2014/01/05 - 2014/02/10
596位(同エリア3903件中)
アーサーさん
来年の避寒の場所はと考えていたら、ネットでフィリピンの語学学校の記事を見た。それで セブを選び5週間滞在した。結果的に学校生活は結構きつかった。学習の効果の程は 当初の期待が大きすぎたのか それほどでも無かった。
帰途マニラに2泊して日本に帰った。その体験記。
写真はジンベエザメ
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 飛行機
- 航空会社
- フィリピン航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
1)1月5日
海外旅行の際の英語力の無さに 開き直ってはいたが もう少し何とかならんかとは 思っていた。日経の記事でフィリッピン英語語学学校の体験記事を読んだ。少し興味を引いた。日本語教師のボランティアの経験でも アジアの子供に英語で説明する必要もあった。特にフィリッピンの子供には。
写真は何時ものアクセス特急成田空港行き。この電車に乗る時から私の海外旅行はスタートする。 -
2)
10月になり 避寒旅行の件もあり、語学学校の日本代理店の説明会に 3カ所程参加した。日経の記事にあった現地の代理店にも問い合わせをした。
年齢的に学校の寄宿舎は個室が絶対条件になり、セブ周辺で 季節が1月か2月の条件で、出来れば日本人経営の学校となると 選択できる学校が絞られてきた。料金的には大差が無いように思われた。
10月下旬 代理店「留学ドットコム」で「ターゲット」TARGET 5週間、1人部屋、TARGET SPEAKING MASTER
滞在費、学校費 235,000円
入学登録金: 15,000円
海外送金手数料: 5,775円
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小計 255,775円 で予約した。
写真は成田空港第2ターミナル フィリッピン航空搭乗機 -
3)
5週間の在学期間は迷った。代理店の人は3か月を推奨したが 金額も掛かるし、途中で嫌になった時の自信が無かった。終わってみれば 5週間は短すぎたと思うが、私としては ほぼ限界に近かった。
写真は機以内食。機材も古く、スタッフは親切だが 航空会社に好感は持てなかった。機内で気分の悪くなった婦人が出たが、同年代の私も自戒。 -
4)セブ空港で 学校のスタッフに迎えに来て貰う。セブはやはり温かい。
もう一人の到着を待つために空港玄関側を写す。
各語学学校の迎えの人が多く、玄関側からは迎えのプラカードが見えにくい。 -
5)色々あって部屋に入ったのは午後8時過ぎ。夕食に出かけるのも億劫で持参したカップラーメンを食べて眠る。
5週間過ごした私の部屋。改装されたそうで塗装等は新しいが、設備は古い。
50年近く前の学生時代を思い出す。 -
6)眠ってはみたが、とにかく 騒音が激しい。エアコンの音。冷蔵庫のコンプレッサー音、排水音。犬の鳴き声。鶏の鳴き声。人の声。バイクの音。
それなりに疲れていたので 眠ったが何度も起こされる。(滞在中、夜間の騒音には 悩まされた。冷蔵庫を切り、窓・ドアも締めたが 効果は限定的、耳栓を持参している人もいたが。)
写真はトイレとシャワー。
シャワーの出はもう一つで 床の排水が上手く流れず水溜り。
タオルの替えを持参していないことに気づく。 -
7)
翌朝 朝7時から 食事オープン。
戦後の食糧事情を経験しているものには 何の不満もない食事だが。 -
8)
こちらの黄色い建物が 事務棟(1F)と寄宿舎(2,3F) 白い建物が別棟の寄宿舎と奥の肌色の建物が食堂と教室。
私は黄色の建物の2階が居室だったが、途中で白い建物の方が騒音が少ないと聞いた。面倒で変更して貰わ無かったのでその可否は分からないが、長期に滞在する場合は一考の要あり。 -
