2002/09/13 - 2002/09/13
2位(同エリア46件中)
とーりさん
韓国に初めて行くにあたり、まずはソウルに行きたかったのですが、もう1箇所是非とも行きたかったのがこの「板門店」でした。板門店は北朝鮮との唯一の窓口として緊張感の漂う最前線の場所でありながら、ツアーとはいえ訪問(観光)もできるというところに驚きと魅力を感じていました。
その板門店には2度行きました。1度目はWカップ日韓共催の興奮も冷めやらぬ2002年9月、異常に警備が厳重な中訪問しました。後から考えると小泉首相(当時)が初の訪朝をする1週間前だったのでそうだったのかもしれません。翌年再訪したときは警備は意外と緩く、ちょっとがっかりしたのを覚えています。
記録(写真や自己メモ)もあまり無く、記憶も薄れがちですが当時を思い起こしつつまとめてみました。
今回の写真は旅行記というより訪問した両年のものを合わせております。また、内容が異なる部分もあろうかと思いますが、私の浅はかな記憶によるものと考えていただきご容赦願います。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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-
「中央高速観光」のツアーバスです。ツアーはこの他大韓旅行社などが行っています。
この板門店ツアー、色々制約があります。申し込みは事前で当日は不可、服装は肌を露出したものはもちろんジーパンもダメと言われました。また北朝鮮を刺激する絵柄や文言の入ったTシャツもダメです。 -
ソウルを北上し2時間ほど走ると景色が荒涼としてきます。さらに行くと線路がありました。都羅山へ向かう京義線の線路です。有刺鉄線で隔てられ、向こう側には監視小屋と思しきものも見えます。軍事境界線が近くになり、緊張感が感じられるようになりました。
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DMZ(非武装地帯)に入る前に臨津閣に寄ります。ここはレストランや土産屋があり、展望台も設置してあります。展望台からは「自由の橋」を見ることができます。
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軍事境界線に張られていた有刺鉄線だそうです。臨津閣で買ってしまいました。どうもこの手のものは目がないです。しかし箱は立派に造られています。
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「臨津閣」の展望台から「自由の橋」を見ます。(友人からの提供写真なので人物部分は塗りつぶさせていただきました。)
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起点となる「キャンプボニファス」で今まで乗ってきた観光バスから国連軍の専用バスに乗り換えいよいよDMZ(非武装地帯)に入ります。
板門店施設に入る前に、別の施設でビデオを見せられ写真にある「宣言書」を読み裏面にサインを書かされます。それには、
「事変・事件を予期することはできませんので国連軍、アメリカ合衆国及び大韓民国は訪問者の安全を保証できませんし、敵の行う行動に対し責任を負うことはできません。」とあり、ここが最前線であるとともに朝鮮戦争は終わっていない「休戦」状態であると認識させられます。
※書面ではキャンプキティホークと書いてありますが、これはキャンプボニファスの旧名です。 -
宣言書の書き出し部拡大図です。これを読むとさすがに神妙になります。
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いよいよ板門店JSA(共同警備区域)です。途中で護衛の兵士を乗せ、韓国側施設「自由の家」に入ります。
バスの下車時、車内をくまなく捜索するとともに所持品チェックを行います。
最初の訪問時(2002年)は日朝首脳会談直前ということもあり、特に念入りに行っていたように思います。かなりの緊張感が伝わってきました。 -
北朝鮮の「宣伝村」が見えます。(この写真は2003年晩秋のものです。)
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「自由の家」の通路にも兵士が北側を向いて警備しています。
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正面の3階建の大きな建物は北朝鮮側の施設「板門閣」です。この写真ではいまませんが通常は正面にひとり北朝鮮兵士が立っています。
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青い建物が「停戦委員会本会議場」でここに入ります。この建物の中央部を横に軍事停戦ラインが走っています。境界線を越えることは許されませんが、この建物の内部だけは線を跨いで北側に入ることもできます。
写真青い建物のところに北側を向いた兵士が立っています。体の半分は建物に隠し、身動ぎもしません。この体制がいつでも行動可能な体制だそうです。
