2014/03/04 - 2014/03/07
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スタリモストさん
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帰国にそなえて、デリーに戻った。満員電車の中で思わぬトラブル発生。慢心を諫められることとなった。デリーでの最後の観光は「トゥグラカバード要塞」にした。見張り台に吹く風は50日前と比べ格段に暖かだった。季節が移ったことを実感した。
□経過=デリー(1/14.15.16)→ボーパール(1/17.18.19)→マンドゥ(1/20.21)→アーメダバード(1/22.23.24.25.26)→ジュナーガル(1/27.28.29.30)→ジャムナガル(1/31)→ブージ(2/1.2.3.4.5.6)→パタン(2/7.8.9)→ ジャイサルメール(2/10.11.12.13.14.)→ジョドプール(2/15.16.17)→ウダイプル(2/18.19.20.21)→ブーンディ(2/22.23.24)→ナワルガル(2/25.26.27.28)→ジャイプール(3/1.2.3)→デリー(3/4.5.6)→帰国(3/7)
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□50日目(3/4)
ジャイプールから帰国のためにデリーに戻った。ボルボのデラックスバスを利用した。乗り心地抜群で、気分はマハラジャだ。チケットはホテルで手配。2人で手数料込み1350。公共バスなので女性割引あり。バススタンドに行けば直接予約出来る。
9時スタートのバスは、デリー市内インド門近くの「ビカネール・ハウス」に午後3時着いた。 -
リキシャ(40)でバイオレットラインのkhanmarket駅に出て、イエローラインを経由し、ブルーラインのアシュラムマルグで下車した。
「デリー(パハルガンジー)再inも無事に果たした。」・・と言いたい所だけど・・・・実は、トレッキングパンツの膝上サイドポケットに入れていた500rs札10枚余を超満員地下鉄の車内ですられてしまった。1万円を切るが、ブーンディで会った学校講師の1ヶ月分の給料だ。おそらくバイオレットラインだろう。khanmarket駅の次が終着のcentralsecretariate駅だが、khanmarket駅で電車を待つ間にターゲットにされ、乗車中に被害にあった可能性が高い。車内は相当な混みようで密着度は半端でなく、異常には全く気づかなかった。鮮やかという他はない。やはりプロがいるのだ。スリはデリーだけでなく東京にも上海にもいるだろうから、インドだから起きたとは思っていないが・・・。ここの所全く無傷の旅を続けていたので、スキがあったのだろう。片方のサイドポケットにはアイフォーンを入れていたので、これが持って行かれた可能性もあった。「金で済んで良かった。慢心への注意喚起を受けた。」と割り切っているが・・。スタリモストから「だから言っていたでしょ。サイドポケットは危ないって・・」と、しかられてしまった(-_-)。「ポケツトのマジックテープの密着力はずいぶんあったので、それがめくられるとは考えにくかった。」と弁明したものの・・。やはり、超満員電車における貴重品の所持方法としてはまずかったと反省している。スリは「Pickpocket」というから・・まさに典型的なスリ被害だ。
ちなみに、現金は他にも分散し、最重要のパスポートとカードは腹巻きタイプの貴重品入れに収まっている。 -
さてパハルガンジーにもどってきた。50日前と比べデリーは暖かくなっていた。季節が進んだことを実感。
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2/26にナワルガルで予約したホテル「Smyle Inn」(1000)は、なんと50日前に利用した「S.B inn」の真向かいだった。「S.B inn」は昨年12月に日本で予約したのだが、こんな偶然が待ち受けていようとは・・・。レセプションで、しきりにビールを勧めるので注文した。「本当は150いただくのですが、120でいいです。10分待ってね。」つまり近くの酒屋に買いに行くのだ。1本につきお使い賃30がポケットに入る。需要があるのでホテルに置いておけば良いのだが、ライセンスがないと無理なのだろう。ホテルの前の店で5rpの袋菓子を買ってきて、それをつまみに(問題ありではあったけれど)デリー再inに乾杯した。
夕食は、「GREEN CHILLI」で「アフガニチキン」を食べた。グリルしたチキンは熱々でナッツの味がほのかにするくどくない逸品、しかもボリューム満点だった。キングフィッシャーとの相性もとても良かった。(憂さを晴らすには飲むのに限る。スタリモストの厳しい目にさらされながら、私はウィスキーもオーダーした。) -
□51日目(3/5)
今日は、「トゥグラカバード」に出かけた。「歩き方」の欄外記事に目がとまったのだ。そこには「トゥグラカバードは、デリーイスラム政権の第3番目の都城で14世紀初めにギャースウッディーン・トゥグルクによって建てられたが、 今は壮大な廃墟として、デリー遺跡の典型的な行く末を示している。」と書かれていた。
バイオレットラインの終点から2つ目の駅が「tughlakabad」なので、そこまで行けばなんとかなるだろう。地下鉄に乗る時の身構えをして、つまりサイドポケットには何もいれず乗車。バイオレットラインの始発central secretariate駅とkhanmarket駅間は、昨日の出来事が思い出され緊張。車内放送では、「地下鉄全線でスリが多発しているので注意してください・・」と、トホホ(-_-)。