9)学校の敷地は高い鉄塀で囲まれている。左のブースはガードマン詰所。
出入りの記録必要。 -
10)食堂前のフリーゾーン。ここは原則日本語禁止の英語ゾーン。
-
11)初日 食堂でオリエンテーションがあって 同期入学者12名?若い人ばかり。女性の比率が66%位。
テストがありランク分け。
私の成績の結果は ライティングが4/10 文法・語彙が4/15 会話が12/25 リスニングが8/25 リーディングが13/25 合計 41/100
つまり100点満点の41点 Low Intermediateクラス
久し振りの試験にメロメロの結果。これが 疑いもない私の実力。
写真はテストの結果と時間割の表。 -
12)
それから 近くのショッピングセンターへ リラへの両替えと証明書用の写真撮影に出かける。日本円4万円両替えとATMで1000リラ出金。
おやつも買って帰る。学校付近の土地勘を理解できる。周辺は便利そう。
写真はショッピングセンター内部。 -
13)
夕方近くに 今週の入学式もどきに参加。英語で挨拶のスピーチ。
新入生各人の挨拶を聞いていれば その人のレベルが予測できる。上手い人は 上手い。
こうなれば開き直ってやるしかないと 覚悟を決める。
疲れたので夜の授業はパス。
夜 若い人がパソコンを直してくれる。ネットがそれなりに繋がる。一安心。 -
14)
私の授業は1時間目(8:00〜8:50)グループレッスン リスニング
2時間目(9:00〜9:50)会話
3時間目(10:00〜10:50)リーディング
4時間目(11:00〜11:50)応用
5時間目(13:00〜13:50)グループレッスン 語彙
6時間目(14:00〜14:50)文法
7時間目(15:00〜15:50)文法
8時間目(16:00〜16:50)準備 その他に19時からのナイトクラス。
会話力アップを目的として、短期集中型のコース設定をした為、日中の8時間をフルで埋めた。結果的に 宿題と予習で2時間は取られ、夜のナイトクラス(無料?)には1度しか出られなかった。長期ならば日中6時間+ナイトクラス2時間で 日中の2時間を宿題と予習にあてた方が良かったかもしれない。
写真はグループレッスン リスニングの配布されたテキスト。 -
15)
初日の授業はグループレッスン以外は、自己紹介と何が語学研修の目的か?等を話して終わり。
個人教授が中心なので気を抜けなくて、疲れるが こちらのレベルに合わしてくれている気がする。
初日はテキストもなく これからの予定等を説明してくれる。
1時間目のグループレッスンは女性2名男性1名のところに新たに加わったので スピードに追い付いて行けず。
写真はその教室。 -
16)個人授業の部屋。狭い。部屋によって室温が極端に違い、寒い部屋に半袖で、半パンツで入ると凍えそう。照明も暗い部屋があり老眼の身には難渋した。
-
17)
宿題も出され、予習もあり、午後7時からのナイトクラスは1週間目は避けるようにとアドバイスを受け、諦める。
写真はもう一つのグループレッスンの教室。 -
18)
最初は部屋にテーブルもなく、鏡も無かった。ベッドに腰掛けて予習。ベッドが柔らかすぎて腰を痛めそうで、事務室に言ったら 狭いが 机と丸椅子を入れてくれた。
ネットは満足に繋がらなかった。メールも出来ず それで滞在中 イライラした。 -
19)
中庭のヤシの葉の小屋。休憩時間ここで煙草を吸う。煙草仲間の若い人から色んな情報を貰う。(日本語で) -
20)
一階の自習室。ここで午後7時から9時過ぎまで宿題、予習。10時を過ぎることもあり 6時半には起きるので少し辛かった。 -
21)食事はフィリピン米のパサパサした感じに違和感を覚え、メニューは変えてくれているのだが、日が経つにつれ飽きては来た。振り掛け等の持参した食料を利用する人を見かけた。
-
22)