この写真では北側「板門閣」の入口付近に杖?を持った北朝鮮軍兵士が写っています。実際見たとこでは南側兵士の緊張感に比べ北側兵士は普通に立っている感じでたまに歩いたりしていました。 -
翌年(2003年)再訪時の「板門閣」です。前年の経験に基づき、双眼鏡を持っていき、観察しました。
あんまりじろじろ見ていたのに気づいたのでしょう、北朝鮮軍兵士も双眼鏡でこちらを見始めたので怖くなってやめました。 -
会議場の中に入りました。南側が建物に入る時は国連軍(韓国軍)の兵士が写真のように護衛に入って出入り口などを固めます。北側の時も同様に北側兵士のもと入るそうです。ゆえに中で南北両者がかち合うことはありません。
写真の兵士の位置からテーブルの国連軍の旗を通り、配線コードの穴に伸びるテーブルを等分に分ける線が境界線になるそうです。この撮影時の私の位置は北側ということになります。(この写真は2003年再訪時のものです。) -
別の角度からです。建物内部も青い国連カラーになっています。
(この写真は2003年再訪時のものです。) -
南側にある監視施設です。防犯カメラなどが物々しく付いています。
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板門店施設を出て高台から先程も見えた北朝鮮側の「宣伝村」を眺望します。すごく高い国旗掲揚台があり、その付近に住居やアパートと思しき建物があります。ガイドさんによると夕方になるとそれらの建物は一斉に電気が付くので、おそらく人は住んでいないのではないかと言っていました。
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中央部に写る青い小屋の先が「帰らざる橋」で朝鮮戦争時の捕虜交換に使われた橋だそうです。橋の向こう(北朝鮮側)に渡ると二度と戻ることができないということからこの名がつけられたそうです。
1976年に起きた「ポプラ事件」の舞台もこの付近で、以後実際には名称はJAS(共同警備区域)ではありますが、それぞれのライン側での分割警備をしている状態となっています。 -
翌年(2003年)晩秋の同地点からの写真です。北朝鮮の国旗掲揚台には北朝鮮の旗が翻っています。
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「帰らざる橋」です。バスは停車はしますが、ここでの下車は許されず、橋の袂の小屋前ロータリーを一周します。
(この写真は2003年のものです。) -
同じく「帰らざる橋」です。普通の橋に見えますが、ガイドさんの解説を聞いた後では凄く恐ろしい橋に見えます。
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キャンプボニファスに戻り、キャンプの昼食です。カフェテリア方式で食べ放題、ジュース類も飲み放題でした(酒類はなかったと思います)。味の方はアメリカンで大味、キャンプ内ということでおいしいとは言い難いものでした。
ここで最初のバスに乗り換えあとはひたすらソウルを目指し帰りました。
板門店ツアーはその性格上制約が多いツアーで、情勢によっては実施自体がされない可能性もある特異なツアーですが、平和に慣れた我々日本人にとって戦争は終わっていない「休戦」という、状況下にある両国そしてその最前線を見学することは意義のあることだと思います。
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この旅行記へのコメント (2)
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- fuzzさん 2017/08/30 21:04:23
- すごい
- とーりさん、こんばんは。
今日は北朝鮮の旅行記にお邪魔してます。
って、フツーに言っちゃいましたが「北朝鮮!」
いまでもこのツアーを実施されてるかどうか分かりませんが驚きました。
貴重な旅行記ですね。
特に昨日の爆弾騒ぎの後なので、2002・2003年だとしても「なう」ですね。
世界平和を望まずにはいられません。
fuzz
- とーりさん からの返信 2017/08/31 00:22:33
- 大したことはないのですよ。m(__)m
- fuzzさんこんばんは、とーりです。いつもありがとうございます。
お恥ずかしいですが、北朝鮮旅行と銘打っていますが、ツアーはソウルからで、実際に北朝鮮領にいたのは停戦委員会本会議場内のみで10分もいなかったと思います。ちょっと誇大広告ですみません。
私が初めて行ったときは、当時の小泉首相の電撃訪問一週間前で、緊張感が漂いながらも、今にして思えば両国とも会談を成功させようという融和ムードがあったのかもしれませんが、昨今の政治情勢では確かにツアー自体も催行されないかもしれませんね。
ところでてるみくらぶですが、やはり返還金は厳しそうですね。私の両親は早々に諦めてしまったのでご健闘を祈ります!
とーり
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