2014/03/21 - 2014/03/21
4171位(同エリア7865件中)
旅遊de美食散歩さん
- 旅遊de美食散歩さんTOP
- 旅行記216冊
- クチコミ43件
- Q&A回答4件
- 241,530アクセス
- フォロワー18人
行きたい行きたいと思いながらなかなか行く機会のなかった沖縄。
今回は旅というわけではなく別件でいったため滞在時間は二泊三日と
とても短かったのですが、とにかく予定をつめるだけつめこんで、行きたかった所を制覇しました。
滞在1日目前半は、戦争の傷跡を訪ねて糸満エリアへ。素晴らしい運転手さんに恵まれ、旧海軍司令部、白梅の塔、第一外科壕、ひめゆりの塔をめぐり、黎明の塔や陸軍第32隊司令部跡などを訪れ、貴重な体験をすることができました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 2.5
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
3月21日 夕べ夜遅くに那覇空港へ到着。那覇ではこれから市内でイベントがあるらしく、昨日の飛行機は芸能人がいっぱい乗ってました。
本来の宿泊は今夜からの恩納村のホテル。でも夕べは一足先に現地入りしたので、那覇市内のビジネスホテルへ泊まりました。
今回は別件での沖縄訪問なので時間が限られていて、少ない時間を有効につかうべく事前にタクシーをチャーターして今日は糸満エリアからの観光です。
ホテルに朝ご飯はついてたのですが、せっかくだから沖縄の飲食文化を代表するという24時間営業の大衆食堂へいってみました。ホテルから歩いて15分くらいかな。朝早くからでもけっこうなお客さんで賑わってます。この辺りは街並みもビルばっかりで沖縄にきた〜!という実感はまだないですな。
『いちぎん食堂』
那覇市久茂地2-12-3
?:098-868-1558 -
外観は今風でちょっと想像していた場末の食堂風っていうのではなかったです。笑 店内にいるのは酔ってそのまま寝ちゃってる人とか仕事帰りのおねえさんとか若いおにいちゃんたちとか。朝からステーキ食べてる人もいたっ!!
メニューはとにかくいっぱいあったけれど、沖縄らしいものをということで、こちらはモツの定食。味噌味で優しい味わい♪ -
そして念願のゆし豆腐。一口食べてみてびっくり!これ、北京の昔のお豆腐の味ですわ。少し燻製の味がするお豆腐。ひや〜こんなとこで中国の懐かしの味に出会うとは!今じゃ北京でだってこんなお豆腐なかなか食べられませんよ。
定食はポーク&卵付き。これも食べてみたかったのです。なんてことない卵とランチョンミートなんだけど、これもまた北京で昔よく食べた午餐肉ですよ!なつかし〜〜。沖縄ってこんなに中国を感じるところとは知らなかったわ!!
あったかいお豆腐は朝にぴったり。しあわせ〜♪ -
ホテルに戻って、運転手さんと合流。今回はネットでタクシーをお願いしたのですが、ホテルに迎えにきてくれたのは年配のおじさんでプロ中のプロ!
