2014/02/05 - 2014/02/13
2884位(同エリア6873件中)
空飛ぶドクターさん
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- 旅行記125冊
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- Q&A回答0件
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今回の旅は私にとってはちょっと特殊です。10年以上付き合っているテニスのコーチ・Tさんにお礼の意味で、私が全て費用を負担しています。週2回・月9回程度個人レッスンに近いのに、月1万円程度の月謝で長年テニスを習っているからです。2月の欧州(イタリア)は福岡からでも航空券が10万円を切るのを知っている私ですから誘ってあげました。その代り、ホテルも安ホテルで我慢してもらいます。有り難いことに、欧州では一部屋いくらですから、なおさらホテル代は安くあがります。ただ、50数年独身のTさんですから、旅慣れた私も大変なことが予想されます。独断的で思い込みが激しい性格です。テニスを中心に自信過剰です。
2014年2月5日出発、13日までの7泊9日です。いつものように朝早く、全日空で成田へ行き、4時間も待ってアリタリア便でローマ直行です。いつものように成田空港でブラブラしていると浅田真央選手を見かけました。さすがに一人ではありません。取り巻きがいます。もうすぐロシア・ソチ冬季オリンピックが始まるのです。ローマへの便は、お互いに窓際の席を取っているのでバラバラです。私の隣には中年と何と90才の女性が座っていました。お元気で旅行しているようです。
夕方ローマ・フィウミチーノ空港へ着くと、いつものようにダ・ビンチ号(列車)でローマ・テルミニ駅へ向かいます。イタリアらしく、切符の磁気コードが読まれずに、係員がこすり付けてくれます。駅すぐ近くの予約しているホテルへチェックインし、タクシーでやっと名刺を見つけ出した以前気に入っていたレストランへ直行します。生ハム等の前菜は記憶通りおいしかったのですが、Tさんがお勧めを頼もうというので、陳列していた手長エビのおすすめ料理と肉のお勧めでポーク料理を注文しました。完全に失敗でした。エビは意図的かどうかレア、つまり生焼けでした。ポークは丸焼きのようなもので、パサパサしています。それでなくても飛行機の軽食から時間がたってないので、むしろ軽く食べたかったのに食が進みません。案の定、Tさんは遠慮なくぼろくそに言います。私が以前においしかったと強調していたからです。
【6日】
元々、私の好きなナポリを中心としたイタリア南部だけだとあまり移動のお金もかからないし誘ってあげたのですが、案の定、遠慮なくガウディのサグラダファミリア(聖家族教会)に行きたいと言い出しました。そこはスペインで決して近くないと最初はムッとしたのですが、ローマ〜バルセロナ路線なら幹線だし、ひょっとしたらと調べてあげたら、LCC(格安航空)があるのでした。一人往復1万円程度です。それで、最初にバルセロナへ行くように Vueling という会社(スペインのイベリア航空の子会社?)で予約しました。
事前にインターネットで発券までしています。座席も多少の金額払って決めています。午前中の便で、荷物の大きさが微妙なのでカウンターで聞きました。そうするとやはり有料で、別のカウンターへ行かされ、二人分17(seventeen)ユーロ(1ユーロ=約140円)要求されました。クレジットカードで支払います。思ったより安いし奇数の数字なので変だなと思ったら、70(seventy)ユーロの聞き間違いでした。格安航空券なのに荷物だけで片道一人5千円近く取られました。それで、乗る時に目を凝らしてよ〜く見ると、案の定みんなもっと大きな荷物を機内に持ち込んでいます。帰りは迷わず機内に持ち込みます!
ホテルへ行くつもりで、電車で便利で近そうな Sants 駅で降ります。でも、事前の地図でもはっきりしなかったので、タクシーに乗りました。結果オーライです。とても歩ける距離ではありません。イタリアからスペインへの移動ですが、EU(欧州連合)で統一され、通貨も同じだし、この日の飛行機も国内扱いですから、便利は便利です。
ホテルでチェックインすると安い割には広いし中々いい部屋です。フロントで尋ねると、近くに地下鉄の駅 (Collblanc) がありました。早速、出かけます。サグラダファミリアよりもレストランが多そうな同じ名前の Saits の地下鉄駅で降りましたが、意外や意外、程よいレストランがありません。歩き回って諦めかけた時に、市場を見つけ覗くと中にカウンターで注文できるおいしそうなレストランがありました。指さして注文しましたが、すぐ近くのテーブル席に座りました。ソーセージ、パプリカ、パエリャと結構おいしかったです。
腹ごしらえして、いよいよ目的地のサグラダファミリアです。私は確か新婚旅行とその前の年と2年連続行きましたが、もう30年近くも前のことです。聞いていた通り、いつの間にか内装は完成していました。以前の記憶では、こんな目の前に地下鉄の駅はなかったと思います。
