2012/08/27 - 2012/09/04
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ラビニアさん
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超短期ですが、カトマンズとポカラ(+ダンプスにミニトレッキング)に行ってきました。
18年ぶりのネパールですが、ほとんど変わっていない印象です。
日本人にとっての物価も、以前とほとんど同じです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
経由地の広州で1泊。
泊まったユースホステルから川の対岸に向かうフェリー船上から。
料金は1元。
バスと同じ。 -
到着翌日は日曜日で、銀行が開いていなくて、両替に苦労した。
間違ってキャッシングできないタイプのクレジットカードを持って来てしまったためである。
ユースに泊まった中国人の青年が、一緒になって探してくれたのだが、どこにも見つからず、結局、大きなホテルで、宿泊客に頼んで両替をしてもらった。
人民元は200元ほど手持ちがあり、空港から市内までの地下鉄代や、ユースホステル宿泊代を除いて、100元あれば足りるだろうと思っていたのだが、ユースホステルチェックイン時に、デポジットとして100元預けさせれたため、無一文になってしまったのだ。
人民元を入手したので、朝食も食べられたし、こういう店でビールを楽しめるようになった。
お金というのは、何とありがたいものなのだろうw。
ところで、このような、食料品店の外にテーブルが置いてあって、ビールが市販価格で飲める店は、アジアのどこの国に行っても必ずあるのだが、日本にはなぜないのだろう。
こういう店に慣れてしまうと、レストランやカフェは高くて、なかなか入れなくなるな。 -
カトマンズにやってきた。
ダルバールスクェアの周辺。
18年前と全然変わっていない。 -
唯一、以前と変わった点と言えば、携帯電話が普及したことだろう。
ダルバールスクェア前で携帯電話で会話するネパール人が出るとは、18年前に誰が想像したことだろう。
あれから、18年の間に、タメルの町にインターネットカフェが(恐らく)林立して、そして廃れたのだろう。 -
タメルのダルバート(ネパール定食)食堂へ。
昔良く通った店はなくなっていた。
これは、地球の歩き方に載っていた有名店。
料金は高めだが、有名店だけあって美味しい。 -
タメルのゲストハウスに2泊した後、ポカラへ向かう。
これは、休憩所に停車中のポカラ行きのバス。
ポカラ行きのバスは350ルピー(約350円)。
昔は確か150ルピーで、レートの関係で450円くらいだった。
カトマンズからポカラ間の道路も、18年前とほとんど変わっていない。
所要時間もほぼ同じ(7~8時間)。
今回のバスのチケットを買った旅行社はアティティツアーズ。
http://www.atithitour.com/
日本人ご用達で、おそらくカトマンズで一番安い。
事務所には談話室まであり、いつも日本人がマンガを読んでいた。
これまでは、カトマンズで一番古い、日本人のやっている旅行社で買っていたのだが、値段の安さに惹かれ、今回は失礼してしまった。 -
夕方ポカラ着。
今回ポカラで泊まったダムサイドのルンビニリゾートという名のゲストハウス。
昔よく泊まった、スーパーロッジとかアショカゲストハウスとかはなくなっていた。
ここは、部屋の窓が大きくて明るく、2階のバルコニーからの眺めも最高。
料金は500ルピー(約500円)。
宿の主人の人柄も良いし、周囲の環境も良く、コストパフォーマンスは最高である。
ちなみに、以前なら、このクラスのゲストハウスは200ルピーくらい(600円)。
つまり、日本人にとっての物価はほとんど変わらないということなる。 -
ポカラのシンボルの一つ、ペワ湖。
雨季が明ければ湖に写るヒマラヤ山脈が綺麗なところ。
この湖沿いにバックパッカーの町が二つある。
それは、レイクサイドとダムサイド。
今回(というより毎回なのだが)私はダムサイドに泊まった。
レイクサイドは西洋人向けのゲストハウスやレストランが1キロメートルに渡って続くような、アジアのどこにでもあるようなバックパッカー向けの一大リゾートエリアである。
一方、ダムサイドは、住宅地や畑の間に、ゲストハウスや食堂が点在するいたって静かなエリア。
昔は、ダムサイドは日本人、レイクサイドは西洋人、という住み分けであったが、今は、日本人のバックパッカー自体が減っているところに、ほとんどの日本人がレイクサイドに泊まるようになってしまった。
ダムサイドの方は、物好きなごく少数の一癖ありそうな欧米人の中高年長期滞在者だけになってしまった。 -
(この写真はネットでお借りしたもの)
昔、ポカラで、毎日通っていたアニールモモレストラン。
かつては、アニールモモセンターと呼ばれる地元民向けの食堂だった。
ここのダルバートは比類のない美味しさだった。
スルジェハウスという有名な日本人宿のすぐ隣にあったので、日本人の長期滞在者が、ダルバートを食べに来たり、チャイを飲んだりして入り浸るようになった。
店には日本の文庫本が置かれ、常に、日本人の常連がたむろしていた。
その中で、料理の得意な人は店主に日本料理を教え、イラストの得意な人は、店の看板を書いたり、と入れ替わり立ち替わり協力するうちに、日本料理店として知る人ぞ知る店になったのである。
やがて時代が移り変わり、小さな子どもだったアニール(店の名前の由来)も成人し、弟ともども日本に留学し、店主も何度も日本を訪問し、店も拡張し、今の場所に移転してきた。 -
(この写真も借り物)
しかし、日本人バックパッカーも、ダムサイドではなくレイクサイドに泊まるようになり、わざわざダムサイドまで「ナンチャって日本料理」を食べに来る人も少なくなってしまった(レイクサイドにも日本料理店はある)。
店は、連日このようにガラガラである。
ご主人も通風で足を悪くして、昔のようには働けなくなってしまった。
今の店は奥まった場所にある立派な作りだが、かつての、道路に面したオープンの掘っ立て小屋の方が、私にとっては居心地が良かった。
一人でふらっと立ち寄って、モモを肴にビールを飲みながら、読書をし、ときおり通りでのんびり草をはむ牛を眺めたり、通りかかった旅人や地元の人と雑談を交わしたりしているうちに、あっという間に数時間が過ぎ去ったものである。