今日一日でできるだけ行きたい所のリストを伝えると、”もしかして戦没者遺族の方ですか?”なんて聞かれてしまいました。確かにそう思われてもおかしくないくらい普通の観光客ではあまりいかないルートだったのは確かですが・・・。
で、理由を説明すると、運転手さんも気合はいっちゃって”だったらできるだけ見ていただきましょう!!”と、私がはじめ時間あったら行ってみたいと思っていた『旧海軍司令部跡』を、まずそこから行きましょう!とまっさきに行くことに。
入口からかなり地下まで下る階段が・・・。 -
思っていたより相当堅牢な地下洞窟・・というか防空壕で、北京の地下城と非常に似ている。どこからともとなく吹いてくる風や水のしたたるような音、静けさや不気味さも同じ。
こんな暗くて空気がよどんだ狭い空間のなかから、命をかけて戦おうとしたのかと思うと、戦争の無情さというものを実感しますね。 -
大田司令官が自決した司令部跡は、当時の悲惨な状況が目に浮かぶようで、なんとも言えない気持ちに。うすら寒くてカビ臭くて、今入ってもぞっとします。
-
司令部といってもただの地下壕。それでもここには大勢の病人もいたそうだから、ろくな手当さえできず、ひどい有り様だったのでしょうね・・。
-
そのあと、運転手さんが連れていってくれたのは、『白梅の塔』。
-
沖縄第二女学校の4年生で編成された学徒看護隊の白梅看護隊。彼女たちは最後ちりじりになって最期をとげたそうですが、犠牲者が最も多かった場所がこの辺りだったのだそう。
-
塔のすぐ近くに彼女たちが自決した洞穴がありました。こんなところで最期を迎えなければならなかった乙女たちの青春とはいったいなんだったのでしょう。あまりに可哀そうで、祈らずにはいられません。彼女たちの悲しい泣き声が聞こえてくるようでした。
-
それから、運転手さんが、”アメリカ軍の指揮官の銃撃された所も近くにあるから行きましょう。”といって連れて行ってくれたのがここ『バックナー中将慰霊碑』。
現在は碑がたっているだけで、遺骨等はアメリカに持ち帰られたのだとか。
でも車じゃないとほんとここまで見に来ることはできません。タクシーチャーターしておいてよかった!いい運転手さんで本当にありがたいです。 -
米国陸軍第10軍司令官サイモン・B・バックナー中将は、この地で銃撃されて亡くなったそうですが、当時の敵味方関係なくこうして碑がたてられているのはすごいことですね。
それにしてもさきほどの白梅の碑からここまでは車とはいえ、本当に目と鼻の先。
こんなすぐそばで戦闘が繰り広げられ、逃げ隠れしていたなんて信じられない。逃げられるわけがない・・・。 -
そのあと『第一外科壕跡』へ。何度映画をみて泣いたことでしょう。とうとうその地へやってくることができました。
でも驚いたのは、この塔があるのは畑の真ん中ということ。もっと整備されたというか見学者が訪れやすいようになっているのかと思いましたが、それは”ひめゆりの搭”のほうみたい。とはいってもここはひめゆりの塔からすぐ近くの場所なんですが、訪れる人は少ないそうです。 -
映画も見たし本も読んだし、ある程度の想像はできていたのですが、それでも実際にこの壕を目の前にするとあまりの悲惨さに言葉がでてきません。想像を絶する光景とはこのことでしょう。
野戦病院がまともなものであるはずないのは百も承知なんだけれど、本当にただの洞穴。畑の中にぽっつりとひっそりと、そしてじっとりして蛇でもでそうな洞穴がただあるだけ。
今にも怪我人達のうめき声が聞こえてきそうです。海軍の司令部も悲惨だと思ったけれどあっちの方がまだましでしたね。ここは悲惨さを通り越していて、60年以上たってもまだここにはまざまざとした歴史がそのまま生きている感じです。ただただご冥福を祈るより他になすすべがありません・・・。 -
そのあと、『ひめゆりの塔』を見に行きました。こちらはたくさんの献花と大勢の観光客が訪れていました。この塔の下にも壕があります。この壕もとてもここで生き延びられた人がいたとは到底信じられないくらい、暗くてひっそりとした壕でした。
平和祈念資料館は時間がなかったので残念ながら本当にさらっとみただけです。
もっと時間が欲しかった・・・。館内にはひめゆり学徒隊の生き残りの方が椅子に座っていらっしゃいました。実際にお話がきけるのだそうですが、今回は時間がなく断念。