外観通り天井がひたすら高く、ステンドグラス等すごいです。パイプオルガンもあり、音色を聴いてみたいものです。片隅で高校生くらいが合唱をしています。非常に気に入ったらしくTさんは張り切って3Dビデオでずっと録画しています。私は退屈して周りを見回すと、若い可愛い女性係員がいます。何気なく話しかけ、昔は確か狭い階段を歩いて登って、かなり高いところまで行けたのにねと言います。もちろん、スペイン語でなく、英語でです。すると彼女はエレベーターで上がれますよと教えてくれました。聞いてよかった、と言うより話しかけてよかった! 忘れていました。そういえば、テレビ番組で今はエレベーターで昇れると言っていました。内装に気を取られていたのと、外側でもエレベーター乗り場は目立ちません。危うくこのまま帰ってしまうところでした。
女性係員が教えてくれたように、外に並び直さずに、内側から割り込むような形で追加料金を払うとエレベーターの券をもらえました。裏口にあたるところの内部にエレベーターの乗り場があり目立ちません。荷物をコインロッカーに預けさせられ、一気に上ります。降りると目の前に懐かしい階段があります。ようやく上からの景色が見られます。外装はまだ建築中です。狭いらせん状の階段です。今回はほとんど下るだけです。テニスだけで生きているようなTさんはさすがに元気いっぱいで、一部横に繋がっているのを利用して、再度歩いて上ったりしています。
次にピカソ美術館へ行きますが、やっとたどり着いた時には午後7時でもう閉まっていました。Tさんが行きたがっていたバールの食べ歩きにします。一か所、英語が通じるので尋ねるとTさんの好きそうなものが全てあります。マッシュルームのオリーブ炒め、エビのグリルなどです。私がまとめて色々注文すると後から怒ります。酒が飲めない私はつい食べ物をまとめて頼みます。ワインをちびりちびりのTさんはゆっくり一品ずつ、しかもできたら店を変えてみたいようでした。しかも、確かにこの店は味もいまいちでした。英語が通じるし、メニューがわかりやすいのでつい入ってしまいました。
それで、歩いて回るとバールがたくさんある一角で、私が生カキのディスプレイを見つけ入りました。私が2個とTさんが6個注文しました。でも、見かけ倒しで、あまり新鮮ではありませんし、身もあまり大きくありません。Tさんはあたるのを心配しながらも義務感で全部食べ終えました。
次に、流行って混んでいるバールへ入りました。私は少し飲んだワインで眠くなり、ほとんどカウンターで寝ていました。一品だけ注文した牛肉は味付けしたほとんど生肉のようでした。寝ている私は笑われているようでしたが、店には迷惑な客だったでしょう。
【7日】
このホテル、部屋は立派でしたが、朝食は付けていませんでした。近くのバールで私は甘い菓子パンとコーヒーで問題ないですが、Tさんは食べるものがないようです。オレンジジュースだけ注文してあげました。
地下鉄でまずガウディ設計のグエル公園へ行きました。地下鉄を降りてからだいぶ歩きます。途中で、日本人の若い女性二人がついて来ます。入場料が10ユーロ近くするようですが、公園を観るだけでいいので取りあえずお金を払わず公園の上の方を歩きます。小高い所にあるので、市内が見渡せます。サグラダファミリアも見えます。
アジア人のような物売りがいますが、合図があったらしく風呂敷に品物を包んで慌てて隠れます。入口の一角では、楽器を演奏する人が堂々と警察と挨拶しています。私が何気なく同じようなものなのに堂々としているなと呟くと、Tさんが、はっきりした物売りは違法だけど、チップをもらうだけのパーフォーマーは問題ないと鋭く指摘します。なるほど。
次に、地下鉄で移動し、同じくガウディの建築物、カサ・ミラを外から見に行きます。どうも、建物本体は布で覆っており、屋上だけ少し見えます。そこで、小顔の女子大生風の可愛い子と知り合い少し話をしました。彼女はトルコ人でドイツに短期留学中とのこと。休暇でバルセロナに一人で来ているようです。やはり、学校の教科書で難破した船の人々を和歌山県の港の人々が助けた話を習ったようで、トルコは親日的だと言っていました。観光業に役に立つので日本語を習っている人も多いそうです。残念ながら彼女自身は日本語を勉強していないようです。代わりに私がドイツ語で”Ich spreche ein bisschen deutch, aber nicht genug”(私はドイツ語が少し喋れるけど、不十分だ)と流暢に言うと(昔少し勉強して、特に発音には自信があります)ビックリしていました。
すぐ近くまで歩くと、同じガウディのカサ・バトリョがあります。これはガウディらしいユニークなベランダがあります。個人的に面白いと思ったのが左隣にある商業ビルが明らかにオランダ風の建物だったことです。
今日の昼食は、サン・ジュセップ市場へ行くと正解でした。期待通り新鮮な魚屋さん、果物屋、肉屋などが並んでいて、その合間にレストランがあります。一か所選んでカウンターに座りました。ここでも私の悪い癖で一気にいろいろ注文するとどんどん出てきて、カウンターに置くところもないくらいです。アスパラ、ムール貝とはまぐり、ソーセージ、小さめのペッパー(ピーマンみたいなもの)などです。気前よくお金を払うのは私なのに、Tさんがまた文句を言います。でも、おいしかったし値段もリーズナブルでした。
ここで、感心したのが果物屋です。色々な国で市場を見ましたが、こんなに果物を美しく並べているのは見たことありません。魚屋も日本のようにちゃんと氷の上に置き、鮮度を保っています。これは外国では稀なことで、イタリアでさえ必ずしも氷を準備していません。果物屋は何件もあり、外観を競い合っているかの如くです。迷った挙句、私はラズベリーとパパイアのミックス生ジュースを頼みました。新鮮でおいしい上に、たったの1ユーロ(140円)です!