煙草仲間の情報に寄れば、栄養価に問題はないし、量もバランスも取れているのだが、何故か満足感がなく、女性の中には食べれなくなる人が出て来ているとか。確かに薄味の繊細さは無かった。
食堂のテーブルは英語テーブル(教師が傍に座る。)と日本語可テーブルに分かれ、先生から何故英語テーブルを利用しないの言われ、私も2度ほど英語テーブルに参加したが 疲れてやめた。 -
23)
洗濯は週3回やってくれる。男の身には助かった。
但し提出用の洗濯ネットを一つしか貰わず、雨天で返却が順延された時、次の洗濯物を出せずに困った。
(下着を現地で購入して凌いだ。)
写真は返却された衣類。丁寧だが洗剤のキツイ臭いが残って居る時もあった。 -
24)
翌日から 本格的授業が始まって、私の英語を修正・添削してくれるのが役に立っているように思える。ボイスレコードを使って 私の表現を板書してくれて 即修正。特に発音は 口を開けろとしつこく修正。(経験したことのない教授法) -
25)
毎日の宿題は「日記」「対話」「週末計画」「お話創作」等だがノートに書いて提出すれば 添削してくれる。 -
26)
文法の2時間は フィリッピンまで来て文法は無いでしょう、日本で自学できると言う意見の方もあったが、50年前の復習を兼ねて、私はやってみた。
無駄ではなかった気がする。
写真は使用した文法のテキスト。 -
27)
旅行会話を頼んでいたので、そのケースに合った テキストを選んでくれてはいた。道を尋ねるとか、病院の掛かり方とか参考になるものもあったが、現代の実情に合わないものも有った。
教師の先生方が海外旅行を経験していないのだから仕方がないとは思うが。
写真は「道を尋ねる」のテキスト -
28)
グループレッスンは同じ学生の進捗具合等の情報・刺激を受けて 励みになる部分もあった。ただ積極性が無いと 時間の無駄になる部分はあった。
グループレッスンで欠席する学生もいた。折角お金を払っているのに 勿体無い。
写真は 「語彙」のテキスト -
29)
金曜日は卒業式のセレモニー
やっと 1週間が終わった。
周りも見えてきた。
期日的に現役の学生は少なく、それ以上の年代の学生。期間3か月の人が多かった。同世代は一人の男性のみ。
会社派遣の人や有給利用の人もいたが 多くは現在無職。女性の方が 次のステップが明確で 熱意も感じられた。
同期入学の方に 週末の「飲み」を誘われたが その元気が無く、断る。
写真は卒業式 -
30)
土曜の午後 近くのモールへ買い物に出かける。
学校を一歩出ると いつもの東南アジアの世界。
道が整備されていなくて 生活の露わになった世界。
写真は学校からモールへの道。 -
31)
近くのモール。百貨店で壊れたサンダルを買う。女性店員が日本のように売ることに熱心ではない。 -
32)
1階のスーパーで食品(おやつ)を買う。商品は豊富で日本の半額の感じ。見ていると結構大量に購入している。スーパーの買い方に違和感はなし。 -
33)
モールの前の歩道橋から通りを写す。トタン屋根と鉄筋ビルが混在。
露店で皮の剥かれたマンゴ買い、部屋で期待して食すると 酸っぱい。グリーンマンゴだった。失敗したと気づいたが そう思って食べてみると食べれる。「酸っぱい。」味がフィリピンでは経験していなかったから。 -
34)
学校への道から 一歩入ったところの墓地公園。
凄い貧富の差。この構内を 毎朝ランニングしている語学学校の生徒もいた。 -
35)
日曜日は雨の所為もあり、外出せずに、復習と予習。
写真は1階フロント。係りの人がカウンターに居てくれて、何かと用事をしてくれる。タクシーを呼んだり、バンドエンド呉れたり、傘を貸してくれたりする。
ただここは 上階まで吹き抜けになっていて 2階の私の部屋まで音が筒抜け。
深夜の酔っぱらった学生の出入りや、ロビーの話し声も聞こえる。
各階に飲料用の冷水と温水がサービスされていて重宝した。マグカップを持ってきて正解。(茶葉と急須それに果物用のナイフも持ってくるべきだったか?)