駅構内にもトゥグラカバードの紹介があった。中には階段井戸もあるようだ。ここから3.5kmらしい。駅前のリキシャは「7kmはある。120rsだ」と。少し歩いて別のに値段交渉、80と言うので乗った。確かに3.5km以上あったので駅の表示は直線距離を示しているのだろう。メラウリ・バダプール通り沿いには高い城壁が続くもののリキシャは停車しない。つまり入口は先だということだ。これはとても大きな遺構だ。 -
ブッキングオフィスで入場券(100)を買いゲートをくぐった。
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猿が歓迎してくれた。
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案内板が立っていたが、今ひとつ位置関係がわからない。
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保守係員の制服姿の男が「じゃあ、ついてきなさい。」と言うので従うことにした。結局1時間ほど説明を交えて案内してくれた。
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要塞はとても広大だ。1320年頃に造られたので、700年余の月日が流れている。この50日余のインド旅では様々な遺構を見てきたが、かくも荒れ果ててしまっているものは初めてだ。たとえ全盛を極め栄華をほしいままにしても、やがては終末の時が来る。その歴史の悲哀を実感出来る場所だった。
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ここにも階段井戸があった。保水用のシンプルな形だったが、かくも大きなものを建造するのには、宗教や儀礼の目的もあったのかもしれない。
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崩落した階段井戸
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トゥグラク朝の建築様式は「トゥグラク様式」と呼ばれ、傾斜した防護壁ならびに丸い円柱型の見張り台が特徴と言われている。
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兵舎
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寺院
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大きな石臼・・製粉場か。
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市場・・中東の面影・・
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外国からの観光客は皆無・・
若者のデートスポットのようだ・・。 -
事あらばここから、下の廟に逃れる。
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案内のお礼に持参していた最後のハンカチを渡した。シンプルでわかりやすいガイドをしてくれた。
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見張り台に立った。吹く風が心地良い。
向こうにはデリーの街並みが遠望された。 -
見上げれば・・・・
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明後日には帰るんだなあ・・とちょっぴり感傷的に・・
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下に降りた。
道路を隔てた所に立つ「ギャースウッディーン廟」には、トゥグラク朝の初代王であるギャースウッディーン・トゥグルクとともに、その息子、ムハンマド・トゥグラクが葬られている。 -
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要塞からの抜け道はここにつながっている。
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絶妙な光・・静謐感が漂う。
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近くにも砦がある。規模はとても大きい。
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パハルガンジーに戻って、「エバーグリーンGH」を探した。私達の初インドで利用した宿だ。そしてこのホテルを教えていただいたのは、今は亡き「ホームレスのテツ(ハンドルネーム)」さん。このGHはテツさんが支援されていた。テツさんは、シニアバックパッカーで、情報豊かなテツさんのHPは私達の旅の教科書だった。そのテツさんが昨年亡くなった。メールでの質問にも丁寧に答えてくださったテツさんだった。 一度もお出会いしていないのに、訃報に接してかけがえのない方を亡くした喪失感と悲しみにおそわれた。「エバーグリーンGH」を利用したのは、2008年だから6年前だけれど、その場所は簡単に発見できた。界隈は全く時間が止まったように変わっていない。当時の路上チャイ屋も健在で、同じオヤジがチャイをつくっていた。
