2011/11/20 - 2011/11/21
32位(同エリア55件中)
ペコちゃんさん
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毎年、一泊旅行に仲間と出かけますが、今回は信州・まつかわ温泉。
参加者は7名なので、ワゴン車1台で出発しました。
<1日目> 圏央道から中央高速に入り、飯田ICで降りて、水引工芸館 ⇒ 遠山郷・下栗の里 ⇒ 元善光寺 ⇒ まつかわ温泉・清流苑(宿泊)
<2日目> 松川町果樹選果場(リンゴのお土産) ⇒ 養命酒・駒ヶ根工場 ⇒ 光前寺 ⇒ かんてんぱぱ伊那工場 ⇒ 諏訪大社
という盛り沢山の日程で、南信州の秋を楽しみました。
写真は、松川町の美味しいリンゴです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
<1日目>
中央高速を飯田で降りて、先ずは「ふるさと水引工芸館」に行きました。
飯田の街は、東に南アルプス、西は中央アルプスの連峰に囲まれ、中央には天竜川と中央道が南北に走る、起伏に富んだ緑豊かな所です。
今回のメンバーの中には、飯田育ちの人もいます。(ということもあり、南信州の旅行となりました。)
城下町の信州・飯田は、江戸時代より水引で有名な所です。 -
「水引」は、祝儀袋に使われている、あの紅白の紐です。
作り方は、和紙をこより状にして糊を引き、乾燥させたら水を引いて、また糊を引く、この作業を繰り返していきます。
引っ張り強度もあることから、江戸時代には髷(まげ)を結うための「元結(もとゆい)」に使われました。 -
祝儀専用のイメージが強かった水引工芸も、最近では優れた技術を活かして、美術工芸品としての評価が高まっています。
ふるさと水引工芸館では、多くの芸術的な素晴らしい作品を楽しむことが出来ます。 -
良質な飯田の水引は、日本の水引製品の約70%を占めています。
因みに、お相撲さんの大銀杏も、飯田元結が使用されているそうです。 -
これらの作品を見ると、とても水引から作られているとは思えないほど、見事な出来栄えです。
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昼食の後、車で山道を登って、信州遠山郷・下栗の里に行ってみました。
ここは、日本の原風景が残る場所で、「日本の里100選」に選ばれています。 -
仲間の一人が、 ” さだまさしがコンサートを開いた所 ” ということで行ったのですが、正しくは、ここの棚田の1枚1枚すべての水面に月が映った風景写真に魅せられた彼が、この地を訪れ、絶賛して「天空の村に月が降る」という曲を作ったということです。
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標高800~1,000mの「下栗の里」は、約30度の急斜面にある地区です。
景観の美しさや自然と暮らしの調和などがオーストリア・チロル地方に似ていることから、「日本のチロル」と呼ばれますが、「朝日が足元から昇る村」という俗称もあります。 -
集落の戸数は約60戸で、150人余りの人々が農業や林業などを営んでおり、傾斜面に点在する耕地や家屋は、遠山郷を代表する景観を作りあげています。
集落を見ると、足がすくむ感じ・・・ -
百名山登山家の深田久弥は、昭和43年にこの地を訪れ、「下栗ほど美しく平和な山村を、私は他に知らない」と絶賛しています。
青空と黄葉のコントラストも鮮やか・・・ -
車で登るのもやっとの斜面を、今も畑を耕して生活が営まれているのを目の当たりにすると、いろんな事を考えさせられます。
雑木林の中にあった柿の実が、冬の訪れを予告しているようです。 -
遠山郷を後にして、元善光寺に向かいました。
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元善光寺は、601年に本多善光(ほんだよしみつ)公が建立したお寺です。
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奈良の都へ出かけた善光が、難波の堀に沈んでいた一光三尊の仏像を拾い、如来のお告げに従って自宅へ持ち帰ったのが始まりと言われています。(Wikipediaより)
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その後、再び如来のお告げによって、仏像が長野に移されることになった際、善光は、自分の名前をとって新しいお寺を「善光寺」、飯田の里に元々あったお寺を「元善光寺」と名づけました。
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『一度詣れよ 元善光寺 善光寺だけでは 片詣り』・・・これは、長野市の善光寺だけ、または飯田市の元善光寺だけのお詣りでは「片詣り」となってしまい、両方の寺をお詣りしないとご利益がない、ということを詠った江戸時代の川柳です。
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1日目の観光を終えて、今日の宿泊は、信州まつかわ温泉「清流苑」。
ここは町営で、大浴場・露天風呂などやパターゴルフ・屋内温泉プール・テニスコートなどがあり、日帰り入浴も出来るので、家族連れにも人気のある施設です。
中央高速・松川ICから2kmと、便利な所にあります。 -
町営のため、料金もリーズナブルなので・・・
