをブロワ城で暗殺したが、自身も翌1589年狂信的なカトリック修道士により暗殺された。
次いで王になったブルボン朝アンリ4世はユグノー(新教徒)だったが政治を安定させるためカトリックに改宗、その後1598年有名な「ナントの勅令」を出してユグノーの信仰の自由を認めた。 -
ギーズ3兄弟。ギーズ公フランソワの子供。
中:ギーズ公アンリ1世。長兄。カトリック同盟の首魁。向う傷のアンリと言われた猛者。聖バルテルミー事件の首謀者。1588年、ブロワ城にてアンリ3世により暗殺。
左:マイエンヌ公シャルル。
右:ロレーヌ枢機卿ルイ。同じく1588年ブロワ城にて暗殺される。
3人とも旧教同盟リーグの中心人物で、新教側を徹底的に弾圧した。その勢力は王位をも窺おうとしたので時の王アンリ3世により暗殺された。 -
ポール・ドゥラロシュ:ギーズ公の暗殺。
1588年12月23日。 -
バルテルミー・ドゥルップ:ギーズ公の死体を足蹴にするアンリ3世。
1588年12月。当時アンリ3世はカトリックとプロテスタントを融和させプロテスタントの信仰の自由を認めようとしていた。これに真っ向から反対するカトリック側の首魁ギーズ公アンリは逆に三部会を開催して王を罷免しようとした。
危険を感じたアンリ3世は機先を制しギーズ公をブロワ城に呼び寄せ暗殺したのである。 -
シェーファー:アンリ3世とヌムール公夫人。
二人の間にはとかく噂があったらしい。
この時代のフランス宮廷を舞台の恋の駆け引き(すなはち貴人たちの不倫ごっこ)はラファイエット夫人の「クレーヴの奥方」に事実も交えつつ流麗に描かれています。 -
フランソワ1世棟の螺旋階段。
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サン・カレー礼拝堂。
ルイ12世の時期。 -
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サン・カレー礼拝堂。
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ピエタ。
皆素朴な顔をしています。 -
この絵はジャンヌ・ダルクのようです。戦いの前の祝福を受けている場面?
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礼拝堂裏手からの眺望。
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先ほど寄ったサン・ニコラ教会。
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フォワ塔。
展望台。13世紀の要塞の一部。
今日はブロワに泊まり明日はショーモン・シュル・ロワール城を見てトゥールに行きます。
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