(爪切りとはさみは 煙草仲間の学生さんから借用した。) -
36)
第2週目が始まり、新入生も入って来て、大分慣れてくる。
個人授業は先生も私も楽な自由会話になってしまいそうになる。
毎日の課題を前日に確認して それの準備をして臨む必要があると思う。
ボイスレコードもこちらが準備した方が良かったかもしれない。記録を残せれるから。
第2週から「準備」の授業で 最初は15語の単語の暗記が加わる。この歳で出来るのかと不安だったが ある程度は付いて行けた。50年前に習った英単語を思い出すこともあった。
写真は単語暗記の15語。 -
37)
第2週が終わり、金曜の夜、同じクラスの女性達とハリウッド映画「47浪人」を見に行く。英語の上達具合を期待して行ったが さっぱり理解できなかった。
土曜日 歩いてアヤラセンターへ行く。途中で現地の女性に道を尋ねたが英語が上手くなったと思えなかった。
途中の道路越しに明日の「シヌログパレード」の練習をしている一団を見かけて写真を写す。 -
38)
アヤ?センターは現代の世界中で見かけるのと同じショッピングセンター。
フィリピンの地方都市にまでこの波は来ているのだと驚く。
中産階級もここまで育っているのを確認。 -
39)
中央の広場では何かのショーが行われていた。凄い人だかり。 -
40)
翌日の午前中 セブ市最大のお祭り「シヌログパレード」を見に行く。 -
41)
凄い人出で 祭りの中心サントニーニョ教会方向には近かづけず、オスメニアサークルの公園で見物。 -
42)
キリスト教伝来のお祝いの祭りだそうだ。朝の10時頃から 夕方迄延々と続くらしいが、パレードの到着の間が長く、立って見ているのに疲れる。 -
43)
ブルージュの聖血祭やチェンマイの花祭りの行進を思い出したが、ここは間が持たない。 -
44)
1時間位見て、引き返すのが一苦労になると思い 早々と引き上げる。 -
45)
通りかかった教会で一休み。牧師さんの説教は分かり易い英語だった。
帰りに拾ったタクシーの運転手の英語は聞き取り難い。これが現実。 -
46)
また 月曜日新しい 学生が入ってきて 週が始まる。
この頃から 時間割を変更して 新しい先生に変更・修正する人達も出てくる。
確かに 相性の悪い先生とか 休みの多い先生とか 変更する必要もあるのだろうが 私は5週間なので変更はしなかった。
ナイトクラスに参加してみたが、宿題と予習をすると 寝られなくなるので やっぱり諦める。
写真は入学式。 -
47)
3案週目に入り、聞く方は少しましになったような気がするが 喋る方はダメ。
自分の言いたいことが言えないもどかしさ。
言えることしか喋れない フラストレーション。
写真は グループレッスン毎週の「プレゼン」の練習課題。
プレゼンは準備した原稿を見ながらだが 良い経験になった。
尚 この頃から 学校内で風邪が流行りだす。週末 海に行った人が寒くて、発熱したのが きっかけ?個人授業の部屋も狭く、移り出すと早い。入院した人も出る。(胃腸薬、風邪薬、嗽薬、消炎湿布剤等を持ってきて正解。) -
48)
そして 3週目が終わり、半分終わった。
もう半分終わったという焦りと、頭が英語で一杯と言う疲れが混在する。
煙草仲間との話で、ここの5週間は高校英語の1年間の授業数に匹敵するとのこと。 考えれば高校1年と2年の英語力の差はそれ程でも無い。高校入学時と卒業時は大きな差だろうが。あまり大きな伸びは期待できないことを知った。着実に一歩進めることが大切と思った。
写真は卒業式の模様。3週間の知り合いが卒業して行く。
金曜の夕方、卒業生の女性とスーパーで会い、夕食を共にして貰う。娘と同世代。話を聞きながら 現代の女性の生きる困難さを漠然と知る。 -
49)
土曜日「甚平ざめ見物」に参加
2400ペソ。約6000円の費用。
ランチ付きだがら 安いと思った。