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魚のフライが目にとまった。インドで魚を食べたのはアーメダバードで一度だけだ。これは食べねばならない。持ち帰ることにした。一切れ50rp。あるじはコルカタの出身で、西ベンガルカレーを提供している。フライパンに魚を並べカレーを加えて煮込み直してくれた。こうなればやはりキングフィッシャーがいる。あるじは酒屋の場所を教えてくれたが、「あそこは危険地帯だ、金品をすられないようポケツトに注意しろ。」と、嫌なことを思い出させる(-_-)。「どうだ、使用人に買いに行かせよう、1本100rpだ。」というので、スリ被害は願い下げなので頼んだ。お使いを頼むのだから1本と言う訳にはいかないだろう。当然2本頼んだ。後ろを振り向けば野菜の屋台。大根2本とトマトを調達した。
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ホテルで食べた「魚のベンガルカレー」はなかなか美味しかった。
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□52日目(3/6)
今日は、明日早朝の帰国に備える日だ。12時がチェックアウトなので、ぎりぎりまでホテルの部屋でくつろぎ、チェックアウトした。フロントに荷物を預けて、インド各州の物産と食事を提供しているショッピングモール「ディッリー・ハート」(20rs)に出かけた。最寄りの駅のI.N.Aの構内には、インド各地のアート作品が多数展示してあった。どれもが見事な出来映えで、見応えがあった。じっくり一点一点鑑賞してまわった。 -
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「ディッリー・ハート」内のショップに並んだクラフトは、買わなくても見ているだけでも楽しい。
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私は、魚とカエルが合体したような、ボッシュの絵画を思わせる小さな金属製の置物を連れ帰った(2つで120rs)。ボーパールの人類博物館にもこれと類似のものを見かけた。
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パハールガンジーに戻った。「ビール1本、ポテトチップス付120rs(実際は税がプラスされ150余)」の看板が目に止まり、1時間ほどネットをして時間をつぶし、インド最後の夕食はメインバザールの店でカレーセット。とてもボリュームがあって完食できなかったのは残念。若い日本人カップルが2歳ほどの子供を連れてテーブルに着いていた。小さな頃からインドに慣れさせたら、雑菌や多様な人間への対応力が付き逞しく育つだろうな・・・。
ホテルで予約しておいた空港へのタクシーが21時、時間通りに迎えに来た。運賃は300rs。地下鉄を利用しても同じ額になるので、重いバツグを背負っての鉄道駅越えの煩わしさがない分、楽だ。 -
□53日目(3/7)
3:20発の中国東方航空 MU564便は11時過ぎに上海に降り立った。MU564の機種は「エアバスA330-300」だったが、ランディングの際の衝撃が全くなく見事な操縦だった。こんな印象を受けたのは初めてことだ。上海からのMU9821便は上海航空機が使用された共同運航便。東方航空のアテンダントよりも対応が良いように感じた。MU9821便は15:25にフライトし関空に18:30着いた。
人生最長の53日間の旅が終わった。禁酒とベジの食事、そして運動が功を奏して4kg体重を落とした。体重が増加傾向にあったので、これはうれしい旅の副産物だ。季節の移り変わりを実感するほどの長い旅だったけれど、1週間の旅といっしょのようにも感じた。移動が節目となりその都度長めの休養をとったせいだろうか。いついつまでにどこかに行かなくてはならない・・という訳ではないから、逆に1週間の旅のように慌ただしくもなかった。
グジャラート州とラジャスターン州を中心にめぐった。沢山の素晴らしい階段井戸、沢山の砦や宮殿、文化遺産を見学した。壮麗で重厚な建造物や質の高い美術作品はとても味わい深かった。
そして何よりもインドの人達のホスピタリティが心地良かった。結婚式で歓迎された一コマは旅一番の思い出だ。
帰国した今、とてもインドを、そしてインドの人達をいとおしく感じている。まだビザの有効期間があるからインドに戻ろうかな。そしてインドで長い旅を続けるほど、日本にいる時よりも経済的にもメリットがあることが決算しながら見えてきた。
□53日インド旅の決算
航空運賃含む総支出 2人で317740円(1人16万)
航空運賃含まない滞在費合計223000円(1人111500円)
ホテル\96500(55164)/鉄道バス地下鉄\29300(16724)/リキシャ\7340(4195)/観光遺跡入場\24900(14225)/食事食料水酒\42000(23958)/他 \23000(13164←6000の盗難分含む) 合計\223000(127430)
航空運賃\94,740(1人\47370)
※( )内Rs 1Rs=1.75円
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