2014/04/06 - 2014/04/07
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kirakira-boxさん
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始まりと終わりの場所。
「ONEPIECE」でいうところの「ローグタウン」でしょうか。
中国の清王朝にとってのローグタウンは「撫順」なのです。
清王朝は漢民族ではなく、満州民族の女真族だという事は周知の事実ですが、その頭領であるヌルハチが「サルフの闘い」に勝利し、拠点にしていた街こそ「撫順」なのです。
サルフの闘いの古戦場は既にダムの底に沈んでしまっていますが、ヌルハチの父親の墓は撫順にあります。
これで「始まりの場所」という意味がわかりました。
では、「終わりの場所」が意味するところは…。
清王朝最後の皇帝である「愛新覚羅 溥儀」。
溥儀は、北京を追われた後、天津の日本租界にかくまわれていたそうで、諸説ありますが、溥儀は洋服も自分で着替える事が出来なかったため、日本側も持て余していたとの記述があります。
そして、溥儀は清王朝の復興を願っており、日本を利用する事により復興出来ないかと考えていたそうです。
しかし、溥儀の思惑とは異なり、中華全土の清王朝ではなく、中国東北部の「関東地域」に満州国を建国し、そこの玉座へと座る事になりました。
現在の長春にて敗戦を経験した溥儀は、日本の助けもないままに、日本へ逃げようと画策するのですが、大連にて捕まってしまい、撫順の戦犯管理所へ送られる事になるのです。
これが「終わりの場所」と言われる所以なのです。
清王朝の「始まりと終わりの場所」
これを認識していると撫順への旅行に興味が湧くのではないでしょうか?
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 2.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
「雷峰号」というバスです。
瀋陽北駅の向かい側にあるバス停留所から出発します。
約1時間で撫順南駅へ到着します。 -
もう次々にバスが来るので、バスを選ぶ事もできます。
このバスのタイプは無料Wi-Fiが設置されていませんが、別のタイプなら使用出来ます。
バスの料金は変わらないので、せっかくなら無料Wi-Fiを使いながら行きましょう。 -
こんなタイプのバスならWi-Fi使用可です。
運賃は7元だったかな。その程度です。 -
平頂山惨案遺址記念館です。
日本軍が悪さをした記録としての施設です。
日本と異なり、平和祈念施設では無いので、日本人が如何に残虐で非道なのかを訴えているような内容です。
この手の施設の未来には何がありますか?
もう少し平和を訴える内容であって欲しかったです。 -
「西露天鉱参観台」
ここが世界最大規模の石炭露天掘り施設です。
イメージとしてかなり市街地から離れたイメージがあるかと思いますが、市街地から車で10分もかかりません。
渋滞して無かった場合は5分程度で到着します。 -
「西露天鉱参観台」
もともと中国人が細々と石炭を掘っていたのを、東清鉄道でやってきたロシアがその権益を得て操業、その後、日露戦争で日本軍に権益が渡り、満州鉄道の創立と共に経営移管された施設です。
権益を手に入れてからは、社宅、学校、病院、公会堂、農林商工の振興、ガス、水道など、全てをゼロから整備したのも日本です。
1932年の従業員数は約3万人、人口が約6万5千人なので、人口の半分が炭坑で働いていた事になります。
貴重な資源地なので、急激な都市化が図られた街と言われています。 -
撫順戦犯管理所です。
元は抗日中国人を収監する施設だったのが、1950年からは思想教育施設として、日本人戦犯者の思想矯正を図った施設だと書いてありました。
毎日起きてから寝るまで思想矯正を行われ、日本へ帰した後に中国の味方をするような教育を受けたのだとか。
そういう内容も堂々と書いてあるので、そこは正直なのだなと感じます。 -
旧撫順ヤマトホテルとして開業した建物らしいです。
その後、撫順を訪れるVIPはここを利用したのだとか。
毛沢東、周恩来なども使用したのだとか。
会議室の入り口や客室の入り口に説明書きがあるので、そこを読むとなんとなくわかります。 -
このホテルは今も稼働しているが、基本的には新館を利用しているようだ。
歴史がある建物の割にサービスなどはあまりよくなく、スタッフに質問しても「あ?」と言われるくらいです。 -
撫順はあまり見る所がないので、タクシーでまわると4時間もあると全て終わってしまいます。