朝5時学校出発の予定が5時半過ぎに出発。
毎週末 何かのイベントが学校の掲示板に掲載されていた。
写真はマイクロバスの車内で。 -
50)
島の南部オスロブの海岸まで約4時間。途中眠ろうと思ったが、道のバウンドも激しく眠れず。
道端の稲が黄色く収穫の時を迎えていた。余り丁寧な稲作では無いように思えた。でも見慣れた懐かしい田園風景。 -
51)
オスロブの海岸に到着。
船の集まっている海中に ジンベイザメが数匹いるみたい。
着替えて、説明会の後、船でポイントに向かう。 -
52)
海中では人工的に餌付けされた 巨大なジンベイザメが 確かに泳いでいる。 -
53)
右の係りの人から 頭を突然押さえられ 海中から写真を撮られる。
最初は状況が分からず 抵抗したが 次回は納得して 撮影に成功。 -
54)
船から上がり、ランチへ。
午後 沖の船で小島に向かう予定。 -
55)
ランチの撮影。若い人達に親切にして貰った。 -
56)
午後 綺麗な海岸で 自然の中で身を任せ しばし漂い、気分が晴れる。 -
57)
途中、砂浜で海ダコを捕まえる。
ジンベエザメニも会えたし 来て良かった。 -
58)
学校への帰途、田舎道で 地方の「シヌログパレード」に出会う。
地方は大家族制が残って居るのか、広い庭の木陰で 家族全員が椅子に座り、
行き交う道路の車を見ている。これも幸せの典型と羨ましかった。
お祭りの渋滞もあり、学校に戻った時は5時を過ぎていた。 -
59)
第4週目が始まり、週の半ばで JiCAの人を交えた 課外授業があり、参加。
5人の参加で1時間。私は初心者の分類に属し、英語力は弱いが、若い人の話を聞いているうち これは 年寄りとして言っておかねばと発言。結局他人に訴えるものを持っていることがコミュニケーションの前提。
若い人の国際協力の努力に頭が下がる。写真はjicaの人から貰った名刺。 -
60)
木曜日 月次のテストがあり、受験。折角のチャンスと私は参加。受験者は三分の一位。受験をしないのは勿体無い。
翌週 結果を入手。
私の成績の結果は ライティングが 0 (4/10) 文法・語彙が11(4/15) 会話が13(12/25) リスニングが17(8/25) リーディングが13(13/25) 合計54 (41/100)・・・(内)は入学時の成績。
100点満点の54点 つまり10点以上向上。
負け惜しみを書くと、ライティングの0は 試験時間のミスと試験説明の聞き取りのミス。
会話のテーマーの選択が籤で苦手な音楽になり、喋ることが無かった。
予定以外のの時間外が入り、第4週目は厳しかった。昼休みに部屋で短時間の昼寝をしたが効果的だった。 -
61)
最後の週末。スキューバダイビングへの参加も考えたが、天気予報から台風2号が来ていることを知り 木曜日に諦める。実際 体力、精神力共に限界。
金曜日に台風の直撃を受け トタンを煽られる音に不安になった。
土曜日には台風一過の青空。
それで 昼御飯を学校で食べ それから セブ市内の観光に出かける。
最初は フィリピン最古の教会の一つと言われる「サント・ニーニョ教会」へ。
写真は教会の入り口 -
62)中は結構広く、整備もされている。
私も「サント・ニーニョ像」礼拝の長い列に並ぶ。
回廊にはキリスト教伝来の絵が飾られている。
写真は中庭 -
63)
「サント・ニーニョ」の裏で背後の木戸を撫で何かを祈る老婦人。
日本でも見かける風景だなぁと思う。 -
64)
「サント・ニーニョ像」
若いフィリピンの女性が 感激の余りか 涙を一杯堪えていた。 -
65)
植民地支配側の宗教だのにと思っていたが、日本も全く異国の釈迦を崇めている訳だから大きなことは言えないことに気付く。 -
66)
それから 教会の博物館(お休みだった。)マゼラン十字架を見て、
暑くもあり、マクドナルドで一休み。
