2014/05/05 - 2014/05/13
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urufeeさん
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最後の観光地サンティアゴ・デ・クーバは、カストロの生地が近い、キューバ第2の都市です。
ハバナからここまで、小高い丘程度しかない平坦なキューバでしたが、サンティアゴ・デ・クーバはシエラ・マエストラ山脈に囲まれた港町です。日本の鎌倉の地形にチョット似てます。
5月10日はサンティアゴ・デ・クーバの郊外に在る、カストロの生地を訪れました。
5月11日実質最終日は、モンカダ兵営博物館、モロ要塞などを観光して、国内線でハバナへ戻りました。
座席ペッチャンコでお尻が痛くなったタクシーとは、国内線乗るのに空港へ連れて行って貰った所でお別れ。物凄い安全運転で、その点では助かりました。運転手さんありがとう。
写真はホテル屋上から撮った港の方角です。街の中心街はこの反対側です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- タクシー
- 航空会社
- エアカナダ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
-
5月9日夕方、サンティアゴ・デ・クーバ到着後、夕食まで時間が有ったので、飲料水の購入も兼ねてチョットだけ街を散策しました。
別の場所でも何回か見掛けたのですが、キューバの人はケーキ剥き出しで運ぶんです。土埃かぶってしまうと思うのですが、気にならないのでしょうか? -
アパートも年季がはいってます。
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翌日5月10日は車で一時間半ほどの、カストロの生地に行きました。
ガソリンが少なくなったとして、チョット寄り道。 -
奥に見える赤色のトラックはバスなのですが、乗り合いも含めて馬車も結構走ってます。
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また、騎馬のおじさんも。
こんな状態なので、気をつけないと馬糞を踏んでしまいそうでした。 -
こちらはバス待ちの人混みです。
普通のバスも勿論走ってましたが、どの街でもトラックの改造バスが多かったです。特に、こういうローカルに来ると。 -
この親子はタクシー馬車だったのかもしれません。
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ガソリンも補給して安心して出発。
カストロ生地の看板(撮影逃してしまいました)の所で曲がった道です。
一応舗装されているのですが、既に凸凹。
カストロ生家に行く道なのだから、もう少し整備しても良いような。 -
やっと到着して最初に案内されたのが父母と親族のお墓。
カストロはこのお墓に入る予定ではないのだとか。 -
サトウキビ農園を経営したカストロのお父さんは、ハイチ等からの難民受け入れもして村を作ったらしいので学校も作られました。
緑のロープが垂れ下がっている、中央最前列がカストロの席。 -
村を構成したという事で、映画館やスーパー等も作ったみたいです。
この建屋は郵便局跡です。 -
この家がカストロの生まれた家。
一度火災で焼失したらしく、再建されています。 -
火災で生家が焼失した後生活していたのがこちらの建屋。
ここが博物館になっていて公開されています。 -
ダイニングキッチンに置いてあったTV。
1955年に購入された、懐かしきブランド名”ナショナル”。
1990年代まで実際に使える状態だったというのですから、昔から日本の家電製品は高品質だったんですね。 -
カストロのお父さんは遺言も残さずに急逝されたとの事で、金庫を壊して開けたのだそうです。
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一旦サンティアゴ・デ・クーバに戻って昼食後に訪れたのが、グランヒータ・シボネイ。
カストロたちがモンカダ襲撃準備の為、富豪には目的内緒で借りた別荘です。武器などを隠し保管もされていました。現在は博物館になっています。 -
これが武器を隠した井戸。
斜めに置いてある桶みたいな物を植木鉢として花を植えて、それを井戸の蓋にしました。
昔のように蓋をした状態を再現しようと思ったら、駄目ですと断られてしまった。 -
内部にはnet掲載憚られる様な写真が有るので、代表写真としてこの隠れ家からシオラレオネ山脈への逃走ルートを示した模型を。
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入口にはこの様に弾痕が沢山有るのですが、実際にはここでの銃撃戦は無かったのだそうです。