昨日迷ったおかげで今日はすんなりピカソ美術館へ到着します。でも、結構広く、青の時代だの赤の時代だの有名なピカソの絵もあったはずの美術館が、今回はどうも一部だけのようで、あまり感動しませんでした。Tさんも同様でした。そのせいか、入場料も少し安い気がしました。
よく覚えているモンジュイックの丘へ行こうとしますが、あるはずのケーブルカーが定期点検らしく動いていません。麓の地下鉄駅からひたすら歩きます。ついでに、まずミロ美術館へ行きました。なんかバラバラだと思ったら、最初の方はミロ以外の画家の絵や彫刻で、日本人のもありました。奥の方に、見覚えのある有名なミロの絵やタペストリー(つづら織り)などがありました。
聞いた通り150番のバスに乗ると終点がモンジュイックの丘でした。城跡で大砲などがあり、Tさんが妙にはしゃいでいます。遠く地中海が広がって広々とした風景が最高です。ここは印象的でよく覚えています。やがて徐々に暗くなり夜景に変わります。バスに乗り、終点まで行くとスペイン広場というところで、音楽に合わせた噴水ショーがきれいです。
そこから、電話でフラメンコショーに予約を入れ、タクシーで直接劇場へ行きました。入れ替わりで、日本人団体客が出てきました。40分だけのドリンク付きのショーでちょっと短めですが、その分充実していました。その後、昨日最後に行ったランブラス通りあたりのバールへ行きましたが、金曜日の夜で1時間待ちと言われ諦めました。超人気のようです。昨日、私は寝ていただけで、一品しか食べていません。仕方なくしばらく歩きましたがおいしそうな店がありません。諦めかけて、表通りのスペイン語らしからぬ名前のレストランへ行きましたが、予想に反してまぁまぁでした。子牛のステーキや南蛮漬けのような小魚など結構いけました。
【8日】
土曜日の今日はイタリアへの移動日です。でも、14時半の便なので時間があり、Tさんがもう一度モンジュイックの丘へ行きたいと言います。これが不幸の始まりでした。
今日は動いているのを期待してパラ・レル地下鉄駅へ行きました。でも、定期点検と言っても、日単位ではなく数か月単位のようで、代わりにバスが出ていることがわかりました。バス停近くの中級ホテルの2階のトイレを使いました。後から来たTさんも小さいほうのトイレを使っているようです。バス停に戻るとバスがやって来て、降りてきた運転手が cinquo minutos (5分)と言います。
代行バスで昨日の150番とは違う道でモンジュイックの丘へ上がります。問題はそれからです。バスを降りたTさんが、ビデオがないと騒ぎだします。バスじゃないし、たぶんトイレの中へ忘れて来たと言います。落ち着かないものの、少しだけ昨日夜で開いていなかった城壁内部から少し眺めのいい場所へ行き、景色を楽しみバスに乗って引き返します。ただ、150番のバスに乗ったので、途中で乗り換えないとスペイン広場に行くことに気づき、funicor(ケーブルカー) と書いたバスへ乗り換え、急いで地下鉄駅近くの先ほどのホテルへ戻ります。まだ2時間は経っていません。でも、もうトイレにはビデオはないようです。フロントにも紛失品届がないか聞いたけど、メイドに聞いてもないそうです。Tさんが警察に届けたいようなことを言いましたが、言葉の問題もあるし、時間はかかるし私の判断では今さら出てくるはずもありません。時間もないし、諦めてもらいました。
ホテルに戻り、預けた荷物を受け取り、地下鉄でRENFEの鉄道駅へ乗り継ぎます。2日間で便利なバルセロナの公共交通網を把握しています。ただ、ターミナル2から無料バスでターミナル1へ移動に意外と時間がかかり、結構ぎりぎりでゲートに着きました。一昨日で懲りているので、無駄にお金のかかる手荷物預けはしません。何の問題もなく、機内に持ち込めるし、大きさ的にも軽く頭上の棚に収まりました。
ローマ・フィウミチーノ空港からレオナルド・ダ・ビンチ号でローマ・テルミニ駅へ移動し、そのまま1時間10分の在来特急でナポリ中央駅へ移動します。混乱していましたが、ナポリ中央駅とローマの別の駅を結ぶイタロという赤い新幹線ができていますが、これも1時間はかかります。中央駅近くのホテルへチェックインし、一度は行きたかった Brandi へタクシーで行きます。並んで駅のタクシー乗り場から乗りましたが、運転手は調子のいい人間で、ブランディはナンバー1! だの、友達が働いているだの言っていましたが、後で考えると距離の割に23ユーロも請求されました。
このブランディはマルゲリータ王女が実際に来た、つまりピッツァ・マルゲリータの命名の由緒あるレストランです。でも、ピッツァの味は予想通り、それなりにはおいしいのですが、後日行く予定のダ・ミケーレ程はありません。ただ、話の種に一度は来たいと思っていました。それにしても狭いなと思っていたら、よく見ると小路を挟んで向かい側にももっと広い店舗があるのでした。そう言えば、料理も外から運んでいました。
タクシーを呼んでもらうかちょっと迷いましたが、レストランの前に車は入れないし、まだ時間も遅くないので、少し外の様子を見に行きました。すると、私には見覚えのあるプレビシート広場の建物の一部が見えます。やはりそうです。夜来るのは初めてです。すると、Tさんがやけに興奮しています。彼は建築とかを少し勉強したことがあるからのようです。向かい側の王宮の建物にも、こんな無駄なくらい豪華な柱があると騒いでいます。二三度来たことのある私はウンベルト1世ガッレリアが近いことも思い出し、連れて行きます。ここでも大興奮! こんなすごい建築物がただの商業施設になっているとは!?とうなっていました。
ただ、以前にも苦労しましたが、タクシーは簡単には拾えないし、やっとしばらく歩いて地下鉄の駅を見つけ、苦労して自動券売機で切符を買いました。どうも、イタリアのタッチパネルは反応が悪く、コインは何回も通さないと戻ってきます。やっと、ホームで待つものの、人の気配がなく不安になります。しばらくすると、警備員がやって来て、今夜の最終便は終わったと教えてくれます。結局、またさまよい歩いてやっと何とかタクシーを拾い、無事ホテルへ帰りました。
【9日】
このナポリのホテルはシーズンオフのせいか、セミスウィートルームで部屋の2階にベッドがあり、一階は応接間になって豪華な割に安いのです。もちろん、朝食も付いています。昨夜、こちらの朝食はクロワッサンなどのパンで口に合わないと散々ぐちっていたTさんですが、取り敢えずレストランへ誘います。実際には、外国人客の影響か以前と違いパンとコーヒー以外にヨーグルト、果物、生ハム、チーズ、ジュースなど結構種類も豊富です。バイキング形式なので、Tさんも気に入ったようでした。