一緒に資料館のなかも案内してくださった運転手さんによると、ひめゆり学徒隊の方々は昔はあちこちで体験談を語っていたそうですが、高齢でみんなできなくなってしまって、いまはこのひめゆり資料館だけでボランティアで語ってくださっているそう。 -
そのあとは『黎明の搭』へ。平和の礎もみたかったのだけれどいかんせん時間がない!それに平和祈念公園はとにかく広いのです!とっても全部はまわりきらないので黎明の塔へしぼって、黎明の塔に一番近い入口へ。
ここは観光客もほとんど来ないと運転手さんもいっていましたが、私達のほかには2〜3人いるくらいでしたね。ひっそりとしていて、入口には昔はお土産売り場も営業してたみたいだけれど今はシャッターがおりてし〜んとしてました。
歩きはじめると辺りは木々の生い茂る熱帯雨林みたいな景色が広がります。 -
歩いてすぐにあったのは『沖縄師範健児の塔』。沖縄師範学校男子部の生徒によって編成された鉄血勤皇隊を祀った碑だそうです。
『ひめゆりの塔』はあんなにも観光客が大勢訪れているのに、同じように犠牲になっていてもこちらはこんなにもひっそりとしていて、なんだかその対照的な姿が悲しい・・・。 -
『健児の塔』から少し行った先にあるこのガマが、沖縄師範健児隊のガマ。
彼らは最後このガマに追いつめられ、米軍の攻撃をうけ亡くなるもの、手榴弾で自決するものなど大勢が犠牲になったそうです。ガマの入り口には千羽鶴がささげられていました。 -
そして黎明の塔まで階段がずっと続きます。かなりハードで、階段が延々続くので年配の方、体力に自信のない方はやめたほうが無難。
今はしっかりした階段ですが、それこそ当時はジャングルみたいなところを逃げていたんだからさぞかし大変だったろうし、ひどい有り様だったと思います。 -
階段の上りはじめにはこんな岩壁があります。
『黎明の搭』のある摩文仁の丘には、戦争ですべて破壊されてしまったそうですが、沖縄戦よりずっと昔、この辺りを配下におく主の城、高摩文仁グスクがありました。
築城者や年代は不明ですが、そのグスクに通じる道にあるこういう切り通しは、沖縄では神の宿る場所としてとても神聖な場所として扱われてるんですって。 -
高くなるにつれて視界も広がってきます。眼下にず〜っと続く鬱蒼とした緑の先に青くキラキラした海が広がっています。
海側の崖からは当時多くの人が身投げをしたそうです。目に染みるくらいの海の青さがかえって痛々しい。 -
歩くこと10分ちょっとでしょうか、黎明の塔のすぐ下あたりに”陸軍32隊司令部跡”がありました。後退していた軍司令部が最後に辿り着き司令部がおかれたところだそうです。
海軍の司令部もひどい所だと思いましたが、この陸軍の司令部はひどいなんてもんじゃありませんね。司令部とは名ばかりの洞窟。
こんなところに司令部をおくしかない状態で、なぜまだ戦いを続けようとしたのかと泣きたくなります。どれだけ絶望的な状態だったかが痛いほどよくわかりますね・・・。 -
中には入れませんが、中がどうなってるかわからなくてもこの入口だけで容易に察しがつきます。
この壕で、牛島満中将と長勇参謀長が自決したといわれているそうです。自分は死んでも部下が生き延びられる方法をなんとかとらせてやることはできなかったのかと
思えてなりません。 -
そこからすぐの摩文仁の丘に登ると、高摩文仁グスクの跡地に碑が建てられていました。見晴らしのいい場所にある、さぞかし立派なグスクだったのではないかと想像させられます。
-
この美しい海岸も、当時はおびただしい死者の流した血で真っ赤にそまったそうです。こんなに綺麗な海なのに、悲しい記憶を秘めているのですね。
-
摩文仁の丘の先端には第三十二軍司令官、牛島満中将と長勇参謀を祀る『黎明の塔』がたてられています。
-
黎明の塔の手前には戦没した第三十二軍司令部の将校、軍属約600名を祀る『勇魂の碑』が建てられていました。
-
『勇魂の碑』のある場所は、牛島司令官及び長参謀長の墓跡だそうで、碑の横には名前を刻んだ石碑が置かれていました。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
28