他所で射殺した遺体をワザワザ運び込んでから、弾痕を付けて新聞記者たちを呼び、あたかも激しい銃撃戦の後に掃討した様に偽装したのだそうです。 -
このあとホテル近くのカーニバル博物館に立ち寄りましたが、ここは余り面白くなかった。
これが、サンティアゴ・デ・クーバで2泊したホテル。 -
ホテル目の前は広場になっていて、夜は市民の憩いの場所みたいです。夜遅くまでワイワイガヤガヤ。
一寸煩かった。 -
毎週、金・土・日の3晩、屋上で22時からショーをやってくれます。
宿泊客は無料との事なのですが、別にチェックされるわけでもなく、誰でも無料で見れちゃうような。
結局、金土の2晩見に行きました。
最初土曜日は、同じショー見てもしょうがないかと思って行ったのですが、出演者は倍に増えているし、踊りも、歌も全く別の出し物になってました。
行かれるなら土曜日がお勧めです。 -
最終日はモンカダ兵営跡博物館の見学から。
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襲撃は失敗に終わりカストロたちも捕まってしまうのですが、かなり激しい銃撃戦の跡。
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当時の武器なども展示されていましたが、グランヒート・シボネイ以上に凄惨な写真が多かったので、メキシコからの再侵攻に至る地図と、革命戦士の写真だけでも。
一番左の上側がカストロ。その下にゲバラが写っています。 -
博物館出たら、トラック改造バスが休憩中らしく停車していました。
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座席部分がどうなっているのか気になっていたので、チョット覗いてみました。
真ん中は吊り革代わりの手摺でしょうかね。 -
昼食場所はモロ要塞の近くで取りました。
昼食してから入場観光。 -
下まで降りて見上げてみました。
飛行機の無い時代には難攻不落だったかも。 -
ハバナでも”モロ要塞”行きましたが、ここサンティアゴ・デ・クーバも”モロ要塞”。
何で同じ名前なのかと聞いたら、”モロ”には、”小高い丘”や、”口”などの意味が有るのだそうです。
確かにどちらも”入り江口”の”小高い丘”に有りました。
でも本来の名称は別なのだと、ペラペラと言われました。とても覚えられなかったので、世界遺産登録パネルで。 -
一旦市街に戻った時に立ち寄った、第一次独立戦争の指導者セスペデスの騎馬像のある広場。
突き出ている鉄棒は、当時武器らしい刀も無かった為、鉄材から刀を作ったということを意味しているのだそうです。 -
チェ・ゲバラの写真などは、キューバの彼方此方で見掛けました。
生地に近いサンティアゴ・デ・クーバで、やっと見つけたカストロの写真。
一寸ピンボケになってしまいましたが。 -
最後に訪れたのがエル・コプレ教会。
キューバ人の聖地らしく、森の中に静かにたたずんでいます。
ヘミングウェイがノーベル文学賞を受賞した時のメダルを、この教会に奉納してあるのだそうです。非公開なので見る事はできません。 -
近ずいてみると、結構立派。
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内部もとても綺麗でした。
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このコプレ教会は、病気や怪我に霊験あらたかなのだそうです。
治癒して不要になった松葉杖などをお礼に持参して奉納されていました。 -
サンティアゴ・デ・クーバ空港。
マレーシアでも国内線は殆ど全館禁煙ですが、葉巻の国キューバまで全館禁煙とは予定外でした。
おまけにガイドから、「安全検査の時にライターは没収されます」と言われ、自分としては上手く隠したつもりがシッカリ見つかってしまった。
その時の係員のおじさんの勝ち誇ったような笑顔が忘れられません。クヤシイ。 -
一寸待っている間にスコールが有り、上がったら綺麗な虹が掛かってました。
でも搭乗予定の飛行機の大幅遅延なども有り、ハバナのホテルには翌日の深夜1時過ぎの到着。 -
帰国する日はホテルを早朝5時に出発。
4時にモーニングコール掛けたので、3時間も寝てない状態でハバナ空港に到着。
出発便の案内板ですが、 -
天気図との交互表示にしている国を初めて見ました。
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途中経由地のトロント空港内が全館禁煙だったので、成田まで長い禁煙状態を強いられます。愛煙家にもっと愛を!!
ここでシッカリ喫煙しておきました。
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