朝起きると、大雨の気配です。二度目の冬のイタリアですが、寒さは南イタリアのせいか大したことはありませんが、やはり雨は多いようです。これもこれから降りかかる災難に少し関係あります。
今回の旅行はTさんへのお礼への意味もありますが、私にとってはもちろん目的があります。一つは、マニュアル車が主流のヨーロッパ車での運転に慣れることです。アメリカで運転していたので、左ハンドルは全く抵抗がありません。数十年ぶりのマニュアル車運転です。幸い、来る前にTさんの車で少し練習しました。そして、秋にも予定しているマテーラ、アルベロベッロ(二か所とも世界遺産)中心のツアーの下見です。
今日はレンタカーを借りて1泊2日で、アルベロベッロとマテーラを見に行きます。事前に調べると駅前にもレンタカーはあるのですが、ナポリの市内だけは怖くて運転したくありません。尋常ではありません。娘のホームステイ先のミラノのイタリア人もナポリだけは特別だと認めていました。それで、わざわざナポリ空港のレンタカーを借りに行くために、バスで移動です。中央駅にあるマクドナルドの前にある Alibus のバス停は臨時で閉鎖のようです。
バス停を探しながら、いつものようにナポリ中央駅前の通りを歩きます。すると、傘が背中をつっつくような感じがあります。近くの白人(イタリア人?)二人と目が合い、傘が当たってゴメンというような雰囲気です。30秒ほど歩いて、ちょっと気になるのでビルの軒下へ行き、背中のリュックサックを確認すると真ん中の仕切りが見事に開けられ、中央に入れていたパソコンの本体だけ抜き取られていました。Tさんに大きいカバンを見てもらい、元の所に走ってみましたがもちろん先ほどの連中の姿はありません。警察へ届けてもムダだし、あっさり諦めました。さすが、ナポリ! 敵ながらあっぱれです。フィウミチーノ
まさか歩いている最中に、リュックサックから抜き取られるとは! 油断したと言うより、想定外でした。でも、後で冷静にリュックサックを見て、よく考えると危ないのは事実でした。たぶん、外国人ですが、そのリュックサックは危険だと警告してくれた人もいました。かつぐリュックサックだから、どうしても背中は見えないし、気が付きにくいのでした。
悪条件も重なっていました。キャスター付きのカバンを転がしているので、音がうるさく気が付きにくいのです。また、大雨は止んでいましたが、雨で少し濡れながら歩いていました。その分やはり注意力が散漫になります。それから、リュックサックにしてはかっちりした作りで、却ってチャックを開けやすいのでした。しかも、普通に真上に両方のチャックが来ていました。後でよく考えると、わざと開けにくい横の下くらいに両チャックを収めておけば開けにくく、狙われなかったかもしれません。
いつものようにプラス思考の私はパスポートをやられなくてよかったと思いました。しかも、パソコンはウイルスにやられてデータが消失した苦い経験があるので、出発の前日に先月の南米旅行の写真データや書き終えたばかりの旅行記を記憶媒体へバックアップしていました。被害も最小ですみます。
やっとバス停を見つけ、わずか3ユーロで空港へ着きます。でも災難続きで、空港からレンタカー会社の事務所へ行くのに、シャトルバスに乗り損ね、近いのかもと思って標識に誘導されて歩いて行くと、迷いながらのせいもあり、雨の中を濡れながら40〜50分もかかりました。
予約は入れていませんが、何社もあるなかから馴染みのある Herz 社を選び、アメリカと違いかなり高い料金の契約をしました。フィアットのプントという小型車でカーナビ、ガソリン代込み(満タン返しは不要)、フルカバーの自動車保険付きとはいえ、たった2日間で370ユーロ(約5.2万円)もします。ただ、高速道路優先のやり方を尋ねたらカーナビはいつものガーミン社製ではなく、使い慣れないメーカーのものに変更されました。
朝の騒動で思ったより出発が遅くなった(11時頃)ので少し心配でしたが、高速道路を使う経路を選択すると、アルベロベッロまでは3時間15分程度と確認でき、予定通り間に合いそうです。アメリカと違い有料であることを忘れていましたが、ナポリ〜バーリまでは高速道路があるようです。小型車ですが、さすがにイタリア車で140Km程度出しても安定感はあります。期待通り、空港からはあの怖いナポリの下町を運転せずに、すんなり高速道路へ出ます。
12時半過ぎで、高速を降りて適当な田舎町へ行くと結構しゃれたレストラン(La Ruota)がありました。私の期待通り、料理もおいしく、期待ほどイタリア料理はおいしくないとブーたれていたTさんも、意外性にビックリし、こんな田舎のレストランがこんなにおいしいと感動していました。普通に前菜、パスタ、肉料理を食べました。昼食にしては2時間かけただけあり、豪華でした。
途中で日本から持ってきた自分のガーミン社のカーナビ(アメリカでの運転用に購入)をセットしてみましたが、やはり地図を読み込めず使えません。と言うのは、日本でパソコンに繋ぎ、ヨーロッパの地図を購入しようとしました。クレジットカード決済までして、いざソフトを取り込もうとしたら、何故か容量が不足とかで完全に取り込めなかったのです。念のため、試してみたのですが、やはり使えません。日本でも使えないし、アメリカ専用になりそうです。
何とか明るいうちに、4時45分頃アルベロベッロへ到着しました。ちょうど以前に来て覚えているトゥルッリの集落の大道路を挟んだところに駐車して、歩いて可愛いとんがり屋根のトゥルッリを見て回ります。お土産屋さんもあり、二人でブラブラ見て回ります。さすがにTさんの反応はユニークで、こんな簡単な作りなら自分で作れると盛んに言います。参考になったと。
以前に入って覚えていたマンマのお店も見つけましたが、肝心のおばあちゃんは不在で、若い店員のみでした。孫かと聞いてみましたが、ただの従業員のようでした。姉妹都市・白川郷へ招待されたマンマ(おばあちゃん)の日本雑誌の記事は今でもありました。今回は最近取材に来たらしい女優・壇れいの写真を誇示していました。
いろいろなお土産屋をぶらぶら物色しましたが、今回気が付いたのは日本語がわかる従業員が少なからずいることでした。今回も、他の所ではあまり日本人は見かけませんでしたが、ここではツアー客らしい団体がだいぶいました。結構、南イタリアのツアーも増えているのでしょう。
夏時間と違い、午後6時頃にはだんだん暗くなりますが、次の目的地マテーラへは夜景を見るのが一つの目的で宿泊するので問題ありません。