私は、「ネパールは18年前と全然変わっていない」と書いたが、こういう、私に関係するポカラの事情は大きく変わってしまった。
よく「○○は昔と大きく変わった」と言う人がいるが、実は、変わったのは、その町ではなく、旅する本人の、人間関係とか、生活環境だとか、考え方だとか、収入だとか、旅の形態が変わったと言うことなのだと思う。 -
市内バスに乗って、ポカラの旧市街に行ってみた。
女性の日、ということで、ポカラ旧市街の寺院には、女性が集まっていた。
この日、女性は食べ物を口にすることができない。 -
寺院の向こうには白いヒマラヤの山が見える。
-
その日の夜は、ゲストハウスの近くの路上では、女性たちが夜遅くまで飲んだり踊ったりしていた。
女性の日の解禁、ラマダン明けみたいなものなのだろう。
ふだん、抑圧されていることが多いヒンドゥーの女性たちが、開放的になれる数少ない日なのだろう。 -
ポカラの旧市街(オールドバザール)は、本当に全然変わっていない。
最後にポカラに来た時のことが、昨日のことのように思い出される。
あの時出会った旅人は、今どうしているのだろう。
あの時の自分は、どこへ行ったのだろう。
おそらくこの町は、18年前どころか100年前から変わらず、そしてこれから100年経ってもあまり変わらないのではないか?
旧市街を歩いているとそんな気がしてきた。
旧市街の街並みからヒマラヤを臨む。 -
オールドバザールの後ろに見える山は、アンナプルナ主峰。
-
旧市街の寺院の高台からダンプス方面を臨む。
真ん中の尖った山がマチャプチャレ。
雨季なので、時々しか見えない。
しかも、すぐに雲に隠れてしまう。 -
右がマチャプチャレ、左奥がアンナプルナ山群。
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1泊2日のミニトレッキングに出発。
旧市街のバスターミナルから、バスでフェディまで行き、山道を登り始める。 -
18年前にも、この道は歩いた。
その頃の記憶がよみがえってきた。 -
途中の山道で会った山の住民(実はポカラに住む学生の里帰り)。道理でモダンな感じがした。
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山村に住む、妹と弟。
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ダンプスから見たマチャプチャレ。
雨期のため、ほんの一瞬雲の合間から姿を現す。
ダンプスは、アンナプルナベースキャンプ(ABC)へ向かうトレッキングコースの第一日目の宿泊地となるところだが、今回のミニトレッキングでは目的地である。
18年前は、ここから7日間かけてABCへ向かった。
ちょうど時期は今頃で、雨期のため、途中、蛭に悩まされた。
そして最終目的地であるABCで雨期が明けた。 -
今回ダンプスで泊まった山小屋。
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食堂の東屋。
シーズン中は欧米人で一杯になるのだろう。
今回は、私と同行者の二人だけ。 -
トレッキング中は、いたるところに、このような山小屋があり、泊まることもできるし、食事だけに立ち寄ることもできる。
一人でもグループでも年寄りでも、気軽にABCまで行ける。
ちなみに、ネパールには、整備されたトレッキングコースが大きく3カ所ある。
ABCの他には、エベレスト街道、それにランタン谷だ。
そのいずれも、素晴らしい景色とチベット文化が楽しめる。 -
ダンプスから見た山々。
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山小屋のお兄さん。
シーズンオフのため、一人で店番をしていたのろう。
ダンプス中には、7~8軒の宿があるが、この日の宿泊者は全部合わせても数人だと思う。 -
近所の子どもたちと。
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山小屋のお兄さんと共に。
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今回の同行者のYYT氏と。
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翌朝には、もう山を下る。
ミニトレッキングはあっけないな。 -
ポカラのオールドバザールに戻ってきた。
市内バスに乗り換えて、ダムサイド方面へ向かう。 -
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オールドバザール周辺で、バイクのデモ隊。
ネパール、特にポカラではデモが相変わらず多いな。
最後にポカラに来た時も、コングレスと共産党が争う大きな選挙があった。 -
オールドバザールのバスステーション付近で見つけた美味しいサモサ屋さん。
あまりの美味しさに、ポカラに滞在中、毎朝わざわざバスに乗って通ってしまった。 -
店はこんな感じ。
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このような実直そうなオヤジさんが家族と経営する店は、世界中どこへ行っても、だいたい間違いがない。
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この店、朝はサモサを出すが、昼は普通のダルバートも出す。
このダルバートがまた美味しかった。
美味しい店というのは、何を作らせても美味しい。 -
オールドバザールで見かけた子どもたち。
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ネパールは、どこへ行っても子どもたちが可愛い。
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短いポカラ滞在の後、カトマンズに帰る朝。
長距離バスステーションには、カトマンズへ向かう各社のバスが勢揃い。 -
バスは、会社によって値段が全然違うが、内容は大差ない。
所要時間も同じ(山道で追い抜くことができないため)。
すなわち、できるだけ安い会社で買った方が良いということだ。 -
途中で立ち寄ったレストランで。
この後、夕方カトマンズに着いて、タメルで夕食を食べて深夜の飛行機で帰国。
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