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刺身の盛り合わせと・・・
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イワナの塩焼きを追加で頼みました。
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仲間同士で、さしつ・さされつ、お酒も進み、話も弾みます。
料理も食べきれないほど・・・ -
翌日の朝食は、大広間で。
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また利用してみたいと思う「清流苑」でした。
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千曲川の支流「松川」が流れる「松川渓谷」は、紅葉の名所・・・高山村が有名ですが、ここ松川町でも紅葉が楽しめるとのことなので、行ってみました。
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中央アルプスからの清流が松川渓谷を経て、この「片桐ダム」へと注がれています。
片桐ダムは、平成元年に竣工した、高さ 59.2mの重力式コンクリートダム。 -
春の若葉・夏の深緑・秋の紅葉が、ダム湖(松川湖)を染めて、訪れた人を楽しませてくれます。
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松川湖も、土砂の流入で堆砂が進んでいるため、土砂の排出を毎年行っているそうです。
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黒四には及びませんが、ダムの放流も見ることが出来ます。
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この後は、松川町果樹選果場に立ち寄り、リンゴのお土産を買って、近くのリンゴ畑に行ってみました。
「くだものの里・松川」は、広大な段丘と山麓の扇状地が多い地形で、水はけや陽当たりが良いため、町の農業は7割が果樹生産です。
梨・りんご・ブルーベリー・桃・柿・ぶどう・梅など、種類も豊富です。 -
完熟蜜入り「サンふじ」など、松川のリンゴは本当に美味しい!
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次は「養命酒・駒ヶ根工場」の見学です。
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駒ヶ根工場は、中央アルプス・空木岳(うつぎだけ)の麓にあり、周辺は原生林に囲まれ、花崗岩によって磨かれた水が豊富です。
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駐車場から工場に行く途中には、広々とした「健康の森」があり、紅葉も綺麗です。
森の中には、小川も流れています。 -
養命酒の起源は、慶長の時代に遡ります。
信州の雪の中で倒れていた老人を、塩沢宗閑翁が助け、そのお礼に薬用酒の製法を教えてくれ、1602年に製造を開始したそうです。 -
創業以来、養命酒一筋でやってきましたが、最近はハーブ酒や酢などで商品の拡充を図っています。
この養命酒記念館では、試飲や買い物が出来ます。 -
養命酒は、桂皮・芍薬・朝鮮人参など14種類の生薬を味醂に浸し、アルコール等を添加した滋養強壮の薬用酒ですが、飲み過ぎると飲酒運転になるので、要注意。
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この後は、同じ駒ケ根にある「光前寺」を訪れました。
860年に建立された天台宗の古刹です。 -
春の枝垂れ桜や光苔、そして秋の鮮やかな紅葉風景は、光前寺庭園として国の文化財「名勝」に指定されております。
仁王門をくぐって・・・ -
三門に続く光前寺参道を歩くと、綺麗な紅葉が目を楽しませてくれます。
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鐘楼の周りも、見事な紅葉。
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山門から・・
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本堂に向かいます。
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境内は、樹齢数百年の杉の巨木に囲まれ、この「本堂」をはじめ、十余棟の堂塔があり、信州では善光寺に次ぐ大寺です。
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この寺には「霊犬・早太郎の伝説」があります。
昔、光前寺に「早太郎」という大変強い山犬が飼われていました。
その頃、遠州(静岡県)の見付村では、毎年、怪物が現れて田畑を荒らしていたので、娘を生け贄として神様に捧げる悲しい習わしがありました。 -
怪物は『今宵、この場に居るまいな。早太郎は居るまいな。信州信濃の早太郎。早太郎には知られるな』などと言いながら、娘をさらっていきました。
村を通りかかった旅の僧が信州へ向かい、早太郎を借り受けて見付村へ戻り、早太郎が娘の身代わりとなって怪物(老ヒヒ)を退治しました。