カーナビをセットすると、意外とマテーラは遠く1時間15分かかりそうです。何となく、30分足らずの距離かなと思っていましたが。マテーラの街には7時15分頃着いたのですが、案の定目的地のホテルがわかりません。マテーラの世界遺産の洞窟群の中にあるホテルなので、住所がはっきりしません。途中で停車し、ホテルへ電話し、カーナビにセットするための通りの名前をいくつか聞きますが、どれも自分のカーナビにはありません。ある広場で駐車し、歩いて探すとやっとホテルが見つかりました。もう8時です。それから、道路を確認するために歩いて元の駐車場へ戻ろうとするとかなり遠く、無事に車でホテルにたどり着いたのは8時40分頃でした。
テレビを見たTさんに指定されたサンタンジェロ・ホテルは洞窟群の中にあり、近くに教会があり、ライトアップされたマテーラの洞窟群の夜景が目の前です。慌てて、近くの紹介されたレストランへ行きましたが、観光客向けなのか、メニューもなく、従ってウェイターのつたない英語の説明だけで、パスタを注文しましたがいまいちでした。イタリア南部名物パスタのオレキエッテ(耳たぶの意味)も以前食べたのと違い、形も引き伸ばした変な形だし、味もそんなにおいしくないのです。
【10日】
洞窟の中にあるホテルのレストランで朝食を取り、歩いてマテーラ洞窟群を回ります。大きい通りは車が通れることがわかり、一部車でも移動します。以前にバスで来た時にあった、上から洞窟群全体を見渡せる展望台を探しますが、一方通行が多く結局見つからず諦めました。
カーナビをセットすると、マテーラからナポリ空港までは2時間45分くらいのようです。満タン返しの必要はないものの少し足りなさそうなので、適当にガソリンスタンドで20Lほどディーゼルを給油しますが、1L当たり250円になり、Tさんが目を丸くしていました。しばらく行くと、A(autostrada)の高速道路とは違う有料道路があります。12時過ぎから、2か所くらい道路をはずれレストランを探しますが、ありません。ある村で降りたらシャッター街でレストランがなく、諦めかけて裏から有料道路に戻ろうとしたら、運よく一軒見つかりました。名前も Orecchietta(オレキエッタ)そのものです。
今度は耳たぶの形をしたちゃんとしたオレキエッタ(複数形でオレキエッテ)で、味もおいしいのです。Tさんが隣の真っ白いまん丸いのに気が付き、何?と尋ねます。忘れていました。ここ南部は新鮮なモッツァレラチーズがあるのです。注文してあげると、以前の私のように、クリームのような牛乳らしさの残っている新鮮なモッツァレラ
チーズに感動していました。わざわざ選んでいない地方のたまたまのレストランの方が今回はおいしいものに出会っています。Tさんも認めています。
意外とナポリ空港への道路がわかりにくく、一部迂回しましたが、何とか無事に空港へ予定より少し遅れて4時15分頃到着しました。二日間で700kmほど運転していました。今度はシャトルバスでスムーズに空港へ戻り、Alibus で中央駅へ戻ります。何故か、今回は4ユーロです。3ユーロも4ユーロも安いので問題ないのですが、同じバス路線で値段が違うのが興味あります。
Tさんが違うホテルがいいというので、今度はベストウェスタンのホテル(中央駅近く)まで行き、荷物を預けます。結果的には、今度は値段なりのボロ部屋でした。急いで、中央駅の地下はずれにあるヴェスビオ周遊鉄道のガリバルディ駅へ行き、指定された Piano di Sorrento までの切符を買います。昨年、地元のレストランを味わった Meta の駅の隣駅です。5時43分の列車に乗れたので、1時間足らずで着くはずで約束の6時半にはあまり遅れずに済みます。
昨年フェイスブックで紹介された日本人女性Hさんが改札で待っていてくれました。会うのは初めてです。昨年はナポリ・ツアーの時に、メータの海岸に面した地元の素晴らしいレストランを紹介してくれたのがHさんです。ご主人(イタリア人)と娘さん、息子さん(二人とも小学生)が車で待っていました。近くの行きつけのレストランで、楽しく一緒に食事をしました。ご主人はいかにもラテンの男性で、自分は言葉もわからず退屈なはずなのに、愛する奥さんが同国人と楽しそうに話しているのを見ているだけで満足そうでした。日本男児にはなかなか真似ができません。昨年のアメリカの同窓会で同じような経験をしました。実際には私より1年前にアルゼンチンから留学していた女性(写真で顔には馴染みがありました)が特別参加していました。ご主人も一緒でしたが、あまり英語はできそうにないし、奥さんの同窓会で退屈なはずなのに、つたない英語で奥さんが幸せならそれでいいと優しく言っていました。
Hさんには以前から聞きたかったイタリアの生活に関する色々なことを尋ねました。一番印象に残ったのは、東日本大震災の映像で、あんな大惨劇の後でも我慢強くきちっと列を作って食べ物の配給を待つような日本人の素晴らしさがイタリアでも知られるようになり、明らかに人々の見る目が変わったそうです。皮肉なことに、大災害によって世界中に日本人の良さが知れ渡ったようです。もともと55ヶ国を旅した私の経験でも、日本人と知られて損をすることはまずありません。だいたい敬意を持って接してくれます。
楽しく一緒に食事をした後、Pianoの駅まで送ってくれて、突然最終便が中止になることがあるお国柄で、我々の列車が出るまで見送ってくれました。改めてビックリしたのは、終電ですが、もう改札には係員もいず、自動の券売機もなく、切符を買いようがありません。そして、地下道でつながっていますが、どちらのホームから出発かも表示がありません。前の駅を出てから表示があるということで、確かに5分前くらいにようやく1番ホームからの出発の赤ランプが点滅しました。
【11日】
朝食は6階のテラスで眺めを期待しましたが、回りのビルだけでした。普通の朝食でしたが、ブラッドオレンジジュースがありました。一大発見したのは、イタリア語で arancia sanguinella と書いてあるのでした。Wikipedia 等で以前調べて確認しましたが、英語のブラッドオレンジと違いイタリア語では普通は赤いオレンジという意味の arancia rossa としか言いませんし、今回のアリタリア航空機内でも、そう書いてある紙パックに入ったジュースが出され喜んでいました。sangue が血液の意味ですから、sanguinella も同様の意味のはずで、初めてイタリア語でブラッドオレンジに近い表現を目にしました。後日、イタリア・シチリア島に留学していた女性に聞いたら、やはり本場シチリア島では sanguinella と呼んでいたそうです。