現地の店員の英語は分からなかったが、余裕を持って 聞き返せることは出来た。これが白人店員だと出来るかどうかの危惧は残ったが。 -
67)
近くの 「サンペドロ要塞」へ。写真展示の博物館にも寄ったが 日本占領期間中の展示は無かったように思う。以前 ボルネオ島のコタキナバルの博物館で日本占領時代の展示があり、被占領側の見解が出ていたのを記憶していたので 少し緊張して見てみたが 無かったと思う。
個人授業中、フィリピンの高校の歴史教科書を見せて貰ったが、フィリピンが連合国側で戦ったことを 淡々と数ページに渡って書いている風に思えた。 -
68)
むしろ展示物は スペイン軍と戦った歴史を強調していた。
マゼランもこの地フィリピンで殺された。 -
69)
博物館の前に 盆栽風の鉢植木があり、写す。
世界中で認められていると 嬉しかった。 -
70)
それから 歩いて「カサ・コロルド博物館」へ
スペイン風の全景 -
71)
最初に100年前位の農機具が多数あり、日本との稲作文化の共通性を認識。 -
72)
2階は当時のスペイン人の居室が展示されていて、中国の影響もあるが、家具の精巧さに驚く。係りの人に尋ねたたら 大部分がフィリピン製だと言う。 -
73)
2階の全景。 -
74)
庭側から博物館を写す。
1899年米西戦争の結果、2000万ドルでスペインがアメリカにフィリッピンを譲渡。16世紀からのスペイン時代が終わった。
300年に渡るスペインの影響は大きいものがあったのだろうと思った。 -
75)
月曜日 最後の週が始まる。
日本では春休みになり14名の新入生は現役大学生が大分増えて来て こちらの学生の様相も少し変化が出る。
私は 兎に角 休まずに全授業に参加するを最低の目標とした。
前の週末 教会に行ったことから 二人の先生と宗教談義がテーマになり、特に若い女性教師とは聖書の話になった。逃げずに 話したが 私が英語の初級者なのに 早口で抽象的な話も連続されると苦しかった。
写真はヤシの葉っぱの小屋から
ここで若い人達とよく話した。
私は66歳なので この英語学校学んだことは 後6年位しか使えないが、貴方方は50年位使える。(本当にそう思った。)私の励ましが伝わって欲しい。 -
76)
卒業のスピーチはフィリピンと日本の類似性と相違点について話した。
類似性 1)島国
2)米作文化
3)天災の多さ
相違点 1)日本の冬の存在
2)中央政権の確立の早さ
分かって貰えただろうか? -
77)
卒業証書を渡され 見れば High Intermediateクラスに入学時よりワンクラス上がっていた。 -
78)
卒業式後、お世話になった先生方と 支えてくれた若い学友と居酒屋に行く。
正直、英語を話す元気は無かったが。
会話担当のローランド先生。
「農業の事」「若者たちの事」「健康の事」「お金の事」「中国の事」等と毎回テーマーを設定して 下手な英語を我慢強く聞いてくれた。
リーデング担当のパット先生。
日記、ダイアローグ等の添削を毎日行ってくれて、授業では教材を用意してくれ 語学教師のプロの感じがした。
最後の夜に付き合ってもらい 寂しい夜にならずに済んだ。 -
79)
翌朝 荷物を纏め、最後の朝食を戴く。
裏方で支えてくれた人達
食堂の賄をしてくれた人達、洗濯をしてくれた人達、清掃をしてくれた人達、警備・受付をしてくれた人達に感謝した。
特に私の部屋を整えてくれた女性はは良くやってくれた。(心ばかりのチップを残しておいた。) -
80)
マニラ行は国内線扱いで 手荷物重量制限が10Kg。搭乗手続きカウンターで計量すると14Kgを超えている。マニラから成田へのEチケットを見せ交渉したが、500リラの料金を支払えと言う。内心諦めたが、少しでも軽くとリュックに詰め替えなおしていると もう好いからと、パスしてくれた。
英語交渉力の成果???