そんな時には、お寺に行ってみるのもよいでしょう。 -
古いお寺でしょうが、なんだかよくわかりません。
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こんな感じ。
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遼の時代の塔だとか。
この時代の塔は、仏教塔が遼寧省のあちこちに建っています。
瀋陽にもありますが、遼陽の白塔が一番有名だと思います。 -
やはり塔が一番の見所ですね。
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仏像の裏にお金を投げ入れていましたが、そんな事してよいのでしょうかね。。。笑
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撫順の景色です。
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撫順の特産品は「石炭」なのですが、最近はあまり良質な石炭が取れないらしく、琥珀などを観光産品として売っています。
古銭なども売っていますが、めちゃくちゃ高いです。 -
道教のお寺です。
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東北名物の二人劇です。
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雷峰記念館とやらに行ってきましたが、正直時間のムダでした。。。
共産党の人民教育施設だとわかっていれば行かなかったのに。 -
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雷峰さんは、非常に人が良かったらしく、中国人はこの人を見習いなさい。
という教育施設です。
日本人にとってみれば、特に凄い訳でもない事が延々と展示してあります。
市街地から離れているので、観光客は行かないで他の観光地を見に行った方がよいと思います。 -
隣りで見ていた中国人が、なぜこの時代にこの人の写真がここまでたくさんあったのか、20歳前後の写真がここまでたくさんあるのは不思議。と言っていました。
思考を停止せずに疑問を持つ人もいるのだなと感じました。
献血で血液をこんなに提供しました!
などもありますが、日本の表彰基準にも該当しない少ない分量です。
しかし、献血に関しては、むしろ日本が基準を緩めて献血を表彰した方が良いのではと感じもしましたが…。
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この旅行記へのコメント (1)
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- 墨水さん 2015/02/05 00:46:43
- 撫順炭鉱。
- 初めまして、kirakira-boxさん今晩は。
撫順炭鉱の管理権は日露戦争後に移管したのではなく、満州事変後です。
日露戦争後に南満州鉄道の権益が日本に移管されましたが、撫順炭鉱の権益については未確定状態でした。
其処に割って入ったのが、張作霖です。
張作霖は「東三省巡察使」の肩書きで、撫順炭鉱の権益を握ります。
関東軍は、南満州鉄道の権益保護だけが駐留理由でしたので、手出しが出来ませんでした。
満州事変(張作霖残党の満州からの排除)により、撫順炭鉱の権益が問題となりましたが、満州国成立によって日本と合同国策会社(コングロマリット)日本産業(日産)を日本政府の借款により成立させます。
此の日産が満州で成立するまでの繋ぎとして、満鉄が約3年間経営を行いました。
移管が3年間だったので、実際に満鉄が経営したか若干疑問に思いますが。
経理側から見ると、完全な経理移管をするのには3年必要だからです。
日産の満州での出先機関は満州重工業で、満州重工業が撫順炭鉱を運営していました。
日産は、満州国と日本国と株式が折半されていて、配当金も折半されていましたが、満州国側は配当金の半分が借款返済に当てられていた。
満州重工業は、配当金の1/2を満州国に支払い、残り1/2を再投資に回していた。
この事が後に、日本の社会主義者達が「日本は満州国を搾取した。」と、盛んに宣伝されてしまいました。
大東亜戦争後、満州国は崩壊し日産の(満州側)資産も収奪され、日本側の資本もGHQに一旦接収されますが、接収解除後に日産自動車を操業しました。
墨水。
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