Tさんがガイドブックを見て卵城に行きたいというので、タクシーで行き、後は元気な二人ですからひたすら歩きました。卵城の城壁の眺めのいい場所では、地元の小学生らしき団体に声をかけられ、名前を言い合うだけで勝手に盛り上がっていました。サンタルチアの海岸は歌で有名ですが、絶景です。本来は目の前にヴェスビオ火山が広がっているのですが、曇っていたのであまりはっきり見えませんでした。まぁ、私は過去に何度も見ていますが。
もう旅も終盤ですが、思い込みの強いTさんは日本語で「有難う!」を連発しています。変な「アリガトウ!」でなく、ちゃんとした日本語の発音です。言うとみんなが笑うので、ちゃんと通じているのだ、みんな日本語の「有難う」を知っているのだと勝手に解釈しています。 ??
昼食は迷わず目的地のダ・ミケーレです。12時半に行ったのにたまたますぐに入れました。すぐに行列ができていましたが。二つしかないメニューのマリナーラ(ほとんどトマトソースのみの真っ赤なピッツァ)とダブル・モッツァレッラチーズのマルゲリータを注文します。Tさんはビール、私はミネラルウォーターが飲み物です。さすがに、ブランディと違いTさんもこれはうまいと唸っていました。ふと回りを見ると、大多数の人がマルゲリータを食べていました。去年のように、トマト好きの私としては1/4くらいはマリナーラを食べたいです。こんなにでっかくておいしいピッツァがたったの5ユーロ(約700円)です! 飲み物も良心的でたったの2ユーロ。二人で合計たったの14ユーロ(2千円以下)です。あり得ません! やはり、このダ・ミケーレだけは有名なだけでなく、実際に安くておいしいのです。
下町のスパッカ・ナポリで近くを歩くと探していた「ジオラマ通り」を見つけました。Tさんがテレビで見たというのですが、イタリア語でそんな地名はなさそうで、フロントで聞いてもわかりませんでした。でも、ダ・ミケーレの近くということで適当に歩いていたら、フィギュアをたくさん売っている一帯に出ました。ついでに、自分用の中級品のバルサミコ酢を買いました。
Tさんの希望にそって、最初の私の予定を変更し、ナポリは手短に切り上げて、4時の特急列車でナポリからローマ(最後の宿泊地)へ移動します。自販機で切符を購入し、列車に乗ろうとすると係員の制服を着た、ちょっとヨレヨレのズボンをはいた人が、5号車まで案内するといいます。ちょっと胡散臭い感じがしたので、断りかけると察知したのか、胸のトレーン・イタリアのマークを見せます。Tさんも「アイム・ソーリー」などと言っています。二人のカバンを棚の荷物置き場に載せてくれます。その後、チップをくれと言います。やっぱり! かなり悪質な手口です。疑われたら、制服らしき恰好でごまかされました。よく考えると、イタリアの鉄道職員が手伝うはずがありません。
わざと、小銭のコイン(1ユーロちょっと)だけで済まそうとしたら、ちゃっかり一人2ユーロ、二人で4ユーロと要求します。仕方なく5ユーロ札を出すと、お釣りを出すふりをして受け取って消えました。まぁ、チップにお釣りを払うはずもありません。これがナポリです。でも、食べ物がおいしいので私はナポリが好きです。泥棒にあっても懲りません。キッパリ。
ローマのホテルも来た時と変える(Tさんの希望)と、最悪でした。まぁ、安ホテルですから本来この程度が普通なのですが、今までがシーズンオフで意外といいホテルが続いたのでした。初めて男二人でやや大きめのツインだけの狭い部屋です。私は以前来たことがあるのを思い出しました。名前の Hotel terminal にも覚えがありました。ローマ・テルミニ駅と似た名前です。
チェックインし、荷物を部屋に置くと出かけます。自分のパソコンがなくなったので不便で、久しぶりにインターネット・ハウスへ行き、アスティーチェ・ブルーの住所を調べます。最後の夜である今夜は、Tさんの願い通り二軒はしごです。最初は三軒はしごと言っていましたが、さすがに勘弁してくれと二軒にしました。しょっちゅう来れる私と違い、Tさんは張り切っているので、テレビの情報番組を鵜呑みにし、絶対おいしいランキングの1位から3位までの二つです。Astice blu と綴りが推定できたので、一発で見つかりました。ちょっとローマでも郊外でした。意味は「青いオマールエビ」でした。見たことも聞いたこともありません。でも、ホームページには青いオマールエビの写真もあります。やや郊外で、タクシーで20ユーロ近くしました。オープンの7時半前に行ったせいか、人気店のはずにしては誰も客はいません。ちょっと迷いましたが、24ユーロするシーフード・スペシャルを前菜として注文しました。
しばらくすると、二皿に分けられたシーフードの盛り合わせが来ました。もっと豪華かなと思っていたので、値段の割には貧弱だなと二人で言っていました。ところがどっこい、しばらくするとこれでもかという位の皿がドンドン出てきます。ムール貝のソテーと別にムール貝の白ワイン蒸し、イカにタコに小魚のフライなどなど。
いつもは私が一気に注文してTさんに怒られるので、今日はゆっくりです。この前菜を確認してから、この店の名前通りのアスティーチェ・ブルー(青いロブスター)料理を注文します。ところが、ウェイターの拙い英語でよく分かりませんが、今日は入荷していないようで肝心のメイン料理がないそうです。Tさんはワインだけはどこもおいしいと、ここでも赤ワインのボトル2本を開けています。
結局、タクシーを呼んでもらい、ツッリオへ移動します。ランキングでは、ポルチーニ茸のタリアテッレ(パスタ)が1番だったそうです。先ほどの店のロブスターが2位だったそうです。メニューを読むとポルチーニ茸の他のパスタはあるものの、タリアテッレはないのですが、ウェイターに聞くと大丈夫ということでした。もう一つのパスタはカネロ二(中に詰め物)を注文しました。ビールと迷っていたTさん、今度は白ワインを頼んでいました。下戸の私は詳しくないのですが、今回気が付いたのはグラスワインなどあまりなく、1本単位が多いようです。
お目当てのポルチーニ茸のパスタが来ました。予想通りです。おいしいのはおいしいのですが、別にナンバー1という程のことはありません。Tさんも渋々認めていました。ところが、酔っ払っているので、しばらくするとガバッと目が座り、本音というか、意地というかが出てきて、この味は素人にはわからないよなと盛んに言います。慣れている私はカチンときながらも、聞き流します。いつものことです。我ながら、我慢強いです。こんな人を相手に感謝もされずに大盤振る舞いです。