写真はセブ空港待合室。 -
81)
語学学校の比較は 他の学校を知らないから難しいが 多くの学校がありながら 比較できないことが一番の問題だと思う。倒産・廃校の例もあるらしい。
私の行った学校は 日本人資本で日本の代理店も資本参加しているみたい。学校のホームページを見れば 個人直接申し込みは不可で代理店経由のみの受け付け。
代理店の人が説明していた通り 語学力が伸びるかどうかは 学生の努力次第と言うのは正しいだろう。また 学生同士の良い勉学の環境作りも大切だろう。カリキュラムやコース設定も大切だろう。ただそれ以上に語学教師の質も大切になる。そこのところが 事前に分からない。
予備校や塾ならば合格者の結果で 一つの判断できるが。
フィリピンの語学学校は 国内法で規制も出来ず 現状ではリスクが残る仕組みだと思った。少なくとも日本の代理店の責務は旅行業法などを参考に明確にすべきと思った。
写真はマニラ行の搭乗機 -
82)
マニラ訪問は 日本への帰り道なので ちょっと寄って行こうとの気分だった。
ホテルは観光に便利そうなエルミタ・マラテ地区に2泊分 取った。
三ツ星クラスのこじんまりしたホテルだったが 別段不満は無かった。
写真はホテルの部屋。学校に比べるとかなり良い。ネットは繋がらなかったが。 -
83)
リサール公園の観光局で情報を得ようと 歩いて行ったが 改装中で閉鎖されていた。
写真は公園に立つラプラプ像。右後ろが改装中の観光局の建物 -
84)
仕方がないので 「国立博物館」に寄る。
公園側から近づいたので 入口が分からず 尋ねた相手が悪かったのか周囲を1周半してしまった。
写真 道路側の入口。
4時過ぎに入館したため、5時の閉館に1時間しかなかった。 -
85)
ルバング島のフィリピン残留兵士 小野田さんが 語学学校在学中になくなり、そのことを話題にしたことがあった。その際 ローランド先生からはマニラの「国立博物館」を訪ねてみて欲しいと言われ 今回の訪問になった。
博物館は大きく 5階まであり、限られた時間で全部見れたかどうか自信はないが、日本との関係の展示物は見当たらなかった。
写真は 島を行き来した船の遺構。結構大きい。 -
86)
織物機 日本の島国の織物に類似性を感じる。 -
87)
日本のはにわに表情が似ている。 -
88)
はにわが日本独自のものと思っていたがそうでもないのか?
他にも日本の米作農機具や 竹製品の共通性を感じられるものがあった。 -
89)
帰りは 一駅だが高架鉄道に乗ってみる。
帰宅時にあたり 車内は凄い混雑。
改札の列は守ってくれる。
写真は入構して来る3両編成の電車。 -
90)
晩御飯は ホテル近くのロビンソン百貨店の中で食べた。
セブに比べれば 高い。それでも満席。
フィリピン料理は塩分がきつい。
ホテルで明日のマニラ観光半日ツアーを申し込む。 -
91)8時過ぎホテルピックアップ。
最初に向かったのが 南東部のマカティ市等
欧米のビル街と見間違う新興の地域に圧倒される。
同行はアメリカ人女性3名。1名は語学学校の教師。現在香港在住だが兵庫県にも数年滞在。2名はテキサス在住でフィリピンのコールセンターの指導に来ているとか。 -
92)
次に向かったのが「アメリカ記念墓地」第二次世界大戦中 フィリピンで戦死した1万7千人以上が眠るとか。米比両国の国旗が青空に映え、両国の絆を意識される綺麗な墓地公園。 -
93)
戦跡の表示が 連合国の勝利の記録が淡々と掲示されている。
陽気なアメリカ人女性達と敗戦国側の私の間に少し気まずい雰囲気が瞬時流れる。 -
94)
確かに1万7千人を殺したのは日本人であることは間違いないが、その意味で お詫びも含めて 首を垂れた。ただ 日本人もこの地で30万人以上が亡くなった。そして多くのフィリピン人も亡くなった。全ての慰霊に 私は首を垂れた。
そして 記念碑前に置かれたノートに 「戦争反対」と英語で記入した。
墓参した世界の多くの人が 「平和」祈念を記入していた。 -
95)
次にフィリピンの「ビバリーヒル」と言われている高級住宅街を通過する。
門には私設のガードマンが配置されている。 -
96)それから 墓地に。
フェンスで囲まれたお墓から -
97)
棺桶が段積みされただけの墓。
丁度死者の段積みがなされていた。 -
98)