傷を負った早太郎は、やっと光前寺まで帰り着くと、和尚さんに怪物退治を知らせるかのように、一声高く吠えて息を引き取った、という伝説です。 -
光前寺の本堂の横に、早太郎のお墓が祀られています。
早太郎を借り受けた僧侶は、早太郎の供養のために大般若経を光前寺に奉納した。
これは寺宝として経蔵に保管されています。 -
1808年に再建された「三重塔」は、高さ17mで均整のとれた美しい塔です。
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光前寺を後にして「かんてんぱぱ・伊那工場」に行きました。
「かんてんぱぱ」など寒天食品を製造・販売する伊那食品工業は、1958年に設立され、業務用粉末寒天の製造を開始し、1980年から「 かんてんぱぱ 」 シリーズを発売しました。
広い敷地には、本社と関連施設が隣接しています。 -
ここの紅葉も見事です。
総敷地面積 27000平方mのうち、約60%が自然林に囲まれている「かんてんぱぱガーデン」には、本社や工場、レストラン等の施設が設けられ、さらに周囲には四季折々の彩りが配されるなど、自然との調和を考慮した工場造りとなっています。 -
広大な敷地の清掃は、毎朝、自主的に社員の手で行われています。
この会社の社是は『いい会社をつくりましょう』・・・いい会社とは、単に経営上の数字が良いというだけでなく、会社をとりまくすべての人々が、日常会話の中で 「いい会社だね」と言ってくれるような会社の事です。
企業は ” 会社を構成するすべての人々の幸せのためにある ” ・・・私も会社勤めの時は、こういう考えを持っていましたが、なかなか上には理解されなかった・・・ -
これが寒天の素、天草(テングサ)。
左:海で採った天草を乾燥させたもの
右:天草に水をかけ天日干しを繰り返して作った「さらし天草」
寒天は、ノンカロリー食品で、あらゆる食品のなかで食物繊維を一番多く含んでおり、整腸作用の他に血圧降下作用、コレステロール低下作用などがあります。
寒天のもとになる「ところてん」は、中国から伝わったようですが、江戸時代初めの1685年、京都で残り物の「ところてん」を外に出しておいたら、寒さで「ところてん」が凍り、更に水分が抜け乾燥物となって、偶然にも「寒天」が誕生したと伝えられています・・・京都特有の気候が生み出した自然の恵みです。
その後、関西地方で寒天作りが盛んになり、信州の行商人がこれを持ち帰って寒天を作ったところ、寒さの厳しい諏訪や茅野地方でも良質の「寒天」が出来、この地の地場産業として定着しました。 -
「かんてんぱぱショップ」では、各種商品の販売のほか、試食もできます。
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「かんてんぱぱ製品」は100種類以上もあり、お土産が揃いました。
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12時を過ぎていたので、ご当地名物の「味噌かつ丼」と「寒天そば」セットの昼食。
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旅行の最後は「諏訪大社・上社本宮」。
諏訪湖の北側に「下社春宮」「下社秋宮」、南側には「上社本宮」「上社前宮」があり、これら4社の総称が「諏訪大社」です。 -
諏訪大社の創建は、定かではありませんが、我が国最古の神社の一であり、「古事記」にその存在が記されているそうで、全国一万有余の諏訪神社の総本社です。
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これは、北参道の鳥居。
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本宮「一之御柱」は、長さが約17m、直径が1.2mの樅の木で、パワースポットとして有名です。
20数kmの行程を、数千人の氏子の奉仕により曳行されるので、裏側は擦り減っています。
804年から始まった御柱祭は、7年毎(寅と申の年)の4月上旬と5月上旬に開催され、次回は平成28年の申年になります。
この祭は、宝殿の造り替え、また社殿の四隅に「御柱」と呼ばれる樹齢200年程の樅の巨木を曳建てる、諏訪大社最大の神事です。
御柱祭は、上社・下社それぞれに、山から重さ10トンにもなる巨木を8本切り出し、上社は約20km、下社は約12kmの街道を、木遣りに合わせて人力のみで曳き、各お宮の四隅に建てるものです。
4月の「山出し」では、沢山の観衆が見守るなか、巨木の御柱が次々と坂を下る「木落し」、5月の「里曳き」では、長持ちや騎馬行列など時代絵巻が見ものです・・・一度、見たいですねー。 -
鳥居を潜ると左手に「手水舎」があります。
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この「拝所」は、背後の守屋山そのものがご神体で、本殿を持たない原初的な神社形態です。
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拝殿(重要文化財)。
拝殿の後ろに幣殿、左右に片拝殿が続く「諏訪造」と呼ばれる本殿を持たない独自の様式で、いずれも重要文化財に指定されています。
他の3社にも行ってみたくなりました。
仲間と共に秋の信州を楽しんだ、楽しい2日間の旅行でした。
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