ついに、飲み過ぎたらしく、トイレへ直行、派手に吐いていました。幸い、トイレまで間に合ったようでした。お店の人も心配していました。少し落ち着いたところでタクシーを呼んでもらおうとしたら、すぐ近くに乗り場があるということでした。この店はテルミニ駅やホテルに近いようです。
何とか吐かずにホテルまで戻りました。案の定、ホテルの部屋のトイレへまた吐きます。酔っぱらいは仕方がありません。狭い部屋で少し臭いですが、構わず寝ました。本当は、このぼろホテルの唯一のメリット、AVビデオを暇つぶしに見たかったのですが、最悪でテレビのケーブル自体が故障で、テレビ自体が見れないという最悪の状態でした。
【12日】
いよいよ最終日、午後3時過ぎの便でローマから成田経由で福岡まで帰ります。朝早く起きて、二日酔いのTさんを置き去りにして少しだけ歩いて観光しようと思っていました。先にしょぼい朝食をホテルの地下で食べてきました。ところが、Tさんが目を覚まします。一応、尋ねると一緒に行くといいます。仕方がないかと思っていたら、出発直前になってトイレでまた吐きます。チェックアウトを伸ばしてでも、12時まで部屋を確保するので部屋で寝ているように言って私だけでスッキリして外出します。フロントに告げると、遅くとも正午までには部屋を空けてくれと言われました。
久しぶりに、一人だけで外に出ます。さすがにスッキリします。まだ9時半なので少しは回れます。まず地下鉄で二つだけのコロッセオ駅で降ります。イタリアらしくまた修理中でした。最初から外観を少し見るだけのつもりで、ヴェネチア広場へ向かってひたすら歩きます。フォロ・ロマーノが少し見えます。エマヌエル2世の建物が立派です。無名の兵士の墓場のようです。いつも、タクシーでトラステベレへ行く時に見えた立派な広場がここのようです。
クイリナーレの丘へ行くと、小高い程度でそんなに高くありませんが、ちょうど西側にきれいにヴァチカンのサン・ピエトロ寺院が見えます。近くにトレビの泉があるようで歩いて行きます。ありました。Tさんが盛んに気にしていましたが、自由に回っていたのでほとんど日本人は見かけませんでしたが、このトレビの泉周辺にはさすがに多くの日本人観光客がいました。地図通り、スムーズに歩いて11時半過ぎにホテルに戻りました。14ユーロの列車、ダ・ビンチ号でローマ・フィウミチーノ国際空港へ行きます。何度も乗りましたが、これは直行で便利なせいか、イタリアの列車にしては料金が高い気がします。帰りの飛行機は通路席がいいと言っていたTさんですが、もう一杯で真ん中寄りはましと他の窓側席を取ってあげました。私は外を見たいので、窮屈でも窓際席をいつも選びます。
15時15分発のローマ〜成田直行便、AZ784便、座席34Lです。飛び立って5時間ほどして席でうとうとしていると、「機内にお医者さんはいませんか?」のコールが日本語でありました。同名の本まで出している私ですが、皮肉なことに一度しか出くわしたことがありません。飛び起きて、通路を走ってCA(客室乗務員)を探します。
病人は若い日本人女性でお父さんと一緒で、朝から嘔吐、下痢、微熱があり、イタリアの医者から対症療法の薬をもらったけど、再度繰りかえてしているという由です。私の身分証明書を求められ、もちろん医師免許証を持参しているはずもなく、ちょうど英語の名刺にはっきりと M.D.(medical doctor) と書いています。それをCAが機長に見せてゴーサインが出ると、ドクターズ・キットの鍵をやっと開けられるようです。
熱を測ると37.0 ℃と微熱で、吐き気がまだ強いようでした。バイタルは安定しているしそんなに重症でもなく、取り敢えず metoclopramide 10mg(吐き気止め)1アンプルを筋肉注射します。CAも慣れていて、男性イタリア人CAが吐き気止めの Plasil だと言います。最初聞き取れず、「ブラジル」と聞こえ何のことだろうと思っていました。ナースがいないので、自分でアンプルカットから準備しないといけません。酒精綿で消毒し左肩に筋注します。念のため、日本に帰って調べるとやはりよく使うプリンペラン(日本の商品名)のことでした。 誤解がないように書いておきますが、この医療行為は無償です。さすがアリタリア航空、粗品もありませんし、お礼の手紙も来ませんでした。後日、患者さんのお母さんと本人からはお礼の電話と手紙は来ましたが。食べ物のレベルは最高で好きなイタリアですが、サービスレベルは低く、実際このアリタリア航空も傾いています。ちょうどUAE(アラブ首長国連邦)のエティハド航空の出資を受けるとの記事が最近ありました。
私が評議員をしている日本旅行医学会のアンケート調査では、80%ほどの医師が機内でのドクターコールを無視しています。主な理由は、報酬がないということではなく、休暇中に仕事として関わりたくない、自分の専門で診れるかどうか不安、法的には微妙で無償なのに訴えられる恐れもある、などです。私は「旅行医学」を専門としているので、もちろん今回のように積極的に手を上げますが・・・
成田空港に翌日(日本時間)11時半に到着した時には、幸い患者さんは小康状態でした。念のため、成田空港にある日大の診療所へ連れて行くようでした。15時半の福岡行きの日航便までは時間があるので、いつものラフィーネでマッサージを受けたりして過ごしました。さすがに、国内ではTさんとは別行動です。
福岡空港へ着き、地下鉄で博多駅、それから同じ方向でJR鹿児島本線で福工大前駅で私が降り、Tさんは千鳥駅です。覚悟はしていたものの、それなりに大変で、パソコンを盗まれたり、Tさんが大事にテニスをいつも録画している3Dビデオを落としたり、いろいろなハプニングがありましたが、何とか終了しました。
空飛ぶドクター(登録商標)
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
久しぶりのバルセロナ(空港)
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ご存じ、サグラダ・ファミリア
(聖家族教会) -
外観
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外観
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いつの間にか完成した内装
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内装