そして 墓地を住処とする人達。 -
99)
スラムのようなところも通過した。 -
100)
そして マニラ地区のサン・オウガスチン教会へ。 -
101)
教会の内部。 -
102)
土産物屋に立ち寄り
それからサンチャゴ要塞に入いる。 -
103)
リサール記念館の下が水牢。日本人の無知に恥じ入る。
ホテルには13時頃帰着。
広告のガイドパンフレットに書いていたように
マニラの概要が早足だが 短時間で分かるツアーだった。
英語ガイドの邪魔にならない程度には付いて行けれた。 -
104)
それから 昼食後 もう一度近くのロビンソン百貨店を訪ね見て回る。
日曜日で多くの買い物客に圧倒される。 -
105)
夕食はフィリピンのファーストフード店「Jollibee」で簡単に食べる。 -
106)
翌日 空港で
出国税の支払いの時 お釣りの50ペソを少なく渡される。指摘したら笑って誤魔化されたが、フィリピンの多くの人が正直だっただけに 引っかかるものがあった。
写真は成田への搭乗口。
これから変わるのだろうが 現在のマニラ空港の免税店は貧弱。 -
107)
今回のフィリピンの旅行は 課題が多く まとめの消化ができないまま帰国することになった。
ただ 思っていた以上に近い国であることは 理解できた。
中国や朝鮮(韓国)のように日本からの戦争被害を 声を大きくして言わないが
フィリピン国土も戦場化をし 多くの被害を与えたことは 心して置くことと思った。
写真は成田への搭乗機。 -
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日本に帰って、英語の継続を考えていたら、東洋経済のネットの記事に「WAKU WORK ENGLISH」の マンツーマン・オンライン英会話の紹介記事があった。若い日本人が新しい試みをしていることを知り、嬉しくなった。少し落ち着いたら試してみたいと思う。
写真は機内食。年取ったせいか やはり日本のご飯は美味しい。
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この旅行記へのコメント (3)
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- wakanohimezakuraさん 2021/10/18 12:54:19
- 参考になりました。
- 私は今、66歳。来春以降セブ島へ2週間程度の語学留学を考えています。4週間の留学はご立派です。私だと精神的におかしくなりそうです。2週間の留学中も、午前はレッスン、午後からはゴルフができれば良いかなと思っているくらいですから、心構えに問題があると思い知らされました。ありがとうございました。
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- ミゲルさん 2015/11/02 17:30:02
- ありがとうございました
- 定年後のシニア留学を予定しているので、大変参考になりました。
いずれも広告とはかなり異なるようですね。
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- みちこちゃんさん 2014/02/21 18:45:18
- お疲れ様でした。
- アーサーさん、初めまして。
フィリピン語学学校は、ずっと気になっていたものだったので、
なるほどと思いながら読ませていただきました。
毎日の生活面がちょっと大変そうでしたね。
食事は慣れるということはなさそうですね・・・
5週間もの英語漬けの生活内容も詳しく書かれてあるので
とてもよく分かりました。
「WAKU WORK ENGLISH」の マンツーマン・オンライン英会話というのは
初めて知りました。娘が「レアジョブ」というスカイプでのオンライン英会話を4年近く毎日やっています。それと同じようなものなのですね。
レアジョブは25分で毎日マンツーマンレッスンができますよ。
相手はフィリピン人講師です。
帰国後もまた英語を頑張ってくださいね!
私もあきらめていたけど、ちょっとやってみようかなと
思えてきました。
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