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サグラダ・ファミリア
建物上部からの外装 -
サグラダ・ファミリアからの眺望
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サグラダ・ファミリア
再び外観 -
サグラダ・ファミリア
外観 -
グエル公園へ行く途中
道路にエスカレーターがある! -
グエル公園
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グエル公園からの眺望
サグラダ・ファミリアも見える -
グエル公園
入口 -
グエル公園
入口 -
トルコ人女子大生と
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カサ・ミラ
(ガウディ作) -
カサ・バトリョ
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カサ・バトリョ
左側にはオランダ風建築 -
バルセロナの広場
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サン・ジュセップ市場
氷詰めの魚市場 -
市場の見事なフルーツ陳列
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モンジュイックの丘からの地中海
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モンジュイックの丘にある大砲
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スペイン広場の噴水ショー
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フラメンコ・ショー
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フラメンコ
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発達したバルセロナの地下鉄
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昼間のモンジュイックの丘からの景色(地中海)
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元祖、マルゲリータ・ピッツァ
実際にマルゲリータ王女の来た店(ブランディ) -
Brandi のピッツァ・マルゲリータ
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夜景のプレビシート広場
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夜のウンベルト1世・ガッレリア
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2階にベッドのあるセミスイートルーム
(ナポリ) -
虹の風景
ナポリ〜バーリ -
世界遺産・アルベロベッロの入口
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トゥルッリ(とんがり屋根)
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夕焼けのツゥルッリ
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灯りのついたツゥルッリ
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ツゥルッリの前で
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夜景のマテーラ
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マテーラにある教会
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洞窟の中にある朝食場
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翌朝のマテーラ
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マテーラ
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マテーラで
レンタカーと -
イタリア南部らしい
真っ白なまん丸いモッツァレラ・チーズ -
オレキアッテ(耳たぶ形のパスタ)
南部名物 -
イタリア在住の知人家族と
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サンタ・ルチアにある卵城
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サンタ・ルチアから丘を望む
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ナポリ行列のできるピザ専門店・ダ・ミケーレ
ピッツァ・マルゲリータ -
同 ピッツァ・マリナーラ
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この大きさで5ユーロ(700円)!
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ジオラマ通り
スパッカ・ナポリ -
アルバ門
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アスティーチェ・ブルー
(青いロブスター)ローマ
超豪華なシーフード前菜(24ユーロ) -
修理中のコロッセオ
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ヴェネチア広場にあるエマニエル2世の建物
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クイリナーレの丘から見える
ヴァチカンのサン・ピエトロ寺院 -
トレビの泉
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